ロイヤル・ストレート・フラッシュ ＜完結篇＞
２４
シニョーレの指図で市長公邸の厨房スタッフ達は大車輪でテロリストどもに振る舞う睡
眠薬入りパスタを拵えた。あつあつのうちに届けられたそれには、スプーンとフォークが
添えられていたが、彼らは器用にフォークだけを操って平らげた。その様を、うっかりと
カメラは中継し続けていた……。
「ま、まぁまずくはないな。
だが、シニョーラ、あんたが自慢するほどのもんじゃあねえよ」
リーダーは気を張っていて口をつけなかったが、空腹を満たしてもらって気安くなった
一人がブチャラティに声を掛けた。
……言ってろ、女を質にとって服を脱がせるような外道が。
一仕事終えてきたアバッキオが怒りに満ちた眼でその男をモニター越しに睨み付けている。
「ハハハッ。油断して。
そりゃあ、いくらアバッキオの料理でも、睡眠薬が山ほど入ってるんだ、味は保証できま
せんよ。
やつら生まれついてのイタリアーノですね。黒海なんか、見たことあるのかな？ よく
もチェチェン・ゲリラなんか名乗ったもんだ。前の立てこもりの時には水の一杯も人質に
与えなかったてのに、差し入れの食べ物をあんな有り難そうにがっついて。
素人。
テロリストを名乗るもおこがましいですよ、彼ら。
きれいな北イタリアの発音でしゃべって、あんなたっぷりソースの絡んだパスタをまぁ
器用にフォークに絡めて食べられるチェチェン人がいるもんですか。
あとは黒幕の名前を吐いたらさっさと死んでもらいましょうね」
フーゴが辛辣に言い捨てた。
普段穏和な紳士の真の姿にアンジェラが眼を丸くした。
……そんなことゴキゲンで言うなよ……。
ミスタとナランチャは首をすくめている。
「うちには頼れる参謀がいて、テロの予測襲撃地点からオペラの演目のあらすじ講釈まで
してくれる。『スペードの女王』では老婦人の幽霊がラッキー・ナンバーを教えてくれて、
若者はそれに賭けて巨万の富を得ることになっているそうだ。知っているか？」
余裕の表情で人質はコーヒー・ブレイクを楽しんでいた。シャンパン・ゴールドの揃い
のブラジャーとショーツに、同色のガーターベルトでストッキングを吊っている。靴はも
う脱いでしまっている。まったく恥じらうそぶりもなく、手はもう拘束を解かれて、足を
組んで、人質と言うより彼らを誘惑にやってきた交渉人のていだ。
「ラッキー・ナンバーは３，７，１」
凄艶な笑顔を作ってみせる。
「１時までは公式な回答は期待できないんだったな？ 解った。横にならせてはもらえな
いようだが、少しリラックスしていよう」
さりげなく伺うと、食事を振る舞われたテロリストどもは、薬が効いてきたようだ。し
きりにあくびを堪えたり、無茶にからだを動かして眠気を追い払おうとして見せたりして
いる。
「次はなにを脱いだらいいのかな？ やはりストッキングか？ それより先にベルトの方
を外すべきかな？ これ一本あったからといって何が変わるというものでもないしな。
……ときにリーダー君、そろそろ教えてくれないか？ きみたちの依頼主は誰なんだ？」
「依頼主？ なんだそれは」
リーダーは顔を繕った。
「こんな大それたことを計画してきみたちにお願いしたやつらのことだ。黒海のほとりか
らはるばるこんな所まで来るのは大変だったろう？ わざわざ地中海まで遠足の計画を立
てたやつを名前を聞いている」
「バカにするなッ！ これはおれたちが自分で決めた計画だッ！」
「まあ彼らには同情するがね。交通の要害だとか、得難い鉱物資源がとか言って、中央の
やつらは勝手に入り込んできてひとんちを荒らすからな。
じゃあ、郷土愛に燃えたきみに敬意を表して、そのチェチェンの民謡をなにか聞かせて
もらおうか。あるんだろう？ 母国語の曲が。きみの愛するマンマが小さいころ歌ってく
れた歌でもいい」
「あ……それは」
威圧感にみちていたリーダーの顔が、一瞬、曇った。
「イタリア語を立派にしゃべってくれるのは有り難いが、同志との間は母国語で構わないん
だぞ。むしろ、その方が秘密が漏れないだろうに」
「Ｎ……Ｎｏ」
虚を突かれたリーダーは、顔色をすっかり失って首を忙しく横に振るだけだった。
「名前を騙られたチェチェンの真面目な独立活動家が可哀相だと思わないのか？
さあ、さっさと吐いてしまえ。きみはイタリアの生まれだな？ それも、北の方。ピッ
ツァよりはパスタの方が好きなミラネーゼだ。違うか？」
「違ッ」
「へえ。うちのミラノ生まれの子がそんなきれいなしゃべりだったけどな。あいつはお坊
ちゃまだからかな？ まあいい。
おばさんはこれでも若い頃はギャングでね。結構危ない橋を渡ってきたんだ。どうやっ
て生き残ってきたかっていうとね、ひとが嘘を吐いているか判るんだ。こうやって、汗の
味を確かめる」
ついと立ち上がって、ぶるぶると震えているリーダーに近寄って、顔をべろりと舐め上
げた。
「そう、これは、嘘を吐いている味だぜ、若いの」
百戦錬磨のもとギャングのチーム・リーダーは、顎を上げて見得を切って見せた。ネア
ポリスの海の色と讃えられた青い瞳が、まったく動かずに彼を見下ろしている。
リーダーは、腰を抜かして坐り込んだ。
「マンマが泣いているぞ。由緒正しいミラネーゼが、なにが悲しくでクマの国のテロリス
トの真似をするんだ？ ああ？ 断れない筋の依頼があったんだな？」
ブチャラティは近寄って、その男を床に押しつけた。腹の上に跨って、顔を近づける。
もうはや、それを制止しようとする仲間はいない。皆、薬が効いて眠り込んでしまってい
る。
「知らねえッ」
「大丈夫。仲間はみんなおやすみだ。時間はある。１時までに全て吐いて謝ったら、わた
しがクマの親分さんには口添えをしてやろう。まったく、こんなことに巻き込んでしまっ
てご迷惑なことだ。うちで３夜連続の晩餐会でもやって機嫌を取らなくちゃいけないかも
知れん」
「知らねえッて！」
「さっきの会話を覚えているか？ うちの参謀が言ってきた。『最後の数字が大切』って。
聞いたろ？ 突入は１時だ。あそこの特殊部隊がテロに容赦ないのを知らないのか？
命乞いをするなら今のうちだぞ？」
「命乞い……？」
「そうだ。最初の乱射でうちの市民が２，３人死んだぞ。気の毒に。一人は見覚えがある、
オペラ好きで有名な社長さんだ。サンタ・キアラには毎年たくさん金を落としてくれてた
のに。うちのスタッフもやられたな。あれはコルギーニ。将来有望だったのに、なんてこ
とをしてくれるんだ。
今吐いたら、わたしと一緒に脱出させてやる。ああ、こういうことは織り込み済みで。
脱出経路は用意してあるんだ。年の功さ。
さあ、どうする？」
ブチャラティはみぞおちに体重を載せた。うめき声が漏れた。
「あんたが、目立つのがいけねえんだよ……」
「さあ、早く。それとも、きみはこんなおばさんを裸に剥いておいて、何か期待していた
のかな？ これでも色町の育ちだ。親友は街一番の売れっ子でね？ 一応それなりのテク
ニックは身につけたけど……ちょっと遊んで欲しいのかな？」
ブチャラティはなまめかしく腰を揺すった。
「シニョーラ、結構ですッ！」
「遠慮するな。きみのマンマよりは若いだろう？ まだまだ現役のつもり……今時の素人
の小娘なんかとはテクニックが違うと思うんだが。ちょっと楽しませてやったらしゃべる
か？ ……夫には内緒だぞ？
それとも、もうしゃべりたい？」と、ブチャラティは立場を逆転させてテロリストの頬
ずりした。
「おれは、なんにも、知らねえッ！」
「坊や、顔以外の所を舐めたっていいんだぜ？」
襟元をくつろげて。低い声は恫喝だ。
「シニョーラ……あんた、本当に……？」
「ああ、その代わり、誰にも内緒だ。
……ローマの上院議員連中だな？ 目が動いたぞ」
「知ら……ねえ」
「どこの選出かな？ 北から聞こうか。ピエモンテ？ リグーリア？ ヴェネト？ エミ
リャ＝ロマーナ？ ロンバルディア？」
目を必死で逸らしたままの男の額に、汗が滲んだ。
「ハハッ、ホントにミラネーゼはミラノの代表のおっさんの命令に命を懸けるのか！？
傑作だ！」
ブチャラティは勝ち誇った。
「違う！」
「じゃあ一応聞いとこうか。トスカナ？ マルケ？ ウンブリア？ ラツィオ？……カラ
ブリア？ シチリア、サルディーニア。南まで行ったぞ？ 時間の無駄だったじゃないか、
ロンバルディアで決定な。今あそこからは誰が出ていたっけ？ ええと」
「お、おれは何も言わねえ……」
「ああ、言わなくていい。
アルジェント？ アルマーニ？ ベッリーニ？ ベルナルドーニ？ ブゾーニ？
……ヴェルッチ？ ヴェルッキォ？
……もしかしてもっと上の方だったりしないか？」
「！」
「ふうん……」
ブチャラティはもはや獲物をいたぶる猫の顔になっていた。
２５
「頼むッ！ これでおれはくにへも帰れねえッ、はやく連絡を取っておれの身の安全をッ」
がくがくと身を震わせながら、リーダーは懇願する。さっきまでとは立場を逆転させて
いる。
「だって、おまえはなんにも言わなかったもんなぁ？」
ブチャラティは澄まして椅子に掛けている。
「シニョーラッ！」
「わたしが推理しただけの話だし。ま、落ち着けよ。１時まではあと１時間と少しある」
ブチャラティは場内の幕の横の壁に取り付けられている時計を横目で見て言った。
「だから、突入の前におれを逃がしてくれッ」
「そんな、無理だ」
「シニョーラッ！」
「靴を履いてもいいかな？」
立ち上がったブチャラティは辺りを見回した。間を取って交渉を有利にするためにでは
ない。
「あ、ああ、どうぞ……」
哀れな立てこもり犯の顔はもう蒼白だ。その顔を横目で見て、ブチャラティは詰めに入
る。
「スペードの女王を観たことがないのか？ まあ、きみが本当に田舎のテロリストだとい
うならそれもあり得る話だな。わたしだって、実を言うとだいたい観たその日のうちに筋
書きは忘れる。
だが一応教えておいてあげよう、きみの驚く顔が見たい。
ネタバレをして済まないが、おそらくきみはもうオペラを観ることもないだろうから。
最後に若者が賭けた１のカードは、１じゃなかったんだ。勝負が決まって目を凝らすと、
それはクィーンだったのさ。スペードの女王。それがタイトルの理由。老婦人の呪いかど
うか、それは解らない。
そして、きみが賭けた数字も１ではない。
来たな？ さあ１２時。突入の時刻だ。
老婦人が教えてくれる番号はラッキー・ナンバーなどではないよ。きみを破滅に導く番
号だ。残念だったな」
「貴様！」
「それでは失礼。スティッキィ・フィンガーズ！」
ブチャラティはジッパーで床を切り開いて、中央制御室の下に潜り込んだ。
ひたひたと周囲から取り囲んでいたロシアの特殊部隊は、突入の合図で搬入口を破った。
「ねー！ ちょっと！ もっとばばーって進まないの？ 母さんきっと中央制御室だって」
ひとりスーツ姿で特殊部隊に付いていきながら、サンドロは横を歩く隊員に問いただし
ていた。言葉が通じないらしい。黙れ、といった仕草だけを返して、筋骨隆々とした隊員
たちはゆっくりそれぞれの部屋を検めてゆく。
……ナー、サンドロ、モウオレ、ヤツラやる気ネーンダト思ウゼ？
肩に留まったｂUがキーキー声を上げた。
……あの国の特殊部隊は荒っぽいんで有名なんですが、もしかして、あまりに歩みが鈍
（のろ）い場合は、サボタージュの可能性があります。
突入前、フーゴは声を落として電話口で彼に策を授けていた。
……国際的にババを引かないように。テロリストどもを皆殺しにしても人権屋にやいの
やいの言わせないために、時間を稼いでいるんです。テロリストが人質を殺す時間を。
……それって！
……突入したが、間一髪、テロリストどもは人質を手に掛けていた。だからテロリスト
の生命には関わらず即時鎮圧を目的とした、という論法です。
……違うだろ！
……まあ、夜中にいきなり呼びつけられて南欧まで来てドンパチさせられる特殊部隊の
ひとも可哀相ですから。でも、人質の身内にしてみれば、たった一人のかけがえのない家
族なんですけどね。
だから、サンドロ、きみには怒る権利があります。
……ああ。
……尻の重いクマさんたちに一発喰らわしてやって下さい。あのひとの話聞いてました
ね？ 搬入口から入ってすぐ、舞台裏の階段のところ。そこが、あの建物の心臓です。き
みのスタンドのデビュー戦としては申し分ないでしょう。
……大丈夫かな？
……中途半端に残ると後のひとが迷惑しますから。賠償金はクマからふんだくることに
してます。完膚無きまでにやっちゃってください。崩れるときは一瞬ですから、やったら
すぐにきみは脱出してください。
……解った。
ちょうどその時、１階部分の制圧を確信した隊員達がホッとして歯を見せた。
悪気はなかったらしい。
……遠足気分で来やがって！
少年の心に火が点いた。
「オイ、ドコヘ！？」
少年は場内見取り図を思い出しながら、舞台裏の階段へと駆けだしていた。頭の中では
ミスタがつけてくれた自分のスタンドの名前の曲がぐるぐると鳴っている。
あんたらゴキゲンに そう笑っていろーよ
いぃ気分でぇ見下ろしてーぇーいろよ
いぃさそれで かまやしねえ だがおれたちだってー負けちゃぃねえ
囚われの女性を救いに行くというのに歯を見せていた特殊部隊の隊員の顔が眼に浮かぶ。
ネアポリスがウソのようにきれいになったと言われて自分のことのように得意そうだった
首相、その側近。ローマのどこかで未来の政敵が破滅するのをじっと待っている干からび
た老人のイメージがそれらに重なる。
サンドロは今やゴムの耐震材が申し訳程度に張り巡らされてる壁にたどり着いた。
「ウィー ウィル、ウィー ウィル、ロッキュー！」
サンドロは、手をピストルのように構え、その領域を頭の中で的に指定して、引き金を
引いた……！
ネアポリスの新名所、新オペラハウスのアーチの連なりが、一瞬にして崩壊した。
２６
「バカなッ！ 早すぎるッ」
モニターでそのさまを見ていたフーゴが抑制を失って立ち上がった。
「やったか！？」
ミスタが身を乗り出した。
「フーゴ、大丈夫だよな？ おまえの計算のうちだろ？」
ナランチャがフーゴの様子のただならなさに怯えたような眼を向ける。
すぐにフーゴの携帯が鳴った。
「ちょっと、なんだか計算と合わないのよね。重力エネルギーが収束する時間が早すぎる
の。爆発なら外への力がまず働くから、一度圧力が放出されて、それから、無くなったと
ころへ重力が集中して崩壊するわけ。爆風とかもなかったようだけど。どういう爆発物を
使ったのかしら？」
建築マニアのフーゴの妻は、崩壊のシミュレーションもしていたらしい。
「……まるで、ブラックホールにでも飲み込まれたみたい」
その言葉は、対策本部の沈黙のただ中に落ちた。
「時間きっかりに動いたとしても、サンドロの『攻撃』のタイミングは本人に任せていたん
ですから、そこは、阿吽の呼吸で」
フーゴはなんとか口を動かして気休めの言葉を創り出す。
「そんなこと言ってもやつはこれが初陣なんだから」
アバッキオが椅子に掛けていたジャケットを翻して羽織った。
「大丈夫です、だいじょうぶですッ」
対策室の一同は現場に急行した。
駆け通しに駆けながら、フーゴは手探りで携帯を取る。
「大丈夫、今そこまで来ています。救急より早く身体を確保して」
「お願いしますッ」
彼が頼みにする黄金のジョーカーが、ネアポリスに着いていた。
言葉もなく、ただ涙を滂沱と流して瓦礫を前に坐り込んでいる少年を、まず、ミスタが
腕の中に抱き込んだ。
「だいじょーぶだ。ねーさんは無敵よ？ そんで不死身ね。自分で自分の頭まっぷたつに
裂いたり、心臓止めたり、そりゃまー無茶やったもんよ。あの地獄の旅の最後には、自分
の身体が敵に乗っ取られたからって、
『ありったけぶち込め』だもんよ？ いやーあんときはさすがのミスタさんもぶるったね」
「そ、そーそー。ホントあの時はみんなほぼ死んでたよな？ アバッキオは土手っ腹に穴
開けられたし、おれは柵にブッ刺されたし」
ナランチャが後を引き取って擦れ声を上げる。
「聞けば聞くほど怖い話」
アンジェラが持参したポットから熱いコーヒーを淹れて弟に飲ませた。
「その生還も、ぼくがいての話です。
それであなたたちは火事場見物にでも来たんですか？ アバッキオ、あなたの能力はこ
ういうときに役立つと思っていましたが」
冷ややかな声が降ってきた。
「ボス……助かります」
フーゴが背筋を伸ばして一礼した。
「とにかく一刻も早く身体を確保して。最近はあんな大技を使っていないから心配です。
奇跡は２度が限界とも言うし」
夜目にも輝く黄金の髪を、肩まで垂らした美丈夫だった。
「わーったッ」
肩を並べられるのを嫌って、アバッキオがすぐに駆けだした。
「フロラ！ フロラどこだッ！？
ムーディ・ブルース！ ３０分前から早回しであいつの姿を再生だッ！」
……えーっとれいの重力集中ポイントを潰すとしたら、脱出経路は反対方向でいいんだ
よな？ ってことは正面出口？ あはは、マスコミはカメラで狙ってたりしないだろうな？
この格好で映るのはすごいぞ。もろに痴女だな。ジャケットも拾ってくれば良かったかな？
ムーディ・ブルースはそんなことを呟きながら大階段を駆け下りている下着姿の女性市
長を忠実に再生している。
「そんなこと考えてないで真剣に走れッ！」
アバッキオは絶叫しながらムーディ・ブルースが倒れて動かなくなった辺りの瓦礫を素
手で掘り返し始めた。
「手袋してくださいッ！ それから、マスク！ 肺が真っ黒になりますよッ！」
フーゴが叫んで、点呼して人数確認をしたあとは呆然と次の指令を待っている特殊部隊
たちに食ってかかって瓦礫を除ける道具を出させた。
サンドロを姉に預け、ミスタとナランチャも瓦礫の山に入っていった。
「いたッ」
ナランチャが叫んだ。
「フロラ、可哀相に、痛かったろう、怖かったろう。
あんたみたいなきれいな女が、なんてことに……」
アバッキオが自分の羽織っていたジャケットを脱いで着せかけ、抱き上げた。アバッキ
オの指先からは血が滴っている。
「貸してください」
仕立ての良いダブルのスーツで。金の髪はもう結わずに肩に垂らして。あの特徴的な前
髪のカールは成長と共に解けていったらしい。
地獄の旅から生きて帰り、弱冠１５才でパッショーネを束ね上げた精悍なマフィアのボ
スがそこにいた。
「ジョルノ……」
アバッキオが、膝を折った。
「助けてやってくれ。まだ、息はあるが……」
頭が半分吹っ飛ばされてる。
子供達を憚って、囁くように伝えた。
「今度はおれが代わりにあんたに仕える！ ムーディ・ブルースをあんたの為に使う！
だからこいつを助けてやってくれ！ がきの頃から苦労し続けで、やっと、やっと肩の
荷物を下ろして休めるところだったんだ！ あんたももう組織の仕事はいいって言ってく
れてたじゃねえか！ 頼むから！」
「別に要りません、あんたなんか」
吸血鬼の息子だというスタンド能力者は、あっさりと言った。その眼には、反りの悪い
チームの先輩など、入ってはいなかった。
「ミスタ、あなたは見せてもらってください。このひとをこんな目に遭わせた男の名を、
聞き出してください。あとは、任せます。久し振りに、暴れたいでしょう？」
冷たい流し目が、ガンマンを見やった。
「Ｓｉ！」
ミスタの背が伸びた。顔つきが瞬時に物騒になる。
「だ、だったらこいつをくれてやる。治ったらあんたの側に置けばいい！ おれはもう金
輪際逢わなくていいから、どうかこいつの命を！」
「何言ってるんですか」
静かに言って、ジョルノ・ジョバァーナは歩き出した。
「ぼくの母親は、美しいけれど、子供の母親としては失格でした。子供よりも、夜の街へ
出て楽しく遊ぶことに興味があった。ぼくは寂しい赤ん坊だった。
あの時は、ぼくは、あんたたちに赤ん坊がいるなんてこと、知らなかったんですよ。ぼ
くも、思いがけず組織を手に入れて困っていたからといって、アンジェラから母親を奪っ
てしまった。あとで知ってどうかしようとしても、あなたは聞く耳持たずに田舎へ籠もっ
てしまったし。
ぼくが自分の都合だけを考えていたなんて、思わないでください」
……このひとを見殺しになんてしません。うちの奥さんに叱られます。このひとは彼女
の永遠のヒーローなんですから、と呟いて、まさしく美女を拉し去るドラキュラ伯爵のよ
うに、ジョルノはブチャラティを抱いたまま夜の闇へと消えていった。
２６
夢を見ていたかのように、一同はその場に取り残された。
「うちの奥さんに叱られます。このひとは彼女の永遠のヒーローなんですから」と、ジョ
ルノは言っていたが。
「ジョルノの奥さんって誰よ？」
ナランチャがミスタに囁いた。
「えー？ トリッシュ」
ミスタは眉根を寄せて短く答えた。
「え、ウソ、まだ続いてたの？ ってかそんな仲良かったっけ？ もう一般人の生活に戻っ
たって言ってなかった？」
信じがたい昔の仲間の近況にナランチャが食いついた。
「ねーさんに振られて落ち込んでるときにうっかり手を付けて、責任取らされたんだよ。
ボスがもー真剣に堪忍してくださいって顔してすがってきたぜ」
「ジョルノが？ 信じらんねー」
「結局、昔ながらの幹部を納得させるためにボスの娘の威光が必要とか、自分が保護する
のが結局一番安心とか、対立勢力に取り込まれると危険とかいろいろ理由を付けて自分を
納得させてました。結婚式は、亡くなったグリマルディーニさんと、フィレンツェのモン
テッソーリと、ヴェネツィアのトスティ、信頼できる大物だけ証人に呼んで」
フーゴが捕捉する。
「そんなので幸せになれるのか？」
ごくごくまっとうな感性を持っているアバッキオが危ぶんだ。
「３年目ぐれーから別居してるよ。もう、ここ数年は夏休みもナターレも、逢ったことね
え」
トリッシュとは地獄の旅の終盤、精神を交換しただけあってかなり仲良くなっていたミ
スタが吐き捨てた。
「ミスタ、怒ってる？」
ナランチャがその内心を察して顔を覗き込んだ。
「バカ言え」
あっさりした遊び人はかぶりを振った。
「ねえ、そんなに泣いちゃダメよ……」
「うっせー」
「大丈夫だから。お父様があの方に頼んでくださったから」
「あの方って誰だよ！？ 知らねーよ」
「パッショーネの、シニョーレ・ジョバァーナ。昔、いろいろ奇跡を起こした方らしいわ」
「ナニ？ 霊能力者？ 死んだひと生き返らしてくれんの？ なんでそんなひとがマフィ
アなんかやってんの？ ありえねーよ、ありえねーって」
「でも、あなたのお母様も、お父様も、命を救って戴いたんだわ。だから、今回も大丈夫」
「簡単に言うなよ！ おれ、母さんをこの手で殺しちまったんだよ！？」
「だから、そうならないように、手を尽くしてくださるわ」
「そんなの、できるのかよ……」
「大丈夫よ。絶対。あなたのお母様は、不可能を可能にする方なんだから。
それに、もし、もし万が一のことがあっても、あたしはあなたの側にいてよ？ あなた
があたしのことを女の子として好きでなくっても、お友達として一緒にいるわ。ずっと、
ずっと小さいときからの仲良しじゃない」
「ガブリエル……」
「この前は、ごめんなさいね……」
幼なじみの２人は、手を取り合った。
「おかげで仲直りはできたみたいなんですけどね。アレッサンドロの心にもなんとか深刻
な傷はつかなかったみたいで」
フーゴは肩の荷を下ろした表情だ。サンドロのスタンド能力の威力を見誤っていたのは
かれの失態だけに、非常に責任を感じていたのだ。
「あのままアレッサンドロの最初の女になっておけば良かったのに！ 男の子を落とすの
は心が折れそうな時に限るのよッ！ 我が娘ながら本当に詰めが甘いッ！」
ルチアがぷんぷんと紅茶のカップをスプーンで掻き回していた。
「その辺はまあおいおいということで頼む……」
アバッキオは表情に困っていた。彼もまた、心が折れそうなときに落とされたくちであっ
た。
２７
新オペラハウスの瓦礫の下からテロリストどもの死体と共に発見された（ことになって
いる）美しすぎる敏腕市長は、ネアポリスの市葬と決まった。
白い花がネアポリス中から消え、葬儀はＴＶ中継され、ロシア大統領、イタリア首相を
始めフェリーニ上院議員、その娘夫婦など、政界の大物が多く参列した。
「シニョーラ、あんたはほんと、解ってねえおひとだぜ。うちの薔薇はみんな予定に合わ
せて育ててるんだ」
カルロ老人が、両手一杯の白薔薇を持って、祭壇に捧げた。
「温室にストーヴ焚き続けてやっと間に合わせたぜ。あんたの退任の日に合わせてたって
のによ、勝手に予定を詰めやがって。ホント、しょうがねえひとだぜ」
カルロ老人は、言葉を切って、鼻を啜った。
「楽しんでくれ。あの日と同じ、フェアー・ビアンカだ」
蜂蜜の香りの薔薇が、強く香った。
黒い服に身を固めた動くギリシャ彫刻のその夫は、真っ白い顔で切々とスピーチをし、
それは全国放送された。
「彼女は斃れましたが、みなさんは生き残っています。それは彼女の望んだことです。彼
女の黄金の精神は、引き継がれて、誰もが背負ってゆかねばなりません。それが、生き残っ
たもののさだめとわたしは思います……」
……シニョーラ！ あれがまさか今生の別れだなんて！ あなたに教わったことはわた
しが受け継いで行きます！ あなたの弱いものに目配りする黄金の精神は！
ルビーニ秘書は涙に咽びながら心に誓っていた。
……って、ほら、本当に殉教した女性闘士になってしまった。このあとここを治めるひ
とは大変でしょうね、神格化されたあのひとの幻影にずっと脅かされることでしょう……。
年寄りが若い者に嫉妬して欲をかくからこんなことになるんです。まあ、どうせ引退す
るつもりだったんだし、これで自由に動けるようになったのは良かったかも知れませんね。
このイタリアで、あのひととぼくの裏をかこうなんて、甘い、あまい……。
さて、黒幕はミスタにしとめてもらうことにして……。
フーゴは表情を消して、次の手を様々に思いめぐらせていた。
しじゅううつむいていた少年の背が震えた。母親譲りの黒髪、青い眼のきれいな少年の
悲しむ姿に、ＴＶを見ていた女性達は老いも若きも同情の涙を注いだ。
「茶番だねー。付き合う方も大変」
ミスタはリモコンでＴＶを消すと、カウチにごろりと寝そべった。
「ミスタはジョルノんとこ戻るんだろ？ おれどうしようかな？」
見ているだけで泣けてきていたナランチャが、ティッシュを丸めながら言った。
「グリマルディーニのところで使って貰えるんじゃねーの？ ねーさんがおまえの行き先
も決めてねーってことはねーよ」
「えー？ おれひとり残んの？ やだよ」
「アンジェラとサンドロはグリマルディーニで預かってもらうってさ。だいじょーぶ、そ
こんとこまで見越してあるって。小僧達のこと、頼むな」
「責任重大」
「そんで、あそこの大年増のメイドいるだろ？ すんげえ赤毛の。ちょっと口説いてみ？
けっこーあれはおまえに気があるぜ？」
いつもの笑顔も、今日はなんだか輝きが足りない。
「赤毛って、クリスティンさんか？ あのひとは、………………どーだかなー？ 月に何
度かは泊まってるけど。なあ、そう思う？」
「幾つになってもほんとにおまえは……」
ミスタは溜め息を吐いて手で目の前を覆った。
２８
今やイタリアで一番有名な寡夫となったアバッキオが訪ねたのは、グリマルディーニの
オフィス。今や、ネアポリスの支部長はタルティーニがつとめている。旧知の人物の来訪
に、支部長は１も２もなく案内に立った。
「ネアポリスを離れる前に、ここにいっぺん来ておきたかったんだ」
それは、懐かしい、彼らが２０才の一瞬を共に過ごした下町のアジト。
「タルティーニさん、一杯だけ、エスプレッソを淹れさせてくれねえか？」
「シニョーレ、うちの若いもんに淹れさせますよ？」
「いや、キッチンに立たせてもらいてえんだ。……昔みてえに、アバッキオって呼んでく
れよ、タルティーニさん」
「ああ、これは気がつきませんで。どうぞ……おいッ」
「へえッ」
今ここを使っている若いのが、列を開けてキッチンへと道を開いた。
「きれいに使ってくれてるんだな……ああ、そうだ、ピッツァも焼けるんだ、ここは。
マッテオさんが手入れしてくれて」
懐かしそうに、手を触れる。
静かな回想を破るように、湯が沸いた。アバッキオがケトルを取り上げ、一瞬でコーヒー
の香が立ちこめる。
「ご相伴、さしてもらっていいですか？」
「ああ、あんたの分も淹れたぜ……ちょっと変なもん入っちまったかも知れねえが」
真っ白い、プレスの効いたハンカチを鼻に当てて、アバッキオが笑って見せた。
「塩味の利いたエスプレッソなんてのも、乙なもんですぜ」
黒髪をきれいに撫でつけた、苦み走ったいい男のネアポリスの支部長は、受け取ったカッ
プをちょっと掲げて見せた。
２人は立ったまま、カウンターに背を預けてコーヒー・ブレイクを取った。
「それにしても、なんでここはこんなに鉢植えが多いんだ？ 植木屋じゃあるめえし」
まだなにも地上には出ていない、土だけが詰まったプランターが、入り口にも窓際にも
ぎっしり並んでいる。
「そりゃあ、大事に殖してますからね。アバッキオさんが大切になさってたチューリップ
じゃねえですか。今年もみんなして植えたんですよ」
「バッ……あんたたちまで大事にするこたぁねえだろ」
傷心の大男が顔を朱に染めた。
「それでも、皆さんで楽しみにしてらっしゃいましたからね」
静かに微笑む姿に、アバッキオはまたハンカチを使った。
「お墓には、花を絶やさねえようにしますから」
「ああ、……済まん」
うつむくと、銀の髪が顔を隠す。それをタルティーニは懐かしく見た。
「学校があるんで、子供はこっちに残すが、……済まねえが目を配ってやってくれ」
「ええ。アバッキオさんも、良かったらいつでも顔を出してくだせえ」
「ありがとうよ……」
２９
ネアポリスから車で３０分の漁師町、マキーシー。１５年ぶりに戻ってきた傷心の料理
人を、町の衆は温かく迎えた。
「アバッキオ、大変だったな」
「しばらくはゆっくりしろよ」
「あんたにはまだ２人の子供がいるんだし」
海辺の家の生活を再開させたアバッキオは、店を開ける気力もなく、しばらくは海ばか
り見て暮らしていた。潮風に、手入れの行き届いていたプラチナの髪が見る間に傷んでゆ
く。
数日前から町で見かけるようになった女が話しかけた。事故で頭を打って、静養だと言っ
ている。だから、ちょっと受け答えが変でも気にしないでと……。細身の身体をシンプル
なコーディネイトにまとめていて、落ち着いているようだが、２０代にも、もっと幼くも
見える。
「いつも来てるのね……凄い色。色がほとんど抜けてしまってる。もったいない」
近寄って、アバッキオの髪を一房取ってつくづくと見た。
「女房を亡くしたばかりなんだ。ほっといてくれよ」
馴れ馴れしい振る舞いにもアバッキオは心を動かされずに、海の向こうに眼をやったま
ま素っ気なく言った。
「奥さん、死んだの？」
女の青い眼が不思議そうに見下ろした。
「じゃ、あたしと付き合って」
花が咲いたように笑う。肩に掛るくらいの明るい栗色の髪をした女だった。
「オジサンをからかうもんじゃねえよ」
アバッキオは取り合わない。
「そんな、まだまだ若いじゃない」
「あんたに比べたらオジサンだよ」
「そんなことないって」
女はくすくす笑いながらつきまとう。
「そんなにいい奥さんだった？ 美人？ 料理が上手？」
「きれいだったさ。なにより、優しかった。弱いものの心の痛みを分かってやれた。最高
の女だったよ」
「へえ？」
女はくるりと回って見せた。
「でももういないんでしょ？」
「もういない……だが、おれはあいつ以外の女は要らねえ」
「あら、言うわねえ」
女はなおもくすくす笑い続けた。
「そんなこと言わないで、ちょっと、あたしのこと、見て？」
「行けよ！ もう」
アバッキオは頭を振って声を荒げる。
「その奥さんは、もしかしてこんな『妖精さん』を持っていた？」
その背から、頭にトゲを戴いた、ジッパーの引き手を体のそこここにつけた青い人影が
浮かび上がった！
「スティッキィ・フィンガーズッ！？ って、あんた、まさか！？」
「レオーネ、そこのところはウソでも極上の美人って言って欲しいな、女としては」
ネアポリスの海の色の眼が、愉快そうに輝いていた。
アバッキオが若い女性を家に入れると、町の衆は安心してほどよい距離を取り始めた。
「あんたもまだ若いんだしね」
「そっとしておいてあげるよ」
明るい栗色の髪の女性は、なんとなく、かれの亡くなった妻に雰囲気が似ていた。
「……やっぱり寂しかったんだねえ」
町の衆は囁きあった。
「……ジョルノの所にいると思ってた。なんだ若作りして」
アバッキオはどうも違和感を感じてしまう。ネアポリス中を涙に沈めた市葬からわずか
３ヶ月で新しい女を家に入れたと町の衆につめたい目で見られるのは覚悟の上だったが、
それは思いの外、温かくも見逃されている。
「ジョルノはだってもうトリッシュがいるもの。
せっかくおまえと２人きりの新生活を始められるんだ、ちょっとぐらい若返りたいとい
う女心を理解してもらわないと困る。ジョルノはやってくれたぞ？」
ジョルノのゴールド・エクスペリエンスの指先は再び彼女を死の淵から拾い上げていた。
ほんの少しのリハビリを要したが、市長、ベアトリーチェ・ブガッティはただのもとギャン
グのフロラ・ブローノ・ブチャラティに戻った。ふてぶてしいほどの笑みは変わらない。
「髪の色まで変えて。……別人じゃねえか」
アバッキオはふて腐れる。
「この際憧れていた色にしてみた。似合わないか？」
「……あんたは夜の色の髪、ネアポリスの海の色の眼じゃないと、ちょっと……」
「慣れろ。言っちゃなんだが、白髪が出始めてたんだ。この年の女ならほとんどが髪ぐら
い染めてる」
「聞きたくなかった……」
煮え切らない男はがっくりと手に額を埋める。
「髪の色の薄いやつはいいな、ホント」
青い瞳を煌めかせて、晴れてリタイア生活に入った働き過ぎの女性は愛する男に抱きつ
いた……。
しばらくして、アバッキオは新しい妻と店を再開した。ネアポリスに残してきた子供達
も、週末には訪れているが、不思議と彼女にも懐いているらしい。もともと固い性分で、
教わったレシピをしっかり守った味の上に、ネアポリスで公邸料理人として揉まれてさま
ざまな技術を仕入れてきた彼の店は、以前以上に繁盛した……。
３０ ―大きな蛇の足―
「結局また振られたのね」
ローマに戻ったパッショーネの２代目ボスを、執務室でその名だけの妻が出迎えた。
「そうみたいです」
久し振りですね、いつ見てもあなたは輝いています、元気そうで何よりです、なにか不
自由があったら言ってください、そのような社交辞令を考えずに口から繰り出して、ジョ
ルノは自分の席に移動した。
「でも、今はぼくの奥さんはあなたなんですから」
それでも、トリッシュの眼を見て言う勇気はもう失われてしまっている。
「あら、嬉しいことを言ってくれること。これからのことに勇気をもらったわ」と、トリッ
シュは能力を使っていたらしい、かれの身体は椅子に沈み込んだ。身動きをしようにも、
柔らかくされていた椅子にどんどん絡め取られる。
「お願いがあるの、ジョルノ」
虜になったマフィアのボスである夫に向かって、ニッコリと笑んでトリッシュが言った。
「なんなりと」
ことここに至っても、マフィアのボスたるもの顔色ひとつ変えはしない。
「あたしの息子に会ってやって欲しいの」
ジョルノは口を微かに開けて、妻を見上げた。もう数年も、顔を合わせていなかった妻
を。ベッドを共にしたのはええと、何年前だったか……。
「お付き合いをしているひとがいたとは知りませんでした」
これならとりあえず殴られることはないだろうと思いながら、言葉を選んで言ってみた。
ある程度の行動調査はミスタにさせていたが、別に離婚を考えてのことではなかった。彼
女の身を守るためと認識していた。勝手に死なれたり、怪我を負われると少し自分の心も
傷付くだろうとの認識もあった。
「いいえ、いないわ」
「では養子を取りたいと？」
「いいえ、あたしが産んだ子よ。父親はあなた」
「なにを一体！？ 幾つだと言うんです？」
ジョルノは激した。３年目からトリッシュは彼を避け始めた。彼女から言い出したこと
だし、少しは好意があっての結婚生活だと思っていたから、ジョルノは関係を修復するた
めに彼なりにかなり気を遣って、いろいろ策も講じた。それは虚しく、トリッシュはその
後１年はまるっきり姿を消してしまった。理由も言わずにされた仕打ちは彼をかなり傷つ
けたが、その頃組織の運営もやや問題が生じてきたので、彼は仕事に専心してそれをやり
過ごした。ミスタやフーゴは時折顔を見せてくれたが、ブチャラティのように仲間に囲ま
れてはいなかった。その孤独を、受け継いだものの責務として黙って亀だけを相手にやり
過ごしてきた。その亀も５年前、「ただの亀になった」。
なんとか連絡を取って面会することができたのは１年半後で、その時に彼女から別居を
切り出された。必死の交渉でそれでも年数回のデートは約束させたが、面会中も上の空で
携帯を気にしていたり、途中で帰ったりされて、さすがに諦めた。
そのトリッシュが、どうやって自分の子を産んだというのか！？
「ええ、今年１２なの。スタンドももう出たわ。やんちゃで手に負えなくって。あなたちょっ
と締めてやってくれない？」
スタンド能力者の女性は、かれを拘束したままぬけぬけと言い放った。
「ちょっと！？ なんですって！？」
ジョルノはさらに心を乱させられる。
「あいつの血を引く子ってことになるじゃないの。あたしもうパニクっちゃって。あなた
に言ったら殺されるかも知れないし。とりあえず姿を隠して産むだけ産んでみたんだけど。
ごめんなさい、今になって押しつけるのってやっぱりまずい？」
「それは、やはりもう少し、せめて産まれてすぐぐらいには連絡をもらいたかったという
か……」
イタリア全土を支配するマフィアのボスが、全身で喘いで、気の利いた言葉を浮かべる
ことができないでいる。ミスタは知っていて報告を握りつぶしていたのだろうか。
……えーっ？ ほっとけば？ ボス、あんたはもっといい女探してもいいと思うぜ？
それともなりふり構わず女房をおっかけるってなら、おれは協力はこばまねーけど？
いつもある程度の距離を置くように話題を誘導していたのはミスタだった。解っていて
母子を匿っていたのだろう。
「頑張って女手一つで育ててみたんだけど、だめね。お母さんは偉大だったわって今痛感
してるところ。あ、お金に不自由しなかったのは良かったわ。どうもありがとうね、ジョ
ルノ」
「はあ、お役に立てて良かったです」
「あなたはあたしのこと愛してなかったかも知れないけど、あたしにはいつも親切にして
くれてたわよね？ それ、とっても嬉しかったわ」
「いえ、そんな、いわゆる情熱的なものではないかも知れませんが、ぼくなりにはあなた
を……」
ジョルノは口ごもりながら自分の心の中を明確に表現する言葉を探して意識下にダイヴ
していく。
「今更かしら？ でも、あなた、ここで拒否すると手強い能力者が２名あなたの敵になる
けど？」
いや、３名かも知れない。ミスタが絶妙のタイミングでブチャラティ達にリークしてい
る可能性を考えると、危険は倍増する。
「それは困ります！
どうぞ、ぜひぼくのもとへ戻ってください。ぼくに家族への愛を教えてください！」
ジョルノは追い詰められて、困り果てた表情で叫んでいた。まったく、この気の強いお
嬢さんにはいつも振りまわされる。
トリッシュは得たりとばかりに笑って、バルコニーに向かって声をかけた。
「フォルツァ！ いらっしゃい。お父さんにご挨拶をなさい」
金の髪に琥珀の眼をした、生意気そうな少年がゆっくりと歩いてきた……。
（１１−０４−１０）
蛇足。
４部のおかげでクィーンの曲をユーチューブで拾って聞くようになったおかあさんです
が、スタンドにはあの有名な「ウィー ウィル、ロッキュー！」がないじゃんといたく残
念に思っておって。
「ぎゃふんと言わせてやる」から、小僧丸出しのブチャラティの息子と足元を掬うスタン
ドを思いついて、やったおれ、荒木神に勝った！ とか思ったら、削り取るスタンドは３
部クリームとか４部ザ・ハンドとかさんざんガイシュツだったのでした。神をも恐れぬ発
言ごめんなさい。でも、作中ミスタさんが言ってるとおりねーちゃんのアンジェラが異空
間にお片付けするスタンドだし、まあ姉弟似たようなスタンドってことでまあ関連性もあっ
ていいでしょ？
がんばって、サンドロが歌った部分はなんとか曲に乗せて歌えるようにはしてあります……
変なところに凝るわたし。でもま、あの曲サビ以外歌いにくいよね。
ジョルノに逢う限りなく寸前で時が止まっているまいねヴェルト、パラレルだからいい
かとジョルノ（とトリッシュ）を出してみました。「ゴールド・エクスペリエンス・レクィ
エム」で永遠に結果にたどり着かなくなったのなら、ディアボロの手にかかった人間も死ん
ではいないだろうという超解釈です。兄貴はじめ暗殺チームはしっかり死んでますので、
オール☆スターといいながら出てません。ごめん。
タルティーニとか、ルチアとか、オリジナルの脇役が総出演という意味でした。グリマ
ルディーニ老はさすがに無理かと思いましたが、まだ９０前の筈だし、カクシャクとして
ても良かったなと今指折り計算して思いました。おかあさん数字に弱すぎ。大奥様は、しっ
かり生きててガブリエルに大おばあちゃまとかいって懐かれてるといい。
それから、大出世がレナート。「生ハムメロン」から出張、モンテッソーリを継いでと
うとう「信頼できる大物」になっちゃって。彼が望んだことではないだろうけど。
ジョルノがブチャラティに執着しているという文脈で、でもそれはフーゴのみたいな初
恋の幽霊みたいなもんだということで（でも公衆の面前で毎日、愛してるとか平然と言う
ので公害レヴェル）、もういいんだよ、というのを出すためにトリッシュとくっつけてし
まいました。書いてる本人が一番びっくりしてます。そして、ジョルノがトリッシュに一
生頭があがらない「可哀相な初体験」で何をやってしまったかというと……内緒（１８禁♪）。
トリッシュはきっとママ譲りのだめんず好きなんでしょう。陰のある男に惹かれるとか
そういうの。
市長になったブチャラティが、またアバッキオと暮らしはじめてきっと子供ができるん
だぜー今度はナランチャそっくりな男の子なんだぜー。今度はみんなに構われて育って、
アンジェラが可哀相でアバッキオ複雑なんだぜーとかぼんやり思ってたんですが、こんな
感じ。１０才違いの兄弟はアリよねーねーさんまだ３０だし、とかいろいろ計算して。し
かしいくら若返ったにしても４５で３人目は……ないよね？
そう！ なるたけ年は書かずに済ませましたが、アバッキオ４５はいいオジサンとして
も、ブチャラティ４５はあり得ない！ それよりナランチャ４２才があり得ない！ 信じ
られなくて何遍も計算やり直しましたもん！ 彼だけは永遠の少年でお願いします。
謎なのはパンナコッタ・フーゴ氏。この子は足を洗うこと前提で各ヴァージョン（生還
外伝の「たとえばこんなサヴァイヴァル」とか女体化の「スクエア」とか）オリジナル設
定とか作ってあるんですが、洗った後が何やってるのか不明。家に戻ったと書いてたり、
ルチアのブレインになってたり、グリマルディーニの跡取りになってたりといろいろ。と
りあえずここでは、離脱と見せかけフリーで後方支援→ジョルノの側近→グリマルディー
ニを継ぐ→（とりあえず実家に認められる）→ルチアと結婚で、今は３足のわらじを履い
てるということにしてください（ということで、タルティーニにとっての「社長」はフー
ゴのこと）。天才だから大丈夫。
あと、トラウマで「弾けられない」ことになってたブチャですが、ミスタさんその他ガー
ドがしっかりしている公邸に入って安心してできるようになったんじゃないかとふと思い
ました。よかったねブチャラティ！ ガンバレ！ 女性は３０からだよ！（なんの話？）
ああ、だからサンドロできたんだよなきっと……。