汚名
生ハムメロン ３
１
「居たかッ！？」
「いいえッ……でも」
「ああ、コンスタンティーノが付いてるはずだッ」
「ガラヴァーニのお嬢さんはなんと？」
「お茶だけして別れたって……」
「畜生ッ……探せッ！ オヤジさんに知れたら大事だぞッ」
ローマの路地に、抑えた声が響いた。黒いスーツに身を固めた、マフィアの側近どもが、人を探し
てもう３時間もうろつき回っている。イタリア全土を仕切るファミリー、パッショーネの全国会議に
連れてこられていた、フィレンツェの幹部の「愛娘」が行方不明なのだ。昼過ぎに年の近いジェノヴァ
を締める大親分の娘と連れだって出かけたが、はぐれたらしい。宿舎に戻らないのでそちらに問い合
わせると、とうに別れたと暢気に言ってきた。
「ここはローマですもの、ちょっと抜け出して息抜きがしてみたくなる街だわ。野暮なことは仰らな
いで待ってみたらいかが？」などと、意味深に笑ってみせるのも腹立たしいが、相手は格上なので小
娘といえど頭を下げねばならない。
「ミカエラにはちゃんと護衛がついてたでしょう？ あの可愛い子。もちろん、使い物になるから連
れているんでしょう？ あらあら、フィレンツェは平和なのね、可愛ければ役立たずでも大切なお嬢
様の護衛になれるのね。さすがは花の都」
かろやかに笑ってみせる様に、フィレンツェの護衛連中は神経を逆撫でされた。
「お嬢さん、コンスタンティーノはペルージャのマウリツィオさんからお預かりしてるんで。うちで
も一通りのことは仕込んであります。眼は悪いですけど、２人や３人を相手に不覚を取ることはまず
ありません」
進み出て、反論したのは若頭のレナート。いつもは洗ったままの枯れ草色の髪を、この日はきっち
り撫でつけて、午前中は全国会議に出席する親分に従っていた。
「あら、そう。でも、知らないわ。二人して映画でも見てるんじゃないの？」
肩先に垂れかかる艶やかな金髪を弄びながら、ルクレツィアは小首を傾げて退屈そうに笑った。も
うこの話はしたくないと言うように。
少しでも自分より魅力的なものは屋敷には置かないという噂のある我儘な娘だ。まだ高校生だが、
先が思いやられる。ほとんど年の同じミカエラが目障りだったのではないかと容易に見当が付く。
……この女、何かしたな……。
レナートは表情を消してガラヴァーニの一味の宿舎を後にした。
２
「コンスタンティーノが見つかりましたッ！」
裏路地に、身ぐるみ剥がれて捨てられていたらしい。顔はしたたか殴られて別人のように腫れ上が
り、腕は両方とも折られていた。男には耐え難い暴行の痕も見受けられた。
「ガラヴァーニの……奴ら……ミカエラは？ 奴らミカエラをッ……」
意識を取り戻すなり、ミカエラの安否を問うた。
すぐさまガラヴァーニの下っ端どもの動きを中心に探り、ほどなくその息のかかった倉庫にたどり
着いた。なにやら、様子がおかしい。怯えたような混乱が中から伝わってきて、表に立つ見張りのも
のも浮き足立っている。
「フィレンツェのモンテッソーリのものだが、うちのお嬢さんを知ってるな？」
低い声で尋ねると、震え上がって道を空けた。倉庫の、ミカエラが捕らえられたとおぼしき区画へ
の通路には、腰を抜かしたもの、顔を隠してしゃがみ込んだもの、明らかな同業者どもが戦意を喪失
してしまっていた。
「お嬢さんをどうした？ 滅多なことをしていて見やがれ、この場で全面戦争やってもいいんだぜ？」
凄んでみせると、震える指で、奥を指さした。
「ば、化け物……」
思い当たるふしのある若頭は、呼吸を整えて示された方へ足を向けた。
扉は開いていた。
奥には、折り重なった老人の死体が３体ほど。老人には似つかわしくないチンピラの衣服を着けて
いる。
「レナートか？ もうその辺は大丈夫だと思う。悪りぃな、ヘタ打って。ちょっとここへ来てほどい
てくれ。
あと、こいつら途中までヴィデオ撮ってたから、その辺に落ちてたら潰しといてくれ」
落ち着いた低い声が流れてきた。
奥に置かれた粗末なベッドの上には、白い裸体。高校生ぐらいの美しい少女が、大の字に体を開か
されて縛り付けられていた。
「コンスタンティーノは生きてっか？ 責めないでやってくれ。オレが油断した。ワケわかんねぇ、
あの女」
冷静そのものだった。
「ご無事で？」と、ジャケット脱ぎながら近寄る。それを、ベッドの枠に手足を縛り付けられた「ミ
カエラお嬢様」に掛けてやって、レナートは縄をほどきはじめた。
「あー無事、無事。おびき寄せて直触り叩ッ込んで、あとはフルパワー。外の奴ら腰抜かしやがって
よ、これほどいてから行きやがれっての。あートイレ行きてぇ」
「しばらくご辛抱を。
コンスタンティーノは生きてます。両腕折られてましたが……これはッ！？」
ミカエラは髪を刈り上げられていた。背中まであったやや淡い金の髪が、頭を起こしたとたんに固
まりになってベッドの上に散らばった。
……あの女ッ！
レナートは怒りがふくれあがるのを感じた。美しい少女を襲うというのはチンピラの素行として決
して珍しいことではないが、その髪を刈り上げるというのはあまりない。女のすることだ。ルクレツィ
アの指示があってのことに違いない。
「あーだいじょぶ伸びるってそのうち。
しかし両腕ってのはひでぇな。じゃー、こいつら３人でアイコか？ 大事になってたら済まねえ。
……オヤジには言うなよ？」
きびきびとした動きですぐさまミカエラは立ち上がった。ロープの擦れた手首の傷を検めるのもほん
の一瞬。
「さあ、そう言うわけに行きますかどうか」と、ジャケットの袖に手を通して羽織ったミカエラを抱
き上げようとするのを、ミカエラは顔をはたいて止めた。
「この状態で抱き上げられたら丸見えだろうがよ。てめえで歩く。靴探せよ」
「失礼しました」
屈んで、暴行の様子を記録しようとした悪意の機械を見つけたレナートは、テープを取り出してラ
イターで火を付けた。
「あ、あった。畜生、アンサンブルは全滅だな。けっこーイケてたのに」
ミカエラはさばさばと言いながらパンプスを履いた。
「ガラヴァーニに弁償させますか？」
レナートが扉を開けた。
「払ってくれるかな？」
足を進めると、ミカエラ襲撃犯の一人が這って逃げようとした。にっこり笑って、ミカエラがしゃ
がみ込んだ。
「おう、今日はスリリングな思いさしてくれてありがとうよ。オレの得意技、見た？ オメーも年金
貰ってみてえ？」と、右手を差し出す。
ひぃぃ、とそのまま這って逃げようとする。その背を、レナートが踏んで潰す。
「オメーらが、オレと、遊んでみてぇって思ったの？ ガラヴァーニはしつけが行き届いてねぇなぁ。
じゃー、オレんとこの下っ端も、オメーんとこのお嬢さんと遊ばしてもらったらいいんじゃねえか？
なあ、レナート」と、ミカエラは白い指でチンピラの頬を撫で回している。
「お嬢さん、うちはそんなことやりません」
若頭はチンピラを踏みつけたまま言った。
「お嬢さんのッ！ いいつけでッ！ モンテッソーリのお嬢さんをひどい目に遭わせろッてッ！」
「へー」
容赦なくその顔に拳を叩き込んで、ミカエラは立ち上がった。押し殺した悲鳴が上がるのにはもう
見向きもせずに、通路をすたすたと出口に向かう。
「オレってそんな生意気かな？」
感情を込めずに問いを放つ。
「それは主観的なものですし」
追いついてきたレナートが答える。
「襲ってくれってオーラ垂れ流してる？」
「まさか。お綺麗なだけです」
「お世辞がうまいぜ、レナート。
……しかし、慣れたな、オレも。こーゆーふーに男殺（や）るの」
「おれも、慣れました」
３
モンテッソーリの娘は不思議な能力を持っていて、手込めにしようと襲いかかる男を全て一瞬のう
ちに老いさらばえさせて殺しているという噂は、それまで密かに囁かれていた。それが、全国の幹部
の揃う年末の会議の場でこういう事件を引き起こして、ボスの耳に入らないはずはなかった。
「ミカエラ・モンテッソーリというスタンド能力者を暗殺チームに入れるように」というボスからの
指令が届いたのは、年が明けてすぐだった。
「畜生、あの女、やってくれたぜ」
ミカエラはセシル・カットに整えた頭をかきむしっている。ガラヴァーニの娘は、チンピラ３人と
少しの被害だけで、ミカエラの身に波乱を呼び込んでくれた。
「ミカエラ、よしなさい」
養父、ベニト・モンテッソーリが心労を滲ませた顔でたしなめた。整った容貌というのではないが、
厳めしい眉の下の眼光が、マフィアの大物幹部としてここまで生き残ってきた判断力と胆力を窺わせ
る。敵にも、配下の者にも、そして自分にも厳しいが、ミカエラには甘いほどの配慮を見せる父であっ
た。
「ごめんなさい、おとうさま」
瞬時にモードを切り替えて、お嬢様らしい言葉遣いでミカエラは養父に対した。
「おまえが特殊な力を持っていようといまいと、そんな恐ろしいチームに入れておまえを暗殺者に仕
立てようとは思わない。おまえはこのうちにずっといるんだ。ずっとな」
「おとうさま、ありがとう……」
オフィスの大きな椅子に腰を下ろしている養父の脇に膝立ちして、ミカエラは幼い娘のようにその
肩に身を寄せた。
しかし、ボスの指令に背くことは、死を意味する。
「わたしはボスのやり方に、ほんの少し、ほんの少し疑問を持っていたんだよ、昔からな……ここへ
きてそれがふくらんできている。なにも、おまえのことだけが理由ではないのだよ」
養父の脳裏で、抱いてはいけない思いが膨らんできているのをミカエラは感じ取っていた。
４
「コンスタンティーノ、お見舞いが遅れてごめんなさいね。元気そうじゃないの」
病院に幼なじみを見舞って、ミカエラは微笑んだ。
「両手塞がってたら悪いこともできねーだろ？ 抜いてやろーか？」と、すぐさま低い声で危ないこ
とを言いかける。
「いいよッ」
ムキになって少年はかぶりを振る。
「なに、美少年のコンスタンティーノ君は看護婦さんが入れ替わり立ち替わり世話してくれるからそっ
ちは不自由してない？」
愉快そうにミカエラは笑って見せた。少年の心を引き立てるように。
「そう言うんじゃないからッ……自己嫌悪してるんだよ。ミカエラを守ってあげられなかったから」
「ありゃー多勢に無勢ってやつだぜ。一味がみんなしてオレらを襲う気でいたんだもんな。ノコノコ
付いてったオレがマヌケ」
「……信じられないことしたよね」
あの場で幹部の娘が他の幹部の娘を襲わせるなんてことが起きれば、メンツを掛けて一大抗争が起
きてもおかしくなかった。ボスの意を受けた他の幹部の立ち会いで、春になる前に手打ちが行われた。
暴行については未遂、実際の人的損害はガラヴァーニの方が出していることもあって、ガラヴァー
ニの降格で片が付いたらしい。指示を出したルクレツィアは、女で未成年であることと、父親が跡取
り娘を必死で庇ったせいもあって、直接のおとがめはなかったらしい。
「いやーホント。女って怖えー」と、ミカエラは自分は女でないようなものいい。
「ミカエラのことが気に入らないからって、ただそれだけでローマを火の海にするところだったんだ
からね……」
コンスタンティーノがつぶやいた。
「フィレンツェも火の海になったりしてな」
軽く、ミカエラが応じた。一瞬、華やかな顔に影が落ちた。
「コンスタンティーノ、少し親父さんのところ帰ってたらどうだ？」
「やめてよ！ この状態で帰ったら、また役立たず呼ばわりされちゃうよ！」
「うちのオヤジは落ち込んでるよ、せっかくの預かりものに怪我さしちまって」
「オレは自業自得だからいいの！ ミカエラはもう体はいいの？」
「ぜーんぜん？ オレなんもされてねーし。ちょっと手首擦りむいたとか、一発腹に喰らったとかぐ
らいで。オメーらとガキの頃取っ組み合いしたときの方があとあとまで響いたぜ」
「ウッソ、オレたちの方が大変だったって！」
楽しい昔話に花が咲いて、少年と少女はひととき心を和ませた……。
５
「レナート、オヤジは本気なんだな？」
６月の半ば、廊下で若頭を捕まえたミカエラは、すぐ脇の部屋に誘って内緒話を始めた。
「おれたちだってその気です」
「べっつにボスはオレに妾になれって言ってるんじゃないんだぜ？ 適材適所の仕事紹介してくれた
だけじゃんか」
ボスの指令を突っぱねたまま、季節は夏に移っている。高校に在学中という言い訳も、７月からは
もう効かなくなる。
「お嬢さんは暗殺者になるためにここに来たんじゃありません」
「オヤジの妾になるためだもんな」
真面目な顔で、ミカエラは秘密を暴いて見せた。
「お嬢さんッ」
「いやもう実質そうよ？ 知ってんだろ？ みんな」
平然と、ミカエラは言った。
「旦那さんは、お嬢さんを正式に奥様にお迎えになるつもりで、準備だってしていて……」と、レナー
トは汗をかきながら弁明する。
「へえ？」
片頬だけで、ミカエラは笑って見せた。
「高校をご卒業になったらって、ドレスも発注なさっていて」
「あーこないだ寸法取られたな。こっちはまさか社交界デビュー？ とか思ってたりして。そっかー。
じゃー先にプロポーズしろよ、クソオヤジ」
愉快そうに、ミカエラは笑った。
「もうとうになさったかと……お嬢さん似の坊ちゃん二人とお嬢さん似の嬢ちゃん一人ぐらいはノル
マでお願いします」と、真面目な顔をして言ってくる。
「げえ。イヤ待て、オヤジに似てなくていいんなら浮気し放題だな、ハハッ」
機嫌良くミカエラは乗ってやる。
「ですから、暗殺なんか片手間にやってる暇はございませんので」と、若頭は話題を元に戻した。
「いいじゃん、夫婦共稼ぎ。これで今までの養育費少しは返せるかな？ ローマに詰めるにしても、
夏と聖誕祭ぐらいには休暇貰えるだろうよ」
「お嬢さん！」
レナートは声を抑えて叱りつけた。
「べっつに今までひと殺したこともないってワケでもねーし。いいじゃん」と、敢えてさばさばとミ
カエラは言ってみせる。
「お嬢さん、思い違いをなさっちゃ困ります。殺し屋ってのは、自分の身を守るためにやむなく殺す
のとは違います。人間らしい心を全部捨ててかからなくちゃならない。
旦那さんは、お嬢さんにそういうふうになって貰いたくないんです」
「なって貰いたくもないも何も、ボスの命令だろうがよ」
「だから、ボスの命令を聞かなくていいようになるんです」
レナートは声を低くして言いきった。
「それって、政党変わるみてぇに気軽にできんのか？ 金で片が付くのか？ 腕の一本も差し出すの
か？」と、ミカエラは立て続けに問いかける。
「お嬢さん、……旦那さんは、多少の出入りは覚悟しておられます」
レナートの声は険しい。
「出入りって、ドコでやんの？ 共和国広場か？ ボーボリ庭園？ 競技場？」
対照的に、ミカエラは歌うように尋ねる。その深刻さを理解していないかのように。
「普通は、市街ですね。市民や観光客に迷惑のかからない辺りを想定しておられますけど、ボスはそ
ういう配慮はしないだろうし」
「最悪、フィレンツェは火の海、と」
目を相手から逸らして、ミカエラは窓の外を見た。庭は丹精した色とりどりの薔薇が最盛期を迎え
ていた。
レナートの顔には影が落ちていた。
「オレが出ていけば済む話だろうが」
「そう言うわけには参りません。これは旦那さんの意地もかかっているんです。愛する女性を、３度
失うことはできませんでしょう」
「オフクロか？」
すぐさまミカエラは言った。
「知ってるぜ。最近はトチ狂って、オレのことイザベッラって呼びやがる。昼間っからだぜ、失敬な」
「それは……」
「そんな似てるかよ？」
「こちらへ」
レナートは、モンテッソーリの書斎へと案内した。その奥、誰も立ち入りを許されない部屋の鍵を
開ける。
「お母様です」
ほぼ等身大の、イヴニングをまとった金髪の女性の肖像画だけが飾られていた。秀でた額に、愁い
を含んだまなざし。薄い唇は、あるかなきかの微笑みをたたえている。
「似てねー」
笑い含みにミカエラは言った。
「ご冗談を。生き写しです」
「似てねえよ」
無理に、ミカエラは言い張った。鏡の中に見る自分と同じ顔。心の防衛作用で、しばらくは忘れて
いた自分の両親の顔を、１０才の「ミカエラ」は思い出した。鏡の中から自分を見つめてくる顔によっ
て。
……ローザ。
そうだ、自分は天使（ミカエラ）なんかじゃなかった。もっとありふれたどこにでもいる幸せな少
女だった……。
それでは、自分をミカエラと呼び、イザベッラの面影を日に日に探すこの男は、「おとうさん」で
はない……。
「ミカエラ」は、ゆくゆくは食われる身という覚悟を持ったのだ。
「オレは解ってたよ。だから、必死で身を守った。おとうさまに抱いていただくまで、きれいなから
だでいなくちゃならない。おとうさま以外の男に心を許しちゃならない。これだけ良くしていただい
てるんだから、おとうさまに可愛がっていただかなくちゃいけない、これだけ想っていただいたのに
おかあさんが応えられなかった分、あたしがおとうさまにお返ししなくちゃならないって……その挙
げ句が、これかよ」
低い声で、少女は吐き捨てた。
「そうお思いなら、黙って旦那さんの思うとおりにさせて差し上げてください」
「バカ言うんじゃねえよ」
「ミカエラ」は、大きく頭を振った。
その電話は、突然来た。
「ミカエラだな？ パッショーネのボスの代理のものだ。ボスは直接はお話にはならない」
「あたしにお電話をくださるとは思いませんでした」
ミカエラは、慎重に返事をした。
「モンテッソーリが動いていることは、こちらも掴んでいる。無駄な争いは避けたい。お前には選択
肢は一つしかない。モンテッソーリを殺せ。それで全ては解決する」
「うちの一味はどうなりますか？ フィレンツェをどうなさるおつもりです？」
「直轄地にしてもいいが、代理人は要る。お前の指名するものに任せてもいいとボスは仰っておられ
る」
「レナートを。うちの若頭です。それで収まります。あたしが言って聞かせます。どうか、大げさな
ことには……」
「解った」
電話が切れたとき、ミカエラは、自分が泣いているのに気づいた。
６
高校の卒業式は、週末だった。週明けには、すぐ式を挙げることになっていて、ドレスももう届い
ていた。幸せな６月の花嫁にギリギリ間に合うと養父は笑った。自己満足の虚飾の宴のあとには、血
みどろの反逆の烽火を上げるつもりで。
「ばかな男」
その前夜に、ばあやに手伝わせて、ミカエラはその一世一代の衣装を身につけた。化粧も凝らして。
記憶の中に残る母の香水を必死に尋ねて纏って。
「お嬢ちゃま、大変お美しゅうございます」
決意を知ってか、ばあやは涙ぐんでいた。手を振って退出させ、鏡に向かう。
「この能力、てめえに使うのは初めてだぜ……」
少しずつ、加齢の力を発揮して、自分の時間を進めてゆく。はたちのローザ、２２，２３……。
肖像画の時点に到達して、加齢を止める。
「ふん。やっぱ似てるかな？」
鏡を覗き込んで、ため息を吐いた。
２５才のイザベッラがそこにいた。
レナートも、従っていた。ドアを開けさせる。養父の寝室に乗り込んで、囁きかける。
「……ベニト、ベニトあたしよ」
灯りを落した室内で、養父は、まさしく娘とその母親とを誤認した。
「ごめんなさい。やっぱりあなたがいいと解ったの。あたしを許して。あたしと一緒に来て頂戴。愛
してるわ……あたしを一生愛してくれるわね？」
結婚衣装を身にまとった女は、涙ながらに囁きかける。能力を持たぬ身には見えないが、その背後
には、体中に眼を貼り付けた禍々しい化け物が立って、老化のガスを吹き出している。
「おお、おお、イザベッラ……誓うぞ、わたしの太陽、わたしの希望……」
手をさしのべ、応えて愛を誓いながら、モンテッソーリの体が急速に張りを失ってゆく。うっとり
と眼を閉じて、女が口づけを降らせる。直に、ザ・グレイトフル・デッドの能力を発揮する。
「大好きだったわ。ベニト。どうぞ安らかに」
女が顔を上げたとき、愛する女のためにフィレンツェを火の海にするも辞さなかったマフィアの幹
部は事切れていた。
「終わったぜ」
ドアを開けて、ミカエラは寝室を出た。
「電話持ってこい」
涙をぬぐわずに、ミカエラはレナートに言った。
連絡の際に使うように言われた番号に掛けると、すぐにボスの側近に繋がった。
「終わりました。どうか、あとは頼みます」と、それだけ言ったあとは、レナートに替わった。
「クソオヤジ、最後までオレ自身を見なかったな……」
美しき死の使いが廊下に坐り込んでいる間、フィレンツェの新しい闇の支配者は、ボスからの指示
を黙って受けていた。
７
「ベニトは死んだ。レナートが新しいリーダーだ。てめぇら、滅多なことはするんじゃねえぜ」
翌朝、主だったものを集めてミカエラは宣言した。
「お嬢さんッ！？ オヤジはなんで急に！？」
「オレが殺ったのよ。この力でな。ベニトはボスに逆らった。オレはボス直属の暗殺チームの一員だ。
オレがボスの命令でベニトを殺った。……なんか文句あるのか？」
右手をかざして見せて、ミカエラは顎をあげて言い放った。
「お嬢さんッ！ オヤジはあんたを１０年近くも育ててくれた恩人じゃないかッ！ それであんたの
ことを心から愛してたッ！ 式だって挙げるんだったんだろう！？」
別の中堅の男が身を乗り出してかき口説く。
「オレはあの男を愛してなんかいなかった。あの男は、オレの両親を殺させて、わずか１３のオレを
犯して愛人にした憎い男だ。……あんな男に恩なんか感じちゃいない」
表情も変えずにミカエラは言った。確かにそういう見方は存在する。しかし、この１０年近く、少
女はそんな様子はそぶりも見せなかった。
「てめえッ！」
「よせッ」
側近達の中でも反応が分かれる。本心を、隠しおおせてこの日を迎えたと見たか、悲惨な事実の上
の儚い絆が、今は破れて切れて根底にあったものが露出してしまったと見たか。わざと露出して見せ
て、絆の存在を消し散らしてしまおうとまで図ったとは、誰が見たか。
「ボスはレナートを代理人にしてくれた。お利口にしてたらこのまんま食わせてくれるってよ。イヤ
なら出て行くんだな。命の保証はしねぇけど。じゃ、な」
ミカエラはすぐさま部屋を出た。そのまま廊下を突っ切って、待たせてあった車に乗りこもうとす
る。
「お嬢さん」
見送りは２人だった。
「そんな呼び方するなよ、レナート、いや、レナートさん。みんなを頼みます」と、ミカエラは頭を
下げた。
「お嬢ちゃま」
トランク一つにまとめた荷物を手渡してくれるのは、ばあやだった。
「スザンナも。達者でな」
その言葉には、嗚咽だけが返った。
「お嬢さんも、お体に気をつけて」
レナートの声が、僅かに湿りを帯びた。
「ああ、オレはろくな死に方しねぇよ。暗殺者だもんな」
「本当に、ありがとうございました」
「何言ってるんだよ、ボスの言うとおりにしただけだ……ああ、オフクロの絵、オヤジと一緒にして
やってくれ。穴掘るの大変だろうがよ」
「承知いたしました」
「もう、行く」
頭を垂れる二人を残して、車は発車した。後部座席で、ミカエラは眼を閉じたまま、約１０年を過
ごした屋敷を後にした。
美しい屋敷。芝生はいつもきれいに管理されていて。使いっ走りの小僧どもや、親同士の集まりに
付いてきたファミリーの息子たちと転げ回って遊んだ。
薔薇の季節に去ることができたのは僥倖。この庭は、薔薇が自慢だった。防犯のため、生け垣は蔓
薔薇が巡らされていた。転んで突っ込みそうになったときには、みんなして庇ってくれた。お嬢さん
は女の子ですからって。きれいなお顔に、傷が付いたら大変って。
集まりには、皆が極上の顔をしてやってきた。アニキ、アニキと慕ってくれた。長ずるにつれて距
離を置くようになったけれども、２月や３月には、恥ずかしそうにプレゼントをくれた。誰それに２
月に出し抜かれたと言って３月にはミモザまみれにされたり。お立場を考えて、とあとでレナートに
苦い顔でお説教を喰らって。
熱を出したときには必ず桃のソルベ。苦い薬を嫌がったら、ばあやはとっておきのカットグラスを
出してくれた。これは本当に大切なお客様の時にしかお出ししないんですよ、サヴォイアの王家から
出たお品なんですからね、さあ、これで飲んだら王女様の気分におなりになるでしょ。飲んでご覧な
さいまし。これを飲んだら、珍しい南国のフルーツをお出ししましょ。ほら、ああ、お嬢ちゃまはご
立派。はい、こちらがよく冷えたマンゴー。南の国の夕日みたいな色でございましょ？ さあおあが
りなさいまし……。
……眠れないんですか？
枯れ草色の頭が、ドアの向こうから覗いていた。能力が初めて発現した日のこと。一つ上だったは
ずの少年は、老いさらばえて死んでいた。
……あいつ、どうなった？
……ああ、大丈夫、アルノ川に放り込んでおきました。明日辺りにはピサまで行くかな？
レナートはそううそぶいた。
……信じられないと思うけど……化け物が出て、なんか煙を吐いたら、あいつが萎れていって。
……ああ、そう言うこともあるでしょうね。
……レナートッ！
まだ若かったのに、レナートは動じなかった。
……組織の裏の方では、噂があるんですよ。いわゆる超能力。そう言うのを持ったやつがいて、組
織で働いてるって。組織以外にも、空中から炎を生み出す占い師とか、賭に負けた相手の魂を取り上
げるギャンブラーとか。話は聞いてます。お嬢さんも、そういうのかも知れませんね。なんにせよ、
お怪我がなくてよかった。
……怪我って！ レナート、あたしはひとを……ッ！
……状況だけで解りますよ。お嬢さんは服を破られてて、やつはズボンを下ろしてた。お嬢さんに
不埒なことをしようとしたんでしょう？ 自業自得です。
……自業……自得？
……偉い弁護士の先生にお話しさせましょうか？ 人間は自分の身を守る為にはある程度闘っても
いいんです。正当防衛って言って。お嬢さんは若い娘さんなんだから、自分の操を守るためには少し
ぐらいやりすぎたってかまわんでしょう。
今度から、コンスタンティーノ以外にも必ず誰か付けますから。絶対お一人にはさせません。恐い
目に遭わせて、申し訳ありませんでした。
……だって。
……おれがこの世界に入った理由、お話ししてなかったですね。
と、若頭は月明かりの庭を窓越しに見下ろしながら勝手に昔話を始めた。
……チンピラを５、６人、半殺しにしたんです。ひとり二人はホントに殺ったかな？ もうありま
せんけど、うちの組の敵対組織のヤツで。スカウトが来たのと、てめえの身を守るのと両建てで、お
世話になることにしたんですよ。
そのケンカの原因てのがね、妹がいたんですよ。結構、おれに似ねえ出来のいい器量よしの妹が。
そのチンピラどもに寄ってたかって慰みもんにされましてね。命までは取られなかったんだが、その
あとが悲惨でね。
忘れられないんですな。親やら医者やらが、おまえに落ち度はない、傷と思うこともないと寄って
たかって言い聞かせて、それこそ砂糖細工の綿でくるむようにしてやっても、何かの拍子に思い出し
ちまって、泣くは、叫ぶは、手前の体を切り刻んだり、身を投げようとしたり。
見てる方も堪らんですよ。
それが、しまいには本当に身を投げちまいやがって。
お嬢さん、女にとって、身を汚されるってのは、そのくらいあとあとまで尾を引くものなんです。
旦那さんがそんなこと、お許しになるわけがないでしょう。旦那さんだけじゃない、うちの者ども
は、みんなあんたが大好きなんだ。あんたには、イタリアで一番幸せな花嫁になって貰う。そのため
には、なんだってやります。お嬢さん、あんたが引け目に思うことは何もないんですよ……。
幸せな花嫁。誰のかについては言わなかったけれど。
その後も、学校で、買い物の帰り、パーティの合間に、ミカエラは自分の身を守ってスタンド能力
を使い、レナートは、黙って後始末をしてくれた。
それも、もう今日で終わり。
振り向こうとして、その感傷をミカエラは自分に禁じた。
自分は「親殺し」の汚名を着て去る身。
もう、戻れない花の都の夢の家。
愛してくれた人は、もう誰もいない。
ミカエラは、時間通りに指定されたホテルに入った。
数年後。
「オイオイ、オレはボスのご命令で親すら殺した根っからの暗殺者（アッサッシーノ）だぜ？ オレ
の前でよくボスへの不満なんぞ口にできたな？」
配属された暗殺チーム。表情を表わさないリーダーが、ふとした拍子に零した待遇への不満に、
「プロシュート」は不敵な笑顔で真意を質した……。
（２８−０５−０９）
蛇足。
はい、ダークな捏造過去一丁。このミカエラお嬢様は後のプロシュート姉貴で、このコンスタンティー
ノ君はメローネですから、念のため。
両腕折られたコンスタンティーノ君はこの時「掘られて」る。うまく本文中に書けなかった。ホン
ト苦労してるよなあ、この２人。
まいねヴェルト（世界。ドイツ語にそろえてみました）で唯一の悪人、ルクレツィア・ガラヴァー
ニお嬢さんこんなところで再登場。なんでこういう悪人は死なないのか不満。ああ、こーゆーところ
で使い回すためか。和田慎二作品の信楽老みたいね。目障りなミカエラお嬢さんを暗黒世界へ追い出
しておいて、次は「ネアポリスのポルポの愛人候補の小娘」がちょっときれいで気が利くと評判だか
らいびり倒すことになっている。しかし、そいつも「プロシュート」と死闘を繰り広げた挙げ句ボス
に逆らって死んだということは、もしかしてこの世界の真の勝利者かも知れない……。ボス・ジョル
ノに粛正してもらおっと♪
またしても若頭がいい役どころ。こいつなり、メローネなりに譲る気があればオヤジも長生きした
かも知れないのに……無理か。やっぱ、「美しさは罪」よね。親娘二代して男を破滅させて。兄貴
（と母上）は傾城の美貌なんだな（それ妄想ですからッ！）。
ブチャおねえさんはあれでも必死で寄せればＣカップぐらいはある普通サイズ。アニキはＡの貧乳。
ノーブラでも気にならない程度。アニキにお胸は要りませんッ！