仮想空間
その朝（１０）
「フーゴ、その、仮定の話だが……」
思い詰めたようなアバッキオに話しかけられて、フーゴは眼を上げた。この男の方から話しかけて
くるときに、いい加減に聞いていいような話のことはない。ナランチャとブチャラティは会議に出て
いる。アジトでの留守番ももう三十分もすれば終わる筈だった。
「あくまでも仮定の話なんだが……」
「あんた、バカですか？」
聞き終えて、溜め息を吐くと、フーゴはすぐさま斬って捨てた。
「そんなこと、できるわけがない。あのひと、深入りしすぎてます。あんたも。三……二人とも殺さ
れて終わりです。そんなこと、夢にも考えちゃいけませんよ」
「そうか……」
顔をこわばらせて、アバッキオは引き下がった。
「仮定の話なんでしょう？」
可哀相に思って、フーゴは聞いてやった。もしかして、ブチャラティ達が出かけてから、ずっと考
え続けていたのかも知れないと思ったので。
「仮定の話なんですよね？
念押しもする。
そんなことが、現実に起きていたら、迷惑はフーゴやナランチャにも波及する。
「ぼくやナランチャの身にもなって下さいね？ それやらされるの、絶対ぼくらですから」
それを聞いて、いよいよ真面目な男は頭を抱えてしまった。
「あ、ああ……」
「あんたが気をつけてくださいよ？ いくらあんたが敬虔なカトリックで、今でも教会に日参してよ
うと毎晩お祈りしてようとこれだけは絶対きけませんから！」
なんといっても、好きな曲が「聖母マリアの夕べの祈り」だ。
「…………うん」
「あのひと絶対自分から病院行ったりとかしませんからね！ 一応ぼくの方からも勧めてみておきま
すけど。毎日薬飲んだりなんてことが……あのひと結構真面目だからそっちは大丈夫かな？……ああ、
なんでこのぼくがこんなことで頭を悩ませなきゃならないんだろう……」
「……すまん」
小さくなる堅物男に眼を止めると、フーゴはやはりなんだか愉快になって機嫌を直した。
「でも、そんなこと考えるなんて、あんたもやっぱり素朴なところがありますね。欲しいんですか？ あのひとと……」
「や、違ッ！」
アバッキオは飛び上がった。
「だって、このままだと、そういうことが、起きるかも、知れないから、考えるだけ、考えておいた
方が、やっぱり……」と、しどろもどろに弁解する。
「起きるかも知れないって、やっぱりあんたなまでやってるんじゃないですかッ！ ひとの忠告をなん
だと思ってるんですッ！」と、やぶ蛇でフーゴの怒りを呼んでしまってまた身をすくませる。
「いや、物事に完全というものはないから……」
「ああ、……まあそうですね」
栄養が行き届いてきたせいか、フーゴもそうそうキレてばかりということがなくなってきている。
すぐに冷静になって、懸案の事項について思いをめぐらせた。
「なにを優先するかですよ」
穏やかな声になって、参謀はすぐに問題を整理した。
「あんたがマフィアということを問題視するから、ひどい結果しか出ないんです。組織を抜けようと
するなら、結果は死、のみです」
こわばった顔で、アバッキオは頷き返した。
「どっちが大切です？ 子供と、あのひとと」
戸惑うように、視線が泳いだ。
「どうしても欲しいってなら、各方面に根回しして、すっごい恥をかく覚悟もしてもらって、無理だ
と思うけど産休を取ってもらうことも……絶対無理とは言えないというだけで……ちょっとその辺を
騙して、しばらく田舎に引っ込んでもらって身二つになって、一生逢えない覚悟で養子に出すとかな
ら……」
少し、アバッキオの眼に光が点る。
……ああ、このひとはまだ健全だなあ。
フーゴは微苦笑を頬に浮かべた。まだまだ腹の底まで腐っても堕ちてもいない。そういうところが、
たぶん、ブチャラティも自分もどうしようもなく好きなのだろう。
「手っ取り早いのは、堕胎医に任すことです。商売柄、腕のいい医者はいっぱい知ってますよ？ あ
とはあんたが好きなだけ泣いたり祈ったり傷ついたりすればいいだけの話です。暴れてひとに迷惑は
掛けないでくださいね」
持ち上げてから、落す。最近、この頭の固い色男で遊ぶ方法に慣れてきたフーゴだった。
……あーあ、こんな顔してもまださまになる。ほんとに、ハンサムは得だなあ。
酢を飲んだような顔になるアバッキオを見ながら、天使のような顔の少年はまた溜め息を吐いた。
「一番簡単なのはあんたに死んでもらうことですねえ」
ふよん、と、背後に自分の「頭の悪い」スタンドを呼び出して、笑って見せた。
「おい……」
アバッキオが、青ざめる。パープル・ヘイズの「仕事ぶり」を彼は前の週、目の当たりにしていた。
「あんたがいなくなれば、あのひとが妊娠するなんて笑える事態は起りっこないし、下らない仮定で
頭を使うこともないし……なんてね。そんなに怯えなくっても」
「怯えるだとォ？」
アバッキオはムキになった。
「落ち着いて。そんなことになったら、ぼくがあのひとに殺されます。そのぐらい自惚れてください
よ。
そうでなくても、あんたも今じゃあいろいろ役に立ってるんですから、いなくなったら困る。その
手は使えないんです、もう」
「脅かすな」
頭をガシガシかくアバッキオが、ドアの方に半身を向けた。ブチャラティが帰ってきたのだ。
「なあ、なあ大丈夫？ ブチャラティどうしたの？」
「……さい、……夫、平……気」
一気に室内がうるさくなるのはナランチャの入室の合図だが、どうも様子が違う。
「どうした？」と、アバッキオの顔が怪訝そうになる。
ドアから入ってきたブチャラティが、眉をひそめて、手が不自然に左の腰の辺りをかばっている。
ナランチャはおろおろして周りをウロウロするだけだ。アバッキオがすぐさま立って、荷物を預か
ろうとした。
「腹が重い……」
呟いて、ブチャラティはアバッキオが空けたカウチにへたり込んだ。
……ああ。
日付を思いだして、フーゴは納得した。なんだ、ちゃんと来てるんじゃないか。
「薬、出しましょうか」
「頼む……」
アジトにたどり着いて気が緩んだのか、ブチャラティの声はもう死にそうだ。
「アバッキオ、突っ立ってないで毛布出してあげてください。冷やさないようにしないと。今お水汲ん
できます」
「……おう」
命令を受けてやっと自分がどうしたらいいかが解った大男が、大股に戸棚に歩み去った。
「仮定の話ですんで良かったですね……とりあえずは」
「……とりあえずは」
囁き交わして、男達は女神さまの看護のために立ち働き始めた。
＜２５−０２−０９＞
蛇足。
（原作じゃあジョルノ加入まで二人はなにもないから、当然だけど）流産とかに持ってこうかと思っ
たけれど、可哀相でどうしても書けなかった。カトリックは基本、避妊禁止の中絶禁止。人間は間違
いを起こす生き物というのが前提だから世の中がおおらかなんだなあ（イヤ違う）。まーそれでもあ
の国出生率下がってたらしいけど。
ボーイズラブはそのへん妊娠だけはあり得ないからいくらでもやれるんだなあ。おかあさん健全（！？）
カップル中心だからシリーズに必ず妊娠騒動があるよ。困っちゃう。
健全なお育ちのアバッキオさんは子供ができたら足を洗って田舎で三人で暮らしたいとか素で思っ
てそう、というのがもともとの発端。野球チームができるくらいとか平気で口にするタイプ。フーゴ
はすぐさまバカですかと却下、ナランチャとミスタ（未加入）は面白がって、ここでみんなで育てよ
うぜとかなにも考えずに言っちゃう。実現しちゃう。そういうパラレルなお幸せなネアポリス支部が
あったらよかったね。……ハッ！（その１１パラレルへ）
その辺なんでもありなジャポネの皆さんはちゃんと使うもん使って用心してください。いや、
「貞節を守る」（アバッキオさん談）のが一番確実だな。妖精さんにも逢えることだし（その１５ 「妖精さん」へ）