切っても切れない
その朝（６９）
１
その電話はフーゴに入った。昼食を兼ねた月末の恒例会議があって、ブチャラティは出
かけていたので、やや彼は緊張して取った。携帯の液晶に浮かんだ発信人は、ジャコモ・
グリマルディーニ。
「やあ、フーゴ、気負わんでいい、ほんの座興じゃ」
「こんにちはおやじさん、なんです？ またブチャラティが車にはねられたとか仰るんじゃ
ないでしょうね？」
「ほっほ、去年はそんなこともあったかの。年を取ると月日の流れるのが早いものじゃ」
暢気な声に、フーゴは声を尖らせる。
「なんです？ 今月のうちの書類に不備でも？」
「いいや。ちょっとおまえのところの色男を、そうじゃ、やっこさんにわからんように転
ばせておいたりとか、できんものかな？ 今から５分以内ぐらいがいいな」
「は？ まあ、できなくはないですけど、どういった趣向ですか？」
「聞くところに拠ると、あの果報者は今日が誕生日だと言うじゃないか。ほんのちょっと
した座興のたねじゃ。おまえさんに料理は任す」
「おやじさん、ヒマしてるんですね？」
フーゴは溜め息を吐いて、老人のお守り役に徹することにした……。
久し振りに役目を与えられたフーゴのスタンドはごくごく静かに仕事をこなした。
「痛ってえ！」
「おや、アバッキオ、なんにもないところで転ぶなんて器用な人ですね」
「なんかが足を引っ張ったんだってば」
「おやそうですか」
すかさず、ミスタとナランチャがワルノリした。
「おんやあ。アバッキオちょっとお空をみてみ？ 太陽の色は何色だぁ？」
「もしかして、きいろーく見えてるんじゃね？」
「お誕生祝いの前払いもらったんだろ、昨夜」
「ブチャラティ今朝なんか疲れてたよな？」
「ねーさんがあんま口利かねえ朝って、夜が濃かった翌朝って自分でいってたんじゃん」
二人してにしゃにしゃとたちの悪い笑みを浮かべて見せる。
「おまえら！ そんな下品なことあいつの前で口にしたら口の中で直接アーリオオーリオ
作ってやるぜ！」
「おーこわ！」
いろいろあった冬もようやく終わり春を迎えて、ブチャラティのチームは和やかになっ
ていた。
「本当に、お気を付けて。フーゴにも引き継いでおきますから」
「ああ、ああ、そんなに気を遣ってくれなくていいから。それより、こんな恥をばらまか
ないでくださいよ、タルティーニさん。
みんな、今帰った」
「解ってますとも。どうぞお大事になさって。
フーゴ！ 姐さんのお着きだ」
５分もしないうちに、ご丁寧にタルティーニが車を回してブチャラティを送ってきた。
ネタを明かされていたフーゴが迎えに出る。
「どうしたんですか？ 早々と幹部扱いで」
「滅多なこと言っちゃいけねえ。ポルポさんがご健在なのにそういう言い方をしちゃあい
けねえよ、フーゴ」
口だけは丁寧にタルティーニがたしなめる。その眼には、しかし言葉を裏切ってブチャ
ラティへの崇拝が揺るぎようもなく点ってしまっている。
「姐さんが立ちくらみで。もしものこともあるから気をつけて差し上げな」
「だからそれはないって。タルティーニさん、ほんとにちょっと足がもつれただけだから」
「ブチャラティ、大丈夫か？」
ほら、忠実な番ライオンがすっ飛んできた。
「大丈夫だ」
それはグリマルディーニ老も保証していた。困ったように笑うブチャラティの顔は、ほん
の少し柔らかくなった最近の顔だ。体調の悪さなど欠片も見えない。だから、ほんの、お
誕生日の彩り。
いつものホールのカウチに毛布まで出してきて。刺激物はいけないかと気を回しまくっ
た挙げ句にココアを淹れてきて。
「ほんの５，６分前だぞ？ 向こうを出るときに、ちょっとふらついただけだ、みんな、
気を遣いすぎるほど遣ってくれて肩が凝るぞ」
「そりゃあ。もう名実ともにネアポリスの守護女神ですから」
「やめてくれよ」
ブチャラティが困ったように照れ笑いする。
「５，６分前ですって？ そういえば、そのころあんたもひっくり返ってましたっけ」と、
グリマルディーニ老に指示されたように秀才はアバッキオに話を振った。
「あ、ああ、なんでもねえところで」
そのあと下品なからかいをされたことを思い出してアバッキオは思いだし怒りに赤くなっ
た。待ってましたとフーゴは姿勢を正して口を開く……。
「それで解りました。
チーノの伝説だと、結ばれるべき男女の間には、赤い縄が生れつき結ばれているそうで
す。その縄は、普通は見えないけれど、恐るべき魔力で絶対切れたり外れたりはしないそ
うです。神の手にある帳簿に載せられたとおりに、担当の神が生まれるときに結び合わせ
るのだそうで、昔、その伝説を知った男が、自分の運命の相手を教えてもらったとか」
「またまた。見えない縄がなんで赤いのよ、フーゴ」
ミスタが目を輝かせながら寄ってきた。
「その縄が見えるべき身分、神の眷属ならそう見えるってことじゃないですか？
そのイコ氏が見た運命の相手は、貧しい老婆の背にある美しくもない幼女だった。それ
で、家柄のよい娘との結婚を望む彼はひとをやってその幼い女の子を殺させた……」
「殺すことはねえだろ！」
ナンセンスと背を向けながら、じつは聞き入っていたアバッキオが身を翻して叫んだ。
……ああ、そう言うと思った。
一同は黙って心中肯いていた。
……あれでロマンチストで。
……まぁーだかたぎッ気が抜けなくて。
……なんだかんだいって女子供にやさしいよな。
一同を目で抑えて、フーゴが続けた。
「イコ氏はそれから縁談がこわれまくりで」
「因果応報だッ」
「たたりじゃね？」
「逆玉ってむつかしーのねー。でも窮屈そうだからおれはイヤだなー」
「ミスタは無理だろう」と、それぞれ突っ込みが入った。
「１４年も経った後、上司の美しい娘を紹介されて結婚しますが、そのお嬢さんの眉間に
は傷があったのです。訳を尋ねると、幼いころ、乳母のもとで育てられていたときに暴漢
に襲われ、殺されかけたことがあって、その時の傷だと。
イコ氏は１４年前のことを思い出して震え上がって正直に白状し、お嬢さんの許しを得
て愛を誓ったそうですよ。
そういう伝説があって、チーノだけじゃなく、あの辺の文化圏のひとは、みんな、結ば
れる恋人同士は繋がっているって思ってるそうですよ」
「へーえ」
「ぼくは、じゃあ、こっちの人間にはそういうのないんだろうかって思ってたんですが。
……マダム・バタフライはどうせ繋がってなかったんでしょうけどね」と、彼らにも判
る東洋人と西洋人との恋愛の例を出す。
「悲恋じゃん。見えてたらよかったのにな」
ナランチャも一般教養がついてきたものだ。
「縄が見えたとして、結ばれえない恋と判ったらそこで思いを断ち切るのか、そんなこと
ができるのかな……」と、また真面目な男はブツブツと一人で悩み始めてしまった。
「でも、今日ので確信しました。こっちの人間同士でも、結ばれるべき相手は足が繋がっ
てるんですね」
「はァ？」
「フーゴ、論理が飛んでいるぞ。そこのところをもう少し具体的に」
「見えたの？ それってもしかしてスタンドってこと？」
「小僧、見えたんなら教えて！ ミスタさんの運命の相手は誰ちゃん？」
ノリの良い一同はくちぐちに問いかける。
ここがこの座興のオチだ。フーゴは胸を反らせた。
「ブチャラティの足はちゃんとアバッキオと繋がってるって事です。まるっきり同じ時間
に、とくに何もないのに足をもつれさせて転びかけ……アバッキオはホントに転んじゃい
ましたけど、たんですよ、繋がってるからに違いないでしょ？」
「あは、なるほど」
これはフーゴが、グリマルディーニからネタをもらったか何かで仕込んでくれたと理解
して、ブチャラティは頬を緩めた。
「何を、バカな……」
そこまで思い至らないにしても、盛大に花を持たせてもらったということは理解して、
アバッキオが真っ赤になって背を向けた。
「実験してみよう」
ブチャラティがワルノリして、自分の右足を１０センチほども上げた。
すかさず、パープルヘイズが出て、アバッキオの後ろ足をむんずと持ち上げた。
「ほほう」
スタンドを完全に無視して、ブチャラティは愉快そうに右足の先で円を描いた。
パープルヘイズは律儀に同じ大きさをキープしてアバッキオの左足を回す。
「おいッ」
「おお、繋がってるなッ」
「見事なもんだ」
「なるほどなあ」
ブチャラティはほんの少し微笑んだ顔で、腰掛けたまま足を思い切り上げた。
パープルヘイズは計ったようにアバッキオの足も上げた。
「フーゴッ」
つんのめったアバッキオが声を荒げた。
「はいはいベストカップル」
「いやーいいもん見せてもらったわ」
「遊ぶなッ！」
それから彼らはふて腐れたアバッキオをいじりながら楽しくお誕生日の宴会へと繰り出
した。
その夜のこと。場所はもちろん、ブチャラティのフラットの寝室だ。
「飲み過ぎるなと言ったろうが。もう今日はこのまま眠れ」
アバッキオに肩を貸して、２人は帰り着いた。もう大きな声は周囲に迷惑な時間帯だ。
「おいッ、あんたッ……昼間はあんな悪ふざけしてッ」
典型的な酔っぱらいの口調になって、アバッキオはブチャラティに絡んだ。
「ああ……だってやつらが気を遣って盛り上げてくれたから。
あるわけないだろ、赤い縄なんて」
ブチャラティの声は冷めていた。
「ウロラッ」
アバッキオは、もう、ろれつも回らない。ブチャラティは屈み込んで、アバッキオの足
元を撫でた。
「済まない、おまえの縄は、わたしが切った。スタンドで」
「フロラ？」
「きれいな、かたぎの女性と繋がっていたろうに」
酒に酔わない女ギャングの準幹部は、白い表情に乏しい顔をしていた。
「無理矢理に、スティッキィ・フィンガーズでわたしの縄をここに繋いだ。おまえをここ
に置いておくためならなんでもするから、どうかそれは堪えておくれ。わたしが死んだら、
スタンドは切れるから、そのときにはどうぞここから去って好きなひとのもとへ……」
ブチャラティの薄い肩は、ふるふると震えていた。
「あんた。話ちゃんと聞いてなかったろ」
酔いを一気に追い払って、アバッキオは低い声で応えた。
「あの縄は人の身では何があっても切れないって。絶とうとしても絶てない、殺そうとし
ても殺せない、それくらい厳正なものだって」
アバッキオはしゃがんで向き直って、うつむく女を抱きしめた。
「おれの縄は、ここに、あんたに繋がっているんだ。だからおれはここにいるんだ。間違っ
てくれるなよ……」
「レオーネ、今夜は男前だな……」
虚を突かれた顔で、ブチャラティは呟いた。
「ばかやろう」
「ああ、すまない。いつも男前だが……今夜はとっても、男前だ」
ブチャラティは微笑んで、両手を伸ばして愛する男の頭を抱きにいった。
「えーと、プレゼントがあるんだが、あとにしようか？」
「あとでいい」と、彼らはそのままベッドへ直行……。
その頃、フーゴはグリマルディーニ老に作戦終了の挨拶を入れていた。
「ええ？ ぼくらは盛り上がりましたけど、あのひとたちはどうだったでしょうね？ ちょっ
とからかいすぎたもんで、彼、かなり飲んじゃって」
「おおこれはいかん、酒というのは度を過ごすと楽しい夜の妨げになるものじゃよ」
「あの、すいませんぼくはその辺まだよく解らないんで」
苦々しげにフーゴは言った。
「フーゴはどうじゃ、そろそろ自分の縄がどこに繋がっているか、判って来ようものじゃ
ろ？」
「判りませんね。ぼくにそんなこと、あるわけがないじゃないですか。グリマルディーニ
さんだってご存知でしょう？」
「そうかのう？ スイスの方に楽しい郵便配達が行ったようじゃが。２月の、第２週あた
りに」
「何のことだかよく解りませんね」
フーゴはしらを切り通す。
「ほっほっ。その縄は大切にした方が良いぞ」
「ぼくはなんでも大切にする方だと思いますよ、……少なくとも、こちらにお世話になっ
てからはね」
「ほんに儂の余生を楽しませてくれるの。今後ともよろしくな、フーゴ」
「それはこちらの台詞です。どうぞ、末永く」
ネアポリスの一部の３月２５日は、このように些細なことで地道に盛り上がって終わっ
た。
確かめ合うまでもなく似合いの彼らはその５日後、旅に出て、戻らなかった。
０６−０４−１１
蛇足。
某所で赤い糸の話を見て萌えたので。中学生っていいわあ。キュンキュンよね。
アバッキオ誕生日ネタを今年はやらなかったので後出し（だって５部開始直前じゃん！
って思って調べ直したら、幹部がスコリッピに会いに行くのは３月２９日だって。五部
日程学会さん調べ。間に合うじゃん！）。
赤い糸が小指ってのは日本風アレンジなようで。元ネタでは赤いロープが足首だそうで、
そこは強烈かもしれんけどロマンティックじゃないよなあ。
赤いワイヤーロープで繋がってる（ことにしたい）お二人さんでした。
プレゼントは、気を遣ってジョルジョーネに手配したプラチナのバングル（「記念碑」
参照）。
あ、それでブチャねーさんはなんでもないです。タルティーニが気を回しただけ（多分
に希望が入ってる）。丁度天使がその辺りを通ってて引っかけちゃったんでしょう。