ツイスター
それはまだおれがブチャラティのことを意識し始めた頃のことだったから、たぶん６月
に入ったかそこらだったんじゃないだろうか。とりあえずジャケットを着てこなくていい
移行期間だった。
部活は退部、スポーツ特待は取り消し、クラスでも浮きまくり、ぼっち街道を中退に向
けてひた走りだったおれの高校生活は、いきなり明るくなった。クラスで浮いているのは
変わらなかったけれど、昼休み、弁当箱を２つ屋上へ持っていけば、極上のきれいなコが
相手をしてくれる……優しくしてくれるというのとは微妙に違っていたが。
ほんのちょっと期待して、尋ねてみた。やっかいを避けるつもりもあったしね。
「ブチャラティ、あんた……付き合ってる奴とかいないの？」
性格はちょっと、いや大いに変わってるけど、なんといってもきれいだし。人種から違う
し。愚問だったかなと聞いてから後悔し始めていたが、
「え？ いないぞ」と、お猫様はあっさりと答えてくれた。
オフクロ自慢のコロッケなんかをぱくつきながら、目を輝かせて続けた。
「あ、好きな奴ならいる」
「あ、……そう」
ほんの少しの希望は、それで消え果てた。そうだよな。べつに食い物で釣ろうとしたん
じゃないけど、でも、食べてくれるから少しは望みもあるんじゃないかなんて思い始めて
いて、ああ、何やってんだおれ、と視線は下がり勝ちになる。
「すっごいハンサム。もう、新都で一番なんじゃないかと思う。一目惚れって言うのとは
違うと思うけど、……ああ、でもやっぱり初めて見たときから忘れられなかったなあ。
小学校からの友達が、わたしは面喰いなんじゃないかって言ってたの、自覚はなかったん
だけど、つくづく今にして思うよ、やばいぐらい惹かれてる。もうね、毎日が違うの、逢
えると思っただけで朝からキラキラーッ」
「……そうですか」
そんな、無駄にキラッキラな顔して。ああ、ほんと好きなんだな。女の子らしいところ、
あんまり感じてなかったんだけど、恋する乙女の顔になってる。
おれはお友達ポジションなわけね。いいです、慣れてます。
「スポーツマンでさ、もう、考え方が健全！ いちいち新鮮で……どうした？」
おれから眼を逸らして赤くなりながらうっとり語っていたブチャラティが、怪訝な顔で
話を止めてくれた。
「なんでもないです」
「なんだよ、ひとに話させておいて。敬語なんか使うな」
笑って背中をはたいてくる。
触らないで。
けっこう無頓着にボディタッチをしてくるコだった。ぼんやり考え込んでいると、いつ
も頭をぽんぽん叩いて、ちょっと独特な話題を振って、頭を強制的に切り換えてくれた。
ホントにしょうがないなあって、下のあねきがおれを構う時みたいに。いや、ローザはもっ
と手っ取り早く暴力的だけど。
自然に、心を開くことができたのに。
高校に入って、初めてできた友達だと思ってたのに。
向こうは確かに友達と思ってるのかも知れないけど。
出会えて嬉しいけど、ちょっと切ない。
もう少し、もう少し早かったらなあって。
このコがカノジョだったら良かったと、真剣に思っていた。
それでも次の日もちゃんと弁当を作っていった。だって、そんな、露骨にやめたら下心
ありましたって言ったようなもんで、恥ずかしい。ブチャラティはなにも解ってないみた
いでご機嫌で平らげてくれて、ほんと、その時は恨めしかった。
そのあと合唱コンクールがあって、おおっぴらにおれはブチャラティが好きだとバレバ
レの行動をしてしまって。……自分でも驚いたけど。
ブチャラティはべつにどうとも言っていなかったが、それからは、廊下を歩いていると
後ろからすぱーんと頭をはたいていったりするようになった。何があったかと狼狽えるお
れを追い越して、振り向きざまにやっと笑ってＡ組の教室に消えていくのだ。昼で良いの
に休み時間におれの組に入って来てこの本を読めと置いていったり。それまでは擦れ違う
ときも知らん顔をしていたのに。
とうとう、クラスのやつにおれは聞かれてしまった。
「ブチャラティさんと、付き合ってるの？」って。
「えッ？ いやッ、ないって、それ、だって向こう、好きなひとがいるッてッ」
とりあえずこっちの気持ちはバレバレな対応をしてしまって、顔はどんどん赤くなって
いたと思う。
「あ？ そう？ 聞いたことないけど」
「なんか言ってた。すごいハンサムなんだってさ」
しょぼくれながら言ってやると、相手はなんだか微妙な顔をしていた。
いやもう、あとで思い出したら、どうしようもない自分をタイムマシンかなんかに乗っ
て埋めに行きたい。
もう清水の舞台から飛び降りるつもりでご本人様に聞いてみたら、ひとの気も知らない
で、
「そういうことは一度ぐらいデートに誘ってから言ったらどうだ」って。
真顔で返されて、おれはまた言葉を失った。
いろいろ考えて、やっぱりおれなんかが誘っちゃ迷惑かと、
「ああ、じゃ、一緒に飯喰ってるだけだって言っとく」と、返すと、
「誘えよ！」って頭はたくし！
ああ、もう、お猫様、凡人にはついて行けません。なし崩しに家に呼ばれて。お友達、
お友達と必死に自分に言い聞かせながら、それでも一縷の望みなんて言葉を頭に浮かべて
いたりして。
振りまわされて、慰められて、ほんのちょっと近づかせてもらって。
そのハンサム様よりほんの少しでも、お猫様にとってかけがえのない存在になれたらい
いなと思っていたら。
「わたしは好きなんだけど」って、あっさり言ってくれた。
だっておまえ、新都一のハンサムは？ 気持ちの良いスポーツマンはッ？ って聞きか
けて、それが自分のことだと気がついてもう頭に血が上って。
「おまえ、それは、なんて過大評価……本人の目の前でよく言う……」
もう途切れ途切れに、意味不明なことしか言えなくて。
「ああ、うん、どうせ気がついてないだろうと思って、せっかくだから……ひとが決死の
覚悟で言ったのに、全然気がついてないんだもんな。泣きそうな顔して。面白かった」っ
て、もう、お猫様はしれーっと仰る。
「面白かったッてッ！」
「面倒なことになる前にちゃんと言ったんだからいいだろ？ 女にここまで言わせておい
て。ほんと、罪な男だ」
青いビー玉みたいな目が、おれをじっと見据えて言う。
「……ゴメン」
お猫様のすごいところは、最後にはおれが謝る方向へ必ず持っていくところだと思う。
べつに構わないけど。
……そうしてのそっとお猫様は距離を詰める。
嬉しいけど。
そして今日、おれはお猫様あらため嫁内定者がくれた誕生日のプレゼントを見て言葉
を失った。
「ええと、ありがとう」
とりあえずは、お礼。
「で……ごめん、どこを面白がればいいのか解らん」
携帯に付けるストラップ、大日本除虫菊の公認だそうで、あのニワトリのマークがちゃん
と再現された蚊取り線香のパッケージと本体がミニサイズになって携帯につける金具に繋
がっている……。
おれの誕生日は３月末なんだけど。
「良くできてるとは思うけど……まだ蚊取りが要る季節じゃないんじゃ？」
「バッカだなあ、おまえは」
ブチャラティは底抜けに明るい顔をして笑って見せた。
「おまえはオールシーズン虫除けが要るだろ」
「は？」
「ハンサムさん、新都一ってのはあながちわたしだけの見解でもないと思うぞ。これから
マケンゲンで露出も増えるんだろ？ 手は打っておかないと」
「ハァ〜？」
「レオーネ、ほんと、ベタ惚れなんだ、おまえが誰かに盗られやしないか、心配で心配で
おかしくなりそう！」
少し目を伏せて恥じらうと、それでもブチャラティは眼を合わせて真顔で言ってのけた。
「バッ、バカヤローッ」
かあっと頬に血が上るのを感じておれは叫んでいた。
「新都神宮で浮気封じのお札ももらってきたが」
「必要ねえッ！」
「ホントだな？ 信じたぞ？ わたし以外の女の子と出歩いたりするんじゃないぞ？ 泣
くからな」
「お、おうッ」
おれは胸を張った。
「なーんて、もてた気になったろ？ ここまでが誕生日プレゼントだ、ハンサムなレオー
ネ」と、また急に顎を上げてふふんといった顔でお猫様は笑った。
「はあぁ〜ッ？」
「あと、これ。おまえ猫好きなんだな」と、つんとすました黒い猫のつるんとしたエナメ
ルのマスコットの付いたストラップもくれた。
「ああ、そりゃ好きだけど……」
もしかして、お猫様呼ばわりしてるのばれた？
「お、おれはッ、犬もネズミ系のちいちゃい奴も小鳥とかも普通に好きだッ！ おまえが
猫に似てるからッ！」とどんどん心を乱して叫ぶと、
「ああ、ふうん？
わたしは最近ライオンが好きになったな」と、お猫様のブチャラティは平然と笑った。
「肌身離さず付けてろよ？」
指で摘んで下げたその手ごと両手で受け取って、心を込めておれは言った。
「大事にするよ」
「当然」
やっぱり上から目線のお猫様は、逢って１０ヶ月でおれをしっかり尻に敷き込んでしまっ
ていた。
振りまわされて、かき乱されて、でもやっぱり楽しい。ホント、ブチャラティと出会え
て良かった。
「明日から補習な。新学期からはクラスメイトだぞ」
「ありがとうございます」
にっこり笑って頭を撫でられる。
もしかして、このコを嫁にってことは、一生支配されるんだろうか……。
まあいいけど。
２１−０６−１１
蛇足。
ネアポリスを遠く離れてニッポンに来てもやっぱりブチャラティに一生を捧げるアバッ
キオでありました。ごめんよ。大丈夫、とりあえず命に別状なくやや平凡な人生を想定し
てるから。……豪快な嫁にいろいろ振りまわされはするけど。
しかしブチャ、よっぽど嬉しかったんだなあ。毎日学校で姿が見られるだけで、もうなん
かアクション起こさんとおれないくらい。廊下をただ歩いてるのを見ても、なんでこっち
に合図もしないで通るんだよってちょっとムッと来て、意味もなくすぱーんと頭を張った
りしたくなる……懐かしい高校時代を思い出しながら書きました。でも、おれの女的に向
こうからベタベタされるとけっ飛ばして逃げるんだな。お猫様の相手は大変。その辺レオー
ネ君は引き気味なのでお猫様逃げれば追うでどんどん積極的になります。さすがだ。ベス
ト・カップル（いやそれはどうよ？）。その辺はフーゴとナランチャががじっくり観察し
てマンションのリヴィングで二人してこそこそ考察してたりする。
お代わり！
冗談じゃねえッ 帰る