記念碑
その朝（６４）
カレンダーが最後の一枚になったら、もう街は狂騒に取り憑かれる。人々は大切な一年
の締めくくりの日を、大切な人と過ごすための支度に取りかかる。ツリーを立て、ショウ
ウィンドウを飾り付け、降誕の情景を再現する人形達（プレセピオ）を引っ張り出す。
春にあった騒ぎも落ち着いて、もうもとの賑やかさを取り戻したネアポリスの街に、そ
の男はひょっこりと顔を出した。忙しくなってしまっていろいろ不安にさせたり不義理を
したりの恋人に、なにかプレゼントして機嫌を取ろうかと、宝石店に足を向ける。
そういえば、この向かいの店は、彼の昔のチームメイトのひいきだった。慎重な性格で、
恋人の誕生日前には、入り浸ってプレゼントの品を吟味していた。彼もチームに入りたて
で、まだ気性をハッキリとは掴めていない頃だったから、ついつい冷やかすのもやり過ぎ
になってしまって、チームの先輩達にはあとで絞られた。
と、ウィンドウに目を留める。あまり派手ではないが、細工のしっかりしたペアリング
が飾ってある。値段もそれなり。プラチナの地金に施された幾何学的な文様が光を弾いて
いて、つい彼はつくづく見入ってしまった。
いや、彼は細工に目を留めたのではない。
リングの内側に、施してある刻印が。
「Ｃｏｎ ｔｕｔｔｏ ｌ’ａｍｏｒｅ」
愛を込めて、というのは月並み。そのあとの名前が、それぞれ、「Ｆｌｏｒａ」、
「Ｌｅｏｎｅ」と。
そういえば、春を迎えてあの静かな男がやけに機嫌良くそわそわしていたなと彼は思い
だして、店のドアを思い切り開けていた。
「よう、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「いらっしゃいませ。なんなりと」
愛想の良い売り場主任は、慇懃に身をかがめて彼を出迎えた。
「ウィンドウの、ペアリングあるだろ、あれは？」
「ええ、あれはアバッキオさんのご発注のものです。今年の３月初めには出来上ってご連
絡を致しましたが、あとで取りに行くと仰せになってそのままに」
彼はあの旅の途中で誕生日を迎え、そして、永遠にそのまま時を止めた。彼女も。
彼らの後始末のためには何度か訪れていたのだが、シマが違うこともあってこの店は取
りこぼしていたようだった。
「気がつかなくて悪かったな。幾らだ？」
彼は尻ポケットを探る。たぶん、持ち合わせでは払えないだろう。だが、まあ、彼の今
の財産で払いきれないことはない。今のボスは懇意だし、命がけの旅に同行したぶんの褒
美は貰っている。なにより、彼らに関係する費用を、今のボスや、今この街を仕切ってい
る組織の人間に持たせることは、彼にはとてもできなかった。
一瞬の彼の感傷を、主任は笑って拒否した。
「とんでもない、結構ですよ」
「おい」
「この刻印は、見えるように置いてあるんです。ネアポリスの皆が、忘れないように。あ
の方達のことは、この街を離れて亡くなったこともあって、新聞記事にもならなかったし、
生きている間も、記録に残ったりはしてません。
けれど、あの方たちが、あんなに似合いで、そして、この街のために命を懸けてくれて
いたことを、わたしたちは決して忘れたりはしません。そういう気持ちを示すために、飾っ
ているんですよ。
それに、あとは、戒めですかね」
「へ？」
親しみやすい黒い目を見張って、彼は間の抜けた顔をした。
「どんなに愛し合っていても、楽しい日々は永遠に続きはしない。あとで、ああ、あの時
にこうしてやっていればと後悔しても、それはなんにもならないということです。
愛情は、形にしておかないと。できれば、当店の品で」
仕立ての良いスーツに身を包んだイタリアーノは、強かにウィンクした。
「なるほどな」
思い当たるところがありまくる彼は背を揺すって店内をキョロキョロ見渡した。
「なあ、ブルネットの、目の緑色の彼女ならなにが似合うかな？」
「それならエメラルドのイヤリングはいかがでしょう？ シニョーレ・ミスタ、とってお
きの石が入っておりますよ」
にっこりと笑って、主任は売り場を手で示した。
ネアポリスの、繁華街。老舗のジョルダーノ宝石店のショウウィンドウには、もう受
け取りに来るものの永遠にいないペアリングが飾ってある。あまりにもはやく逝ってしまっ
た美しい恋人達の形見として。
２３−１１−１０
蛇足。
なにもクリスマスに持ってこなくても。
「素朴な疑問」で見に行って以来「約束」で出来上がりが報告されてそれっきりの指輪、
やっと出せました。しかも、「素朴な疑問」では店の名前がジョルジョーネになってるの
にずっとジョルダーノだと思って書いてた！ ……どうしよう？
最初のクリスマス以来アバッキオ御用達はこっちってことで。途中、「理由」でイエテン
にバングルかっぱらわれてますけどそれは本人に弁償させてます、たぶん。
なにかの都合で、ペアリングはジョルダーノで作ることになったんですね……また伏線
かッ！？ いやもう無理だから。
まあ、店の名前はおいといて。
正史には絶対出てこないけれど、そういう、街の伝説として、ブチャラティとアバッキ
オは残ればいいなと思っています。今生還パラレルとか１巡後高校生とかいろいろ書いて
ますが、わたしの本筋では彼らはあの年のあの春に永遠に時を止めています。そういう本
筋があって、マダムになったブチャラティがだーりんを尻に敷いて市長さんをやっていた
り、元美少女モデルとしてままならない恋をやっていたり（でも尻には敷く）、遠い宇宙
の彼方で巨大ロボットをえいやっと動かしていたりしてもいいじゃないと。
……できちゃったじゃないかあッ！
おまけ。
「まだか？」
女性の方はじれてしまっている。
「済まないな、細かいところにこだわる質で」と、店のスタッフに向き直って、ほんの少
し困ったような、それでも愛しくてならない様子で詫びことを口にする。
「いいえ、お二人の記念のものですから、どうぞ納得いくものを」
ネアポリスの老舗宝飾店、ジョルジョーネの売り場主任はにこやかに相手する。なにし
ろ、この街の守護女神とその情人だ、この店の品を身につけてくれるとなるとその宣伝効
果は計算できない……。
「なんだかこう、ぴんとこねえ、済まねえが……」
解る。
彼がこの街に来て、初めてのナターレで彼女に贈るネックレスの品を選ぶときにも、こ
の並びの同業者がみな倉庫をさらえさせられた。見る眼はあるし、迷っただけのことはあっ
て彼の大切な人に誂えたように似合ったのだ、一緒に悩む甲斐がある。
……彼の好みだと、もう少し幾何学的な模様がいいんですよね、うちの品揃えじゃあ、
ペアリングにそういうものはないかも。ああ、あそこで見たかな？
主任はふと記憶を蘇らせて、言ってみる。
「お客様、あの、この向かいのジョルダーノの店はご覧になりました？」
あの店の出しているシリーズだと、彼の好みにぴったりくるだろう。彼はもう、店の売
り上げよりネアポリスの宝飾品を商う店の倫理観のようなものを優先してしまっている。
「いや、まだだが……いつもこちらに無理をきいて貰ってるから。いいのか？」
義理堅い彼は居心地悪そうな顔になる。
「覗いてみよう。気を使って貰って済まない」
彼女は彼をせき立てて店を出て行った。
プロの眼は確かだったようだ。
彼はもう眉を開いて、頬を紅潮させて、うっとりとそのリングをつまみ上げている。彼
女は携帯を取りだして、ジョルジョーネに繋いだ。
「ああ、本当に申し訳ない。こちらでいいものが見つかったようだ。……そちらには失礼
をしてしまったな、あのバカの誕生日がすぐだから、予算はあの指輪と同じぐらいでなに
かあれに合うようなバングルでも見繕ってくれないか？ ああ、もちろんナイショで。
……やっぱりプラチナがいいかな」
と、ジョルジョーネの店に見に行ったはずのペアリングの出来上がりをジョルダーノの
店が知らせてきたのはこういう事情。
２６−１１−１０
とある健全サイトさんの漫画で、アバッキオがやられて「アバッキオをひとりにしてい
くのかよォッ！」とナランチャが絶叫した後、じゃあ形見にみんななにか貰っていこうと
てんでに髪を切ったりバングル貰ったりし始めて（あろうことかジョルノは手を貰います
なんて言ってミスタにおまえどこの吉良ヨシカゲ！？ と突っ込まれていた）、皆に人気（！？）
のアバッキオ身ぐるみ剥がされるというネタがあって好きだったのですが、ある日見に行っ
たらもう削除されちゃってて泣きました。名作だったのに！ そういえば細いバングルし
てましたねという話。ちゅうりっぷまだ咲いてなかったので指輪は取りに行けなかったけ
ど、誕生日前にちゃんとブチャはバングルを受け取ってプレゼントしましたと。