ＳＯＳ
その朝（２８）
いちおーお年を確かめさせていただきます。
この先、イヤになるほどぬるいですが、まともじゃない性行為をやってる箇所があったり
しますんで、お年が１８才に満たない方と、そう言うシーンでご気分を害される方はお戻
りください。つって、戻りボタン置いてないんですけど。ブラウザの戻る機能使っちゃっ
てください。不親切ですいません。
よろしいですね？
ようこそ緊縛祭りへ（違う！）
えーとね、縛ったり、男のこと無理矢理におかしたり、人前でやったり、してますね。
もう、ナランチャ怯えちゃって大変。
おんなのひとも、むりやりやられてますね。服着たまんま。うしろっから。
とんでもない騒ぎになって。
最後にはブチャラティが「らめえぇぇぇっ」とか言わされてます。ええホントに。
う、嘘じゃないもんっ！！
１
虫の知らせとでも言おうか。
その時、ブチャラティは急に背を震わせた。
年が明けて少し。まだ、寒波というほどのものは来ていない。
しばらくして、自分の声が頭の上でしたので、彼女はいぶかしげにデスクの上の書類か
ら眼を上げた。
……気をつけろ？ ミスタを連れてった方がいいんじゃないか？ もう一日待ってみちゃどうだ？
……過保護だって笑われるぞ、「リーダー」。オフクロさんが病気じゃしょうがねえよ。南の倉庫
街だろ？ やつら昼間は大人しくしてるって話じゃねえか。ちょっと行って見てくるぐらい大丈夫だ。
情報が掴めたら、そん時はミスタに活躍して貰おうぜ。フーゴともそう決めたんだろ？
昼はカルダーノのところに頼んである。なんか見繕って持ってくるって。
……ああ、気を遣ってくれてどうも。
……行ってくる。
最後には、ドアの方をちょっと見て、目の際のところに触れるか触れないかのキスをして出て行っ
た。
つい３０分前の会話が再生されて、最近組織と無関係に派手な仕事をするようになって目に余ると
訴えのあった密輸業者の調査に、市場に野菜でも買いに行くような気軽さで出て行った恋人の姿にブ
チャラティが頬を緩め……たのは一瞬。
恋人兼部下の身に起きた変事を悟って、ブチャラティはすぐさま書類を片付けて立ち上がった。能
力者以外には見ることのできない３Ｄ映像を追って、アジトを駆け出す。
あれでカラビニエリ（憲兵隊）との対抗戦で３人抜きの伝説を作った男だ。ふつうの密輸業者ふぜ
いに後れを取ったりはしない。なにより慎重な質だから、ヘタを打って捕まったりもそうそうはない。
フーゴのように積極的に謀を立てて大きな作戦を成功させたりはしないが、個々の局面では自分のス
タンドの特性を知り尽くした頭のいい戦い方をして、確実に戦果を挙げる。
だから、このムーディ・ブルースの再生映像は、ただの悪ふざけではない。
能力者本体は、もはや身動きが取れない状態で、助けを求めているのではないか。
ブチャラティはそこまで読んで、誰にも言わずにアバッキオの再生映像を追っている。本人は、ヘ
タを打ってリーダーにフォローされることを屈辱と思うかも知れないが、ナランチャあたりに救出を
指示してもまたこの男のプライドを傷つけるだろう。
……まあ、あとで精神的フォローは幾らでもしてやれるから。
彼の扱いのうまいフーゴ辺りを出して、久し振りの実戦に張り切ったパープル・ヘイズが大暴れし
て大惨事になるのも避けたいところなので、ブチャラティは自ら救出に向かった。
恋人の身が案ぜられて、居ても立ってもいられないというのも、もちろんあるのだが。
……なんだ結構頑張ったんじゃないか。
ブチャラティは感嘆する。ムーディー・ブルースに道案内させるまでもなく、指示した南倉庫の奥
に足を進めてすぐ気を失って倒れ伏したり、腹を抱えて呻くチンピラが点々としていて、いい目印と
なっている。ムーディ・ブルースは、賄い中心の生活でもまったく鈍っていないようすでアバッキオ
が彼らをたたきのめした様子を忠実に再生してくれている。
……惚れ惚れするよ、まったく。
それは中国拳法の演舞か、アクション映画の擬闘のようで、動きにまったく無駄がない。ヒーロー
一人を目立たせるためのものということまで同じだ。見ているのが自分一人なのがもったいないぐら
いだ。
「銃を持ってるのが７……８人、うち、マシンガン２丁ってとこか。あとはナイフぐれぇだな。リー
ダーは奥の金チェーンか？」と、ざっと調べた内容を独りごちてくれるのも助かる。
……自分のスタンドをメモ帳代わりにするんだからな。生まれつきのスタンド能力者はさすがに慣
れてる。
単純にケンカに使うには弱いが、なかなかどうして、使いでのあるスタンドだ。
……そんなに気にしなくってもいいのにな。
マフィアだって、出入りばっかりやってる訳じゃない。ケンカの仲裁やら、上納金の取り立てやら。
腕っ節が強いだけでやっていけるほど単純な世界でもないのだから。
……ナランチャの方が心配だよ、先行き。
自分の将来などは考えたこともない女ギャングだが、さすがに自分を慕ってこの世界に飛び込んで
きた少年の行く末は気がかりだ。
……せいぜいわたしが長生きして、引き立ててやらなくちゃな。
しぜん、唇に微笑みを浮かばせて、恋人の立ち回り映像をブチャラティは鑑賞している。様子見だ
けのつもりが、始末まで今日中に終わりそうな勢いだ。銃を持っている一味も、仲間を盾に取られて
狼狽えるばかり。あまり肝の据わった連中ではないということだ。
……おや、チェーン・デスマッチか。さすが、バカじゃないな。
アバッキオの戦闘能力に恐れをなした、首に金のチェーン・ネックレスをした男が、隙を見てアバッ
キオの脚にその辺に落ちていた鎖を絡めた。さすがに動きを封じられてアバッキオがよろめいた。手
が緩んで、質に取っていた男がようやく逃れ出て息をつく。
映像は、時々ぶれるがまだしっかりしている。アバッキオは特に命に別状はないだろう。この鎖に
絡め取られてしまったというところか。
「……レオーネ、わたしだ。もういいぞ」
ブチャラティは声を低くして呼びかけた。
動きが鈍くなったところへ、鎖が２重３重に巻き付く。両腕を封じたところで、意趣返しのように
顔に拳が叩き込まれる。これ以上の再生は無意味だ。
と、声を聞きつけたのか、再生速度が上がる。
鎖に絡められながらも身を振ってなおも威嚇する。まさに、獅子が捕らえられようとしている様を
彷彿とさせる。
あ。
隙を見て、金チェーンのリーダーに飛びかかり、もみ合って倒し、下に敷いた。頭を振り下ろして、
猛烈な頭突きをお見舞いする。何度も、何度も。
プラチナの髪が繰り返し舞い上がる。鈍い打撃音に続いて、制止の声が上がる。額が切れて血が滲ん
だ。
ブチャラティは、自分が固く拳を握りこんでいるのに気づいて手を開かせた。
「もういい。レオーネ、もういいんだ……今、どこにいるかを見せてくれ」
急いで足を進めると、たしかに倉庫の隅に、目立つプラチナの髪がうっすらと光を放っていた。
前方で二人の男がおびえを押し殺しつつ説得しようとしているのが見えてきた。
「いつまでもそうやっていられるわけもないだろッ。な、お頭を放してこっちへ来い」
「仲間を呼ぶことだって出来ねえしよ？」
「いや、もう来た」
「なにッ！？」
銃を構える前に、スティッキィ・フィンガーズの腕が伸びてその銃ごと彼らの腕を切り離す。
はっきりと、戦意を喪失して彼らは腰を抜かした。
「レオーネ」
「済まねぇ、手間かけせちまったな」
血まみれの顔は昂然と顎を挙げて、晴れ晴れと笑っていた。
頭突きをあんなにお見舞いして。
自分も脳しんとうで、意識を保っているのがやっとだろうに。
激闘の記録を、つぶさに尊敬する上司に目に入れることができた満足の表情で。尻の下には、もは
や息も絶え絶えな密輸業者の頭目をしっかりと敷いて質にとっている。
役目を終えた彼のスタンドが、淡くなって消えた。
「そんな！ 上出来だ」
駆け寄って、ブチャラティはその肩を抱きしめていた。
「みっともねえところ、見せちまって」
なおも笑いながら言うその首を支えてやりながら、ブチャラティはハンカチで額の血をぬぐってや
る。
「いや……そうでもない。男が身動き取れなかったり、傷付いて弱っているのはこう、なにか……ワ
クワクするものがあるな」
フーゴがいたら、長いつきあいと掛けられた迷惑とを盾に、「あんたおかしいですよ」とはっきり
言ったことだろう。
惚れた弱味のあるアバッキオは、ただ黙って恋人を見上げた。
「だいたい、逆に男が自慢げに鼻息荒くのし掛かってくるのは、むかっ腹が立つ。相手がおまえでも
腹に一発ぶち込んでやりたい気がする」
「……あんた実際おれの急所蹴り上げてくれたよ、いちど」
おや、そうだったかなとこの佳人はそらとぼけた。
「とりあえず傷を確かめないとな」と、服の下に手を入れようとする。
「おい、ほどくのが先だろう」
「バカ言え、きつく締め付けてるから血が止まってるのかも知れないんだぞ。ほどいたとたんに血が
勢いよく吹き出てまた入院てことになったらどうする」
そういえば、前に腹を撃たれて入院していたときもこのひとは妙なテンションだった。
「あんたって、ギャングをやってなければ教師向きだと思っていたが、看護師もいいかもな」
アバッキオはため息混じりに言って眼を閉じた。
「そう褒めるな。おや、なにげに深いなこれは。待ってろ、今スティッキィ・フィンガーズで塞ぐ」
と、左の二の腕にナイフの創傷を見つけた。
「深いって言うな……いや、本当に致命傷ならこのまま逝かせてくれ」
「なにをバカな……今ナランチャを呼ぶから。大丈夫だ。また聖アンナがいいか？ あそこなら顔が
利くからわたしが２４時間看護してやれるぞ」
「……よせ。チームに迷惑がかかる」
「遠慮するな」と、傷口に舌を這わせておいて、
「額の傷は浅いな。ああよかった。こんな目立つところに傷が付いたらもったいないところだった」
と、ひとも無げにブチャラティは言う。
「……あの、すいません、お取り込み中のところ」
身じろぎしたアバッキオの尻の下から、遠慮がちの声がかかった。
「なんだ、まだ生きてたのか」
短く、無関心にブチャラティは言い捨てた。
「殺してねえよッ！」とアバッキオが慌てる。
頭突きで人が殺せるものか。
「ちょっと黙ってろ」
２人に言っておいて、ブチャラティはサビの浮いた鎖をスタンドで切り裂いて恋人のからだを解放
した。そのまま手を滑らせて、骨の折れたところがないか検める……それ以上の意味合いもあるよう
だが。
「右腕はやばいな。当分固定して置いた方がいい……折れてまではいないと思うが」
てきぱきと、その辺の木箱の破片の木ぎれを当てて固定する、だけではない。
「おい……？」
そのままアバッキオにのし掛かって、「口の中も切っていないか検め」て。憐れな密輸業者には二
人分の体重がかかった。ぐええ、とうめき声が上がる。
どうも、本格的にスイッチが入ってしまったらしい。
「シニョーラ、おれのほうの手当は……」
「なにを甘いことを考えているんだ。組織に逆らって勝手なことをやって、おまけにうちの部下をこん
なにして、生かしておいて貰えると思っているのか。パッショーネはそんなに甘くないぞ」
ブチャラティは邪魔とも思わずに言い捨てる。
恋人のギャングらしい醒めたところを久々に目の辺りにして、アバッキオは胃の腑が冷えていって
いるようだ。
「惚れ直したぞ、レオーネ。８人では切りが悪いからこの際１０人殺ったということにして『アミー
ゴ・ディ・パッショーネ』に載せて貰わないか？」
「なんだそれは？」
「組織の会報だ。『パッショーネの友』。読んでないのか？ 毎月本部から出てるのに。アジトに置
いてある。あれの星占いは結構当たるとナランチャが言ってたぞ」
「ハァ？」
……そう言えば、フーゴがいつも真面目な顔をして読んでいる小冊子があったと思ったが……。
「先月の『お屋敷探訪』はフィレンツェのモンテッソーリさんのところだった。一番いいのは薔薇の
季節だそうだが、冬の風情もなかなかだったぞ。ああ、『今月のＭＶＰ』のコーナーだ。タルティー
ニさんは若い頃あれに取り上げられて名を売ったんだ。グリマルディーニを支える若きブレインとか
いって。おかげで結構よその支部にもファンがいるらしい」
「……どういう組織だよ」
あからさまにアバッキオは呆れた。
「この前のテロ事件の活躍でおまえには取材申込が来てたのを止めてたんだが。この際受けてみるか？
その代わり『恋人募集中』なんて冗談でも言うなよ？ このブチャラティに身も心も捧げていると明
言して貰うからな。写真は絶対メイクも付けて貰ってきれいに撮ってもらえよ？ ガラヴァーニのお
嬢さんがプライドをかなぐり捨てて買い占めるだろうな、これはちょっと面白いかも……」
「フロラ、あのな……」
アバッキオは精神的疲労から意識を保つのが難しくなってきた。
「組織に入れば毎月送られてくる。ちゃんと読めば手入れの情報とかも載ってるのに、勝手なことを
するからこういう目に遭うんだ。一度挨拶したら、あとは毎月上がりの半分をわたしに持ってくるだ
けで良かったのにな。
こいつはうちのチームでも一番『使えない』能力しか持ってないが、それでも本気を出したらこれ
ぐらいはやれるんだ、まったく、舐めたことをしてくれたよ」と、また唐突に脱線から戻って密輸業
者を締め上げる。
「シニョーラ、本当に、申し訳ないことで、これで心を入れ替えて組織に従いますから、命だけはお
助けを」
「甘いと言ってるだろうが。死体はもうしゃべるんじゃない、レオーネの気が散るだろうが」と、表
情を崩さずにブチャラティは自らもスーツのジッパーを引き開けた。
「ちょーッ！ まだ生きてますッ！」
「フロラ！ こんなところで始めるなッ！」
アバッキオは羞恥から全身の力を振り絞って叫んだ。
「止めるなよ、レオーネ。なんだかわたしは今とっても、その気だ」と、構わずブチャラティは目を
潤ませる。
「落ちつけッ！ あっちにもこっちにもまだ転がってるッ！」
「生きてなければいいんだろう？ しょうがないな……ああ、がんばったなレオーネ、こいつは右手
を複雑骨折してる、そら、肘のところの骨がきれいに皮膚を突き破ってここに」と、冷静に描写のあ
とは傷口を思い切り踏みにじる。絶叫には、
「やかましい」と、さらに歯を折る音が続いた。
「あと７人だっけ？ ちょっと待ってろ」と、すたすたと歩き去っては、
「ウーノ」
「ドゥーエ」と、容赦のない打撃音とともに数を数え上げる声がし続けている。
血のにおいが、濃くなった。
「あとひとり、この辺にいなかったか？」
白地のスーツを血に染めて、ネアポリスの守護女神が戻ってきた。否。その姿は、性（エロス）と
死（タナトス）とを強烈に志向する異教の戦いの女神を彷彿とさせた。
「うわあぁぁぁぁっ！」
恐怖に耐えきれず、身をすくめてやり過ごしていた手下の一人がマシンガンを発射した。
「動くなって、言ったろ？ わたしのレオーネは、繊細なんだ」
スティッキィ・フィンガーズの腕がジッパーを引きずって伸びて、マシンガンを構えたままの両手
を切り落した。
引き金が引かれたままなので、銃は反動で床を這い回りながら弾を虚しく吐き出している。
「ひ、ひニョーラ・ブりャラりィ、あんふぁに上ふぁりの６割うぉりょうのうふるはら、ふぉるんろ
ももいろりられは、おらるれろ……」
回らぬ舌を必死に動かして、瀕死の密輸業者は懇願した。
「フロラーッ！ 聞いたか、条件を呑んだぞッ！ おまけにおまえの取り分を割り増しだッ！ 余計
な殺しをするんじゃねえッ！ ポルポに言いつけるぞッ！」
アバッキオも必死で上司の暴走を食い止めようとする。
「そうか。じゃあ、サインができるようになったら書類を回すから。２度目はないからな」
けろりと振り向いて、ブチャラティはアバッキオのそばへ戻った。
「悪いが、目眩がする。とてもおれは今その気にはなれねぇ」
荒い息の下からそれだけ言って、アバッキオは眼を閉じた。
「おや、そうか？ 可哀相に」と言いつつも、手は未練げにその部分を撫でている……。
「う」
生命の危機を感じたのか、種の保存本能が多少の反応を示した……。
「おや」
ブチャラティは眼を細めた。
「大丈夫そうじゃないか」と、身を乗り出す……。
「フロラ……」
「ひ、ひニョーラ……」
「「頼む、医者を呼んでくれーえッ」」
心を一つにした二人の心の底からの叫びが倉庫にこだました。
その頃、同じ倉庫の陰には、ムーディ・ブルースのアバッキオを血相変えて追いかけてゆくブチャ
ラティを見かけて後をついてきたナランチャが、全身を冷や汗に膝を抱えていた。
「おれはなんも見てねえ、なんも見てねえぞッ……」
２
翌日。
「レオーネ、喉が渇いたろう。エスプレッソはどうだ？」
「……」
「ああ、刺激物はまずかったな。じゃあ、ハーブティーにしておこうな。フーゴのミントティーを貰っ
てきてやろう」
「……」
右手を吊って仏頂面のアバッキオを、朝からブチャラティがしきりと構っている。ほとんどが意識
がなかった（と本人達は主張している！）とはいえ、大勢の前で身体を弄ばれてしまったことでアバッ
キオは羞恥と自己嫌悪で機嫌が悪い。
「『リーダー』、おれは昨日から考えてるんだが」
「何をだ？」
「密輸業者が組織に払うのは上がりの３割でいいんじゃなかったか？ 今年から上がったのか？」
「いいや？」
「あんた、あのとき５割って言ってなかったか？」
「そうだな。愛しいおまえの無惨な様を見て逆上していたからな、細かい数字は間違えたかも知れな
いな」
「……良く言うぜ」とかぶりを振るアバッキオの背に、ブチャラティはひしと抱きついたが、
「痛てえ」と、あっさり身をかわされる。
そこへ、クリスマスの帰省から、母親の具合が悪いと言って居続けになっていたミスタがようやく
ネアポリスに戻ってきて顔を出した。
「うーっす！ お二人さん今年もよろしくー！」
「ああ、ミスタ、オフクロさんの具合はもういいのか？」
ブチャラティが、さりげなく背を伸ばして姿勢を正した。
チームの皆は家族との縁が薄いから、電話で、
「いやーオフクロが寝ついちまって」と一言聞いただけで、２週間もの不在を許してしまっていたの
だが。
「え？ あ、ああ……」
露骨にミスタの目が泳いだ。
「オフクロさんはもういいんだな？」
ブチャラティが重ねて聞く。
「ああ。元気元気」
ミスタは背を向けて、去りかけた……。
「ミスタ。おまえの援護がなかったから、アバッキオはひとりで出かけて右には骨にひび、左腕には
全治３週間の切り傷を負ったんだが、おまえは実家に帰っていてオフクロさんの看病をしていたんだ
な？」
ブチャラティの声が凄みを帯びた。
「いや、ちょーっと帰りに寄り道をしてミリッツァと婚前旅行をしたかなー、２．３泊」と、ミスタ
はあっさり口を割った。
「惜しかったな。昨日帰ってきてくれればアバッキオは怪我をしなかったんだが」
窓の外をブルドーザーでも通っているのだろうか、なにやら地響きがするような気がしてアバッキ
オは身を竦ませた。丁度ドアを開けて入ってきたフーゴが、ブチャラティの顔に目を留めてそのまま
硬直してしまっている。
「ミスタ、ちょっと……」とブチャラティが声を掛けた……。
「とりあえず逃げろ！ おれがなんとかするッ」
立ち上がったアバッキオが、不自由な両腕でブチャラティを羽交い締めに抱き留めた。
「なんとかって、あんたなんとかできるんですかッ！」
道を空けてミスタを逃がしてやりながら、フーゴが怒鳴り返した。
「やってみなきゃわからんだろうッ！ フロラ、悪く思うなよ」
「レオーネ、放せッ！ ここで締めないとミスタはまたやるぞッ！」
ブチャラティは本気で怒っている。昨日の密輸業者のリーダーへの脅しとはまた別の迫力を漲らせ
ている。
「いいからとりあえずあんたは頭を冷やせッ」と、左腕で抑え込んでおいて、脇の下から前へ通した
右手がスーツの襟元を掴んで引き裂いた。
「ちょ、アバッキオ！」
フーゴが青ざめる。
「２……１時間でいいから誰も通すなッ」
せっぱ詰まった抑えた声が、アバッキオの口から漏れた。
「はいッ」
音を立ててドアが閉まった。
「レオー……よせッ」
「ごめんな」
短く謝っておいて、テーブルに身をうつむけて押しつけながら、首だけをねじって自分の方を向か
せ、アバッキオは強引にブチャラティに口づけた……。半分だけ両腕を引き抜いた袖同士を絡み合わ
せて、腕を封じる。押し下げられた下着から、かたちの良い胸がこぼれ出る……。
３
「喉が渇いた」
擦れた声が上がった。
上半身はスーツ下までだが、下半身はきちんと服を整えさせて、ブチャラティはカウチに身を投げ
出していた。
黙ったまま、アバッキオがミネラルウォーターのボトルを運んできて、キャップを取って差し出し
た。
「飲ませてはくれないのか？」
誘うように見やっても、アバッキオは黙ったまま背を向けた。窓を開けて、空気を入れ換える。風
はないが、やや湿った冬の空気が静かに部屋を浸してゆく。
「寒いじゃないか」と、抗議した「パートナー間性暴力の被害者の女性」に、ばさりと毛布が掛けら
れた。
「うしろからでもヤれるんじゃないか、この石頭……」
挑発にも、乗ってこない。
「…………とっても、ヨかった」と、ここまで言ってやっても、無言。
喉を湿して、間を取って、
「ジャケット、弁償しろよ？ それと着替え、取りに行ってくれ。場所は判るな？」
重ねて言っても、アバッキオは返事もしない。
「ミスタにはペナルティを負わせるぞ。それは当然だからな？」
「……ああ」
ドアを開けようとして、それが外からふさがれているのに気づき、ノックする。ドアが開けられ、
顔を覗かせたフーゴはすぐさま手を前に出して何か言うのを押しとどめると、、ヘッドフォンと、そ
の下に詰め込んだティッシュを急いで耳から外した。
「当分足腰立たねえって本人は言ってるがな。言ってるだけだから眼を離さないでやってくれ。着替
え取りに行ってくる」
「『来る』んですね？」フーゴが、上目遣いに質した。前髪の奥から、青い眼が光っている。
「ああ。
仲間がアジトでみんなやられたのがトラウマになってるみてぇだ。頼むから、身体が動くようになっ
たの確認するまでついててやってくれ。
ミスタの行き先も、突き止めておくから」
そう言って、アバッキオは出て行った。
「フーゴ」
静かな声が、室内からかかった。
「エマヌエル司祭様に連絡を」
「解ってます」
恋人の部屋に逃げ込んで、頭から毛布を被っていた彼は、ドアが開くなりもう１人の自分が駆け込ん
できて、見苦しいことを喚き散らすなり、すぐ横に潜り込んで震えだしたのを見てあっけにとられた。
すぐ次の瞬間には自分の携帯が鳴っていることに気づき、覚悟を決めて電話に出た。
「……あーアニキ、済まねえ」
「そんなとこに逃げ込むんじゃねえ。彼女にまで迷惑かかるだろうが」
「怪我、ひでぇのか？」
「たいしたことねぇよ。降りてこい、ミスタ。ブチャラティは来てない」
静かな声に、彼、グイド・ミスタは従った。
その日、ネアポリス刑務所に収監中のポルポに面会人があった。
「話があると言って来たのはおまえのほうなのだから、おまえが何も話さないのではわたしはなにも
しようがないのだがね。
……腹は減っているか？ ワインはどうだ？ まだ若いが極上の白だぞ」
ポルポは、いつもの調子で面会人に声を掛けた。
「チームを、抜けさせてもらうわけには行かないだろうか？」
青ざめた顔のブチャラティ・チームの……ポルポはあまり下っ端を細かく認識していない。どうも
よく思い出せないと思ったら、見かけの特徴がかなり変わっているせいだった。
「ああ、思い出した、おまえか。どうした？ ブチャラティとケンカでもしたのか？」
たしか、チームに配属になった後顔を見せに来て、ブチャラティが少し顔を赤らめて、彼と付き合
うことになりました、と小声で報告した。あの色気というものを母親のお腹に忘れてきたような小娘
が、と少し愉快な気持ちになったことを覚えている。
「おれがいると、ブチャラティがその……冷静な判断力をなくすようだから」
「ほほう」
あの！ 情事の時にも眉一つ動かさない！ だまし討ちのように処女を散らしてやっても、擦れた
ようなうめき声だけでただ耐えていた小癪な小娘が、この男には血道を上げて冷静な判断力をなくす
だと！
「詳しく話せ」
ポルポは身を乗り出した。
「あーフーゴ？ ねーさんいるか？」
すぐ翌日、ミスタから電話が入って、とりあえずフーゴはいつもの調子で出た。
「いますけど？ 謝る気になりました？」
「いやまだちょっと。会わす顔がねえって言うか」
「しおらしいですね。今どこです？ ……アバッキオに会いましたか？」
「ああ。ムーディー・ブルースで追っかけてこられて捕まった。
説教されたぜ。川向こうまで送ってくれた」
「ああ。彼はなんて？」
「これが逆で、怪我したのがブチャラティだったら、おれもおまえを半殺しにしてるって。
……ありゃあ、マジもんの殺気だったぜえ？ まだおれ、ねーさんに会う気力が湧いてこねえ……」
「嘘吐いて彼女との旅行でしたからねえ」
「『あいつらは、家族との縁が薄いから、とくに気を遣って、ナランチャなんか毎日お祈りまでして
たのに、くだらねえことのために騙したのが許せねえ』って。……悪りかったよ」
そうだ。フーゴでさえ、母を気遣って一日に何度も実家の方角をぼんやり眺めていてしまった。ア
バッキオに見られていたのは不覚だった、とフーゴは一瞬思いを巡らせる。
「まあ、伝えておきましょう。アバッキオは一緒なんですね」
「いや？ ……やつはもうダメだろ。目が死んじまってた。ねーさんを止めるためになにやったんだ？」
「ええッ？ ちょっと、ミスタ？」
「ポルポのところへ行って、チーム抜けさしてくれって直訴したらしいぜ。こっちでも全然遭わねえ」
「全然遭わねえじゃないでしょうッ！ 責任感じたら少しは情報収集のために動いたらどうなんですッ！？」
「うをッ、叫ぶなよ、耳痛てぇ……解った、解ったって」
４
結局、アバッキオはその日戻ってこなかった。正しくは、ちゃんとブチャラティの着替えを持って
現れ、着替えまで手伝ってから、ミスタを探しに行ってくると言って、消えたのだ。
「本当に教会には行ってないんだな？」
オフィスの自分の席で、肘をついて組み合わせた自分の手に顎を押しつけて、さすがに憔悴を顔に
滲ませて、ブチャラティはフーゴに尋ねた。
「エマヌエル司祭様にはすぐに電話を入れて、顔を出したら引き留めるようにお願いして置いたんで
すが、立ち寄ってないそうです。その他の教会へも。もしかしたら、キリスト教系でないカルトに引っ
かかったという可能性もありますが」
「ばかな」
短く言い捨てたが、笑いはまだ浮かばない。
「身投げの可能性も考えて、めぼしい橋と岬にはグリマルディーニから見張りを立てて貰ってます」
「縁起でもない！」
「あのひとはあんたの目のことをネアポリスの海みたいだとかなんとかいつも言ってましたから。行
くなら海のほうかなと」
「やめてくれ」
ブチャラティは顔を振って遮った。
「なにか……食べた方がいいですよ」
「食べている。わたしはそういうのは割り切れる方なんだ」
「嘘ですね」
フーゴも青い眼を光らせて短く指摘した。
「おまえこそナランチャと食べに行っておいで。おまえがわたしに張り付いているからナランチャも
食事に行けないだろう」
「あんたが元気いっぱいに動けるようになるまで側を離れるなって、あのひとにいわれてるんです、
ぼく」
繰り返し、ブチャラティを頼んで出て行ったのだ。その胸中を思うと、とても彼女一人置いて食べ
に出るなんてことはできない。
「なんだ。じゃあ、大丈夫だから行ってこい。ほら」と、立ち上がったブチャラティが、よろけた。
「ほら！ 言わんこっちゃない！」
フーゴが駆け寄って支える。その肩に手を置いて顔を伏せて隠しながら、ブチャラティは血を吐く
ように告白した。
「倉庫でやりすぎたから、仕返しなんだと思ってたんだ。ミスタを怒ったのはリーダーとして正当だ
と今でも思ってる！ ただちょっと度が過ぎていたのは事実だ、止めてくれたのは感謝してる……そ
りゃあ、紳士的な方法じゃあなかったが、怪我は特にしていないし。……やつがあんなに傷付くなん
て思わなかった！」
手を伸ばして、その背を撫でてやりながらフーゴも嘆息した。
「あのひととにかく考えすぎますから」
しばらくして、顔を隠しながら、ブチャラティは姿勢を正した。
「里心がついて、家を見に行ってるのかも知れない。顔は出せないまでも」
「だといいですね」
そうだ。家に帰れないで家族を遠く想っているのはアバッキオもだったのだ。ミスタはそういう複
雑なチーム・メイトの事情を土足で踏みにじった。
……そりゃあ、怒るよな。
久し振りに見たブチャラティの真剣に怒った顔というのを思い出して、フーゴは自然、肯いていた。
「なんで被害者のわたしの方が気を遣わなくちゃいけないんだ？」
威勢のいいのは口だけ。アバッキオが行方をくらましてから３日。ブチャラティだけでなく、フー
ゴもナランチャもすっかり着信音には敏感になってしまっている。ブチャラティはよく眠れていない
ようで、しきりと目を擦っている。
街の衆にも聞いているが、アバッキオの行方は掴めない。さらに、フィガロからは、とてもブチャ
ラティの耳には入れられない恐ろしい話が入っている。フラットの自室が片付いているのはいつもの
ことだが、どうやら覚悟の出奔のようだ。
「わたしだ！ ああ、お久しぶりです、グリマルディーニさん。いいえ、そんな。どうしたんです？
御自ら。いえそんな、ええ構いません……」
電話の相手は川向こうのご隠居であるようだ。作り笑いをしながらブチャラティの手は要件をメモ
して行き、フーゴが手元を覗き込んだ。
「晩餐会？ そんな悠長な。どんな客ですか？」
電話が終わってから、フーゴが詳しく問いただす。
「知らん。ポルポさんからの紹介だそうだ。アバッキオが怪我をしたとこまでは知られているから、
気を遣ってくれたのかも知れないが……」
「いいですよ。ぼくら適当に食べてきますから」
２人も欠けているから、十分寂しい食卓だ。目先を変える方がいいのかも知れない。
「済まない、だいじなお客さんらしい。バッチリ化粧して、胸の空いたドレス着て来いだと。コンパ
ニオン扱いだぞ」と、鼻を鳴らす。
「まあまあ、あんたはふつうのコンパニオンよりよっぽどきれいですから、一人で二人分以上の働き
ができるってことで。
気分転換に行ってきたらいいじゃないですか。そのお客が好みでなかったときには、タルティーニ
でもからかって」
「タルティーニさんには、子供の頃を知られているからあんまりふざけたことはできないな」と、ブ
チャラティは頭を振った。
「あんたも結構固いんですよね。ああ、ほんと、お似合いだったのに」
「過去形で言うなよ……」
ブチャラティのとぼけた顔が、一瞬崩れかけた。これは本当に、ドレス・アップでもして気分を盛
り上げて貰わないと。フーゴは貸衣装屋に電話を掛けた。
化粧はそんなに好きじゃない。友達がいちいち仕込んでくれたから一応はやれるが、そんなことに
毎日金も手間も掛けていると思われるのがいやだ。皆が言うには一応そこそこ見られるらしいから、
化粧をしないで出歩いてもそうそうひとを不愉快にもさせないらしいし。日頃は粉を吹いたり突っ張っ
て自分が困らない為の最低限のものをつけている。
化粧をすると喜ばれる、引いては自分にも利益となる場というのを理解してからは、そういう場に
はちゃんとしていくようにしている。自分に利益をもたらすように。持っているものはなんでも利用
する……。だから、場に応じたドレスを着るのも、最近は楽しいと思うようになってきた。特に、き
れいだと喜んでくれる男ができてからは。
自分は何をやっているのだろう。誰よりも大切な男が傷心を抱えて姿を消したというのに、化粧を
凝らして、着飾って。目の周りに陰影を濃く付けても、唇を艶やかに彩っても、憂いの色は消えない
し、面やつれは隠せそうにない。だいたい、目の焦点を合わせるのが大儀で、今日はどうもうまく線
が引けない。化粧がキまらないから心も浮き立っては来ない。きりがないので化粧道具をしまうと、
ブチャラティは鏡の前を去った。
「ちょ、ブチャラティ、その……襟元、どうしたんですか？」
フーゴがヘンにうわずった声を掛けてきた。
「ああ？ やっぱりなんかヘンだと思うか？」と、ブチャラティは自らの胸を見下ろした。黄みがか
かった緑のような薄い斑点が、いくつも浮かんでいる。丁度２，３日経過した打ち身のような感じだ
が、ふつうに打ち身ができるようなところではない。
「前にはありましたっけ？」と、言って自分でも無意味だとフーゴは思っている。ブチャラティは、
いつものスーツでは胸元は広く開けてレースの下着を見せつけているが、そこから上はハイネックの
襟まで覆って隠している。誰の目にも触れさせていない部分だ。
「さあ、どうだったかな」
案の定、自分の容姿に無頓着なブチャラティはあっさりと流した。
……ぼく、実際それをつけて経過を観察したことはないですが、これまでの経過を考えて、それっ
て、もしかして、もしかしていわゆる……！！
黙って考えを巡らせながら、フーゴは顔に血を上らせている。
「ああ、大丈夫だ、この際グリマルディーニさんに見て貰ってくる。黄疸なんかじゃないと思うぞ」
「違うと思います」
それはあっさり否定しておいた。
「サンドラさんはなんて？ お化粧手伝ってくれたんでしょう？」と、そう言うことに詳しそうなブ
チャラティの心の友にすがろうとしたが、
「残念ながら、旦那とまだエーゲ海クルーズの途中だ。いつか成り上がってこっちがご招待する立場
になろうな」とブチャラティはこともなげに笑った。
……ああッ！ もうッ！ 役に立たないッ！
フーゴは心中地団駄を踏んだ。
「ああ、それで……その眉、自分で描いたんですか？」と、そっと尋ねる。
「そうだが？」
「随分左右でかたちが違っちゃってます。あんた、今日はあんまり目が見えてないんじゃ？ ぼくが
直します？」
「実はちょっと霞んできてる。明るいものを見るのがキツイ、かな？ なに、ばんめしを食うだけだ
ろ？ 大丈夫。
行って来る。悪いな……もしアバッキオから連絡があったら」と、未練な念押し。
「解ってます。こっちは気にしないで楽しんできてください」
フーゴは笑って請け合った。
迎えの車に乗って、ブチャラティは出かけていった。
「なあ、フーゴ、あれってさ、……じゃねえの？」
「やっぱりきみもそう思う？ ナランチャ」
「アバッキオもやるときはやるんだな……おれなんかもう大人になんのが怖ええ」
「何言ってるの……」
今までキスマークの一つも付けさせたことがなかったブチャラティ。禁欲的で、強くて、純粋で……
そしてやっぱりどこかがヘンだ。
「ホントに、一体どこにいるんでしょうね……ナランチャ、今まで電話って一度もかかってきてないよ
ね？ 本人以外でも」
「えー？ 一昨日かな？ タルティーニがなんか言ってきたけど、アレ違うよな、服のサイズ聞いて
きただけで」と、大きな目をくるくるさせてナランチャは言った。
「サイズ？」
「ああ。アバッキオの首周りはいくつだって」
「それで、なんて答えた？」
「この秋スカルラッティでタキシード作ったからそっちへ聞けって」
「ああ、まあ、そうですね。４………３ぐらいだったかな？ 格闘技で鍛えてるから意外と太いんだ
よね、彼。でも、なんでタルティーニがアバッキオのサイズなんか」
「あのカッコ真似したいのかもよ」
「そんな！ グリマルディーニは表の商売もやってるからその辺厳しくて、オフィスへの出入りはスー
ツ着用がルールなんだよ？ それに、首のサイズが要るような服、アバッキオはふだん着てない」
「じゃーなんだよ？」
「アバッキオの着るスーツ一式を調達しなきゃならなかったんだろうね」
「ってことは？」
「川向こうにいるってことじゃないか。ああ、やっぱり」
「やっぱりなのかよ？」
「そうだよ。彼は行くところがなくってブチャラティに拾われたんだから。ここ以外に行くところは
ないんだ。……もっと早く解っていればブチャラティが早く迎えに行けたのに」
「そーだな」と、ナランチャも破顔した。
「なんでもっと早く言わないの。電話番もできないんですか、このクサレ脳味噌」
安心から、フーゴの口は悪くなる。
「フーゴ、そんなこというかよ！」
「言いますよ！ あれだけブチャラティが心配してるってのに、なんで情報を握ったままでいられるん
ですかッ！？ でも、もう向こうに出ちゃったし……じゃあ、だいじなお客人ってもしかして。
……まったくあのじいさん、さすがあの年まで生き延びてきただけあるなあ」
「どゆこと？」
「ま、ただのぼくの考えですから。ナランチャ、久し振りに二人でどっか食べに行きましょうよ」
フーゴは一足先に肩の荷を下ろして笑った。
「ああッ！」
５
「ポルポさんからご紹介の、大切なお客様なんだけど、全然なにも召し上がらないの。ブチャラティ
さんみたいな美人さんと一緒なら食も進むかと思って。お呼び立てしてごめんなさいね」
グリマルディーニ老の奥方は、とてもこの世界の人間とは思えない丸顔の笑顔の優しいおっとりと
した女性だった。
「それはどうも。お役に立ちますかどうか」
ブチャラティは、ぎこちなく微笑みを浮かべた。
「絶対よ。今日もきれいね。お若い方は、お仕事に頑張っていてもきれい。恋に悩んでもきれい」と、
事情を知っているのだかどうなんだか、歌うように言う。
「さあ、ご紹介するわ。えーと、アンジョルラスさん」
長い晩餐用のテーブルの向こうには、背の高い男が立っていた。軍人だろうか、姿勢が良く、体格
がいい。顔は……正直どうでもいい。グリマルディーニ邸の正餐室はシャンデリアが気合いが入りす
ぎで、寝不足の目にはまばゆくて眼を開けていられない。ブチャラティは、礼儀は無視して視線をは
やばやと卓上に移した。
「……違います、シニョーラ」
陰気な男だ。口の中で何か呟いて、女性達が席に着くのをただ待っている。ブチャラティの胸元に
目を留めるとあからさまに狼狽えて目を逸らした。それでも、何度かは勇気を振り絞って彼女に声を
掛けようとするが、どうしても果たせない。それを、奥方が微笑ましく見守っているのがなにかわけ
ありそうで。
「お客人、ほら、せっかくだから、恋いこがれてた美人に声を掛けたらどうだ？ 逢いたかったんじゃ
ろ？」
グリマルディーニ老の方は、面白がってけしかけている。
……なんだこれは。ポルポさんのご紹介って、見合いかッ！？ レオーネが出て行ったからって、
露骨にッ！？
ブチャラティはそれですっかり機嫌を損ねて、男のことは無視することにした。
晩餐は盛り上がらなかった。グリマルディーニ夫妻はいろいろと話を振ってくるが、ブチャラティ
は最小限しか返事をしないし、陰気な客人はブチャラティに拒絶されているのを察してなおさら鬱に
閉じこもった。
「もっと喜んで貰えると思ったのになあ。ブチャラティ、いい男は好きだっただろう？」と、老人は
タフに食卓を盛り上げようとする。
……いい男？ どこが。
真っ赤にふくれあがった肌は、いったいどこで焼いてきたのだか。
「今はとてもそんな気になれません」と、ブチャラティは斬って捨てる。
「生まれて始めての本気の恋の相手に逃げられてしまったので」
真顔でそんなことを垂れ流す。食卓でのマナー違反は承知の上だ。この３日でずいぶん荒んでしまっ
ているようだ。
「そりゃいかんな。逃げられたのか」
情緒に問題のある少女ギャングに昔から慣れている老人は、笑ってそれを受け流した。
「まあ、そんな言い方、こちらが可哀相」と、奥方が客を見やる。黙ったままの客は、やはりナイフ
とフォークを手に取りもしていなかった。
それでも、視界の端で、ナイフとフォークが勝手に動いてほそぼそと彼の口に料理を運んでいる。
目を凝らすと、それは薄青い人影だった。声は掛けられないものの、スタンドを出して彼女にアピー
ルしているようだ。
……下らない小細工をする。
いよいよブチャラティは客を無視することにした。
「それで食が進まんのか」
グリマルディーニ老が、追求してきた。
「食べています。美味しいです」
「おまえはどんな席でも、なにを出されても無理やりに口に運んでいる子だった。当然満腹している
だろう場合でも、残すと言うことをしなかった。うんと若い頃は、厄介になっている身だから。独り
立ちしてからは、他に食うものがなかったから。
おまえはいったい旨いと思ってものを食べたことがあるのか？」
「ありますよ。このラムは旨いです」
「ブチャラティさん、これは鹿よ」と、奥方が笑ってみせる。
「失礼しました。でも、味わって食べてます」
まったく表情を変えないで言った返事に、食卓はまた冷え込んだ。
……レオーネの作ってくれるものは美味しかった。
大げさな料理ではなく、町のおばさん達に教わったあまり手を掛けない料理だったが、下手なりに
一生懸命作ってくれていた。夏は涼しくなるように、冬は暖まるように気を配ってくれていて。
いよいよ、口の中のものの味が消えた。
「それで、これからどうなさるの？ ええと、……アンドレオッティさん？」
奥方が話を客に振っ
た。
「ア……です、シニョーラ」
消え入りそうな声で、客が訂正した。このご婦人は、客の名もちゃんと覚えていないようだった。
ブチャラティも、ちゃんと聞いて覚えようという気がないのだが。
「あまり長くご厄介になることはしません。傷が良くなったらこの街を離れようかと思っています」
擦れた、弱々しい声だった。なんだ、でかい図体をして、とブチャラティは何もかもが気に入らな
い。
「待ちなさい。そうなんでもすぐに決めてしまわないことだ。
ブチャラティ、おまえが引き取るのが一番いいと思うんだが」と、グリマルディーニ老はブチャラ
ティを見た。
「どうしてそんなことを仰るのか解りませんね。
今はもううちはナランチャとフーゴだけでいいです」と、ブチャラティはにべもない。
「ミスタはうちで預かってるが」
「ありがとうございます。しばらく謹慎させます」
「ブチャラティ、アバッキオはチームを抜けたいとポルポさんに直訴したそうだが」
「そうですか……」
胸が痛い、と思った次の瞬間には、目から水がこぼれ落ちていた。
「泣かないでくれ、フロラ」
擦れ声が、沈黙を破った。向かいに坐った客が、力を振り絞って出した声のようだった。なんだか
聞き覚えのある声に似ている。
なぜこの男が自分の名を知っているのだろう、とブチャラティは怪訝に思った。
向かいに坐った客を軍人と思ったのは、姿勢のいい立派な体格と、身に纏ったきまじめな雰囲気、
それから、色も判別しがたいほど短く刈った髪型……！
ブチャラティは目を凝らした。背の高さは１９０センチに満たないくらい、端整な顔つきに、額に
は皺が標準装備で。髪はプラチナ・ブロンド、目はアイス・ブルー。薄い唇はいつも不機嫌に引き結
ばれていて……
「レオーネ！？ 髪をどうしたんだ？」
ブチャラティは立ち上がって叫んでいた。
「ブチャラティ、あんた、おれがみっともなくなったら目も合わせてくれないんだな」
静かな絶望を纏った声が、それに答えた。
「たいそう面やつれなさったわよねえ。うちじゅうの氷を使い切ったほどの高熱で。おまけに抗生物
質に『当たって』ひどい発疹！ 熱が下がった後も、なにも召し上がらないし」と、奥方が困ったよ
うに小首を傾げた。
「もちろん、そのうっかりさんな薬屋さんには恋人に会えないような顔になっていただいたわよ。直
接自分でやりたかったらあとでお店を教えるけど？」おっとりと言うが、内容はさすが、マフィアの
奥方である。
「両腕を怪我してるんです、世話してやらないと……それでムーディー・ブルースがちょろちょろし
てたのか！？」
「なんじゃ、気がついておらなんだのか。強烈ないやみだと思っておったが。ブチャラティ、眼鏡を
作った方がいいんじゃないか？」
……いや、そんな、まさか。なんだその頭、警官時代より短いぞ。おまけにスーツなんか着ている
から……
ブチャラティの言い訳は口の中で消えた。
「こりゃあだめだ。猫は３日で主人を忘れると言うが、なにが本気の恋だ、猫にも劣る。お客人、別
なところを紹介しよう。ジェノヴァの古い友人が、スタンドの使える若いのを探してるそうだから、
行ってみるといい」
「はあ」
デミタスのカップに目を落してアバッキオはしゅんとした。ブチャラティはその姿を目に入れない
ようにしながらも、聞きとがめる。
「ちょっと、グリマルディーニさん！ ジェノヴァって？ もしや……」
「ああ、ガラヴァーニの大親分だ」と、聞くなりブチャラティの姿は椅子の上から消えていた。
「らめえぇぇぇぇぇぇッ！」
一瞬のうちに長テーブルの端まですっ飛んでいって、アバッキオをの首っ玉にかじりついて絶叫す
る。
「あんなおそろしいひとのところになんてやったら、一日でいじめ殺されてしまうッ！」
「あら、まあ、ルクレツィアは気性の激しい子だけれど、ブチャラティさんと仲が悪いって言うのは
本当だったのね」と、ころころと奥方は笑う。
「悪いどころか。幹部会でも問題になってるらしいぞ。
そのせいもあって、ルクレツィアはネアポリスの『白いライオン』には異常に執着しておるそうじゃ。
どうじゃな？ フリーになったと公になったらその日のうちにオファーが来そうなもんじゃが。きっ
と高給優遇してくれるぞ？」
「絶対だめですッ！ レオーネッ、何遍でも謝ってやるし幾らでも好きなようにヤらせてやるから戻っ
て来いッ！！ わたしでさえ口を利くのが大儀になるほど消耗するんだぞッ！ おまえにあのお嬢さん
の下は無理だッ」
……だからこういうふうにすぐ理性を吹っ飛ばすのがやばいんじゃないかとおれは言いたいわけで。
アバッキオは恨めしげにグリマルディーニ老を見上げた。
６
「もしもし？ ああ、フーゴ、これからグリマルディーニさんのれいの客を口説くから。こっちに泊
まる。アジトの戸締まりをちゃんとして帰ってくれ」
「ちょ、ブチャラティーッ！？ あんた、なにやけになってるんですかーッ！？ そんなこと、アバッ
キオが知ったらほんとに世をはかなんで身投げしちまいますよッ！」
フーゴは泡を食って携帯に向かって絶叫していた。
「よう」
ミスタがタイミングを見計らって顔を出した。
「ねーさんの着替えとお泊まりセット、取りに来たぜ」
全然悪びれていない。
「ミスタッ！」
「あー悪りかった、悪りかった」
「悪りかったじゃねーよッ！ おめーのせいでブチャラティとアバッキオが……！」
ナランチャがまくし立てても、
「あー、だいじょぶ、だいじょぶ」
後ろ手に手を振って、持つものだけ持ったらまた消えた。
「猫にも劣る」ブチャラティがアバッキオに許されるまで、正しくは、両腕の傷が癒えるまで、アバッ
キオはグリマルディーニ邸で優雅に食客生活を送り、ブチャラティは機嫌を取るために日参した。グ
リマルディーニ老は隠居の身で忘れ去られていくものと思われていたが、「若い幹部候補生」の監督
者としておおいに面目を施し、無理強いはしないこと、人前では慎むことなどを勿体付けてブチャラ
ティに諭し、事件は一段落した。
「いやほんと、いざとなったときに頼れるのは年の功でした。恐れ入ります。グリマルディーニさん
にはなんとお礼を言ったらよいものか」と、お礼の内容についてお伺いを立てたブチャラティに出さ
れた意外な要求は……。
「じゃあ、ブチャラティ、こんどパンナコッタくんを貸してちょうだい。亡くなった孫が丁度年回り
が同じくらいで、目の色も髪の色もあんな感じだったのよ」
かくて、ブチャラティ・チームの頼れる参謀はたまにご隠居夫妻の遊び相手として川向こうに貸し
出されることとなった。
（１４−０７−０９）
蛇足。
お友達とのコメントの応酬でふと思いついた「緊縛祭り」。主導権を取られるのが嫌いなブチャラ
ティはノリノリになりそうだと思ったらこんな話に。結局エロは少なく深刻な話になるのがまいねク
オリティ。書き終わってとっても絶望しました。
緊縛→血まみれ→ギャラリー有り→逆レイプ（っていってもうちのブチャアバはいつもこうだ）
→緊縛がえし→着衣レイプ→立ちバック……ときて最後にはえっちな台詞絶叫と要素だけ取り出せば
エロてんこ盛りの筈なのに。ごめんなさい、エロスはあなたの胸の中だけで。
いやでも、会った相手が残念な体調で、お肌がひどかったらやっぱり気を遣うよね？ あんまりじ
ろじろ見ちゃ悪いかとか、刺激物勧めちゃイカンだろうかとか。その辺は今回（毎回！？）結構力業。
気がついた方はありがとう、フィガロはアレッシーモードの時に出た理容師さん。わかんなくても
そこは通じるだろうと思って。名前のある脇役さんはそれなりに再登場したりします。
おまけ
「パッショーネの友 ２００１年新年号」 目次
【お屋敷探訪】 ガラヴァーニ邸（ジェノヴァ）
ジェノヴァ市街を見下ろす築１５０年の壮麗な大邸宅！
【今月のＭＶＰ】 ジェラール・アンスバック
フランス方面の新市場開拓の立役者に聞く！
【新年度からの税制改革について】 制度改革で脱税の手法も一工夫必要に！
【徹底討論！ 移民とのつきあい方】 各地方で最近無視できなくなってきた移民との関わり方について
厳選５人のパネリストが本音の激論を展開！ 幹部必読！
【警察・カラビニエリ・役所関係 今月の人事異動】 あなたの町のお偉いさんが変わります
氏名、派閥から家族構成、弱点まで徹底解剖！
【２００２ワールドカップ コリア／ジャパン ヨーロッパ予選 組織公認トトカルチョ実施要項】
奮ってご参加ください！
【我が町のお勧めの店】 サムソン（ネアポリス）
雰囲気良くカクテルのレパートリーは１５０種以上！
お勧めは店オリジナルの「フロラ・ディーヴァ」
【夜の天使ミカエラの千一夜】 お客様の別荘での一夜、ペットの犬が乱入して……
【☆からのメッセージ】 今月の星占い アレッサンドロ・木星王
今年は波乱の年！ 牡羊座のひとは運命を変える出会いがあります！
お茶を奢ると吉！
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 注意！ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
なめるなキケン！
プラスチック爆弾の組成が変わりました！
中毒性の薬物が入るようになったので、不用意になめると身体を悪くします
（最悪、死ぬことも？）。気をつけましょう。
なんちゃって。こんなお気楽なマフィアがあるか。でも、ヘンなところで完全主義で情報を握るこ
とが勝利への道と思ってるボス・ディアボロ、自分で編集までしなくてもノリノリで指示を出しそう
だ。当然、普通の雑誌の１００倍ぐらいの値段で押しつけられている（総会屋かッ！）。
ミカエラ姐さん（プロシュート）のお色気コラムは、当然ゴーストライターが嘘八百書いてる。本
人は面白がってる。