不治の病
１
「ミスタ、ありがとう。おまえをチームに入れて本当に良かった。今日ほど自分の判断が間違ってい
なくて嬉しいと思ったことはない」
足を進めて、両手をさしのべ、ブチャラティは感動をそのまま体現した。熱い抱擁で。
その様を目の辺りにして、不器用な男は表情を固まらせていた。
……なんだろうこの違和感は……あれか？
胴体の真ん中当たりにじわじわと広がる、痛みまでいかない感覚には覚えがあった……。
無意識に、アバッキオは帽子に隠れた後頭部に手をやっていた。
ちょっと大胆なスタンドの使い方をしてしまって、想い人が驚いたのではないかとブチャラティは
気を揉んでいる。二人してフラットに戻る途中も、常になく口数多く、気を引き立てるようにしきり
に話しかけているが、アバッキオは自分の記憶の中に引きこもってしまっていて、生返事しかしない。
そのさまが、さらにブチャラティの心を乱している。落ち着いていつもの「特技」を使えば、彼が
引いてしまっているわけではないことが解るだろうに、ただとりとめもないことを話しかけることし
かできない。
「あァ、うん……大丈夫……気にするな……」
いつもとたいして変わらない応答をしているつもりの色男は、自分の態度が不審を買っているとは
思いもしていなかった。
２
「あたしレオーネのお嫁さんになるから！」
泣きながら宣言されて、少年は狼狽えた。頭からはまだ血が噴き出しているようだ。ズキズキと痛ん
でもいる。とっさに幼なじみの女の子を庇って岩から落ちた。まだ１０にもなっていない頃の話。た
いした怪我ではなかったが、頭の怪我は流血が派手だ。幼い女の子にはとんでもない重傷に見えたの
だろう。じっさい、傷跡は残って、今もそこには頭髪が生えてこない。
「いいんだ。おれは将来警官になるんだ。帽子で隠れる」と、ムキになって肩をそびやかすと、
「ああ、うん。レオーネは優しくて正義感が強いから、いいお巡りさんになれるよ」と、その女の子、
アナベラは笑ってくれた。自分でその言葉で暗示にかかったように、アバッキオは警官になるよう思
い定めた。同じように、アナベラはそのお嫁さんになると言ってそのように振る舞った。きれいな服
を買ってもらえば最初に見せに来たし、祭りの夜にはアバッキオに誘ってもらいたがった。アバッキ
オは少年なりにそれに誠実に対応した。双方の親も、町の大人達も、それを微笑んで見守ってくれて
いた。
少し成長して、かえって意識して女の子と一緒に遊んだりしない年になると、アバッキオはアナベ
ラと距離を置くようになった。あんまり幼い頃の約束を振りかざすのもしつこく、図々しいように思
われた。端整な顔のレオーネ少年はそうでなくても少女達から人気があったし、その状態で幼い頃の
約束にこだわるのは余りにもいじましいような気がしたのだ。年を重ねるに連れて輝きを増すアナベ
ラを、レオーネ少年はまぶしく思い始めてもいた。
そういう時に、グリエルモは現れた。街から来た明るい少年で、すぐに仲間に溶け込んだ。気さく
に女の子達にも声を掛けて、人気者になった……。
「おい、レオーネ、大丈夫か？ グリエルモのやつ、アナベラに声かけてたって」
「声かけるぐらいいいだろう」
レオーネ少年は眼をすがめて返事した。額には、後年のものとおなじ皺が刻まれ始めていた。
「余裕だな……でも、ホントやつは手が早いぜ？ アナベラは許嫁なんだろ？」
「子供の頃向こうがそう言い張ってただけで。そんな正式なもんじゃない」
少年同士でそんな会話もした。レオーネにはまだ結婚など見えてもいなかったし、それほどの執着
をアナベラに持ってもいなかった……。
そのうち、二人の仲は周知のものとなった。グリエルモはハンサムではなかったが、なにしろマメ
で、底抜けに明るかった。いつも楽しい話題でアナベラを笑わせていた。
アナベラは楽しそうに笑っていた。
……チ。
その笑顔を見ると、レオーネ少年は胴体の真ん中当たりにじわじわとした重みを感じるようになった。
解りやすい言葉に置き換えると、
「面白くない」
今更図々しいとは思うが。そう思うとなおさらにどす黒い思念が腹に溜まっていく。しかし、表だっ
ては心変わりを詰ったりなどできない。みっともないと思う判断力は残っている。
不機嫌さだけは繕いようもなく漏れて、友人達はレオーネ少年の周りを遠巻きにするようになった。
とうとうその日は来た。
「ごめんね、レオーネ」
輝く笑顔で、アナベラは別れを告げにきた。
「でもあんた、あたしのことどうでもいいって思ってたでしょ？ それでもいいって思ってたんだけ
ど、グリエルモは違うの。あたしがちょっと話かけると、躍り上がって喜んでくれる。いっつもあた
しの気分が良くなるような話をしてくれる。あんたみたいにハンサムじゃないけど一緒にいて楽しい
の。
前に、あんたは気にするなって言ってくれたよね？ あたしが誰を好きになろうが自由だって。あ
りがとう。そうさせてもらう」
あっさりと言って、身を翻した。口の重いレオーネ少年は、
「あァ……」とだけ呟いて、見送った。
胃に溜まった想いは行き場がなく、彼はその吐け口をようよう父親に見つけた。大きな、物静かな
男。体格の割りに日頃は不思議と目立たないが、町の事はなんでも知り尽くしていて、小さな田舎町
の町役場になくてはならない男だった。夕食後は物置小屋で、趣味の日曜大工に精出す。レオーネの
勉強机も、玄関先のスツールも、父の手作りだった。
その物置小屋にレオーネは顔を出した。のそり、と入って、黙って腰を下ろす。手早くはないが、
迷いのない実直な手つきをしばらく見つめていた。
「…………父さん、女ってワケわかんねぇな」
とうとう、沈黙に耐えかねて言葉が零れた。
「そうか？」と、返答は一言。
「おれの嫁になるんじゃなかったのかよ」
顔を伏せて隠しながら、羞恥を堪えて言葉を絞り出した。勝負は決している。今から言っても遅い。
親を使って逆転をかけようというのではない。ただ、理不尽さにまだ納得がいかないのだ。
「アナベラに振られたんだってな、カヴァリエーレ（騎士）のレオーネ」
幼い頃からの彼女の口癖を使って、父親は痛いところを突いてきた。あたしの騎士様、そういって
いつも憧れのまなざしを向けてきたというのに。
「ああ、そうだよ……」
「ま、わたしは当然だと思ってたがなあ。いいじゃないか。わたしはクラウディアと縁続きにならな
くて実は内心ホッとしてるよ」と、実にあっさりという。
「父さん！」
いや、実のところアナベラの母親は美人は美人だが口やかましい自己中心的な女で、町の衆はなる
たけ逆らわないようにしている。
「おまえはアナベラに花の一輪も贈ったことがあるのか？ キスをしてやったことは？ サン・ヴァ
レンティヌスの日に気の利いたカードを贈ったりとかは？ ないだろう」
「父さん！ おれはまだ１５だよ！」
レオーネは赤くなって叫んだ。
「グリエルモはやったんだろ？ だからあっちになびいたんだ。これ以上解りやすいことはない」
素っ気なく言って、手は木材にヤスリをかけている。ぐうの音も出ずにレオーネは黙り込んだ。
「いいじゃないか。そうせずにはおれないってほどじゃなかったんだろ、まだ」
ことさら慰めるふうもなく、実に淡々と父親は語った。
「次には忘れなければいいんじゃないか」
「次？」
「ああ。おまえはまだ１５じゃないか。もっと大きくなって、ホントに好きなひとができたときにちゃん
とできればいいんだ。わたしだって思ったさ、そりゃまだ早いって。
レオーネ、失敗なんて、何度やってもいいんだよ。大切なのは、その後、ちゃんと失敗から学んで
次に活かせるかどうかだ」
「父さん……はい」
レオーネ少年はやっと眉を開いて肯いた……。
……ホントに好きなひとができたときにちゃんとできればいいんだ。
今はちゃんと解る。この腹にわだかまる想いは嫉妬だ。
……この女は、おれのものだ。
心の底まで覗き込んでくるような濃い青の瞳。ルージュも引かない薄ピンクのくちびる。優しく響
く低い声も、恐ろしく器用に動く舌も。さらさらした黒髪もしなやかな細い指も、服の下の女の部分
も、みんな。
ひどく優しいのに、リーダーとして必要なときにはどんな冷徹な決断もしてのける心構えを持って
いて、あくどい駆け引きにも長けているのに、ちょっとしたことには本当に世慣れしていない、とぼ
けた可愛い面もあって。
どれだけ身近にいても見飽きることがない。毎日新鮮な、それでいて胸が温かくなる驚きに溢れて
いる。殺伐とした稼業に身を置いているはずなのに、いつもその顔を見て、側に寄ればホッとして安
らげる。
……こんな好（い）い女が、他にいるものか。
今回ばかりはしくじるわけにはいかない。ちゃんと想いを伝えて、自分の気持ちを解ってもらわな
くてはならない。
だが、どうやって？
３ー１
険しい顔で唸り声さえ漏らし始めたアバッキオを見やって、ブチャラティはいよいよ困惑した。
そのうちにフラットにたどり着いて、このまま帰してはまずいということだけは認識して、ブチャ
ラティはアバッキオを部屋に引き入れた。
「わたしはすっかり慣れてしまってなんとも感じないが、初めて見たらさぞ気味悪かったことだろう。
わたしのスタンドについて話していなくて悪かった」と、ブチャラティはまずは謝った。
「わたしは生まれつきではない。１５の年に発現した。ポルポさんの矢で。いや、試験を受けたんじゃ
ない。その頃はもうポルポさんのところで２，３年も使い走りをやっていて、自分で矢を刺したんだ……
スタンドが欲しかった」
焦るアバッキオを置き去りに、長い昔話が始まった。
中学を卒業する年だった。学校は休みがちだったが、一応は通わせてもらっていた。当時のリーダー
は、片腕を失って船を下りた海軍のもと艦長で、皆からは艦長（カピターノ）と呼ばれて慕われてい
た。艦長まで務めたひとがギャングになるなんて、いろんな事があったんだろうが、とりあえず、彼
にはスタンドがあった。
一応成績は上の方で、先生からも進学を勧められていたんだが、さすがに高校までは行かせて貰え
なくてな。一応艦長には掛け合ったんだが、鼻で笑われたよ。
「だッてッ！ ちゃんと学校の勉強もしたし、チームの仕事だってやったじゃないかッ！ ちゃんと
言うことを聞いたら高校行かせてやってもいいッて、言ったじゃないかッ！ 嘘つきッ！」
いつもは従順なブチャラティも、さすがに大声を出した。
「騙される方がマヌケなのさ。よく考えてもみろ。高校からは授業料ってもんがいるんだ。誰がそれ
を払うって言うんだ？ おれか？ まっぴらだな」
艦長はせせら笑った。
「上の学校まで行って、法律の勉強して、ファミリーの役に立つ弁護士になったら返すって約束だっ
たじゃないか！」
「何年かかるんだ？ 待ってられねえよ。さ、もう月末だ。明日からまた集金に行ってこいよ。おま
えは他に仕事を持ってるわけじゃねえんだ、地道に使い走りやって食わせてもらってる身の上だって
ことを忘れんなよ？」
「じゃあ、あたし、客を取るから！ サンドラはもう客を取ってるって。あたしだって同い年なんだ、
あたしも客を取って、それで学資を稼ぐから、その金で昼は学校へ行かせて！」
「なにふざけたことをぬかしやがる！ 客を取るって事がどういうことが解ってるのか！？ まだ前
も後ろも判らない子供のくせに！」
日に焼けた艦長の顔が真っ赤にふくれあがった。
「解ってるって！ 男とあれをすればいいんだ……」
皆まで言わせずに艦長は太い左腕を振るってブチャラティを殴り飛ばした。丁度ドアを開けて入っ
てきた山の手のトンマーゾが、足元に転がってきた少女の姿に目を丸くしてのんびりと言った。
「艦長、珍しいっスね。でもフロラは強情だからただ殴ったんじゃ聞きませんよ？
……おい、マルガリータ」と、従ってきた恋人に合図して、ブチャラティを連れ出させた。
リーダー同士で難しい話し合いをしている間、マルガリータはブチャラティの相手をしてくれてい
た。
「それは筋が違うんじゃないの？」
やせっぽちの少女をいつものように膝上に抱き込んで黒髪を掻き撫でて、さらさらした感触を楽し
みながらマルガリータは言った。
「いくら年が同じで、仲良しでも、立場が違うから。
サンドラは、納得づくで売られてきた子だから、最初からそうなることが決まってたの。フロラは
違うでしょ？ ファミリーには、身を守るために入ったんで、借金があったんじゃないじゃない」
「だから学資の分の借金をそれで払うって……」
「法律の勉強は難しいから、夜お商売をしながらなんてとても無理よ」
重ねるように言って、マルガリータは優しく微笑んだ。
「ファミリーの仕事については、良くわかんないけど、待ってる時間がないってのは解るわあ。ホン
ト、入れ替わり烈しい仕事だもんね。あたしがトンマーゾと暮らすようになったのはここ１年だけど、
その間に子分ってひとが１０人は挨拶してきて、今残ってるのはアレッサンドロとルドヴィコだけよ。
トンマーゾはリーダーになっちゃうしね」
それはブチャラティも頷けた。川のこちら側のチームで最初５人いた使い走りの少年達も、一人減
り二人欠けて、今はブチャラティしか残っていない。
「それに、今はお医者さんでも、弁護士さんでも、自分から堕ちるひとには事欠かないから、無理し
て身内から勉強させてやって育てなくてもいいんだって。フロラには可哀相だけど」
さすがにそれを聞いてブチャラティも事情が飲み込めた。
「どうしてもなりたかったら、大人になって、お金を貯めて、足を洗ってから入り直せば？ あんた
は結構立ち回りがうまいから、それまで生きていられるかもよ？ それに、あたしはあんたはそうい
うお堅い仕事よりも、このままこの街にいて艦長の仕事を手伝ってたほうがいいような気がするわ」
「どうして？」
「あら、マフィアに向いてるって意味じゃないのよ？ あんたは優しくて、ひとに親身になってくれ
るから、あんたみたいな子がいてくれると街のみんなが助かるのよ。そういう意味。うふふ、ごめん
ね、あんたのためじゃなくって」
「喜んでいいのか悲しんでいいのか解らない……」
複雑な顔をしてブチャラティは顔を膝にくっつけた。
「ここのみんなはあんたが好きよ。それはそれでいいことじゃない？ あら？ あら、あら……」と、
背後からブチャラティの胴に腕を回していたマルガリータが目を楽しそうに輝かせた。
「あんた、ちょっとおっぱいってもんが出てきたんじゃないの？ やっぱり！ あんたってちょっと
奥手なだけだったのよ！ ちょっと、今日これから用事ある？ あってもキャンセルしなさい！
ちょっと、トンマーゾ！ あたしちょっとフロラと女の子のお買い物！」
「ちょ、待てよマルガリータ」
「マルガリータさん、あの、いいです……」
「任せなさいよ！」
陽気でお節介な山の手のリーダーの恋人は、ブチャラティをさっさと連れ出してしまった。
３−２
「艦長！ 倉庫街で火事ですッ！」
「またか！ 最近流行りの放火だなこりゃ。
おい、ジロラモ、現場へ出張って野次馬の整理だ。
消防とケンカすんなよ？ ジュゼッペを連れて行け。フランチェスコは居残りだ。商売道具に傷を
つけんな。
バルトロメオとブチャラティは現場で聞き込み。ブチャラティ、解ってるな？」
「はいッ！」
「ぺらぺらしたもん着てって火傷すんなよ？ 木綿の厚手の長袖、いっぺん水掛けてから羽織れ。
おまえら、そこへ並べ」と、子分を目の前に整列させて立ち上がる。
「アイ・オヴ・ザ・タイガーッ！」
艦長の一喝とともに、彼の背後に大きな虎の頭部が浮かび上がる。そのスタンドの虎が目を光らせ
て咆吼すると、口からはイメージの炎が燃えさかって吹き出る。それを見ていた子分一同の目が、タ
イガーアイと同じ黄色に輝き出す。
「野郎どもッ！ 配置につけッ！」
「へえッ」
一声答えて、ヴィットーレ艦長のチームは散会した。
艦長のスタンドは、周囲のものに働きかけてその能力を１２０％引き出す作用型だ。おかげで海軍
時代以来、艦長の部下は任務の達成能力が異様に高いことで知られている。アドレナリンが最高に分
泌された状態での行動だから、ミスが少なく、感覚もとぎすまされていて怪我が少なく、治りも早い。
指揮官にふさわしいスタンド能力だった。スタンド能力のない子分どもは、「艦長に気合いを入れて
もらうと体が軽い」ぐらいにしか思っていないのだが。
ブチャラティは野次馬を掻き分けて顔を見ながら進む。放火は大方が快楽犯罪者だから、多くが現
場にとどまって推移を見守り続ける。うっとりと、夢見るまなざしで……。
……いた！
前２回の時も現場で吹き出す炎を見上げていた。髪をだらしなく伸ばした痩せた若い男。背後の先
輩メンバーに目で合図して、ブチャラティは声を掛けた。
「おにいさん、この前も来てたね？」
間近に近寄って、懐に入り込む。やせっぽちのブチャラティは、背だけは大人の男に見劣りしないく
らい高い。目の位置が、十分顔から遠くないところに来る。
「あ、ああ、火事は怖いな」
「そう？ 楽しそうに見てたよ」
無邪気に笑ってみせる。顔立ちの割と整った、年頃の少女に笑いかけられて、男の緊張が緩む。が、
言葉はそこをぐさりと突いてきた。
「おれが？ そうかな……」と、冷や汗をかいて否定してみせる。と、その頬を、ほんの少し背伸び
して、ぺろりと舐める。
「この味は、嘘を吐いている味だね、おにいさん。あたし、そういうの解るんだ。もう一つ聞いてい
い？
おにいさんは、火事が見たくて火を付けたりとかはするの？」
声を失ったままに男は腰を抜かしてくたりと坐り込んだ。
「正直に言ってくれると、あたしも怖いところを見なくて済むんだけど、こっちの先輩達は、ちょっ
とおにいさんと遊んでみたいって」と、振り返って見た背後には、いかにもギャングといった若い連
中が、目を黄色に光らせて彼を見下ろしていたのだった。
「でかしたぞ！ ブチャラティ」
放火魔を捕まえられて、艦長はブチャラティを褒めてくれた。ポルポにもその仕事ぶりを好意的に
報告してくれた……。
「ブチャラティは……もう１６になるのか」
ポルポが報告を受けて考え込む顔つきをした。
「まだ子供です。出るところも出てなくて、男に間違われるのもしょっちゅうでさ」
「顔は結構マシなんじゃなかったか？ ちょっと呼べ」
「あんなのを？ 店にいらしていただいた方が楽しく遊べると思えますが」
「ヴィットーレ、わたしにはわたしの考えがある」
「失礼しやした」
下町を統べるリーダーは、大人しく引き下がった。
ほどなく、ブチャラティがポルポの私邸に呼ばれた。
「ブチャラティ、おまえはよくやってるそうだな？」
「はい、ありがとうございますポルポさん」
ブチャラティは、ポルポの私邸の豪華な調度品に目を奪われていた。高そうな模様の織りだしてあ
る布張りのソファー。足は、なんていうんだっけ、動物の足のように曲線的に作ってあって。木の部
分のところどころは金色に塗ってあって。部屋のそこここにはキラキラしたガラスをはめ込んだ戸棚
が置いてあって、中にはいろんな食器が飾ってある。繊細な飾りのいっぱいついたカップ。あんなの
でエスプレッソを飲んだらどんな味がするんだろう。
「もう中学は出たんだったな？」
「はい、９月には１６になります」
「ふむ……もう大人だな」
「はい！」
雲の上のひとに二人きりで面会して、ブチャラティは昂奮していた。ネアポリス一帯を仕切る幹部。
恰幅のいい体格をしていたが、まだ中年というには若く、高い鼻といい、引き締まった口元と言い、
顔立ちは整っていた。……ブチャラティは底辺の男ばかり日頃見ているので、きれいな男には弱い。
うっとりと幹部を見上げている。
「こっちへ来なさい」
手招きをされて、少女はドキドキしながら近寄った。
「なんですかこれは？」
テーブルの上に置かれた矢に眼を留めてブチャラティは尋ねた。
「矢だ。ただの矢ではない。ひとの運命を変える矢だ……この矢に貫かれると、素質のあるものはあ
る特殊な能力が目覚める」
「特殊な能力？」
「わたしはボスに特に気に入られているのは特殊な能力を持っているからだ。スタンドという……ヴィッ
トーレの『アイ・オヴ・ザ・タイガー』を知っているな？」
「はい」
「ああいうものだ。ひとりひとりが違う能力を持っていて、ボスの秘密の指令に従って行動する。組
織にはそういうチームが幾つも存在する。
わたしはヴィットーレの下にそういうやつを集めてわたしの特殊チームを作ろうと思っているんだ
が……おまえは変わった特技を持っているそうだな？」
「はい。……でも、そんなすごい超能力なんかじゃありません。
ひとの感情が読めるだけです……ちょっとしたカンで、汗をなめて、その味で嘘を吐いているかど
うかわかるとか、そのくらいで」
「ふむ、期待はずれか……まあいい」
「あ、でも、ポルポさんが本気で仰っているのは解りました！」
ムキになる様子にポルポは少し目を留めて、微笑んだ。
「まだ時間はあるな……ブチャラティ」
時計に目をやって、ほんの気まぐれを起こす。
「おまえはもう客を取ってもいいと言ったそうだな？ 服を脱いでこちらに来なさい」
「ヴィットーレ、まったくおまえの言ったとおりだ。前も後ろも判らない。ここまでなんにも肉がつ
いていないと、もう骨だけになった鶏肉にしゃぶりついている貧乏人になったような惨めな気持ちが
する」
呼ばれて入室した艦長は、ブチャラティが裸のまま床に呆然と坐り込んでいる姿に目を止めて声を
荒げた。
「さっさと服を着ないか！
……ですからまだ早いと申し上げました」
ポルポの方はもう服を整えて元通りにデスクに着いている。
「ちゃんと食わせてやれ。
ブチャラティには客を取らせるなよ？ 今後は月に一度、日を決めてわたしのところへ寄越すんだ」
艦長は目を見張って問い返した。
「目をお掛けになるんで？」
「色気は全くないが、飲み込みが早くて素直だ。まあ、顔は結構見られるし、仕込んでみよう、４，
５年もしたらものになるかも知れん」
「ポルポさん、酔狂が過ぎますぜ」
艦長がやんわりと非難した。
「おまえの報告を聞いて能力者かと思ったが、そういうわけじゃないらしい。だが、たしかに気が利
いて頭の使い方もいい。ジェノヴァのガラヴァーニのところは娘に跡を継がせるそうだから、今後女
のリーダーってのもアリになるかも知れないからな、面白そうな子供は拾っておくに越したことはな
い。もしかして、この先男か女か解らないようなのが流行るかも知れないし」
ぼんやりと宙を見つめていたブチャラティの眼に光が戻った。
女の大切なものを散らしておいて、色気がないとか、惨めな気持ちになるとまで言われ、真面目に
特技を磨いてギャングとして仕えようとしても、今のままでは女は出世しにくいと言われ。
自分の全てを否定されたように途方に暮れていたブチャラティの眼が、テーブルの上に置かれた古
い矢を捉えた。
……この矢に貫かれると、素質のあるものには能力が芽生える。
……わたしはヴィットーレの下にそういうやつを集めてわたしの特殊チームを作ろうと思ってい
るんだが。
ポルポの言葉が脳裏に蘇った。
ブチャラティは、ふらふらと立ち上がって矢を取り上げると、自分の左腕にそれを突き立てた。
「こら、なんてことを！」
「やめろ、ブチャラティ！」
彼女の身の振り方を話し合っていた大人達ががそれをみとめて叫んだ。が、既に遅かった。
黄金の光が輝いて、少女の体を包んだ。
……ス、タ、ン、ド……。ボスに、ポルポさんに大切にされる貴重な能力が、あたしは欲しい！
あたしがこの街で、一人で生き延びるために、能力よ、目覚めよ！
心の底からの欲求に、彼女の潜在能力は応えた！
頭にトゲを戴いた、ジッパーの引き手を体のそこここにくっつけた人間の姿のイメージが現れた。
……もういやだ、ここにいたくない。どこかひとのいないところ、ひとに見つからない静かなとこ
ろに隠れたい……。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
無意識にブチャラティの唇は動いて、スタンドの腕を動かした。
ジャァアーッ！
ジッパーを開ける音がこだまして、ポルポの私邸の壁に、新たな穴が開いた。外の涼しい風が入り
込んで一瞬、部屋の空気を洗う。
傷心の少女は、そこから素裸のまま歩き去った。
「コラッ！ ブチャラティッ！ そんな格好で……服を着ていかないかッ！」
あとには艦長が真っ赤になって吼えていた。
「なかなか面白い能力が出たな……」
ポルポは手を顎に当てて、微笑みを浮かべていた。
娼館の壁を裂いて、裸で現れた友人の姿を見て、サンドラは眼を丸くした。しかし、次の瞬間に
は笑顔を浮かべて、シャワーと着替えの支度をしてくれた。
「ホラ、やっぱり痛いだけだったろ？ ムチャ言うから……フロラは客を取らなくていいって言われ
たんだからいいじゃないか。街を自由に歩けて、夜も伸び伸び寝られて。
言っとくけど、きれいな服着てちやほやされるのってホント一握りなんだからね？ 下っ端の一山
いくらのあたしたちなんか、くっさいオヤジばっかりが相手で、キモチワルイし、痛いし、病気は怖
いし、全然よくないんだから」
「うん……」
「でも、いいじゃないか、ポルポさんに女にしてもらったなんて、一生自慢できるよ。いやな男が寄っ
てきても、『あたしはポルポさんのお世話になってる』って言ってやったら、二度と目も合わさない
よ？ いいなあ」
「そうかな？」
「フロラは度胸もあるし、頭がいいから、そっちで出世すればいいじゃない」
「うん……」
「あたしはもちろんこの街のナンバーワンになってやるからさ、そしたら、幹部になったあんたと二
人してこの街を締めよう。その頃にはメリハリボディになってて、胸元なんかバーンと開いた服着ちゃっ
てさ、うひょー色っペえッて、中学生坊主にも言わしちゃうんだ。あんたはきれいな男の子のギャン
グを５人も１０人も侍らしてさ、男なんか見返してやるんだよ。川向こうのタルティーニや、山の手
のアレッサンドロに『ブチャラティの姐御』なんて呼ばせてさ」
「そんな、無理だ」
「無理って言わないの！ なるの！」
ブチャラティのたった一人の友人はそう決めつけた。
「腹、減ってないか？」
夜が更けてアジトに戻ると、艦長は目を逸らして言った。
「空いてる」
「今煮付けを温めてやる……ポルポさんが、おまえにちゃんと食わせろって」
「はい……」
「能力が出たからな。おまえもただの使いっ走りじゃあなくなった。これからはもっとこき使うぞ」
「はい。望むところです」
顎をあげて、ちゃんとリーダーの眼を見て答えるブチャラティに、ヴィットーレは感心した。
「それから、な、おまえもこれで一応ポルポさんのお手つきだから、つまらん男に尻とか撫でられと
るんじゃないぞ、ビシッと言ってやれな？」
「はい」
「あと、その、月に一度、おまえのいい日に、ポルポさんのところに顔を出すように、言われたから
な、こぎれいな格好して行けよ？ 」
「え？ ……はい」
まさか次があるとは思っていなかったブチャラティは、少し面食らった。
「バカが……余計なこと言うから。せっかく子供子供してたんだから、当分眼を付けられないで隠れ
ていられたのに」
「艦長？」
「これからいろんなところに脂が載ってくるだろうが、ちゃんとマルガリータにいろいろ教わって、
気を抜いた格好してるんじゃねーぞ？ ポルポさんの恥になるんだからな？ まったく、こういう街
じゃあ、きれいってのは安全とは反対語だってのに。男だって喰われるような無法地帯だぞ、ここは……」
と、説教はどんどん小声に早口になっていく。
「解りました」
子供だ、子供だと頭ごなしに言い続けていた艦長の親心がやっとブチャラティにも理解できた。こ
の子はまだ性の対象にはなりませんと、周囲にも、本人にも、ことあるごとに印象づけ、刷り込んで
いたのだった。
「ほら、できた。ちゃんと食えよ？ これからきっとおまえは横に大きくなる年頃だろうよ」と、左
腕一本で残り物の煮付けを温めて、艦長はブチャラティに差し出した。
「はい。ありがとうございます。いただきます」
ブチャラティは、鼻を啜りながら遅い食事を採った。
３−３
時は流れ、ブチャラティ１６の秋が来た。
「艦長、もーいー加減に始めましょうよ」
朝一のミーティングが、もう３０分も遅れている。時間厳守のヴィットーレ・チームにしては珍し
いことだ。
「ブチャラティがまだだ」
不快げにリーダーは吐き捨てた。
「ああ、昨夜はポルポさんのとこ行く日だったっけ」
不用意に下っ端が呟いた。
「全然そんなカンジしねーのにな」
「あんなん男と大して変わらねーじゃん。おれ勃たねーよ」
下世話なひそひそ話が始まった。
「アレだろ、配下の若い女は一応全部自分の女って印付けだけで」
「それでブチャラティ本人は結構嬉しそうだしな」
「幹部も大変」
「アブラモ、バジリオ、それくらいにしとこうな」
艦長が怒り出す前に、柔和なフランチェスコがたしなめた。
「ポルポさんはちょっときれいなコには一応みんな声かけるよ。ぼくも若い頃ちょっと遊んでもらっ
たなあ」
……フランチェスコさん、遊ぶって、どこまで……。
のんびりと、モデルを副業にしている金庫番に微笑まれて、場は急速冷凍された。きれいな顔とス
タイルだが、紙幣や硬貨に整列させて自発的に点呼を取らせて総数を申告させるという実に商店の経
理に向いたスタンドを持っている。最近は能力も進化して、帳簿の数字さえ、勝手に整列して総計を
はじき出すらしい。
「遅くなってすいません！」
丁度そこにブチャラティが帰ってきて、ミーティングは始まった。
「パレルモに一昨年着任した警察署長ってのが、バリバリのエリートさんで。マフィアの根絶なんか
を目標に掲げてくれてな、まったく使えるエリートさんで、ホントにやれそうなんだ、これが」
艦長が愉快げに口を開いた。
「うちも、ボスの指示でしばらく潜れって事になって、パレルモの支部は休眠、人間も、大方は行き
先が決まってこの前回状が回ってきたんだが」
「川向こうのグリマルディーニに、３，４人潮くさいお客さんが来てましたね、この夏から」と、サ
ブリーダーのジロラモが言い添える。
「そういうことよ。ところが、地元シチリアの田舎ファミリーまで、なんとか本土に逃げだそうと必
死になってるんだと。なんつったかな、サントゥッツア・ファミリー？」
「そうです。田舎マフィアが、気取りやがって」
書類をめくりながらジロラモが肯いた。
「そのサンなんとかが、選ぶに事欠いて、このネアポリスを乗っ取る気でいるんだとさ」と、口をゆ
がめて艦長は笑って見せた。
「そりゃ、血迷ってますね」
「よりにもよってネアポリスたぁな」
「一家心中したいんですかね？」
口々に、若いギャング達はせせら笑った。
「やつらの入り口は、当然港に近いうちのシマになるんじゃないかって、ポルポさんのお話だ。
野郎ども！ 気合い入れろ！ よそもんに好き勝手させるんじゃーねーぜ」
「当たり前よ！」
「返り討ちだぜ」
「弾丸（たま）の発注は済ませてあります。他の買い物があるなら早めにね。ちゃんと領収書はもら
うこと。短期決戦で行ってね。今年のクリスマス・パーティはいいとこ押さえてあるよ」と、フラン
チェスコが微笑んだ。
「でも、手口は荒っぽいから、気をつけるようにってポルポさんが。あんまり被害が出るようなら、
手打ちに持ち込んでも構わないから、こちらの優位は守ったままでとりあえず年内持ちこたえろって。
総力戦の挙げ句相討ちになってこちらががら空きになったときに、他のファミリーが割り込んでくる
のが一番怖いって」
ブチャラティが静かな声で付け加えた。朝まで一緒にいたのだ。一番確実な伝令だ。
「そ、そんなことには、なりゃアしねえよ」
下っ端のバジリオが、擦れた声を出した。
「気をつけよう」
短く、艦長が締めた。
解散して、伸びをしたブチャラティにフランチェスコが声を掛けた。
「みんな気にしてたよ。ブチャラティの帰りが遅いから」
「ごめんなさい。朝もご馳走してもらってて」
「……また、言われた？ ポルポさんはグラマラスな女性が好みなんだよね。ご自分もご立派な体格
だし」
「……うん。もっと食え、もっと食えって」と、眼を落とす。
「その辺は個々人の好みだから。ぼくの感覚で言うと、ブチャラティはそれで十分普通ぐらいなんじゃ
ないかと思うけど」
「フランチェスコはモデルさんを見慣れてるから」
気を遣ってもらったのが解るので、ブチャラティも軽く笑って応ずる。
「ああ、まあ、そうだね」と、優男は微笑んで見せた。
「それにしても……実はぼくも疑ってるんだけど……実は夜通しチェスを指してるだけとか言わない
よね？」
体型もさることながら、あんまりにもあっさりしすぎているのがまた疑惑を呼んでいる。とても、
年頃の娘らしくない。
「フランチェスコまでそんなことを言う！ やることはちゃんとやっていただいてるよ。……でも、
あんまりあたしがなんにも反応しないから面白くないんだって」
……ああ、なるほど、やっぱり。
フランチェスコは肯くのは心中だけにした。
「昨夜はファミリーの資金の流れについて教わってた。そっちの方が楽しい」
「へえ？」
「やっぱり麻薬は金になるって」
……だが、自分では手を出すんじゃない。ポルポはそう諭してくれた。
「あんなものに手を出すのはマヌケだ。マヌケからあの手この手で金を巻き上げるのがファミリーの
商売だ。娼婦しかり、酒場しかり、カジノしかり。だから、そう毛色の変わったビジネスと言うこと
もない。ただ、はまった人間は間違いなく破滅する。そこのところを深く考えすぎると、楽しくない。
やめておくんだな」
ブチャラティの表情が固まってしまったのを見て、ポルポは話題を変えた。
「クスリがなくては生きられないヤツもいるにはいるが、大方の人間はそんなものに頼らなくてもト
べる。……おまえは酒の味は解るのか？」
「あ、それは何となく解ります」
「酒を飲んで酔っぱらうのもそうだ。そっちが趣味の人間なら、いい音楽、いい絵……いい詩や文章、
コミックなんかでもトべる奴はいるな。ダンスやスポーツも、……セックスは代表的だな。おまえは
どうだ？」
ひときわ強く突き上げておいて、ポルポは聞いてきた。
「よく……わかりません。あ、痛くはないです」
「おまえはつくづくこっちには向いていないな。……まあいい。そういう瞬間は、生きて行くには必
要なものだ。おまえもなにか持っておいた方がいいが。なにかないのか？ 我を忘れて打ち込めるも
のは」
「ありません。我を忘れるなんて、危ないじゃないですか」
あっさり言ってのけるわずか１６才の少女に、ポルポは舌を巻く。
たしかにこの娘は大物だ。１２才で父親を守って２人も殺しておいて、泣き叫ぶでもなく、冷静に
自分の身を守るために考え抜いてマフィアに身を投じた。実に利口な立ち回りだ。それが、人生唯一
のヒットというわけでもなく、要所要所で見事な判断力を見せる。上の学校に通わせてはどうかとヴィッ
トーレが何度も掛け合ってきたが、学校へやって、頭の使い方を机の上だけのことに限定してしまう
などもったいない。この娘はこうやって現場で育てていくのがいい。きっとゆくゆくは大幹部になる。
「今度スカルラッティの店に話を通しておくから、ちゃんとした服を作っておけ。冬の会議におまえ
を連れて行く事にする。ジェノヴァの大親分のところが、跡取りが娘だ。年も近い。顔見せしておい
た方がいいだろう」
「ありがとうございます」
二人が意識し合って伸びていけばという判断だったのだが、逆効果になったのは後の話。
「さあ、もう終わらせよう。サントゥッツァのことは、言ったとおりに……」
ポルポの汗ばんだ手がブチャラティの腰を抱え込んだ。
回想は一瞬のことで、ブチャラティはいいことだけ抜き出して優しい金庫番に報告した。
「この年末の会議に連れてってくださるって。スカルラッティさんのところでいい服を作っておけっ
て。付いてきてくれる？」
「おや、とうとうローマにデビューか。行っておいで。ああ、服は見立ててあげるから、お土産よろ
しく」
このところはスタンドの使い方も解ってきて戦力としても頼りになる。これは本格的にこの娘を育
てるつもりだなとフランチェスコは納得した。色恋抜きでこれだけ肩入れされるということは。
……相当見込みがあるってことだよね。
色気に乏しい少女を大切にする気持ちをフランチェスコは新たにした。
３−４
シチリアの追い詰められネズミさんたちは強かだった。
「艦長、ここ数日中には来ますぜ。あっちからも、こっちからもきな臭い連中がこの街に入ったって」
「解った。野郎ども、油断……」
ミーティングの途中に、アジトの扉が吹っ飛んだ。
「伏せろ！」と言われる前に皆、頭を庇って身を低くする。
「来やがった！ チィッ！ おまえら、そこへ……」
身を起こして、スタンドを発現させようとした艦長に、銃火が集中した。
「艦長ッ！」
ヴィットーレ・チームの要を、撃ち抜かれた。
最強集団のタネは、リーダー、ヴィットーレ艦長のスタンド能力による。そこを研究しつくしたの
か、スタンドを発現させる以前のリーダーを潰されて、チームは混乱した。
「ジロラモッ！ おれたちどうしたらいいんだッ」
「艦長！ 艦長なしでおれたち……」
「ジュゼッペ、おまえが近い！ 行って艦長を介抱しろ！」
「お……れに……構うな……」
「浮き足立っちゃダメッ！ すぐジロラモに従うんだッ！ 大丈夫、地の利はこっちに……」
すぐさま、幹部候補生が立ち上がって皆を叱咤する。
「ブチャラティ、だめッ」
フランチェスコがその腕を引いて伏せさせようとする。その腕が、マシンガンの連射に遭って吹っ
飛んだ。
「フランチェスコ！」
ブチャラティの眼が、驚愕に見開かれた。
重装備で乗り込んできた侵入者が、容赦なく皆に銃弾を撃ち込み始めた。
ブチャラティは、デスクの陰に身を潜めた。撃たれて気を失ったフランチェスコの長身を、なんと
か引き込んで隠す。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
ブチャラティは床を断ち割った。ほんの少し先に、吹っ飛ばされた艦長が横たわっている。なんと
か引き寄せて、ジッパーの内側に隠せれば、命は助かるかも知れない。じりじりと、自分はジッパー
で断ち割った空間の中に隠れながら近づいた。と、艦長は気配を察してうっすらと眼を開けた。
「ブチャラティ……ジッパーを閉じろ。おまえがマシンガンなんかに太刀打ちできるわけがない。お
まえは、このまま隠れていろ……そして、生き延びるんだ。バジリオを伝令に出した。川向こうから
援軍が来るはずだ。合流して、ここはなんとか切り抜けろ。あとはポルポさんが何とかしてくださる。
おれはもうダメだ。いつも言ってたろ？ 海軍には序列がある。緊急時には、指揮権の移譲は円滑に
行わなきゃならん。おれが倒れたら、次はジロラモ。ジロラモも指揮を執れなくなったら、フランチェ
スコ。ジュゼッペ、バルトロメオ……みんなやられた。あとは、おまえだけだ。おまえが、生き残っ
て、次には新入りどもの指揮を執るんだ。ブチャラティ・チームだ……みんなでおれたちの仇を取るん
だ。わかるな……さあ、ジッパーを、閉じろ……」
「艦長！ そんなこと、出来ないッ！」
「おまえは生きるんだよ。ポルポさんが、おまえに期待してる。おまえはここで死ぬヤツじゃねえ」
「艦長！」
なおも大柄なもと軍人の体を引っ張ろうとするが、か細い少女にはとても動かせない。
「フロラ、強情を言うな。頭を吹っ飛ばされたいのか？ すぐに死なしてもらえるならいいがな、お
まえは、相当きれいな、若い女の子なんだぞ？ あんな血の気の多い連中がただ死なしてくれると思
うか？
隠れてろ。おれァ、田舎に娘がいるんだ。年頃の娘が、そんな、ひどい目に遭うのは、いい気持ち
がするもんじゃねえ……。フロラ……生きろ」と、そう言って、リーダーは眼を閉じた。
なおも銃撃は続いている。辺りからはうめき声すらも、聞こえなくなった。
「……………………閉じろ、ジッパーッ……！」
ブチャラティは、震える声でスタンドに命令した。
……ごめんなさい、ごめんなさい。もっと強くなるから。もっと、みんなを守れるように立ち回る
から。自分だけ逃げて、隠れて、ごめんなさい……。
商売道具だからといつも手袋をしていた手が、自分を庇って吹っ飛ばされた。もう動かないフラン
チェスコの体。いつもの不敵な台詞が、喘ぎに紛れて聞こえない横たわったままのジロラモ。虚ろな
目をして壁に背を預けたままのバルトロメオ。腹に立て続けに喰らって、もう向こう側が透けて見え
るアブラモ。
眼を閉じて、耳を塞いでも、仲間達の姿は脳裏に焼き付いている。ジッパーの向こうでは、敵がア
ジトを蹂躙する音が響いている。と、川向こうへ出したバジリオたち伝令がようやく援軍を呼んでき
たらしい。新たな銃撃戦の音が始まった。
はやく、はやくみんなを助けて……！
長い祈りの時間は続いた。
「フロラ？ もう大丈夫だぞ。出てこい……」
静寂の中、聞き慣れた明るい声が響いた。
「みんなやっつけた。艦長はまだ息があった。フランチェスコも。みんな病院に運んだから。あとは
おまえだけだ。出てこい」
トンマーゾだ。震える手でブチャラティはジッパーを開けた。
「やあ、７番目の子ヤギちゃん。おまえが無事でポルポさんは安心するだろうよ。さあ、来い。腹減っ
てないか？ 今日はうちに泊まれよ。マルガリータがご馳走作って待ってるってさ」
子供のように抱き上げられ、頭を撫でられてブチャラティはわんわん泣いた。
３−５
病院に見舞ったヴィットーレは、膝を撃ち抜かれていてもう歩けないそうだった。
「今度こそ引退だ。もうスタンドも出ねえ。田舎へ帰るさ。娘がいるって言ったろ？ 面倒見てくれ
るとさ」
もう精悍な艦長などではなくただの老人に見えるヴィットーレは、弱々しく笑った。
「シマは、どうなってる？」
「川向こうと山の手が交代で見てくれてます。……バジリオがいなくなりました。もう、うちのチー
ムは無くなるのかな……」
「ハハッ、見切りを付けたか。まぁいい。そういう時もあるさ。……何人死んだ？」
「うちからは５人……川向こうから来てくれたひとが１５人も！ それでもひとり二人逃がしたって！」
「生き残った方を数えた方が早えぇな。フランチェスコはどうなった？」
「足は何とか動くけど、手は、もう繋がら、ないって……あんなにきれいだったのに……」
大好きだったやさしい男の重傷に、ブチャラティは言葉を詰まらせる。
「命があっただけ儲けもんだ。そう言っとけ！」
右手を失ってなお２０年生きてきた男はそう叱咤した。
「艦長……ポルポさんが、刑務所に入るって！ 町中で出入りをやって、死人をいっぱい出したからっ
て！ やって来たのは向こうの方なのに！」
「あァ……そうなったか」
「あたしたち、どうなるんですか？」
「直接聞いてこい。おまえはその資格がある」
「そんなこと言って……代理は、川向こうのグリマルディーニさんがだいたいやってくれるって」
「ああ、まあ、それが筋だな。年も行ってるし、昔からの顔だしな」
「山の手はあのままトンマーゾさんが締めるって」
「文句ない」
「うちのシマは、……あたしに任すって」
「ほう」
「ねえ！ ねえ艦長！ 無理ですよね？ おかしいですよね？ ただ何にもしなかったあたしがなんで！？」
「ポルポさんのお考えだ。おれにはなんも言えねえ」
「だって……」
「だったら今からなんかしろ。ひとり二人取り逃がしたってなら、そいつを殺れ。仇を討ってくれっ
て言ったはずだぞ、おれは」
「……はい」
「ブチャラティ、おまえは、こうなる運命だったのさ。みんな、おまえには期待してた。マフィアの
幹部になれる女だって。
悪い女になるんだぞ。男なんて、虜にして、自分のために使い捨てるんだ。おまえは優しすぎるか
ら、みんなのためにとか無茶なこと考えて無理しそうだ。
だめだぞ、そんなの。自分のために生きるんだ。当たり前のことだ」
「はい」
「もう行け。やることならいっぱいあるはずだ」
神妙に肯いて、ブチャラティは病室を後にした。
「わたしの指示に不満があるのか？」
ポルポは冷ややかな眼でブチャラティを見上げた。
「あたしが女を使ってポルポさんに取り入って、リーダーにしてもらったと言うヤツがいるんです」
聞くなり、愉快そうにポルポは笑った。
「勇気があるなそいつは」
「殴ったりは、してません」
ブチャラティの小さい顔は、瞬きもしなかった。
「そうじゃない。わたしの判断にけちをつけて無事でいられると思っていると言うことだ。はて、そ
れは単にもの知らずなのかな？ それとも、わたしもムショに入ることが決まってなめられているの
かな？」
ブチャラティは言葉に困って、ただ体を揺り動かした。
「そういうことをしておいて、体を使ってないとはいえないだろう？ ブチャラティ」
「そうですね」
感情を見せない顔で応じておいて、ブチャラティは動きを止めない。どうしたら上司が喜ぶか、そ
れだけを彼の表情から読み取ろうとしている。
「ん？」
廊下を走る音が近づいてくる。もう深夜、通常ならあり得ない。通常なら。
ブチャラティはポルポの上から滑り降りた。
「ポルポさん！ れいのパレルモの生き残りがッ！」
銃声とともに伝令は廊下に倒れ、うめき声とともに気配は動かなくなった。
ブチャラティは裸のままで素早く立ち働いて、ドアに鍵を掛け、家具を押しつけて即席のバリケー
ドを拵えた。
たくさんの側近達が守っていたはずの玄関が破られて、たった一人のマフィアの生き残りの侵入を
許してしまっている。
「ホントに、必死だな」
呟くと、廊下を進んできた敵がドアに取り付いた気配をブチャラティは察した。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
廊下側の壁を切り裂いて、ブチャラティは敵の背後に出た。
「目的は何だ？」
背後にとぼけた顔をした素裸の少女に立たれて、生き残りのマフィアは一瞬驚愕の表情を浮かべた。
「一人ならどこへでも逃げられるだろうに。どうしてわざわざ戻ってきてこんな事をする？」と、少
女は重ねて問うた。
「仲間をやられて一人で生き延びられるけぇッ！ どうせもううちのファミリーは壊滅じゃッ。最期
にもう一花派手なのを咲かせるんじゃッ！」
シチリア訛りの引きつった声が上がった。
「そうか。
一部は共感するな」
「あん？」
「仲間をやられて一人で生き延びられるかというところだ。わたしの仲間も、おまえ達にやられた」
「そ、そうか」と、少し、苦しげになった隙に、ブチャラティのスタンドの腕が一閃した。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
パレルモのサントゥッツァ・ファミリーは、壊滅した。
「シチリアに、帰りたいかい？ とりあえず、捨て場所はティレニア海にしてもらおうね」
細切れになった男にあっさりと言って、ブチャラティはまた壁を裂いて寝室に戻った。
「終わりました」
「良くやった。さっきの件は、自分で今証明して見せたところだ。ブチャラティ、誰はばかることな
く下町を引き継げ」
ポルポが感嘆の色を隠さずに言った。
「解りました」
まったく表情筋を動かさずに、１６才のチーム・リーダーは言った。
３−６
「アメーリアも、ビルギッタも、カルロッタ、ディアーナ、エリザベッタ……ポルポさんの愛人みん
なお金もらってこの街を出たって！？」
記録に残る一大抗争の事後処理にネアポリスの皆は興味津々だ。久し振りに会った友人はブチャラ
ティに根掘り葉掘り聞いた。
「ああ。ムショに入るんで、もうお世話できないからって」
「何年よ！？」
「５０年。終わるまで生きてないぞって、ポルポさんは笑ってた」
「……どーすんの？ フロラ」
「あたしはシマをもらったから。ここで、みんなを守って暮らすんだ」
覚悟を決めた笑みが、少女の小さな顔には浮かんでいる。
「みんな死んじゃったのに？」
「ポルポさんがかたぎさんから預かってた男の子を回してくれるって。すっごく……可愛い子」
ブチャラティは、困ったような笑みになる。
「かたぎの可愛い子なんか手下にもらってどうすんのよ？」
「うん、……でもなんかすっごく凶暴な子らしいんだ。もう半年で５人半殺しにしたとかって」
「あっそ。仲良くね」と、サンドラはため息を吐いて笑った。
「うん」
「艦長、田舎へ帰るんだ？」
「うん」
「なんか言ってた？」
「悪い女になれって」
「あはは、なにそれー？」
「なるよ。怖くって、強い女マフィアに」
「うんうん。がんばれ、フロラ」
サンドラは抱きしめてくれた。
「あたしたちで、この街を締めるんだからね」
退院したヴィットーレを、娘が迎えに来た。ブチャラティは、駅まで見送った。
「艦長、……今までありがとうございました」
車椅子の前に膝を折って頭を深々と下げるブチャラティの頭を、ヴィットーレはガシガシと撫でた。
「おまえにずっと言ってなかったことがあるんだが」
「何ですか？」
「おまえ、結構美人なんだからな？ 本当に、気をつけろよ？ 今まではおれやポルポさんの威光が
効いてたが……しっかりしろよ？ なめられちゃいかんぞ！ 自分の身は自分で守るんだ。おまえを
リーダーと知ってそれでも手を出してくるような不心得者は、スタンドを出してちょん切ってやって
もいいくらいだぞ！」
最後に親心を見せて、艦長は早口に言った。
「承知しました。……お元気で」
笑って、ブチャラティは送り出した。
「いいな、悪い女になるんだぞ！」
「父さん、そんなこと言って！」
艦長の娘は、言葉通りに取って怒って叱りつけつつ、まだ慣れない車椅子をそこら中にガンガンぶ
つけながら押して去った。
「お屋敷も、調度品も言われたとおりみんな処分しましたが、これをどうしますか？」
ブチャラティは、収監されたポルポに面会に行った。特別室の中のポルポは、既に少し太ったよう
だった。
「これからわたしはそういうものが必要ない生活になる。そうだな、１割は今後身の回りのものを調
えるのに使うとして、あとは隠してくれ。場所や手段はブチャラティ、おまえに任せる」
「承知しました」
「大丈夫、ボスもご存じのことだ。ある程度の采配はここからでも取れる。だいたいのことはグリマル
ディーニに頼んであることだし、当分はなにも起こらんだろう」
「はい……」
「ああそうだ、こういうことになったからには、おまえも、別に気にしないで男を作って構わんよ。
むしろ、作りなさい。そいつとならトべるようならいいんだが。まあ、一度首実検に寄越してもら
おうか」
さばさばと、ポルポは笑った。
「他の女とは全員手を切ったってのに、フロラだけは残したって事は、フロラがポルポさんの最後の
女ってことかね？」
トンマーゾが恋人に話を振った。
「ええ？ まさか」
マルガリータは笑い捨てた。
（だが、フロラはスタンドを使えば壁抜けができるからな。いざとなったらフロラを使って脱獄もで
きる。財産もフロラに任したって聞くし、これはひょっとするかもしんねえ……）
「マルガリータ、おまえ、フロラに気をつけてやっておいてくれよ？」
「言われなくたってするわよ」
その二人も、子分に裏切られて先年死んだ。
「パンナコッタ・フーゴです。ポルポさんに言われてあんたのチームに入ります」
頑なな眼をした少年が、手下になった。
「よろしく、フーゴ」
利口そうな、線の細い少年。スタンドはまだ無いらしいが、きっとフランチェスコのような静かな
スタンドが目覚めるものとブチャラティは考えた……。
「ブチャラティーッ！ ライターの火が消えたら、黒い悪魔のようなものが現れて、ぼくに、ぼくに
矢をッ！」
ポルポの面接を受けにいったフーゴは、長く帰ってこなかった。心配して探しに行くと、街角で激
しく嘔吐してしゃがみ込んでいた。ブチャラティは泣きじゃくる少年を見かねて抱き寄せた。少年は
一瞬戸惑ったように身を竦ませ、そのあと、しがみついて盛大に泣き始めた。
「恐ろしい……まだそこにいますか？ 道化のような姿をした化け物が現れて、暴れだして……紫色
のもや（パープル・ヘイズ）がたちこめて、周りの人が、ひとがッ……溶けて消えてしまったッ！
黒い悪魔は消えたけれど、化け物はまだ付いてくるッ……」
「フーゴ、大丈夫、あれはきみに害をなしたりはしない。あれはきみのスタンドだ」
ひとの感情を読むのは得意だったが、スタンドの感情まで推し量ったのはその時が初めてだった。
「きみを心配してる。だから消えないでそこにいるんだ。きみが落ち着けば消える」
「スタンドですって！？ あれが！？ あんなおぞましい、忌々しいスタンドがぼくの深層だなんて！
ぼくは認めないぞ！」
その声に応えるように、鳥の嘴か動物の吻のように前方に突き出たヘルメットを持つスタンドが、
またも身構え、凶暴なうなり声を上げた。
「落ち着け。スタンドは一人一体。取り替えることはできない。発現したからにはそれを使いこなせ
なくては。
きみはかたぎの生まれだそうだが、なぜここに預けられることになったんだ？ わたしに今それを
言う必要はないが、よく自分で考えてみなさい。
ポルポさんにはなんと言われた？」
抱きしめる腕の力は緩めずに、フーゴの耳に言い聞かせる。
「……家を出されました。そうです。ぼくは凶暴で、頭が悪い。それは事実です。認めます……ぼく
はここに置いて貰うしかないんです。できることは何でもやります。
すみません……取り乱したりして」
少年は切り替えの早い質のようだった。少しの逡巡の後、よどみなく答えた。道化の着る服のよう
な模様を体に張り付かせた人影は、薄くなって消えた。
「……落ち着いたら、そっちにいっていなさい。わたしはもう休む。おまえの試験だ。おまえが自分
の力で切り抜けるんだ……」
眼を赤くした少年は、一瞬のちに凛々しく肯いて、ライターを握りしめると部屋の隅に行って坐り
込んだ。時間が来てポルポのもとに出頭すると、晴れ晴れとした顔で戻ってきた。
「あんたの部下として認められました。よろしく、リーダー」
その日、ブチャラティ・チームが、発足した。
「……というわけだ。つまらない話だったが長くなってしまったな」と笑って見せたブチャラティは、
静かに抱きすくめられて目を瞬かせた。
「べつに劣情に訴える話じゃあなかったと思うんだが？」
「違う、そんなんじゃなくて、なんかむしょうにあんたに優しくしたい」
髪に指を絡ませて、感触を楽しみながら梳く手つきが、もう逢えない優しいひとを思い出させてブ
チャラティはしばらく眼を閉じていた。
「おれは、おれは思い違いをしていた。ずっと、本当に、逢ったその日のうちからフーゴはおれにちゃん
と言ってくれていたのに、おれはあんたに寄りかかるばかりで……。
恥ずかしい。
おれこそがあんたの側に立って、あんたを守ってやるべきだったのに。
済まなかった。おれが間違っていた。
ブチャラティ、おれはあんたを、あんたを……」
「どうしたんだ？ レオーネ、どうもさっきからおかしいぞ？」と頬に触れてみて、ブチャラティは
声を上げた。
「フーゴッ！ フーゴ、アバッキオがひどい熱なんだ、医者を呼んでくれ！ どうしよう、わたしが
あんな様を見せたから！ やっぱり普通の感覚じゃあああいう特技を持つ女というのは許容範囲外なん
だろうか！？ おまけにしょうもない昔話を長々とやってしまって！」
深夜の電話に不機嫌に出たフーゴは、ため息を一つ吐いていやみを言った。
「それ、自分でやったら手間と時間が省けると思いますよ。それから、彼はそういうこと言える身分
じゃないですから。どんな熱が出てたって、あんたのうちに今夜ものこのこついてったんならあんた
の側にいたいって事でしょ。もういいですか？ ぼく、ベッドに人を待たせてるんですけど？」
「ッ！ 失礼した。……ごゆっくり、参謀殿」
「……これぐらい見栄を張らせてくださいね」
ふと我に返った様子で切れた通話に捨て台詞を吐いて、フーゴは携帯をしまった。
「ブチャラティ？ なんだって？」
ベッドの上にカードを広げて彼を待っていたのはナランチャ。
「アバッキオが熱出したんだって」
「大丈夫か？」
「知恵熱でしょ……さて、ぼくのターンだったよね。こういうゲームならぼくに勝てるかもって甘いん
じゃないの？
闇色のセイレーン！ 場のカード３枚まで撃破。こちらのカードを更に一枚オープン、以降３ターン
まで攻撃系のスペルの効果３倍……でいいのかな？」と、参謀はナランチャが持ち込んできた今流行
りのさまざまな役割を持ったカードを組み合わせて闘うカードゲームを教わっている。負けると解っ
ていてもコミュニケーションを取ってくれようとしてくれていることに深く感謝しながら。
「ぎえぇぇえッ！ なんでおまえそんなに引き強いの？」
ナランチャが盛大に顔を顰めた。
「持って生まれた星、かな？ とくに、いい女性に当たるんだよね、ぼく」
しれっと言ってフーゴは髪をかき上げた。
このすぐ後、彼は人生を変える最強のカードを引き当てる。
彼がミスタの深く考えない発言で本格的に呪縛を解かれるのはこの後、秋の話。
４
椅子に掛けたまま眠り込んでいたブチャラティが目覚めると、ベッドの中には病人はいなかった。
慌てて立ち上がって辺りを見回すと、窓のところに立っていた背の高い人影が振り向いた。
「あァ、起こしちまったか……済まねぇ、……ベッド空けるから横になってくれ」
ほんの数歩を小走りになって、ブチャラティは駆け寄ってその背を抱く。
「心配を、掛けるな……熱は下がったんだな」
「あァ。水飲んでただけだって。悪かったな」
静かに、アバッキオは詫びた。
「いいから、さあこっちへ。まだ寝てなくちゃダメだ。医者はこの夏の疲れが出たんだと言ってた。
なんなら今日はずっとここで寝てていい」
「いや、もう大丈夫だ」
「無理しなくていい！ さっきだって譫言を言っていたぞ」
「そうか？ ……そうだな。
おれは口が巧くないから、うわごとみたいに聞こえるかも知れないがな……
さっき、窓の外を見ていた。もう向こうの方は白くなってきてるぞ。最後の星が光ってる。
……去年の夏は酷かったな、そう思ってた」
相棒を死なせてしまって、市警を退職したのが去年の夏だった。
「一晩中飲んで、暴れて。誰かおれを殺してくれと、わざとひとに突っかかってみたりもしたんだが、
体は勝手に動くんだ、鍛えてあったもんでな。死ぬつもりが相手をたたきのめしちまって。それでも
１発２発は喰らって、体は痛むし、金はなくなるし。どうしようもない気分で空を見てると、どんどん
明るくなって、また朝が来るんだよ。
死にたいのに、死ねない。本心は死にたくないのかなって、堂々巡りだ。
あんたに逢って、拾って貰えて、おれの人生は変わったんだよ。救われたんだ。
あんたはあの明けの明星だ。これから全てが明るく、暖かくなるって、そういう兆しの星。
いや、そんなもんじゃない。
あんたはもう世界の全てなんだ。
太陽みたいに温かいと思うし、夜みたいに優しい気もする。海を見りゃあんたの眼だと思うし、風
が吹けばあんたの髪を思い出す。きれいな花を見りゃあんたが喜ぶかと思うし、いい魚を見りゃあん
たに食わしたいと思う。
なにもかもがあんたを抜きに考えられなくなっちまってるんだ。
だから、おれについて難しいことは考えないでくれ。ただ、働け、と言えばいい。死ね、と言って
くれていい。
おれはあんたに惚れちまってるんだよ」
言葉を聞き届けたブチャラティは、ひとつため息を吐いて言った。
「譫言だな。じゃあ、アバッキオ、言うぞ。
ここへ来い。そして、ずっと、ここにいておくれ」
窓辺にいた男は、黙ってその言葉に従い、ベッドの脇へ来てひざまずいた。
５
「なんだ、アバッキオ元気じゃん」
朝になって、皆がアジトに揃った。ナランチャは朝からアバッキオが忙しく立ち働いているのを見
て頭を振った。
「この夏は異常に暑かったからね。それなのに、毎日ぼくらにちゃんちゃんと食事を用意してくれて
たから、疲れが溜まってたんでしょう」
「なんだ、暑気あたり？」
「ううん、でも、ホントのところはきっと不治の病」
「ええッ？ なんで？ じゃ、医者に診せなきゃダメじゃん！」
すぐにくってかかってくるナランチャにフーゴは眼を細める。
「いいえ、お医者には治せない病気なんですよ」
ミスタに抱きついたブチャラティを見て、なんとも複雑な顔をしていたアバッキオのことを思い出
すと、どうやら事態はいいように進んだように思われる。
「ああ、不治の病って、アレか」と、ミスタは訳知りがおに笑った。彼はこの件の陰の功労者。本当
に、いい人材が入った。
「なんか、譫言とか言ってて、……凄かったな」とちょっと頬を染めて見せたブチャラティの今朝の
様子では、とてもいい「うわごと」が出たようだ。
「なんだよフーゴ。ワケわかんねー。それに、朝からなに聴いてんの？」と、耳に入れたイヤフォン
をつまみ出して自分の耳に入れる。と、オーケストラが大音量で合唱を支えている。
「ナニ？ この曲」
「ブルックナーの、『テ・デウム』。カラヤン、ベルリンフィルで。なんだか神の栄光を讃えたい気
分なんです」
「テ デウム ラウダームス……お祈りの言葉だよな？」
「ええ。やっぱり神様は解ってるんだなって」
そうだ。あれだけの想いが通じないなんて、あり得ない。フーゴはブチャラティのために、密かに
喜んでいた。
（３０−０４−０９）
＜おまけ＞
「え？ フランチェスコも行っちゃうの？」
さすがにブチャラティは途方に暮れた顔をした。
「ごめんね、ブチャラティ。ぼくは弱い男だったみたいだ。そりゃ、トップ・モデルだったわけじゃ
ないけど、同じこの街を、足を引きずって、空っぽの袖を翻して歩くなんて、とてもできないんだ……」
自分を庇ったために失った右腕を見ていられずに、ブチャラティは眼を伏せた。
「中学の時の友達が、こんなぼくでもいいからって、呼んでくれたんだ。店番だけしてればいいって。
やっぱり、そう言って貰えるとうれしくてね。
……女の子に恥をかかすのもなんでしょ？」
「おんなのひと、なんだ」
ブチャラティは眼を丸くした。照れくさそうに、フランチェスコは笑った。
「フーゴに引き継ぎは、しておいたから。あの子は結構、いや、とっても数字に明るいし、大人びて
るから大丈夫。いい育ちをしてるみたいだし。仲良くね」
「うん……」
これで、無理めの男を落とすには心身ともに弱っている時を狙うのがいい、とブチャラティが学習
したかについては不明。
蛇足。
なにこれねつ造過去×２！
しかも、とうとう書いちゃったポルポ鬼畜の所業。怒濤のシリアスで１８禁指定。全然色っぽくな
いし。嗚呼、わたしだってもっと幸せいっぱいなエロシーン書きたいよ、しくしく。どうもすいません。
単純にミスタ出現で危機感を感じたアバッキオ（アホ）が暴発してせっかくの告白を譫言扱いされ
るというだけのかんたんな話になるはずだったのに！ こんなカコバナ要らん！ でもかわいそうな
フロラたんの奮闘記楽しかった。洋楽知らないからオリジナル・スタンド出すのにアタマしぼった。
アバッキオの過去は、拍手お礼その２で幼少時に頭を切った話から、ありがちだけど女の子をかばっ
てだと面白いと思ってた。その頃は妹ぐらいに思ってたんだけど……ベタな初恋ストーリーになっちゃっ
て。ごめんなさい。しかし本当に伏線の拡大再生産。ネタに困らないわたし。
そういえば、その５
「神様の思し召し」のピエトロはこの失恋の前だったんだろうか後だったんだろうか？ ……何も考
えないで書いてたけど、「なんかやっておかないと女は去る」と解ってた辺り、後だったみたい。そ
う思うことにしよう。
ポルポは恋愛感情はないにせよ、相当ブチャラティを買っていたことになってしまった。でも、面
会時間が余ったからヤるか。そのドライさがかえって鬼畜な気もして、どっすんばったんのあからさ
まな暴力の末でもなく、娼婦の水揚げ的イヴェントでもなくこういうかたちにした。当時のポルポが
まだ痩せててある意味ハンサムだったってのはせめてもの小説的虚構。文芸ジャンキーパラダイスさん
のところで若いポルポの想像絵（ハンサム）見たし。
痩せてたんなら「普通に」できたんじゃないかというクレームは許可しないッ！！
「ポルポのお手つき」ブランドは年若い女の子のブチャラティのいい後ろ盾になったと思うけど。シ
リーズ第１作「その朝」で、「女を使わないでもやってこれた」と言ってるのと矛盾してきた。不特
定多数の男性と、問題解決のためにそういうことをしていたのではないという認識。ポルポのことは
生きていくためにしょうがなかったという認識なんだろう、当人の心の中は。
わたし的には単にあの状態で普通に恋をして幸せな初体験はあり得ないと思っただけ。でもギャン
グの女の子として対立抗争のさなかでとか乱暴な兄貴分とかに奪われるとかじゃ可哀相だろうと。ギ
リギリの選択（ギリギリちゃう、十分可哀相）。この作中でもそんなにショック受けてないみたいし
（イヤ受けてるだろう）。そういうところ、必要以上に重要視しないひとなんだろう、ブチャラティ
は。そういう、生き残りについての醒めた感覚を持ったひとだと見た。原作じゃー、ふつうにいい男
だし、プロのおねえさんと商売抜きとか、セミプロのおねえさんとかとあっさり済ませてそうだ。
艦長が去り、ポルポがムショに入ったらいきなり「なんだかんだ言っても若い女の子」とないがし
ろにする連中も出てきて身の危険も感じ、自分が虎の威を借るキツネちゃんだったことを知り、でも
フーゴを食わせなきゃならず、これからの１，２年の方が大変だったかも。ホント、苦労してるなあ
（落涙）。
スティッキィ・フィンガーズ発現シーンは、自らスタンドを求めて矢を刺したことにした。最初は
イルーゾォと大して変わらない引きこもりスタンドだったのが、ジョルノが生き物を生み出して手助
けをさせるスタンドから部品を創り出して怪我を治すスタンドに進化したように、リーダーとしての
気構えができ、修羅場をくぐる度に積極的にものを斬るスタンド、斬って繋げるスタンドへと進化し
ていったと思う。壊すスタンド、闘って倒すスタンドより、治すスタンド、修復する能力の方が使い
でがあると思う。こちらの方が好き。
一人ぐらい優男系いてもいいかなと書きながら出したフランチェスコが大出世。ヘタすると初恋相
手？ いや、初恋はアバだから。ブチャ・チーム実はモデル・クラブ説の根拠はこの人から。彼はホン
トにモデル兼業だったギャング。もともとモデルで、妙に金勘定がうまいのがいると噂になっていた
生まれつきのスタンド使い。それがポルポの知るところとなってチームにスカウトされた……って、
彼で１本書けそうな勢い。
「悪い女になれ」というのは、その昔のレディースコミック「悪女（わる）」にあったフレーズだっ
たと思って。逆説的に、主人公があんまりのんびりでまともだから、ここで勝ち上がって出世するた
めには「悪女（わる）」にならなきゃだめよ、という先輩からの忠告がもとになってるタイトルだっ
た。ブチャも。あまりにも悪女という概念から遠いものだから。それくらいの気概を持ってないと危
ないぞ、と。
結局ひとのために死ぬんだけど。でもまあ、美形の情人と美少年の子分を道連れにして、組織のボ
スに反抗して血みどろの戦いの果てと思えば世間一般の悪女の範疇には入るかも知れない。
昔幽白で同人書いてたときも、どんどんオリジナル・キャラが増えていって、シリアスでほぼオリジ
ナル・キャラだけの話になって、それなんて１．５次小説？ って状態になって、オリジナル書きに
河岸替えて１０年。行き詰まって、ジョジョ読んだらどんどん物語が浮かんでくるようになって、い
ろいろ悩みながら２次小説サイト開いて。
でも結局オリジナル・キャラや捏造過去書くようになって、どこまで行っても１．５次小説書きなの
ね、と達観した。それが今回難産の理由ではないが。いや、５日で１００枚は立派なもんだろ。