理由
その朝（１６）
イエテンモード
「レオーネ・アバッキオ……楽しませてくれるかな？」
写真を見ながら、含み笑いが響いた。笑いに連れて、男の顔の輪郭は粘土を貼り付けたように歪ん
でゆき、次第にかたちを取った。不機嫌そうな表情を貼り付けた、色の白い、プラチナ・ブロンドの
端整な男の顔に。
ネアポリスは夏。輝く太陽が、今日も街を焼いている。皆、争うように夏休みを取り、海へ、山へ
逃げ出す。また、陸続きの寒い国からは、陽光を求めて観光客が押し寄せる。彼もそういった、観光
客の１人かと思われた……。
「お客さん！ お勘定！」
ジェラートを渡して、そのまま客がきびすを返したので売り子は慌てて声を張り上げた。しかし、長
い髪の男は構わず悠然と歩き去る。
「お客さん！」
しかし、稼ぎ時なので、売り子も構ってはいられない。すぐさま次の客の注文を取り、ジェラート
をコーンに盛りつける。大丈夫。そのために彼らは少なくない金をファミリーに支払っている。
「ちょっと、お兄さん」
強面の、スーツを着崩した男が二人、その男の前に立ちふさがる。
「金、払ってやってくださいよ。あの子もそれで生活してるんスよ」と、下から視線を舐めるように
上げていく……。
「ッ！」
「なんだ、あんたか……虫の居所でも悪かったんですかい？ 行儀の悪いことしないでくだせえよ」
「ここは立て替えておきますから。ブチャラティさんにはご内聞に……お互いに」
慌てて道を空ける。男は、なんの挨拶もせずにそのまま行き過ぎた。
「機嫌悪かったのかな？ らしくねえ」
「あのひといつも機嫌悪くねえか？」
グリマルディーニの地回りたちは、首をひねりながら気の毒なジェラート売りのところへ戻っていっ
た。
次に被害を被ったのは、ジュエリーショップ。その男が入店したときには、抑えた嬌声が上がった。
シマが違うので、そうたびたびはこの辺りを歩いていたりはしないが、有名人。クリスマスの時には、
天使のような美少年のチームメイトを伴って現れて、丁度いいプレゼントが見つからないといって閉
店間際の同業者（この通り近辺に店を開いている５店舗！）が皆、延長してまでプレゼント選びに付
き合わされた。クリスマスの当日にそれだから、本当はとっても迷惑なところを、大切なひとのため
に妥協しないそのひたむきさと、悩む顔も照れる顔も全てが眼に心地よい美貌とで皆、許してしまっ
た。今日は何を買いに来たのだろう。あのきれいなパートナーに、どんなものを贈ろうというのだろ
う……。
「これ、見せてくれ」
案に相違して、彼が眼をつけたのはおおぶりのバングルだった。たしかに、彼が身につけてもその
腕を美しく飾るだろう。ダイヤモンドが幾何学模様を作った、豪奢なデザイン……。
「お似合いですわ」
でも、いつもの彼に似つかわしくない。
「どちらかへ、お出かけですか？」
「揃いのチョーカーがございますけれど、お当てになってはみませんか？」
店員が群がって、ここぞとばかりに話しかける。
「こちらは女性がお付けになってもよいデザインですので、お揃いになさいますと引き立ちます」
「似た感じで、このようなものもございますが、いかがでしょう……？」
女性の店員にまとわりつかれて、彼はまんざらでもない様子だった。への字に引き結ばれるのがな
らいの唇が、今日はふと緩んでいる。
……今日はなんだかいいカンジ……！
高額商品の売れる気配に店員たちは沸き立った。
「これと、これにする。このまま着けていこう」
「ありがとうございます！」
品物が決まり、店員が一礼して、値札を取るために商品を持ち去った。商品を持ち帰り、身につけ
させたあとは、革のトレイを手に、恭しく代金を請求する。
「５千と３４０ユーロでございます」
そこで、男は眉を上げた。
「おい、ここはおれから金を取るのか？」
沈黙が流れた。
だって、クリスマスのときは。封筒に入れてきたお札を、一枚一枚キッチリ数えて出した。そりゃ
あ、いでたちにはそぐわないが、かえってギャップが好もしかった。釣りの中から、相当の金額を恥
ずかしそうに、こんな夜に居残りさせて悪かったな、と、チップとして置いていってもくれたことだ
し。
「おれが誰だか、知っているな？」
男は、長い淡い金髪を手ではねのけて、顎を上げ、顔をよく見えるようにした。知らぬ者はいない。
ネアポリスの、川の南の側の下町を締めるブチャラティのチームの。いつも不機嫌な顔をした大男。
どんな凶暴な男にも当たり負けしない命知らずの。そのいかれた音楽をやるバンドの男のような服装
と化粧に文句をつけたちんぴらは、美辞麗句でない地獄の底の亡者のような胸にしみいる啖呵で心底
震え上がらせられた。
「ブチャラティさんにお勘定を回させていただきます。本日はありがとうございました」
「おう」
不遜に顎を上げて、その男は店を出て行った。
「またのご来店をお待ち申し上げます」
慇懃に店員達は頭を下げた。少しの違和感は、プロとして、表には出さなかった。
次には一流レストラン。そしてホテル。次には高級ブティック。カフェー。タクシーは乗り逃げす
るは、新聞売りから新聞をかっぱらうは、目障りだといって前を歩く老婦人を蹴飛ばして転ばせるは。
さすがに、翌日にはブチャラティに苦情が届いた。
「あいつ、どうしたんだ？」
「アバッキオとケンカでもしたのかい？」
「らしくない、なにかあったんですかい？」
最初、ブチャラティは信じなかった。
「まさか」
「ですよね」
「ありえねえって」
フーゴもナランチャも同調した。
「ジェラートの食い逃げ！？ いくら暑いからって、そんなことするくらいなら頭から水被ってるよ
な？」
あの卵の殻の帽子は役に立ってるのだろうか、とナランチャは一瞬考えた。
「そうですよ。もともとあまり食べながら歩くのは好きじゃないみたいですし」
「いくら暑いからってそこまで頭がおかしくなるものだろうか？」
ブチャラティは真顔で考え込んでいる。
「もしかして、観光客で、なにかの偶然でごく似た顔のひとがいたとか？」と、フーゴがふと思いつ
いて言う。
「あーあいつドイツ系な顔だし？」
「だが、わたしの名を出したと言うから、偶然の一致ということはないと思う」
「なに、アバッキオってそんなやんちゃなひとなわけ？」
この夏からチームに合流したミスタが、愉快そうに話に割り込んだ。
「そうではないから悩んでいるんだ。本当の彼を知るものは皆、おかしいと言っている」
ブチャラティが斬って捨てる。
「本当の彼？ 今のが本性かも知れないじゃん？」
ミスタは光のない眼をして剣呑なことを言った。
「くだらない」
「リーダー、あんた、やつとは長いの？ やつの何を知ってるって？ サツをやめてギャングになる
ような男の、なにを信頼してんの？」
西日の差す窓の側に立ったガンマンは、室内のメンバーからは逆光になってしまっている。大きな
背中がシルエットになって、顔は見えなくなっている。まるで、このチームの不和を呼ぶために送り
込まれた悪魔のような……。
「解ったようなこと言うなよ！ おまえの方こそアバッキオの何を知ってるって言うんだ！」
ナランチャがいきり立った。
「そうですよ。彼は本当に、少し一緒にいただけで解ります。ホントに真っ直ぐで、些細な悪いこと
もできない……」
フーゴも、ムキになる。
「とりえあず本人に問いただしてみよう」
ブチャラティはこんなことで新入りともとのメンバーとに溝ができることを望まなかった。短く話
を打ち切って、代金を立て替えさせられたグリマルディーニの地回りどもには請求書を作らせるよう
に指示を出した。
「あっつー！ なんで毎日こう暑いのかね？ そら、小僧ども、チェーナだ！ チーズが欲しいやつ
は自分でおろせよ。キンキンに冷やしたトマトのサラダでなんとか食欲を呼び起こせ！ パスタは手
抜きで悪いがアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ！ 唐辛子２倍だ！ 食って泣け！ 泣いて暑さ
を忘れろ！ ミネラルウォーターは冷蔵庫に一杯冷やしてある！ マグロのカルパッチョを残すやつ
はジャポネの漁師さん達に謝ってこい！ てめーらのために死んでくれた仔牛に感謝の祈りを捧げた
ら汁まで残さず戴け！」
今日も一仕事終えてご機嫌な賄い方は、料理をテーブルに広げて叫んだ。今まで自分の悪行につい
て皆が噂をしていたとは思いもよらないで。
「アバッキオ、あのな」
ブチャラティは、熱の籠もるキッチンで５人分の夕食を作っていた賄い方に尋ねた。白い額には汗が
てかっている。
「一昨日、広場でジェラートを買ったろ？」
「あァ？ 一昨日？ そんな暑いとこ行くかよ」
それを聞いてナランチャが笑顔を浮かべた。フーゴは澄まして肯いている。
「じゃあ、ジョルジョーネの店でバングルを買ったりとかは？」
「ジョルジョーネ？ そんな店あったっけ？ どの通りの八百屋だ？」
ほら、とナランチャが勝ち誇ったような顔でミスタを見やる。フーゴはブチャラティの真偽の判断
を眼で尋ねる。
……嘘は吐いていない。
ブチャラティの特技が濡れ衣を晴らした。
「アバッキオ、あんた、そっくりのイトコとかいません？ ちょっと柄の悪い」と、フーゴが念のた
めに聞いてみる。
「あァ？ なんでいきなりそんな……イトコはみんな女だな。似てるかっていうと……あんまりびっ
くりはされない程度にはな」と、機嫌良くアバッキオは身内の話を明かした。ずいぶん１年半で気を
許してきたものだ。昔は家族の話などタブーだった。
「女？ あんたに似てんの？ そしたら結構いけてるんじゃ？ 紹介して！」と、ミスタが立ち上がっ
た。
「みんな嫁に行ったが」と、アバッキオは愛想なく答えた。大丈夫、普段通りのアバッキオだ。
「ミスタ、このひとはね、クリスマスまでうっかりぼくのミスで無給で働いてたのに、買い物のおつ
りを１チェントもごまかしたりしてなかったんですよ！ へそくりも持ってなくて！ それでブチャ
ラティのプレゼントが当日まで買えてなくって、情けなーい顔してたんですよ。食い逃げなんて、思っ
たこともないですよ！」
「えーっ、ホントか？」
ナランチャが食いついた。
「今はちゃんともらってる」
アバッキオが素っ気なく言った。あのどん底の日々の間も、親友からの最後の心づくしのプレゼン
トを質に入れても、飲み代は最後までちゃんちゃんと払ってきた。
「ホントにギャングなのあんた！？」
ミスタが驚倒した。
「ドイツの近郊電車は、駅での改札がないそうですね。無賃乗車をするひとがいないから。国民性が
真面目にできてるんですよ」
「いくらドイツの血が混じってるって言っても、４分の３はまごうことなくイタリア人なんだが、お
れは……山の方とはいえ、育ちもカンパニア（この州）だし」
アバッキオがかぶりを振って見せた。
……それは解るよな。
ナランチャやミスタは内心肯いている。味付けや、食材の選び方に自分たちが幼い頃から食べてき
たものとの違和感を感じないからだ。街のおばちゃん達に料理を教わっているせいもあるだろうが。
……いったいどうしたことだろう……？
ブチャラティだけが、考え込んでいた。
「１人で来てんのか？」
グラスを手に、彼女の横に坐ったのは、淡い金髪を長く伸ばした男だった。
「そうよ、あんたは？」
女は、薄暗い店内で、ランプの光を頼りにその顔を見つめた。彫りの深い、端正な顔。話に聞いた
ことはあるような気がする。モデルのような背の高いいい男。不機嫌そうな顔でいつも街を歩いてい
る……。
「おれも、１人だ」
不敵に笑って、グラスを彼女のグラスにぶつけて来た。澄んだ音が鳴る。
「いいの？ １人で出歩いて」
「面白いことを言うな？」
「だって、あんた、いいひといるんでしょ？ とってもきれいな、怖いひと」
この街の川の向こう半分を締める、ギャングのリーダー。関わり合いになってはいけない……。
「知るか。おれの勝手にするさ」と、喉を見せて酒をあおる。
淡い色の眼が見つめてくる、エキゾチックな。夏にはいつもと違ったことがしたくなる……。
「少しだけなら」
カウンターの内側では、初老のバーテンダーが眉根を寄せた。
女の眼がとろんとしてきた。男が言葉巧みに、強いカクテルを次々勧めてきたのだ。
「おい、こっちにマルガリータもう一杯」
「イヤだね」
バーテンダーが眼を向けただけで元に戻して言った。手は氷を砕いている。
「なんだと？」
「お嬢さん、ちょっとピッチ早いよ。今夜はこの辺にしておいた方がいい」と、バーテンダーは彼女
の伝票をキャッシャーに回した。
「ここはそんな余計な口を出すバーなのか？」
「そうさ。酒を楽しんで貰いたいんでね。アバッキオおまえもこれを飲んだら帰んな」
差し出されたチェイサーを、口に近づけただけでそのまま男はバーテンの頭にぶっかけた。
「脳味噌が沸いたのか？ うちへ帰れよ。待ってる人がいるくせに」
バーテンダーは、濡れて乱れた前髪の下から、感情の乱れを見せずに言い放った。
「あァ？ 余計なお世話だ」
「身の程知らずが。おまえなんかまだまだ顔だけでこの街で遊べるタマじゃあないんだ」
「なんだと？」
「ブチャラティの飼い猫の分際で偉そうにうちに出入りするな。あまつさえ、女を引っかけようなん
て、おまえ、１００年早いんだよ」
「アルトゥロ！ よせ！ アバッキオ、済まねえがここは引いてくれ。あんたもよくねえぜ」
店の奥から、店長らしき威儀の男が出てきてバーテンダーをたしなめた。
「このおれにそんな口を利いていいのか？」
まだ、男は虚勢を張っている。
「アバッキオ、おれは、たしかにブチャラティには世話になってる。だがな、それとこれとは別だ。
おまえも、そこんとこをちゃんと弁えなきゃいけねえぜ」
中年の店長は、口ひげの下の口をしっかりと動かして、言い聞かせた。
「ふん」
男は、つまらなさそうにきびすを返すと、店を出て行こうとした。
「お勘定」
キャッシャー係が、冷たい眼で声を掛けた。
「うるせえ」
その胸ぐらを捕まえて、男は吊り上げた。
「あの女に付けとけ！」
「そ……んなことが……通用すると……思っているのか……」
吊り上げられながらも、怯まずにキャッシャー係は言い返した。
ダシュッ
アイスピックが飛んで、過たず、「アバッキオ」の頬に突き立った。
「おれの顔……おれの顔になんてことしやがる！」
その顔が崩れた、とその場にいたものは見た。
「ああ、ブチャラティだ。なに？ アバッキオならここにいるぞ。ああ、ここ１時間ほどずっとわた
しの下にだ」
ベッドにいたブチャラティは携帯を取るなり端的に答えた。息はまだ上がるまでに至っていない。
電話の向こうのグリマルディーニの若頭は表情に困った。
「それじゃあ、これは偽物で本決まりですな」
「そういうことだ。以後はこちらに通報なしでフクロにしてもらって構わない」
「いえ、それが厄介なんで」
その偽物は、どうやらスタンド能力者らしい。
「なんだって？」
ノリのよいネアポリスっ子たちは、もうその存在を楽しみ始めた。
「昨日はおれ、横断歩道じゃないとこ渡んの見たぜ」
夏休みの少年達が、昼下がりの公園に群れておしゃべりをしている。この暑さでは、カルチョをやっ
ても１０分と保たない。
「マジ？ 安っすぅ。もーありゃ別な生きもんだな」
「おれは、果物屋の店先からオレンジかっぱらうの見たぜ。後ろから膝かっくんしてやった！」
「おー！ ニッコロ、おまえ勇者！」
「おれのねーちゃん口説かれたってさ！」
「信じらんねー！ 引っかかるおまえのねーちゃんも軽いな！」
「バカ言え！ お呼びじゃないのよつって、ハンドバッグで顔殴ってやったって」
「うわー！ アニタ最高！」と、評価は瞬時にひっくり返る。
「やっぱさー整形してアバッキオそっくりになったもんでいい気になってるって線でどーよ？」
訳知りに指を立てて、ニッコロと呼ばれた少年が決めつける。
「バカだしなー。大人ってなんでバカなんだろ？」
「アバッキオは顔でもててんじゃねーよな？」
「うちのばぁちゃんが言ってたけど、去年入った時から、おれは新入りで大人だからつって、あのカッ
コで、市場まで買い出しに行って毎日飯作ってたんだって！ 今も！」
「すっげえなあ」
「おれできねーよ」
小さくてもイタリアーノ、料理はマンマがするものと思いこんでいる。
「おれも大人になったらアバッキオみたいになってきれいな女のひとにお世話されて暮らしてえって
言ったら、オヤジに叱られたよ」
「そりゃおまえ無理だから」と、そう言った少年の豪快に角度のついた鷲鼻をつまみ上げて仲間は笑っ
た。
「そーじゃなくてさ、あれもなかなか辛い生活だって。バールに入ってエスプレッソの１杯も１人じゃ
飲めねーって。見たことあるか？ アバッキオが一服してんの」
「フーゴやナランチャが一緒ってのは見るけどな」
「クリスマスにもうちに帰れねえし」
「それはきついよなー」
少年達はしゅんとなった。
そこへ、噂の色男が通りかかった。と、ベビーカーから転げ落ちた赤ん坊のガラガラを拾ってやる。
若奥さんにお礼を言われて、照れくさそうに顔を背けて逃げた。
「本物だな」
「一発判明」
少年達は、気むずかしい色男に宿題を教わるために、フォーメーションに付いた。
「レオーネ！ 頼むよ、ここんとこおれ解かんねーんだよ！」
リーダー格の少年が泣きつく。
「またかよ！ ニッコロ、おまえ学校に何しに行ってるんだ！」
本物のアバッキオは顔をしかめて見せた。ここで引き下がってはこの男のいいところを楽しめない。
「いっしょーけんめー聞いてるけど、うちに帰ったらわかんなくなってるんだよ！ 誰かが帰り道に
おれの脳味噌食ってるんだよ！」
「そんなばかなことがあるか！ ……チ、見せてみろ」
……作戦成功。
「奥さん連中からは、おめーらの宿題は一切みてやっちゃいけねえって言われてるんだがなあ」
ぼやきながらも教科書を覗き込む。
「先生！ こいつでひとつ！」と、スタンドで買ってきたカプチーノを少年たちが差し入れる。
「バッカ野郎、そりゃ賄賂じゃねーか。いーか、賄賂は良心の麻薬だ。最初は良くてもそのうちずぶ
ずぶにやられる。賄賂だけはやってもとってもいかん！」
大音声で説教をくれられて、小遣いをはたいた少年達はしゅんとした。
「ま、もらっといてやるよ、今日だけ、な」
ギャングの分際でなにを偉そうなことを言っているのだろう、とふと我に返って、アバッキオは少
年達の心づくしの賄賂に手を伸ばした。
「まあまあ、そんなにそっくりなものか、あんないい男が二人もいるなら見てみたいものだ」と、余
裕でブチャラティはパトロールに出て行った。実のところは、グリマルディーニの若頭からの報告で、
その偽物がスタンド能力者ではないかと思われたからだ。
……顔が、粘土かなにかのように崩れて、それが襲いかかってきたと言いますんで。そんなばかな
と言ってやっても、その場にいた連中がみんなして、あり得ないものを見たと。それで逃がしちまっ
たんでさ。
なんか、現実とは思えない、変な事件が起ったら、縄張り関係なくそいつはブチャラティさん、あん
たに回せとポルポさんからは常々言われてます。
タルティーニはそう言って対処を任せてきた。
顔に装うタイプのスタンドで、その能力でいろんなものに化けられるのだとしたら。
ちょっと厄介な敵だな、と思って、かぶりを振る。
……だが、頭の悪い能力者だ。いや、能力自体が低いと言えようか。心の内面までは真似きれない
から、すぐに見破られた。
……半可通がちょっと顔だけ真似たって、すぐに解ってしまうぐらいに、おまえはこの町に溶け込ん
でしまっているのだよ。
「ブチャラティ、なに笑ってるんだよ？」
横のナランチャが、いぶかしそうに聞いてきた。
「ナランチャ、やつは、なにかの能力者らしい。顔に粘土のようなものをまとって、別人になりすま
しているようだ。注意しろ」
「えー？ じゃあ、顔にぶち込まないとやっつけられないってこと？」
「うむ……それはわたしも対策を考慮中だ」と言ったブチャラティの表情が凍る。見る間に小走りに
なって、通りの端のカフェーのテラス席で、女にしきりに言い寄っている男の耳をつまみ上げる。
「その顔に用がある」
「ひっ……」
ブチャラティにどかされる前に、女は自ら飛び退った。
「ご機嫌だな。この街でそんなことをされると迷惑だ」
大きなテイクバック、その陰に、もうスタンドが姿を取り始めている。ふてぶてしい白い顔は、笑
みさえ浮かべてそれを目の辺りにしながらもなんの防御も取ろうとしていない……。
スティッキィ・フィンガーズの拳が、いまいましい女たらしの顔にヒットすると見えた。しかし、
その一瞬前に、拳は顔から溶け出た粘土かスライムのようなものに絡め取られた。
「チ、やはりスタンド能力者か」
手を振って、ふるい落とそうとするが、それは絡みついて離れない。
「あんたがブチャラティか、凄い顔して。アバッキオでなくて残念だったな？ いや、浮気されてな
くて安心か？ はは、こんな顔にご執心か。このおれの超ハンサムな素顔を拝ましてやるよ。惚れるん
なら、おれに惚れな」
偽物は顔にまとったスライム状のスタンドを引きはがし、素の顔を出して見せた。オリエンタルで
はあるが、たしかに整っている顔立ち。黒い長い髪は後ろに撫でつけて、襟足からは少し巻いて遊ば
せてある。しかし、酷薄そうな性根の悪さが、細い眉の辺りと、唇に現れている。
「ちょ、ブチャラティ！」
追いついてきたナランチャがエアロスミスを発現させる。
「ナランチャ、町中で発砲するんじゃない！ それより、かたぎさんを避難させろ、こいつはやばい！」
「あ、うん！」
すぐに携帯を取り出して、グリマルディーニのオフィスに繋ぎ、「交通整理」の依頼を済ませる。
別コースを回っているミスタとアバッキオ、留守番のフーゴにも連絡を取る。「つッ……なんだこれ
は……」
指先が浸食される感覚に手を見ると、スライムのスタンドが絡みついたところから、肉が溶かされ
て行っている。
「ブチャラティ！」
「浮き足立つな……アルベルトさん、もらうぞ」と言うなり、テラスのテーブルに置かれたマッチを
スタンドで擦って火を付ける。その火でもってスタンドを焼いて引きはがそうとするが、火が近づく
と、黄色い粘性のスタンドは分裂して飛び散った。
「うわ」
「ブチャラティ！ 頬に付いてる！」
付いていた指先を見ると、ずいぶん食われてしまっているようだ。
「ナランチャ、わたしに構うな、やつが逃げる！ 足止めしろ！」
「解った！」と、エアロスミスが飛び立って、逃げかけるスタンド使いに襲いかかる。が、爆撃も、
機銃掃射も黄色い粘土に阻まれて本体には届いていないようだ。
「ブチャラティ、だめだ！」
「いいから足止めに専念しろ、ここいら一帯の隔離が完成すれば、最悪、フーゴが使える」
「はい、気象台に問い合わせてきました。今日のネアポリスは微風。周囲への飛散は考慮に入れなく
てもいいようです。天気は快晴、日光消毒も期待できます。
……パープルヘイズ日和ですよ」と、いつの間にか背後にフーゴが現れていた。つめたい笑いを天
使の顔に浮かばせて。
「あとはタルティーニさんからの連絡待ちです……ちょっと、ブチャラティ顔になにくっつけてるん
ですか？」
「触るな、食われるぞ」
取り去ろうと伸ばしてきた手をブチャラティは避けた。ちりちりとした痛みが、頬にも走っている。
「って、それスタンドですか！？ 今現在あんた食われてます！？」
フーゴの背後にスタンドが発現した。
「どいてください。隔離が完成してなくってもやります！」
「ちょ、待て！」
「フーゴ、落ちつけって」と、ナランチャがフーゴを羽交い締めにする。
「ナランチャは敵を足止めッ！」
３人してパニックに陥っているところへミスタとアバッキオが到着した。
「ナランチャはこのまま周回軌道で爆撃を続けて敵を足止めしろ。その間に対策を練る。ミスタはい
つでも撃てるように待機ッ」と、ブチャラティは平静を装う。
「それより先にこれ取らないと！ その指見せてください！ 何秒でここまで持って行かれました！？」
「ほんの２、３秒だ。今はそれより経っているから……」
終いまで言わなくても、顔色が悪くなってきているから解る。あっさりのんびりしているようでも
年頃の女性だ。精神的ダメージも大きいのだろう。
「手では移って来ちゃうんですね？」
「火で焼こうとしたら飛び散った」
短く情報交換している間に、アバッキオの髪が逆立ち始めているのをフーゴは見とめた。ブチャラティ
の空いた手を、アバッキオは強く握りしめている。
「……ミスタ、撃ってみますか？」
「あー？」
「スタンドは、スタンドでしか触れない。セックス・ピストルズなら、この忌々しいスライムを引き
はがせるかも知れません」
ブチャラティに眼をやって、フーゴは許可を求めた。
「構わん、撃て！」
「ええっ？」
爆撃を続けながら、ナランチャが振り返って見た。
「だって、シニョーラ・ブチャラティ、あんたの顔……おれは女の顔を撃つなんてことはできねーよ」
ミスタが途方に暮れた顔になる。
「バカ野郎！ そんな呼び方をするな！ わたしはただのブチャラティ！ 一度顔を攻撃されて引い
たらあとのやつがみんな狙ってくるだろうが！
構わん！」
「解ったよ……、行けえ！ セックス・ピストルズ！ ブチャラティの顔には傷をつけないで、敵の
スタンドだけをそぎ落とせッ！」
ミスタは至近距離で銃を構えて発射した。
「アイヨーッ！」
「難しければソレダケ燃えるゼェーッ！」
「オレタチのカッコイイトコよっく見ヤガレッ！」
彼のスタンドが銃弾をコントロールしてブチャラティの顔に迫る。イエロー・テンパランスが泡だっ
てブチャラティの頬から触手を伸ばすように立ち上がり、銃弾を絡め取るようにする。
「イーハーッ！」
「そこだァッ！」
銃弾から離れたスタンド達がそれを蹴飛ばして弾道を変え、その黄色い触手に触れるか触れないか
のところを通過させる。とうとう、釣られた触手は弾丸に絡みつき、ブチャラティの頬を離れて宙に
舞った。ピストルズ達は絡みつかれる瞬間に姿を消している。
「やったぁ！」
横目で見守っていたナランチャが歓声を上げる。
「ご苦労」
短くブチャラティがねぎらう。
「大丈夫だ、たいして食われてないッ！」
すぐに傷口を検めて言い聞かせるように宣言すると、アバッキオが人目もはばからずにブチャラティ
を抱き寄せた。
「若いですから、これぐらい勝手に再生しますよ」と、フーゴが言い添える。
「なんだって無茶するんです。タルティーニさんから情報もらってたんでしょうが！」と、あとはお
説教。
「いや、なんか、そのつもりだったんだが、やつがアバッキオの顔で女を口説いてるのを見たら頭が
真っ白になって……あれ、なんだこれは？」と、ブチャラティは自分でも訳が解らないような顔で、
ぽろぽろこぼれる雫を手で受けた。両の眼から止めどもなく落ちる自分の涙を。
「あ、そんな、傷ついたとか、そんなことはなくって、偽物だってのは、一瞬あとで解ったんだけど、
おい、レオーネ、どこへ」
パープル・ヘイズがまず走り出した。本体はただいまナランチャの爆撃を受けている敵を溶かし尽
くすつもりだったのだが、なんの攻撃力もないアバッキオのムーディー・ブルースがそれを一瞬で掴ん
で後ろへ投げ捨てた。
「無理だ！ アバッキオ！」
その背に、ブチャラティの声がかかる。
「ナランチャ、そこどけ」
アバッキオは短く言い捨てた。反論を許さぬ迫力で。
爆撃がやんで、自分のネタ元が自分を見据えているのに気づいたスライム男はいやな笑い方をした。
「よう。レオーネ・アバッキオ。この街はいい街だな」
「そうだな」
短く肯いて、アバッキオは男を殴り飛ばした。
「ぐげえええぇッ！」
圧倒的な力を、吸収しきれず、男は通りの中央にあった噴水の中まで飛ばされた。そのまま噴水の
水の中に叩き込んで、胴体部分にラッシュを決める。人間並みしか腕力のないムーディー・ブルース
が、水しぶきを上げて男を水中に固定している。
「ま、待て、おれのイエロー・テンペランスは完璧な防御力で……完璧すぎて、水中では息が……」
「スタンドをしまえばいいじゃないか」
短く、アバッキオが提案する。それは、敗北という展覧会への入場券だ。どんな惨めな自分を描い
た絵図を見せつけられるか。しかし、窒息の恐怖に怯えるその男はその言葉に飛びついた……。
「あんた、いい男だな。素顔の方がもてるだろう」
スタンドを解除したとみとめるや、生身のアバッキオが、自らの身も噴水に沈めつつ、敵の顔に拳
を叩き込み始めた。
「おい、おいッ！ おれの顔を、顔を殴るなッ、殴らないでくれえっ！」
「覚悟が違うな。あいつは迷わず自分の顔を撃たせたぞ……」
「そんな、あんな女と一緒にするな……」
その一言で、さらに強い一撃が落され、その男は鼻を砕かれた。
「おれは、完璧だ、完璧の筈なのに……あの、ジョータローにしか今までやられたことはなかったの
に……きさま、やるな……」と、息も絶え絶えになって言う。
「おれはいたって普通の男だよ。惚れた女が泣いたら、どうもできないような、そんな情けない、普
通の男だ」
ゆらりと立ち上がったアバッキオは、顔に落ちかかる長い髪を掻きやって、ブチャラティの方を望ん
だ。
駆け戻ると、フーゴが「完敗です」と右手を上げた。それに、ぱしん、と手を打ち合わせてアバッ
キオは通り過ぎる。
「アバッキオ、お手柄だ。真っ当に拳を叩き込んでやれば良かったとは……それにしてもすごいラッ
シュだった。ムーディ・ブルースも戦闘向きだったんだな」と、ブチャラティがねぎらう。
「いや、どうかな」
アバッキオは今更ながらに拳を押さえた。
「……とりあえず、今日は包丁は持てそうにない。済まんが、外食してくれ」
「当然だ！ わたしの奢りでみんな、好きなものを頼んでくれ。
やつがおまえの名を騙って悪さをしていたことを知っていたのか？ あんなに怒って」
「いや？ そうか、それでか」
はじめて、アバッキオは腑に落ちた様子を見せる。
「街のみんなから何か言われたか？」
「いや？ みんなが訳知りな顔をして、あたしは解ってるから、おれは大丈夫だって、どいつもこい
つも勝手に肯いてるばかりで」
一同、黙って肯いた。
「やつがおれにやられる理由？ そんなのは、これで十分だ。
やつは、あんたを、泣かした」と、うそぶいてアバッキオは、腫れ上がる手でそれでもブチャラティ
を抱き上げて歩き出す。それを、まぶしそうな顔で見上げながら、チームの皆が付き従ってゆく。封
鎖が解けて、街の人たちが通りに戻り、ここ数日の異常な事態が解決したことを悟って笑顔を浮かべ
て彼らを見送る。
ネアポリスは夏。輝く夕日が、空を、海を染めて姿を消そうとしていた。
＜１６−０３−０９＞
＜おまけ＞
「自分の顔を撃たせても平気なのに、アバッキオが浮気してると思っただけでぽろぽろって、ぽろぽ
ろって……なんてカッコ可愛いんだ、シニョーラ・ブチャラティ……」
新入りのガンマンは、タイプじゃないはずの女ギャングに忠誠を捧げる決意をした。
蛇足。
みんなアレッシーモードは喜んで書いてるけど、パロディものの王道といえば、偽物出現ものじゃ
ないですか！ アバッキオの偽物にネアポリスを引っかき回してもらおう！ って、みんな騙されな
さすぎ（深く反省）。
大好きな大切なひとと同じ顔でやられるといやなことはなにか、というお題だったのですが、食い
逃げ、代金踏み倒しに始まって、万引き、迷惑行動。立ち小便はさすがにレディとして書けませんで
した。絶対イヤッ！ 飲み過ぎてゲロとかはあっても良かったかも。書きたくないけど。
そして、やっぱりコレが一番イヤ、理性をすっ飛ばしてブチャラティを泣かしてしまったのが、
「異性を口説く（しかもスマートでなく）」。もう少しだめだめな感じでやっても良かったかもだ
けど、そしたら一目瞭然だし。難しいです（テクがないだけ？）
「輝く夕日が、海を、空を染めて姿を消そうとしていた」と書こうとして、地図を思いだしたら海は
西でオッケーだった。わたし日本海側の出でさ、夕日は海に沈むもんだと思ってて。こういう感覚大
事だけど別な場所書くときヤバイよね。
金銭感覚の話。
９「聖夜」でクリスマスプレゼントを買えてない話を出したときにちらっと、アバッキオ給料もらっ
て無くて自分の金がないんじゃ、と思ってた、なんでもあとでネタになる。そこでフーゴが慌てて給
料を出して（だから封筒のママ）クリスマスの買い物に行ったと。
ブチャは金は天下の
回りものなひと。ピザの代金払わなくても済んでたし。相手を信用するどんぶり勘定。アバは置いて
貰ってるだけで幸せなので、見習い期間中なのかなと思ってた。買い出しのお金はフーゴがくれたし、
自分のものはなんでもブチャが買ってくれてたし。もともとおつりをごまかすなんてことはできない
性格。フーゴは積極的に自分とチームのために裏金を作りに行く方（３「空白の一日」参照）。生ま
れのせいもあって、活動資金のない生活は想像できない。ナランチャは素で「おつりはもらっていー
い？」と聞ける性格。ミスタは悪気無く言われるまでおつりは返さない。
せっかく出したのに、イエテンの能力忘れてて、退治法も忘れてて、まあ大変！
……純粋にラッシュで良かったんだよね？
「おまえはおれを怒らせた」
それって、承太郎さんの決めぜりふでしたね。３部読んで間が開いたから忘れちゃってた。
おまけについて。
気がつくと、ミスタにブチャラティを「ねーさん」呼ばわりさせていたので、そのアリバイを作っ
ておこうかと。ギャングなんだから普通に「姐御」とか言わないとだめかなと思ってたミスタさん、
ブチャは素朴な人間だから別に名前で呼んでいいと言われ、それで落ち着くかと思ったが、ブチャの
侠気を見せられ、タイプじゃないけど心酔してるぜという気持ちを表わしてみましたと。日本語は相
手を呼ぶ言い回しにヴァリエーションがあるけど、イタリア語で彼らがなんて言ってるかって……やっ
ぱり「シニョ−ラ」（既婚女性、地位ある女性への呼びかけ）って言ってんのかな。たぶん、タルティー
ニが「姐さん！」って言ってる時は「シニョーラ！」。未婚女性はシニョリータだけど、やや軽く見
てるニュアンスも入るらしいし（「神様の思し召し」のガラヴァーニのお嬢さんは「シニョリータ」！）。
英語だと、地位ある女性は未婚でも「マム」らしいし（軍で、女性の上官への返答は「アイ・アイ・
マム」）。イヤ待て、「姐さん」じゃなくて「ねーさん」だから、やっぱり「シニョリータ」？
２０００年時点ではカッコ可愛いなんて言葉はなかったと思うけど、ミスタはこういうの使うかなと。