年内立春

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 「年の内に春は来にけり　ひととせを去年（こぞ）とや言はむ今年とや言はむ」
　真面目な顔をして、発はわたしの顔を覗き込んで来る。
「年内立春と申しまして、暦の上ではまだ極月というのに、立春が廻って来る時がございます。かといって、これが珍しいことかと申しますとそうではないのです」

　よろしいか、と前置きして、発は話を続ける。二人して籠った書庫は、発があちこちから歌論書や書き付けを引っ張り出してきたので、また散らかりはじめている。蜘蛛が二筋、糸をかけているのをわたしは見た。
「なぜこのような事が起こるかと申しますと、月というものは、月の満ち欠けによって日数を数え、それを十二数えてひと巡りいたします。けれど、立春や寒の入りなどは、陽の、地を廻る道筋を等分いたしまして、毎年その位置に陽が参った時、その季が来たと定めます。月の満ち欠けとは関わりがございませぬ故……」
　もはや、発の申しようはわたしの理解を超えた。しかし、発はなおも円やら十字やらを紙の上に描いてはとうとうと暦についての蘊蓄を傾けている。聞き流しておればよい、と、父は笑うだろう。なんといっても上士の一人娘、機嫌を取り結んでおけばそのうちに地位も財産も手に入る……。
　話がまとまり、言葉を交わすようになって解った。許嫁は不美人でも我が儘でもなかったが、天狗のように頭が切れるのであった。

「与一郎さま？」

　発は言葉を切ってわたしを見上げた。それは、ひとり浮かれ歩くうちに知らないところへ来てしまったと悟った童女の顔であった。　　
「このような話、お嫌い？　発をばけものとお思いになる？」
　笑って首を横に振ってやる。わたしには話に応じるだけの才は無い。黙って聞くだけがせめての役割と心得ている。発は顔をほころばせ、立っていって、わたしが三寸ばかり開けておいた書庫の戸をぴったりと立ててきた。わたしが見つめかえすと、黙ったまま発は身を投げかけてきた。
「お発どの」
　礼儀のように一度突き放した娘のからだは、今一度わたしの腕の中に入り込んだ。
「与一郎さまは、父上のように話を遮ったりはなさいませぬ。それは、わたくしの機嫌を損じてはご養子のお話が立ち消えになるからでございましょう」
　わずかな躊躇を逃さず、発は言葉を継いだ。
「解っております。構いませぬ。ご不自由はさせぬように致しますゆえ……」
　顔を上げ、唇を合わせて来ようとするものの、首を伸ばしたままに震える発を、わたしは抱き寄せた。
　祝言の日取りはまだ決まってはいない。時が至らぬのに、春の来ることはあるものか。とりあえず、発の肌は温かい。わたしの身体も、胸も腹も分かち難く熱を持ってきている。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜了＞

　「年内立春」：和歌の世界ではちょっとおもしろい題材である年内立春。新年一月一日こそが春の初めというのが太陰暦の基礎かと思いきや。春は「暦」通りには来ないようで。
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