ニアミス
その朝＆生ハムメロンクロスオーヴァー
「おいッ、この先は行き止まりだッ」
ローマの名の通った会議場。今は、「中堅商事会社Ｐ」の年末恒例全国支社会議で貸し
きりになっている。最新設備の整った大会議室は収容人員が３百人。その他に、分科会の
ためのそれぞれの規模に合わせた中・小の会議室が同じ建物内や別館に合計２０ほどもあ
り、併設レストランも３つ、ティールームに至っては広大な庭の中の四阿に併設された分
を入れれば１０にも登る。高名な建築家による設計の建物は、それ自身が新しい名所にも
なっている。
休憩時間に、その壮麗な姿を楽しもうと回廊を歩いていた出席者の女性が、かたぎとも
思えぬ黒い服を着た男に足止めされた。
「あら？ どうして？」
艶然と微笑んで尋ねるその金髪美人の顔を見て、一人が顔色を変える。
「この先でガラヴァーニのお嬢さんが休憩していらっしゃるんだよッ。解ったらさっさと
向こうへ……」
「シッ！」
そのあからさまにおびえを顔に上らせた相方に止められ、黒い服を着た男はもう一度そ
の女性の顔をまじまじと見つめる。
淡い金の髪はまとめてシニヨンにして後頭部に貼り付けている。秀でた額の下に、意志
の強そうな碧い眼。高い鼻は高貴さを際だたせている。薄い唇が、愉快そうに口角を上げ
ている。品の良いスーツに身を包んだしなやかな立ち姿は貴婦人そのものだが。
「へえ？ ガラヴァーニの。今度は誰をいびってるんだ？ オメーらまた楽しいおこぼれ
に預かろうってのか？ 進歩ねーなあの女」
明らかにその筋の育ちをしたものいいが、彼女の素性を物語っていた。
「お、おまえ、モンテッソーリの！？」
「オレのこと覚えてた？ じゃ、オレの得意技も、思い出してくれねぇか？」と、女は右
手をひらめかせた。
「ひっ……」
道はすぐに開かれた。
「恐れ入りますが、仰っていることの意味が解りません」
抑えた声が、回廊の奥から聞こえてきた。
「ふてぶてしい雌猫だことッ！ ムショに入ってるポルポとどうやって関係を続けてるの
かッてことでしょッ！？ 金を積んで鍵を開けて貰ってるのッ！？ どうなのッ！？」
対するのは聞き覚えのある金切り声だ。ルクレツィア・ガラヴァーニ。あの頃となんに
も変わっていない、と、女は失笑がこみ上げた。豪奢な金の髪をきれいにセットして。派
手なドレスを纏って。自分こそが世界一の美女だと思いこんでいる。
「お嬢さんが興味を持たれるほどのこととは思えませんが」
地味なテーラード・スーツに身を包んだ、まだ高校生にも見える娘が、とぼけた顔で黄
金の暴風をやり過ごしていた。
小さい白い顔を縁取るブルネットを顎までのボブにして。たった一人で立ちつくす姿は、
けなげにも見えた。
「みんなおかしいって言ってるわよッ！ ネアポリスといえば南イタリア最大の都市、イ
タリア一の犯罪都市なのよッ！ どうしてそこの代表があんたみたいな小娘なのッ！？」
「さあ、それは、ボスのご意向ですし」と、その娘は無表情に首を傾げてみせる。
たいした胆力だ。もしかして、どこかの神経が一本切れていて、本当に身の危険を感じ
ていないのかも知れないが。
モンテッソーリの、と呼ばれた女は、見ていて愉快な気持ちがこみ上げていた。
「だからそういうおかしいことの裏には、やっぱりそれなりの事情があるのがこの世界の
常識だって言ってるんでしょッ！？ さあ、お言い！ あんたはポルポの何を握ってるの！？」
「お嬢さん、さっきからご質問の内容がずれてきているんですが。どのご質問にお答えし
たらいいんでしょう？」
「このッ！」
みごとなとぼけ方にとうとうしびれを切らしたガラヴァーニの娘は、とうとう手を振り
上げた。
モンテッソーリの女は出て行って、その手を抑えた。
「久し振り、ルクレツィア。まーだこんなことやってんのかよ。小娘相手に。そんなてめ
えに自信ねぇのかオメーは」
「だ、誰ッ！？ なんでここに……」
美しい顔が、背後を見ようとして、そして、自分の思うとおりにならなかったことに歪ん
だ。
「えー？ 挨拶したら道開けてくれたぜ？ オメーんとこの護衛は学習ってのをちゃんと
してるな。オレだよ、『ミカエラ』、モンテッソーリのとこの。その節はどーも」
ふりほどこうとした手は、恐ろしい膂力で固定されていて、どうにも動かせない。
「ミカエラ……？ ひぃッ……」と、記憶が蘇ると、なおさらに手をふりほどこうとする。
「オレ、印象薄かったか？ もうオメーの中じゃあ消えた人間だからか？ ひでぇな、オ
メーのおかげでうちは大変だったってのに」
「な、何しに……」
「えー？ コンパニオンの頭数足りねえってんでヘルプに。失礼しちゃうよな。ミカエラ
姐さんといえばファミリー秘蔵って話だったのに、一山幾らのおねーちゃん扱いだぜ。
まーちょっと懐かしい顔も見たかったし、営業も兼ねて顔出ししたんだけど、ホント懐
かしーのに逢えたな。
なー、お礼してもいい？ オメー本人にはお礼してなかったよな？」
「あ、あんたは未遂だったって……」
「あーそりゃ未遂は未遂だったけどよー、嫁入り前の娘が裸に剥かれていろいろいじくり
回されて、なんとも思ってねーワケねーじゃん？ それにさ、家のメンツもオレの未来も
あるってのに、そんなん、最後までヤられましたって言うわけねーだろ？ よっく考えろ
よ」
右手は押さえたまま、左手を出して、ミカエラはルクレツィアの頬をゆっくり撫でた。
ルクレツィアは眼を見開いて、がくがく身を震わせている。
「そんで、おめーには世話になったことだし、オレの能力、見せてやろうな。
おかげでボス直属だぜ？ 出世も出世。ホント、ありがとうよ、ルクレツィア」
「ミ、カエ……ラ……」
「オメー、もうちょっと大人になった方がいいぜ、こーのくらい」と、ミカエラの背後に
は、全身に眼を貼り付けた怪物が現れて、老化ガスを吐き出している。
「あーそこの嬢ちゃんはちょっと風上行ってろ。巻き沿いくったら損だ」
笑いながら、顎をちょっとしゃくってミカエラは言ってやった。
見る間に豪奢な金髪は色を失い、美しい顔には皺が刻まれた。
「オメーにはこのぐらいが似合いだよ。鏡、貸してやるぜ」と、ポケットから手鏡を出し
て見せてやる。
名状しがたい悲鳴を上げて、ルクレツィアは地面に坐り込んだ。
その肩に手を触れて、ミカエラは老化を解いてやる。親切ではなくて。一度目の辺りに
した姿が、自分にいつ訪れてもおかしくないと印象づけてこれから先の人生に恐怖を植え
付けるために。
「もう、行きなよ」
ミカエラは、立ちつくしていたブルネットの娘にかるく笑ってやった。
「お礼を申した方がいいでしょうか？」
スタンドが見えたはずはないが、一瞬のうちに老いたルクレツィアの姿は眼に入ったに
違いないのに、娘はとぼけた顔を崩していなかった。
「あーやめとけ。オレはこいつに借りがあっただけだ」と、ミカエラは去りかける。
「凄い能力ですね。元に戻すこともできるんですか」
笑っていたミカエラは、表情を消して首を戻し、娘の顔をまじまじと見た。
「ネアポリスのブチャラティです。……わたしも能力者です」
「へえ。オメー、くちは固い方か？ と、愚問か。あんまりしゃべって歩かねー方がいい
ぞ」と、右手を振って見せながら、ミカエラは念押しした。
「わたしも借りは作りたくないのですが」と、頭にトゲをいただいたスタンドを呼び出し
て、ミカエラのスーツの脇をジッパーでとじ合わせる。見ると、貴婦人に似合わぬ振る舞
いのせいで、右脇の下が裂けていた。
「こりゃ助かった。じゃ、今日のところはこれで。オレは暗殺チームの『プロシュート』
だ」と、言いおいて、ミカエラは背を向けた。
「お元気で」
「はん、オメーもこんなのに引ッかかッてんじゃねーぜ」
ヒールを鳴らして回廊を戻ると、天使のような美少年が、髪を乱して脇を駆け抜けた。
「失礼……ブチャラティッ！」
もう少し歩くと、さっきの護衛が二人ながらみごとにのされていて。
……ネアポリスは若いのばっかりが元気みてぇだな。
営業かたがたちょっとした情報収集ができて、「ミカエラ姐さん」は、まあまあな機嫌
でなんとか支店長会議のパーティを乗り切った。
蛇足。
おねえさん競演。コレやっちゃったら原作のあのフィレンツェ行き高速鉄道の名バトル
が台無しになっちゃうんですけど。
ブチャラティとプロシュートに面識があったとは思えないけど（片方は暗殺チームだし）、
噂ぐらいは聞いてたかもね、と思って書いてみました。
アニキもちゃんとガラヴァーニのお嬢さんに自分の手で仕返しできて良かったねと。こ
のひとはやっぱり自分でやるだろうと思って。
理性とか配慮とかあったら面と向かっては聞けないことも、聞いてくれる勇者がいると
いいよね。ブチャラティだったらしれっと答えてくれるかも知れないし（しれっととぼけ
られてしまったけど）。
ということで別解。
「あ、お嬢さん、さっきのお尋ねの件ですが」
パーティの席で、ブチャラティはルクレツィアを捕まえて言った。
「わたしはちょっとした手品が使えるので、ポルポさんがムショに入っていても別に差し
支えないんです。今でも月に何度かは可愛がって貰ってます。
ポルポさんも、もうわたし以外には女は必要ないと仰ってくださって」
しれっと言ってのけるのに、半径３メートルが静まりかえった。
数ヶ月後。
「プロシュート、ネアポリスの、ポルポの秘蔵っ子のブチャラティとか言う小娘な」
アジトで次の仕事の情報を渡しながら、リゾットが何気なく話題を振った。
「ああ、この前『支店長会議』で逢ったぞ」
「体の関節が自由に外せるらしいな。それで、ムショの中のポルポにも普通に逢いにいけ
るそうだ」
……おや、そうだったっけ。確かに余分な脂肪はついていない感じだったが。
プロシュートはちらりと考えて、それきり忘れた。
ブチャラティの能力は、本人はとくに隠してはいないのにこういう訳でなかなか実体が
明らかにならないのだった。
（３０−０５−０９）