ＭＵＴＳＵＧＯＲＯＨ！
そこはネアポリス下町のちいさなリストランテ。入り口に案内係の立っている程度の格
式の。昼時の忙しい時期を少し外した頃で、ブチャラティはゆっくりと食事を採っていた。
そこへ、案内係を気迫で押しのけて、スーツ姿の少年が入ってきた。フロントを長く目の
前にたらした亜麻色の髪、タイでキッチリ襟元を締め上げてはいるが、メダルほどの大き
さの穴がそこここに開いていて、とてもまともな感性では着こなせないスーツをまとった、
天使の顔の参謀が。
彼はテーブルに真っ直ぐ歩いてくると、背筋を真っ直ぐ伸ばして誰にも遮らせまいと一
息で言い切った。
「彼にスパゲティを食わしてやりたいんですが、構いませんねッ」
その台詞は初めてでもなかったので、その言葉を受けた少年の上司は、ごく何気なく自
分の目の前にサーヴされたばかりのスパゲティを、引きずってこられた男の目の前に差し
出した。
傷みきった淡いブロンドの、背の高い彫りの深い端整な顔の男に。
「フーゴ、何人目だ？ ちゃんと世話はできるんだろうな」
最初のナランチャ以来、あまり続くのでブチャラティの方のあしらいも捨て犬を拾って
きた子供に対するおかあさんになりかかっている。
「ブチャラティ、今回は拾いものですよ、なにせ……」
拾われた男が言葉もなく目の前の皿を見つめているというのに、ブチャラティと、フー
ゴと呼ばれた少年は込み入った話を始めてしまった。
「どうした？ おあがり」
ふと、ブチャラティは男に目を留めて、優しく声を掛けた。男をテーブルに着かせ、カ
トラリーの入った籠を押しやる。
「聞こえてないのかな？ 外国人か？ それとも彼は耳が？」
「そんなことありません、ぼくとは二言三言話をしましたよ。
どうしたんですか、遠慮しないで。取って食いやしませんって」
「ああ、どうかな……」
ふと、ブチャラティは苦い笑みを頬に浮かばせる。最初にフーゴの拾ってきた少年、ナ
ランチャには眼病を患っていることもあってついお節介をしてしまって、結局、この稼業
に引き込んでしまったことを少し気に病んでいるのだ。
「とにかく、おあがり。フーゴの気遣いを無にしないで」
優しく言ってやって、ブチャラティは背筋を伸ばした。自分は飛ばされたコースの次の
一品を待つつもりだ。
男はさらに頑なに頭を振って、両手をテーブルに置いたままおし黙っていた。
「困ったな」
店内は静まりかえってしまった。
「好き嫌いはよくありませんよッ」
フーゴは汗をかいてなんとか男にブチャラティの配慮を受けさせようとする。
「腹が減ってないわけはないと思うが」
ほんの少しの微笑みを唇の端に浮かべて、ブチャラティは男の眼を覗き込んだ。淡い、
氷河の国の湖水のような色の。沈んで、細波ひとつ立たぬような暗さをたたえている。
「強情を張らないで。悪いようにはしませんから。あんたにちょっと聞きたいことがあるん
です。
あんたのことはもう幾日も前から見かけていたんですが、ちょっと気になって。
……あんた、よく猫みたいに……ッ？」と、その声は遮られた。
「ほらよ。兄さん、お行儀がいいのはいいが、ブチャラティに余計な気を遣わせるんじゃ
ねえよ」
口の達者なホール係がやってきて、銀の盆の上から新しく作り直したあつあつの同じパ
スタをブチャラティに供したのだ。
「こりゃ、済まないな」
ブチャラティは一瞬目を見張った。
「いいってことよ」
ウィンクをくれてホール係は身を翻した。
「じゃあ、毒味をしてやろう」
ブチャラティがフォークを取り上げた。
「……恩に着る」
ブチャラティになにか供されるのを待っていたとおぼしき男は、やっとフォークを取り
上げて、堂々と、礼儀を失しないギリギリの線でがっつき始めた。
「なんだ、『待て』をやれるのか、躾のいいわんこを拾ってきたじゃねえか、フーゴ」
「兄さん、このお方にめしを奢られるとコワイぜ〜？」
ホッとしたように声を掛けてきた街の衆は、フーゴに睨まれて慌てて背筋を伸ばして口
を閉じるとテーブルに正しく向き合った。
「話が途中になってしまいました。
彼、よく猫がやるみたいになんにもない虚空を見つめてるんです。やばいものをやって
る人間かなと思ってたんですが、ぼくもその彼が見ているものが見えたので……スタンド、
でした」
声をひそめて言ったフーゴの説明の内容に、
「なに？」
グラスワインを味わっていたブチャラティの眉が上がった。
「坊主、あんたにもあれが見えるのか？」
スパゲティを平らげてひと心地ついた男は話の内容にも気を配っていたと見えて、意外
そうに目を向けた。
「確認させてくれ。
あんたは、こういう、他の人に見えない自分の言うことを聞いてくれる……おばけ？
を持っているか？」
身を乗り出して声をひそめたブチャラティの背中からは、スティッキィ・フィンガーズ
が浮かび上がった。
「うわ！」
声を上げて、他のテーブルの連中がなにも反応していないことに気づいた男は、キョロ
キョロしていたが背筋を伸ばした。
「……こういうのでいいのか？ あんまり思い通りには動かないが」
男の右脇に、青い人影が浮かび上がった……。ディジタルの数字の並んだカウンターの
ようなものを額にあたるところに戴いていて、フードを被ったような筋肉質の男の姿をし
ている。無機質な質感がどんどんくっきりと確かなものになってきた。
と、額のカウンターが急に巻戻る。男は頬に手を当て、急に怯えたような色を見せる。
……何してるアバッキオッ！ そいつ銃を持っているッ！
スタンドは今や相棒を庇って殉職する警官の姿になっていた。彼が発したであろう声も、
全く同様に「再生」したように聞こえてくる。
「やめろッ」
男が頭を覆ってテーブルに突っ伏すると、人影は消えた。
ざわめきを取り戻したリストランテの中で、２人の若いスタンド能力者だけが、その様
を目撃していた。
「能力者だ、でかした、フーゴ！」
ブチャラティは破顔した。
「行くところがないならうちのチームで引き受けよう。名はなんと？」
「レオーネ・アバッキオだ」
「なんだ、わんこじゃなくてライオンさんか。よぉーしよしよしよし。そういえば、この
夏警官が殉職したとかでひとり再起不能になったとか言ってたな。おまえだったのか。
昔のことを再生できるスタンドなんて、使いようはいくらでもあるぞ、貴重品だ。
大丈夫、おまえの身柄はうちのチームで預かるからな、安心していいぞ」
昂奮した若きチームリーダーは、席を立って、その日暮らしで伸び放題の髪をした男の
頭をかき抱いて撫で倒していた。
その手放しすぎる歓迎に、苦悩の日々に心が折れそうになっていたアバッキオは、
「ブチャラティ、あんた……おれは、あんたに、忠誠を誓うぜ……」と、声を詰まらせて
宣誓していた。
２９−１１−１０