その朝

ブチャラティ女性化でスイマセン

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　その朝、フーゴがいつもの時間にブチャラティのフラットに顔を出すと、珍しく彼の上
司は朝食がまだのようだった。慌てて閉めそこなった寝室への扉に不審感を覚えて、なん
となく眼をやって、ベッドの中からプラチナ・ブロンドが覗いているのを見て、フーゴは
驚倒した。念のために確かめたベッド下に揃えられた薄汚れたブーツは、とても家出娘が
履くような大きさではない。
「……ブチャラティ、ぼくはあんたの身持ちの堅いのには信頼を置いてたんですが」
「なんだ、朝っぱらから。済まない、ちょっと今日は遅れる……一人拾ってしまって」
「拾いものが多いのはお互い様ですが、ちょっと、今日のは大きいんじゃないですか？」
　つい先年、こんな小さな子供が、と気負いこんでブチャラティの元へ連れて行ったナラン
チャが、あれで自分より年上の１５才で、おまけに恩義を感じてしまって組織に入ると言っ
て聞かなかったのをフーゴは言っている。結局のところはスタンド能力が発現して、その
攻撃力が役に立っているし、フーゴにも年の近い話し相手が出来たから結果良ければ全て
よしと鷹揚なポルポは気にしていないようだが、ブチャラティ自身は子供を引き込んでし
まったことを少しは気に病んでいるらしい。

「まあまあ、大人なんだし、その辺はあんまり突っ込むなよ」
　ご機嫌で卵なんか焼いているネアポリスの顔役代行は、既に身支度していつものスーツ
に身を包んでいる。背は高め、スレンダーな体つきに白地のスーツが清潔感を醸し出して
いて、似合っている。ボブに切りそろえた黒髪が、今日もつややかに小さな顔を縁取って
いる。
　おやおや。
　ちょっと荒っぽいお楽しみだったようだ。口の横と、左眼の際に薄くなったがあざが出
来ているのが見えた。
「ご指示を」
　あの野郎、帰ってきてまだいたら絶対締めてやる。ブチャラティの顔を殴るなんて、こ
の辺では自分の死刑執行書に同意のサインを入れたようなものだ。
　溜め息一つで、フーゴは優秀な側近の顔に戻る。
「巡回コースはいつも通り二人で行ってくれ。ケンカするなよ」
「しませんよ」
「約束が守れたら新しい本を買ってやろうな」と、子供扱いするのに、
「要りませんから！」と、ついフーゴは声を荒げてしまう。
「ああそれから」
　ドアに向かいかけたフーゴが、振り返る。そこへ、
「やっぱりこういう朝はコーヒーだと思うんだが、彼が紅茶党だったらどうしよう？　お
まえ、ちょっと行って買ってきてくれないか？」と、やや公私混同なことを言いかける。
「お断りします！」
　ドアをばたんと閉めて、フーゴは出て行ってしまった。
　もともとおっとりとしたところのあったひとだけれど今朝はひどすぎる。毛布の下で、
顔は判らなかったけれど、あのプラチナブロンドの男に入れあげてしまうようなら、参謀
役として意見しなくてはならない。抜群の包容力と公正な判断力とで若くしてこの地区の
幹部の右腕を務めるようになった上司だが、ここへ来て乱行が幹部の眼に余るようなら制
裁も下るだろう。潔癖なところのある天才児は義憤に燃えながら路地を歩いた。
「フーゴ、おはよー！」
　向こうから、相棒がやってきた。太陽のような屈託のない笑顔のナランチャ。ブチャラ
ティに救われた彼も、心酔する上司が男に溺れたなどと聞いたら怒り悲しむことだろう。
「お、おはようナランチャ……」
　とりあえず、彼に告げるのは後回しにしようとフーゴは表情を消して考えた。

　その男はようやっと目覚めた。久し振りにベッドの上で寝たのもあって、疲労が回復す
るには時間がかかったのだ。枕元の窓は開けられ、秋の日差しが彼の淡い金髪を照らしている。
清潔なシーツからは控えめなフレグランス。隣室から漂うコーヒーの香り。香ばしく焼けたパン
の香りも。
　彼が永遠に失ったと思っていた、豊かな朝の香りだった。
「食事にしないか？　シャワーが浴びたければこちらの左にある。一応の支度はしてあるが」
　穏やかな低い声がした。昨夜、彼を酒場で回収した人間と見えた。店の人間に頼まれて
呼ばれた地回りの？　いや、自分はそのあとその辺の女に捕まって一戦交えて……。やけに聞き
上手な女だった。そんなに世界が終わったような、自分だけが地獄のような顔をするなと言われ
て、カッとして殴りつけたのを覚えている。あまりに無反応で拍子抜けした。大げさな悲鳴を上
げもせず、解った、解った、とやさしく抱きしめてくれた……。
　金がないと言ったら今度こそマフィアを呼ばれるのだろうか。その場でこの情けない生
を終わらせてもらえるのだろうか。
　それもいい。
　スラックスだけをとりあえず身につけて、上背のある、「プラチナブロンドの男」はダ
イニングに顔を出した。
「やあ、おはよう」
　木の花の咲くような控えめな、しかし優しい笑顔が迎えた。
「悪いが先にはじめさせてもらったよ。これでも何かと忙しい身なんで」
　見ると、近い方の皿の上はあらかた片付いている。もう一度視線を顔に戻して、左目の
際と口元のあざを見つけて胸が騒いだ。
「顔……悪かったな」
「そうだな。いいことしてやっているのにあんまりだと思ったな」と、真顔で言って、そ
れからまたクスリと笑う。
「まあ、立ちんぼさんの大変さを身を以て知ったと言うことで、こっちも勉強になった。
あんたは悪い酔い方をしてたみたいだから、気にするな」
　その顔を見ていられなくなって、彼は顔をうつむかせた。
「顔、洗ってくる……」
　汚い自分では足元へも寄れない気がして、住処を亡くして以来の心身の汚れを念入りに
洗い流した。
　乱れた生活の間に、毎朝きちんとオールバックに撫でつけていた髪は肩に届いていた。
「やあ、男っぷりが上がったな」
　光線の加減か、少し頬を染めたようにも見える夕べの相方の真正面に来て、勧められる
まま腰掛けた。
「おあがり。おかわりもあるぞ」
　オムレツは今焼いたらしい。湯気を立てている。短く食前の祈りを口の中で呟いて、彼
はフォークを取り上げた。

　ひと心地ついたようなのを見計らって、あるじは声を掛けてきた。
「名前を、聞いていいかな？　わたしはブチャラティ」
「レオーネ・アバッキオだ。すまん、世話になった」
　少し眼を見張って見せ、ブチャラティは話を続けた。
「アバッキオ、お前のことは結構噂になっている。……行くところがないんだってな」
「仕事でしくじった。金が尽きてフラットを追い出された。家には顔向けできない」
「それであんなに荒れていたのか……わたしのところに来るか？　住むところと、ギリ
ギリ食うぐらいの仕事は用意してやれるが」
「なんだって？」
　アバッキオは眼を上げて向かいのブチャラティを見た。
「一応説明しておくが、わたしはこの町を締めるファミリーの仕事をしている。はっきり
言って、ギャングだ。ギャングになるのがイヤだというなら、今ここで出て行け。こちら
ももう関わり合いになる気はない。それでもいいというなら、午後にでも、面接を受けて
貰う」
「ギャングって、あんた、女だろ！？」
　小首をかしげて、ブチャラティはあっさりと言った。
「うちは適材適所でね。入ったのが１２で長いし、前も後ろも判らないこの体型と、ひと
の話を聞くのが好きなお節介な性分とで身体を使わないでもやってこられたな。上司のポ
ルポさんも、色気より食い気のひとだから」
「いや、あんた十分おんなのからだしてたって……」
　アバッキオは夕べの記憶を呼び覚まそうとするが、酒の上の情事なので細かいところは
都合悪く飛んでしまっている。優しく抱いてくる腕の感触しか思い出せずに喘ぎながらやっ
とやっとで言うと、
「気を遣ってくれてどうも。こっちも愉しかったよ」と、やや目尻に艶を浮かべてブチャ
ラティは流した。
「夕べのは９割方プライヴェイトだと思ってくれ。スカウトの度にあんなことをやってる
わけじゃない。それで、どうする？」
　ひたと見据えられて、アバッキオは覚悟を決めた。
　カップに残ったコーヒーを一息で飲み干すなり、ソーサーの上にがちゃりと置いて、言
いきる。
「面接、受けさせて貰おう」
「良かった。じゃあ、予約を入れるぞ」
　機嫌良く背を向けたブチャラティが携帯電話を取りに行ったので、アバッキオはせめて
皿を洗うことにした。

　その後、うまい具合にスタンド能力が発現して、アバッキオはブチャラティのチームに
配属された。
「地回りさんをやって貰うつもりだったんだが、これはこれで助かるな。あんたは前歴が
前歴だけに、厄介ごとを片付けるのがうまいし、腕っ節の方も強いし。これだけ人相が変
わったら、もう思い出すヤツもいないだろう……気になるならちょっと、化粧でもしてみ
るか？　イカレたジゴロっぽく見えるようにでも」と、ブチャラティはあっさり言う。
「前歴って……」
「偽名も使わないんだものな、レオーネ・アバッキオ。バレバレだぞ。……スフォルツァ
さんは気の毒したな」
　彼が失職するに至った事情のことも、解っているらしい。
「オバちゃんたちの口コミネットワークを甘く見るなよ。去年は、結構いい男が配属になっ
たって、もうもっぱらの評判だったんだ。それが、珍しいお堅いヤツで。いつ現実に目覚
めて腐るか、みんなして心配してたんだ……早かったよなあ。いっぺん挨拶に行こうかと
思ってたら、あの事件だ。……気をつけて追ってたんだ、お前のことは。
　ああ、大丈夫、市警の方にも話は通しておいたから」
　言葉もなく硬直するのを脇を歩きながら察して、さりげなく腕を伸ばして肩を引き寄せる。
「ブチャラティ、熱いね。いいひとかい？」
　魚屋の親爺が声を掛けてくる。町中のひとの好かれる珍しいギャングだ。
「そうなんだ。１年越しの片想いなんだよ」
　朗らかに、絡めた腕を見せつけるようにしなだれかかる。
「堕ちきる前に引っかけられて本当に良かった……」と、恥ずかしそうな笑顔がアバッキ
オを見上げる。
「ブチャラティ……ファーストネームは、なんて言うんだ？」
「教えてもいいが、人前で呼ぶなよ？　嫌いなんだ。……フロラ」
「ああ、花の女神」
「笑うな、絶対笑うなよ！」
「いい名だ」
　そう言えば、昔、同僚が笑っていた。ネアポリスの守護女神はフロラだと。バッカじゃ
ないか、その頃の自分は吐き捨てた。ネアポリスの守護は聖ルチアじゃないか、なにを間
違えているんだと……。警察組織だけが正義の執行者ということはない。あの頃から、ブ
チャラティはネアポリスの街を守っていたのだな。
アバッキオは静かな思いに胸を浸されていた。
「笑うなと言うのに」
「笑ってねぇよ」
「アバッキオ、それで、住むところだが」
　ブチャラティは真面目な顔を繕って言った。
「一応別に用意したから。まあ、わたしは、いつでも来て貰って構わないが、まあ、一応
けじめとして、うちのチームは子供ばかりで、いろいろ固いことをいうお年頃だから……」
と、言い訳が積み重なってゆく。
「新しいおとうさんに反発する息子達」とオバちゃん達に揶揄されたような事態が持ち上
がって、ブチャラティは実は頭が痛い。
「お前、ブチャラティに恥かかせてみろ、ぶっ殺してやるからな！」と、ナランチャはナ
イフをひらめかせるし、
「ぼくの気持ちもまったくナランチャと同様です」ついでに、最初の夜の分、と言って眼
のところと口元をフーゴはしたたか殴りつけた。
「その前に、優しくしてくれた女性を殴るような手は腐り落ちた方がいいかな？」
　おまけにパープル・ヘイズまで呼び出して、眼を危なげに光らせる。
「おまえたち、仲良くできないのか！」
　さすがにブチャラティも声を荒げた。その様子を思いだして、
「ああ、おれは別に構わねぇぜ」とアバッキオは言った。
「だが、色男のアバッキオ、お前のことはオバちゃん達も興味津々だから。秘密なんても
のは持てないと思え。
　わたしを裏切った場合、今度こそお前の生きる道はなくなると思った方がいいぞ」
　一層強い力で絡みつかれ、アバッキオは一瞬息が詰まった。
「あ、ああわかった」

　１年後。
「そしてオレが忠誠を誓ったのは『組織』になんだ。あんたに誓ったわけじゃあねえ！」
　冷や汗をかきながら、アバッキオは言葉を絞り出す。ボスへの反逆を宣言したブチャラ
ティは苦渋の表情だ。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 「しかしだ」
　サン・ジョルジョ・マジョーレ島の船着き場、船を舫う杭の上に力を失って腰を下ろし
ていたアバッキオが、足を前に出した。
「オレももともとよォ〜〜〜〜〜〜行く場所や居場所なんてどこにもなかった男だ…この
国の社会からはじき出されてよォーーーーーーーーおれの落ち着ける所は…………………
　ブチャラティ」
　ドザッと、音を立ててボートに乗り、脇に並び立ってみせる。
「あんたといっしょの時だけだ…………」と、言いきった後は、
「いい気になってんじゃあねーぞ！！　ジョルノ。フン」とかるく新入りに焼き餅をやい
たふうにして、顔を伺う必要もない、とどっかりと船に腰を下ろして眼を閉じた。
　ブチャラティの方も、自然、眉を開いていた。