メダリア
その朝（８）
「あァ、ルドルフォ、これ、やるよ」
ロッカーの荷物を片付けていたアバッキオが、同僚に振り返って、小さい革張りのケー
スを見せた。
中に入っているのは、顕彰メダル。この春の憲兵隊（カラビニエリ）との恒例対抗戦で、
格闘競技で３人抜きをやって鼻をあかしてやったのを顕彰されたのだ。
イタリアの警察組織は複雑で、国家警察と憲兵隊が微妙に棲み分けして細長い国土を治
めている。縄張り争いはないが、もとの母体が憲兵隊は軍組織であるため、荒事は憲兵隊、
という意識があり、なにかと国家警察を下に見る雰囲気がある。実際、対抗戦は恒例になっ
ているものの、とりあえずネアポリス市警が圧倒したことは過去あったことがなく、「稽
古を付けてもらっている」、「演武を見せてもらっている」形態になりつつあった。
それが、秋に入ったばかりの新前が、きれいな顔をして、３人抜き。
ついには憲兵隊もメンツに懸けて挑んできたので、連戦の疲労もあり、４人までは果た
せなかった。それでも、市警側は大いに溜飲を下げ、その夜は大宴会、警察署長顕彰は即
決するし、しばらくは食堂でも金を払う必要がなかったぐらいだ。
その、栄誉のメダルである。
栄誉に輝いていた新前警官は、その後、警察内部の汚職を割り切ることができず、悩ん
だ末、自分も堕ちることで順応しようとした。そして、運命の日が来た。
今日、レオーネ・アバッキオは定年まで一身を捧げる誓いをした職場を離れる。収賄に
手を染め、同僚を死に追いやった汚職警官として。
……こいつは融通が利かないだけなんだ。今は正しくも、強くもないかもしれないが、
悪くも、弱くもない。
ルドルフォと呼ばれた同僚も、自分がそれを託されるにふさわしいつきあいをしてきた
と、心に思うものがあった。
手を伸ばしかけたが、ふと考えて、ルドルフォは言った。
「いや、やめておこう」
「汚職警官なんかのものは、手を触れるも汚らわしいか？」
いつの間にこんな笑い方をするようになったのだろう。地域の女衆がみんな黄色い声を
上げてこの男に担当してもらいたがったという精悍な頬が、無惨に痩（こ）けていた。
口をゆがめて、アバッキオはケースを引っ込めた。
「違う。オレになんかくれてやらなくていい。レオーネ、おまえ、それを持っていろよ」
「おれにはもう要らないんだ……おれなんかが、持つにはふさわしくない」
言葉を絞り出すと、アバッキオは眼を落した。
「レオーネ、当てはあるのか？」
努めて明るい声を出して、ルドルフォは話題を変えた。
「多少の貯金はあるが……さて、なんとするかな。女のところにでも転がり込むか」
「おまえが言うと冗談に聞こえない」
「冗談がヘタだと、良く言われたよな」
ぎこちない笑みを、お互い指摘してまた少し顔を緩める。
「困ったら……困ったときにはこれを質に入れるんだ。いい金になる筈だ」
「そうか？」
「そうだ。その時に、おれは受け持ち柄そういうところは良く通るから、すぐ請け出して
やる。その時に、おまえにもらったことにするから。持っていろ、な？」
「ルドルフォ」
「何も言うな。おまえは、タイミングが悪かったんだ。スフォルツァさんには悪いが、な
にもおまえが全部背負うことはない。殉職警官なんか、毎年ごまんと出ているぜ」
「ルドルフォ、おまえ」
「いいやつだろう？ おまえがいいやつだからだ。友だちってのは、そいつの鏡だ。だか
ら、おまえも、おまえの心の美しさに応じたいい友が、これから現れておまえを助けてく
れるとも。だから、負けるな。さあ、これも持っていけ。おれの恋人が、クリスマスに腕
時計を買ってくれたんだ。セイコーだ。１年に１秒も狂わないニッポンの高級時計だそう
だ。それをするんで、これは邪魔なんだ。遠慮なく持っていけ」と、手に握らせたのは。
警察学校の首席卒業者に与えられる金時計だった。
「ルドルフォ……」
もう、アバッキオはその裏蓋に刻まれた文字が読めない。
「泣くな。おれはもう行くぞ」
左手で眼を覆ったので、握手したその手の熱さだけを、アバッキオは覚えている。
「アバッキオ、その、フィオーレ通りの質店に、おまえの顕彰メダルが出てたらしいんだ
が」
ブチャラティが、グラスを差し出しながら済まなそうに声を掛けた。
初冬。もう彼には、帰るところがある。雨の記憶に苛まれても、優しく朝まで抱いてい
てくれるひとがいる。
「あァ」
とうとう流したのは夏の終わりだっただろうか。アバッキオは、受け取って、口を付け
た。苦いのジンフィズだからだ。リモーネが絞ってあるのだ。それだけだ。金時計も、も
う手元にはない。彼は、もう腕時計をしない。
「高値で売れたらしい」
「そうか……」
「すまない、ちょっと、取り紛れていて……気をつけて探しておくから。他に、大切なも
のがあったのなら、町のひとに声かけしておくから……」
今はとても大切にしてくれるひとがいる。だから……
「ねぇよ」
短く言って、彼はブチャラティを抱き寄せた。
「大切なものなんか、あんた以外に、ねえよ……」
アバッキオは、そう耳元に囁いた。
＜１９−０２−０９＞
蛇足。
これは早い時期からアイディア出てた。だって、一人の友だちもいないんじゃ可哀相す
ぎるから。正論ばっかりで煙たかっただろうけど（手塚＠図書館戦争かっ！？）
なんのメダルにするか、さすがに首席で卒業はできすぎクンだなあと思ったが、「カラ
ビニエリとの対抗戦で３人抜き」のフレーズが「みどりのおやゆび」で出たのでものになっ
た。ホントに伏線というものはドコでできるかわからない。
対抗戦はホントにやってるかどうかは判らないが、そんなもん、戦闘職種同士が身近に
いれば絶対やるでしょ。
３部４部はピアスなどアクセサリ付けまくりだったが５部は意外とみんな付けてない。
ギャングだから？ 荒木画伯の心境に何か変化が？