ゆうべのひみつ
その朝（８１）
１
ミスタは役に立つ男だった。
「気にすんなよねーさん。あんたはこのためにオレみたいな男をわざわざ検察に話通して
まで拾ってくれたんだろ？」
光のない目で弾倉を検めると、黙って出て行って、仕事をして帰ってきた。
「計画をたてたのはぼくです。責任はぼくにあります。あんたが考えることはありません。
ぼくはこの頭と、あんたはじめ仲間以外はどうでもいいというふざけた価値観とで組織
に生かしてもらっているんです。……だから、こんなふざけた計画を立てたんです。悪い
のはぼくです。ええ」
フーゴはムキになって言いつのった。そして、親友から話を聞いていたのだろう、ロド
リゴの店に連絡を入れていて、彼女のいつものおまじないを、彼女の恋人の分も込みで注
文しておいてくれた。
「言ったろ？ おれはブチャラティのためなら何でもやるよ？ なんだよ、おれのことけっ
こー使えるって言ってくれたの、嘘だったの？」
ナランチャの明るさはいつも救いだ。ニッコロとカルチョをしにいくような気軽さで、
出て行った。
アバッキオは、アバッキオは黙って肯くと、胸くそが悪くなるような現場を何度も再生
して見せた。表情を消して、犯人の顔を胸に刻みつけるように睨んでいた。あとは、気遣
われることさえ恥とばかりに心の全てを覆ってしまって、チームの皆がベストの体調で仕
事ができるように食事を調え、ミスタにからかわれ、フーゴの八つ当たりを受け、ナラン
チャの暇つぶしのつきあいをしてやった。
そして、仕事は終わった。
２
ほんのちょっと、羽目を外した中年男。もともといい趣味をしていなくて。町で出会っ
たまだ少女とも言えない幼い女の子を、慰みものにした。ほんのちょっと、手元が狂って、
女の子はそのまま息絶えた。折悪しく野犬がネアポリスの郊外には増えていて。不幸な女の
子の亡骸を食い荒らした。
そういうこと。不幸な事件はマスコミの餌食になり、遺族はマスコミに追いかけ回され
た。
そして、遺族には金とコネがあった。
「あの子よりむごたらしく殺してやってくれ。やつをではない、やつの血を分けた子を！
その子に罪があろうが無かろうがかまうものか！ やつに、愛するわが子を殺された親
の気持ちを味わわせてやってくれ！」
奥方は心労で倒れ、元から不仲だった息子夫婦は責任を押しつけ合って、心の傷を癒や
しあいそこなって離縁した、その被害者の女の子の祖父が、血の涙を流しながら復讐を誓っ
た。
依頼はパッショーネのネアポリス支部に入った。
白羽の矢は、ブチャラティー・チームに下った。
ブチャラティ・チームは仕事をした。
イタリア犯罪史上最もむごたらしく、派手に、少年の死骸は晒された。
血の色で描かれた正義の文字を、ネアポリス市民は戦慄とともに受け入れた。
……あんなことがあっちゃいけないと、思ったってあたしも。
……やつらが仕事をしたってことだよな？
……やつらって誰よ？ 解ってて言ってるのかおまえ？
……だから、……なあ？
市民達は首を縮めて囁きあった。
３
「よくやってくれた諸君。じゃあ、今日の所はわたしの驕りで飲みに行こうじゃないか！」
リーダーは空元気とは見せぬ晴れやかさで皆に対し、チームは陽気に盛り上がった。そ
れでも、時間が来ると言葉少なにそれぞれ下を向き加減に解散した。
恋人同士も、言葉少なに家路をたどった。
ドアを開けて、自分の領域に足を踏み入れると、ブチャラティはまっすぐソファに進ん
で、糸の切れたマリオネットの座り方をした。
「フロラ？」
「ああ、済まない。レオーネ、今日は悪いが自分の部屋でやすんでくれないか……？」
地獄の底（タンタロス）から響いてくるような声に、勝手知ったる恋人の部屋で、スト
レス解消のためのいつもの極甘チョコレート・ケーキとコーヒーを準備していたアバッキ
オが大股に駆け戻った。
「なんでもない。べつに。いや、ミスタは流石だな。腹が据わってる。腹が据わっている
と言えばフーゴだ。全く非の打ち所のない計画だった。ナランチャもよくやってくれた。
エアロスミスのああいう使い方とは驚いた……それも、おまえの再生あってのことだ。
気分悪かっただろうに、よく堪えてくれた。おかげで最短時間で依頼に応えることがで
きた……恨みの炎の燃えたぎっている間に」
いつになく口数の多いブチャラティは、話しているうちにがくがく震えてきた。
「疲れたろう、帰っていいぞ。ほんとにありがとう。おまえはわたしの誇りだ。
ああ、ごめん、からだでそこは労ってやらなくちゃと思うんだが、ちょっと、今日は都
合が悪くて……明日にしてもらって、いいか？ その分倍サーヴィスするから」
「フロラ」
アバッキオが、額に皺を寄せて遮る。それは労る心の顕れと、彼女は気がついてはいま
い。
「ほんと済まない。我が儘言って。ああ、コーヒー、ありがとう。もう帰っていいぞ」
虚しく微笑んだ形をつくっている口が、干からびた声を発している。
「フロラッ」
アバッキオが、その身を固く抱いた。
「だめなんだ、その気が湧いてこない。分かるだろ、ごめん、わたしはそういうとき全然
なんだ。頼む、今日の所は勘弁してくれ」
ネアポリスの海の瞳が、今は虚ろに輝きを喪っている。アバッキオはただその目元に、
頬に、口づけを落とした。抗うような動きは、形だけで、じきにひしと取りすがるように
なる。
嗚咽が漏れはじめた。
「レオーネ……
あんな、罪もない子供を！ 親のせいとはいえ！ むごいことを……
解ってる！ わたしはギャングだ、裏の組織の人間だ！ ずっと１２の年からこういう
ことをやって生きてきたんだ！ 組織の仕事はこういうのもある！
もっと激しい出入りだってあった、命からがら生き延びてきたんだ……
でも、いやだ、いやだ！ こんな仕事は嫌だッ！」
「ああ、ああ、あんたはよくやったよフロラ！
何にも考えなくていい。もうなにも考えるな……」
アバッキオが本気の手管をみせる……。
４
……なんだってこんなところで。
目覚めたブチャラティは、ソファで寝こけていた自分を発見して昨夜の記憶をたぐった。
恋人は彼女にソファを譲って、ソファに背を預けて床に転がっている。サイドテーブル
の上には手つかずの冷え切ったコーヒーと干からびたガトー・ショコラが２人分。
……ああ、そうだっけ。
やるせない笑みを浮かべたチーム・リーダーは、干からびたチョコレート菓子にフォー
クを突き立てて丸かじりすると、愛しい男を抱きかかえてベッドに運んだ。
「おはようレオーネ。じゃあ、約束通り２倍サーヴィスしてやろうな」
深い眠りのおかげで、彼女は心身ともに回復している。おや、しかしどうしたものか声
が擦れていて。原因に思い当たったブチャラティはいっそう機嫌よさげになる。
「……だからゆうべのことは、秘密だぞ。
ゆうべは随分とやってくれたじゃないか。お返しするからな……」
恋人の眼に嗜虐の火が点っているのを見て、寝起きのアバッキオは戦慄した……。
０２−０５−１３
蛇足。
今映画化で話題の「藁の盾」、そういえば昔読んだなーって、でも感想を自分のブログ
で検索しても出てこなくて、一日かかって探したら２００４年の記事でした。まだ自分の
ブログ持って無くて、書評ブログに投稿した分でした。う〜ん月日は巡る。
そういう、気持ちは解るけど行きすぎた復讐。やらされる方も迷惑よね。あれは、お金
やコネのある人はそういう復讐できていいけど、一般大衆は捜査権とか復讐権は警察に委
ねているので、託されたお巡りさんわたし達を裏切らないでがんばってね、という話だと
解釈したらしいです、９年前のわたしは。
ブチャラティはジョルノに逢う前は組織の汚れ仕事をやってる自分については深く考え
ないようにしてたらしいのですが、うちではせっかくアバッキオがいるので、一度ぐらい
堰を切って見たらどうよと思ってみました。ゴメン、原作が好きなひと。「その朝」シリー
ズではおかあさんの想像力の足りないせいもあってぬるい仕事しかさせていませんが、た
まにがんばって汚れ仕事もさせてみたよと。ぬるい雰囲気の「その朝」シリーズのファン
の方ゴメンなさい。ジョルトリ番外編で締めるんじゃなかったんかい。浮かんじゃったん
だからごめんなさい。
でも、結局腹の底の底までは見せないまんま旅に出て、そしてヴェネツィアに行ってサ
ルディニアに行ってローマで終わると。悲しいですね。やっぱ春は毎年。
あ、じゃあもう子供いるパラレル・ヴァージョンならいいじゃん。よっぽどブチャ消耗
しそうで（ヒドイ）。じゃあ、一夜明けてパパッキオは焼き菓子なんか持って汗かいて預
けといた赤ちゃんを迎えにグリマルディーニにいくんだな。うん、後付け最強。