遅れてきた客
サイト開設４周年記念作品
その朝（８０）
１
かれは、自分の父はもう死んだと思っていた。
別れたとか捨てられたとかいうには、母が語る父の姿は愛情に溢れていたから。
「また似て来たわ、良かった……あんた、きっともてるわよ」
幸せそうにかれの巻き毛を掻き撫でる姿は、いつも懐かしそうな愛しさに満ちていた。
「どうしようもない甘ったれで、頭が切れて、でもムチャクチャで、ほんと、目立たない
ようにしてるのに、気がついてしまったらもう目が離せない、そんな人だったわ……」
母ひとり子ひとりの暮らしは、そう苦しくもなかった。ご時世で、そういう母子は少な
くはないから、かれはそんなに自分を不幸とも思わずに育った。母もシングルマザーの家
庭だったそうなので。
「ミスタがぼくの父さんなんじゃないの？」
折々に訪れてはいつも目を配ってくれていた黒髪の男を見上げると、その男はたはは、
と天を仰いで笑った。
「いやーそりゃー光栄だけど困るわ。ボスに消されっちまう」
「ボス？」
「ありゃー。フォルツァ、おめー、秘密を守れるな？」
ミスタは、タイミングを計っていたのだろう、辺りを憚って声をひそめると、身をかが
めて囁いてきた。
「おめーのマンマ、トリッシュはな、パッショーネのボスの娘だったんだ」
「えっ……それって、マフィア？」
「そゆこと」
ウィンクを寄越されてかれは納得していた。凜とした美貌。気の強い、したたかな気性
は確かにかたぎの女性には似つかわしくないものとも思えた。
「恐ろしー男だった。トリッシュは若い頃のガールフレンドが産んでた子で、存在を知ら
なかった……。母親が死んで、トリッシュが父親を捜し始めると、ボスはトリッシュをは
じめて探し出して保護した。おれたちがトリッシュと出会ったのはその頃ね。ボスの命令
でカワイイ１５の女の子を守れっていわれた時にゃー、ちょっと盛り上がったかなー。
それがアレだもんな、ちょっとまごついたよホント」
庭で洗濯物を取り込んでいるトリッシュの方を顎で指して、ちょっと肩をすくめて見せ
たので、かれはちょっと笑ってしまった。
「言うなよ？
それが、もー莫大な犠牲を払ってボスのところへ連れてったら、ボスの目的はトリッ
シュと親子の対面を果たすためじゃなかった」
「え？」
ごくごく真っ当に育ったかれは予想の筋道を外されて面食らった。
「ボスはおっかねー男だったのよ。トリッシュの個人データから自分のそれ……顔立ちと
か、血液型とか、髪の色や目の色とか、イロイロ……が割れるのを恐れて、トリッシュを
確実に消すために連れてこさせたんだったんだ。目の前でトリッシュを殺されかけて、お
れたちは目が覚めた。そんで、その頃のリーダーが腹くくって、みんなしてボスを裏切っ
た。
いやーあの旅だけはおれも２度と経験したくないね。みんなしてほぼ死にかけて、ギリ
ギリの瀬戸際でボスを殺って。
信じられるか？ おれたちみんな十代でマフィアを乗っ取っちまったの」
「そんな……」
「勝ったもんがお姫様をゲットするのは当然っしょ？ そーゆーこと」
黒髪の男、そういえばこの男もかたぎらしいところはなかった、は単純に言ってのけた。
「じゃあ、そのリーダーさんがぼくの……？」
勢い込んで尋ねると、ミスタは肩をすくめた。
「あは……それは。リーダーは女だったもんでよ？」
「女性のマフィア？」
「もーすげー大物よ？ いや、全然そんな感じしねーのよ、スレンダーで、そんなお色気
なくって。でも、そこそこ美人で、ふつうに面喰いでそこらへんの芸能人なんか真っ青の
ハンサムーな旦那捕まえて子供もいるし。普段はすっとぼけた顔してても怒るとすんげー
怖いし。
今は組織とは離れてかたぎの仕事やってる……それが当時のリーダー。
今のボスは」
「ちょっとミスタ、この子に余計なこと言わないでッ」
ドアを開けて入ってきた母親が荒々しく遮ったので、かれの質問が回答に行き着く前に
貴重な語り部は追い出されてしまった。
……マフィア。
今まで自分の素性にそんないかがわしい業界の人間の介在する可能性を考えてもいな
かった少年は、その夜、ベッドに入って、さまざまに思いを巡らせた。
２
たしかに気の強い母だった。小さいけれどちゃんとした会社を１人で興して。若い女社
長と甘く見てたかってくるような連中を気丈に追い払っていた。プライヴェイトでも、そ
れは同様。ミスタは気まぐれのようにも、温かい好意のようにも彼らを構ってくれた。え
えと、遊園地に連れ出してくれたり、電球を換えてくれたり、自転車の乗り方を教えてく
れたり、トリッシュにつきまとう勘違いした求婚者を追い払ってくれたり。それでいて節
度を保った関係のようで、言ってみればきょうだいのような親しさのミスタはトリッシュ
の部屋に泊まっていったりはしなかった。
「母さん、ぼくの父さんのことを教えて」
数日後。意を決して夕食のあと、フォルツァは母親に尋ねてみた。
「しょうがないわね。あなたももう中学に上がったんだし。いいわ」
母はためいきひとつで気持ちを整理して語り出した。
「あなたの父親は、ジョルノ・ジョバァーナ。パッショーネのボスです」
「パッショーネって、マフィア？」
「ええそうよ」
平然と肯定して見せた。
「そのひと、もう亡くなったの？」
「いいえ。ピンピンしてるわよ。なに、死んでいて欲しいの？」
「ううん……じゃあ、どうして一緒に住んでいないの？ 別れたの？」
母は少し間を取った。
「フォルツァ。あたしがあなたのお父様のところを去ったのは、あなたの身が危うかった
から。あなたを狙う者の中には敵対組織の者もいるでしょうし、組織の中の者もいたで
しょう、そして。
あなたのお父様さえ、あなたの命を狙ってくるかも知れなかった。
あいつの……ディアボロの血を引くというのは、それだけひとに恐怖を抱かせるのよ。
ごめんね、……あたしを母に持ったばかりに」
トリッシュはそこで話を止めて、かるく頭を振って謝って見せた。
「そんなこと……母さん、謝ることないって……」
フォルツァは声を詰まらせた。いつも明るかった母。たったひとりの子育てで、心細く
も、不自由も感じただろうに、決して弱音を吐いたり、愚痴を言ったりはしなかった。胸
を張って、誇り高く生きていた母は、かれの自慢だった。
「母さん、じゃあ、父さんは生きているんだね？」
ほんの少し、息子の顔に輝きが増したのをトリッシュは敏感に感じ取った。
「あら、逢いたいの……？
あなた、あたまは悪くない方だと思っていたのに。あたしの話を聴いていた？ あのひ
とはあなたを甘えさせてなんかくれないわよ？ ゲームの相手ならミスタにお願いしなさ
いな」
意外そうに、母は小首を傾げた。気の強い母だ。闘争本能を燃え立たせるときに一番輝
いて見える。
「あたしは実の父と殺し合いをやった女よ？ あなたを殺そうとするなら夫と選んだ男と
でさえも闘って見せるわ」
母はスプーンを取り上げて、目の前にかざした。その前を、ピンクの影が過ぎる。いや、
今のかれにはそれが人間の姿をした存在だとありありと見える！ ピンクの拳がスプーン
を殴りつけた！
母はスプーンをテーブルの上に突き立てた。それは粘土でできたように形を変え、半ば
までテーブルの面に埋もれるように広がったところで静止した。
「母さん」
当たり前の物理法則の下では有り得ない現象も、かれはもう恐れない。
「選びなさい、フォルツァ。あなたには強さ(フォルツァ)という名を与えたわ。あたした
ちは２人とも、生れつきの能力者、あなたにもきっと、生れつきの相棒がいて、あなたの
目覚めを待っている……彼を使いこなして、運命に勝つの。わたしがあなたに望むのはそ
ういうこと」
「強さ……？」
かれは口ごもった。
３
そうじゃない。父に甘えたいんじゃあない。
フォルツァの心の中でなにかが形を取り始めた。
恨み言を言いたいのでもない。自分がどこの誰なのかわからないとか、そういう根源的
な疑問を抱いてきたわけでもない。自分はトリッシュ・ウナの息子。それでいい。美しい
母、強い母、仕事は順調で、金銭的にも不自由はない。日々の生活にとくになにもストレ
スを感じていないように見える。でも、人間の幸せってのはそういうものじゃあないと年
頃になったかれは考える……。
祭の夜、友達の両親たちが着飾って踊るのにも、トリッシュは参加しなかった。ふつう
の町の気のいい人達で、容貌はみなパッとしなかったけれど、このひと達は愛し合って結
婚して、この友達が生まれたんだなと子供心に理解できた。そういう華やぎが、母には一
切無かった！
聖ヴァレンティヌスの日も、続く３月のミモザの日も、女性が愛を捧げられ、大切にさ
れる日に、母はいつもひとりぼっちだった。ミスタがチョコレータや花を届けることがあっ
ても、カードの署名の字を見るとすぐにミスタの代筆と言い当てて、気遣いに感謝して見
せながら、密かにガッカリしていた……。
可哀相と言ってはいけない。母にその言葉は似合わない。けれど、トリッシュが愛する
人の元を離れざるを得なかったのは他ならぬ自分のせいなのだ！
フォルツァは握り拳に力を入れた。
「どうしたの？ 自分の意見を仰い」
……闘う？ 父さんと？ 母さんはぼくを守ってくれる？ そうじゃない、父さんに逢
いたいんだ、今の生活に不満はないけど、ほんのちょっとした願いはある。だって、だっ
て……！
「フォルツァ、闘うのよ」
母が決めつけた。恐ろしい精神的重圧を感じる。息苦しい、空気が重くなった。
ドドドドドド。
目の前が黄金に輝いた。
「違うーッ！」
能力者の心からの希(ねが)いに応えて超常の存在が姿を現す。それは複数で。小さな人
間のような姿で、思い思いの得物を手に身を躍らせている。
「戦いなんかバカらしいッ！ なんでそれしか思いつかないんだ、そうじゃない、そう
じゃ……踊れーッ！」
うまく自分の願いを言語化できない少年は、せっぱ詰まって叫んだ。
「ちょっと、フォルツァ……あなた……これは、スタンド？
ちょっと、ちょっと、……やめてーッ！」
息子のスタンドの発現を目の辺りにしたトリッシュはちょうど「ブガッティ・ネアポリ
ス市長の壮絶な死」で少し消耗しているであろうボス・ジョルノに繋ぎを取った。ミスタ
の情報では、アバッキオ自身の口から、命を助けてくれればブチャラティは譲ると申し出
られたというのに、その能力で命を救ったブチャラティをかれのもとに返したらしい。そ
れならまだ自分たち親子を受け入れる余地があろうという見込みもあった。特異な能力の
発現に調子に乗ったフォルツァが学校で生徒達にスタンドで悪戯をしているらしい事件も
いろいろ起こしてしまったこともあるし。
「あたしの息子に会ってやって欲しいの」
ボス・ジョルノは混乱しながらもよりを戻すことに同意してくれた。一応の対面は済ま
せたが、１２年分の想いが一気に胸に押し寄せたジョルノはぎこちなくしか相手ができず、
トリッシュとその息子にはさっさと逃げられてしまった。
４
改めて別の日が設定された。トリッシュとその息子は目立たないようにパッショーネの
ボスのオフィスを訪れた……。
「お客を待たせているんじゃないんですか？」
さすがに参謀は音を上げた。即断即決のボスが、分かり切った報告を二度も三度も説明
させている。珍しい。あとはサインという局面になってからも、万年筆のキャップをもう
３度も開け閉めして時間を稼いでいる。
「……ええまあ」
「とりあえず、そちらの件はご裁可を頂く分には問題ないと思いますけど」
「そうですね」
「ボス」
「解ってますよ、ええ、ありがとうございます、よくやってくれました。これはこれでい
いと思うんですよ……ただもうちょっと、なんていうか……」
「ボス、聴いてあげますからさっさとサインしてください」
ぐっと身を乗り出して、若い頃から忍耐力に欠けると言われていた参謀はかれにサイン
を促した。
「……あなたには負けますよ」
渋々サインをして、ボス・ジョルノは溜め息を吐いた。
「トリッシュが来ているそうじゃないですか」
フーゴは問題に真っ直ぐ斬り込んだ。
「ええまあ」
「逢いたくないんでしたらそう言えばいいでしょう。だいたい、破局したのはもう１０年
も前でしょう？ 今は組織も落ち着いてきてますから、彼女のことはとくに押さえていな
くても大丈夫です。身辺警護は続けさせますし……」
「破局、ねえ……」
ジョルノは歯切れが悪い。
「まあ、相性が良くなさそうってのは分かり切っていたんですから。よく２年も保ったも
のです。あのひとの件にしてもそうですが、あなたは意外とそっち方面はお行儀が良いで
すよね。割り切りがしっかりしてるというか。遊んでも組織には影響を出さないところは
感心しています」
相性が悪いと知りつつトリッシュをけしかけていたことを参謀ははじめて認めた。相性
というか、初恋で最愛の人がブチャラティだったことといい、ジョルノは年上趣味で、同
年代以下は眼中に入っていない。と、ミスタが主導する男同士の趣味の会話でそういう嗜
好はおいおい判ってきた。そうしてだいたいその年代の女性は結婚しているから、割り切っ
た遊びのつきあいになる。
「お褒めにあずかり光栄です、参謀殿」
ジョルノは苦く笑った。短く要件を伝える。
「彼女ねえ、帰ってきたいらしいんです」
さすがのフーゴも言葉を失った。
「それ、は……。あなたはいいんですか？」
妻と別居中というのでジョルノは奔放な生活を送っている。手当たり次第、しかし、私
生活と心の中には誰も立ち入らせない。もともとがそういう質なので、トリッシュと結婚
していた間が特異だったのだ。いつまで保つか、じつは幹部連中は息を殺して若い２人を
見守っていた。意外にも誠実な生活を守っていたジョルノに「愛想を尽かして」トリッシュ
が出て行って、２人の結婚生活は終わった、筈だった。予想外に「誠実」すぎて、それを
一身に受けたトリッシュの方が「体が保たないわ」、そう言ったという噂さえある。ここ
へ来てのトリッシュの翻意の理由は、フーゴには想像がつかなかった。
「彼女きれいでしたよ。今、来てるなら会いに行ってきたらどうです？ むしろ見てきて
ください」
「いえ……結構」
初対面でタオル代わりにされて以来、トリッシュを苦手にしているフーゴは首を縮めて
言葉を濁した。
「彼女、子供を産んでいたんです。男の子でね。……能力者だそうです、それが、出て行っ
た理由で、戻ってきたい理由だそうです」
「えッ？」
もうすっかり中年紳士となったフーゴが目を剥いた。
「１人で育ててたらしいですよ。あのひとがねえ。ちょっと信じがたいですよね。ミスタ
はずっと黙ってたらしいですけど、ああ、おしおきはぼくの方でしますからその辺はお構
いなく」
覚悟を決めたジョルノは機嫌良く秘密をぶちまけていった。
「あ、はい……」
５
「どうなんでしょうね、いったい。彼女ぼくのことなんか好きじゃないと思ってたんだけ
ど……そういう男の子供を生みたいって、どんな感じなんでしょうね？ ぼくに殺される
と思ったから身を隠したんですってさ。そこのところは、どうでしょうね、あなたも消し
ておくべきと思いますか？ 逢ったら急に熱い血の絆でもって愛しいという気持ちがこみ
上げてくるものでしょうかね？ それとも、ここはギリシャの神のように、自分を脅かす
可能性のある者として見るなり殺しておかねばと決意が漲るものでしょうか……ああ、ディ
アボロは後者だったんですよね」
「ボスは……怖いんですか？」
フーゴは言葉を選んで問いかけた。トリッシュ共々能力者の少年を始末するとなると人
選が難しい。おまけにこの流れではミスタはあてにできないだろう。それに、もったいな
い。能力者でなくっても、ボス・ジョルノの直系の後継者候補だ。
……もったいないだって？
まだ逢ったことがないとはいえ、なんの罪もない少年、それもトリッシュの息子の命を
奪うということを簡単に課題として設定できてしまう自分にふとフーゴは気付いて苦い笑
みを浮かべた。
「あ、いえ、一度逢ってます。その時は、ただ事実に驚いて、……受け入れると言ってし
まったんですが」
自分の波立つ心中のみを見つめているボスはそれには頓着していなかった。
「言ったんですか？」
「ええまあ……彼女押しが強いんですよ」
初対面の時から、たしかに彼女には誰も逆らえなかったことをフーゴは思い出す。
「じゃあ、逢わないと」
「そうなんですよね……」と、ちらりと掛け時計を見上げる。シンプルなデザインだが枠
も文字盤にも金が煌めいて、豪華さはボスのオフィスのものとして申し分ない。時刻は約
束を５分も過ぎている。
応接室の方では。
「落ち着けよ。あ、じゃあナランチャ来てるから呼んでみるか？」
間を持たそうとミスタは必死だ。ピストルズの紹介は終わった。茶は虚しく３杯目が手
つかずのまま冷えて行っている。どんどんトリッシュの顔が下を向いて行っている。ポル
ナレフにも引き合わせたが、雰囲気の重さを察してこのフランス人はさっさと逃げた。
……ムシュー！ 逃げねえでくれよぉ！ ここで間を取り持ってこその年の功だろッ。
泣きたいような気持ちでミスタは車椅子を見送った。
「いいわよ別に」
トリッシュも機嫌悪そうにチラチラ時計の針を見ている。フォルツァはただただ黙り込ん
でいる。
「ミスタッ、トリッシュの子供ってどんなん？」
昔と同じ軽いノリで飛び込んできたナランチャを、ミスタとトリッシュは得がたいもの
と心から思った。
６
ジョルノはまだまだ引っ張るつもりだ。
「そういえば、７、８年前でしたかね？ 彼女とディトして、お互い最後の一枚を脱ぐと
ころまで行ったんですけど」
「……はあ」
フーゴは事態を追いかけるので精一杯だ。
「電話が入って、それで彼女慌てて帰ったんですよね。もう、お互いその気だったのに、
電話１本で」
「それは、お怒りもごもっともで……それが最後でした？」
「ベビーシッターからの電話だったんですね、今思うに」
「そうですか」
フーゴがじっと観察しているボスの顔は、あろうことか微笑(わら)っている。かなりの
怒りを感じている時でもあからさまに表情には出さないタイプだが、この笑みは異常だ。
「ぼくよりかれを取ったんですよ、彼女」
「ボス、落ち着いてください」
肉食獣の笑みを感じてフーゴは背筋に汗をかいた。
「小癪だと思いませんか？」
「はい……？」
「だいたい、彼女の方がぼくに執着して、結婚してくれって言ってきたんですよ？」
「ええまあそうですね」
組織の掌握を考えて、それ以前からブチャラティや幹部達はトリッシュと結婚するよう
にかなりしつこく勧めてきた。沈黙を保っていたトリッシュがそれに乗ったのは、ブチャ
ラティがジョルノの指示を受けてネアポリス市長に就任してからだ。
「それなのに、たった２年で出て行って」
「それはもう……」
「１０年以上も身を隠して、子供を育ててただなんて、してやられてしまいましたね。
何をやってたんですかあなたたちは」
「彼女にはミスタを付けていたんで。……手抜かりはお詫びいたします」
フーゴは必死に詫びことを繰り返す。上目遣いに窺ってみるジョルノは、上機嫌で……
やにさがっている！
「ほんとに、やってくれますよあのひとは」
どういう脈絡なのか、フーゴには捉えきれなかったが、かれを出し抜いて子供を育て上
げたと言うことで、トリッシュはジョルノに好印象を与えたようだった。
……わけがわからない！
「あの、ボス。
物事は短絡的に見ない方が」
フーゴはみっともなくもただ言葉を繋いだ。
「これであなたたちにチクチク言われていた件が片付いた。後継者はフォルツァでいいで
しょう。まあ、このぼくに何かあるという楽しい事態があるとしてですが」
「あ、はい」
後継者を作れ、トリッシュとよりを戻すことができないのなら庶子でもいいからと、世
間並みの感覚でジョルノにプレッシャーを掛けていた幹部達を制することができなかった
のはフーゴの手落ちだ。それは認める。というか、そこまでフォローしきれないというの
が現実だ。４０の誕生日を迎えてはいるが、まだ純粋に肉体が若いところへ、無敵のスタン
ド能力を持っているジョルノが死んで組織が混乱することなどフーゴには思いもよらない。
組織の運営上考えておかないといけないのは確かだが、そういう事態がまず想定できない。
かえって、いつまでも若く強大であろうボスを今後どう凡人共と付き合わせるかの方ばか
りを想定していた。目の前のボスの顔は、十分まだ２０代で通用するのだから！ そこの
ところは吸血鬼の血より、日本人の血のおかげではないかとフーゴは考えている。誕生日
は自分と数ヶ月しか違わないはずなのに、今、２人の外見は１０歳ほども隔たって見える
だろう！
「でも、自分がその年頃だった時のことを考えると、ちょっと心配かな。いきなりぐっさ
り刺されたりして」
ジョルノはいっそう機嫌良く言ってのける。
「まさか」
「だって、１２年もほったらかしの父親に今更逢いたいだなんて。目的は金か復讐でしょ
う？」
「一概にそうとは……」
抗弁しつつも、フーゴも理由が思い当たらない。目が泳いでしまっている。
「能力についての見極めは任せます。
ウィーンからなにか楽しいミュージカルが来ているそうじゃないですか。チケットを回
しますから奥さんと行ったらいいでしょう。ええと、二重帝国時代の悲劇の皇妃がどうし
たとかいうやつ」
参謀を混乱に叩き込んでおいて、ジョルノが先に逃げた。
「『エリーザベト』ですね。それはもう手配してありますから。
そんなに気を遣わなくても、引き受けてあげますから。ご遠慮なく」
「頼みます」
……ボスのオフィスでそんな密約が成立した頃、階下の応接室からは騒ぎが伝わってき
た。
７
だいたい、先日の対面を済ませたあと、母は上機嫌だった。父に対しても、出入りの業
者に対するときと同じ、決して妥協しない強さで、フォルツァは舌を巻いていた。
「あはは、うまくいった。あのひとったら大汗かいてたわ！ あのジョルノを出し抜いて
やったわ、愉快愉快！」
ゴキゲンでフォルツァの手を取ってブンブン振りまわしながら夜の道を歩いた。
「母さん」
「どうぞぼくの元に戻ってくださいって、言わせてやったわよ……」
その時、母の目は涙ぐんでいた……。
……やっぱり。
母は、どこにいてもローマを遠く望んでいた。自分で自分の身を抱きしめながら、大切
にしている昔の誰かからの贈り物の指輪を手にはめて、それを頬にあてがいながら、大丈
夫、大丈夫と繰り返していた。
……逢いたい、逢いたいって、聞こえるんだよ、ミスタ。
回想しながら、フォルツァは母の友人に眼をやった。
「ねえ、あたし、老けたかしら？ やっぱりハッキリ言って４０のオバサンよね？」
来る前にも、何度も何度も鏡を覗き込みながら、かれに問いかけていた。
「そんなことないよ母さん」
「でもやっぱりあのひとは変わってなかったわ。あのひとに張り合おうとしても無駄なん
だけど、ああきれいなままだとへこむわ」
「母さんだって、ご近所さんからいつも褒められたり恐れられたりしてるじゃない」
絶対年より上に見られたりしない。フォルツァを見て、こんな大きな子どもがいるなん
て、と必ず驚かれる。
「ああそんなのお世辞だから」
取り合わない。鏡を見ながら、大丈夫？ 大丈夫じゃない。そうかしら？ あたしはき
れい、そうよと自問自答を繰り返す。もう見慣れたピンクの「守護霊」が、
「トリッシュ、アナタハ間違ッテイマス。大切ナノハ心ノ強サ」と堅い口調で助言を試み
ようとしている。
ずっと、ずっと抑えつけていた心が、いちど逢ってしまったらタガが外れて、１５の小
娘のように走り出してしまっているのだ。
……なんだ、そんな露出の大きい服を着て。
鎖骨より２０センチも胸ぐりが開いている。もともとスタイルの良さを自慢していて、
それを活かす服を選んでいたのだけれど。でも、今日は気合いが入りすぎだ。脚も大きく
スリットの入ったスカートで。惜しげもなく太腿を覗かせている。さっきの車椅子のフラン
ス人も、一瞬大きく目を開かせていた。……根はスケベなんだなこのひと、とフォルツァは
第一印象で決めつけた。
胸をしゃんと張って、逢いたくて逢いたくてしょうがなかったひとに逢うために気を張っ
ていたのは、ほんの数分前までだった。同窓会のように、懐かしい人に逢って盛り上がっ
ても、それは花火のように虚しく消えた。それが解るのか、ミスタもナランチャも、もう
済まなそうな顔で黙り込んでしまっている。
……母さんの顔が萎れていく。なんて頼りなげな。今まで一度も見たことのないような。
何でこんな顔をさせるんだよ、ジョルノ・ジョバァーナ！
フォルツァの怒りが極限に達した。
７
「解ったよ。要は、ボス・ジョルノはぼくに逢う気がないんだなッ！？
そっちがその気ならぼくだって愛想笑いして認知してもらおうってつもりはない。ぼくは
母さんの子ってだけで十分だッ」
立ち上がるとフォルツァは金の髪をひと振るいすると宣言した。
「踊れ！ サタデーナイト！」
フォルツァの目が輝いた。スタンドの現われるときの精神を押しつぶすようなゴゴゴと
いう音が皆には聞こえ始めている！
真っ黒の、それぞれ思い思いの服を身につけた小さな存在が現われる。胸元にフリルの
ついたシャツだったり、Ｔシャツだったり、スーツ姿だったり。それぞれ、アクセントに
ヴィヴィッドな赤系のタータンがついている。こいきな出で立ち。
ピッコロがメロディを奏でる。オリエンタルな、一定の短いパッセージを繰り返す。う
きうきするような波打つメロディ。ドラムが愉快なリズムを刻む。シンバルは煌めく華や
かさを添える。ベースギターが低音を支える。
「あれ？」
ざわざわと心が落ち着かなくなる。手が、足が勝手に動き出す！
「ミスタ？」
「あ、これ、聞いたことあるぜ」
ナランチャがステップを踏み始めた。足は外股に。互いに交差するように踏み出す。腰
を落とし、膝は曲がるまでに上げる。手は額の上で、ステップにつれて半身になり、外へ
送り出すような動きを繰りかえす。
「ジャポネの地方の民族舞踊だよ！ イチローに習った！ 簡単なんだよ」
ナランチャが弾ける笑顔を見せる。見よう見まねでミスタも続く。いや、動かずにいら
れない！
「えーと、コーラスは単純、エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ……」
「ナニソレ」
冷ややかに斬り捨てながらも、トリッシュの額には脂汗が浮かんでいる！
「トリッシュも混ざれよ、てゆーかガマンできねーだろ？」
「え、ええ……」
トリッシュも手が動き始めている。目の上でかざした手を淑やかに送りながら足が微か
に上下する。
「女はウチマタなんだよォ」
ナランチャがダメ出しをする。
「こう！？」
トリッシュが金切り声を上げる。もう、スタンドの強制に逆らえない。全身が、踊りた
くてたまらないと悲鳴を上げる！
トリッシュもとうとう立ち上がってステップを踏み始めた！
「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ！」
「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ！」
「オドルアホウニ、ミルアホウ。オナジアホナラ、オドラニャソンソン！」
「オドルアホウニ、ミルアホウ。オナジアホナラ、オドラニャソンソン！」
口が勝手に歌詞を口ずさむ。日本語の歌詞の意味が彼らには解っていない。
「なんなのよ！？ これ！ どういう意味！？」
「えーと、バカが踊る。それを見るバカがいる。どちらも同じバカならば踊らないでどう
しようか……って意味？ イチローが言ってた」
「イチローって誰！？」
「ジャポネの駐在員の息子！ ニッコロの遊び仲間で！」
「それって中学生でしょ！」
「あのころのおめーとひとつふたつきりしか、違わねーよ！」
忙しく叫び交わしながら、激しい民族舞踊は盛り上がりを増している。
「ハハッ！ いいぞ、気に入った！ バカどもは踊れ、踊れ！」
ジョルノの息子は一同を狂乱の淵に叩き込んで愉快そうに笑っていた。
「ＷＲＹＹＹＹＹＹＹＹＹＹＹＹＹ！」
琥珀の目を輝かせて、高らかに愉悦の咆吼をあげる！ それは、まさしく吸血鬼の面影
であった。
「フォルツァ！ 止めさせて！」
体中から汗を滴らせて、小1時間も踊り続けたトリッシュが悲鳴を上げる。
「やなこった！」
少年は吐き捨てると、窓から出て行った。少年はスタンドの特性に詳しくなかったよう
だ。射程の短いスタンドは、少年が門を出た頃にかき消え、あとは、健康的に汗をかいた
大人達が息も絶え絶えに残るのみ。
「こ……ういうわけ、なのよ……」
「なーかなーか面白いスタンドじゃねーの」
「誰も怪我しねーしなァ、いーんじゃね？」
くたくたになってスツールを抱いたり、ソファに倒れ込んだりしながら、もとブチャラ
ティのチームで死の旅を勝ち残ったスタンド能力者たちは善後策について話し合っていた。
「ちょ、とりあえず水ーッ！」
８
ジョルノは自分の息子とその能力に真っ直ぐ向き合う気はないようだった。
「ボスからあなたの息子の能力について詳しく調査してくるように申しつかってきました」
フォルツァの自宅に亜麻色の髪の紳士が現われて、トリッシュに面会を申し込んだ。
「あら、フーゴ、久し振りね」
トリッシュが招き入れて、息子と対面させた。
「スタンドというのは……」
通り一遍の解説から始めるのを、気の短い少年は遮った。ジョルノ自身が来なかったこ
とを怒っている。
「こういう連中のことだろッ！ 普通の奴らには見えないゴキゲンな奴らだ！ ぼくの思
うままに動いて、面白いことをしでかしてくれるッ！ ……ときに暴走もするけどね」
黒服を着た楽団が現われて、楽器を構えて見せた。
「暴走ばっかりじゃないのッ！ 学校じゃああんたのしわざだって気付かれてなくて、単
なる思春期の集団ヒステリーだってことになったけどッ……フーゴ、気をつけてッ」
トリッシュが持ってきた茶をがちゃりとトレイごとおいて叫んだ。
「ハハッ！ 母さん今日はなにをリクエストする？」
フォルツァの目が琥珀に燃え立った！
「やめなさーいッ！」
仕掛けたのはスパイス・ガールが先だった。ジョルノの息子は母親のスタンドで立った
まま足を床に絡め取られていっている！
「関係ないねッ！
やれ、サタデーナイト！ バカどもを踊らせろ！」
「イェーイ！」
声が応えて、バンドネオンが響き渡った。
「なんです？」
フーゴが身構える。
「フーゴ、……抵抗するよりノって。その方がダメィジが少ないわ……」
諦めてトリッシュが囁いた。
哀切なメロディに、溜のある第１拍から、第１拍と３拍に特徴ある４拍子が細かく厳格
に刻まれる。半信半疑ながら、フーゴが手をさしのべて、トリッシュの手が絡む……。複
雑なステップ、脚の絡まる艶めかしい振りつけ。スカートが忙しく翻る。
「これは……ミスタには聞いてきましたが、こんな！」
「そうなの。この子の能力はこれよ！」
「何人に作用するんです？ 持続時間はどれくらい？ 範囲は？」
息を弾ませて激しい踊りを踊らされながら、フーゴは昂奮した様子で能力について立て
続けに問いかける。
「そんなの、聞いてどうしようっていうんだ？ こんな、文字通りひとを踊らせるだけの
使えない能力！」
母に絡め取られ、脱出を諦めて荒んだ顔がそこにあった。
「これが、これがきみの能力なんですか、フォルツァ！？」
恐ろしい舞踏への欲求に逆らえない！ 心の底から、全身全霊で、楽隊の奏でる音楽に
合わせて踊らなくてはという欲求、いや、強迫観念がこみ上げてくる。踊ること以外の全
てを忘れてしまいそうな！
「ああそうだよ。失望したかい？」
ジョルノの息子は歪んだ笑顔を見せた。
「パープル・ヘイズッ！」
「ちょッ、フーゴッ！」
パープル・ヘイズは一瞬のうちに距離を詰めて、スタンドのバトルに不慣れな少年の顎
を蹴上げて気絶させた。
スタンドの楽団は瞬時に消え失せ、フーゴとトリッシュは無限の舞踏から解放された。
「頭を何部かに分けて、同時に複数のことをこなすなんてことは慣れれば誰にだってでき
ます。スタンド能力者なら、そんなの無意識にできますよ」
ソファに手をついて息を整えながら、フーゴは済ましていってのけた。
「あらそう。解ったわ、次からそうする」
トリッシュは汗びっしょりだった。
「それにしても、明日は筋肉痛で起きられないかも知れませんね」
「あたしこの前ミスタやナランチャと踊らされたときそうだった。……もう若くないのね
え」
トリッシュがため息をついてみせた。
「……こんな激しいタンゴをルチア以外と踊ったなんて、ばれたら家庭争議ものですよ」
汗を拭きながらフーゴが苦笑した。
「コンチネンタルだからいいんじゃない？ あんた結構やるのね。奥様とは踊るの？」
「ルチアは残念なことにリズム音痴で。タンゴはさすがに踊れないんです」
「あら、花嫁学校に２年も行っておいて？ パーティじゃあどうするのよ？」
「それはそれで、夜会でぼくを他の女性に貸し出す口実ができていいそうです」
「社交界って大変なのね」
フェリーニ上院議員の娘の自慢のハンサムな夫は肩をすくめて見せた。
「あなたもよくついてこられたこと」
「あら、ジョルノと昔よく踊ったもの。ブチャラティを口説きまくっても無視されてた頃
から」
「へえ」
「うまかったわよ、彼」
トリッシュの目に甘い追憶が過ぎったのをフーゴとフォルツァは見逃さなかった。
９
意識を取り戻したフォルツァに対し、フーゴは大人に対するように申し渡した。
「使えない能力なんてことはないですよ。なんでも、使い方次第です。ぼくは昔、お金を
整列させて点呼を取れるスタンド能力者ってのにあったことがあります。実に経理担当者
として役に立ってました。何人殺せればいいってもんじゃない。凶悪すぎて使えないスタン
ドってのもあるんですから」
ふと、中年紳士の端整な顔を自嘲の笑みが過ぎる。
「あなたのスタンドは、平和的で、そして、その割りに強制力が強く、範囲も広い。細か
いことはこれからおいおい調べていくにしても、使いどころはあります。あなたがこのこ
とで負い目を感じる必要はありません。
問題は、あなたがスタンド能力を活かして生きるつもりがあるのかと言うことと、それ
を、組織の元で行う覚悟があるかということです。
組織にはその知識があるスタッフが大勢いますし、なにかあったときのフォローも期待
できますから、組織に入ることをお奨めしますがね」
フォルツァは溜め息で応じた。
「そして、あなたはボスと向き合って生きる必要が出てきます。その覚悟がないというの
なら、能力は封印して、今まで通り組織とは無縁で生きていくことをお奨めします。身辺
警護のものは変らずお側につけますから、その辺はご安心下さい。
ボスもあなたに期待はしていないと思います……なにしろつい最近まで存在も知らなかっ
たのですから」
言ってしまってから、フーゴは表情に出さないままに失言を意識して、フォルツァの反
応を窺った。
「そうか」
少年は、目を落として考え込んでいた。
……ただ息子だと名乗り出ただけはだめだ！ もっと、ボスに自分が重要だと認識させ
ないと。そのためには……考えろ、考えるんだ……。
数日後。
フーゴは組織のサロンでお茶の時間だ。書類もラップトップも手にしていないので、ミ
スタが安心して寄ってきて暢気に話を振った。
「フォルツァはどーだった？ けっこー骨あるだろ？ ありゃ血筋もあるけどトリッシュ
のしつけだな。小さいころから見てたけどほんとつえーよあの子は……メンタルが」
言葉の端々に自慢げな様子が覗く。
「おめーに預けてたファイルあるだろ、データ化した時々のフォルツァの写真。出して、
ボスが見れるようにしてやってよ」
「ああ、ありましたねそういえば。フォルツァのだったんですか」
「優秀な参謀殿に預けとけばボスに伝わってると思ってたぜ。おめー意外とおれを信用し
てたんだな？」
「そんな悪趣味なことはしませんよ、預かったものはそのまま保管してます。中身をチェッ
クなんて……」
ミスタなりに、保身を図りつつもジョルノに対しても筋を通していたということか。
フーゴはそれなりの年輪を刻みつつある遊び人の顔を見上げた。
「ミスタさんにも、ある日突然きれーなねーさんが出来のいい子供連れて出てきて、あな
たの子供よって言ってくれねーかな。すっげーワクドキものだと思うんだけど」
ミスタはからっと笑いながら軽く言ってのけた。
「虫のいいことを言ってるんじゃありませんよ。人間はその状態になるまでが大変なんで
す。そのために人間の女性は結婚をして男に生活を依存するようになったんじゃないです
か。一番大事な時に女性を支援しなかった人間に親を名乗る資格なんてありませんね」
フーゴはすぐに斬り捨てる。ルチアはお嬢様で子守の人手には事欠かなかったし、ガブ
リエルは手のかからない子供だった。それでも大事な会議の直前に熱を出したり、ヴァカン
スの前に幼稚園で水疱瘡をもらってきてせっかくの旅行をキャンセルしたり、アレッサン
ドロと一緒にバルコニーから転げ落ちて騒ぎになったりと、子供らしい事件は色々起こし
てくれた。肝を冷やさせられたり、イライラさせられて忍耐力の足りない自分を改めて実
感させられたり。まったく子育ては人間修養だ。それをまったく経験しないで年だけ重ね
ても、大人とは言えないという旧世代の考え方には一理ある、とフーゴは認識するように
なった。
「ってことは、ボスもってこと？」
笑う顔のままに、ミスタは言ってフーゴの顔を覗き込んだ。
フーゴは、ゆっくりとカップを取り上げて紅茶をすすった。
「とりあえず、フォルツァは能力者です、使いでのある」
かれらが家族としての絆を感じ、それを再構築できるかはかれらの問題で、組織が口を
出すことはないということらしかった。スタンド能力者として手放すべきではない、とい
う口実を与えてジョルノの背を押してやるくらいはしてやるとしても。
１０
さんざん参謀に脅しつけられたボスは、とうとう腹をくくって妻子の元へ出かけた。ト
リッシュを面白がる気持ちがあるならこの際よりを戻してしまえばいい、フォルツァもと
くに問題があるようには見えないから、ここで形式上でも詫びを入れて戻ってもらうのが
各方面丸く収まると理詰めで背中を押してもらって。
「こんにちは。
先だっては打ち合わせが長引いて失礼しました。これを。
あなたは今日も輝いていますね。初めて出会ったときと変わらない魂の輝きはいつもぼ
くをドキドキさせてくれます。
できればその昂奮を毎日経験したいのですが……今日はそのことについて、いいですか？」
花束を手に現われたボス・ジョルノは、想う相手を初めてディトに誘いに来た大学生み
たいだった。フォルツァは冷ややかに観察する。いい年をして髪は長いし。ああ、自分の
赤みの強いブロンドは母似だったんだなと痛感する。なんだ、全然似てないじゃないか。
全然皺もないし。独特のセンスのスーツはなんだろう、どこかのブランドものなんだろう
か。うわあ、あんなところにでかいテントウ虫のブローチ！
「あら、いらっしゃいジョルノ。ありがとう、どうぞ入って」
父母の会話は腹の探り合いのようなところがあって、どうもフォルツァには真意を汲み
取りにくい。この豪奢な金髪の若づくりの男にはほんとうにトリッシュを大切に思う気持
ちがあるのだろうか。
「トリッシュ、あなたには是非ローマの家に入って貰いたいのですが……ええ、警備の関
係上もありますが、ぼく個人の気持ちとしても、あの。今更と思うでしょうが、なんといっ
ても神聖な誓いをした夫婦であることだし……」と、ボス・ジョルノは腰砕けになる。
「あ、ええそこのところはもう……」
トリッシュもコーヒーの仕度をしながら小娘みたいに頬を染めている。
「あ、それでフォルツァももちろん。学校は転校と言うことで……」とついでのように顔
を巡らせたジョルノに、フォルツァは冷水を浴びせかけるような本題を突きつけた。
「しないよ。ぼくの望みは一人暮らした。このうちに残って１人で暮らすんだ。
もう１２だよ？ 口うるさい母さんとなんか一緒にいたくないって気持ち、男なら解る
だろ？」
「えッ？」
うっとり夢心地だったトリッシュの目が一瞬に正気に返った。
「母さんは父さんが引き取って。組織の最重要人物なんでしょ？ 先代のボスの娘で。い
ろんな幹部や敵対組織が母さんの身柄や影響力を狙ってる。フーゴさんに聞いた。守って
くれるよね？
ぼくはそういうの要らない。マフィアとか、ギャングとか、全然関係なく生きてきたん
だ、興味もない。後継者なんか、なる気もない。この使えない能力をうまくコントロール
する方法だけ、ちょっと相談に乗ってくれれば。……使いものになるってならまあお手伝
いぐらいはしてやってもいいけど、非合法活動はいやだ。
ぼくはまだなりたいものも決まっちゃいない子供だけど、だからってマフィアの王子様
なんて持ち上げられる気はない。自由にさせてよ」
「だからって、一人暮らしなんて許しませんッ！」
トリッシュはいきり立った。それを、手を伸ばしてジョルノが抱き寄せる。
「……まぁ別に働きたいってひとには事欠いてませんけどね。もちろん、まだ組織を誰か
に継がせようなんて事態にもなっていませんし。適性とやる気がある人間がやるのが一番
じゃないでしょうか？」
ジョルノは琥珀の目を輝かせながら、若いスタンド能力者をじっと見つめて言った。
「だろ？」
「でも、同じ論理であなたも最重要人物になったんですからね。組織のオフィスに顔を出
してポルナレフさんたちに挨拶をした時点で。もうぼくの隠し子現るって情報であれ以来
幹部会は大騒ぎですよ」
トリッシュの手を握ったまま、ジョルノは肉食獣の笑顔を見せた。
「お父さんに言いたいことがあるんだったら繋ぎを取ってあげるって言ってきたオジサン
の連絡先は全部控えてあります。わしは先代には世話になった、あんたの母さんやあんた
の味方だと変な目つきをしたオジサンには印を付けてあります。ハッキリ、組織を継ぎた
いなら力を貸すからその時の取り分はこれくらい、と妄想を開陳してくれた人はこのひと
です」と、フォルツァは懐からレポート用紙を出してきてボスの鼻先にひらひらさせた。
「フォルツァ！」
１１
「これは……」
ジョルノはごくごく一瞬目を見開いて、そして、破顔した。
「ありがたく受けとっておきましょう。さすが、今時の中学生は危機管理がしっかりして
いますね、
あなたのしつけですか？ トリッシュ」と、頭を巡らせて目を蕩けさせる。
「知らないわッ」
「でも、１人は心配ですから、組織からおうちのことをしてくれるひとを付けましょう。
色っぽいメイドさんがいいですね、下半身の面倒もみてくれるような」
受けとった謀反候補のリストを注意深くポケットにしまって、ジョルノは訳知りな笑顔
を見せる。
「そんな余計なお世話はいいッ」
思春期の少年は顔を朱に染めた。
「お料理が上手できれい好きでそして最低限の護身も心得てるようなひとをお願いッ」
母は過保護。まあ、自分の代わりに息子を任せるとなると当然だが、トリッシュと同等
の女性というのはなかなかハイ・スペックだ。
「ちょっと難しいかな、……男性になっても構いません？」
眼を細めてみせるボスは、具体的な人選をしているのかどうだか。
「別にいいよッ」
「いけないことを教えたりさせないでよッ」
トリッシュはまだ惑乱している。いくら年頃とはいえ、たっぷり愛情を注いで育ててき
た息子から迷惑がられて追い出されるとは思ってもいなかったのだ。
「いいじゃないですか、順調な成長を見せていると言うことで。あなたは子離れしてもい
い年頃ですよ」
ジョルノはゴキゲンな顔でトリッシュのうなじに顔を埋める。
「ちょっとッ、子供の前でやめてッ」
赤くなってトリッシュは身じろぎする。でも、本当にセクハラされて嫌なときに出てく
るあのピンクの守護霊が出てこない。
……このひとは単に女好きなのかな、母さんを好きなのかな？
そこのところは、フォルツァには経験が足りなくて判断は下せない。とにかく。
「サタデーナイトッ！」
フォルツァはスタンドを呼び出した。
「ちょ、フォルツァ！？」
「踊らせろ、２人を。あの頃に返って」
黒い服に身を包んだ楽団が、現われて見得を切った。バンドネオンが哀切なメロディを
奏でる。
「ああ、これが」
息子のスタンドを目の辺りにして、ジョルノが納得の表情を見せる。
「ジョルノ……」
「踊りましょう、奥さん」
「……ええ」
スタンドの強制力に抗いがたく、２人は手をさしのべ合って寄り添った。
「あのね、ぼくは母親の遊び友達におもちゃにされて育ったので」
ぴったりと顔もくっつけて、２人は会話する。足はタンゴのステップを踏んでいる。
「いいわよそんな話」
久し振りにジョルノの腕に抱かれて、トリッシュはもう心拍が上がりきっている。
「子供をひとり産んだくらいの脂の載りきったお洒落なマダムは大好物なんです」と、そ
の耳に熱っぽくジョルノは囁く。
「ええッ？」
トリッシュは惑乱して見上げる。結婚していた頃とほとんど変わらない美しい顔を。
「あなたは昔から独自路線でぼくを振りまわしてくれてじつに魅力的でしたけど……今の
あなた、最高に、魅力的ですよ」
「バッカじゃないの……」
「戻ってくれますね？」
ジョルノはなおも囁いた。蜜のような声。あらがえる女がいるだろうか。
「あの、あたしの要求はそういうことじゃなくて……」
トリッシュは声を詰まらせる。まったく、なんてすごいスタンドの力。ジョルノとぴっ
たり肌を寄せ合って、踊りたいという欲求を抑えきれない！
「でも、かれはそれが望みらしいですよ」
２人はずっとタンゴを踊り続けていた。
１２
夫婦をほったらかしに、フォルツァは部屋を出た。廊下には、どこから入り込んだのだ
ろう、気安い組織の男が立って、事態を見届けに来ていた。壁に背を預け、不敵な笑みを
浮かべて。
「フォルツァももう１２ならマンマのことばっか考えてちゃダメだろ」
ミスタが悪戯っぽい目でフォルツァの顔を覗き込んだ。
「この年になったから、自分のことはもういいから母には好きな男（ひと）の側で幸せで
いて欲しいと思うんじゃないですか」
フォルツァの目は揺るぎない。
「へー。意外。男だな、おまえ」
ミスタは肩を揺すって少年に背を向けた。
「悪くねえよ、それ」と、言い添える。
「そうですか？……ミスタの仕込みですよ」
「なんだそりゃ」
遊び人は顔を巡らせてそっけなく笑った。
「ぼくの母の大切な人というのはパッショーネのジョルノ・ジョバァーナということでい
いですけど。
子供のぼくの精神的支柱になってくれていた男性は、ミスタで間違いはないんですから」
フォルツァは背筋を伸ばして年上の友人に向き合った。
「……ふーん」
虚を突かれたかたちのミスタは、フーゴに言われたことを暫く思い出していた。
「ありがとうございました」
「よせよ、まるで」
「今生の別れみたいになる？」
生意気なマフィアのボスの息子は、ミスタの台詞を先取りして笑った。
「だろ？」
ミスタはフォルツァの目を見つめて言った。
ああ、同じだ。金の目も、大人をなめきった笑い方も、あのクソ憎たらしいぶっとんだ
ボスに。
組織なんか、どうでもいい。ジョルノが心に傷を抱えていて、女にまともに向き合えな
かったり、自分より小さく弱いものを恐れていても、しょうがない。だって、もったいな
いもの。あのきれいで強くて頭が切れてムチャクチャなあの男の、めんどくさい血を受け
継いでいく存在がいないなんて、やっぱりもったいないもの。ジョルノの息子が、ここに
いてくれて良かった。
そして、自分の血を分けた息子は今のところいないけれど。
自分がその幼い頃に影響を与えることができた存在が、自分がいたおかげで生きてこら
れたと言ってくれる存在がいてくれるのは、いいもんだ。もう、何人この手で殺したか判
らない罪深い身だけれど。そこのところは、純粋に、単純に。
ミスタは胸に広がる温かい感慨に、ひとり笑い出していた。フォルツァも、遅れて屈託
なく笑い出した。
ドアの向こう側では、まだ夫婦は踊り続けていた。
２３−０４−１３
おまけ。
「なあ、フーゴさん、ボスに再婚するように言ってくれんか、そうでなくても、隠し子で
いいから子供を作ってくれるようにと」
先代からの幹部にこっそり捕まって、フーゴが囁かれたことといえば。
「そんなこと、……あのボスに言えると思っての人選でしたらこれは恐縮ですが、ぼくに
だって言えませんよ、プライヴァシーです」
「しかし、ボスも、あれでもう４０なんじゃろう？ もう子供がいてもおかしくない年じゃ
あないか。あんただって、お嬢さんはもう高校生だって聞くぞ」
「あの子はとくに早熟なんで……要は後継者問題ですか」
フーゴはすぐに意図するところを言い当てた。
「うむ、あのボスのことだから、アレッサンドロ大王みたいなことを言いだしかねん」
「ああ、……一番強いものが獲ればいい、ですか」
自分だって、もともと野心があったとはいえ、それで先代ボスを倒して組織を乗っ取っ
たのだ。自分がやったことを他人に許さないという傲慢さはジョルノにはない。
そして大帝国があっという間に滅んだように、パッショーネも消えてなくなってしまう
だろう……。あとにはイタリア全土に闘争と混乱が残るだけ。
幹部達はうすら寒い顔になった。
「後継者、要るじゃろ？」
「用意しますか、用意だけ、ね」
蛇足。
「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」のおまけで、振られジョルノに救いを、と思って
「ジョルノの奥さんはトリッシュ」と出したあと、いくらなんでも余り物掃除みたい過ぎ！
と自分で封印してたのですが。だって、トリッシュはブチャ好きだったよね、原作。ヒロ
インなのにジョルノとはあんまり接触なくて（そこがブチャラティ五部主人公説の根拠
だ！？）。これをどう持っていくかーと悩んだ結果、ブチャに片想いしてた同士の仲間意
識と見ました。あとは、「酔わせてみたら」のイメレスで、トリッシュにだけはそういう
振られてへこんでるところを素直に見せられた、ってことで、トリッシュは意識するし、
ジョルノもこれは得難いと認識したという方向で。でも情けないぞボス・ジョルノ。わた
しのボス・ジョルノ観は、「純謀」シリーズと共通で、子供っぽい残念なひとです。でも
スペックはいいんだよ、大金持ちで権力もあって美しくて強い。ばかやろう。甘ったれで
ムチャクチャででも強くって頭が切れる。こんなひと他にいない、キライになれないよ。
こういう感じ。そりゃトリッシュも忘れようにも忘れられず大変だったでしょ。 ジョル
ノの方はあの母親なもんで、ベッドに入って最後の一枚脱いでおきながら息子のためにう
ちに帰る母親ってのに感動したんだと思ってください。川尻しのぶみたいに、あんたのせ
いでとまでは言われたりしてなかっと思うけど、それなりのヒドイ扱いは受けてきたジョ
ルノには、子供を一人で産み育てる決意をしてやってのけてそれでもやつれてない、愚痴っ
ぽくしてなくて変わらず美しいトリッシュってのは尊敬の対象になり得たんだと。そうい
うハンサムな女性、いいじゃないですか。
あと、往年のロックンロールならベイ・シテイ・ローラーズをスタンドにせずしてどう
する！？ と歌詞を調べたら、「サタデーナイト」なんて実にシンプルに「土曜の夜だ踊
りに行こう」と明るく歌ってて、……暗い心からの希（のぞ）みとは無縁な感じで、あー
こりゃスタンドにならんわって知恵を絞った結果がこれです。
アンジェラとかマレーナとか（４部ロハンちゃんのところの情歌とか）、第２世代のス
タンドは直接ケンカに関係しないスタンドにしたかったのもあります。原作は（公式２次
も）少年ものとしてバトルが不可欠でしょうけれど、人生は殴り合うだけが全てじゃない
と思うので（そりゃ当然）。殴らないでも問題を解決できるスタンドがいいなというわた
しの考え。でもあんた昔「ＷＡになって踊ろう」って歌流行ったとき、「踊って問題が解
決するか、闘え」って言ったじゃん……ええと、大人はウソをつくんじゃなくて、間違う
こともあれば成長することもあるのです。はい。
うちのミストリはこんな感じ。ミスタさんにも家庭は要らないと。一人で産むと決めた
トリッシュを見込んで組織やジョルノから庇って見守ってやってました。まあそこんとこ
は本人の性格もあってテキトーに。チョコラータも届かない年もあったりして（ヒドイ）。
その昔の「無法松の一生」って映画がこんな感じだったらしいです。いや、主人公ハッキ
リ未亡人に惚れてたらしいですが、陰になり日向になり母子のことを支えてたらしいです。
よう知らんけど。そこまで本気でもなく、もっと肉親的なつながりだったんじゃないの、
何しろ入れ替わった間柄だし。
あ、そうそう、トリヴィアで、「Ｄｉｏ」ってスクーターを出しているメイカー（ホン
ダ）は「ジョルノ」ってのも出してるそうで。じゃあ、ジョルノの息子もそこのスクーター
のお名前にしましょうっておかあさんネットを彷徨して。イタリアっぽい名前何かないか
なーって探して、フォルツァが引っかかりました。Ｆｏｒｚａ はイタリア語で強さとい
う意味だったと思いますけど……。そのままだと意訳で「がんばれ」にもなります、たし
か。ほんとにいたらイタリアでは痛い名前扱いかもね。アバッキオの先輩さんと被っちゃ
うけど、ルネサンスの実在の人物でスフォルツァってのはいたもんで、つい。こんなにシ
リーズ続くとは思わなかったんで、すいません。それよりホンダは原付バイクで「ジャイ
ロ」も出してたってのに笑ったわ。
それで能力が発現した最初の時にトリッシュが踊らされたのはなんなんだろう？ 自分の
父と闘えとか恐ろしいこといってくるトリッシュにぶつけるには思いっきりばかばかしい踊
り……フレンチ・カンカンなんかどうでしょ？ 真面目にカンカンやってる方にはすいません。
いや、思春期の息子に美人の母親のフレンチ・カンカンは微妙か。それよりハワイアン・フ
ラかしら？ でも、どう抵抗しても無理矢理踊らされるフラってのも想像つかない……。