魔女の一撃
その朝（７２）
１
段取りはぬかりなく行っている。別居ももう９年、ブチャラティが突然訪れるのにも慣
れた。アバッキオはカレンダーにちらりと眼をやると、ふと思いを巡らせた。
誕生日を祝って以来ブチャラティは仕事が立て込んでいて、もう２ヶ月も逢っていない。
漁師町はどんどん秋の気配を濃くしていって、落葉樹はもうほとんど葉の色を変えている。
週明けにはそろそろ家の前を朝晩掃く必要が出てくるだろう。
「父さん、他に何かお手伝いは？」
「ああ、ないよ。もうおやすみ、アンジェラ」
母親の来訪を楽しみにして、小さな娘が手伝いたがるが、もう、彼女にさせるべき仕事
はない。
「でも、スープを取るんでしょ？ 冷蔵庫の中の鳥のガラ……」
アバッキオが抱えたままの寸胴鍋を見つめて、アンジェラが言った。聡い子だ。
「ああ、そうだが、自分でやるよ。おまえはもうおやすみ。明日の朝にはお母さんが来る。
寝坊するんじゃない。
冷え込んできたから、温かくするんだよ」
「ええ……」
そこへ、アバッキオの携帯が鳴った。アバッキオは寸胴鍋を調理台の上に置いて、携帯
を繋いだ。
……いよーう！ アバッキオ、元気？ ちゃんと全身磨いた？ 明日のねーさんの予定
時刻だけどさ？
ミスタだ。陽気な男はまだジョルノの傍にいて、若いボスとその後ろ盾の女幹部の護衛
を務めている。
「仕込みが終わったらな。予定は変わりなしということか。助かる。景気はどうだ？ ボ
スはまだミラノの方を気にしているのか……？」
気安い相手に、長電話になった。娘が言いつけを守らずにちょろちょろしているのは視
界の端に捉えていたが、通話を切って声を荒げるより先に、アンジェラはおやすみなさー
いと逃げ去ってしまった。途中になっていた寸胴鍋の準備をしてくれていたらしい。
「ッ！？」
父親のすることを見ていて、小学生なりに気を利かせてくれたようだが、ほんの少し手
順が狂っている。
コンロに乗せる前に、鍋になみなみと水を張ってしまって！
１０リットルの水と言えば１０キロ。その程度のものが持ち上がらないようなやわな鍛
え方はしていないが、それは「持ち上げる」というからで。自分の腰の高さより上にある
ものをただ純粋に腕力だけで持ち上げようととして持ち上がるかというと……
「やれないことはないさ」
凛々しく覚悟を決めて、娘の失態をカヴァーしてやる気でアバッキオは鍋の持ち手に手
を掛けて、腕力を発揮した。やや上体を逸らして方向を変えようとする。コンロはほんの
５０センチ先だ。簡単、かんた……ん？
「ッ！」
経験したことのない戦慄が、彼の身体を駆け抜けた……！
「………………ーーーッ！」
２
言葉もなく立ちつくしているアバッキオを、予定を早めて明け方、寝起きを襲うつもり
でやってきた彼の妻が見つけた。
「どうした？ レオーネ。早いな。ミスタがチクったか？ 驚かしてやろうと思ったのに」
「……るな」
「なんだ？」
「おれに、さわるなよ？」
苦しい息の下から、文字通り彫刻と化した美丈夫が警告した。
「ああ、なんだ？ 深刻そうな顔をして。まるで魔法にでもかかったみたいに」
「魔法、かもしれん。新手のスタンド使いか？ ……なんかさっき背中にすごい打撃を感
じた……それから身体が動かん」
「おい？」
「ひねろうとしても、信じられないような激痛で、動かせないんだ」
深刻な顔には冷や汗が浮かんでいる。
「レオーネ！」
「触るな！ 触らないでくれ、あんたに感染してもまずい……このままおれは石になって
しまうのか？」
「レオーネ、それは、まず一般人の医者に診せるべきじゃないかな？ 整形の」
若（幼）い頃から街の衆のトラブル解決に走り回っていた妻は、彼に起きたことを正し
く理解した。
「せいけ……い？」
休日の朝一で叩き起こされて街一番の美丈夫を診させられた整形外科医は笑った。
「ああ、ああ！ 大したことはないよ、とくに大事な筋を傷めてもいないし、椎間板って
やつに傷が付いてもいない。まあ、運動不足だな。レオーネ」
「ああ、まあ、久し振りだから張りきっちまったかもな」
素直にアバッキオは心情を吐いてみせた……。
「解るよ！ 奥さんとは初めてだね。あんた怪我しないからなあ。話には聞いてたがこん
な若くてきれいな奥さん、そりゃ張り切らないでどうするよ？ せっかくの夜に災難だっ
たな。
奥さん、そういうわけだ、だが、これでレオーネが行儀良くしてたってのも解ってくれ
るな？ 生身の女には親愛の情以上は見せたことねえし、雑誌のグラビアだってあやしい
映像だって、手を触れようともしねえ、話にも乗って来ねえ！ もう婦人会が表彰に来そ
うなぐらいご清潔な生活だったぜ」
「医師（せんせい）ッ」
アバッキオが赤くなって遮ったので、医師はカルテに目を落として咳払いをすると仕切
り直した。
「処方のプラスターを貼ってコルセットをして２，３日もじっとしていれば治る筋の怪我
だ、このまま帰すけどいいかい？ 奥さんが看れないってならうちには一応入院設備があっ
て、さっきから自称美人看護師が手ぐすね引いて待ってるけど？」と、やはり脱線して変
な目つきで言うものだから。
「連れて帰りますッ」
ブチャラティは勢い込んで言った。
「ああ。ごゆっくり。
レオーネ、可哀相だがキッチリ３日仕事は休めよ？ あとで女房に見に行かすぞ？
もう若くないんだから重いもん持ち上げるときには腰、落としてからな？ 治ったからっ
てあんまりはでなプレイもやめとけよ」
「解ったッ」
顔から火を噴いて診察室を辞去したアバッキオは、ついお茶目な医師に口止めを忘れて
いた……。
自分より一回り大きい美丈夫を自分が乗ってきた車にかるがる叩き込んで帰宅する噂の
美人妻は街の衆の尊敬をさらに高めた……。
３
さらにブチャラティはハンドルを握りながら携帯を使って連絡を取り、自分のこれから
３日のスケジュールを全部キャンセルしてしまったので、アバッキオは、二重の意味で悲
鳴を上げた。
「おいッ！ 今そこかすったぞッ！ あそこんちの生け垣はばあさんが丹精しててッ」
「ああ、あとで謝っといてくれ」
「スピード落とせッ！」
「……たかが３日わたしがいないくらいでうちはガタがくるようなシャバイ組織なのか？
え？ ボス？」
電話の相手は新パッショーネのボス本人のようだ。
……１日と言うからお返ししたのに、そういうことを突然仰られても困ります。大切な
日だというのにぎっくり腰をやるような不注意なオッサンのことはもう切ってしまったら
いかがですか？
日曜の早朝の電話に不機嫌そうなボス・ジョルノはとんでもないことを平然、口に出す。
しかし、彼女は慣れているようだった。
「そんな不注意なオッサンが大事で大事でならないトチ狂ったオバサン幹部なんか、排除
してしまってもいいかもなあ？」
溜め息の後で、声が続いた。
……しかたありませんね。ぼくとぼくたちの組織にはあなたが必要だってことをどうか
理解してください。
助手席ですくみ上がりながら聞き耳を立てていたアバッキオが泣きそうな声を出した。
「すまねえ、せっかくの休みを」
「ふふん。まあいい。たまにはこんな休日も面白いだろう。愛しい旦那様の世話を焼いて
やろうじゃないか、久し振りに」
ブチャラティはその時は甘い看護生活を想定していたが。
４
起きて待っていたアンジェラは、自分が置き去りにされたのではないことを置き手紙で
知ってはいたが、固い顔をして留守番をしていて、父親が死ぬような怪我ではないと聞い
て半べそで出迎えた。
「全く、肝が冷えた。なにが、このまま石になってしまうスタンド攻撃だ、ぎっくり腰なん
て、ジョルノも笑うに笑えなくて困っていたぞ」
笑いに紛らしてしまおうとブチャラティは明るく言って、愛する夫をベッドに叩き込ん
だ。
「面目ねえ」
「しかしあの医者もはっきり言ったものだ、もう若くない、だとさ」
「だってそうだろ」
「そんなわけがあるか、どこからどう見ても若い見事な美丈夫だ。ダヴィデの横にでも飾っ
ておきたい」と、自分もその横に膝を突いた。
「当然裸に剥いて。観光客の女の子がどっちに群がるか、賭けてもいいな」と、手は話の
内容に沿った動きをしていて……。
「おい？」
「大丈夫、はでにしなけりゃいいんだろ？ おまえが動く必要もない」
ネアポリスの海の色の目は潤んで危険な輝きを放ちはじめていた。
「ま、待てッ」
「なんのために逢いに来たと思ってるんだ、もう２ヶ月もご無沙汰だってのに。健全なお
医者さんごっこのつもりはないぞ」
「まだ日も高いッ！ アンジェラはもう起きてるッ！」
「良いじゃないか、あの子ももうそこのところは大人だろ？ 邪魔はしないだろ」
「や、ちょっと、待て……」という抵抗は、例によってキスで封じられて。
ギシッ、と、ベッドが大きくきしんだ。
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ！
その時、寝室のドアが勢いよく開いて、ホイッスルを咥えた彼らの愛娘が飛び込んでき
た。
「ああ、なんだ、アンジェラ、おかあさんは介護をしてるんだ、煩くするんじゃない」
まさしく馬乗りになっていたブチャラティは平然と振り返った。
「エンツォ医師（せんせい）から電話で、おかあさんがおとうさんの上に乗っかって『介
護』をはじめるようだったらやめさせなさいって。『絶対安静』！」
「それは気の利いたことだ」
ブチャラティは顔色も変えずにベッドから下りた。あとには、もう全身を羞恥に染めた
アバッキオが慌てて自由になった手で毛布を引っ張って掛けてその身を隠した。
「まったくいい大人になったものだ」
ブチャラティはぶつくさ言いながら脇の椅子に腰掛けた。
「おかあさん、宿題見て」
アンジェラはすかさず勉強道具を持ってきた。
「勉強は得意なんじゃないのか」
「でも、見て。最近算術がむつかしくなってきたの」
それはレオーネに聞いた方が、とは言わずにブチャラティは相手をしてやった。
「えーと、これは、おはなしを数字で表わすことを考えるんだ。なになに、カルロが歩い
て家を出てから ５分後にマルロが走って学校へ向かって……」
５
きりの良いところでアンジェラはもうすっかり学校の勉強を忘れ去っていた女マフィア
を解放してくれた。
「おかあさん、買い物に連れてって」
「ああそうだ、絶対安静じゃあ、めしをつくってやれねえ、昼はアンジェラにご馳走して
やってくれ」
２人に言われて、ブチャラティは買い出しに出かけることにした。
「おれは適当にやってるから。準備していたものもあるし。大丈夫、それに一食抜いたく
らいで死にはしねえよ」
けが人はベッドの中から笑って手を振った。
「バカを言うな、すぐ戻ってくる。おまえを置いて楽しんだりとか、できる質じゃないの、
わかってるだろう？ ほんの少し、待っていておくれ、退屈とか、しないだろうな」
「大丈夫だ」
念を入れて、アンジェラを玄関先に待たせておいて５分もかけてキスをして、２人は出
かけていった。
「おかあさん」
この際だから、とブチャラティが街を離れる路線に車を乗せたのを見てとって、アンジェ
ラが口を開いた。
「ボスってそんなにコワイひとなの？ 逆らえないの？」
「何を？」
「昔から、ネアポリスのおじいちゃまのところで、時々言われたわ。
おとうさんは、おかあさんをボスに差し出したんだって。取られちゃったんだって。だ
から、あたしたちはネアポリスにいられないんだって。
ううん、言ったのはおじいちゃまじゃないわ、そこのうちの黒い服のひと」
その言葉は、「やり手女性コンサルタント」の胸を貫いた。
「カルロ……タルティーニさんはすぐに必ず否定してくれたわ。そういうこと言ったひと
は、すぐに部屋から出された、けど、何度も何度も、ひとは違っても同じことを聞くのよ」
「アンジェラ、それは違うな」
ブチャラティは言葉を選んだ。
「わたしは仕事の関係上、やばいひととのつきあいもある。そういう裏社会とのつきあい
で、何より大切な弱点があるというのはおおっぴらにするもんじゃない。
わたしは、おまえがさらわれたりしたら泣いてしまう、心を乱して、どんなことでも言う
ことを聞くから子供を返してと言ってしまうだろう。レオーネが危ない目にあったってそ
うだ。大切な家族を持ってる人間は、誰だってそうだ。……でも、そんなのは、この国で
大きな仕事を持っている人間にはあってはならないことなんだ。
考えてもごらん、宝物は、しじゅう警備員をつけていたって守れるかも知れないけど、
ひとに知られたら、そりゃあ良くないことを考える人が出る。かえって、そんなの持って
ません、うちにはありませんって言ってる方が、盗まれないんだよ。
だから、隠しているんだよ、それだけだ。
誓って、レオーネ以外の男に身も心も許してはいないよ。だいたい、おまえのおとうさん
以上の男が、この世にいるもんか。
ボスというのは、古い友人で、ちょっとした貸しのある人間なんだが、まあ、裏社会に
顔の利く人間だ。そういう人間と、大人の女が純粋な友情で結ばれているとは、あんまり
ひとは思わない。残念なことだけどね。
まあいいさ、実際なんにもないんだし。それでボスにはお芝居に付き合って貰っている
のさ。そんな彼と親しい関係にあると思わせておけば、まさか、田舎に大切な男（ひと）
と子供がいるなんて、ひとは思わないだろう？」
若い頃と同じ、ふてぶてしいほどの笑顔を作って、ブチャラティは言ってのけた。
大切なものと、そうでないものを瞬時に冷酷に切り分ける、そして、自分が泥に塗れて
も、大切なものは守る。そういった心意気というものは失っていない。
「おかあさん……」
「そして、おまえの大切なものを害する、と言われても、譲れないことだってある。わた
しは、そう言う奴らの汚い脅しに負けないで意地を通す仕事をしているんだ、そこのとこ
ろは、おまえにも胸を張れるし、これからもそういう自分でいたい。解っておくれ」
「だから、不自由を掛けるが、すまない、おまえも注意しておくれ。自分で自分の身を守
るんだ、ホント、この国の裏社会は冗談じゃない、赤ん坊のおまえでパテを作って送って
きたりとか、本気でやりそうなやつらだから」
「ちょっと」
たとえにしてはあまりな表現に、小学生は身を震わせた。その手を、ハンドルから手を
放してブチャラティが取って強く握った。
「こんなに大きく育って……本当に、レオーネには感謝しないと」
少し、声が湿り気を帯びた。
「……だったらもっと大切にしてあげてよね」
強いて明るさを繕った声で、アンジェラが突き放して見せた。
「安全運転して」と、手を自分で外してハンドルに戻させる。
「それにしても、グリマルディーニさんのところもそんな連中が出入りしているのか、参っ
たな」
ブチャラティは危機を脱したことを察して、ようやく苦く笑って見せた。
「おじいちゃまは好きよ。おばあちゃまも、タルティーニさんも。またオペラのシーズン
になったら行くんでしょ？ 行こうね？」
「ああ、解ったよ」
車は市街地に入った。
「ほんとはネアポリスに行きたいんだけどなあ」
ついさっき自分が言ったことを裏切る内容の愚痴をこぼしながら、ブチャラティは娘を
連れてネアポリスとは反対方向のちょっとした街で食事と買い物をした。アバッキオの好
みでは質素に過ぎる、と札びらを切って普段着やら、ちょっとした外出着に始まって、小
学校高学年の女子にそろそろ必要な下着類まで買い調えてやる。
「清潔で機能的でありさえすればいいなんて、ばかげてる！ そんなの最低限だ。女の子
の下着ってのは、ロマンだ、自分だけのもんじゃない！ もしかしてちらっと見えたとき
に綺麗で洒落たものをつけてないなんて、見た人が夢を失うだろう！？
突風が吹いたり、車にぶつかったり、今朝のレオーネじゃないが医者に担ぎ込まれたり、
人間なにが起きるか解らないんだから、下着には気を抜くんじゃない。
それに、自分の好みの下着を着けていると、自分に自信が出て気合いが入る。ここぞと
言うときには気合いの入った下着を着けるんだ、これが勝負下着というものだ」と、一見
で入ったランジェリーショップでブチャラティは演説する。
「ええ！ お母様の仰るとおりですよ」
店員は満面の笑みでアンジェラに様々な下着類を並べて見せた……。
あとはカフェでタルトを食べ食べ街の誰が（アバッキオの次に！）かっこいいか、ＴＶ
の芸能人では誰が好みかなんて女子トークを繰り広げたりして。
海辺の家に帰り着いたときには、秋の日はすっかり暮れてしまっていた。
「済まない、レオーネ、すっかり時間が掛ってしまった」
両手に買い出しの食料にあらざる荷物を抱え、ブチャラティはけろりと謝って見せた。
「……ああ、構わないよ。アンジェラ、おかあさんとしばらくぶりで一緒に出かけられて
良かったな」
「ええ」
久々に娘の輝く笑顔を見られて、アバッキオは顔を綻ばせていた。
６
母娘は仲良くキッチンに立っている。
「おかあさん、泡が浮いてきたら取るんだよ」
初めての合作料理にアンジェラははじめうきうきと指導した……。
「ああ……おや、これは、なかなか……えっと……まあいいじゃないか」
対するブチャラティは、もともと料理は苦手なところへ持ってきて、ほとんど１０年ぶ
りの料理にまごついている。
「スープが取れたらお野菜を入れて煮込むんだよ」
「大丈夫、艦長のやるのを見ていたからそれくらいは解る……」
「おかあさん、お野菜の皮は剥かないと」
「大丈夫、ちゃんと洗った。艦長は皮と身のギリギリの所にうまみがあるって言ってた」
「おかあさん、お野菜の大きさは揃えた方が」
「死なないだろ、レオーネは歯は丈夫だ。多少のイレギュラーはあっていい」
「おかあさん、火はそんなに大きくしちゃダメなんだよ」
「早く言いなさい……ああ、まあいいじゃないか、ちゃんと火が通ってると言うことで」
「おかあさん、お塩はもう少し入れても良かったんじゃ……」
「食べられないことはないだろう？ なんだ、あんまり塩分を取りすぎると良くないらし
いぞ、たしかトリノの幹……社長さんが去年それで頭の血管が切れて半身不随になった」
かくて濁ったスープに乱切りの野菜とぶつ切り肉が浮かんだあやしげな煮込みが完成し
て、一家の食卓に供せられた。
「……おとうさんがおかあさんに料理をさせないわけが解ったわ」
アンジェラが皿を下げながら溜め息交じりに言った。
「命に関わるほどじゃない。毎日でもないんだから文句を言わずに食べなさい」
一応平らげて見せて、アバッキオは苦い顔をした。いや、この剛胆な佳人のどうしよう
もない料理も久し振りだと少ししみじみしていたりする。
７
それから、２日付きっきりで健全な介護生活を送って、絶対安静のアバッキオがそろそ
ろと家の中を動き回れるようになるどころか、ふつうに日常生活を送れるまで回復したの
を確認して、さらにそれではとお預けになっていた甘い休暇を３、４日も楽しんだところ
でローマから迎えが来て、ブチャラティは帰っていった。
「ねーさん、頼むよ、ボスがもう大変で」
迎えはミスタで、憔悴しきった顔で車から下りてきた。
「知るか。ジョルノも年相応の遊びをしたら良いんだ、恋人と街を散歩したり、展覧会で
も見に行ったり、踊りに行ったり」
ブチャラティはアンジェラの手前もあって、ことさらつれないそぶりを作る。
「みんな試したけどもの足りねえんだってさ」
「まあ、ジョルノは年より考えが大人びているからな」と、アバッキオが助け船を出した。
子供っぽいところはブチャラティが一手に引き受けていることだし。
「そういうところを解ってやれて、組織とか、スタンドとか、おれたちの表に出せない部
分も少しは引き受けてくれるような女性がいればいいんだけどな」
アバッキオは少し眉根に皺を寄せて呟いた。
「あーそりゃー難しいかもねえ」
ちょっと脳裏をかすめた少女のことはすぐに頭から追いやって、ミスタは頭を振って見
せた。
「ま、たまにはアバッキオも顔見せろって。また男っぷり上げやがって、２人で立ってる
ところ見たらボスもいい加減諦めるっしょ。
アンジェラーじゃあ、またマンマ借りてくな？ いい子にしてたらまたオペラの夜には
逢えるから」
「解ったわ、ミスタ。おかあさんをお願いね」
ずっと心に抱えていたわだかまりを吐き出すことができて、アンジェラも笑顔を見せて
いる。
乗ってきた車は空で返して、ブチャラティの車をミスタが運転して、２台の車はネアポ
リス方面に帰って行った……。
それを遠く望んでいたアバッキオが、久々に市場に顔を出すと……。
「大変だったそうじゃないか」
街の衆の間では美人妻と久々の逢瀬に「ハッスル」したアバッキオがぎっくり腰で１週
間身動き取れなかったということにされていて、アバッキオは全身で絶叫してすぐさま家
に逃げ帰った。
「違ーうッ！！！！」
１６−１０−１１
おまけ。
「フロラ……おい、水取ってくれ……フロラ？ まだ帰ってないのか？ アンジェラ？
アンジェラ！ おーい」
安心のためとろとろと眠りに落ちていたアバッキオが目覚めて声を掛けた。当然、それ
に応えるものはいない。
「ちょっと遅くないか？ フロラ？ なあ、ＴＶ見たいんだが、なあ？ アンジェラ？」
「……なぁ、フロラ？ あんたつきっきりで看病してくれるんじゃ？ ちょっと、その
……生理現象が……おい、誰もいないのか？ おーいッ！」
身動き取れないけが人は半日放置されていた。
「ムーディ・ブルース、おれの心からの相棒、邪魔に思って悪かったよ、おまえだけは最
後まで側にいてくれるな？」
アバッキオはすっかり荒んでしまった。
蛇足。
この夏ぎっくり腰をやったときに書き始めて。なんでこんなにかかるんだよ。ほんとす
いません。やっぱり若い方も、そうでなくなってきた方も、重いものを持つときは気をつ
けて。
「魔女の一撃」というのは、ドイツ語でぎっくり腰のことを
「Ｈｅｘｅｎ Ｓｃｈｕｓｓ」と言うんだそうで……
でも今エキサイトの中のひとに聞いたらなんか別の訳語が出ました。困っちゃう。２０
世紀はそうだったの！ タイトルでネタバレかと思ったけど、じゃあいいわ。
１９世紀ぐらいのひとは、悪い魔女に杖かなんかで腰をカキーン！ と打たれてぎっく
り腰になるんだと考えてたんでしょうね……。