みどりのおやゆび
その朝（７）
秋たけなわのある日。アジトにたどり着いて、ブチャラティは途方に暮れていた。
「なに、なーに？ お土産？」
ナランチャが無邪気に出迎える。
「ああ、そこでマリアさんにもらわされた。育てられないっ て言ったのに」
手の中には両手で抱ける程度のテラコッタの植木鉢。土が入っているが、今は地上には
なにも出ていない。気のいい花屋のおかみさんは、ハンサム揃いのブチャラティのチーム
を構いたがって、いつも売れ残りの花束などを貢いでくれるのだ。
「なに？ なんか食えるものが出てくんの？」
「植木鉢ですか？」お帰りなさいと２階のオフィスから降りてきたフーゴが、覗き込んだ。
「チューリップだそうだが……参ったな」
「どうしてです？ 簡単でしょう？」
「だって、ギャングがこんなものを……春まで生きていないかも知れないのに」
「そんなー！ だいじょーぶだって！ 去年も一昨年もそんなこと言って春に切り花買っ
てたじゃん！」
「そうですよ。今年は育ててみたらいいじゃないですか。どんな花が咲くか楽しみですね」
「そうかな……」
なんとかリーダーのご機嫌を取って、ホッとした二人だった。
「生きているかどうか以前にだな、おめーらにそういう地道なことができんのか？」
窓際の日当たりのいいところに受け皿を置いて鉢植えを置いて、アバッキオが冷たい眼
で見やった。
「大丈夫ですよ、別に特別なことが必要って訳じゃないですから」
「乾いたら水、だろ？」と、ナランチャが笑って見せた。
「かえってここは毎日夜遅くまで灯りが付いてますから成長が早いかも知れませんよ。
おや、じゃあ芽が出るまでは囲いをしておいた方がいいのかな？」ぶつぶつ言いながら、フーゴはネッ
トで世話の仕方を検索するためにオフィスに戻っていってしまった。
「あとは、この連中で植木鉢をひっくり返さずに春を迎えられるかどうかってことだ」
「ミスタ、ミスタァ、メシ食わせてくれヨォ！」
「最近メシ代ケチってネーカァ？」
「ウワアァァァン、ミスタ、ｂRがオレをいじめるヨォ！」
スタンドにまとわりつかれながらミスタが現れた。いつも通りに通り抜けざまテーブル
を引っかけ、テーブルの上のカップをがちゃつかせた。
「ミスタ、これはうちのリーダーのた、い、せ、つ、な植木鉢だ。春までちゃんと育てるん
だから、気をつけろよ？」
アバッキオが凄んで見せた。
「あ、ああ解ったよ。いい花が咲くといいな」
とぼけた顔でミスタ
は請け合った。
「今日の水やり当番は誰だ！？ 土が乾いてるじゃーねーか！？ まったくッ」
毎朝チェックして、自分が飲むはずだったミネラルウオーターを注ぎかける。
「バカ野郎ッ！ 気をつけろ！ 今植木鉢を引っかけるところだっただろうがよッ！」
毎日窓の脇に陣取って、他のものが間違って植木鉢を引っかけないように張り番をして
いる。
「まだ芽が出ねーじゃァねーか。フーゴ、もっぺん調べろよ。なんか栄養足りてねーんじゃ
ねーのか？」
……というわけで園芸に向いてないのはアバッキオだった。
「なんにも要らないんですって！ だから、球根はその中に必要な栄養分をみんな持って
るんですよ。あとは、ただ乾かないように水を与えて、待つしかないんです」
「待つしかねーのか……全くやきもきさせるぜ」
ナランチャとミスタは首を縮めて小さくなっている。
「なんか……厄介なものを持ち込んで済まない」
ブチャラティまで肩身を狭くしている。
「別に、花が咲くからって、しゃべるわけでもねーし、うごきゃしねーし、なんでそんな
もんがいいんだよ」
ナランチャは頭を振ると、猫を抱いて立ち上がった。
「ナランチャ、それはどこの猫だ？ また拾ったのか？」と、ブチャラティがそれを見と
がめる。
「ああ、ジョコンドさんのところの猫です」
フーゴが代わりに答えた。
「って、うちのフラットじゃないか。こんなところまで連れてきて、いいのか？」
フーゴとブチャラティのフラットは同じだ。寂しがりのナランチャはフーゴの部屋に入
り浸っているから、朝、迎えに行ってすぐ捕まえて連れ込んだらしい。
「大丈夫、うるさいと思ったら自分で逃げますよ、ほら」
「こらー待てよー」
身体をひとふるいさせて逃げていった猫を、ナランチャが追っていった。
事件は、すぐに起きた。
「いーかッ！ おれはべつに、やっちまったことをとやかく言ってるんじゃねえッ！ しょー
じきに名乗りでらんねーことを情けないって言ってんだッ！」
アバッキオの怒声が表にまで響いている。
「ナランチャ！」
「お、おれじゃねえッ！」
「フーゴ！」
「ぼくでもありませんッ」
「嘘吐いても解るんだぜ？」
二人を睥睨して、腕組みをしたままアバッキオは彼のスタンドを呼び出した。
「昨日の夜まではちゃんといつもの位置にあった！」
今は、無惨に床に落ちて、植木鉢は粉々に砕け、土が飛び散ってしまっている。
「言ったはずだよな？ おれは。『これはうちのリーダーのた、い、せ、つ、な植木鉢だ』っ
てな？」
青い「人形」は額のカウンターを高速で巻き戻している。ざっと１０時間前まで戻すつ
もりなのだろう。
「嘘つきはお仕置きしなくっちゃなァ？」
顎を上げて言いはなったアバッキオの瞳が、剣呑な光を放った。
「何をやっているッ！」
すぐに逃げ出したミスタがブチャラティを呼びに行って、ようやくリーダーはアジトに
出勤した。といっても、いつもより１０分程度早い。
「ブチャラティ、見てくれよこれ」
アバッキオが言うなり、ブチャラティは事件を認識した。
「おや」
すぐにかがみ込んで、土をかき集める。
「ダメじゃないか！ アバッキオ、おまえはなんでこれを放置していられるんだ？」
「や、だって、現場は保存しとかないと」
「いつまでサツのつもりでいるんだ！ ナランチャ、マリアさんのところに行って同じサ
イズの植木鉢もう一つもらってこい！
フーゴ、箒とちりとり！ 土を集めろ。別に空気に触れたら死ぬというものでもないだろ
う」
「あ、はい、そうですね……」
弾かれたように、ナランチャとフーゴは動き始めた。
「アバッキオ、これを見ろ」と、ブチャラティは転げ出た球根を示した。
「あ、ああ……」
「少しだが、根が出て芽も出てきている。おまえが毎日心を配っていてくれたから。良かっ
た、土の外にはまだ出てこないが、ちゃんと生きていたんだ」
「そ、そうだな」
少し頬を染めて、アバッキオも感動を表わしていた。
新しい鉢に球根は植え替えられ、やっと一同安堵のため息を漏らした。と、一瞬気が散っ
ていて活動の速度が遅くなっていたムーディ・ブルースが、ようやく巻き戻しを終えて、
再生を始めた。
「昨日の夜８時ごろからだ」
「いーじゃん！ もう。なーブチャラティ？」
ナランチャが飽きてきている。
「アバッキオ、ホントに一晩中再生するつもりか？」
ブチャラティは気遣わしげにアバッキオを見やった。
「当然！ オレは真実を追究するぜ」
「……やめておいた方がいいと思うが」
一言言って、責任上、椅子を持ってきて腰を掛け、資料をめくりながら付き合う。
「ブーン！ エアロスミス！」
音声とともにムーディ・ブルースはナランチャの姿になり両手を水平に掲げて部屋の中を駆け回り始めた。
「ほら！」
憎々しげにナランチャを見るアバッキオだが、
「違いますよ」と、フーゴに制せられる。
すぐさま、青い人形は停止した。タイマーだけが規則正しく数字を刻んでいる。
「ララララララーララーラー」と、「誰も寝てはならぬ」をハミングしながらファイルを
両手に山に持って歩いてくるフーゴの姿に変わる。と、力の加減が狂ったらしい、真ん中
のファイルがすっぽ抜けて、山は瞬時に崩れる。
「うわっ」
飛んだファイルが、植木鉢をかすめて、植木鉢はバランスを崩して落ちかける。
「フーゴ！」
「違いますって！」
フーゴ’はジャンプして両手で植木鉢を抱きかかえてそのまま壁に激突した。植木鉢は
守られた。息を呑んで見ていた一同は、揃えて溜め息を吐く。
「でしょう？」
床に落ちたファイルには黒々と足跡が残ってしまっているが。
「あのファイルを触った後手が汚れたのはそういうわけか……」
ブチャラティが低い声で呟いた。
「すいませんっ！」
ムーディー・ブルースはそのまま沈黙した。
「ダダダッ！ おい、セックス・ピストルズ！ 集まれ！ 配置に付け！」
ミスタの声がして、彼のスタンドまで忠実に再現された。
「行くぞぉーッ覚悟を決めやがれ！」
陽気なかけ声に合わせて、弾丸が発射される音が響く。
「ナーッ！」
猫の声はするが、猫までは再生されない。
「そこだ！ ｂP！ 追い込め！」
「ミスタ、いいのかい？ 当てちまうぜェ？」
「当たる寸前でおまえらが止めるんだ。訓練になるぜ」
「ホラホラ、ｂR、そっちを止めロォ！」
追い込まれて、猫は必死に逃げまどう。
「ミスタ、なにやってるんですかッ！」
唖然としていた一同の中で、フーゴが最初に理性を呼び戻した。
「いや、当ててねーよ？」
「当たり前ですッ！」
「あーッ逃げやがった！」
再生中のミスタ’が残念そうな声を上げた。
「ミスタ、ヤバイィィィ！」
ｂUの声が響く。流れ弾が、植木鉢に向かっている。
「やべえ、止めろ、ｂP，２，３，５，６、それから７、全員だ！」
「……ふへぇー」
弾丸はなんとか直前で止まった。
「今日はこの辺にしとっか」
ムーディー・ブルースは、それきり沈黙した。
「なーっ？」
「ぼくらじゃありませんでしたでしょ？」
「なあ？」
３人は頬をふくらませた。
「ということだ。もういいじゃないか、アバッキオ。こうやって球根も無事だったことだ
し」と、ブチャラティが場をまとめにかかる。
「よくない！」
ナランチャが声を荒げた。
「おれ達は濡れ衣着せられたんだぜ！ 真犯人を知る権利があるッ！」
「そうだそうだ！」
尻馬に乗るミスタは、面白い事態になることを期待しているに違いない。あのあとアジ
トにはブチャラティとアバッキオが残ったのだから。
二人のうちのどちらかが「犯人」である可能性が高い。
その事態に対し、アバッキオがどう出るのかが見ものなのだ。
ブチャラティは同じことを考えたらしく、溜め息を吐いた。
「アバッキオ……」
「やってやろうじゃねーの。だが、おれもここまで言った以上、自分の手が白いことは確
信してるぜ？」
あ、バカ。
言ってから、気がついた。
少し、戸惑った顔が、引きつっていく。
「続行だ！ ムーディ・ブルース！」
ヤケのような大声が響いた。
ブチャラティが頭を抱えた。
アバッキオ’が、もはや定位置ともなった植木鉢の前のカウチに坐る。脇のテーブルに
は、アーモンドの入ったチョコ・バーの箱がある。タルティーニがどこかへ出た土産だ。
と、横へブチャラティが来て坐ったようだ。カウチが少し沈んだ。
「う！」
アバッキオが、昨夜の自分の行動を思いだしたらしく、小さく呻いた。
「なんだぁ？ もしかして、今から『始まる』？」
ミスタがニヤニヤ笑いで声を掛けた。
「なあ？ ホント？」
ナランチャがフーゴに視線をやる。
「アジトで、ブチャラティが、そんなこと、しませんよ」
断言する割に、やけにフーゴは言葉を切っている。なにより、視線を合わせない。
「これ、二人は再生できねーの？」
ミスタが言いかけて、拳を目の前に繰り出された。それを、ニヤニヤ笑いで避けてとび
すさる。
「別にたいしたことはしていない」と、書類に眼をやっているブチャラティも、頭痛を堪
える表情だ。
「これ、タルティーニが持ってきた」と、ムーディー・ブルースのアバッキオ’がチョコ
バーの包みを剥いて差し出す。
「ああ」
生返事で、それが動いていって消える。
アバッキオ’もそれを口に入れる。
「……うまいな」
「だろ？」
ムーディー・ブルースの額のカウンターが、ゆっくり回っている。ただ「彼」はうっと
りと、カウチの反対側を見つめている。
「もう一本、食うか？」
手が伸びたのだろう、「彼」はチョコバーを取ってやる。
「グラッチェ……」
上の空の声だけが聞こえる。
また、「彼」は微笑んで、「彼」の大切な女神を見つめている。とろけそうな笑みが、
頬には浮かんでいる。
「つまんねー！」
ナランチャが叫んだ。
「いや、これは恥ずいだろう！ なまの濡れ場の方がよっぽどましだぜえ！」
笑いを噛み殺す顔で、ミスタがフーゴを見やった。
「早送りしてください。無意味です」
フーゴは疲れた顔でアバッキオを振り返った。
白い顔を朱に染めて、アバッキオは怒鳴った。
「ムーディー・ブルース！ 三倍速再生だ！」
とたんに額のカウンターが素早く数を刻み始めた。が、動きの速さ自体は大して変わら
ない。時折足を組み替える。チョコバーを取ってやる。と、何か動きがあった。巻き戻し
て、そこからまた再生を始めるよう強要される、ミスタに。
「アバッキオさんは、手が白いんだろ？ どこを見られてもだいじょーぶなはずだよな？」
と。
「エスプレッソ、飲むか？」
「……ああ、頼む」
アバッキオ’が嬉々として立った。また早送りして、戻ってくるのを待つ。チューリッ
プは窓辺で微動だにしていないが、もはや誰もそれを気にしていない。
「グラッチェ」
ブチャラティがカップを受け取って、一口啜った音がした。
「あァ？」
テーブルに眼を止めたアバッキオ’がいぶかしげな声を発した。チョコバーの箱が、空
になっている。
「ブチャラティ、あんた、チョコバー、どうした？」
「え？ ああ、うまかった。ああいう濃厚な味のあとにエスプレッソはクるな」ご機嫌な
声が返ってくる。
「うまかったって、あんた、あれ全部食ったのか？ 一つ除けてあったろうが！」
「ああ？ そうだったか？ 気がつかなかった」
ブチャラティの声はまだのんきだ。
「おれが、エスプレッソと一緒に食おうと思って除けといたんだよ！ なんでわざわざそ
れまで食うんだよ！？」
「済まなかった。いつも最後の一個は残しておいてくれるからてっきり」
「いつもって、いつもおれが勘定してあんたの分残してんの！ あれはおれの分として残
しといた分なんだって！」
「そんなの、判るか。名前でも書いとけ」
ブチャラティは、まだ書類の方に意識が行っているらしい。
「あんたはっ！ もういいっ！ あんたの口から回収させてもらうッ！」と、せいぜい大
胆なことを言ってみたつもりの石頭は、
「残念ながらもうとうに呑み込んでしまったよ」という声に翻弄される。
ジャアァッ！
ジッパーの音をさせて、
「この辺を通ってるところだと思うが、回収してみるか？」と笑い含みに言われて、アバッ
キオ’は情けない顔になる。
まったく、このやさしいマフィアは変なところの神経がおかしい。
「いい年した女がッ、夜中にチョコバーをひと箱も食べていいと思ッてんのかッ！ おま
けにアーモンド入ってるんだぞ！ あんた、もっと気を遣ったらどうだッ！」と、アバッ
キオ’は別方向へ怒りを向けた。
「そういえばこれも刺激物だな……別にいいじゃないか。わたしは厚塗りして顔で勝負す
るわけじゃないし。ニキビのひとつふたつぐらいあったって」
「おれが厚化粧だと言いたいのかッ！？」
「そんなつもりはない……すっぴんでもいい男なのになと思ってるだけだ」
カチャリ、と音がしたので、ブチャラティが悠々エスプレッソを楽しんでいることが解
る……。
バシャッ。
アバッキオ’が、カウチに身を乗り出して、手を上にカチ上げた。
怒りに口をへの字に結んだアバッキオ’の横を、冷静な足音が通り過ぎる。キッチンの
方で、水音がしている。
「染み抜き、できるか？ クリーニング代、持ってもらうからな」
戻ってきたときには、ブチャラティのスーツの上着が、アバッキオの頭に引っかけられ
た。
「やれっかよ！」
怒りを発してそれを床にたたき落とす。
「静かに！ 明日の会議の議題なんだってば」
アバッキオ’が、書類の束をなぎ払う。
低い、凄みのある声が応じた。
「レオーネ、構って欲しいんだな？ ……スティッキィ・フィンガーズ！」
「おい、スタンドは反則……」と、アバッキオ’がとたんに青ざめる。
「解ってるよ」と、壁を切り裂く音がして、チューリップの鉢植えが、中に隠される。
……ブチャラティ冷静だぁ。
……そりゃそうですよ。
呆れて見守ってしまっていた観客から溜め息が漏れる。
「おまえは憲兵隊（カラビニエリ）との対抗試合で３人抜きをやったぐらい格闘は得意なん
だってな」
顔への３連続打撃をかるく左手でアバッキオ’はかわしてみせた。
「メダルはもう売っぱらったけどな」
「顔さえ避ければフーゴには黙っててやるよ」
左こめかみへの攻撃、手で掴んだのは蹴りだったのだろう。
「そりゃどうも」
涼しい顔で、放り投げる。
低い位置からの足への反撃に備えて、身を低くする、が、アバッキオ’は垂直上方向か
らの打撃を頭に受けて、床に這っていた。
とんっと、足音がした。
「わたしだって、１２の時からストリートで生き延びてきたんだよ？」
背後に回ったようだ。両腕を逆にねじ上げられる。
「ルール無用の世界でね」
アバッキオ’の顔が苦痛に歪む。
しかし、さすがに自分より一回り大きな体を締め付け続けるのは辛い。ブチャラティは、
考えて、右腕だけに絞ったらしい。
「ありがとうよ」
アバッキオ’は空いた左腕で、なんとかブチャラティの身体を引きはがして投げ飛ばす。
机にぶつかって、カップが割れた音がした。
「あーあー。泣く子も黙るパッショーネのギャングが。それも恋人同士で」
ミスタがにやにやと笑った。
「チョコバーの最後の１本の取り合いで」
理解不能、というふうにフーゴが頭に手をやった。
「取っ組み合いの大げんか！」
ナランチャが笑い声を上げた。
あとは異口同音。
「「「情けなーッ」」」
「ブチャラティ、弱いものいじめはいけないと常々言ってるのはあんたです」
既に映像からは眼を逸らしてフーゴが言った。
「手加減はしているさ」
「手を出せない人間を殴るのはいじめですよ」
「アバッキオが先に手を出したんだ」
溜め息を吐くフーゴに、ミスタが笑った。
「いーじゃねーか、別に」
「だらしねーなー！ アバッキオ、やられ放題じゃん！」
単純にナランチャは見たまま放言していた。
「これ以上は、明日に差し支える」
地に這ったアバッキオ’の頭の側で、声がした。
「そりゃ、そうだろ」
アバッキオ’は息が上がってしまっている。
「先に帰ってろ」
アバッキオ’の首が、持ち上げられた。キスをくれたらしい。瞬時にアバッキオ’は起
き上がる。
「明日は連れて行かないからな」
言い捨てて、ブチャラティは机を元の位置に戻しているらしい。カップを片付ける音が
続いた。
頭をかいて、アバッキオ’が去った。
ムーディ・ブルースは沈黙した。
「八つ当たりだ」
顔に僅かに内出血の残っているのをナランチャがみとめて指さした。
「八つ当たりだったんだ！」
ミスタも乗った。
「しっ！」
ムーディ・ブルースがまた姿を変えた。
ジャケットをエスプレッソ塗れにされて脱いだブチャラティ’。
……下着には凝るタイプだったのか。
胸元からいつもレースを覗かせていたのだが、ジャケット下はこういうスタイルだった
とは。スレンダーな肢体にぴったり添ったキャミソール……。
一同、黙ってつばを飲み込んだ。
本人は素知らぬそぶりで書類に没頭している。午後からグリマルディーニのところの会
議室で会議なのだ。
「そうそう、出してあげなくてはな」と、呟いて、忘れ去られていた植木鉢を壁から救出
する。
……結局誰も落していないんじゃないか。
疑惑は解明されないのだった。
と、ブチャラティ’が窓を開けて下に声を掛けた。
「先に行ってろと言ったはずだ」
ナランチャが堪えきれずに忍び笑いを漏らした。
ブチャラティ’は書類を拾い集め、読み始めた……が、そわそわし始め、とうとう、時
計を見ると、手鏡を取り出した。
「大丈夫、大丈夫……わたしはもうニキビが出るような年じゃないから……」
小声で自分に言い聞かせている。
ナランチャが自分の口を必死で抑えている。フーゴがミスタに突かれてブチャラティを
見ると、眼は書類の字を追っているが、耳が赤く染まっている。
「やめだやめだ！ まだ明日の午前中がある！」
とうとう、ブチャラティ’も出て行ってしまった。
ムーディー・ブルースが静止した。
「どーゆーことよこれ！？」
ナランチャがいきり立った。
「待て」
ブチャラティが指さした。また、ムーディ・ブルースが姿を変えた。
「ナーオ」
首の辺りの毛がたてがみのようにふさふさしている。黄色の眼が闇に光った。
「モナリザ？」
「なんだよそれ」
「さっきの、ジョコンドさんのところの猫でしょう？」
「戻ってきたんだ？」
「なんで？」
「なんでって……」
モナリザ’は、ブチャラティが閉め忘れた窓のところに行って、楽しそうに一声鳴いた。
「ニャアーオ」
「まさか！」
一瞬、笑ったように見えた。
猫の後足に押され、チューリップの鉢植えは床に落ちた。
それきり、ムーディー・ブルースは静止した。
「モナリザかよ！」
「ナランチャが連れ込むから！」
「いーやッ！ あれはミスタへの復讐だッ！」
「まあ、とりあえず、アバッキオ、ご苦労」と、冷たい声でブチャラティはねぎらった。
「あ、いや、うん」
大汗をかいてアバッキオは眼を逸らせた。
「わたしが窓を閉め忘れたせいだな。済まなかった」
「い、いや……」
ナランチャがうつむいた。
「ナランチャはもう猫を連れ込まないように、いいな。
さあ、じゃあ最後のご挨拶にモナリザを連れておいで」と、言ってすぐ、
「ミスタ、待て！」とスタンドを発現させる。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
猫を狩り遊びに使っていた拳銃使いは拘束された。
「も、もうしねえ、約束するから勘弁してくれぇ」
「ブチャラティ、ミスタが死んジマウヨォ〜」
「ミスタの首を繋げてクレヨォ〜」
ピストルズが飛び回りながら、命乞いをしている。
ミスタは首をジッパーで切り離され、頬にキャットフードを塗りたくられて、モナリザ
の前に置かれている。猫は、眼を細めながらその好物を舐め回している。
「３分ぐらいは保つんじゃないかな？」
ブチャラティは余裕で紅茶を飲んでいる。
「ノーミソに血がいかなくなったらミスタがバカになっちまうよォー」
「ミスタが死んだらあんたも困るだろォ〜？」
ピストルズが口々に言う。まだまだ元気だ。
「ダメダァ〜オレの存在が消えてくゥ〜」
「ｂP！ しっかりしロォ〜！」
「フーゴ、ｂTを見張ってろ。そいつが最後まで頑張るやつだ。そいつが消えかけたら合
図しろ」
ブチャラティは部下のスタンド能力を見切っていた。
「なんかあったらフォローはしますから」
「うん」
午前中も結局後始末に追われて、一朝漬けもきかなかったブチャラティだった。フーゴ
が随行することで失態は避けられるだろう。
「やめてくださいね、チョコバー一気はやっぱりまずいですよ」
「解ったって」
「フーゴ、いーじゃねーか」と、ミスタが繋がった首の辺りを気にしながら声を掛けた。
「だって、結局可哀相になってあのチョコバーお取り寄せになったら、このひとの代わり
に手続きするのぼくなんですよ！ バカップルの間を取り持つものの身になって下さい！」
珍しくフーゴが語気荒く言った。
「あーあ。ねーさん、お嫁に行くときにはフーゴ連れで行かなくっちゃいけないね」と、
ミスタが冷やかすと、
「何を言っているんだ、嫁だと？ そんなつもりはない」と、ブチャラティは冷たく言っ
た。
見送りに立っていたアバッキオが瞬時に表情を凍らせた。
「わたしがアバッキオをお婿にもらうんだ」
マフィアの女幹部候補生はしれっと言ってのけた。
「うわー言ったッ！」
ナランチャがはじけるように笑った。
「ひゅーひゅー！」
ミスタが冷やかす。
本当にこのひとは、と、フーゴが苦笑した。
「異存はないな？」
流し目をくれられて、純情な色男は涙眼になっていた。
それから。
「ブチャラティ！ 芽が出たぞ！ やった！ 大丈夫だったんだなあ！ おまえ、根性あ
るぜ。ガンバレよ！ もう３ヶ月だ！」
「アバッキオのために頑張ってくださいよ……きみが咲くかどうかにぼくらのこの春の運
命かかってるんですから」
「なーまだ蕾出ないわけ？ アバッキオ、これ、オスのチューリップなんじゃねーの？」
「そんなことがあるか！ おまえはちゃあんと咲くよな？ まだ準備中なんだよな？」
「もしかして、アバッキオの兄さんすっげえ子煩悩パパになるんじゃねーの？」
「うわ、見たくねー！ ミスタなんてこと言うんだよ！」
「蕾が出たぞッ！」
「これはピンクかな？」
「赤じゃね？」
「今流行りなのは緑ですよ」
「花が緑色ってのはおれァ許せねえッ！ そー思わねーかッ！？」
命がけの旅を終えて、アジトに１０日振りほどに戻ってみれば、誰もいないのに花はちゃん
と咲いていた。
「ああ、枯れたと思ってたのに」
ミスタが、ぼそりと呟いた。
「チューリップなんか、育ててたんですね」
ジョルノが笑みを浮かべた。
「おかしいか？ そうだろーな」と、ミスタが笑おうとして、失敗する。
「タルティーニが、水をやっててくれたんだと。姐さんは帰ってくるからって。楽しみに
してたから、絶対見せなきゃって……」
「お墓に、見せに行きましょうね……」
「ああ……」
月やあらぬ、春や昔の春ならぬ 我が身一つは 元の身にして
あの日の月も、あの春も、もう元通りには戻らない。自分ひとりが、おめおめと生き残っ
てしまったが……。
日本の昔の詩です、そう言って、ジョルノは涙に咽ぶミスタの背を撫でた。
＜１８−０２−０９＞
おまけ。
「ああ、タルティーニさん、この前のチョコレート、美味しかったそうですよ。ブチャラ
ティが一人で食べてしまってアバッキオとケンカになったぐらい！ ねえ？」
フーゴが、天使の顔でタルティーニに暴露した。
「あ、ああ、うまかった。ありがとう、タルティーニさん」
慌ててブチャラティは笑顔を取り繕う。
「姐さん……」
深く感動したタルティーニは、すぐさま部下を呼びつけた。
「おいッ、例のアレをまた買ってこいッ！ 今すぐにだ！」
「しかし、若頭、あれはウィーンにしか……」
「いーから行ってこいッ！ 上のモンの言いつけに命懸けられねえようなヤツはうちのファ
ミリーには要らねえんだよッ！ 一番スピードの出る車使っていいッ！ タラタラ走ってん
じゃねえぞ、時速三桁出して行けッ！」
「へえッ！」
……これでぼくがお取り寄せをする必要はないですね。
フーゴは根っから策士だった。
ウィーンのもと帝室御用達菓子店、デメルは新しいお得意様を得たらしい。
「なんだか最近定期的にイタリアからのお客さんが来て、山のようにチョコバーを買って
いくのよね」
「まあ！ マフィアのお得意がついたかしら」
「そんな、ばかな、あはは」
＜１９−０２−０９＞
＜別解＞
「ブチャラティ、それで、今日のその服は？」
フーゴが尋ねた。全くいつもと同じスーツを着ているから昨夜あったことが解らなかっ
た。
「洗い替えだ」
「……真にダンディなひとは同じ服を２着持ってるって言いますけどね」
結構美人な若いスタイルのいい女性がこんなんでいいのだろうかと参謀は激しく悩んだ。
蛇足。
気がついたらシリアスな結末になっていた。
一人生き残ったミスタが語り部となるであろうという説には同意。でも、あっさりした
ヤツだからフーゴほどトラウマにならずに生きて行けそう。
だがジョルノ、「おめおめと」はひどすぎる。
アバッキオがどんどんヘタレ化して行っている。うちのアバッキオなら「花が咲いたら正式にプロ
ポーズしよう」とか思ってそうで……号泣。
モナリザが植木をいたずらする猫であるのは「その朝」おまけ参照。ここら辺の伏線は
無意識。犬かわたしは。
イタリアからオーストリアは陸路で道があるか未確認。陸続きなんだから下道で何とか
行けるだろう。
今調べたら、スロベニア国境をかすめる感じで道はある。ただ、イタリア縦断ぐらい距
離がある。ローマに支店があるとイイネ（ザルツブルクとニューヨークにしかない。ま
だザルツブルクの方が近いかな？ ルイジくんー仮名ー災難でした）。
デメルの商品にはアーモンドの入ったチョコバーはやっぱりなかった。ここは、クッキー
にヘーゼルナッツ入れてチョコがけしてある「バンブーバー」だったとでも。