神様の思し召し　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　その朝（５） アレッシーモード

１


　　　　　　　　　　　……なんかおれ、スゴイ服を着ているな……。
　　　　　　　　　　　一瞬の記憶の混濁から回復した彼は、自分の身に起きた異変を正しく認識した。すぐさま自分の静
　　　　　　　　　　かな相棒を呼び出して、失われた記憶を補完して対策を考えることにした……。
　　　　　　　　　　　……５分も戻せばいいか。
　　　　　　　　　　　額にデジタルのカウンターを頂いた青い「人形」が現れる。カウンターが巻き戻され、数字が止ま
　　　　　　　　　　ると、目つきのいやらしい、左右に張り出した髪に鈴を飾った中年男の姿になった。
　　　　　　　　　　「オッサン、子供相手に悪さはよしなよ。いい大人のやることじゃーねーぜ」と、これは自分の声の
　　　　　　　　　　ようだ。少し、柄悪くなっているようだが、自分が言う内容にふさわしくもある。
　　　　　　　　　　「カッコイイつもりかね？　それで。おにいさん、えらいねえ……、ホント、エライよ」
　　　　　　　　　　　眼が細められ、嫌な笑い方をしたと思った。面白くない予感がして、瞬時に身を翻した……はずだ。
　　　　　　　　　　男は、不快げに顔をゆがめた。
　　　　　　　　　　「察しがいいな、とっさにかわしたか……まあ、今日はこの辺で堪忍しておいてやるよ。まったく、
　　　　　　　　　　面白くないねえ……」
　　　　　　　　　　　しゃがれた声を残して、急激に大きくなった背中は消えていった。
　　　　　　　　　　　……立ち去る相手の背中が大きくなるなんてことはあり得ない。これはおれの背が縮んだと言うこ
　　　　　　　　　　とだな、それでこういうことになったわけか。やっかいだな。こんな手品をつかうやつがいるとは……。
　　　　　　　　　　「スタンド攻撃を受けたんですか？　知らない顔ですね……なにか他にダメージはありますか？　……
　　　　　　　　　　ええと、アバッキオ……ですよね？」
　　　　　　　　　　　背後から、少年の声がして飛び上がった。
　　　　　　　　　　　だぶつく黒い裾の長いジャケットの中から振り向くと、見たこともない、天使のような美少年が目
　　　　　　　　　　　を見張って立っていた。
　　　　　　　　　　「これが、見えるのか？」と、傍らの彼のスタンドを振り返ってみる。
　　　　　　　　　　「ええ。ぼくだって持ってますよ。あんたは生まれつきだったんですよね。もしかして、記憶も巻き
　　　　　　　　　　戻ってます？　ぼくのこと、解りませんか？」
　　　　　　　　　　　親しげに話しかけてくるいかれた服を着た少年の心当たりは、彼にはなかった。
　　　　　　　　　　「まあ、すぐに保護できて良かった。丁度来合わせたおかげで２回巻き戻してもらう手間も省けたし。
　　　　　　　　　　パンナコッタ・フーゴです。大人のあんたと同じ仕事をやってます。幾つぐらいまで戻ったのかな？　
　　　　　　　　　　学校はどこまで行ってます？」
　　　　　　　　　　　たいして動揺したふうもなく、立て続けに言葉を繋いで彼を案内して歩き始めた。
　　　　　　　　　　「ブチャラティに連絡しておかないと。ビックリするだろうなあ……」と、携帯電話を取り出すと、
　　　　　　　　　　すぐさま連絡を入れ始めた。
　　　　　　　　　　「……うまい具合に再生してくれましたから、ぼくも顔は見ました。その話は後で。Ｍサイズの、ふ
　　　　　　　　　　つうの中学生の着るような服を調達した方がいいかも知れません。ナランチャにでも行ってもらって
　　　　　　　　　　ください。ええ、下着まで一式。……見ものですよ」
　　　　　　　　　　「見ものって……」
　　　　　　　　　　　彼は不愉快げに呟いた。
　　　　　　　　　　「ああ、ごめん。
　　　　　　　　　　　それで、認識してる？　きみ、見る限り中学生ぐらいまで若返ってるよ」

２

　　　　　　　　　　　見るなりはしゃいで抱きついたりするかと思ったのに。
　　　　　　　　　　　彼らがアジトへ着いて、若返ったアバッキオを見ても、とくにブチャラティは反応しなかった。
　　　　　　　　　　「予期しないことが起ったみたいだ。おれはレオーネ・アバッキオ。世話になる」
　　　　　　　　　　　真っ直ぐ見上げて挨拶する姿に、少し微笑んで見せただけだった。
　　　　　　　　　　「ブチャラティだが……わたしの顔に見覚えはないと？」
　　　　　　　　　　「そういうことだ」
　　　　　　　　　　　２０pほども背も縮んだアバッキオ少年は短く言っただけで表情を変えなかった。
　　　　　　　　　　「あーらーら」
　　　　　　　　　　　ミスタが天を仰いだ。
　　　　　　　　　　「ウソだぁーっ！　そんなことあっていいのかよォーッ！　ブチャラティ、怒れよ！」と、ナランチャ
　　　　　　　　　　が代わりにいきり立った。
　　　　　　　　　　「彼も混乱してるんですし」と、フーゴは手をさしのべてかばってやる。
　　　　　　　　　　　ブチャラティが傷ついたことはたぶん事実だろうけれど、それをそのまま見せるひとではなかった。
　　　　　　　　　　「とりあえず服は調達した。家はあとでフーゴにでも案内してもらって。着替えたらそこへ坐ってお
　　　　　　　　　　茶でも飲みながら善後策を考えよう」
　　　　　　　　　　　とくに気分を害したでもないふうのリーダーは、あっさり言って席を外した。

　　　　　　　　　　「最近田舎から勢力を伸ばして来たファミリーがあるんですけど、コリオリって言いましたか、この
　　　　　　　　　　前注意書きが回ってきてたでしょ？　そこが、スタンド使いを雇ったって。たぶんそいつじゃないか
　　　　　　　　　　と」
　　　　　　　　　　「ああ、あれだな。じゃあ、ちょっと行ってそいつをやってくればいいんだな」と、ブチャラティも
　　　　　　　　　　マフィアらしいことをたまには言う。
　　　　　　　　　　「まあそういうことですけど」と、フーゴは横目でアバッキオ少年を見やった。
　　　　　　　　　　「ちょっと、待てーッ！　あんたら、なにを簡単に……あんたらはいったいなんなんだッ！？」と、
　　　　　　　　　　席を立ってアバッキオ少年は叫んだ。
　　　　　　　　　　「マフィアだよ」と、あっさりナランチャが言った。
　　　　　　　　　　「ギャングだよなー」と、銃を構えて見せて、ミスタが言い足した。
　　　　　　　　　　「ちなみに、大人のきみもそうですから。逃げても解決しませんよ」と、ぐっとテーブルの上に残っ
　　　　　　　　　　たアバッキオの右手を押さえ込んで、フーゴは断言した。
　　　　　　　　　　「わたしはこの辺りを仕切っているパッショーネ・ファミリーで、この町を担当しているチームのリー
　　　　　　　　　　ダーだ」と、ブチャラティが動揺のない声で言った。
　　　　　　　　　　「事実上、ネアポリスの裏の顔だよな？」と、ナランチャが自分のように得意げに言う。
　　　　　　　　　　「守護女神って言えよ。もう、誰も逆らう気ないよな。もう、あのオペラハウスの件は伝説だぜ」
　　　　　　　　　　　ミスタも自慢そうだ。
　　　　　　　　　　　川向こうのグリマルディーニの一味の吸収、権限譲渡もうまく行き、なんとかいいカンジでクリス
　　　　　　　　　　マスを迎えられそうだったのに、ここへ来て困ったことが起きたものだ。
　　　　　　　　　　「このおれが、ギャングだとッ！？」
　　　　　　　　　　　顔を真っ赤にして憤るアバッキオ少年の腕を押さえ込みながら、フーゴはミスタに目で合図した。
　　　　　　　　　　こうやって並べてみると、腕の太さの違いがありありと解る。振り払われるのも時間の問題だ。
　　　　　　　　　　「サンタ・マリア！　なんだってそんなことになったんだ！」と、聞こえた瞬間、フーゴは床に這っ
　　　　　　　　　　ていた。吹っ飛ばされたらしい。たいした膂力だ。
　　　　　　　　　　「はいはい、大人しくしてね。紅茶がブチャラティにかかっちゃったじゃないの。火傷しなかったかぁー？」
　　　　　　　　　　　間一髪、ミスタが間に合って、羽交い締めにしていた。一応、現状ではミスタの方が体格は上回っ
　　　　　　　　　　ている。いつもは負けているから、ミスタも愉快そうだ。
　　　　　　　　　　「ああ、大丈夫だ」
　　　　　　　　　　　ひっくり返ったカップを、ブチャラティは目を伏せて冷静に直していた。
　　　　　　　　　　「そんなこと言われてもなー」
　　　　　　　　　　　左手一本で抑え込んでおいて、にこにこしながら、いつもの光のない目でミスタは銃を取り出して、
　　　　　　　　　　冗談のようにアバッキオ少年に向けた。こういう時のミスタは、許可が出たら、容赦せず撃つ。
　　　　　　　　　　さすがに、アバッキオ少年は口をつぐんだ。
　　　　　　　　　　「それはおまえの方のじじょーで、おれ達が別になんかしたわけじゃーねーぜ」
　　　　　　　　　　　テーブルの上を拭きながら、ナランチャが言い捨てた。
　　　　　　　　　　「見込みがあると思って、わたしがスカウトした。自分の過去だ、おまえのスタンドなら見られるだ
　　　　　　　　　　ろう……同じ場所がいいなら案内するが？」
　　　　　　　　　　「ブチャラティ、子供に見せていい場面なのか〜？」
　　　　　　　　　　　ミスタが冷やかす。
　　　　　　　　　　「バカッ！」
　　　　　　　　　　　ナランチャが赤面してミスタをこづいた。
　　　　　　　　　　「わたしは正々堂々勧誘したぞ？」
　　　　　　　　　　　ブチャラティはいつものとぼけた顔で言った。
　　　　　　　　　　　アバッキオ少年は、意味が解っていないようだった。

　　　　　　　　　　「とりあえず、弟が家出してきたとでも周囲には言っておきましょう。それで、本人は呼び返されて
　　　　　　　　　　行き違いになったとでも」
　　　　　　　　　　　フーゴは、溜め息を吐いて話題を変えた。

　　　　　　　　　　「……で、誰が行きます？」
　　　　　　　　　　「ああ、本体をやりにか」
　 　　　　　　　　　　　考え込んでいたようだ。ブチャラティが珍しく反応が遅れた。
　　　　　　　　　　「能力者なら、とりあえず敵を再起不能にしておけばすぐ元に戻れますが」
　　　　　　　　　　　ポルポの試験に出会うまで、スタンド能力の知識の無かったアバッキオに配慮して話す。
　　　　　　　　　　「射程範囲から追い出してもいいんだろ？」
　　　　　　　　　　　まだ銃を弄びながら、ミスタが言う。彼のスタンドが出てきて、小さくなったアバッキオの周りで
　　　　　　　　　　何事か言ってじゃれている。アバッキオは、小人のようなスタンドを物珍しげに見つめている。
　　　　　　　　　　「また舞い戻ってこられたら困るじゃないですか」
　　　　　　　　　　「それもそうだな」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは、アバッキオ少年を視界の隅で意識しながら、気にしていないふうで話を続けた。
　　　　　　　　　　「パトロールのついでに気を配って、出たら対処、という感じになるかな。
　　　　　　　　　　　どうだ？　グリマルディーニの連中にもある程度スタンドのことは話しておかないか？　秘密主義
　　　　　　　　　　ではやりにくくてしょうがない」

　　　　　　　　　　「スタンドって、あの人形のことか？　あんた達はみんなあれが出るのか？　こんなふうに？」
　　　　　　　　　　　アバッキオ少年は、ピストルズを指さしながら急き込んで言った。
　　　　　　　　　　「ああ」
　　　　　　　　　　「もちろん」
　　　　　　　　　　「そういうことです」
　　　　　　　　　　「な？」
　　　　　　　　　　　皆に笑って肯定されて、アバッキオ少年は言葉を失った。
　　　　　　　　　　　夕食を皆で食べて、フーゴはアバッキオを彼のフラットに送ることにした。
　　　　　　　　　　　……ほとんどブチャラティの部屋で寝起きしてるんじゃないのかな、生活道具ちゃんとあるんだろ
　　　　　　　　　　うか。
　　　　　　　　　　　実はかなり危ぶんでいた。
　　　　　　　　　　　ジャケットの中にあった彼の部屋の鍵でドアを開けると、単純に生活していないという意味ではな
　　　　　　　　　　く、部屋は片付いていた。
　　　　　　　　　　　……意外……でもないか。根は真面目なんだよな。
　　　　　　　　　　　チラと見て、フーゴは納得した。
　　　　　　　　　　　アバッキオ少年は、自分の部屋と認識できたらしい。
　　　　　　　　　　「机の上の配置が、うちと一緒だ」
　　　　　　　　　　　肩をすくめて見せた。自分がきまじめだという自覚があるようだ。
　　　　　　　　　　「きみさ、自分の過去、もしかして知りたいかも知れないけど、見ない方がいいよ」
　　　　　　　　　　「なんだ？」
　　　　　　　　　　　立ったまま、フーゴは忠告した。アバッキオ少年は、こんな頃からのくせなのか、眉根を寄せて剣
　　　　　　　　　　呑な顔つきをした。
　　　　　　　　　　「きみが真面目で、堅いってのはここまでで十分解った。そのきみが、今はギャングだなんて、ショッ
　　　　　　　　　　クなのは解る。でも、それは、それなりの事情があってのことなんだ……大人のきみが、今も深く悩ん
　　　　　　　　　　でいる事情が。子供のきみが見たら、きっと耐えられない」
　　　　　　　　　　「知ったようなことを言うな！」
　　　　　　　　　　「知らないさ、ぼくは。大人の、ちゃんと輝いていた頃のきみのことは覚えていないんだもの」
　　　　　　　　　　「輝いていたのか？」
　　　　　　　　　　「少しの間だけね。でも、じゅうぶんあのひとを魅了するくらいには」
　　　　　　　　　　「あのひと？」
　　　　　　　　　　　ああ、やっぱりこれはあのアバッキオだ。この年から色事に疎い。いや、この年だからか。ブチャ
　　　　　　　　　　ラティが自分の恋人だってことに、全く気づいてないのだろう。
　　　　　　　　　　　フーゴは一瞬、真剣にブチャラティに同情した。

　　　　　　　　　　　あのひとはやさしいから、この事態についても単純に面白がったり可愛いと思って心を和ませたり
　　　　　　　　　　とかは思いもよらず、アバッキオのために心を痛めていることだろう。
　　　　　　　　　　　そう思ったから、自分も例によって彼女の代わりに世話を焼いているのだが。
　　　　　　　　　　「忘れないで。このチームの中で、あのひとの世話になってないやつはいない。きみも、彼女には返
　　　　　　　　　　しきれない恩があるんだから！　今、まだ彼女とは縁ができていないからといって、彼女のことを赤
　　　　　　　　　　の他人みたいに扱ったらあとで後悔することになるからね！」
　　　　　　　　　　　強い語調で言ってやった。
　　　　　　　　　　「彼女？　あのリーダーは女なのか？」
　　　　　　　　　　　フーゴは一瞬でとっても疲労した。

　　　　　　　　　　「ぼく、泊まらなくていいか？　明日は迎えに来るけど。朝は奢るから。きみは目立つから、町の人
　　　　　　　　　　にいろいろ聞かれると思うけど、余計なことはしゃべるなよ？　兄貴に会いに来た、だぞ？　名前も、
　　　　　　　　　　同じじゃまずいな、なんか別なの考えておきなよ？」
　　　　　　　　　　「ああ。フーゴ……」
　　　　　　　　　　「なに？」
　　　　　　　　　　「お節介だな」
　　　　　　　　　　「そうさ」
　　　　　　　　　　　……きみらを見てると飽きないからね。ちょっとした見物料代わりさ。
　　　　　　　　　　　フーゴは内心で付け足して、フラットを出た。心が千々に乱れているはずのリーダーにフォローを
　　　　　　　　　　入れて、出張の打ち合わせをしなくてはいけない。まったく参謀は重労働だ。

３

　　　　　　　　　　「フーゴ」
　　　　　　　　　　「なに？」
　　　　　　　　　　　アバッキオ少年と道をアジトに向かいながら、フーゴは方々へ目を走らせ、掛けられる声に愛想良
　　　　　　　　　　く応えていく。
　　　　　　　　　　「おれたちはギャングじゃないのか？」
　　　　　　　　　　「そうだよ。
　　　　　　　　　　ああ、ありがとう、美味しそうだね。ブチャラティも喜ぶと思うよ」と、クリスマス・ケーキの見本
　　　　　　　　　　だといって一箱もらう。
　　　　　　　　　　「あ、どうも……
　　　　　　　　　　　なんだって皆はこうギャングに構うんだ？」と、自分もイチゴをもらってアバッキオ少年が戸惑う。
　　　　　　　　　　「さあ、人気があるからじゃないかな？
　　　　　　　　　　　ええ、彼、アバッキオの弟なんです。家出して来ちゃって、大変」と、とうとうアバッキオ少年に
　　　　　　　　　　ついて尋ねられてフーゴは天使の微笑みを浮かべる。
　　　　　　　　　　「そっくりだわ。ハンサムの家系なのね」
　　　　　　　　　　「ええ本当に。ブチャラティがはしゃぐのなんの」と、真実に背く発言も平気だ。
　　　　　　　　　　「でしょうねえ。アバッキオはどうしたの？」
　　　　　　　　　　「それが、入れ替わりで呼び戻されちゃってて、逢えてないんですよ」
　　　　　　　　　　「まあ残念。それで、クリスマスまではいるの？」
　　　　　　　　　　「さあ、お袋さんが泣いてほうぼう探し回ってるらしいですから」
　　　　　　　　　　「おい、よせよ」
　　　　　　　　　　　あはは、と笑って振り切って、二人はまた歩き出した。
　　　　　　　　　　「ぼくら、かたぎ衆に好かれるいいギャングを目指してるんだ」
　　　　　　　　　　「そんな、あり得ない」
　　　　　　　　　　「うん、その難しいことをやってるのさ。だから、そう毛嫌いしないで自分の目で見て受け止めてよ」
　　　　　　　　　　「フーゴ！　例のガール・フレンドにクリスマス・プレゼントはいいのかい？」と、小間物屋の親爺
　　　　　　　　　　が声を掛けてくる。
　　　　　　　　　　「もう振られたよ」
　　　　　　　　　　　明るく答えて歩き出して、また捕まる。
　　　　　　　　　　「この花束、持ってお行き。売れ残りだけど。昨日、アバッキオがうちの子を助けてくれたって」と、
　　　　　　　　　　花屋のおばさんが小さなブーケを手に握らせる。
　　　　　　　　　　「おや、そうですか？」と、傍らのアバッキオ少年を振り返ってみる。
　　　　　　　　　　「なんだかいやらしい親爺が難癖を付けてきたんだって。それを、逃がしてくれたんだって」
　　　　　　　　　　　……ああ、それがあのきっかけだったのか。
　　　　　　　　　　「あのひとそういうこと自分から言ったりしませんからね」
　　　　　　　　　　「そうだね。いい男だよ。ブチャラティも幸せ者だよね」
　　　　　　　　　　「あ、……ええ」と、フーゴが口ごもる隙に、オバちゃんが、
　　　　　　　　　　「この子は？」と、アバッキオ少年に目を止めた。
　　　　　　　　　　「兄貴に会いに……家を出てきた」
　　　　　　　　　　「まあ！　本当！　面影があるよ。ナルホドねえ。
　　　　　　　　　　　……よくお聞き、あんたの兄さんは、あのブチャラティのいいひとなのさ」と、内証話をあっさり
　　　　　　　　　　してしまう。
　　　　　　　　　　「ちょっと、おばさん！」
　　　　　　　　　　「なにさ、内緒にするようなことでもないだろ。まったくお似合いさ、あの子らは。オペラハウスの
　　　　　　　　　　記念パーティは、凄かったんだってねえ。ナランチャに写真見せてもらったよ。あんたも見せておも
　　　　　　　　　　らい。ギャングだからって、別に恥じることはないんだよ」
　　　　　　　　　　　アバッキオ少年は顔を朱に染めて、黙ってしまった。
　　　　　　　　　　「おや、赤くなった、可愛いこと。兄さんにそっくりだよ」
　　　　　　　　　　「おばさん、頼みますよ……」
　　　　　　　　　　　困ってしまって、フーゴはアバッキオ少年の手を引いて走り出した。
　　　　　　　　　　　しばらく駆けて、アジトの前、店の途切れるところまで来て、アバッキオは手を振り払った。
　　　　　　　　　　「おい」
　　　　　　　　　　　赤い顔は苦しげだった。
　　　　　　　　　　「おれはテンラクしたんだな？」
　　　　　　　　　　　フーゴはその顔を黙って見つめた。
　　　　　　　　　　「マフィアの女幹部のジョウフになって……親兄弟に顔向けできない身になったんだな？」　
　　　　　　　　　　「ええと、物事はそう一面的にばかり見るものでもないと思うよ」
　　　　　　　　　　　街のオバちゃんにまで、根は正義漢なところがばれてしまっているし。
　　　　　　　　　　「こんな未来、おれは望んじゃいなかった。警官になって市民のために尽くすというおれの誓いはど
　　　　　　　　　　こへ行ったんだ！　おれはなぜそんな恥さらしに成り下が、もがっ……」
　　　　　　　　　　「往来でがなりたてるんじゃねーよ。朝は食ったのか？」と、その口にパニーニを突っ込んで黙らせ
　　　　　　　　　　て、ミスタがアバッキオを襟首を持って吊り上げた。
　　　　　　　　　　「遅せーと思ったら寄り道しやがったな、フーゴ」
　　　　　　　　　　「目新しい美少年を連れてたから皆さんが離してくれなくって」
　　　　　　　　　　　肩をすくめて見せて、フーゴはアジトへ入った。
　　　　　　　　　　「ちょっと大人しくしていてくれないか」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは哀しげに言って、アバッキオの口をジッパーで塞いだ。そして、身動き取れないよ
　　　　　　　　　　うに、壁に開けた穴に半分突っ込んで、ジッパーを閉めてしまった。
　　　　　　　　　　　……本当にこのひとがおれの恋人なのか！？
　　　　　　　　　　　アバッキオの目がそういっているような気がフーゴにはした。

　　　　　　　　　　「問題は、明日の出張です。アバッキオに随行してもらうつもりだったのに。ちょっと、今日一日で
　　　　　　　　　　敵を突き止めて倒すのは時間的に苦しいです」
　　　　　　　　　　　年末恒例の幹部の会議。ボスの出席はないが、その年の活動の締めと翌年の上納金のノルマや活動
　　　　　　　　　　目標が発表され、めざましい働きをしたものは表彰される。失敗を譴責され、降格を言い渡されるこ
　　　　　　　　　　とは少ない……その前に、命を絶たれているから。この秋に事実上ネアポリスの支配を認められたブ
　　　　　　　　　　チャラティは……テロを防いだということで一応は及第だろうか。ホテルでのパーティで小規模なが
　　　　　　　　　　ら騒ぎを起こされたということで失点を計上されるだろうか、実は頭が痛いところだ。
　　　　　　　　　　「なーこの際そのコリオリを今から潰しちまわねーか？　そしたら一気に片付くだろ？」と、ナラン
　　　　　　　　　　チャが両腕をいっぱいに開いてエアロスミスを発現させた。「新入り」に自分のスタンドを自慢した
　　　　　　　　　　い気分なのかも知れない。
　　　　　　　　　　「襲う前にサツへの根回しと、グリマルディーニに留守番の依頼をやって、それからこの人数で立ち
　　　　　　　　　　回りをやった後、その報告書を徹夜で書いて朝一の高速新線（ＴＡＶ）でローマに行くのは誰か解ってます？」
　　　　　　　　　　　１時間と少しの車中だが、かえって短すぎて休養にならない。
　　　　　　　　　　「うちって紙多いよなー。マフィアがこんなにレポートいっぱい出すもんだとは思わなかったよオレ！」
　　　　　　　　　　　と、ナランチャが吐き捨てた。
　　　　　　　　　　「そう思ったらレポートの１枚も代わりに書いてあげればいいんです」
　　　　　　　　　　　ボスが徹底した秘密主義で、皆の前に姿を現さずに運営しているから、勢い、活動は全て報告書で
　　　　　　　　　　知らせることになるのだ。
　　　　　　　　　　　人数が少ない上に、まともに文章が書けるのがブチャラティの他には高卒のアバッキオとフーゴだ
　　　　　　　　　　けなので、事務処理が滞りがちなのがブチャラティ・チームの弱点と言えば弱点。
　　　　　　　　　　　……今度、グリマルディーニから口の堅くて頭のいいのを一人スカウトしてこよう。
　　　　　　　　　　　フーゴは来年の目標を勝手に決めてしまった。
　　　　　　　　　　「アバッキオは、秋のテロの時の表彰があると思ったんですけど、まあ、しょうがないですね。傷が
　　　　　　　　　　治りきってないことにでもしましょう。ブチャラティ、代理で受けてきて下さい」
　　　　　　　　　　「ああ、解った」
　　　　　　　　　　　もう、ばれてしまったからいいか、と、フーゴは口に出す。
　　　　　　　　　　「ブチャラティとアバッキオなら部屋は一つでいいから都合が良かったんですよね。ミスタじゃこう
　　　　　　　　　　はいかないし」
　　　　　　　　　　「おれは別に構わないぜえ」
　　　　　　　　　　「うー！うー！」
　　　　　　　　　　　おや、アバッキオが顔を真っ赤にしてなにか叫んでいる。口はジッパーで留めつけられていて、声は
　　　　　　　　　　漏れていないけれども。
　　　　　　　　　　ここへきて、ブチャラティが自分の女だという自覚が出てきたのだろうか。
　　　　　　　　　　　……解りやすい性格なのはいいけど。
　　　　　　　　　　　今は邪魔なのでフーゴは無視した。
　　　　　　　　　　「あとであの壁に生き埋めになってるひとと決闘する気があるならどうぞ」
　　　　　　　　　　「じゃあ、フーゴ、おまえが行けばぁ？」
　　　　　　　　　　　無邪気にアバッキオの服をはだけさせて、脇腹をくすぐりながらナランチャが言う。
　　　　　　　　　　「もががーっ」
　　　　　　　　　　　アバッキオは顔を真っ赤にして暴れている。プラチナ・ブロンドの髪が乱れてカブキのようだ。
　　　　　　　　　　「きみたちを３人で残してなんて行けません！」
　　　　　　　　　　「わたしが一人で行こう」
　　　　　　　　　　　溜め息を吐いて、ブチャラティが言った。
　　　　　　　　　　「それもまた。各支部からいろんなひとが来るんだし。あんたは自分の身は自分で守れるひとですが、
　　　　　　　　　　この際、グリマルディーニから借りてきましょう。部屋はなんとか別に探します」
　　　　　　　　　　「できるのか？」
　　　　　　　　　　「クリスマスまで間がありますから、何とかなるでしょう。せいぜい機嫌を取っておきましょう、来
　　　　　　　　　　年も頑張って働いてもらうために」
　　　　　　　　　　　に、と笑って参謀は話を締めくくった。


４

　　　　　　　　　　　グリマルディーニのオフィスは、川向こうの一等地にあった。広く、豪華な年代物の自社ビルだ。
　　　　　　　　　　さまざまな関連会社がテナントとして入ってもいる。
　　　　　　　　　　「あんたが来ると、茶が出るのが遅くなっていけねえ。いつもはもっときびきびしてんですがね」と、
　　　　　　　　　　グリマルディーニの若頭が笑った。冷たい目でフーゴが続きを促すと、
　　　　　　　　　　「メイドどもが、誰があんたに茶を持っていくかでケンカになるんでさ」と、肩を震わせた。
　　　　　　　　　　「事前に連絡を入れるようにしましょう」
　　　　　　　　　　　フーゴは短く言った。
　　　　　　　　　　「そりゃ助かります」
　　　　　　　　　　　書類が揃っていないと、時間の無駄、とすぐに席を立ってしまうのだから。その後、お詫びにチョ
　　　　　　　　　　コレートの一箱も買って（自腹だ）、下町の小さなアジトにお伺いに行くのは彼の仕事なのだから。
　　　　　　　　　　カルロ・タルティーニ。３０前の、黒髪を綺麗に撫でつけて、ちょっとはもてる目つきの鋭い男なの
　　　　　　　　　　だが、さすがにモデル・クラブと思われているブチャラティ・チームのメンバーには負ける。実力主
　　　　　　　　　　義とはいえ、下町の小僧共に仕切られているのが、どうにも彼は我慢できないが、それを押し隠すこ
　　　　　　　　　　とができるから彼は若くしてここまでの地位に登りつめた。
　　　　　　　　　　「明日の件ですが、前日になって済みませんが、やはりそちらから随員を出してもらうわけには行き
　　　　　　　　　　ませんか？」
　　　　　　　　　　「これはこれは。おたくにはあの白いライオンさんがいらっしゃるじゃないですか」
　　　　　　　　　　　長い銀髪と名前に引っかけて、彼らはアバッキオを白いライオンと呼んでいるらしい。
　　　　　　　　　　「彼は、まだ治りきってなくて。電車の振動が応えるみたいです」
　　　　　　　　　　「長いですな。夜が激しすぎるんじゃないですかい？」
　　　　　　　　　　　下品な笑いを浮かべる。
　　　　　　　　　　「タルティーニさん、うちのリーダーは、あれでおぼこいところもあるから、何を言われたかも解っ
　　　　　　　　　　てないこともあるも知れませんけど」と、フーゴは左手でケーキフォークを取るなり、真っ直ぐ突い
　　　　　　　　　　て、無礼者の頬を掠めて切り裂いた。きっちり５ミリメートル。右手は優雅にカップを持ったままだ。
　　　　　　　　　　「その白いライオンさんは、そういう冗談には潔癖ですよ。もう、中学の委員長みたいに。そんで、
　　　　　　　　　　ライオンみたいに、力は文句なしに強いですから。お気を付けて。
　　　　　　　　　　　おや、虫がいたと思ったのに、失礼しました、見間違いだったようだ。パソコンのやりすぎかな、
　　　　　　　　　　気をつけよう。
　　　　　　　　　　　うちの人間じゃあ、ぼくが一番の足手まといなんですよね。年も下だし。もう少し、体力つけた方
　　　　　　　　　　がいいのかな、ねえ、タルティーニさん？」
　　　　　　　　　　「い、いや、十分なんじゃ、ないですかい？」
　　　　　　　　　　　頬を押さえて、若頭はようやっと舌を動かしていた。
　　　　　　　　　　「そちらさんも、秋には頑張っていただいたし、これから仲良くして行かなくちゃなんないから、ロー
　　　　　　　　　　マまでお散歩に付いてきていただこうと思ったんだけど、ご迷惑だったんでしょうか？　テロの警戒
　　　　　　　　　　がうまくいって、なんにもなかったらあのひとも怪我なんかしなかったんだけどなあ。残念ですよね、
　　　　　　　　　　せっかくあれだけ気を入れてやってくださってたのに」
　　　　　　　　　　　暗に、グリマルディーニの手抜かりでアバッキオが負傷したと責めている。爆弾魔の潜入を許した
　　　　　　　　　　から、アバッキオのあの働きがあったのだが、都合の悪いことは無視、駆け引きの鉄則だ。
　　　　　　　　　　「いえ、しっかりしたのを一人お付けしましょう。是非お供させて下せえッ！」
　　　　　　　　　　　タルティーニは屈した。
　　　　　　　　　　「ジェノヴァのねえ、大親分のお嬢さんが、なにか勘違いしてうちのリーダーのことを目のカタキに
　　　　　　　　　　してるんですよ。まさか靴に画鋲なんか入れたりもしないと思うけど、気配りしてあげて下さいね？　
　　　　　　　　　　　小指の先にも、そう、その傷より大きい傷なんか付けて返したりしたら、ぼくたちみんな正気をな
　　　　　　　　　　くすと思いますよ」
　　　　　　　　　　　手を戻して、血の付いたままのそのフォークでケーキを切って、天使のような顔で頬張って見せる。
　　　　　　　　　　「あのおあにいさんには及びも寄りませんが、気合いを入れてお護りさせていただきますッ！」
　　　　　　　　　　　席を立つなり、直立不動で、若頭は誓約した。
　　　　　　　　　　「ああ、どうぞお坐り下さい。いやだな、こんな大きな立派な人を、ぼくが脅かしたみたいじゃない
　　　　　　　　　　ですか。どうぞお楽になさって、そちらさんのオフィスじゃありませんか」
　　　　　　　　　　　澄ました顔で、フーゴは紅茶を飲み干した。
　　　　　　　　　　「おいッ、お茶のおかわりを入れて差し上げないかッ！」
　　　　　　　　　　　怒鳴っておいて、タルティーニは坐り直した。

　　　　　　　　　　「いや、本当にあの方はただもんじゃねえですよ」
　　　　　　　　　　　失礼して、と断って、自分もちびちびと紅茶をすすりながら上目遣いにタルティーニは語り出した。
　　　　　　　　　　「おえらいさんが揃ってるあの場に出ても全然ぶるったりしねえで、そんであの面構えでしょう？　
　　　　　　　　　　　注目があちらさんに集まるから、警備がやりやすかったって黒服連中が言ってやした。そんで、誰
　　　　　　　　　　もが見逃したあの爆弾魔の野郎を、一目見ただけで捕まえて、一言、二言しゃべっただけで判断して
　　　　　　　　　　動いた。訓練されたセキュリティでも、なかなかできねえって言ってました。動きがいちいち的確で。
　　　　　　　　　　　もちろん、そちらのお姐さんもうまかった。ありゃあいったいどんな手品で？　行く先々に前もっ
　　　　　　　　　　て穴掘っておくんですかい？」
　　　　　　　　　　「さあ？」
　　　　　　　　　　　聞き流して、フーゴはお茶を楽しむ。ギャングどもには勿体ないようないい葉を使っているようだ。
　　　　　　　　　　「そんで、爆発の後も、お姐さんが側へ寄って、良くやったって言うまで目ェ開いてたって、言うじゃ
　　　　　　　　　　ないですか。なかなかできないことなんスよ？　あばら折れてるんですから」
　　　　　　　　　　「そうかい」
　　　　　　　　　　「天性の番犬だって、言ってました」
　　　　　　　　　　「ふうん」
　　　　　　　　　　　番犬、ね。ちょっと気に入らないが、あの真っ直ぐな気性は、猫科のものではないかも知れない。
　　　　　　　　　　「タルティーニさん、褒められたから言うんじゃないですが」
　　　　　　　　　　　ゆっくり、フーゴは口を開いた。
　　　　　　　　　　「うちの人間の結束が堅いのはね、みんなリーダーに拾われたからってだけじゃないんです。
　　　　　　　　　　　リーダーが、イアイみたいにどこでも素手で切り裂けるのと同じように、みんな、ひとに秘密の技
　　　　　　　　　　を持ってるんだ」
　　　　　　　　　　「イアイ？」
　　　　　　　　　　「そう。気をつけて。あのひとを怒らせると、この辺にもう一つ口を作って、マスクをしたままケー
　　　　　　　　　　キが食べられるようにしてくれますよ」と、フォークを自分の頬に添わせて見せた。
　　　　　　　　　　「そ、それじゃあ、あれは……」
　　　　　　　　　　「何を見たの？　でも、信じて貰えないだろうね」と、天使の笑顔で微笑んでみせる。
　　　　　　　　　　「あ、あんたもか、骨しか残らなかったってのは……」
　　　　　　　　　　「うん、内緒だよ」と、あっさり肯定して見せた。
　　　　　　　　　　「だから、そういう特技のある仲間がいるなら、こっちに合流させて？　でも、なんにもなくても、
　　　　　　　　　　口が堅くてふつうに書類書きがうまいのがいたら、回して下さい。ただもんじゃないお兄さんが療養
　　　　　　　　　　中で、うちちょっとてんてこ舞いなんです」
　　　　　　　　　　　にっこりと要求して、フーゴはカップをソーサーに戻した。
　　　　　　　　　　「ああそれから、似顔絵描きがうまいひとを今ちょっと寄越してください。うちのライオンさんにちょっ
　　　　　　　　　　と因縁を付けて、治りかけたあばらを撫でてくれたひとがいるんで。ちょっと、お礼しないと。ね？
　　　　　　　　　　　二人で冬のローマ一泊旅行、楽しみにしてたと思うんだよね。そう思うでしょう？
　　　　　　　　　　　いいよ、こっちから行くから。コリオリのところがらみらしいけど。お留守番だけ、お願いすると
　　　　　　　　　　思う」
　　　　　　　　　　「へえッ！　おい、レオナルドを呼べッ！」

　　　　　　　　　　　フーゴが説明して、ムーディ・ブルースが再生した「若返りのスタンド使い」の似顔絵は１０分ほ
　　　　　　　　　　どでできあがった。
　　　　　　　　　　「ああ、そう、こんな感じ。ホント、品性下劣が服を着て歩いてる感じですよ。どうもありがとう。
　　　　　　　　　　いい特技を持ってますね。レオナルドさん？　うちのリーダーにも言っておきます」
　　　　　　　　　　「いえ！　とんでもないです！」
　　　　　　　　　　　顔の長い絵描きのちんぴらは、直立不動で赤くなった。
　　　　　　　　　　「コピーを取りますかい？」
　　　　　　　　　　　絵を受け取って、タリオーニが尋ねる。もう、完全にフーゴを格上と認識している。
　　　　　　　　　　「そうだね。１週間で、この街を歩けなくなるぐらいに。くれぐれも手を出さないようにね。うちの
　　　　　　　　　　ライオンさんが不覚を取るぐらいの男だから。動きさえ掴んで知らせてくれればいい。……あとはこっ
　　　　　　　　　　ちがやるよ」
　　　　　　　　　　　天使のような美少年が眼を煌めかせると、タルティーニは背筋をぞくりと震わせた。
　　　　　　　　　　「コリオリはこっちで受け持つつもりだったんですが」
　　　　　　　　　　「そうだよね。まあ、リーダーがローマから帰って来たら詰めようか」
　　　　　　　　　　　随分長っ尻になってしまった。いろいろあって混乱しているだろう白い仔猫ちゃんをフォローに行
　　　　　　　　　　かなくては。
　　　　　　　　　　「じゃ、明日駅で」と、フーゴはグリマルディーニのオフィスを後にした。


５


　　　　　　　　　　　白いライオンさんは、たしかに仔猫ちゃんになっていた。
　　　　　　　　　　「フーゴぉ、やっと帰ってきた。どこ行ってたんだよぉ」
　　　　　　　　　　　ナランチャが半べそだ。
　　　　　　　　　　「なにやったの？」
　　　　　　　　　　　両手をベルトで拘束されて椅子に縛り付けられたアバッキオ少年は、髪をずたずたに切ってしまっ
　　　　　　　　　　ていた。
　　　　　　　　　　「自分で切っちまったんだよ！　長すぎて不衛生だって言って！」
　　　　　　　　　　「変わるもんだよな。おれたちがあれだけからかっても切らなかったってのに」と、ミスタは面白がっ
　　　　　　　　　　ている。
　　　　　　　　　　「それよりブチャラティが……いや、自分が後で泣くことになると思うよ」
　　　　　　　　　　　長いプラチナ・ブロンドはブチャラティが気に入っていて、いつも指を絡めていた。拾ってすぐの
　　　　　　　　　　頃はまだ肩の辺りだったのを、
　　　　　　　　　　「いいじゃないか、ライオンのようで。似合ってるよ」とブチャラティが何気なくフォローしたのを、
　　　　　　　　　　言った本人より数倍も重く甘く受け止めてしまったようだ。なんだかんだ自嘲しながらも、気を遣っ
　　　　　　　　　　て整えていたのをフーゴもナランチャも知っている。
　　　　　　　　　　　そういった少しずつここで積み重ねてきたものを、アバッキオ少年は全部拒否してぶちこわして行
　　　　　　　　　　くつもりだろうか。
　　　　　　　　　　　……あーやっぱり甘くしないでトラウマに直面させてやった方が良かったかな？
　　　　　　　　　　　怒りさえ感じてしまうフーゴだった。
　　　　　　　　　　「ナランチャ、フィガロさんとこ連れてってやって。もう、好きに短くすればいいじゃないか」と、
　　　　　　　　　　溜め息混じりに言い捨てる。
　　　　　　　　　　「よっしゃ、さ、ほどいてやるよ、ピエトロ」
　　　　　　　　　　「なに、ピエトロって名前になったの？」
　　　　　　　　　　「石頭だからピエトロ（石）。もう、半日も付き合ってて解ったぜ、アバッキオ、あれでまだ年取っ
　　　　　　　　　　て付き合いやすくなった方だったんだ。オドロキ」と、ミスタが苦笑する。 「もう、食事の前には
　　　　　　　　　　手洗いとお祈り、信号は守るし、婆さんの荷物は持つし、ひったくりは追っかけるし。ご立派、ご立
　　　　　　　　　　派」
　　　　　　　　　　　ナランチャがうんざりしたように言った。
　　　　　　　　　　「当たり前だろう！　おれは曲がったことが嫌いなんだ！」と、石頭少年が吠える。
　　　　　　　　　　「はーいご苦労さーん。じゃー行こうぜ」
　　　　　　　　　　　ざんばら髪になったプラチナ・ブロンドの少年は、見る間に連れ去られていった。

　　　　　　　　　　　本人は潔くＧＩカットと主張したが、理髪師が気を遣って顎の長さ程度に揃えてくれた。
　　　　　　　　　　「まあ、坊主はどんなアタマしても似合うだろうけどよ」と、仏頂面をなで回して笑った。まだ若い
　　　　　　　　　　おかみさんは、
　　　　　　　　　　「まあー！　お巡りの頃のレオーネみたいじゃないの！　頭の形がいいから短くしても似合うのよね」
　　　　　　　　　　と褒めそやす。
　　　　　　　　　　「お巡り？」と、ピエトロと呼ばれることになったアバッキオが聞きとがめる。
　　　　　　　　　　「そうよ。みんな憧れてたんだから。警官やっててびしっと決まってた頃のレオーネ。ブチャラティ
　　　　　　　　　　だって、興味ない振りしてたけど、レオーネの立ち番してるところばっかり選んでパトロールしてた
　　　　　　　　　　わよ」
　　　　　　　　　　　……ウソ！？
　　　　　　　　　　　ウソ！
　　　　　　　　　　　ミスタとナランチャは目を見交わした。まあその辺は、女にしか解らない文脈というものがあるん
　　　　　　　　　　だろう。
　　　　　　　　　　「あんたの兄さんは、そりゃあ立派な警官だった。弱いものを苛めて賄賂をとることしかしない警官
　　　　　　　　　　だって多いのに、ちゃんとあたし達のことを守るのが仕事って心からそう思ってた」
　　　　　　　　　　「だったら！」
　　　　　　　　　　　また、ピエトロは怒りを顔に上らせた。
　　　　　　　　　　「おい、カテリーナ！」
　　　　　　　　　　　　理髪師が妻をたしなめる。
　　　　　　　　　　「どうしようもないことがあったのさ。みんな心配してたんだよ。
　　　　　　　　　　　　……あんたの兄さんは、真っ直ぐすぎたんだね」あんたが兄さんを恥じたりすることはないんだ
　　　　　　　　　　よ、そう言って、おかみさんはピエトロを抱きしめた。矛盾した警察社会に抗しきれず賄賂を取って
　　　　　　　　　　いた辺りはうまい具合に街の衆には広まってはおらず、相棒が殉職したショックで自分もやめたと認
　　　　　　　　　　識されている。ブチャラティの情報操作もあったかも知れないし、日頃の真面目な勤務態度のせいで、
　　　　　　　　　　悪い噂を信じるものが少なかったのかも知れない。
　　　　　　　　　　「だから、秋のテロで、ブチャラティのところの白いライオンが、テロリストをパーティ会場から放
　　　　　　　　　　り出したって聞いたときには、みんな、ああ、レオーネがやったんだって、すぐわかった。あのレオー
　　　　　　　　　　ネが、正義の心を忘れてるはずがないってみんな信じてたんだもの。立ち位置がちょっと変わっただけ
　　　　　　　　　　で、あの人の心の底までは、変わっちゃいないんだよ」
　　　　　　　　　　「そうなのか……」
　　　　　　　　　　考える顔になったピエトロに、一同は胸をなで下ろした。
　　　　　　　　　　　そこへ、
　　　　　　　　　　「あーナランチャいたー！」と、小・中学生達がなだれ込んできた。
　　　　　　　　　　「カルチョやろうぜ！　アバッキオの弟来てるんだって！？」
　　　　　　　　　　「わーそっくり！　なあなあ、名前なんての？」
　　　　　　　　　　　　とたんに狭い店の中が賑やかになる。
　　　　　　　　　　「ピエトロってんだ。小僧ども、オレも混ぜろよ」とミスタが笑顔を作ると、
　　　　　　　　　　「だめだよ、ミスタが入ると１４人になるから」と、あっさり弱点を突かれる。
　　　　　　　　　　「なあにぃ〜！？　おい、ピエトロ、おまえ、頭を刈ったばかりだから見学しろ。せっかくのヘアス
　　　　　　　　　　タイルが乱れちまう。なあ、フィガロ？」
　　　　　　　　　　「いいや、うちのカットは腕がいいからねえ、どれだけ暴れてもバッチリ決まるよ！」と、店主は楽
　　　　　　　　　　しそうに保証した。
　　　　　　　　　　「フーゴも誘えばいいんじゃないか？」
　　　　　　　　　　「あいつ忙しいからダメって言うぜ。明日ブチャラティ出張だし」
　　　　　　　　　　「まあ、大変だわ。レオーネが田舎に帰ってて、ブチャラティが出張じゃ、明日の夜は戸締まりちゃん
　　　　　　　　　　としなくっちゃ」
　　　　　　　　　　「おかみさーん、それはおれ達に失礼じゃないかよ？」
　　　　　　　　　　「そんなこと言ううちは、夜に火付けにあってもしょうがないよなぁ〜」と、ミスタとナランチャが
　　　　　　　　　　口々に剣呑な冗談を言いかける。と、
　　　　　　　　　　「おまえ達！　そんなギャングみたいな脅し文句を言うんじゃない！」と、ピエトロが顔を真っ赤に
　　　　　　　　　　して叫んだ。
　　　　　　　　　　「いや、ギャングだし」
　　　　　　　　　　「ほんの冗談だよ、真に受けんなよ」と、慌てて二人が取り消しにかかる。
　　　　　　　　　　「あっはは、おかしい！　本当に石頭のピエトロ、あんたたち本当に似たもの兄弟なのね」と、おか
　　　　　　　　　　みさんが吹き出した。
　　　　　　　　　　「なーもー行こーぜ！」
　　　　　　　　　　　少年達がしびれを切らして、少年たちは球蹴り遊びをしに出て行った。
　　　　　　　　　　「レオーネは、皆に嫌われてはいないんだな」
　　　　　　　　　　　皆が息を切らして解散になったとき、ピエトロは呟くように言った。少年達はもう、ボールだけを
　　　　　　　　　　　見ていて、見慣れぬ少年が交じっていても全然気にせず球を追ってしまっていた。
　　　　　　　　　　「けっこー優しいよー。宿題見てくれるよな」
　　　　　　　　　　「そーそー。だいたいおれ達はアバッキオが一人の時見計らって見てもらいに行くんだぜ」
　　　　　　　　　　「なぜ？」
　　　　　　　　　　「他のヤツがいると照れくさがって教えてくれないんだよ」と、いたずらっぽく少年は笑ってみせる。
　　　　　　　　　　「けっこー照れ屋だよね。誰も見てないところでなら、しょーがねえな、暇だからちょっと見てやるっ
　　　　　　　　　　て言って、そんで真剣に見てくれる」と、横から別の少年が補足した。
　　　　　　　　　　「ナランチャは聞いてもわかんないって逆ギレするし、ミスタはそんなもんやらなくてもギャングに
　　　　　　　　　　なれるつってあとでブチャラティに怒られてるし」
　　　　　　　　　　「フーゴは？」
　　　　　　　　　　　ピエトロは、自分の面倒を見てくれるきれいな少年のことを思いだして聞いてみた。
　　　　　　　　　　「フーゴは、……最初はいいけど、何度も聞くとキレる」
　　　　　　　　　　「……おっかねえよな？」
　　　　　　　　　　　自分はあまり聞き分けないことを言わないようにしようと決めたピエトロだった。
　　　　　　　　　　「ピエトロ、おまえ、アバッキオを連れ戻しに来たのか？」
　　　　　　　　　　　球蹴りに誘いに来たそばかすだらけの顔をした少年が尋ねた。
　　　　　　　　　　「……そうじゃない」
　　　　　　　　　　　自分が、戻されてしまったのだ。もしかしたら、戻りたいと願った過去に。無邪気に正義を志向し
　　　　　　　　　　　て、自分だけが正しいと思っていた昔の自分に。
　　　　　　　　　　「もうすぐクリスマスだからさー、アバッキオまた荒れると思ってさ。そんで、ブチャラティが呼ん
　　　　　　　　　　でくれたのかな？」
　　　　　　　　　　「荒れる？」
　　　　　　　　　　「クリスマスにはうちに帰るものじゃんか。この辺は、ずっとここで育ってきたやつが多いからそう
　　　　　　　　　　でもないけど、中心部の、フラット多いところは、ごっそりいなくなるぜ？　ミスタもなんだかんだ
　　　　　　　　　　言ってうちに顔見せに帰るし、ブチャラティだって、お袋さんと面会があるから、女子大生に見える
　　　　　　　　　　服慌てて買うんだぜ？　そんで、付け焼き刃で法律勉強すんの。でも、アバッキオは、うちに帰れな
　　　　　　　　　　い、家族に会わす顔がないって、いっぺん酒場で泣いてたって、警官やめた頃みたいに。噂が広まっ
　　　　　　　　　　てすぐブチャラティが拾いに行って、チームに入れてやったんだけど、落ち着いたら、やっぱりギャン
　　　　　　　　　　グってのが自分で許せてなかったんだろうなって、親爺が。
　　　　　　　　　　　あんなきれいな人と暮らしてて、街のみんなにも好かれてても、やっぱダメなんかなあ？　
　　　　　　　　　　　おまえ、帰って親父さんに、アバッキオを許してくれるように言ってやってくれよ」
　　　　　　　　　　「暮らすって！　そんなっ！　結婚前の男女が、ふしだらなッ！」
　　　　　　　　　　　ピエトロはせっかくの話の内容を、途中の言葉に気を取られて最後まで聞いていなかったようだった。
　　　　　　　　　　「ピエトロ、おまえって、やっぱ石頭……」
　　　　　　　　　　　そばかす少年は溜め息を吐いた。

６

　　　　　　　　　　　食事の後は、アジトの２階でカード大会になった。
　　　　　　　　　　「イカサマだッ！　あり得ないこんなことッ！　おまえらつるんでるだろう！」
　　　　　　　　　　　カードを投げ捨てて、ピエトロが叫びだした。
　　　　　　　　　　「え〜？　やってねえよな？」
　　　　　　　　　　「そうそう。負けたやつがそういうこと言うんだよ」と、ナランチャとミスタが目交ぜして笑う。
　　　　　　　　　　「イカサマは見つからなかったらイカサマじゃないんですよ。悔しかったら自分で暴くか、さもなけ
　　　　　　　　　　りゃ最初からやらなきゃいいんです」と、ソファーにひとり離れて書類を読んでいたフーゴがたしな
　　　　　　　　　　めた。
　　　　　　　　　　「……フーゴもさんざん負けたんだな」と、何気なくピエトロが呟いた。
　　　　　　　　　　「言いましたねッ！？　
　　　　　　　　　　　ナランチャ、ミスタ、種目の変更を要求するッ！　ブラックジャックで勝負だ！　これは純粋に頭
　　　　　　　　　　脳だけで勝てるッ！」
　　　　　　　　　　　書類を放り出してフーゴが立ち上がった。
　　　　　　　　　　「カウンティングは反則だぜ……」
　　　　　　　　　　　ミスタは呻いた。
　　　　　　　　　　「出たカード全部暗記するなんてふつーの人間には無理だって」
　　　　　　　　　　　ナランチャが頭をかいて嘆息する。
　　　　　　　　　　「なんですってッ！？　暗記だけじゃあ勝てないんですよッ！　推理と、それを元に冷静に勝負に出
　　　　　　　　　　る度胸がなくてはッ！」
　　　　　　　　　　　もう、やる気満々で身を乗り出してカードを集め、シャッフルしはじめている。
　　　　　　　　　　「あーはいはい、天才のフーゴさんに最適のギャンブルでございますよ」
　　　　　　　　　　　耳にタコ、といった感じでナランチャが背を向けた。
　　　　　　　　　　「そんなに凄いのか？」
　　　　　　　　　　　かたぎの家庭で堅く育ったピエトロは、カジノ御用達のゲームには疎い。
　　　　　　　　　　「見てろよ、もう、芸術的だから」
　　　　　　　　　　　両手を挙げて見せて、ミスタが顎をしゃくった。
　　　　　　　　　　「……で、おれがやられ役なわけね？　はいはい……」
　　　　　　　　　　　デッキを受け取って、ナランチャがディールする。
　　　　　　　　　　「ハハハハハッ！　今日はついてる！　いきなりＡのペアだ！　スプリット！」
　　　　　　　　　　「うわ。悪魔だこいつ」
　　　　　　　　　　「どういうこと？」
　　　　　　　　　　「２枚同じカードが来たら、２本立てでいける。しかも、Ａは１と１１の両方に数えられるから、メッ
　　　　　　　　　　チャ有利」
　　　　　　　　　　　げんなりした様子でミスタが説明する。
　　　　　　　　　　「両方ヒット！」
　　　　　　　　　　「はいよ」
　　　　　　　　　　　配られた２枚の２枚目を見て、また青い眼が楽しげに歪む。
　　　　　　　　　　「右はヒット！　左はスタンド！」
　　　　　　　　　　「左はもう１７を越えたな。しかも、限りなく２０だ。やだなあ、天性で引きの強いやつは」
　　　　　　　　　　「引きが強い、か……」
　　　　　　　　　　　こんな幼くしてマフィアの参謀をやっているのだから、それは運が強いというのだろうか、とピエ
　　　　　　　　　　トロはオウム返しに唱えて考えた。
　　　　　　　　　　「強いわけないでしょう」
　　　　　　　　　　　最適化された必勝法を頭の中でたどりながら、横の雑談にまでフーゴは耳を澄ませている。
　　　　　　　　　　「きみも、ぼくらも、この年で、マフィアなんかになって。そんな！　 　ちょっと運が良かっ
　　　　　　　　　　たら、みんなまだ温かいうちにいて、家族とＴＶなんか見てますよ。ナランチャはおかあさんが生き
　　　　　　　　　　てて休みの日はおとうさんに遊んでもらって、ミスタは正当防衛が認められて被害者の娘さんとお礼
　　　　　　　　　　デートぐらいしてますよ。きみだって、模範警官で表彰だ。ぼくだってッ！　あそこで手が止まって
　　　　　　　　　　れば、論文の一つや二つすぐに……
　　　　　　　　　　　ぼくらが運がいいなんてことッ！
　　　　　　　　　　　ナランチャ、右もスタンドだ、ディーラーに２枚目を！」
　　　　　　　　　　「解ったよッ」
　　　　　　　　　　　相棒が久々にトラウマを刺激されてヤバい状態であることを皮膚感覚で理解しているナランチャが
　　　　　　　　　　本能で従った。
　　　　　　　　　　「え〜、上々なんじゃねえの？」
　　　　　　　　　　　ミスタがのんきな声を上げた。
　　　　　　　　　　「なんでッ！？」
　　　　　　　　　　「おまえ、一番最初にブチャラティと組んだくせに。贅沢。そんなきれいな顔してて、たった１３で、
　　　　　　　　　　この世界で、金の勘定と作戦参謀だけやって生きてきたなんて、まー幸運」と、ミスタは歌うように
　　　　　　　　　　言った。
　　　　　　　　　　「くッ……金勘定だけじゃありませんッ」
　　　　　　　　　　「どぶ板回りも地道にやったよな。ケンカの仲裁に入って自分が殴られるなんてしょっちゅうで……
　　　　　　　　　　わっ！　バスト！」と、ナランチャが悲鳴を上げた。
　　　　　　　　　　「はい、とりあえず１回勝ち」と、オープンして見せたカードは二系統に割った手札が両方ともきれ
　　　　　　　　　　いに合計２０になっている。方や、ディーラーのナランチャは３枚で２４にもなって、自動的に負け
　　　　　　　　　　ていた。
　　　　　　　　　　「それもこれも、あのおぼこいねーさんが、おまえのことを売り飛ばさなかったからだ。そうだよな？　
　　　　　　　　　　　二人して客取ってりゃもっと楽できたろうに。やせこけた中学生と女子高校生が二人して酒場を回っ
　　　　　　　　　　て集金って、そりゃみんな同情するよな。おれ、今考えただけで涙がちょちょ切れるぜ。
　　　　　　　　　　　ナランチャも、目がつぶれる前にフーゴに拾って貰えて、おまけにポルポの試験でうまい具合にス
　　　　　　　　　　タンドが出てラッキー。
　　　　　　　　　　　アバッキオも、飲んでたのが川向こうだったら速攻でヤバイお兄さんにタコ部屋送りとかにされて
　　　　　　　　　　たのに、あんなねーさんに拾われてお世話してもらってラッキー。
　　　　　　　　　　　そんでこのおれも、本格的にムショに叩き込まれる前に組織にもみ消してもらってラッキー。前科
　　　　　　　　　　つかなかったしな。
　　　　　　　　　　　あのねーさんに出会って、拾ってもらえたんだから、十分いい星回りじゃねーの、おれたち」
　　　　　　　　　　「ナランチャ！」
　　　　　　　　　　「え？　まだやんの？」
　　　　　　　　　　「解ってますよッ！　あのひとがリーダーだからぼくらはこうやってまだ笑ってられるって……解っ
　　　　　　　　　　てるからこうやって限界越えてまで付き合ってるんでしょう……スタンド！」
　　　　　　　　　　「おい、Ａがきたぜえ？」
　　　　　　　　　　「インシュランス！　当然」
　　　　　　　　　　「あ〜こーゆーときに限ってナチュラル……」
　　　　　　　　　　　ピエトロがミスタを見やると、
　　　　　　　　　　「ディーラーにＡが来たとき、プレイヤーがインシュランスを選択すると、金は取られるけど、保険
　　　　　　　　　　を掛けられる。Ａは有利なカードだから、ディーラーが勝つ可能性が高い。その時にディーラーがナ
　　　　　　　　　　チュラル２１を出すと、保険を掛けたプレイヤーは配当がある」
　　　　　　　　　　「ディーラーが２１じゃなかったら？」
　　　　　　　　　　「掛け金は没収だな。ま、プレイヤーのカードが勝ってる可能性はあるけど」
　　　　　　　　　　「フーゴ……続ける？」
　　　　　　　　　　　ディーラーながらナランチャは、まさに、蛇に睨まれた蛙状態だ。
　　　　　　　　　　「掛け金上げましょうか。お小遣い稼ぎをさせてあげますよ、ナランチャ。１回１００ユーロ！　さ
　　　　　　　　　　あ、カードを」
　　　　　　　　　　「神がかってきたな。こういうときのやつは絶対負けない……」
　　　　　　　　　　　ミスタが呟いた。
　　　　　　　　　　「ギャンブルで、客の側が絶対負けないってのは……」
　　　　　　　　　　「最強ってことだ。客としての出入りはとっくに禁止されてる。デッキ６組使うカジノ・ディールで
　　　　　　　　　　でもだぜ？」
　　　　　　　　　　　まだ中学に行っているような年頃なのに。恐るべき少年参謀だ。
　
　　　　　　　　　　　どんどんフーゴの手元には紙幣が溜まっていっている。
　　　　　　　　　　「ナランチャ、配当を！」
　　　　　　　　　　「フーゴ……もうないよぉ。ミスタ、ミスタァ！」
　　　　　　　　　　「あちゃー、おれを頼りにするなよ」
　　　　　　　　　　「もうやめろよ！」
　　　　　　　　　　　ピエトロが割って入った。
　　　　　　　　　　「仲間同士で、こんな高い金巻き上げてどうするんだよ！？　もうやめろよ」
　　　　　　　　　　「おや、きみだっていかさまやられて巻き上げられてたでしょう」
　　　　　　　　　　　ばら色に頬を染めて、久々に賭け事に興じた参謀は澄まして言った。
　　　　　　　　　　「遊戯は仲間が親睦を深めるためにやるものだ！　それで仲悪くなってどうする！」
　　　　　　　　　　「これぐらいで仲悪くなったりなんかしませんよ」
　　　　　　　　　　　ぷい、とフーゴは顔を背けてソファーに戻った。
　　　　　　　　　　「ナランチャ！　２４００ユーロ！　忘れてませんからね！」
　　　　　　　　　　　捨て台詞に、ピエトロが返した。
　　　　　　　　　　「子供の持つ額じゃないぞ！」
　　　　　　　　　　「ああ、ピエトロ、ピエトロ、前から思ってたけどおまえドイツ系だろ？　その石頭っぷり。身体も
　　　　　　　　　　でかいし。髪の色も目の色も薄いし」
　　　　　　　　　　　ミスタがその肩を掴んで坐らせながら、しみじみと問うた。
　　　　　　　　　　「ああ、たしか母方のばあさんがドイツ系で……」
　　　　　　　　　　「やっぱなー。おれたちネアポリスっ子は髪はブルネットだよな、基本。なあ、ナランチャ？」
　　　　　　　　　　「イタリアの歴史は外部支配の歴史ですッ！　学校で歴史をやったでしょう！　ゲルマン民族の移動
　　　　　　　　　　以来いくつもの民族が全土をそれぞれ支配して混血してきたんです。そういうふうにひとの出自をい
　　　　　　　　　　ちいち詮索しないっ！」
　　　　　　　　　　　フーゴが険しい声で遮った。
　　　　　　　　　　「フーゴも南部っぽくないよな」と、全く無視される。
　　　　　　　　　　「ぼくはミラノの出です。母様がフランス系！」
　　　　　　　　　　「理屈っぽいわけだよなー」　
　　　　　　　　　　　賑やかなチームだな、と、ピエトロはぼんやり思っていた。
　　　　　　　　　　「ドイツの奴らが日本人見ると必ず言うジョークって知ってっか？　『次はイタ公抜きでやろう』っ
　　　　　　　　　　ての。やつら野暮だから、ジョークったらそれっきりしか言えねえでやんの。また、日本人が真面目
　　　　　　　　　　に毎回受けてやるからやつら調子に乗るのなんの。きっと教科書に書いてあるんだぜ、『日本人に会っ
　　　　　　　　　　たら言ってやりましょう』って」
　　　　　　　　　　「マジ最低！　イタリアが嫌いならフェラーリ買うなよなー」
　　　　　　　　　　「ドイツ人はフェラーリなんか乗りませんよ。あんなの、工業製品と名乗るもおこがましい」
　　　　　　　　　　　冷たい目で見やるなり書類に戻っていってしまったフーゴを無視して、明るい二人はどんどん盛り
　　　　　　　　　　上がっていった。


７

　　　　　　　　　　「あれ？　それで結局あんたになったの？」
　　　　　　　　　　　フーゴが笑って尋ねた。ネアポリス駅、高速新線のホームには、タルティーニが旅姿で一人で現れ
　　　　　　　　　　た。
　　　　　　　　　　「いろいろ考えたんですが、姐さんの警護を任せられるとなると、どいつもこいつも力不足に思えま
　　　　　　　　　　して」
　　　　　　　　　　　しゃちほこばって、グリマルディーニの若頭が答える。たしかに、格としては彼が行くのが一番だ
　　　　　　　　　　ろう。見栄えもまあいいし。
　　　　　　　　　　「期待してますよ。ぼくもあんたをどうこうしたくないから」
　　　　　　　　　　　……結構話が通じるしね。
　　　　　　　　　　　フーゴはバカが嫌いだ。
　　　　　　　　　　「姐さん、チームの皆さんには及びも寄りませんが、心を込めてこの道中おそばに付かせていただき
　　　　　　　　　　やす。どうぞ何なりとお申し付けくだせえ」
　　　　　　　　　　　帽子を胸に、礼儀正しく頭を垂れるタルティーニに、ブチャラティの方が恐縮した。
　　　　　　　　　　「ああ、済まない。わたしはそういう呼ばれ方が好きじゃないんだ、ただブチャラティとよんでくれ
　　　　　　　　　　ないか」
　　　　　　　　　　「わかりやした、ブチャラティさん」
　　　　　　　　　　　途方に暮れたような顔でブチャラティに見られて、フーゴはクスリと笑った。

　　　　　　　　　　「抜けられない出張なんだ。きみのことは、帰ったらすぐ絶対なんとかするから、もう１日この連中
　　　　　　　　　　と遊んでいてくれ」
　　　　　　　　　　　少し屈んで、目を見てブチャラティはピエトロに言い聞かせた。
　　　　　　　　　　「ああ。こっちのことは気にするな。結構楽しいぜ」
　　　　　　　　　　　ピエトロは短く答える。
　　　　　　　　　　「ウソじゃないんだな」
　　　　　　　　　　　眼を細めて、ブチャラティは手をさしのべてきた。
　　　　　　　　　　　　……このひとは恋人なんだよな……。
　　　　　　　　　　　　ピエトロの中ではちょっと期待する気持ちと、自分から何かしてやるべきなのかという責任感が
　　　　　　　　　　　ない交ぜになっている。
　　　　　　　　　　「その髪も、似合う」
　　　　　　　　　　手は、頬をほんの１秒ほど撫でて、離れた。

　　　　　　　　　　　我慢したな？
　　　　　　　　　　　ああ、我慢したぜ。
　　　　　　　　　　　横目で見守っていたミスタとナランチャが目で会話した。
　　　　　　　　　　「おれだったらあんなこんまいアバッキオ、撫で倒してから出かけるけどなー」
　　　　　　　　　　　それで、いつになく構っているのかとフーゴは感心する。
　　　　　　　　　　「だって、タルティーニ見てるじゃん」
　　　　　　　　　　「あのひと我慢しすぎじゃね？」
　　　　　　　　　　「聞こえてますよッ」
　　　　　　　　　　　フーゴが声を尖らせた。

　　　　　　　　　　　と、その手をピエトロが捉えて、甲にかるく唇を付けた。
　　　　　　　　　　「道中の無事を」
　　　　　　　　　　　真っ直ぐな目で、見上げたまま言った。
　　　　　　　　　　「ああ、行ってくる」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは、微かに微笑んで身を翻した。

　　　　　　　　　　「アバッキオさんは？　一応ご挨拶してからと思ったんですが」と、タルティーニが小声で尋ねた。
　　　　　　　　　　「家に呼び返されてる。あの子が家出してきたものだから」
　　　　　　　　　　「ああ、弟さんかなんかで……道理で」
　　　　　　　　　　「まだ子供なのに……面白いな」と、ブチャラティは右手に目を止めて微笑みを浮かべた。
　　　　　　　　　　「おまえ、やったなぁ！」
　　　　　　　　　　「ピエトロのくせに、上出来！」
　　　　　　　　　　「ローマ土産が楽しみだぜ！」
　　　　　　　　　　　空気を読むという偉業を成し遂げた少年に対し、ミスタとナランチャは頭を抱え込んだり背中をバン
　　　　　　　　　　バン叩いたりして祝福した。
　　　　　　　　　　　あとで恥ずかしさがこみ上げてきて真っ赤になっている少年の頭を、フーゴもぽんぽんと叩いた。
　　　　　　　　　　「ほんと、上出来」
　　　　　　　　　　　あとは、明るい声を出して、引率する。
　　　　　　　　　　「さあ、帰りは歩きですよ！　ついでにコリオリの『厄介なお客さん』の聞き込みをしなくっちゃ！」
　　　　　　　　　　「げえ。おれ、クリスマスの買い物しようと思ったんだけど」
　　　　　　　　　　「お仕事が先です」
　　　　　　　　　　「フーゴ、新しいクリスマスのオーナメント買おうぜ！」
　　　　　　　　　　「それより夕べのお金はやく払ってね、ナランチャ」
　　　　　　　　　　「だから賭博はチームワークを乱すんだというのに」
　　　　　　　　　　　すっかりなじんでしまっている石頭少年だった。

８


　　　　　　　　　　「中堅商事会社Ｐ社の全国支社会議」はローマの大きな会議場を貸し切って行われた。強面の男達が
　　　　　　　　　　集うさまは、どう見てもまともな会社とは思えないのだが、そこはマフィアが国の中枢にまで食い込ん
　　　　　　　　　　でいるお国柄だけに、深く追求されなかった。
　　　　　　　　　　「あら、田舎くさい匂いがするかと思ったら。ネアポリスの田舎娘が幹部面して歩いてるわ。いつか
　　　　　　　　　　らこの会議は支部長の飼い猫風情が偉そうに出席できるようになったのかしら？」
　　　　　　　　　　　香水の香りを漂わせて、美青年を４，５人も侍らせて現れたのは、真っ赤なミラノ・ファッション
　　　　　　　　　　に身を包んだ派手な金髪の女性だった。
　　　　　　　　　　「お嬢さんッ」
　　　　　　　　　　　ごつい護衛も付き従っているから、本当に一人で幅を取る。
　　　　　　　　　　　……これがフーゴさんの言ってた「ジェノヴァの大親分の勘違い娘」か……なるほどな。
　　　　　　　　　　　タルティーニが冷静に値踏みした。
　　　　　　　　　　「こんにちは、ガラヴァーニのお嬢さん。うちは幹部がムショに入っていますもので、代理を寄越す
　　　　　　　　　　ということはずっと前から認められてるんですよ」
　　　　　　　　　　　ブチャラティの方は、いつものとぼけた顔で感情を窺わせない。
　　　　　　　　　　「この秋でネアポリスの一味をまとめて、ポルポの一番の腹心として幹部会にも認められてます」と、
　　　　　　　　　　脇に控えたお目付役らしき中年が小声で補足した。
　　　　　　　　　　「あばずれが。また違う男を侍らせてるのね」
　　　　　　　　　　「ご挨拶させましょうか？　この秋に吸収したグリマルディーニのところの若頭です。タルティーニ」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは侮辱を聞かない振りした。
　　　　　　　　　　「カルロ・タルティーニです。お嬢さん、お目にかかれて光栄です」と、タルティーニは礼儀正しく
　　　　　　　　　　挨拶した。
　　　　　　　　　　「あのプラチナ・ブロンドの男はどうしたのよッ？　テロリストをやっつけたって表彰されるんでしょッ？」
　　　　　　　　　　「彼をお気に掛けていただいてどうも。その時の傷が治りきっていませんで、見苦しいので遠慮させ
　　　　　　　　　　ました」
　　　　　　　　　　「くッ……」
　　　　　　　　　　　……なるほど、このお嬢さんは姐さんが自分よりいい男を従えているのが気に入らないんだな。
　　　　　　　　　　　瞬時に察してタルティーニはうまい立ち回り方を考えることにした。
　　　　　　　　　　「安っぽいスーツだこと！　そんな服を着てこんな会議に出るなんて、恥ずかしくないのかしら！」
　　　　　　　　　　　ブチャラティはごく地味なテーラード・スーツだ。本人が美人だから、それで十分場の雰囲気に合っ
　　　　　　　　　　ている。
　　　　　　　　　　　……あんたみたいに真っ赤なドレス着てくる方がおかしいと思いますがねえ。
　　　　　　　　　　　タルティーニは、心の中で反論しつつ、ブチャラティを引き離すタイミングを計ることにした。
　　　　　　　　　　　……あんたらも、この女を野放しにしないでくださいよ。
　　　　　　　　　　　と、ガラヴァーニの連中を見やってみたが、この連中は、顔で雇われているのは顔だけ、頭で使わ
　　　　　　　　　　れているのは頭、腕っ節は腕っ節だけという感じで、どれを見てもブチャラティのチームの小僧共に
　　　　　　　　　　は及ばない。あの白いライオンが美しさや迫力、威厳を持っているのに比べれば、そこにそうして立っ
　　　　　　　　　　ている護衛はただの頭の悪いゴリラにすぎない。あの拳銃使いは猟犬のようだし、ほんの５分話した
　　　　　　　　　　だけで自分を圧倒したあの参謀の少年は、血統書付の猫のように知性と気品がある。ナイフを振りま
　　　　　　　　　　わす黒髪の小僧は猿のようで、側に侍らせるだけで心が和む。こういう極上の子分を親の威光や金で
　　　　　　　　　　なく、自分の魅力だけで従えているというところがまた癪に障るのだろう。
　　　　　　　　　　　……お嬢さん、あんた、はなっから負けてますよ。
　　　　　　　　　　　そんなことを考えている間にも、身の程を知らないお嬢さんはブチャラティをいちいちあげつらっ
　　　　　　　　　　ていびり倒している。
　　　　　　　　　　　……ここら辺で助け出さないと、フーゴさんに叱られちまいますかねえ。
　　　　　　　　　　「ルクレツィア、こんなところに」
　　　　　　　　　　　長々いびられている間に話が行ったのか、幹部が助け船を出しに来てくれたようだ。
　　　　　　　　　　「ペリーコロのおじさまァ」
　　　　　　　　　　　猫なで声でバカ女は身を翻した。
　　　　　　　　　　「親爺さんは元気かい？　向こうでお茶でもしながら、おまえさんの結婚の話でもさせてもらおうか」
　　　　　　　　　　「ええっ、そんなこと、今すぐ考えなくてもいいじゃないですかぁ」
　　　　　　　　　　「いいや、ファミリーの大事だからな」
　　　　　　　　　　　幹部は笑いながら、うまく危険人物を連れて行ってくれた。取り巻き連中も、済まなさそうに一礼
　　　　　　　　　　して従って行ってしまった。
　　　　　　　　　　「姐さん、気が利きませんで、ご不快な思いをおさせしてすいやせん」
　　　　　　　　　　　タルティーニは近寄って頭を垂れた。
　　　　　　　　　　「なに、慣れてる。こちらこそ、気を遣わせて済まないな」
　　　　　　　　　　　ブチャラティが爽やかに笑うものだから、タルティーニは恐縮した。
　　　　　　　　　　「ブチャラティ、毎度済まないな」
　　　　　　　　　　　別の幹部が声を掛けて、ブチャラティを喫茶室へ誘っていた。
　　　　　　　　　　　……みんな解ってるんならもう少し配慮しろよ……。
　　　　　　　　　　「カルロ」
　　　　　　　　　　　顔見知りの、別支部の幹部の側近が声を掛けてきたので、幹部同士のテーブルを遠巻きにしながら、
　　　　　　　　　　小声で近況報告をしあった。
　　　　　　　　　　「おまえのところはあの女に乗っ取られたって訳か」
　　　　　　　　　　「吸収って形だな。おれのところは納得ずくだ。あんまり滅多な口を利くなよ、トニオ」
　　　　　　　　　　「おまえ自身はどうなんだ？　グリマルディーニさんにはいろいろ恩もあったろうに、乗り換えたの
　　　　　　　　　　か？」
　　　　　　　　　　「おれはグリマルディーニさんの側近のつもりだ、今でもな。だが、あの姐さんも、結構いいんじゃ
　　　　　　　　　　ないかと思っている。なにより、ポルポさんの腹心であったことには、間違いないんだ。幹部の意向
　　　　　　　　　　でもある」
　　　　　　　　　　「そうか……あの姐さんも、最初はポルポの使いっ走りの貧相なガキだったもんだが」
　　　　　　　　　　「まあ、そうだな」
　　　　　　　　　　　だが、さまざまな修羅場をくぐって、今の地位に登りつめた。秋のテロ事件の間一髪の手際と言い、
　　　　　　　　　　運だけでは片付けられない。まして、女の武器を使ったなど言いがかりを付けるようなら、長いつき
　　　　　　　　　　あいのこいつも、容赦するわけにはいかない。
　　　　　　　　　　「今回表彰の、アバッキオてのは来てねえのか？」
　　　　　　　　　　　目を左右に配りながら、囁く。
　　　　　　　　　　「身体がまだ悪いんだと」
　　　　　　　　　　「聞いた話なんだが…………なんだって？」
　　　　　　　　　　「あァ？」
　　　　　　　　　　　ブチャラティとの関係について聞かれるのかと思っていたので、言葉を拾い損ねた。
　　　　　　　　　　「もと警官なんだってな？」
　　　　　　　　　　「ああ、そういう話だ」
　　　　　　　　　　　タルティーニは短く肯定した。
　　　　　　　　　　「じゃあ、それでおまえを選んだわけだな」
　　　　　　　　　　「なんだ？」
　　　　　　　　　　「組む相手だよ、あの姐さんの。もと警官じゃァ、いくら表彰されたって、これから出世の目はねェ。
　　　　　　　　　　スパイって可能性もある。いくらいい男でも、そうそう引き立ててやることはねぇって思ったんじゃ
　　　　　　　　　　ねえか？　その点、おまえなら、グリマルディーニさんの方への顔も利く」
　　　　　　　　　　「いや、それはねえ！　……と思うぜ」
　　　　　　　　　　思わず大きな声を出して否定して、注目を浴びてしまい、タルティーニは瞬時に取り繕った。
　　　　　　　　　　「入れ込んでるな？　カルロ。油断するなよ、おまえもせっかくここまで来たんだ」
　　　　　　　　　　「ああ、ありがとうよ、トニオ……」
　　　　　　　　　　　今回表彰者は、新しいカジノをオープンさせて多大な売り上げを上納したヴェネツィアの支部長、
　　　　　　　　　　麻薬のルートを新しく開拓したフランス方面の代理人、テロリストを始末して警察からの依頼を全う
　　　　　　　　　　して大いに組織の面目を施したネアポリスの若手だった。名前が読み上げられると、ブチャラティは
　　　　　　　　　　代理として壇上に上り、記念のメダルと賞金を受け取って、拍手を浴びた。
　　　　　　　　　　　……そんなもん有り難いと思うおれだと思うか。
　　　　　　　　　　　苦笑する姿を思いだして、つい顔が緩んでしまった。退院後、経過を見て約束は果たしてやったが、
　　　　　　　　　　いい子で留守番をしているピエトロに、この金でお土産を買っていってやってもいいかも知れない。
　　　　　　　　　　ブチャラティは、それからずっと地味に上機嫌だった。
　　　　　　　　　　　帰りのＴＡＶには、ぎりぎりで間に合った。
　　　　　　　　　　「土産を買うのに時間を食ったな。済まない、連れ回して」
　　　　　　　　　　　ブチャラティはタルティーニにも持たせない大切な土産を幾つも提げている。
　　　　　　　　　　「いいえ、グリマルディーニの方にも気遣いを頂いて、ありがとうございます」
　　　　　　　　　　「だいじな若頭を借りてしまったからな。どうかよろしく伝えてくれ。嫌な思いもさせて済まなかっ
　　　　　　　　　　た」
　　　　　　　　　　「いいえ！　こちらこそ、気が利きませんで、ホントに、申し訳ありませんでした」
　　　　　　　　　　「いや」
　　　　　　　　　　　短く言って、ブチャラティはそれきりその件については触れなかった。
　　　　　　　　　　「晴れがましい会でしたね。アバッキオさんは、出られなくて残念でした」と、水を向けると、ブチャ
　　　　　　　　　　ラティは、考え込むようだった。
　　　　　　　　　　「そうだな」
　　　　　　　　　　　しばらく間をおいて、忘れた頃に、ブチャラティは声を掛けてきた。
　　　　　　　　　　「タルティーニさんは、もう、この世界は長いんだっけか？」
　　　　　　　　　　「そうですね、１５の年にはもうオフィスに入り浸ってましたからね、ざっと、１３年ぐらいは続い
　　　　　　　　　　てますかね」
　　　　　　　　　　「それじゃ、うちのフーゴは歩き始めた頃だな」と、軽く笑う。
　　　　　　　　　　「わたしも、入った年こそ早いけれど、まだ１０年にも満たないから。あの、ガラヴァーニのお嬢さん
　　　　　　　　　　からしたら、年季が足りないアマチュアのように見えるんだろうか」
　　　　　　　　　　「修羅場をくぐった回数が違います。ブチャラティさん、あんな甘ちゃんの言うことを真に受けちゃ
　　　　　　　　　　いけませんや。あのお嬢さんは、手前の手を汚したこともなけりゃ、どうにも決まりの金を出さねえ
　　　　　　　　　　思い違いをした野郎を締め上げて、『会社』に金をとってきたこともありませんぜ、きっとね。どっ
　　　　　　　　　　ちが『会社』のために働いてきたかってのは、誰が見たって明白です。幹部連中もそれをわかってお
　　　　　　　　　　られます」
　　　　　　　　　　「ありがとう……」
　　　　　　　　　　「ブチャラティさん、こういうのはなんですが、あのお嬢さんは、あんたがうらやましいんですぜ」
　　　　　　　　　　「なぜ？」
　　　　　　　　　　　素で尋ねてくる。こういうすれてなさがまたいいのだろう。
　　　　　　　　　　「極上のいい男を側に侍らせてるように見えるからでしょうな」と、言ってやると、かろやかに笑う。
　 　　　　　　　　　　「極上のいい男というのはいいが、侍らしてなんかいないぞ」
　　　　　　　　　　「言いがかりってのはそういうもんです」
　　　　　　　　　　　おや、さらっと肯定してくれた。タルティーニは内心ちょっと目を剥いた。
　　　　　　　　　　「道理でアバッキオについてしつこく尋ねてくると思った……今回は連れてこなくて正解だったかな」
　　　　　　　　　　「さあ、それは」
　　　　　　　　　　　トニオに言われた内容が頭に残っているので、タルティーニも口ごもる。
　　　　　　　　　　「あれの前歴は聞いているだろう……目立つようになればそのうち嫌な思いもすることだろうな」
　　　　　　　　　　「だからといって、距離をお置きになることはありませんよ」
　　　　　　　　　　　あのパーティの会場であれだけ息の合った様を見せつけられて、二人の間に割り込もうと思う勇気
　　　　　　　　　　のあるものはないだろう。トニオにも、それを言ってやるべきだった。
　　　　　　　　　　「……ああ」
　　　　　　　　　　　何か考え込むようになったので、タルティーニは自分がなにか気に障ることを言ったのかと、車中
　　　　　　　　　　ずっと気を揉んだ。
　　　　　　　　　　「いい子にしていたかな？　お土産だ」
　　　　　　　　　　　ブチャラティはご機嫌で帰ってきて、お留守番の少年達にヴィデオ・ゲームを手渡した。レーシン
　　　　　　　　　　　グ、ＲＰＧ、ダンス、パズル、格闘、ソフトもいろんなジャンルを取り混ぜて、大盤振る舞いだ。
　　　　　　　　　　「どうしたの？　ブチャラティ」
　　　　　　　　　　　今までアジトでは禁止されていたのでナランチャは目を丸くしている。
　　　　　　　　　　「やっぱ、行ってらっしゃいの挨拶が効いたな、ピエトロ」と、ミスタはピエトロの頭をガシガシ撫
　　　　　　　　　　でる。
　　　　　　　　　　「よせッ」
　　　　　　　　　　　今更に赤くなる純情少年だった。
　　　　　　　　　　「シューティングはないぞ、熱くなるやつが出そうだから」
　　　　　　　　　　「ええーっ、ブチャラティ、それはないでしょ」と、ゲームのパッケージを見ているミスタがいきり
　　　　　　　　　　立った。
　　　　　　　　　　「ＴＶに発砲しないと誓えるか？」
　　　　　　　　　　「ああ、たぶん、きっと……」
　　　　　　　　　　「しばらく様子を見てからの方がいいですよ、ブチャラティ」
　　　　　　　　　　　フーゴが冷たく注意した。
　　　　　　　　　　「おまえにはこっち。趣味の時間に。あと、ガール・フレンドに持っていくなら向こうのチョコレー
　　　　　　　　　　トをひと箱持っていっていいぞ」と、国内の名建築を網羅した写真集をくれた。向こうのテーブルに
　　　　　　　　　　は、手みやげ用に、とくに相手を限らないで買ったチョコレートの箱が、５つほど山になっている。
　　　　　　　　　　「……お気遣いどうも」
　　　　　　　　　　　フーゴは口ごもりながら手を出した。
　　　　　　　　　　「どうだった？」と、小声でブチャラティは様子を尋ねる。
　　　　　　　　　　「ええ、ミスタが張り切って構ってました。結構うち解けてきましたよ」
　　　　　　　　　　「ならよかった」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは微笑んで、はやめに自宅に引き取った。

　　　　　　　　　　　その夜、フーゴはグリマルディーニの若頭に電話を入れて、出張中の出来事について報告を受ける。
　　　　　　　　　　「……で、姐さんはそれきり黙って仕舞われたんで、おれがなんかお気に障ることを言ってしまったん
　　　　　　　　　　じゃないかと思うんですが」
　　　　　　　　　　「ああ、あのひとは結構考え込む質だから、それは気にしなくていい」
　　　　　　　　　　　すぐさま言って、気持ちを軽くしてやりながら、フーゴも考え込む。
　　　　　　　　　　「おれみたいな単純な男は、組織で認められて上へ上がっていくことしか考えてませんけどねえ。先
　　　　　　　　　　が限られてるとなると、考え込みたくもなりますかね？」
　　　　　　　　　　「それは個々人だから。他人が考えてもしょうがない。ご苦労だった。グリマルディーニさんによろ
　　　　　　　　　　　しく」
　　　　　　　　　　「はい……」
　　　　　　　　　　　電話を切った後、考えて、フーゴは秋以来掛けていなかった番号に掛けた。
　　　　　　　　　　「ローマ土産があるんだけど、明日にでもちょっと出てこれない？」
　　　　　　　　　　「まあ、フーゴ！　ふてくされてカードも寄越さない気かと思ってたわ。いいわよ……」
　　　　　　　　　　　彼を手玉に取った小さなネアポリスの守護聖人は機嫌良くＯＫしてくれた。



９


　　　　　　　　　　「いったいどういう用があるのかしら？」
　　　　　　　　　　　輝く目をして現れたルチアは、フーゴの目をまっすぐ覗き込んで来た。
　　　　　　　　　　「この本の見所を教えてもらおうかと……」と、ブチャラティのお土産を出して、建築マニアの天才
　　　　　　　　　　少女のご機嫌を取ってみた。
　　　　　　　　　　「嘘。それは結構素人向けね。ま、入門としてはいいかも。幼稚園の頃にお昼寝の前の時間にそれよ
　　　　　　　　　　く眺めたわぁ」
　　　　　　　　　　　さすが天才少女だけある。
　　　　　　　　　　「じつは、女性の心理について深く知りたいと思うことがあって」
　　　　　　　　　　「へえ」
　　　　　　　　　　　コーヒーを頼むとフーゴは深呼吸して、少しずつ語りはじめた。
　　　　　　　　　　「恋人が記憶喪失……のようなものになって、自分のことを覚えてないってのは、ふつう女性にはシ
　　　　　　　　　　ョックだよね？」
　　　　　　　　　　「当然。そんなのに男も女もないじゃないの」
　　　　　　　　　　「なのに全然取り乱したりしていない。記憶を取り戻そうと無理に迫ったりもしない。ただ遠巻きに
　　　　　　　　　　している……こういうのは、アリなんだろうか。ちょっと、ぼくにも付いていけなくなってきて」
　　　　　　　　　　「あんたのおねえさんの彼、記憶喪失になっちゃったの？　それで隠してるんだ？」
　　　　　　　　　　「ルチア！」
　　　　　　　　　　「声抑えて。そんなに驚かなくっても。『Ｐって商事会社』の年末恒例の支部会、ローマであったん
　　　　　　　　　　ですってね。それでこのお土産なのね？　どうもありがとう。今回の対テロの功労者で、表彰される
　　　　　　　　　　筈のあんたんところのおねえさんの彼が、なぜだか随行しなかったってのも、聞いてる。最近、町中
　　　　　　　　　　でも見ないし。そういうことなのね？」
　　　　　　　　　　「……毎度きみはぼくの心臓に悪いよ」
　　　　　　　　　　　フーゴは深呼吸した。
　　　　　　　　　　「……彼って、トラウマを抱えてるひとよね？」
　　　　　　　　　　　ページを繰って、教会のステンドグラスを出して見せて、ルチアは静かに言った。
　　　　　　　　　　「そういうひとにとっての記憶喪失って、救いじゃないのかしら？」
　　　　　　　　　　「ルチア」
　　　　　　　　　　　フーゴは喘いだ。
　　　　　　　　　　「あんたはどう？　忘れてしまいたいこと、いっぱいあるんじゃない？　そういうことを抱えてるか
　　　　　　　　　　ら、ひとは辛いんだと思うんだけど。それを、忘れてしまえるんだったら、記憶喪失って、人生をや
　　　　　　　　　　り直すチャンスよね？」
　　　　　　　　　　　それを言うなら、ルチアのことを自分を引っかけた建設会社のご令嬢のただの高校生だと思ってい
　　　　　　　　　　たこの秋の自分だって、フーゴには消し去ってしまいたい過去だ。携帯に残っていた番号は消してし
　　　　　　　　　　まったけれど、忌々しいことに記憶の隅にはまだ番号が残っていて、今日の役に立った。結果的には、
　　　　　　　　　　消し去ってしまわなくて良かった。こうやって、息を呑む思いをまたさせられても。
　　　　　　　　　　「あんたのおねえさんって、……やさしいひとよね？」
　　　　　　　　　　　自分たちには許さなかったヴィデオ・ゲームをたくさん買って帰ってきた。たぶん、家が堅くて、
　　　　　　　　　　そういうものをさせてもらっていないであろうピエトロのために。そして、たぶんこれからそういう
　　　　　　　　　　ものをやる時間がたっぷりあるということを予期して。
　　　　　　　　　　「身を引くつもりだってことかい！？」
　　　　　　　　　　「解らないわよ。その辺は、曲がりなりにも一番長くそばにいて、側近をやってきたあんたが一番解
　　　　　　　　　　るはずよ？」
　　　　　　　　　　「解りたくない、かも」
　　　　　　　　　　「あんたって、おねえさんが好きって言うよりかは、あの二人が好きよね」
　　　　　　　　　　「ルチア！」
　　　　　　　　　　「なによ、隠さなくたって見てれば解るわよ」
　　　　　　　　　　　へたへたとテーブルの上にくずおれて、フーゴはしばらくものも言えなかった」
　　　　　　　　　　「よしなさいよ、お行儀悪いわよ」
　　　　　　　　　　　そういいながら、ルチアは知らん顔でコーヒーを飲んでいた。手は忙しくページを繰っている。
　　　　　　　　　　「はい、宿題。付箋を付けた写真の中から、仲間はずれを探すこと」
　　　　　　　　　　「え？　宿題？」
　　　　　　　　　　「そう、宿題」
　　　　　　　　　　「仲間はずれって、様式？　所在地？　建材？」
　　　　　　　　　　「それも自分で考えるの。じゃあね、フーゴ。記憶喪失って、長引く時は長引くみたいよ。だいたい
　　　　　　　　　　は、ちょっとしたことで元に戻るらしいけど」
　　　　　　　　　　　ルチアは薄っぺらい箱をフーゴの手に押しつけると、さっさと立って行ってしまった。
　　　　　　　　　　　……プレゼント、用意してくれてたのか。
　　　　　　　　　　　開けてみると、イニシアルを刺繍したハンカチだった。さすがに良家の子女だけあって、昔ながら
　　　　　　　　　　の女性の嗜みは仕込まれているようだ。
　　　　　　　　　　　……反則だ、こういう攻め方は。
　　　　　　　　　　　じわじわ赤面してくるのを感じながら、ブチャラティの有能な参謀は、いろんな懸案を抱え込むこ
　　　　　　　　　　　とになった。
　　　　　　　　　　　とりあえず、アバッキオの「記憶喪失」は、ちょっとしたことで治るものではない。
　　　　　　　　　　　　アジトに戻ると、ブチャラティは、グリマルディーニに調べさせておいたコリオリについての調
　　　　　　　　　　　査書を読んでいた。
　　　　　　　　　　「ブチャラティ、今日ぐらいゆっくりしても」
　　　　　　　　　　「昨日早上がりさせてもらったから。ガール・フレンドは喜んでくれたか？」
　　　　　　　　　　「宿題を出されました」
　　　　　　　　　　　少し、痛い顔になったのをみとめて、
　　　　　　　　　　「おや、建築は彼女の趣味だったのか」と、ブチャラティは笑った。
　　　　　　　　　　「それはいいですから。あんた、本気でコリオリをやる気、あります？」
　　　　　　　　　　　フーゴは切り込んだ。
　　　　　　　　　　「約束した。もともと、これはネアポリスで解決することになってる案件だし」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは目を伏せて答えた。このリーダーの、スタンドに拠らない隠し芸。スタンドが関係
　　　　　　　　　　ないなら自分にだって習得できるはずだ。その能力が今欲しい。彼女は嘘を吐こうとしている！？
　　　　　　　　　　「引き延ばそうとか、思ってやしませんよね？　あんた、昨日の帰り、様子がおかしかったって、タ
　　　　　　　　　　ルティーニが言ってましたよ」
　　　　　　　　　　「疲れたんだ。ガラヴァーニのお嬢さんにまた絡まれた」
　　　　　　　　　　「あれだけ言ったのに！　タルティーニは使えませんでしたか」
　　　　　　　　　　「しょうがない。ガラヴァーニは幹部格の大親分だ。下っ端がどうこう言える相手じゃない」
　　　　　　　　　　「あの女はあんたに嫉妬してるんですよ！　見苦しいったら！」
　　　　　　　　　　「ああ、タルティーニも言ってたな。いい男を侍らせているように見えるんだって。困るよな」
　　　　　　　　　　　笑ってみせるその顔が、壮絶に疲れている。皆、ゲームに夢中で気がつかなかったのだろうか。
　　　　　　　　　　　……単純バカどもが！
　　　　　　　　　　　フーゴは地団駄踏みたくなった。
　　　　　　　　　　「ブチャラティ、アバッキオは、あんたの側にいるのが幸せなんですよ？」
　　　　　　　　　　「今はそうでもない。無垢な子供の頃に戻ってる。このまま真っ直ぐ育っていくなら、もう一度やり
　　　　　　　　　　直させてやってもいいじゃないか」
　　　　　　　　　　「やり直せません」
　　　　　　　　　　　短くフーゴは答えた。
　　　　　　　　　　「なぜ？」
　　　　　　　　　　「レオーネ・アバッキオとしての出生証明はありますが、ピエトロなんて人間には出生証明がありま
　　　　　　　　　　せん。そんな人間が、国家警察の試験にパスできるわけがありません」
　　　　　　　　　　「組織の力で、作ってやればいいじゃないか」
　　　　　　　　　　「矛盾してますよ、ブチャラティ。真っ直ぐ警察に入って市民に尽くしたい人間が、なんで最初から
　　　　　　　　　　マフィアの力を使うんです？」
　　　　　　　　　　「何とかしてやればいいじゃないか、本人に知られないように」
　　　　　　　　　　「無理です。そうでなくても、あいつは真っ直ぐに真実を嗅ぎつける。この数日で、どんどん暴いて
　　　　　　　　　　きてるじゃないですか。生まれつきのスタンドが、そうなんです。過去を目を逸らさないで見つめて、
　　　　　　　　　　真実を追求する、そうしたい深層をスタンドが象徴してるんです。いつかは見ます」
　　　　　　　　　　「おい、フーゴ……」
　　　　　　　　　　　ブチャラティが制止しようとしたが、フーゴは堰を切ったように言葉を止めなかった。
　　　　　　　　　　「自分が汚職に染まった警察内部に傷ついて、とうとう流されて収賄に手を染めたことも、そのせい
　　　　　　　　　　で相棒を死なせてしまったことも、職を失って、うちのシマの酒場で荒れていたことも。あんたに抱
　　　　　　　　　　いていてもらわなければ心の均衡も失ってしまうほどそういう自分に傷ついていることも」
　　　　　　　　　　「フーゴ、おれは、そんなに心弱かったのか」
　　　　　　　　　　　息を継ぐために言葉を切ったその時、声は背後から響いてきた。
　　　　　　　　　　「ゲームに、おまえも誘おうと思ったんだが、込み入った話をしていたので、待っていた。立ち聞き
　　　　　　　　　　するつもりはなかった」
　　　　　　　　　　　フーゴは振り向いて、少年の顔を見つめた。白い、整った顔を。
　　　　　　　　　　「アバッキオ」
　　　　　　　　　　　ブチャラティが、震える声で名を呼んだ。
　　　　　　　　　　　……こういうときでも姓で呼ぶのか。いったいどうなってるんだこのひとは。
　　　　　　　　　　　フーゴは、混乱するままにそんなことに気を留めていた。
　　　　　　　　　　「ブチャラティ、あんたがおれの恋人だと言うことを、ひとから言われても信じられなかったが、今
　　　　　　　　　は信じられる。ありがとう。気を遣ってもらって、済まなかった。だが、もういい」
　　　　　　　　　　「アバッキオ！」
　　　　　　　　　　　フーゴが大声を上げた。さすがに、ミスタとナランチャが顔を覗かせていた。
　　　　　　　　　　　少年は、闇に向かって黙って駆けだしていった。
　　　　　　　　　　「まさか、この中でフーゴが言っちまうとは思わなかったぜ」
　　　　　　　　　　　ミスタがとりあえず冷静にゲームをセイヴした。
　　　　　　　　　　「そんなことはどうでもいいッ！」
　　　　　　　　　　「手分けして探すか。グリマルディーニにも声、掛ける？」
　　　　　　　　　　　ナランチャが地図を見上げた。この秋から壁に貼るようになった、ネアポリスの市街図。
　　　　　　　　　　「いや、まだいい……」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは、まだ立ち上がる気力が沸いてこないようだった。
　　　　　　　　　　「そんなショック受けるなよ。アイツも、他に行き場所がないってのは解ってるんだから、ほとぼり
　　　　　　　　　　冷めたら帰ってくるって。そしたら、撫で撫ででもちゅっちゅでも盛大にしてやって」
　　　　　　　　　　　「ミスタッ！」
　　　　　　　　　　「いってきまーす！　ナランチャ、おまえそっちな。ピエトロ〜いい子のピエトロや〜い！」

　　　　　　　　　　「やっぱここにいやがった。アバッキオ、おまえ、むやみにどこへでも行かなかったのは立派だぜ」
　　　　　　　　　　　自分のフラットで、ベッドの上で膝を抱えて坐り、壁に向かっているのを見つけたのはミスタだっ
　　　　　　　　　　た。壁の前には、彼のスタンドが過去をめまぐるしく早送り再生している。 「なにをそんなに自分
　　　　　　　　　　ばかりが地獄にいるような顔をしているんだ？」と、優しい声で手をさしのべたであろうブチャラティ
　　　　　　　　　　に拳を叩き込んだところを目の当たりにしたときには、さすがのミスタも目を閉じて数を３つほど数
　　　　　　　　　　えた。唇を噛みしめてムーディー・ブルースの再生を見つめているアバッキオの顔を見た後は、ミス
　　　　　　　　　　タは黙ってキッチンに行って、グラスに１杯水を汲んで来て、その頭からぶっかける。
　　　　　　　　　　「頭冷やせ、バーカ」
　　　　　　　　　　　水は流れ落ちて、傷心の少年の顔を濯いだ。
　　　　　　　　　　「あーら、ピエトロ、お顔が大変」と、ミスタはタオルを取ってゴシゴシ拭いた。そのまま、両腕で
　　　　　　　　　　頭を抱え込む。体臭の強い彼にそれをされるのは正直迷惑で、ナランチャなどは辟易しているのだが、
　　　　　　　　　　ピエトロと呼ばれる彼は、それを野生動物の匂い付けのたぐいであろうと認識していた。ごく単純な
　　　　　　　　　　考えをするミスタの、身内と認識しようという心底のあらわれだと。
　　　　　　　　　　「おまえは凄えなあ。あそこまではっきりあのフーゴに言われちまったことを、自分で見て確認しよ
　　　　　　　　　　うって思うかよ。フーゴは一番親身におまえのこと世話してやってただろうがよ？　信じられないの
　　　　　　　　　　か？」
　　　　　　　　　　「そういうわけじゃない。ただ、この目で確認したかったんだ。それが習い性だから」
　　　　　　　　　　「生まれつきそういうスタンド持ってるとそういうふうになるのかよ……見たくないもんは見なくて
　　　　　　　　　　いーじゃんか」
　　　　　　　　　　「はぁ？　おまえ、正気か？」
　　　　　　　　　　　まともに問い返されて、ミスタも驚く。
　　　　　　　　　　「普通そーだろ？　誰が好んで傷つきたいよ？　人間、楽しい方へ、ラクな方へ流れる、それが当た
　　　　　　　　　　り前じゃねーか」
　　　　　　　　　　「そんなこと、許されると思っているのか！？」
　　　　　　　　　　「神様は許してくださるよ」
　　　　　　　　　　　ミスタは大まじめに天井を人差し指で指して見せた。

　　　　　　　　　　　どっかりと自分もベッドに坐り込み、脚の間に少年を抱き込んで、また、おおげさに腕を巻き付け
　　　　　　　　　　る。
　　　　　　　　　　「教会に懺悔室があるのはなんのためだ？　懺悔を坊さんに聞いて貰うためだ。人間はァー間違う訳
　　　　　　　　　　よ、そーゆーふーにできてんの！　しょーがねーの。リンゴ食っちまった時からそーなってんの！
　　　　　　　　　　　でも、神様は許してくださるの！　だからおまえも余計なことでぐちゃぐちゃ悩んでねーで、今か
　　　　　　　　　　らやり直して、おまえが思う善をまた為していけばいいわけよ」
　　　　　　　　　　「そんな、バカな……」
　　　　　　　　　　「そんでいーの！　神様はそんで許してくださるってのに、なに難しく考えてるんだろーね。おまえ、
　　　　　　　　　　神様を信じてないとでも？」
　　　　　　　　　　「信じてるさッ！　だけど、見放されたんじゃないかと、思うじゃないか……」と、しゃくり上げる。
　　　　　　　　　　「あーあー男前が台無し。せっかくひとが気ィつかってやったのに……」と、またその顔をごしごし
　　　　　　　　　　拭き上げる。涙を荒っぽく隠してもらった、と、先ほどの行いについてアバッキオは理解に至った。
　　　　　　　　　　「神様は見放したりなさらないさ。おまえは堅物で、ずっと道を踏み外したりしてないから知らない
　　　　　　　　　　だろうけど、あれでずっとお心が広いんだぜ。お考えあってのことなのさ。心配すんなよ」
　　　　　　　　　　「おれがこういうふうになったのもッ！？」
　　　　　　　　　　「ああ、意味あることなのさ。おれは現にうれしーよ。
　　　　　　　　　　　前のおまえは年もひとりだけ上だしさ、いつも仏頂面で、話にも入らなくって、おれはどうしたら
　　　　　　　　　　いいか解らなかった。自分のことも話さないし、なに考えてるのか、全然わかんなくって。一緒にやっ
　　　　　　　　　　ていけんのかって、思ってたよ。
　　　　　　　　　　　でも、おまえがちっこくなったら、いろいろ解った。とんでもなく頭が固いとか、でも結構よく考
　　　　　　　　　　えて動くとか、悪いことができなくて腹の底は熱いとか、あ、そうそう、いざとなったら女に恥をか
　　　　　　　　　　かせないとか。だから、おれは良かったと思ってるよ、こういうことになっても。
　　　　　　　　　　　……でも、ミスタさんは痛いとこ突かれたからって女を殴ったりするようなやつは嫌いだな、うん」
　　　　　　　　　　と、拳骨でこめかみのところをこづいた。何気なさそうな口ぶりだが、やられた方は脳しんとうを起
　　　　　　　　　　こしている。
　　　　　　　　　　「あのひとも、余計なこと考えないで、可愛い可愛いってただ撫で回してたら良かったのにな。遠慮
　　　　　　　　　　しすぎだって。ああ、おまえ今から送ってやるから、ブチャラティのとこ泊まって来い。おれが許す！」
　　　　　　　　　　「そんなこと……」
　　　　　　　　　　「おまえら考えすぎだって！　ホントのおまえはもう１９の立派な男だって！　女のひとりやふたり
　　　　　　　　　　や三人や四人いて朝帰りとかしちまっても全然おかしくないっつの！」
　　　　　　　　　　「いや二人以上いてはまずい」
　　　　　　　　　　「突っ込むなよいちいち！」
　　　　　　　　　　　呼吸を整えたミスタは腰のポケットから携帯を取り出して、ようやっとブチャラティに連絡した。
　　　　　　　　　　「連れて帰る！　磨き上げて待ってろよ！」
　　　　　　　　　　　いつも圧倒されていた男に説教をくれてやって気分の高揚したミスタは、仁王立ちして宣言したが、
　　　　　　　　　　前後を抜かされたブチャラティの方は、意味が取れずに目を瞬かせていた。


１０


　　　　　　　　　　「心配掛けて済まなかった。ふがいない男で申し訳ない」
　　　　　　　　　　　なんだかんだ言って、短くとも詫びことをちゃんと言えるのだから、やはりたいしたものだとフー
　　　　　　　　　　ゴは思ってしまう。
　　　　　　　　　　「ぼくの方こそ、配慮を欠いた発言でした。許してください」
　　　　　　　　　　「いや、全く事実だった。一言もない」
　　　　　　　　　　　ということは、自分で全てを確認して？　と、フーゴは振り返って目でミスタに尋ねる。ミスタは
　　　　　　　　　　腕組みしたまま、肯いて見せる。フーゴが切なげに目を伏せた。
　　　　　　　　　　アジトの２階、オフィスの奥では、ブチャラティが黙って坐っている。そこへアバッキオは近づいて
　　　　　　　　　　いった。脇へ来て、跪く。頭を垂れる。
　　　　　　　　　　「気を遣わせて、済まなかった。……いろいろ。あんたの心に報いるには、どうしたらいい？」
　　　　　　　　　　「立って」
　　　　　　　　　　　ブチャラティは口を開いた。
　　　　　　　　　　「立つんだ」
　　　　　　　　　　　手を取って立たせて、ブチャラティは少年を抱きしめた。フーゴがミスタの脇を突いて、１階に下
　　　　　　　　　　　りた。
　　　　　　　　　　「そんなことは、しなくていい。見たのなら、解っているだろう？　おまえは、そこにいてくれれば
　　　　　　　　　　いい。その胸の底の、正義への志向を、輝かせ続けて、わたしたちを照らしてくれればいい。おまえ
　　　　　　　　　　は、純粋で、真っ直ぐだったが故に折れた、そのことを苦に思わなくてもいいんだ、それを、いつも
　　　　　　　　　　いつも思っていたのだけど、伝えそびれていたかも知れないと、今思っていたんだ……」
　　　　　　　　　　　アバッキオは、おずおずと両手を背に回した。
　　　　　　　　　　「おまえの過去が重いなら、それを忘れた今、何も知らないピエトロとして、人生をやり直させてや
　　　　　　　　　　ろうかと思った。だが、それは無理だとフーゴに言われた……言われて、ホッとした自分がいる。済
　　　　　　　　　　まない、いい子ぶってはみたが、やはりおまえに去られると思うと……切ない。この数日で、おまえ
　　　　　　　　　　がどれだけ正義だけを心に抱いていたかということが解ったが……今はそれを曲げて、わたしたちの
　　　　　　　　　　ためにここにいてくれ」

　　　　　　　　　　　階下では、フーゴが気疲れから坐り込んで、ミスタを見上げて言った。
　　　　　　　　　　「ナランチャはどうしました？」
　　　　　　　　　　「あぁ？　出てすぐ別れたぜ」
　　　　　　　　　　「それで連絡は？」
　　　　　　　　　　「……してねーな」
　　　　　　　　　　「じゃあ、まだ探してるんじゃないですか！」
　　　　　　　　　　「そーかもな」
　　　　　　　　　　「そーかもなじゃないでしょうッ！　今すぐ電話してあげてくださいッ！」
　　　　　　　　　　「ピエトロ〜ピエトロよぉ〜帰ってこいよぉ〜」
　　　　　　　　　　　ナランチャは町中をもう１０周も走り回っていた。

　　　　　　　　　　　と、フーゴの携帯が鳴った。
　　　　　　　　　　「例の似顔絵の男が居ました！　うちのシマの酒場に来てます！　『アマリッリ』」
　　　　　　　　　　「解った！　うちのリーダーに行かせるから、くれぐれも手は出さずに」
　　　　　　　　　　　すぐさま２階に向けて怒鳴る。
　　　　　　　　　　「ブチャラティ！　見つかりました！　川向こうの『アマリッリ』、エマヌエレ２世通りの右です！」
　　　　　　　　　　「フーゴはアバッキオと留守番！　サツに話を通しておいてくれ。グリマルディーニから４，５人後
　　　　　　　　　　始末要員を確保ッ。ミスタは援護ッ！　車を回してくれ。ナランチャは捕まったか？」
　　　　　　　　　　「今繋がりました。現地で合流するように伝えてあります」
　　　　　　　　　　「ご苦労ッ」
　　　　　　　　　　　屈託を払うように、ネアポリスの守護女神は出陣した。
　　　　　　　　　　「おい、あのひとは、……強いのか？」
　　　　　　　　　　　置いてけぼりを食らって、アバッキオは傍らのフーゴに尋ねた。
　　　　　　　　　　「ああ、大丈夫、その辺は。スタンド込みでやり合ったらきみの方が負けるから。大人の状態でも」
　　　　　　　　　　　澄まして答えて、フーゴは自分たちのためにお茶を煎れた。

　　　　　　　　　　　その男は、機嫌良く飲んでいた。
　　　　　　　　　　　コリオリはスタンド能力については詳しく知っているわけではなく、ほんの少しの能力の片鱗を見
　　　　　　　　　　せるだけで、あがめ奉ってくれる。しばらくここでいい思いができそうだ。
　　　　　　　　　　「ここ、いいかな？」
　　　　　　　　　　　白地の不思議な模様のついたスーツに身を包んだ若いのが、彼の隣に来て坐った。スレンダーな体
　　　　　　　　　　つきをしている。一瞬は戸惑うが、良く見れば若い女と解る。彼は眼を細めて、薄暗い酒場の灯りの
　　　　　　　　　　下、じっくりとその肢体を眺め回した。
　　　　　　　　　　　女は弾むような声でマティーニを頼むと、含み笑いをしながら、グラスを透かしてみたり、一口ず
　　　　　　　　　　つ口に含んでみたりと、横で見ていても微笑ましい。
　　　　　　　　　　「ご機嫌だな」と、男は声を掛けてやった。
　　　　　　　　　　「尋ね人に行き当たったんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
　　　　　　　　　　　さらりと言って、また頬を緩める。
　　　　　　　　　　「あんた、この絵をちょっと見てみないか？　誰かに似ているだろう」と、懐から似顔絵を出して来
　　　　　　　　　　て見せる。
　　　　　　　　　　　不気味なほどに、本人に似ていた。
　　　　　　　　　　「あんたに似ていると、思わないか？」
　　　　　　　　　　「あ、ああ、そうかな」
　　　　　　　　　　「三日ほど前に、わたしの彼に悪さをした男なんだが」
　　　　　　　　　　　男は、少し、背筋を震わせた。
　　　　　　　　　　「変な話なんだが、笑わないで聞いて欲しい。あんたはもしや、ひとを若返らせたりする能力を、持っ
　　　　　　　　　　てたりしないかな？」
　　　　　　　　　　　深い色の目をして、顔を覗き込んでくる。
　　　　　　　　　　「いやそんな、持ってるわけ、ないじゃ、ないか」
　　　　　　　　　　　男はしらを切ろうとした。が、女の眼力はそれを見破った。
　　　　　　　　　　「あんたはさっき、わたしがご機嫌だなと言ったな？」
　　　　　　　　　　　立ち上がると、顎を上げて、見下ろした。
　　　　　　　　　　「これからもっと、ご機嫌になる」
　　　　　　　　　　　ゆっくりとしたテイクバックの後、拳をふるう。能力者同士にしか見えない、超能力の具現化した
　　　　　　　　　　姿が自分に迫るのが彼には見えた。
　　　　　　　　　　「スティッキィ・フィンガーズ！」
　　　　　　　　　　　身体をずたずたに切り離され、彼は吹っ飛んだ。
　　　　　　　　　　「まあ、やつの可愛い姿を拝ませてもらったから、命ばかりは取らないでおいてやるよ」　勘定を済
　　　　　　　　　　ませて、ブチャラティは出て行った。
　　　　　　　　　　「うっ……」
　　　　　　　　　　　そわそわしていたアバッキオが、低く呻いたのをフーゴは聞いた。
　　　　　　　　　　　しばらく身体を抱えていたかと思うと、すぐさまその身体は見慣れたサイズに戻って行った。
　　　　　　　　　　「ああ、たしかこの前の時の服がここに置きっぱなしに」
　　　　　　　　　　　フーゴは動ぜずに立ち働いた。
　　　　　　　　　　「その服、脱げます？　ハサミ持ってきましょうか？」
　　　　　　　　　　　アバッキオは無言だった。
　　　　　　　　　　「アバッキオ？　……もしかして、あれからの記憶、全部あります？」
　　　　　　　　　　　無言で、顔を覆って、頭の固い男は坐り込んでいた。
　　　　　　　　　　「とりあえず、服着ましょうね。いいじゃないですか、あんなに熱い告白してもらって。　あんたは、
　　　　　　　　　　ぼくが口説いたことにしていいですよ。だって、あのひとを守ってもらえる男が欲しかったんだもの。
　　　　　　　　　　側に立って、睨みを利かして欲しかったんだもの。あんたはうまくやってますよ。だから、あんたは
　　　　　　　　　　ここにいていいんです。はい、終わり」
　　　　　　　　　　　あんなたいして役に立たない、ひとを混乱させるだけのスタンドでも、なにかの役に立っているの
　　　　　　　　　　だろうか。役に立っているとすれば、小さな子供に帰すことによって、そのひとの精神の成り立ちを
　　　　　　　　　　深く探って理解する助けになると言うことか。
　　　　　　　　　　　自分たちにとってそれは苦いが、確かに意味があったということで、あのスタンド能力も役に立っ
　　　　　　　　　　たと言えるのかも知れない。

　　　　　　　　　　　……神様のお考えになることにまちがいはねえんだよ。
　　　　　　　　　　　ミスタが訳知りに笑った顔が目に浮かんだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜１５−０２−０９＞



　　　　　　　　　　おまけ。


　　　　　　　　　　「またアバッキオが居なくなったァー！？」
　　　　　　　　　　　フーゴは頭を抱えた。二人きりにしてやろうと思って、ブチャラティを待たずにアジトを空けたの
　　　　　　　　　　が間違いだった。会わせる顔がなくて逃げたのだ。全く、あの男は、

　　　　　　　　　　　メ　　ン　　タ　　ル　　が　　弱　　い　　！！

　　　　　　　　　　「どーすんだよ？」
　　　　　　　　　　　ナランチャは息が上がってしまっている。もう、休ませるべきだろう。

　　　　　　　　　　「フラットには居なかったぜ？」
　　　　　　　　　　　ミスタはすぐに心当たりを見に行った。
　　　　　　　　　　「ほっときましょうッ！」
　　　　　　　　　　　せっかくもとのアバッキオに逢えると思っていそいそ帰ってきたブチャラティを見ていられなくて、
　　　　　　　　　　　フーゴは宣言した。

　　　　　　　　　　　その男は、川向こうにいた。
　　　　　　　　　　「お茶のおかわりはいかがです？」
　　　　　　　　　　　タルティーニが下へも置かぬもてなしをしている。
　　　　　　　　　　「あァ」
　　　　　　　　　　　アンニュイな雰囲気を漂わせて、オフィスに腰を落ち着けていた。
　　　　　　　　　　「ちょーっと時間はかかるかも知れやせんが、真心はたっぷり籠もってやすからね」と、メイド達を
　　　　　　　　　　睨んで急かせる。押し殺した黄色い悲鳴が、また、上がった。
　　　　　　　　　　「今夜は、どのようなご用の向きで？」
　　　　　　　　　　「いや、別に……」
　　　　　　　　　　　眉間に皺を刻んだ様子に、タルティーニも気圧される。
　　　　　　　　　　「いえ、なにも用がなくっちゃお越し頂いちゃいけないってわけでもねえんですが」
　　　　　　　　　　「……迷惑を掛けて済まん」
　　　　　　　　　　「とんでもござんせん！」
　　　　　　　　　　「その、……ローマに行けなくて、迷惑を掛けたな」
　　　　　　　　　　「いいえ、お体が良くなかったそうじゃないですか。大事になすってくださいよ」
　　　　　　　　　　「あァ……」
　　　　　　　　　　「！　ああ、お姐さんのお側は離れねえでお付きしてましたが、宿も全然別で、お疑いになるような
　　　　　　　　　　ことは一切。他の支部の連中も」
　　　　　　　　　　「そんなことは聞いてないッ！」
　　　　　　　　　　大音声に窓ガラスが、一瞬震えた。
　　　　　　　　　　　耳まで赤くなった色男は、顔を背けた。
　　　　　　　　　　「これは、余計な気を回しすぎまして」
　　　　　　　　　　　これは、フーゴがいろいろ構うのも解る気がする、とタルティーニはなにやら面白がる気持ちが生
　　　　　　　　　　まれてきた。
　　　　　　　　　　「…………大きな声を出して済まなかった」
　　　　　　　　　　「いいえ、お気になさらず。酒を運ばせましょう」
　　　　　　　　　　　とりあえず、彼は一夜の宿を得た。

　　　　　　　　　　「……なにか、おれがやれることはないか？　頭を使わない仕事がいい」
　　　　　　　　　　　朝になって、やっとアバッキオは要件を出した。
　　　　　　　　　　「姐さんとケンカでも？」
　　　　　　　　　　　黙って顔を背けた色男に、タルティーニは肯いて裏庭に案内した。
　　　　　　　　　　「暴れるなり、むしるなりどうぞ」
　　　　　　　　　　「ああ、済まん」
　　　　　　　　　　　　黙ってアバッキオはしゃがみ込んで雑草をむしりはじめた。
　　　　　　　　　　　……今、お迎えを呼びにやりますからね。

　　　　　　　　　　　寝不足の様子を見せる彼の飼い主がすぐさま現れた。
　　　　　　　　　　「アバッキオ！」
　　　　　　　　　　　歩み寄る足元が乱れた。怪訝に思うまもなく、左ストレートが白いライオンの頬にヒットした。
　　　　　　　　　　「グリマルディーニの皆さんのご迷惑も考えろ！」
　　　　　　　　　　　坐り込んだアバッキオの襟首を掴み上げるなり引きずって、
　　　　　　　　　　「邪魔したな」と、言いおいて、ブチャラティは出て行った。
　　　　　　　　　　　　……姐さん、カッコイイ！！！
　　　　　　　　　　　タルティーニは心底惚れ込んで、そのあと、ローマへの道中、食事も、メモを取るときも右を使っ
　　　　　　　　　　ていたことを思い出す。利き腕は右、なら……途中で左に替えた？　それは、手加減？
　　　　　　　　　　　……幸せもんですねえ。
　　　　　　　　　　　タルティーニは肯いて、きまじめにむしられた裏庭をしみじみと見た。


　　　　　　　　　　　＜別解＞
　　　　　　　　　　「あの、ポルポさんのところで使い走りをしているブチャラティです……ここ、うちのアジトじゃ？」
　　　　　　　　　　　中学生ぐらいの女の子がぶかぶかの白地のスーツの胸元を押さえながら現れて、か細い声で自己紹
　　　　　　　　　　介したものだから。
　　　　　　　　　　　アジトの中は阿鼻叫喚。
　　　　　　　　　　「またアイツ戻ってきたのかよ！」
　　　　　　　　　　「あのひとはとにかく甘すぎますッ！」
　　　　　　　　　　「と、とにかく毛布持ってこいッ！」
　　　　　　　　　　「うわー可愛いっ！」
　　　　　　　　　　　少女が真っ赤になって縮こまる様子に、発言者のナランチャはすぐさま袋だたきにされた。

　　　　　　　　　　「あーあのな、あんた、スタンドつって解るか？」
　　　　　　　　　　汗をかきながら、代表してアバッキオがソファーにふんぞり返ったまま説明を始めた。
　　　　　　　　　　「はい、わたしも出ます」と、トゲを頭に頂いたスタンドを呼び出してみせる。
　　　　　　　　　　「あ、スティッキィ・ミニ・フィンガーズ」
　　　　　　　　　　「スタンドも小さくなるんだな」
　　　　　　　　　　「子供返りさせる能力者がいるんだ。やられたな」
　　　　　　　　　　「あ……そうかもしれません」
　　　　　　　　　　「しばらくみんなして泊まり込みだな。奴らはうちのシマを狙ってるし、あんたをやられるとネアポ
　　　　　　　　　　リス一帯が大混乱だ」
　　　　　　　　　　「わたし、そんなに大物になってるんですか？」
　　　　　　　　　　　か細い声で、小首を傾げる様も見慣れなくて好ましい。
　　　　　　　　　　「わーい！　ブチャラティんちのお泊まり会、久し振り！」
　　　　　　　　　　　ナランチャがはしゃいだ。
　　　　　　　　　　「そんなの、やってたわけ？」と、ミスタがうらやましそうに言う。
　　　　　　　　　　「アバッキオを拾う前までは結構やってました。ぼくらも小さかったし」
　　　　　　　　　　　最初、なんとか食えるようになるまではアジトの屋根裏で一緒に寝起きしてたなんて言えないな、
　　　　　　　　　　と、フーゴは心に鍵をかける。
　　　　　　　　　　「移動！　移動！　ナランチャ、フーゴ、買い出しだ！　ミスタ、車回して来い！」
　　　　　　　　　　　アバッキオは毛布ごと軽々とブチャラティを抱き上げて宣言した。

　　　　　　　　　　「おまえら……」
　　　　　　　　　　　二人して真っ赤になって買ってきたのは、簡素だがちゃんとしたワンピース。さすがに下着は買え
　　　　　　　　　　なかったらしい。

　　　　　　　　　　「あとで本人に行ってもらいます……」小さくなりながら、着替えて出てくるのをワクワク待ってい
　　　　　　　　　　る。フーゴも見たことのない、自分たちと同じ年頃のブチャラティ。
　　　　　　　　　　「ありがとうございました」
　　　　　　　　　　　同じ顔なのに、オドオドしていて、見ているだけで胸が締め付けられそうになる。はじめてさらし
　　　　　　　　　　てみせる生足のほっそりしたことと言ったら！

　　　　　　　　　　　……守ってあげたいぃぃッ！
　　　　　　　　　　　かつてないほどに団結したブチャラティチームだった。

　　　　　　　　　　「名前、なんて呼んだらいいの？」と、ナランチャが言い出した。
　　　　　　　　　　「ベアトリーチェも、もしかしてやばいかな？」
　　　　　　　　　　　フーゴがかぶりを振る。
　　　　　　　　　　「本名はフロラだ」
　　　　　　　　　　　　短くアバッキオが言った。
　　　　　　　　　　「なんでアバッキオだけ知ってるんだよ」と、ミスタが面白くなさそうに言う。
　　　　　　　　　　「ぼくだって知ってます。なんで守護女神って言われてるか解ってなかったんですね」と、妙にフー
　　　　　　　　　　ゴが絡む。
　　　　　　　　　　「あ、好きなように呼んでください」
　　　　　　　　　　　慌てて小さなブチャラティが取りなした。
　　　　　　　　　　「じゃ、フロラの無事に乾杯！」
　　　　　　　　　　　アバッキオがグラスを掲げると、年の順に乾杯の声を続ける。
　　　　　　　　　　「フロラの健康に乾杯！」
　　　　　　　　　　「フロラの生足に乾杯！」
　　　　　　　　　　「バカッ……フロラと皆の友情に乾杯！」と、若いイタリア男達は盛り上がっていった。
　　　　　　　　　　　みんなして食事を腹の中に片付けると、いつもの飲み会のようにてんでに好きなところに散って好
　　　　　　　　　　きなことをしだした。

　　　　　　　　　　「結局アバッキオにひっついて離れなかったよな」
　　　　　　　　　　「……あのひとかくれ面喰いなんですよね。警官勤務してなくっても結局一目惚れしちゃうのか……」
　　　　　　　　　　「ちぇ」
　　　　　　　　　　　年少組は、アバッキオになにかと世話を焼いているフロラを見やりながらひそひそ話をしている。
　　　　　　　　　　　アジトから持ち込んだゲームをやっていたミスタは、一段落付くと、振り向いて、アバッキオたち
　　　　　　　　　　に這い寄った。
　　　　　　　　　　「フロラもこっちきてやろーぜ。教えてやるよ」
　　　　　　　　　　「え、あの、いいです」
　　　　　　　　　　　困ったように、フロラは返事をした。
　　　　　　　　　　「いーじゃん！　これ、大きいブチャラティがみんなで遊べって買ってくれたんだぜ？」ミスタはな
　　　　　　　　　　おも言って、フロラの手首を掴んで引いた。
　　　　　　　　　　「きゃっ」
　　　　　　　　　　　その顔におびえが走ったのを見て、すかさずアバッキオがミスタの手を掴んで止めた。
　　　　　　　　　　「フロラ、別に怖いことはないんですよ」
　　　　　　　　　　　フーゴが瞬時に近寄って笑いかけた。
　　　　　　　　　　「みんなで遊びたいだけだって」
　　　　　　　　　　　ナランチャが無邪気な笑顔を見せる。
　　　　　　　　　　　アバッキオが肯いて見せた。
　　　　　　　　　　　それで少女の顔は和んで、十分距離を取って二人並んで、対戦モードで遊び始めた。

　　　　　　　　　　「……一目惚れ云々は訂正します。生きていく知恵、だったみたいですね」
　　　　　　　　　　　またひそひそ話が始まった。
　　　　　　　　　　「ナニソレ？」
　　　　　　　　　　「アバッキオは一番身体も大きいですから。あの時奥に座ってたし。一瞬で、一番強いものを探して、
　　　　　　　　　　取り入ったんだ」
　　　　　　　　　　「だって、まだ１４，５だろ？」
　　　　　　　　　　「それでも、この世界で２年は生きてきたってことでしょ？　参ったな、ぼくなんかとは、苦労が違
　　　　　　　　　　う……」
　　　　　　　　　　「フーゴ」
　　　　　　　　　　　アバッキオが、何気なく声を掛けてきたので、二人は飛び上がった。
　　　　　　　　　　「ポルポがムショに入ったのは何年前だったかな？」
　　　　　　　　　　「ぼくが入った頃にはもうムショでしたよ」
　　　　　　　　　　　フーゴもナランチャもミスタも、あのライターの試験でスタンドを発現させたのだった。
　　　　　　　　　　「そういえば、ブチャラティはどうやってスタンドを発現させたんでしょうね？」と、フーゴが疑問
　　　　　　　　　　を口にする。

　　　　　　　　　　「ポルポのムショにはいる前ってのも謎だよな？　やっぱはじめっから太ってたのかね？」
　　　　　　　　　　ナランチャも口が減らない。
　　　　　　　　　　「ポルポさんは……ご立派な体格をしておられます」と、フロラが画面から眼を離さずに言った。
　　　　　　　　　　「とりあえず、あの門を通れる位には痩せてたんじゃねーの？」と、ナランチャ。
　　　　　　　　　　「おまえら、考えることが常識的にすぎるぞ。ミスタさんが推理するには、あのムショは、先にポル
　　　　　　　　　　ポを寝かしといて、あとで回りに煉瓦を積んだんだよ」
　　　　　　　　　　「あり得ないッ！」
　　　　　　　　　　「どー見ても２０年は経ってるってあれ」
　　　　　　　　　　　アバッキオは、なにやら考え込んでいるようだった。

　　　　　　　　　　「もう寝ろ、いろいろあって疲れてるだろうし」
　　　　　　　　　　　１２時前に、アバッキオはフロラを寝室に押しやった。フロラはその手を取って、うつむいたまま
　　　　　　　　　　引いた。
　　　　　　　　　　　……うわ、積極的。
　　　　　　　　　　　……そうじゃないッ！　護ってもらうためだ。
　　　　　　　　　　　年少組は慌てて背中を向けて後片付けを始めながら、目を見交わしている。
　　　　　　　　　　抗しきれずアバッキオが入って、ドアを閉めた。

　　　　　　　　　　「はいはいこっち来て。耳栓要るかぁ〜？　それとも、盗聴器の方が欲しい？」
　　　　　　　　　　　ミスタが彼らの方を向いてあっさりと笑った。
　　　　　　　　　　　と、
　　　　　　　　　　「おまえはそんなことをしなくてもいいッ！」と言う怒声とともにアバッキオがドアを乱暴に開けて
　　　　　　　　　　出てくるなり閉めた。ドアの前にカウチを持ってくるなり、塞いで、そこに坐り込む。
　　　　　　　　　　「ああ、インドの方のボディーガードは、ああいうふうに張り番するらしいですね」と、フーゴが解
　　　　　　　　　　説する。絶対誰も通さない、と言う意思表示。
　　　　　　　　　　アバッキオはジャケットの下で、こっそりベルトを締め直している。
　　　　　　　　　　「おまえらもとっとと寝ろ！　……ポルポ、いつか殺す！」
　　　　　　　　　　　小声で呟いた内容に、敏感な年頃の少年たちは何があったかを悟った。
　　　　　　　　　　　……ポルポ、殺す！
　　　　　　　　　　　……ポルポ、殺す！

　　　　　　　　　　　……えー？　そのまま食っちまえば良かったのに。
　　　　　　　　　　　ミスタの感想だけは、他と違っていた。

　　　　　　　　　　　アレッシーは、翌日すぐ、惜しまれながらも再起不能にされた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜１５−０２−０９＞

　別解おまけ。

　　　　　　　　　　「え？　ポルポさんはハンサムだったよ？　ムショに入って太ったんだ」
　　　　　　　　　　　ブチャラティが爆弾発言をした。頬まで染めて。
　　　　　　　　　　　その夜、アバッキオはアジトでヤバイ独り言を垂れ流しながらムーディー・ブルースをフル稼働さ
　　　　　　　　　　せていた。
　　　　　　　　　　　……やめときゃいいのに。根っからマゾだね、にーさん。
　　　　　　　　　　　ミスタは酒を差し入れてとっとと帰った。

　　　　　　　　　　蛇足。
　　　　　　　　　　　皆が喜ぶアレッシーモードといふをわれもしてみんとて……こんなに長くなると思わなかった。小
　　　　　　　　　　さくして可愛がって終わりになるはずなのに、アバッキオの内面に深く分け入ってしまった。
　　　　　　　　　　　ピエトロ（ペテロ）はギリシャ語起源でキリスト教国には一般的にある名前。カトリック総本山を
　　　　　　　　　　「聖ピエトロ大聖堂」というように、キリスト１の弟子が岩のように堅い心だというのでペテロだっ
　　　　　　　　　　たとか。ピエールもピーターもぺーテルもペドロもピョートルも、岩のような信念を期待されている
　　　　　　　　　　名前。石頭という揶揄ではたぶんない……。

　　　　　　　　　　　ブチャが次第に聖母ごとき慈愛を示すようになってきた。年上女の理想路線に行ってしまったが、
　　　　　　　　　　設定ではアバッキオの方が半年ほど上。考えれば考えるほど情けない男。
　　　　　　　　　　　フーゴが世話焼き全開。タルティーニも締めて今回裏主人公。ブラックジャックやりながらの啖呵
　　　　　　　　　　は楽しかった。アバッキオの過去を本人にしゃべっちゃう役としては彼しかいなかった。
　　　　　　　　　　　軽い気持ちで出した若頭のタルティーニが使いやすかったので準レギュラーに。モデルは阿紫花英良
　　　　　　　　　　（＠からくりサーカス）？（なにも考えずに書いたらこうなった）
　　　　　　　　　　　ミスタさんお説教。タイトルが決まったときから、ここのお説教はミスタさんと決めていた。そう
　　　　　　　　　　いう本能で掴んだ宗教観を持っていそう。
　　　　　　　　　　ナランチャ出番無くてゴメン。
　　　　　　　　　　濡れ場がなくて最近書いててつまらん（ボソッ）。

　　　　　　　　　　別解蛇足。
　　　　　　　　　　　……絶対美少女ブチャにみんな萌えると思う。コジ・ウォモ・トゥッタ（男とはみんなこうしたも
　　　　　　　　　　の）。
　　　　　　　　　　　アバッキオはもしかしてお手つき前かと期待していそう。それで、ポルポの収監の時期を気にして
　　　　　　　　　　いた。実際のところはもういろいろひどいことを教え込まれていて、アバッキオにもその通りお仕え
　　　　　　　　　　しようとしてベルトに手を掛けた、と。
　　　　　　　　　　　ポルポは１３，４ぐらいのブチャにとくに悪気もなく、たいして美人でもないんだからこれぐらい
　　　　　　　　　　しなくては、と教え込んで、そのうち愛人の一人ぐらいにと思っていたが、対立抗争でブチャの上の
　　　　　　　　　　子分が一掃され、自分も身を守るためにムショに入ることになって、生き残ってたブチャはフーゴと
　　　　　　　　　　二人でシマを何とかしろと言われて放り出された。グリマルディーニ老は当時現役だったので、そっ
　　　　　　　　　　ちが後見役（この辺はその１１　「パラレル」へいたる）。
　　　　　　　　　　　ムショの中のポルポは色気より食い気に走ったが、それでも続いているかは……とりあえず、ブチャ
　　　　　　　　　　の能力は壁があっても通り抜けられる。二人して呼び出しておいて（ブチャだけ中に入れて）支配権
　　　　　　　　　　を見せつけるとまで鬼畜ではないと思う（そーゆーの、見たいですか？）。そこまでの執着はない。
　　　　　　　　　　たぶん、ポルポはグラマー系が好きなんだろう。たまに憂さ晴らしに呼んで相手をさせるくらいか。
　　　　　　　　　　（きっと、「女神の治める街」、ホテルのテロのあと呼びつけられた時はお仕置きにヤられている）
　　　　　　　　　　　隠し財産の場所を一人、知るくらいだからそのくらいの「親密」な関係ではあるだろう。ブチャに
　　　　　　　　　　とっては殺してやりたいとまでは行かないが、死んでくれてラッキーぐらいの関係。あっさりしすぎ
　　　　　　　　　　かなあ？

　　　　　　　　　　　基本、スティッキィ・フィンガーズの能力は誰もいないところ、誰にも見つからないところに隠れ
　　　　　　　　　　たいという深層の現れだと思うので、女の子としてひどい目に遭ってたことは事実であろう。
　　　　　　　　　　　　辛いこと、汚いところは子供には見せなかったところがおねえさんの偉いところ。泥に咲く蓮の
　　　　　　　　　　如くに見られて現実と引き比べやりきれなかったところもあろうが。
　　　　　　　　　　　実際のところはひどく苦労していて、それを隠して笑っていた。そこが、１７の女の子と１３の男
　　　　　　　　　　の子の差。
　　　　　　　　　　　その辺を理解して愛しさが募るというふうに行ってくれればよかったのだが。
　　　　　　　　　　「ポルポ、殺す！」って。
　　　　　　　　　　　とりあえずポルポを殺ったのはジョルノ。
　　　　　　　　　　　ヘタレだおまえ達は。

　　　　　　　　　　　　クリスマスのブチャラティが、母親と会うときに毎年苦しい嘘を吐く、というネタは「空中落下」さん
　　　　　　　　　　　のところであったネタ。お借りしてスイマセン。でも、ありそうだよね。
　　　　　　　　　　　あんまり子どもに戻しすぎたら手を付けられないと思って、せっかくのアレッシーモードをわざわ
　　　　　　　　　　ざ中学生ぐらいで止めたのに、結局どっちも手を出さなかった。これだから堅物カップルは。つまら
　　　　　　　　　　ん。
　　　　　　　　　　　セッコが「コロッセオって『殺ッせよ』って聞こえない？」って言っていたが、
　　　　　　　　　　　それならアバッキオは「暴っくよ」ってことかい、それでこんな根の暗いスタンドなのかなあ
　　　　　　　　　　ってそりゃおかあさん考えすぎ？
　　　　　　　　　　　レオーネ（ライオン）・アバッキオ（子羊）という名前については、
　　　　　　　　　　「羊として一生を生きるより獅子として一日を生きる方がマシ」とか言う警句があるんだそうで。
　　　　　　　　　　　どっかの考証サイトにあった。確かに最期は立派だった。ボスの正体突き止められないで
　　　　　　　　　　子供構って油断した隙にやられるなんてマヌケ！　と思わせといてこれだ！　
　　　　　　　　　　　たぶんコンクリのあの石碑の台座にデスマスクを刻むって、どんだけ力振り絞ったんだか。
　　　　　　　　　　　みんなこの不可能事にあんまり気ぃついてないと思う。つくづく不憫なお人。

　
　お代わり！　
　もうおなかいっぱい　帰る