子ヤギのお願い
その朝（６０）
１
しばしの硬直ののち。
ブローノ・ブチャラティは声を張り上げた。
「起きろッ！ おまえ達、それでもパッショーネのバッヂを預かってるギャングか！？
揃いも揃って正体なく寝こけやがって、今敵に襲われたらどうするんだッ！？」
そのらしくない金切り声に、まず、年少組が反応した。
倒れてしまっているホールのテーブルの横には算数のドリル。おさらいは例によって乱
闘に発展し、今日は止める手もなかったのでそのままダブル・ノックダウンの後、仲良く
昼寝に突入したものらしい。ひっくり返った椅子の間に、ナランチャとフーゴが伸びてい
たのが、一人ははね上がって、一人は目を擦りながら起き上がって、あわてて気をつけの
姿勢になった。
「止める手もなかったので」。
昨夜ちょっと遅くまで馬鹿話で恋人と盛り上がっていたアバッキオは、昼食の後片付け
のあとうかうかとキッチンの壁に背をもたせかけて、そのままずるずる坐り込んで寝こけ
てしまっていた。ホールで乱闘も気にならない熟睡。それが、銀の髪をゆらしてゆっくり
と顔を上げた。
新入りに至っては、部屋の隅のカウチを使って、広げた雑誌を顔の上に被せて堂々と高
いびき。しばらくは無反応、先輩に声を殺して「おいッ」と注意されて、やっと雑誌を顔
の上からのけた。
「どいつもこいつもッ！ ナランチャッ！ ミスタを連れてロング・コース！
フーゴ、頼んでおいた会計の表はできているんだろうな？
アバッキオ、カプチーノを一杯持ってきてくれ。ブランデーをきっかり小さじ１杯入れ
て。ああ、砂糖も３杯入れてくれ」
矢継ぎ早に命令を下すと、最近増えたややこしい会議の帰りのブチャラティはさっさと
オフィスに上がっていってしまった。
「怖え〜。なぁ、ブチャラティってあんなん？ ヒスったりしないひとかと思ってた」と、
首を亀にしていたミスタがようやくもとの身長になって周囲を見回しながら小声で言った。
「まさか」
彼女を崇めること神の如しな参謀がすぐさま否定した。
「だよな？」
彼よりはブチャラティとのつきあいの短いアバッキオが不安げにフーゴを見やる。
「なんかあったんじゃね？ 川向こうで」と、ナランチャが澄んだ眼を向ける。
「リーダー様も大変なんだねェ」と、あっさりしたガンマンはすぐさま銃を確認してお出
かけの支度に入る。
「でも、留守番が皆が皆寝ちゃってたなんて失態、明らかに非はぼくらにありますから」
と、フーゴは冷静に場をまとめた。
「行って来まーす！ アバッキオ、今日の夕飯牡蛎にしてくれよ、マジョルカふうのソー
スで和えて」
「ああ、解った」
言われたとおり、攻撃チームがパトロールに出て行った。
あとにはフーゴが少し、顎に手を当てていた。
アバッキオは、リーダーのリクエスト通りの飲み物を淹れににキッチンへ入った。
２
「ほんとうに、何かあったのかも知れません」
カプチーノの泡の上になにか描こうとして、果たせずただの渦巻きになってしまって、
自分の不器用さに絶望してそれをぐしゃぐしゃに混ぜ散らかしてアバッキオがかがめてい
た腰を伸ばすと、フーゴはその耳に囁いた。
「あのひと、よっぽどのことがない限り、アジトで酒はやらないんです、ぼくらへの示し
がありますから。カプチーノにブランデーなんて、そんな洒落めいたこと、今まで一度だっ
てありませんでした。
砂糖だって、入れたの見たことないですよ。疲れてるときは、どっちかっていうとドル
チェの方を劇甘にするんで。
ちょっとあんた、様子見てきてください」
「あ、ああ……」
アバッキオは気の利いた返事も思いつかず、ただトレイにカップを移動させて歩き出し
た。
「できたぞ。リーダー」
できるだけ快活な声で、アバッキオはオフィスに入っていった。
「さっきは悪かったな、なんか夏の疲れが出たのかな、このところ昼下がりはどうも眠くっ
て」
「おまえがそれでは困る。連中をちゃんと見ていて貰わないと」
自分の身を抱くようにしていたブチャラティが、少し青ざめたままに固い声を出した。
……寒いのかな？
アバッキオはまず危ぶんだ。
「さあ、飲めよ。暖まる。なんなら毛布取ってこようか？ スチームにはまだ早い時期だ
と思うが」
「要らん」
素っ気なく言って、ブチャラティはカップに手を伸ばした。淹れ立てのカプチーノだ、
すぐさま口を付けることはできずに、両手でカップをただ抱え込むようにしている。その
姿勢のせいで、ひどく肩幅が狭く、華奢に見えてしまう。
アバッキオは足を進めて、背後からその背を抱いた。
いちどびくり、と震えたブチャラティは、そのままじっとしていたので、アバッキオも
そのまま動かず恋人を温めることに専念した。
「邪魔だ」
「すまねえ」
「動けないだろう」
「悪かった」
「重い」
「あ、そうか？」
少し揺るんだ腕の中で、ブチャラティはゆっくりとカプチーノを楽しみはじめた。
「みんなが不安がってる。今からでもおれに当たっていいから、みんなにはいつもの顔を
見せてやってくれ」
「わたしが不安定だと？」
「だっていつもはあんな声出したりしねえだろ？ ミスタがあんたのことを図りかねてる。
ヒステリックな女なんじゃないかと。
あんたはいつも恐ろしいくらいに冷静で、頼りになるリーダーだ。腹が据わっていて、
女の嫌なところが全然ない……おれの好きなのはそういうところだ。
あんたが当たり前の女みたいにギャアギャア当たり散らすってミスタに思われるのはお
れはガマンできねえ。あんたの素敵なところは、チームのやつも、ファミリーのやつも、
街のやつもみんなが解ってねえとおれはいやだ。
今まではおれが一番の新入りで、あんたのことをひとから教えてもらうばかりだったか
ら、そう思うのかもしれねえが……」
そっと、青ざめたほほに指を当てて、感触を確かめつつアバッキオは言葉を繰り出した。
「でも、あんたのいいところを全部あいつにおしえてやって、ミスタのやつがおれ以上に
あんたに惚れてしまうのも癪だから、その辺は勘弁してくれな」
「ばかな」
ちいさくぷっと吹き出して、ブチャラティの頬がようやく緩んだ。それを見届けて、ア
バッキオの顔も僅かに緩む。
３
「聞いたぞ、じゃあ、ちょっと付き合え」
カプチーノを飲んでしまうと、ブチャラティは席を立った。
「あ、ああ……」
「大丈夫、夕食の仕込みには間に合う」
自分の仕事は大切にする賄い方にでこぴんをくれてやって、ブチャラティは階下に降り
ていった。
「いつものね？ できてるわ」
花屋のマリアがすぐさまちいさなブーケを出してくれた。それをアバッキオにも持たせ
ずに、ブチャラティはずんずん通りを歩いてゆく。途中、酒屋で上物のワインを買い込む。
「行ってらっしゃい」
店のものが訳知りに声を掛ける。
「どこへ行くんだ？」
アバッキオはつい尋ねたが、
「……黙ってついて来い」と、ブチャラティは答えなかった。
花とワインを手にしたブチャラティは、アジトの反対側、歓楽街へと入っていった。ま
だ日が高いのに、とアバッキオは周りの目を気にし始める。が、日中の歓楽街は人通りが
少ない。たまに行き会うひともその街のもので、ブチャラティを見て、会釈しては、やっ
ぱり来たねと曖昧な笑みを見せる。
と、立ち止まった。ごみごみした街区のなかのちいさな区画。もとは中規模の家が建っ
ていたと察せられる。今は更地にして、公園にしようとしたものか、ところどころ花壇に
なっていたり、基礎が少し残っていたり。そこには少しの花束と、ワインの瓶、ちょっと
した焼き菓子の包みが供えられていた。
「そこが入り口だった。４階建てで。１階はホールになっていてみんなが集っていた。……
ちょうど今のうちみたいに」
ブチャラティは唐突に話し出した。
「階段は奥にあって。２階はオフィス。奥に艦長……前のリーダーの机があったんだけど、
艦長はいつもこっちの窓の前に立ってた。
ここの窓からは、艦長の目線の高さだとぎりぎり海が見えたんだ……ちょっとした建物
の建て込み方の加減で。
ネアポリス湾に日が沈むのを見るのが好きだったよ、あのひとは」
それで、ここには前のアジトがあったのだとアバッキオは思い至った。
前のチームは壊滅して、それで、フーゴとブチャラティで新しくチームを起こしたと聞
いていた。壊滅したと言うことは、ここが更地と言うことは……。
「３階４階は皆の住処になってた。４階の奥に艦長の部屋があって、その奥の小部屋に住
まわしてもらってた。その頃はなんにも考えてなかったけど、きっと、気を遣ってもらっ
てたんだろうな」
肩をすくめて、ブチャラティは少し笑った。
「あの日、丁度８年前の今日だ。会議をやってた。２階だ。艦長はこっちにいた。わたし
はその横、かな？ 入り口に近い方にバルトロメオがいた。その横にアブラモ、バジリオ、
ジロラモにジュゼッペ。フランチェスコはこちら側、わたしを庇ってくれたんだ」
いちいち指で指し示しながら、ブチャラティは説明してゆく。
もう８年も前のことなのに、まざまざと思い出せるかのように。
「艦長はそこに倒れて、動けなくなってた。フランチェスコは、なんとかデスクの陰に引
き込めたけど。……あとは、手が届かなくて。
わたしは七匹目の子ヤギだった。
わたしひとり、隠れて生き延びたんだ。時計の中じゃなく、スタンドの空間の中に」
「いいスタンドだったな」
アバッキオは、また、彼女を温めるために背後から抱き寄せた。
「よくない」
「今あんたが生き残ってくれてて、それでおれを救ってくれたんだ、いいスタンドだ」
「そんな利己的なことを」
「言うさ」
アバッキオは今や耳に口を寄せて、言い聞かせるように言葉を被せる。
「……スタンド能力者なのは、艦長だけだった、あと、フランチェスコは戦いに向いてな
いスタンドで……だから、みんなあっけなく死んだ。生き残った２人も、再起不能で……」
「あんたは強いから生き延びた。正しいよ」
「正しくない！ だからわたしは皆の分ちゃんと働いて、仇も討った。チームを引き継い
で今もちゃんと街の面倒を見て……」
「ああ、あんたはちゃんとリーダーをやっているよ」
アバッキオはブチャラティの顔を見ない。細かく震えている様子を察して、抱き込んで
鎖骨のところで交差させた自分の腕に目を落としている。
「だから、おまえたちは、アジトでみんな寝たりしないでくれ。わたしの留守に、みんな
眼を閉じて横たわったりしないでくれ。わたしがなんの手だても取れないときに、危険な
目に遭わないでくれ。帰ってすぐそんなさまのおまえ達を見たらッ…………………………
……………………………………………………………………………………寿命が、縮んだ」
か細い声で、ブチャラティは「異変」の理由を吐いた。
「ああ、済まなかったな」
アバッキオは静かに答えた。
「気をつけるよ、これから」
４
しばらくして２人が指まで絡めて手を繋いで帰ってきたので、フーゴは安心を隠して毒
づいて見せた。
「お熱いですねッ。やっと涼しくなってきたんですからその辺にしといてくださいよッ。
いったいどこまで行って来たんです？」
「なに、ちょっとしたデートだ。マッダレーナ通りだ、それで解るだろ？ 野暮は言うな
よ」
快活さを取り戻したブチャラティが、きわどいことを言って紛らわせる。
「え？ ちょっと、ブチャラティッ、そういう意味じゃなく、フーゴ、これはだな」
連れ込み宿の集まる辺りだったことを思い出して、アバッキオだけが焦っていた。
……金で手にはいるようなものなんかじゃあダメだッ！
いろいろ心づもりをしていたアバッキオは、ブチャラティの二十の誕生日を前に、一気
に方針を変えた。
「ルイサさん、あんた、珍しいタルトのレシピもってるんだってな……？」
「おや、そうかい、あたしに白羽の矢を立てたかい。わかってるよ。２７日までには間が
ない。お礼はあとでもらうことにして、今日からでもあたしのうちにおいで。バッチリ仕
込んであげるよ」
「恩に着る」
その渾身のタルト・カプレーゼがどうなったかというと……まあ、気持ちは伝わったら
しい。リーダーのブローノ・ブチャラティの二十の誕生日は、チームや街の皆に心から祝
われた。
１１−０９−１０
別解
「なに、ちょっとしたデートだ。マッダレーナ通り、それで解るだろ？ 野暮は言うなよ」
快活さを取り戻したブチャラティが、きわどいことを言って紛らわせる。
「え〜？ おれたちにパトロールいかしといて自分は恋人と一戦交えてきたわけ？ ちょっ
と、リーダーってそーゆーひと？」
ミスタがにやにやと笑った。
蛇足。
そういえば、ブチャラティのトラウマを「アジトで前のチームの仲間がみんな殺された
こと」とアバッキオが誤解してることにいつの間にかなっていて。この辺なんか説明しと
かないとなーと思って。いやそれは十分トラウマだろうけど。ベッドの中でも理性は失わ
ないようにしているというのはトラウマというより生き残りのための心がけだな。哀しい
けど。そんなん生きてる意味ないじゃんと誰か（ミスタさん辺りか？）にカッパされてく
ださい。
おうちに帰り着いてみたら、家族はみんな思い思いに寝こけていて、（死屍累々……ま
るで出入りのあとのようだナァ）と思ったという元ネタは、「大阪豆ゴハン」。ゆるゆる
日常系の漫画の走りみたいなショート・コミックで（四コマではない）、大阪のええかげん
な人々の笑っちゃう日常が楽しかったのですが、そこの唯一の常識人、北陸のお武家の出
身のお婿さんが帰宅して思ったという話。彼は温厚なので怒鳴ったりはしませんでしたが。
９月になったのでブチャ誕に絡めてみました。たしか「不治の病」では秋だったとしか
書いてなかったと思ったけど……１７になったって書いてたかなあ、その辺は温かくスルー
してください。誕生日当日にアジト壊滅だとキツイし、フーゴやアバッキオがなんにも支
度してないことはないと思うので、襲撃日の方が先ということで。後付で時系列ばらばら
な話書くと大変だわ。