絵に描いた餅
その朝（３８）
１
９月も末のある日、その男は午後も早いうちからキッチンに籠もっていた。アーモンド
をはじめ、クルミ、カシューナッツ、ヘイゼルナッツ、様々なナッツを刻み、オーヴンで
から煎りする。香ばしい匂いが辺りに漂い始めると、尋常の人間の眼には留まらないちい
さな存在が集まってくる。
「アバッキオ何作ってるんダァー？」
「おやつカ？ おやつクレー」
「いいもん喰わしてくれネエと働いてやらねえゼェー」
まったく鼻の利くスタンドである。
「まだだ。できあがったら喰わせてやるから向こうへ行ってろ」
「何作ってるんダァー？ 教えろヨ」
「手伝ってヤロウカァ？」
親指ほどのちいさなスタンドが、空中を妖精のように飛んでまとわりつく。
「おめーらに手伝ってもらうほどの仕事はねえよ。そら、向こうへ行ってろ。そんなになん
にもねえのにウロウロ出ずっぱりでいちゃあ本体のミスタが消耗するだろうがよ」と、小
さい者にはそう邪険にできず、アバッキオは作業を続ける。チョコレートやビスコッティ
も刻み終わって、今は卵を割って、泡立て始めた。
「つまみ食いは許さねえからな」
ビスコッティの欠片の周りに群がり始めたピストルズたちを、ムーディーブルースが出
て牽制した。
「オレタチャ独立採算制ナンダゼェー」
「自分で栄養採るからミスタにゃ迷惑掛ケネェー」
なおも小さいスタンド達は口々に言いながら賄い係の周りを飛び回る。
「バカ言え」
取り合わずに、アバッキオは作業を続けた。
……泡立ては普通のタルトの時とおんなじ。角が立つまで。今回は小麦粉がないから、
粘ることを心配することはないね。砂糖を入れてふわふわにしたら、溶かしバターを入れ
て、チョコとナッツ。オーヴンは２００度で暖めておくんだよ？
ムーディー・ブルースが、この菓子を伝授してくれたルイサの姿を再生し始めた。
……このレシピは戦前まで門外不出だったんだよ。戦後、あたしのマンマがあの島の親
戚のうちに手伝いに行ったときにしつっこく聞いて教わって来たんだよ。だからアレンジ
してない、本場の作り方なのさ。
そう言って、堂々とした体格の主婦は胸を張った。
……型に入れて５０分。焼いてる間にクリームを作るんだ。リモンチェッロの利いたカ
スタード・クリームと、チョコレート・クリーム。ここが腕の見せ所だよ。
生地をオーヴンに入れて一山越えた思いのアバッキオが振り向くと……
セ ッ ク ス ・ ピ ス ト ル ズ が で き あ が っ て い た。
香り付けにと買っておいたリモンチェッロの蓋が開けられ、瓶の中身はもう半分になっ
てしまっている。
「アバッキオのケチーッ！ こんなウマイ酒どこに隠してたんだヨッ！？」
「眼の前がパパーッと金色になるゼ！」
「リモーネの香りがスゲエッ！」
「甘いから飲みやすいんダナ」
「ナッツを摘みにヤるとスゲエーッ」
一人足りない、いつものみそっかすが……と視線を巡らすと、もう砂糖壺の陰でｂTは
真っ赤になって寝息を立てていた。
「……おまえらがこの状態でミスタに影響出てないといいがな。そら、寄越せ」
クリームの香り付けにはほんの少ししか使わないから、大人としての度量を見せてアバッ
キオは見逃してやることにして手を出した。その手に、ｂPとｂUがボトルを持って飛び
上がって、届けようとする……？
カッシャーン！
弾丸の数十倍重い南イタリアの誇るレモンのリキュールの瓶は、アルコールの回ったス
タンド達にはとうてい持ちきれず、キッチンの床に落ちて粉々になった。
本場カプリ島のものを吟味して買ってきたのに。
「ヒエーッ！」
さすがのピストルズも５人揃って震え上がった。
「アバッキオスマネエーッ！」
「ミスタに弁償させルヨォ〜」
アバッキオはため息を一つ吐いて、時計を見た。
これがなかったら間に合わせにこれを使ってみよう、という冒険的な初心者にありがち
なアレンジを、この男は決してしない。教わったとおり、レシピに書いてあるとおりのこ
とを虚心に再現する。彼のスタンドのように。それが彼を短時間でそこそこの賄い係に押
し上げた原則だ。
まだ近所の酒屋に行って帰ってくる時間はある。注文してある花をついでに取りに行っ
てもいい。
「わざとじゃなきゃいいぜ。ミスタに迷惑掛けてんじゃねえよ」
キッチンタイマーが正しく動いているのを確認して、アバッキオは厳かにスタンド達に
命じた。
「破片拾って床ちゃんと拭いとけよ？ タイマーが鳴ったらとりあえず火は消して、タル
トをオーヴンから出して台の上に置いて冷ましといてくれ。摘み食いはすんな。解ったな？」
「Ｓｉ！」
ピストルズたちは敬礼した。
アバッキオはエプロンと髪を覆っていたバンダナを外すと、急ぎ足で出て行った。
２
「いい匂い！ アバッキオ、今日のおやつ手作りか？」
しばらくして、パトロールに出ていたナランチャとミスタが帰ってきた。
「なんかスゲーやべえ感覚なんですけどこれ。アバッキオの兄さんピストルズにいたずら
してたりしねえよな？」
「なに？ ミスタ、アバッキオはそんなことしねーよ？」
「いやだって、なんかおれにまで来てるぜ……ヒック」
「なに、来てるって、……酒？」
「セックス・ピストルズ！ おれ以外のやつから食いもんもらっちゃダメだろーッ！ 整
列ッ……あれ？」
呼び出したちいさなスタンド達は、みな高いびきだった。
「おい、コラ！ シェスタ中だからって、本体のお呼び出しに答えないスタンドがあるかッ！」
「ミスタァーッ、オレタチみんなアバッキオの料理の酒飲んじまったんだよォ。だからア
バッキオ今また買いに行ってるんだ……キット」
かろうじて眼を覚ましたｂTが、怯えながらも報告した。
「何ーッ！？ オメーら、おれの居場所がなくなるようなコトしてくれんなよ、頼むから」
ミスタは苦り切る。
そこへ、いい匂いをさせていたオーヴンの横でキッチンタイマーが電子音を奏でた。
「アァー、タシカタイマーが鳴ったら火を消してタルトを出シトケッテ、アバッキオ言っ
てたカモ」
とろんとした眼のｂTが言うなり、飛び立とうとする。
リモンチェッロのボトルさえ取り落とすスタンドが、タルトを一台オーヴンから取り出
すことなどできようか。
アバッキオは実は狼狽していたようだ。
「わーっ、やめろ、これ以上なんもすんな！ おれがやるッ！」と、ミスタが慌ててオー
ヴン・ミトンを手に近寄った。
「おーこりゃ食いでがありそうだぜ」
香ばしく焼き上がったタルトがむくむくと盛り上がって型から少しはみ出ている。
「あっちっちっちィーッ」と、ほぼ落下というかたちでデコレーション用のケーキ台の上
に放り出す。
「おい、ミスタッ、頼むよォ」
ナランチャが慌てて駆け寄る。
「だいじょー……ぶ？」
「かな？」
二人して息を長く吐いた。
「……いい匂いだよなあ」
「チョコレート・タルトか？」
「さあ？」
「これっていつもオフクロはすぐに型から出してたよな」と、ミスタが言った。
「そーなの？」
ほかほかの湯気を立てているタルトを前に、二人はどうも居心地悪そうだ。
「出しとかないと、蒸れちまうんじゃないかと思う」
「じゃー出しといてやるか」
「ああ」
今度はナランチャがこわごわ型を持ち上げる。
「この下んとこが外れるようになってて……うわッ」
突き上げてみると、ある程度のところで底板が外れて持ち上がった。予期していなかっ
たナランチャはうっかり平衡を崩す。焼きたてでふわふわのタルトがつるりと底板から外
れて床を目指す……。
「ふわーッ！ 危なかったぁ」
「なんとか、タルトは守ったぜ」
ギャングたちは運動神経が良かった。
「良かった……？」
４つの眼が見つめたのは、ケーキ台の上にかろうじて乗ってはいるが周囲が所々崩落し
たタルトの姿だった。
「ど、どーするよ？」
「ミスタァーッ、ナンテコトヲォーッ！？」
目覚めたピストルズたちも震え上がっている。
「おめーら、ここは落ち着いてこのミスタさんに任せな」
ごくりと唾を飲み込んで、ミスタはしばし腕組みをして考えると、ケーキ用のナイフを
出してきた。
「証拠隠滅だ」
崩落した辺りの側面を、こっそりこっそり削り取る。そこからまたナッツとチョコレー
トの香ばしい香りが匂い立つ。
「さすが！」
「こういうモンは、型から出したあと少しは縮むモンだぜ……たぶんよ」と、真上から見
て不自然にならないように調節しながら削り取っていく。ボロボロ崩れるその破片を、何
気なく左の手で取って口に入れる……。
「うめぇ〜ッ！」
「あーッミスタ、ズリィゼェーッ！」
「オレタチにも！」
見とがめて、ピストルズたちが騒ぎ立てる。
「ミスタ、おれにも！」
ナランチャも眼を輝かせる。
「待ってろ、こっち側を削れば……あちゃ、やりすぎたかな？」
「うわーッ、ほろほろ口の中で崩れるよッ、甘めぇ……」
「ここは大胆にいっちまわないとバランス崩れるな……」
「ミスタ、ミスタオレタチにもッ！」
「ちょ、ここんとこちょっとやばくねえか？」
「ナランチャ、おめー、自分が食いたくて言ってるだろ」
「何言ってるんだよ、ミスタ、自分だって……」
じきに黙ってしまって、二人の手だけが素早く動いている。いや、口も。
「ミスタ落ち着けヨォーッ！ それヤバイよ食い過ぎだヨォッ！」
ｂTの金切り声で一同は我に返った。
「どーするよこれ？」
ミスタは青ざめた。セルクルの大きさは１８センチはあると思われるのに、今、目の前
に残っているタルトはブリオシュ程度、縮んだと言って言い抜けられる大きさではもちろん
ない。
「あ、謝れば許してくれるんじゃねーか？」
ナランチャも冷や汗をかきながら、とりあえず言ってみた。この夏、ピストルズたちが
食材を盗み食いしていたときも大笑いして、特にお仕置きをくれたりはしなかったようだ
し。
「いや、おめー、だってさっき言ってなかったか？ 今日はねーさんの誕生日だって。ア
バッキオって、今までめしはそりゃ気合い入れて毎日作っててくれたけど、おやつまで手
作りしてくれたコトってあったかよ」
「あーフーゴの誕生日。２，３週間前からなんかパイ包み続くなーと思ったら、それ練習
で、誕生日当日はもうフーゴが涙ぐむほどおしゃれでさくさくのミルフィーユ出してくれ
た……って、やっぱそうなんじゃん！」
言いながら、ナランチャはがたがた震えだした。
最愛のリーダーの誕生日に、ブチャラティのために焼いたタルトを食べてしまったとば
れたら。
「殺されるな、おれたち」
敵にはムーディー・ブルースという無敵の再生スタンドがあるのだ。どう言いつくろっ
ても真実を隠し通すことはできない。
天国の味のタルトが、あっという間に胃の中で地獄の責め苦と変わった。
３
その誕生日のご本人様はご機嫌で現れた。
「なんだかいい匂いがしているな。どうした？」
ネアポリスの下町の女神様は、真っ青になって気をつけしている二人と、ミスタの両肩
にきちんと整列して頭を下げているセックス・ピストルズを見て、全てを察したようだっ
た。
「ブチャラティ！」
泣きそうなナランチャの声に、右手を前に出して制して、そのまま大股にテーブルに歩
み寄った。
「旨そうだな。わたしもいただこう」
「「ちょーッ！」」
半べそになって二人が止めにかかろうとする。半歩遅れて入ってきたフーゴが、事態を
察して眼を吊り上げる。
「きみたちはいったいッ……」と、ブチャラティはそれも眼で制して、手に持った残りの
タルトの半分をフーゴの口に押しつけた。
「旨いぞ。おまえも食べろって」
……共犯だ。
落ち着いた青い瞳は、事態の収拾にこれが最善の策だと告げていた。
「これはアレかな？ タルト・カプレーゼというやつだ。クリームは作りかけだったのか
な？ リモンチェッロの匂いが残ってるが」
指まで舐めながら、ご機嫌な表情を作ってブチャラティは軽い感じで問いただした。
「オレタチが割っちまって、アバッキオ買い直しに行ったんだヨォ。ブチャラティ、ゴメン
ヨォ……」
ｂPが代表して説明して謝った。
「なるほど、じゃあそろそろ帰ってくるか。
あの堅物もやってくれるなあ、三題噺か？ マフィア、カプリ島、タルトとくればタル
ト・カプレーゼ。しかし、これのレシピをどこで手に入れたんだろう？」
「ルイサさんがムーディー・ブルースで説明してたゼ」
「へえ。あとでお礼に行かないと……おまえたちもな？」
「わ、解った！」
「ミスタ頼んだゼェ！」
スタンド能力のない人間にはスタンドは見えないから、調子よくピストルズが本体に任
せた。
……ああ、これクリームまで付いた正規レシピで食べたかったなあ。
フーゴはブチャラティの意図を正しく理解しながら、行儀の悪いギャングたちに食べら
れてしまったブチャラティ２０才の誕生日の幻のお祝いケーキを惜しんだ。
ムーディー・ブルースは過去を正しく再生できるが、それは、せいぜいが行動と、音声
化された言葉までだ。口に出さない腹の内までは見られない。ムーディ・ブルースが幾ら
頑張っても、ブチャラティ本人が「旨そうだったから食べた」と言い張って、その様しか
再生できなければ、信じるより他はなくなる。
「しかし、気合いを入れて作ったタルトをみんな食われたらやつは怒るかな？ 怒るなら
いいが」
「他になんだと？ 暴れるにしても、あのひとのスタンドや本体の能力ならあんたに押さ
え込めるでしょう」
フーゴはつい尋ねてみた。
「泣かれると、ちょっと困る」
ああ、泣くかも。
少年たちは目交ぜをして首を縮めた。あの、身体は大きくて、いつも不機嫌そうに心を
鎧ってはいるけれど、実のところひどくやさしい真っ正直なところのある男なら。
心づくしのプレゼントを全部つまみ食いされてしまって、男泣きに泣くかも知れない。
いったいどんな可愛らしいデコレーションを考えていたんだろう。テーブルの上には、
チョコレートとカスタード・クリームの材料が出しっぱなしだ。
それに、たとえ自分の手作りのお菓子でなくっても、チームのメンバーが自分のいない
隙においしいものをこっそり食べて楽しんでいたら、きっと気づかれないようにつっぱっ
ては見せるけれど一番傷付く質だ。
「ま、なんとか機嫌を取ってみよう」と、しれっとした顔でブチャラティが言ったその時、
ドアは開いた。
４
「済まねえ、時間くっちまって。ちゃんと火ぃ消せたか……？」
花束とリキュールの瓶の他に、フルーツの盛り合わせやちょっとした摘み類、シャンパン
まで持たされたアバッキオは、街のひとたちに捕まっていたことがありありと解る。
「ピストルズ、タルトどうした？ まだオーヴンの中か？」
嫌な予感を振り払うようにアバッキオはミスタの肩へ眼をやる。
「……アバッキオ、スマネエッ」
ミスタの肩に取りすがりながら、ｂPが絞り出すように謝った。それに手をやって庇い
つつ、ミスタが、
「いや、おれが一応出してみたんだけど……」とそれを遮って、
「済まない、腹が減ってたもので食べてしまった。旨かったぞ」と、ブチャラティが滅多
に見せぬ全開の笑顔で言ってのけた。
「食ったって、全部かッ！？」
アバッキオは余りのことに大股に詰め寄って、セルクルの中を検める。ケーキ台の上に
も、甘いものに飢えていた少年ギャングたちが大きな欠片は食い尽くし、ほろほろと崩れ
たケーキ屑はちいさなスタンドどもがみんなきれいに始末して、見事になにも残ってはい
なかった。
「あんた、これはあんたのはたちの誕生祝いのタルトで、今クリームをかけてきれいに飾
り付けするんだったのに、なんだってそんな、ああ、リモンチェッロもちゃんと買い直し
たってのに、ルイサさんがちゃんと教えてくれた正統派の……」
どんどん色男の台詞は勢いを失って、しまいには本人も腰砕けに坐り込んでしまった。
……うわーッこれはホントに泣くぜ！
少年たちは胃が締め付けられそうになったが。
「ああ、済まない。でもみんなで美味しく戴いたことだし、目的は果たせたんじゃない
か？」と、ブチャラティはいっそ罪作りに真面目な顔で言った。
「リモンチェッロはミスタに弁償させることにして。チェーナはなんだったらわたしが奢
るから」と、屈み込んで、眼を合わせて償う方法を提示してくる。
「なッ！ 今日お誕生日の女がなんでめしを奢る必要があるんだッ！」
アバッキオはプラチナの髪を揺らしてそれに反対した。
「そ、そうですよッ、とりあえずぼくたちでいいところにご招待しますからッ。そのつも
りでアバッキオともちゃんと分担しててッ」と、フーゴが慌てる。だからミスタにもパト
ロール中に話を通しておくようにナランチャに言っておいたのに、もう、本能に忠実な連
中はこれだから。
「え？ ああ、そうか、今日はそうだったか、すっかり忘れていた。それはどうもありが
とう」
けろりと言われて、男たちはがっくりと肩を落した。
「……腹、減ってたのか？」
少し眼を落して、アバッキオが低い声で尋ねた。
「ああ。涼しくなってきたからな。最近のわたしは食欲旺盛なんだ」
ブチャラティはその顔をじっと見ながらつれない風で言う。
「旨かったか？ なんかヘンなところはなかったか？ ぶっつけ本番で心配だったんだが」
矢継ぎ早に尋ねるアバッキオは、もう立ち直りを見せ始めている。
「それはもう！ 行儀の悪い真似をして悪かった。天国みたいな匂いで、我慢できなかっ
た。ほんとに素晴らしいできばえだった……どんな飾り付けをしてくれるつもりだったん
だ？」と、両手を取って振りまわしながら眼を輝かせてブチャラティは言う。
……うまいなぁ。
フーゴはブチャラティが恋人の機嫌を取る様を見ないふりで見ている。彼らの視界の端
で手を動かして、邪魔者は立ち去ることにする。
「中にはガナッシュを挟んで。カスタードの方は上に盛り上げて。仕上げにシナモンシュ
ガーを振りかけて」
「すてきだ。それ、また今度作ってもらうわけにはいかないか？ みんなに内緒で」
「あ、ああ」
「でも、ホントのプレゼントは、もうもらったんだからな。楽しい仲間と、愛するおまえ
がわたしの誕生日を祝ってくれようとしている、そのことが一番のわたしの嬉しいことなん
だから。そのことは間違わないでおくれ」
フーゴが皆を連れて外に出てドアを閉めたのを眼の端に捉えたブチャラティは、まっす
ぐアバッキオにキスをしてやった。
「肝腎のおまえがこのタルトを味見できなかったのは申し訳なかったな」
「もう、いい……」
その夜、パッショーネのブチャラティ・チームの一行はリーダーの誕生日を街のリスト
ランテで祝い、パーティーには陽気な街の衆も飛び入り参加して大いに盛り上がった。
「解ってますね？」
「ああ。おれも男だ。自分と自分のスタンドのしでかしたことには責任取るよ」
「ナランチャも１割ぐらい出してあげてください」
「うん……」
リーダーに篤く忠誠を誓っている参謀は、パーティの勘定を持つ人間を冷徹に指名した。
「ああ、あのひとあの辺の出ですから。
昔、アル・カポネっていうアメリカン・マフィアについての取引でカプリ島に来てたお
客さんがいたらしいんですが。パティシエがうっかりして小麦粉を入れないでアーモンド
のタルトを焼いてしまったんですって。でも、そこが名人たる所以で、それでもなんとか
アメリカ人の口に合うようにはできたそうで。その、小麦粉を入れないアーモンドのタル
トをいろいろ改良してできたのがカプリ風タルト、タルト・カプレーゼってことです。なん
でも門外不出のレシピだったそうですが。三題噺ですか、うまいこと言いましたね、あの
ひとも」
フーゴは二人に解説してやって、次に誕生日が回ってくるのは誰だったか、ワクワクし
ている自分を感じていた。
「フーゴ」
翌日、いつものとぼけた顔のまま、ブチャラティは言った。
「ミスタは誰か冷静なやつと組ませた方がいいかも知れないな」
フーゴは背筋が冷えた。
（２４−０９−０９）
蛇足。
おねーさんの「いつか殺すリスト」に載ってませんか？ ミスタ。
アバッキオが男の純情をむげにされて男泣きという話を書きたかったんですが、泣かな
かったな、まあいいか。
ブチャラティは、素で別に形式はどうでも、真心が伝わったからそれでいいと思ってる
かも知れないし、ここで自分が取り乱すとチームに波乱が生ずると思って堪えたのかも知
れないし。ここは、チームの和のためには、口いやしい女と恋人に思われるのも辞さない
ブチャラティの姐御の器を見て欲しい……のかな？ いや、でも、ねーさん怒ってるよ！
（最後のシーン参照）
ブチャラティが自分が食べたと言い張ってミスタ（たぶん）を庇うなら引き下がるしか
ないとアバッキオが堪えて見せたとしてもいいし（アリエネエ！）、全然自分の誕生日なん
か忘れてて、お腹空いたから食べちゃったってけろりと言うフロラたん萌えとアバッキオ
がすっかり騙されても面白いかなと。
読み方は人それぞれでどうぞ。
タルト・カプレーゼの蘊蓄はフーゴの言ったとおり。ただ、ホントに門外不出なのでさん
ざんググりましたが簡単な手順ぐらいしか解りませんでした。この情報だけで作るのは難
しいと思います。リモンチェッロはカプリ島繋がりで出したので、実際調べたレシピには
使うともなんとも書いてなかったです（どちらかというとナッツ＆チョコなケーキ）。
カプレーゼ・サラダ（インサラータ・ディ・カプレーゼ）は、モッツァラレラチーズと
トマトのサラダって、４部トニオさんの例のサラダのことかも知れません。ただカプレー
ゼだとこっちばっかり引っかかります。
おまけ。
「それで、ブチャラティ、あんた本当に自分の誕生日忘れてたんですか？」
「ああ、フーゴ、女の誕生日なんて男の数だけ作っとくものらしいぞ。その方が、プレゼン
トが重ならなくていいらしい」
「サンドラさんの職業上のテクニックでしょう、それは！」
「牡羊座とは相性がいいからいいさ、とりあえず」
ホントにこのひとは女らしいんだか、らしくないんだか。フーゴはため息を吐いた。