聖夜
その朝（９）
「アバッキオ、あんたってもしかしてものすごく器用ですね」
気を遣って、フーゴはこの日饒舌だ。二人して拵えたクリスマスの晩餐は、二人っきり。
近くの孤児院の晩餐に混ぜてもらっているナランチャはきっとまだ遅れることだろう。フー
ゴも前の年までは一緒に混ぜてもらっていたが、今年はこの男がいるのでこちらを優先し
た。ブチャラティが、恒例の母親との面会日なので、留守なのだ。
「さァ、どうかな……」
とりあえず非常にいいできばえのポトフを二人して頬張って、乾杯した。上々のこの年
に。
「あんたにとっては波瀾万丈でさっさと忘れたい年でしょうけど、後半、とりあえず最後
の４ヶ月は結構いい年だったんじゃないですか？」
「ああ、まァな」
「ぼくにとってもです。あんたは良くやってくれてますよ」
「そうか」
「本当に……まさか賄いまで引き受けてくれると思わなかったから」
アバッキオとて、とくに料理をする趣味などなかった。家にいた頃は、イタリアの男の
常として、時間になったらマンマが食事を出してくれるのが当たり前だと思っていた……。
「おい、子供が毎日毎日そんな外でいい加減なものばかり食べて！ めしは身体の基本だ。
誰か食事を作るものはいないのか？」
生活に慣れると、まずこの堅物はお説教したものだ。
「このメンツで？ いねーよ」
ナランチャが素直に答えた。
「食えるようになっただけマシですよね？」
「ああ、まあ、そうだな」
ひとつのパンを分け合っていた頃を思いだして、ブチャラティがフーゴと目交ぜをした。
「ぼくらホントに最低の使いっ走りから始まってますから。栄養とか、考えてる間がなかっ
たです。とりあえず、死なない程度食うので精一杯。最近は、ブチャラティの人徳で、結
構食えてますけど」
モデル並みの体型の意味を知って、しばらく新入りは唸っていた。
「ブチャラティ、あんた料理は……」
「済まないが、最低限しかできないんだ。両親が離婚したのが幼いときだったので、とり
えあず１２の時までは父の手伝いくらいはしていたが」その父は入院し、父を守ったため
に自分はギャングになってしまったので、誰からも教わる機会がなかったということだ。
「ナランチャ」
「彼はおかあさんを早くになくしています。そのあとほとんど育児放棄に遭って」
「フーゴ」
「ぼくはうちにいたときは厨房には入ったことはなかったですね。ブチャラティに拾われ
てからは、お手伝いを覚えましたけど……やっと卵が割れるようになったかな？」と、肩
をすくめてみせる。
「解った。オレが何とかするッ」
言い出した者がやる法則を意外にも素直に受け入れ、長い髪をバンダナで覆って、真面
目な大男は料理本と格闘し始めた。市場にも恥ずかしがらずに出かけ、おかみさんを捕ま
えては料理法を詳しく聞き出す。メモまで取らん勢いだ。
……以外と真面目にヒモ道を究めるな、このひと。
フーゴが感心するほどに、料理係をこなしていった。
ナランチャを巻き込むのもうまい。アジトの真ん中で芋の皮をむき始め、興味津々で覗
き込んだナランチャをあの手この手でだまくらかして、気がつくと皮むきを手伝わせてい
たりする。二人して鮮やかな手際でミートボールのたねをキャッチボールをしていたり、
パイ皮を伸ばしていたりもする。
おかげで、ブチャラティの顔色が少し明るくなってきた。ナランチャも背が伸びたよう
だし、自分も、この冬はまだ一度も風邪を引いていない。
アバッキオの栄養を考えた手料理のおかげであろう。
「うまい肉だ……」
アバッキオは舌鼓を打ちながら言った。
「でしょう？ マルロさんが取り置いてくれたんです」と、フーゴも眼を細める。
「まさか、売れ残りだって言ってたぜ」
売れ残りの屑肉でいいから、と肉屋のマルロに掛け合っておいたのはアバッキオだ。
「こんなきれいな売れ残り、あるわけないでしょ」と、フーゴは素っ気なく言う。
「……ああ」
「ね？ ぼくら、いいギャングでしょ？」
「……みてぇだな」
不承不承、アバッキオは認めた。
機嫌良く食事は進んだ。
「なにより、ブチャラティが本当に明るくなりました。感謝してるんですよ」
「あァ……」と、アバッキオはスープ皿に眼を落して照れた。
本当に割り切ったヒモっぷりで。
ブチャラティが何を言ったのか、チームへの配属が決まると、アバッキオは出で立ちを
改めた。伸びてしまっていた髪はそのままに、反体制的な歌をがなり立てる前衛的なバン
ドのメンバーのように、肌を出して、非日常的な化粧をしたいかれた格好に。それが、格
闘では並ぶ者がいなかったという体格とあいまって、異様な迫力を醸し出している。街を
行くちんぴらも、因縁を付けるのをためらわれるほどだった。
それでも、一応の挨拶は受けた。
「なんだ、その化粧はよぉ、おまえも女みたいにケツ振ってＣＤ売って歩くのか？」と、
アバッキオの顔を見上げながら必死に虚勢を張っていた。
「おれが化粧をして歩いたらあんたが迷惑するのか？」
静かに問い返しながら、アバッキオはそいつのシャツの喉首を持って身体を持ち上げて
いた。
「おれはな、ああ、最低の男なんだよ。この顔と身体以外に売るものはもう何一つないん
だ。顔で拾ってもらったんだから、こぎれいにしてなくちゃいかんだろう？ あァ？ な
にか？ おれが捨てられたらあんたがあれ以上のいい女紹介してくれんのか？」
顔をギリギリまでくっつけながら、低い声でそう凄んで見せたのは、相当見ものだった
ようで、以後、同じ内容の台詞をアバッキオが吐くことはなかったが、口伝えで町中に広
まってしまった。おかげで、もう彼に逆らおうとするものはいない。
意外なことに、ジゴロや男娼連中にその開きなおりっぷりが受けたようで、男っぷりの
良さも相まって、どうもファンクラブのようなものまでできたようだ。
「ぼくたちも、顔で商売をしてるんだから、きれいにして当然だよね」
同じ男達からふだん、蛇蝎の如くに嫌われていただけに、自分たちのならいを正当化さ
れて感動したものらしい。
本人が聞いたらなんだか落ち込みそうなので、それは内緒にしておく。
もちろん、口だけではないブチャラティへの尽くしっぷりもオバちゃんたちにはしっか
り観察されていて、その評価も高い。それでいて、スタンドの必要のない普通の荒事での
命惜しみをしない鬼神のような働きは、川向こうにまで響き渡っている。
「だから、今日のことはまあ諦めて、ふてくされないでくださいね」と、フーゴは念を押
す。
ブチャラティも、本当はアバッキオと過ごしたかっただろうから。
恒例の面会日、そろそろブチャラティは負担になり始めている。どうにも女子学生には
見えなくなってきているのを、なんとか隠すために毎年とても苦労している。奨学金を取っ
て苦学している女子学生、アルバイトは近所の孤児院で子供の面倒を見て、身元を引き受
けてくれている法律事務所で電話番なんかを少しして。法律の勉強はしているけど、まだ
全然夢には手も届かない……そんなウソを、平気で吐けるように練習していく。この日の
ために地味で安っぽい服を買って。母親に、苦学生の身でやっと買えるようなプレゼント
を用意する。
「毎年、１日しか着ない服を買うんですよ……もったいない」
「あれも、結構、良かった」
……ああ、このひとはそう思うんだ。
フーゴは意外に思った。いつもの見慣れた白地のスーツも、強さと優しさを際だたせて
いていいけれど、たしかに、ああいう地味な服を着ていても、小さな顔の可憐さは引き立っ
て見える。
「え〜ダサッ。もっと足出そうよ」
ナランチャは、一言言うなり背を向けてしまったけれど。
「じゃ、あんた、明日デートにでも誘ってあげてください」と、フーゴは明るい声を出し
て見せた。
「え？」
「今日の代わりに。明日もあのひとオフですから。ぼくらで何とかします。大丈夫ですよ。
カプリ島ぐらいまで遠出して。普通のカップルになって来てください」
「おいおい……」
「きっと今日一日、ストレス溜まったと思うから」
「そうかな？」
「明日は、普通の服で行ってくださいよ？ この街を離れるんですから、大丈夫。誰もあん
たのこと気にしません」
「おまえ……」
「あんた、気にしすぎなんですよ。服、買いに行きましょうか？」
アバッキオは、黙ったまま食事を口に詰め込み始めた。行く気になったようだ。
「来年は、もう、ついてっちゃってください。このひとと暮らしてますから、もう大丈夫っ
て、あのひとが面会もう断れるようにしちゃってください。これが来年の課題」
「……ああ」
「ホント、頼みますよ……」
閉店間際のブティックに飛び込んで、なんとか普通の勤め人に見える服を買った。これ
が、彼へのフーゴからのクリスマス・プレゼント。そして、彼女への。
「あのひとにプレゼント用意したんでしょうね？ え？ ちょっと、なに考えてるんです
か！ え？ ええ〜ッ、本当に？ 言ってくださいよ！ なんで今日の今日までッ！？」
一応確認しておいて良かった。慌てて、彼と不器用な色男はクリスマスの街をかけずり
回る。一日遅れのクリスマスを楽しむために。
さあ、もうすぐ彼らの女神が帰ってくる。
＜２２−０２−０９＞
おまけ
「どうでした？ カプリ島」
「あ、ああ、うん。楽しかった……な？」
ブチャラティが言葉少なに見返ると、真っ青な顔をしてアバッキオがうなだれていた。
「もしかして、船弱かったんですか？ なんで昨日のうちに言わなかったんですか！？」
「……生まれて初めて乗ったんだ。乗る前から判るわけないだろッ」
……だからポルポの遺産を取りに行ったときも、テンションおかしかったんだな。
＜別解＞
そのひとは、変わらぬ笑顔で待ち受けていた。
「フロラ、きれいになって」
まぶしそうに実の娘を見上げてくる。
「母さんも、全然変わらないね」
「ウソ、お世辞がうまくなって……でも、あなたは本当に、毎年見違えるようになって……」
と、また２，３歩離れて、しみじみと娘を見据えている。
なにかぼろが出るのではないかと、当のブチャラティはひやひやしているのだが。
「女らしい体つきになったわ。年頃ね。よかった、あなたはスマートすぎて、ちゃんと食
べてないんじゃないかと心配してたのよ」
さすが、母親の勘は鋭い。
「あはは。今年からチームに料理の上手な子が入って」
「チーム？」と、怪訝そうな声に、浮き足立つ。
「あのっ、バイトのチーム。ポルポさんの、法律事務所の」
「あら、そうなの」と、引くのに、
「うん、年は同じで。堅物なんだけどなんだか要領が悪くて、でも根はいいやつで」と言
わずもがなのことをどんどん言ってしまって、
「いいひとができたのね」と言い当てられてしまう。
「違……うん」
頬を染めてうつむく。そういうところは、年相応どころか、ずいぶん幼い。その頭をかき
撫でてやりながら、
「良かった、ほんと、安心だわ、あなたには苦労を掛けて……あなたは自分より他人の心
を優先する優しいところがあるから心配だったけど、大丈夫ね、そういうひとがいるのな
ら……幸せを掴むのよ」と、母は涙ぐんだ様子だ。
「母さん、そんな、大げさな」
ブチャラティは戸惑って大きな身振りで否定しようとする。
「まあ、じゃあ今日は彼は一緒じゃないのね。悪いことをしたわ。連れてくれば良かった
のに。じゃあ今度、いちど逢わせて、その彼と」
「あ……うん」
「さ、もう行きましょう。遅れると彼が心配するわ。食事をしながら彼の話を聞かせて貰
うわね」
「はい……」
大きな嘘を吐くために、小さな真実を犠牲にすることにしたブチャラティだった。
＜２３−０２−０９＞
蛇足。
彼らは全部外食で済ませそうだけど。うちの堅物アバッキオはスローフード派かも知れ
ない、でも、ブチャラティは料理を教わってる間がないなとと思ったらこんな話ができて
た。
フーゴはやるとなったら冷静にちゃんとレシピ通り作りそう。真面目なアバッキオと二
人で作ればちゃんとしたものができるだろう。
じつはアバッキオの啖呵が書きたかっただけ。
この二人は日頃淡々としている分、時々どかんと問題発言をする。
ブチャラティはいわゆる素直クールかもしれない。
荒木キャラなのに二人ともＡ型という変わり種。
おまけ蛇足。
アバッキオ山の方の田舎出身説出現。
また後付でつじつま合わせが大変になるなる。
だから、ブチャの「海の近くの引退後用の持ち家」も、時化たときなんか大変なことにな
りそうだから、アバは（冗談じゃねえ）と思っているかも。こういう育ちの差は結構深刻
だからなあ。北陸の出なもので、わたしは雷は比較的慣れていて平気だけど、台風とか、
冬以外の暴風はちょっと苦手……。
ブチャラティがクリスマスに母親と面会するに当たって毎年苦しい嘘を吐いているという
ネタは「空中落下」さんのところでお見かけした。ご本人に照会したら快く公開の許可を
得た（ありがとうございます）。良ければ読み比べてください。