お接待。
リヴァースモード生還篇（３）
覚悟の旅でブチャとナラが戦死の後、ボス・ジョルノが頑張ったおかげでアバッキオだ
け生き返りました。アバッキオを人質にされてフーゴは組織に呼び戻されました。その数
年後、女体化アバッキオがフーゴの奥様になっているのはオトナの事情。裏をご参照下さい。
１
新パッショーネの参謀はわりに腰が軽い。それはまだ学校に行っているボスをフォロー
するためだが、対外的に隙をわざと見せてやって反応をみるためというじつに素朴でない
戦略も含まれている。今日もシチリアの視察に来て、警察との「適切」なつきあいの水準
などしっかり指導したところだった。
「それでは、シニョーレ、ホテルに接待のものを差し向けましたから、今夜はごゆっくり
お楽しみ下さい」
どう見てもティーンエイジャーの年若い幹部に、シチリアの代理人は訳知りな笑みを見
せた。
「ぼくは一応奥さんがいる身なんですが」
碧い眼を見張って見せて、パンナコッタ・フーゴは瞬時に辞退するようすを示した。
「存じております。ここはローマを遠く離れた地。多少のお遊びは構いますまい。奥様も、
組織の一員でしたら、堅いことは仰せにならないかと」
「多少のお遊び、ねえ」
若い幹部はほんの少し、心を動かされてみせる。
「それはもう。どんなプレイにもお応えできますよ？ 口は堅くて。もちろんシチリア１
の美女です」
「……防音の効いた部屋、用意して貰えます？ あと、機材」
心持ち頬を緩ませて、フーゴは声を潜めた。
「機材……？」
２
「あの、それは、ご期待に添いかねるかと……」
「お仕事」用イヴニングに身を包んだシチリアでナンバーワンの高級娼婦が顔を引きつら
せた。
「どんなプレイでもできるって言ったじゃないですか。ネアポリスの下町のナンバーワン
やってたお姐さんとは親しくさせていただいてたんですけど、彼女はブラームスからサティ
まで弾きこなしてましたよ？ もちろん、歌う方も艶っぽいいい声で。ぼくは彼女に子守
歌を歌って貰ったという『武勇伝』持ちなんですよ」
「ちょっと、番頭さん！」
夜の蝶ははっきり悲鳴を上げて救いを求めた。
「……シニョーレ、行き届かなくってすいませんが、うちの店ではオペラのデュエットに
お応えできるような『嬢』は御用意がありませんなあ。伴奏の方は今ひとをやって探さし
てますが、……ピアノを弾くだけでよろしいんで？」
「気の利いたカラオケなら今時ヴェルディとプッチーニぐらい入っているでしょう。
ぼくは一度きれいどころと『乾杯の歌』をやってみたかったんですよ！ 地元じゃあお
坊ちゃん趣味とか言われて笑われるから、親分さんのご厚意に甘えてシチリアでなら羽目
を外してみようと思ったんじゃないですか。もちろん、ぼくの恥ずかしい秘密を知った親
分さんには、それなりの配慮を約束しますけど」
マイクを握ってノリノリの若い幹部は、上目遣いでありえない要求を言ってのける。
「……相済みませんな、ここは田舎で。しばらくお待ちを」
３
「男なら『闘牛士の歌』と『浄きアイーダ』を歌ってみたいってのは万人に通じると思っ
たんだけどなあ。ちょっと音を外すかもしれませんけど、聞かないふりをしてくださいね」
「ええ。シニョーレ、どうぞご存分に」と、急遽呼び出されたクラブのピアノ弾きはしろ
うとの歌声にしっかり合わせて見せて。
「ご謙遜を！ お上手でしたわぁ！」
「音大にいらしたら良かったのに！」
「今からでもレッスンをお受けになれば？ 先生をご紹介しましてよ」
「いやあ、ははは、照れますね」と、それでもしっかり接待のかたちになっているのはさ
すが、プロの技。
「『恋の悩み知るきみは』って、男装したメッツォ・ソプラノ用の曲だけど、キーを動か
せばぼくにもいけるんじゃないかと……どうでしょうね？」
「はい、こちらは音大出ですから、それくらい軽いものですわ」
「素敵素敵！ シニョーレがお歌いになると初々しくってよろしいですわぁ！」
「ほんとにうちの奥さんは、頭が痛くなりそうな宗教曲は何時間でも聴いていられるのに、
オペラにはとんと理解が無くて」
「ご同情申し上げますわぁ！」
手持ちぶさたの娼婦は棒読みの相槌をうつ。
「あ、どうぞあなたは飲んでください。ドン・ペリニョンとかでいいのかな？」
「ご配慮恐れ入りますぅ！」と、夜は更けていった。
「あ、バッハのカンタータ１０６番のテノール・アリオーソ、いけます？ 奥さんのせい
でぼくまで耳タコになってしまって。
『ああ主よ、願わくばわれらにおのが日を数うることを教えて 知恵の心を得しめたまえ』
ですって！ 暗くってイヤになっちまいますよ！
せめてブルックナーの『テ・デウム』……あれの第２曲いけます？ あなたたちにも入っ
て貰って」
「もちろんですわシニョーレ！ お待ちになって、楽譜を取り寄せます」
「仲がおよろしくって結構ですわねえ！」
「ご夫婦で趣味が合うと素敵ですよねえ」
声を揃えて褒めそやすと、若い幹部はとうとう警戒を緩ませた。
「そんなことないです。彼女がドヴォルジャークにはまったときにはもうほんとに別居し
ようかと思いました！ 彼が才能ある作曲家だということは頭では理解できるんですけど、
あの暗さが！ なんであんな響きが重いの！？ 明るい曲もあるのかもしれませんけど、
うちの奥さん暗い宗教曲が好きなんですよ！ あの『レクィエム』にはホント困りました。
そして彼女はまったらホントに朝から晩までそればっかりヘヴィ・ローテーションで……
うちのスタッフだって迷惑してるんです！」
しゃべっているうちに酔いが回ってきた若きマフィアの最高幹部は、どんっとテーブル
を叩いて見せた。
「奥様にはヘッドフォンをお使いいただければいいのでは？」と、ピアノ弾きが和解案を
示してみると、
「せっかく一緒にいるのにどうしてそれぞれ別な曲を聴くんです？」と、このロマンチス
トは素で聞き返した。
……と、一晩中シチリア１の美女にお酌と拍手（と愚痴の聞き相手）だけさせてオペラ
をカラオケ、否、生ピアノ伴奏で歌いまくってご機嫌な一夜を過ごした参謀だった。
……本番しなくってよくて楽なのはいいけどなんなのこのコ……。
シチリア１の美女はすっかり引いていたけれど。
４
「ご配慮恐れ入ります。おかげで楽しませて貰いました。この世の憂さが晴れたかな、お
姐さんたちにもひとにできない話を聞いて貰えてスッキリしました。本当にお世話になり
ました。ボスにもあなたの行き届いた心遣いを報告しておきますからね」
翌朝、満面の笑顔で帰ってゆく参謀殿を見送って、シチリアの支配人は溜め息を吐いた。
「変った趣味の坊主で驚いたが、まあ、安上がりについて良かったな。ヘンなプレイで『嬢』
に傷が付くこともなかったし。
若いんだからそこら辺のカラオケ・ハウスでヴィジュアル系とやらでも歌ってりゃいい
のによ」
「ボス！ そんなことありませんです、あの小僧一番高い酒ばかり飲んでいきやがりまし
た！ 伴奏も呼んだから人件費２倍かかってますし」と、店の番頭が勘定書を確認して悲
鳴を上げた。
「声は悪くないけどあのびみょ〜な音程ッ！ 日頃地元で歌えないわけですよッ！ こっ
ちの音感が狂ってしまいましたッ。もうあのお客さんの伴奏は勘弁して貰いますよッ」と、
被害者はこのピアノ弾き。
「……なんてね。シチリアなんてそんな地の果てでもあるまいし。こんなところで女のお
接待なんて受けたりしたらボスに死ぬまでネタにされちまう。……そんな脇の甘いことす
るわけないでしょ」
フーゴは帰りの高速新線の車中で独りごちていた。
「でも、生伴奏で歌うのも楽しかったなあ。今度出張のときにはこっちからリクエストし
てみようか」
くすくすと笑いながら、したたかな参謀は出張の報告書の下書きに入っていた。
１４−０８−１２
蛇足。
自分の趣味アリアリ。いや、女医サウンド〜♪ に昔「乾杯の歌」とか「第九」とか入っ
てて呆れた覚えあるんだけど。数年してまた行った（おかあさん遊ばなさすぎ）らなくなっ
てて（需要無かった？）あれは夢だったのだろうかと思ってるんだけど。いや、「乾杯〜」
はともかく「第九」って第４楽章２０分強全部歌いっぱなしかよ！？
やっぱネタとして１回入れておくべきだったかしら。
あったら１回歌ってみたいよ。カルメンの「闘牛士」とか。しばらく前流行ったトゥー
ランドットの「誰も寝てはならぬ」とか。どうです？
おまけ。
ボスのつけたスパイは遠くシチリアまで付いてきていて、参謀殿の「ご乱行」をつぶさ
に報告した。
「フーゴ、きみ、シチリアの代理人の接待で美女を２人も侍らせて夫婦間の愚痴を垂れた
挙げ句にへったくそなカラオケを一晩中も無理に聴かせて遊んだんですって？
そういうの、ジャポネじゃあ『ジャイアン・リサイタル』っていうんですよ」
琥珀の目を煌めかせてフーゴを苛めるボス・ジョルノのご機嫌なノリは瞬間最大風速を
記録していた。
「フーゴ、あなた、あたしと別居したいんだってね……」
都合の良いところだけ抜粋してアバッキオに言いつけるし。
かくて若き参謀殿の楽しい「お接待」は封印されることになった。