イメレス： 酔わせてみたら……
ピクシヴの綾音さんの枠を使わせていただきました。
【イメレス】酔わせてみたら… | 綾音 [pixiv]
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=15152406
お題： 酔わせてみたら
１）笑い出す
２）眠り込む
３）顔には出さないがろれつが回っていない
４）泣き出す
５）怒り出す／説教をはじめる
６）愚痴り出す／落ち込む
７）ウワバミ（注：大酒飲みのこと）
８）（自由枠）
でした。
基本、「その朝」の世界観で、それではいってみよう！
１）笑い出す ： ブチャラティ
「こいつはケッサクだ！」
かろやかな笑いが起こった。ちょっとした仕事がうまくいって、今夜はその打ち上げ。
年少組もナランチャが１６に達したからということでブチャラティの許可が出て、いつ
ものアジトで皆でワインのボトルを開けた……。もともと家でも幼い頃から飲んでいたフー
ゴは少し頬を染める程度、ナランチャは陽気になるだけ。アバッキオは珍しく赤い顔をして、
むっつりとグラスを舐めている。
「なんだそのマダラな肌は！ ちょっと前をもう少し開けてみろ、どうなってんだそれ！」
珍しく全開で笑う麗しのチームリーダーは、恋人の胸にしなだれかかってそのアルコー
ルの回り具合をからかっている。
「ブチャラティ……」
ほんとに楽しげなさまに、アバッキオとしては好きにさせてやるべきか、それとも、未
成年の部下達の前で淫らがましいノリは拒否するべきか、またぐるぐる悩み始めて身動き
取れなくなっている。
「遠慮するな、なにをもったい付けてるんだ、脱がせて欲しいのか？」
手酌でどんどんワインを開けながら、ブチャラティはいっそうゴキゲンにアバッキオを
構う。もう、カワイイ部下達のことなど目に入らぬように……。
「あははははははッ」
「…………フーゴ」
アバッキオがとうとうフーゴに助けを求めた。ブチャラティ・チームのカワイイ先輩達
は、まるきり引いてリーダーの痴態を見守っていてしまっていた。
「……場所を変えましょうか」
ぐっと一杯グラスの残りをあおっておいて、フーゴは決断した。と、もう腰を上げてい
る。
「いえ、お開きにしましょう。アバッキオ、この状態のブチャラティをうちへ連れ帰るこ
とができないなんて、あんたまさか言いませんね？」
「お、おう」
アバッキオは訳が解らないなりに肯いた。
「そーだね」
ナランチャも心得て、くるくると立ち働いて最低限の片付けだけした。
「なんでだ？ こんな愉快な気分になったのは久し振りだ、もっと飲もうじゃないか」
「ええ、解りましたから。ブチャラティ、あんたはどうぞ」
「フーゴ？」
アバッキオが疑問を露わにする。
「付いててあげてください。お願いします。ぼくらを抱えて、いっときも気を抜いたり出
来なかったんです、今まで、このひと」
小声で、早口にフーゴは言った。アバッキオの顔から、一瞬、酔いが抜けた。
「あんたも心配な状況からは脱したみたいだし。今夜だけでも、好きなだけ酔わせてやっ
てください」
「お、おう……解った」
「あははははは！ もうネアポリスも夏だな！ あんなに星が。フーゴ、あれはなんだっ
け、赤い星はアンタレス？」
「ええそうですよ。静かに。町の皆さんはもうお休みの時間です」
「あはは、いいじゃないか、まだこんなに気持ちいい風が吹いてるのに」
「解った、解ったから、フロラ。うちへ帰ろうな……」
アバッキオも一応社会人の経験があるので、酔っぱらいの扱いには慣れている。それで
も、珍しい彼女の様子に心配な顔を見せる。
「こんなに飲んで大丈夫なのか？」
「あ、だいじょーぶ。ブチャラティはどんだけ呑んでも次の日には持ち越さねーから」
ナランチャはいっそう嬉しそうに笑って見せた。
「アバッキオ、水だけ飲ましてやってな」
「ああ、うん」
「引かないでくれよな。あんたがチームに入ったから、ブチャラティこんな顔できるんだ
ぜ」
ナランチャが大人の顔で笑った。アバッキオは一瞬口を開けて、むなしく閉めて。そし
て、覚悟の籠もった声を出した。
「ああ、解った」
「ええ、ええ……はい。解ってますよ。ほら、そこ気をつけて、いやですよ……」
フーゴは穏やかな顔で、酔っぱらいのリーダーの相手をして、彼女の住まいへと誘導し
ている。
「おやすみなさい」
「明日は定時に来いよなッ」
少年達は彼らを部屋まで送ると帰っていった。
「レオーネッ、なに辛気くさい顔をしてるんだ、もっと飲めよ、あはははははは」
ゴキゲンな彼女は心の重荷をひととき置いて、安らかな眠りに落ちた。
２） 眠り込む。： アバッキオ（リヴァース・ヴァージョン）
「割と簡単だったな」
「アバッキオ？ レオナ・アバッキオ巡査……？ ああ完璧潰れたぜ」
ネアポリス市警の若い連中の飲み会は、密かに悪意が混じっていた。
「次行くかー？ ブゾ−二、おれの超お奨めの店いってみる？ 本命しか連れて行かない
とこ」
「いやーだ先輩、それ口説いてるつもりですか？ 本気にしますよ？」
「マジだったらどうするー？」
ことさらに明るい声を出して、密かな企てには乗らない男が他の女性警官を引き離す。
「じゃー持ってくか。今日のとこは３人？ あとで増えるんじゃないだろな？」
「トビオには礼しとかないと」
囁き交わした若い警官達が、酔い潰した新人女性警官を皆でおもちゃにしようとその腕
を取って担ぎ上げようとした。
「やめとけよ」
静かな声がした。
端整な面差しの若い警官が、ほんの少し唇の端に笑みを浮かべて、立っていた。
「そいつはもっと上の方が目を付けてる。潰したなら連れて来いって今おれに命令が来た
とこだ」
「スフォルツァ！」
「そりゃないぜ」
抑えた声が上がった。
「逆らうと良いこと無いぜ。さ」
スフォルツァと呼ばれた男は、有無を言わせぬ様子で歩み寄った。
「上って、誰だ、班長か？」
「ハハハハハ、知りたいか？」
「もっと上か？ 課長？」
「ハハハハハハハハ、長生きしたいだろ？」
貼り付けたような笑いが、若い警官の顔には浮かんでいる。すっと指を立てて、まっす
ぐ上を指さした。
「おい、……………………もしかして、部……いや、署長？」
「行けよ。黙っといてやるから」
顎をしゃくって見せて、スフォルツァは完全に寝入った後輩を担ぎ上げた。地方都市の
女性警官なぞさせておくにはもったいない美貌の若い娘を。
「アバッキオ、ホントに潰れてしまったのか？」
肩を貸すには正体を失いすぎていて、もう背に負うしかなくなってしまった後輩に、ス
フォルツァは声を掛けた。
「ほんとでっけえんだから……筋肉付いてて重いし。世話掛けるなよ」
負けん気を煽るように言ってみたが、返事はない。
「おまえは狙われてるんだからな、無防備にしてるんじゃないぞ、たとえそれが先輩で、
警官でもな。……情けない話だけどな」
ほんとに大柄な娘だ。背に負っても足の先が地面に付きそうだ。背中にしっかり大きな
胸の感覚を覚えて、スフォルツァは苦笑に顔を歪めた。
「おまえが、きれいなものだけ見て、ほんと真っ直ぐなのは解るけど、それだけじゃ、生
きていけない。もうちょっと、もうちょっとがんばって、うまく立ち回ることを覚えよう
な。
……積極的に嘘をつかなくたって、匂わすだけぐらいなら、おまえのそのおきれいな理
想からは、たいして外れてないだろ？ それで、とりあえず今夜はなんとかなったじゃな
いか」
スフォルツァは背を揺すり上げて、大柄な美人女性警官に語りかけた。
「な、おれのお節介も、いつもいつもって訳にはいかないからな」
たぶん神に愛されているであろう彼女を、スフォルツァは教会に連れて行った。夜通し
扉が開けられていて、心に邪なものを抱いているものは出入りしないであろうところ。
「おやすみ、アバッキオ。神様がおまえをお守り下さるように。いつかはきっと、たどり
つくさ、お前の目指す輝かしい未来に」
柄にもない、と独りごちてスフォルツァ警官は教会の扉を閉めて背を向けた。アバッキ
オは不器用で、きまじめで、絶対この世界でぶつかって、傷付いて、苦しむだろう。それ
がかれには見える。彼女は魔法の鏡のようなものだ。その前に立ったときに、自分を否応
なく見つめさせられる。
とりあえず、今夜のところは自分で正しいと思うことが出来た。それで、自分はなにか
胸を張りたい気持ちになった。
……ありがとうよ、アバッキオ。
また、いい気持ちにさせてくれよ。もしかして、やばいことになるかも知れないけ
どな。
そう、こいつを庇って命を落とすようなことに、なったりして、若い警官はふと不吉な
ことを思いつく。
……まあそんなカッコイイことには、ならないと思うけどな。おれも相当汚れてる警官
だし。
同僚を出し抜いて、お持ち帰り直前の女の子をかっさらうような奴だし。ククッと首を
すくめて笑うと、スフォルツァはネアポリスの路地を歩き去った。
３）顔には出さないがろれつが回っていない ：フーゴ
全く空恐ろしい天才児だ。
フーゴは普段飲みの白ワインのグラスをかっぱかっぱ開けながら、アバッキオと差し向
かいでチェスを指している。ブチャラティは幹部会に呼び出されてひとりで出張だ。ミス
タは恋人のところに泊まるらしい、気がつくと消えていた。ナランチャはもう寝息を立て
ている。外は雪だ。微かに、窓ガラスに雪粒のぶつかる音がしている。２月の夜は静かに
更けて行っている。
このクィーンのはでな飛び回り方はいったいどこの流派だろう？ どんどん駒を取られ
ていって、盤上はすっかり淋しくなっている。それならキングの逃げ場所はいくらでも作
れそうなのに、にっくきビショップとナイトが目を光らせていて、アバッキオのキングは
孤立無援で身動き取れないでいる。
……これはそろそろチェックメイトだな。
アバッキオはため息をついて、これから先の予定をふと頭の中でさらった。夕食の片付
けは済んでいる。みんなで飲んだ後始末だけをするとして。根気強く躾けたから、ミスタ
は自分の分のグラスは下げていったようだ。ナランチャはこのままここに置いていこうか。
毛布でも持ってきて掛けてやって、フーゴか自分が泊まり込んでやれば大丈夫だろう……。
「いけまれんよ」
聞き間違いかと思って、一度は流した。
「ナランリャをここりおいていくのはいけまれん」
アバッキオはあっけにとられて口を半開きにした。長い睫を伏せ加減に盤上を見つめた
まま、声を発したのはフーゴに他ならなかったようだった。言っている内容は、かれの考
えを読んだように適切だったことだし。
「寂しがりらんれる。目覚めたろり独りらとギャアギャア騒ぎまるから。いるもろこら辺
で勝手に寝るるせに」
容赦ない言葉には、もうかれは心を乱されたりしない。そう斬り捨てる目尻にふと、温
かい物が点っているのにアバッキオは気付いてしまったから。辛辣な言葉と手加減のない
拳のやり合い。寄ると触るとケンカしている２人には、兄弟ほどの心のつながりが出来て
いるとアバッキオは見なしている。
「あ、ああ、じゃあ奴の部屋に送っていくよ」
フーゴの心配りを汲んで、アバッキオは言ってみたが、それは手厳しくはねつけられた。
「そろは雪れしょう？ あんらナランリャを担いれ連れれいけまるか？」
「いけると思うけどな、フーゴ、おまえ」
「らめれる。たろりるる前り身体ら冷え切っれしまうれりょ」
天使の顔はごくごく普段通り。いや、もしかしてほんの少し頬が上気しているかも知れ
ないが。
……もしかして相当、回ってるのか？
「フーゴ」
アバッキオは恐る恐る声を掛けた。テーブルの上には、空き瓶がもう３，４本。どんどん
空けていくから、こいつも恋人同様にアルコールを上手に無力化できる質だと誤認してい
た。大人びた口調でいつもは幼さなど感じさせないが、この少年はチームの皆で決めたと
いう誕生日を迎えたばかりの１６歳だったのだ！ アバッキオは瞬時に酔いが醒めるのを
感じた。
「もういいれりょ。チェックレイリョ。今夜はこれくらいれやれろりまりょう」
二つ折りして中に駒をしまうことのできるチェス盤に駒をやや乱暴に流し込みながら、
フーゴは席を立った。アバッキオは言葉もなく従った。
「ナランチャを」
どうする、と問うより先にできる少年参謀は階段を屋根裏へと登っていった。
昔はここで２人、寝起きしていたと聞いた。セミダブルのベッドと、ちいさなタンスの
ある部屋。広さはそこそこあるが、端の方は、屋根の勾配がそのまま出ているからアバッ
キオにはまっすぐ立っていることができない空間。密談をしたり、泊まり込んだりもする
ので掃除はこまめにしていて、急な用にも困ることがない。
「らりぼっと見れるんれすか。ぼくはベッロをくくりまるから、あんたはナランリャをつ
れれきれくららい」
「あ、解った」
動きはてきぱきしていて、心配なさそうだったので、アバッキオはナランチャを連れに
行った。予定していた片付けをざっと済ませ、ナランチャの様子を見る。少々こづいても
返事をしない。まるきり深く寝入っているので、アバッキオはかれを担ぎ上げて屋根裏へ
と運んだ。
「できたか？」
ドアを肩でこじ開けて入ると、フーゴはすっかりベッドを整えていた。
「今日は僕もここりろまりまる」
半分めくって空けておいたシーツとシーツの隙間にナランチャを転がして入れると、フー
ゴは自分も靴を蹴り脱いで隣に入った。
……そのジャケット……は脱がなくていのか？
アバッキオは突っ込みが追いつかない。
ここで泊まってしまうなら、ジャケットは当然脱がせてハンガーに掛けさせて、歯を磨
かせないと、と年長者らしい分別を思い起こしている野暮男に、フーゴは使えないんだか
らと言いたげな眼差しを投げてきた。
「とりまりは見れきまりらあ？」
「あ、ああ、戸締まりな、……いや、おれがして帰るから」
「らりいってるんれる、あんらもはいっれくらさい」
もしかして、同衾を命じられている？
アバッキオは一瞬固まった。
「上みれくらさい、天井張っれらいれしょ？ 冷えるんれすここ。あんらの無駄にでかい
図体れぼくらり熱を提供してくらさい」
真ん中入って。
フーゴはせっかく入ったシーツの隙間から半分身を起こして、アバッキオの入るべき場
所さえ目で指示してくる。
「それろもあんらあのひろのいらい隙にマッサーリとかパックとか今夜もちまちまやるつ
もりれす？」
「黙れッ」
アバッキオはとりあえず長いジャケットだけ脱いでいそいそと少年達の間に潜り込んだ。
「髪を踏むなッ……これでいいんだな？ 腕からめて来るなよ？ 気色悪い」
防衛本能をむき出しに文句を付けながらも、アバッキオは素直に２人の間に収まる。女
きょうだいたちにもみくちゃにされ、ませた自称婚約者にへばりつかれていたせいで、騒
がしい生意気ながきは嫌いだとか常々言いながらも男同士の裸のつきあいに密かな憧れを
もっているのだ！
「やっぱり３人は狭いれるかれ……」
実は相当アルコールが回っていたフーゴが、首ををねじって背を向けようとした。
「ピアス外せよ、痛くないのかそれ」
アバッキオはそれに細かく目を留めて意見する。
「うるらいな、さっさと寝れくらさい」
フーゴの声が急激に眠気を含んでくる。ナランチャの寝息は規則的だ。静かな夜が更け
ようとしていた。
ふと、時期を捉えたと見てアバッキオは前からの疑問を口に出してみた。
「なぁ、フーゴ……おまえ、ガール・フレンドがいるんだってな？」
「明日にしれもらえません？」
「明日、ミスタのいるところで聞いていいのか？」
「しらを切るらけの話れす……」
「みんなに秘密なのか？」
アバッキオは畳みかけた。
「この仕事やっれれ弱点人に晒すわけ無いれしょ？ ブチャラティらってよくよく考えて
のころらったんれすよ」
いや、考える前に身体が動いたんじゃなかったか。アバッキオは細かく引っかかって考
え込む。
「あんらの負っれる十字架ろやらろは違いますけろね、ぼくにらって、あるんれす、事情
がね……そんら、軽々しく付き合ったりとかれきないろあね」
「そうか」
それ以上追求するまいと思ったそばから、フーゴは秘密を零れさせていった。大きな秘
密、ひとりでこっそり持っているのが大儀なほどの奇跡的に幸せな出来事は、誰かに明か
して負担して貰いたいものだ。本当のところは、人間は孤独に禁欲的に生きていくように
出来てはいない……。実のところは、ネアポリス中に触れ回りたいぐらいなのだ。立場あ
る親戚の顔を潰し、親にも見放され、もう学籍簿からも名前を消されてしまったような自
分を、覚えていてくれて、見いだして、そして今も好きだといってくれた女の子がいるなん
て！ 自分を振りまわすほどに頭のしっかりした、いつもとびっきりの刺激をくれる年上
の少女。ずっと、誰かに話して喜びを分かち合って欲しかった……。
「もう、凄いお嬢様なんれすよ？ もう一度巡り会えたのはほんと奇跡みたいら。ぼくよ
り頭が切れれ。ブチャラティが裏からこの街を支えれいるっれいうらら彼女が表の方から
取り仕切ってるみたいら……今は勿論違いますけろ、ゆくゆくはそうらったらいいと思っ
れます」
「おいおい、手放しだな……」
「ほんと、彼女りはいるも助けてもらっれらる……」
「そうなのか」
「尊敬れきまる。そこらへんの、半径２メートルのころりら考えれない小娘ろは魂が違う。
政治に参加するもろろりて、一段上を、一歩先を見れいらる。ほんろ、素晴らしいひろ
れる」
「うん……」
アバッキオは相槌を打つのも考え考えになった。
「ナイショれるよ？ ナランチャは、自己評価ら低い。自分ら人に大切にされるろろらあ
るらんれ思っれらい。ぼくら勝手にガールフレンドを作っらりりらら傷付ける。ブチャラ
ティらあんらを拾っらろらっれ、深く傷付いれる筈らんららら」
「ああ、解ったよ」
「あんらほんろ脇が甘いれす、気をつけてくらさいよ」
それからくどくどと日頃のダメ出しが続いて、フーゴは眠りに落ちた。
「アバッキオッ……昨夜、ぼく変なこと言いませんでしたか？」
翌朝、フーゴは恐れを押し隠した高圧的な態度でアバッキオに探りを入れてきたが、
「いいや。おまえ酔うとろれつが回らなくなるんだな。何言ってるのかさっぱり解らなかっ
たよ。勘弁してくれ」
アバッキオはせいぜい大人の分別で嘘をついて見せた。なに、半分は事実だ、不器用男
でもそこは対して苦労はなかった。
……うまくいくといいな、フーゴ。
アバッキオは心に温かいものをもらった気になる。同年代の異性のことを、尊敬したり、
大切に思ったりすることができる経験は、それは無いよりあった方が良いから。
……きっとおまえは、いい大人になるよ。
勝手に寝入ったおかげで自分たち２人の予定が狂った、と恩に着せて屋根裏の掃除にナ
ランチャを追い立てるフーゴの姿を目で追って、アバッキオはふと唇を緩めていた。
４）泣き出す ： ジョルノ ＆ ５）説教を始める ： トリッシュ
「ちょっとちょっとちょっとーッ！」
トリッシュは慌ててジョルノの手を握ると自分のフラットの玄関に引き込んでいた。
「やめてよッ！ なんなのあなたッ」
ディトの帰り、送ってきたジョルノに、ちょっと、ちょっとやばい一言を掛けてしまっ
たのだ。だって、もう１０年も経ったのに！ 自分を呼び出したということは、そういう
用事だと思ってはいたんだけれど……。お互い酒が過ぎていたかも知れない。
「なんなのって……トリッシュ」
整いすぎた顔を真っ直ぐに向けて、ジョルノは傷付いた顔をして見せた。その頬を、滂
沱と流れる涙があった。
「ちょっとそこ坐ってッ！ タオル取ってくるからッ！」
真っ直ぐ引きずって、居間のソファにジョルノを坐らせておいて、トリッシュはあたふ
たと洗面所に駆け込んでいった。
「部屋に入れてもらったのは初めてでしたね」
放心したままにジョルノが呟く。
「そうかしらね」
素っ気ない振りをしながら、トリッシュはおとっときのタオルを出してジョルノに与え
た。
「お水飲む？」
「あ、はい」
「ヴォルヴィックだけど」
「いえ、銘柄はとくに」
「あなた前日本のお水輸入させてなかった？」
キッチンへ行って冷蔵庫を覗き込みながら、トリッシュの声は遠い。
「お茶を煎れるにはあれが合ってるそうなので……コストがかかるので止めました。そん
なに緑茶は飲まないし……ちょっと親孝行しようかと思っただけで」
「親孝行？」
トリッシュが振り返った。それくらい、意外な台詞。
「もう年でね。緑茶が恋しいとか言い出して。いつもの気まぐれでしたけどね。ほんと、
真面目に取り合うのも無駄、無駄……」
若きマフィアのボスの顔にかすかな自嘲の笑いが浮かんだ。
「無駄なんて事ないわよ。お母様じゃない」
トリッシュはグラスとボトルとをトレイに載せて持ってきた。
「……ああ、失礼しました」
トリッシュは１０年前に母を亡くしている。
「今、どうしてらっしゃるの？」
ジョルノに理性を取り戻させるために、トリッシュは敢えて話を振った。長いつきあい
だ。その辺りは阿吽の呼吸。
「年の半分は日本ですかね？ 遊び歩いてますよ」
ジョルノは目を落としてタオルの表面の感触を愉しんでいる。びろうどのような起毛の
細やかさ。やはりタオルは日本製がいちばんだ。
「あなたの仕事のことは……」
「『富豪のポルナレフさん』の後継者だと思ってますね」
「ムシューはほんとに役に立ってくれてるわね」
トリッシュは肩をすくめて笑って見せた。
「ダメよほんと。１０年もローマにブチャラティのこと釘付けにしておいて。それでもダ
メだったんだから、いい加減諦めなさいよ」
「諦められなかったんですからしょうがないでしょう」
ジョルノは恨めしげにトリッシュを見上げた。
「昼間っからオフィスで口説きたおしてたんですって？ 周りの人の迷惑考えなさいよ」
「それはもう、恥ずかしさにのたうち回りたいときもあります」と、ジョルノは手元のタ
オルを雑巾絞りに絞って見せた。
「あら、ホント？」
「だから度々愚痴を聞いて貰ってたんじゃないですか。ほんと、あなただから言うんです
よ」
ジョルノはばつが悪そうなかおになった。
「ふふん」
トリッシュは少し機嫌を直す。
「あんなひと他にいないものね。解るわよ。あたしだって、ほんと、いっときは他の男の
子なんか目に入らなかった」
トリッシュはしみじみと言う。
強くて、勇気があって、あんな境遇でも正義の心を持っていて。弱いものへの限りない
いたわりはどうだろう！ そして、もちろん女性として十分美しい。ええと、そこは人間
だから、細かく見ていくと取りこぼしている分野も色々あるけれど、そこはそれで人間的
な魅力だ。味オンチだとか、料理がおおざっぱだとか、服のセンスが微妙だとか、ところ
どころ常識が抜け落ちているとか……まあそれはフーゴやアバッキオのほうが詳しい。
「今は入るんですか？」
何気なさそうにジョルノは問い返す。
「それなりにね」
返事を受けて、ジョルノはこれだからやっぱり女性の本気なんて、とブチブチ言ってい
る。かれの女性不信は根強いらしい。ちょっと見、そして深層もいろいろ女性には見えな
いブチャラティを深く信奉するのもそのせいだろう。真実、尊敬できる初めての女性だっ
たのだ、きっと。
「そりゃ１０年も引っ張りましたからね。時にはそういうチャンスもありましたよ？
でも、あの目で、なんだおまえはそういうことが目的なのか、だったら自由にするがい
い。だからって、心の底まで自由に出来ると思うなよって、そういう目つきで見つめられ
たら……なんにもできるわけ、ないじゃないですか」
押し倒すぐらいはしたわけだ。トリッシュの目の色が冷たくなる。２人とも超Ａ級のス
タンド能力者だ。本気で目的を果たそうとしたら、それは壮絶な殺し合いになっただろう。
２人の理性にトリッシュは感謝した。
「それでよかったのよ」
僅か１５で組織を乗っ取った野心と能力は、古参の幹部から深く恐れられている。しか
し、ブチャラティを深く愛してそして報われなくても尊重しているその態度で、かれは年
寄り連中から人間的魅力を僅かながら認められ、従っていこう、盛り立てていこうという
親しみを辛うじて持たれている。時々、ほんとに時々の暴走も、ブチャラティのファン・
クラブの幹部連中の介入を許し、そのことによって古参の幹部の疎外感、無力感を吹き消
すのに役立っている。
……だから俺はそこでボスに言ってやった訳よ！ 惚れた女の幸せを祈ってやれない男
なんてイタリアーノじゃあねえってッ！
得意げにミラノの代理人が声高に組織のサロンで幹部連中に話をしているのを、トリッ
シュは耳にしたことがあった。力説する男も、追従する男達も、虚しい年長者ぶりだった
が、疎外感からクーデターなど起こされるよりはましだ。
「落ち着いた？」
トリッシュはコーヒーも淹れるつもりのようだ。キッチンでお湯を沸かす音がしている。
電気でお手軽に沸く最新のだってあるのに、そこのところはイタリア女性、火を使って
完全にぶくぶく言わせないといい香りが立たないと信じ切っている。
「さあ」
組織から毎月いくらか援助しているはずだ。２５歳の女性の部屋を、ジョルノはさりげ
なく観察している。
……もうちょっと、贅沢してるかと思ってました。
このタオルといい、好みにうるさいのは初めて逢った頃から変わっていないようだけど。
「いいでしょそれ？ うちの会社で買い付けしてんの。干すときに気をつけて毛羽を広げ
るようにすると、柔軟剤とかほとんど使わなくてもふっわふわになるのよ」
ジョルノがまだタオルを弄んでいるのを見て、顔を輝かせる。
「お仕事はなにを……？」
「言ってなかった？ ちょっとした小物を扱う商社。まだ下っ端だけどね」
大学へは行かないで仕事をやりたいと言っていたから組織を出さずに遠回りで就職に口
をきいて貰った。ここ数年は声を掛けても断られることが多かったのは、本当に国内外を
飛び回っていたからのようだ。
……あ、ダメ。そのころローマ（そっち）にいないの。
いつもそう言っていたのは、嘘じゃなかったんだなとジョルノは少し胸が軽くなる。本
気で距離を置かれ始めているのだと認識していたから。もう大学を出て、組織の運営も軌
道に乗って。ブチャラティや、昔からの幹部は今でもかれをトリッシュとくっつけたがる。
それを嫌ってのことかと思っていた。そうして、ジョルノは今更に、トリッシュに嫌われ
るのが怖いと思っていた自分を見いだしていた。
……あれ？
「はい。砂糖でいいのよね？ ミルクもあるわよ」
ちょうどよいタイミングでコーヒーが出た。よい香りだ。好みも解っているようだ。
「あ、はい……」
しばらく、パッショーネの若きボスはコーヒーを味わうことに専念した。
「……悪かったわよ」
顔を横に向けて、言いづらそうにトリッシュは謝った。
「引きずってても、いいわよ。だって、初めてだったんでしょ？」
「なにを……」
ジョルノは不意を突かれた顔になった。
「あなたって、遊び慣れてるけど、寂しいひとじゃない？ ああ、いいから。あの世界の
ひとって、そんなものらしいわよ。そうじゃなきゃ、成り上がろうなんて、思わないで
しょ……？
ブチャラティが初めて好きになったひとなら、忘れられなくても、しょうがないわよ」
「ば、かな……」
否定しようとしたジョルノの理性を、また、目が裏切った。
「ほら……使って」
トリッシュが屈み込んで、カップを回収して、タオルを取ってジョルノの目に当てた。
「あのひとの話で無邪気に盛り上がれるのって、あたしだけだもんね。いっつも。あのひ
とがアバッキオのところへ行ってる時に、あたし憂さ晴らしに付き合わされてたじゃない。
解ってるって。
もう向こうへ発ってひと月だっけ？ ごめん。やっぱり淋しかった？」
「そ、んなことは……ッ」
言葉は嗚咽に負け、ジョルノがただ背を震わせた。
……うわ、あたしの目の前で、イタリアを支配してる男が泣いてるッ！
トリッシュはぞくぞくするような感覚を背筋に感じて身を抱いていた。
「どうしてッ……ダメ……なんでしょうねッ……」
絞り出すような声を追うように、涙に濡れた琥珀の目がトリッシュを見上げてきた。
ズッキュゥゥゥゥン！
……あ、ダメ……。
トリッシュはくらりと目眩を感じた。
「あ、あんた組織の長なんだからッ！ そんなに弱いところ晒しちゃダメでしょッ」
ムキになって叱咤する。同い年の青年に、自分を父の刺客から守りきってくれた命の恩
人に向かって。
……そうだ、ジョルノはあのひとに純愛を捧げているんだった。あたしのことなんか、
昔話を出来る気安い相手としか思ってないんだった……。
トリッシュは理性を呼び覚ます。
……トリッシュ、あんたは、あたしみたいな恋をするんじゃないわよ。あんたのことを
守ってくれる、優しくて強い、地味な男を選びなさい……。
母親の声が耳に蘇る。そうだ、あたしは堅実な恋をするんだ。強くて優しいきれいな年
上の女性に憧れたとしても、それはあの年頃特有のはしかみたいなモノで。もちろん、危
険でやっかいなギャングのボスのお守りをする気もない。
「いけませんか……あなたにだけです」
ジョルノは解っているのか、目を伏せて声を詰まらせる。
「だってあなたあたしのこと普段は避けてるし」
自分に言い聞かせるように言った言葉に、ジョルノは反応した。まるで不当な言いがか
りで、それはかれを傷つけたみたいに。
「あなたを避けているのはフーゴの方ですよ」
ムキになって顔を上げて、琥珀の目でトリッシュの目を射る。ああ、何度も頭を揺らせ
るからいつもの額の上のカールがもう取れて。額に落ちかかって。だいたい、成人して髪
の癖はもう少なくなってきている。長く伸ばした後ろの髪はもうほとんど直毛だ。豪奢な、
金の髪。
……なんて、綺麗。
「あら、そう？」
トリッシュは敢えて心を鎧って冷たく返事した。
「初対面の時、かれをタオル扱いにしたでしょ？ それ以来苦手に思っているんです。そ
れに、あなたはそのとき意識がなかったかも知れませんが、我が身可愛さに父親に殺され
かけた可哀相な少女のあなたを見捨てて途中から抜けたのを、騎士道精神やら、戦士とし
てのプライドやらで後悔しているんです、今も。
ですから今も、あなたには必要以上に手厚く礼儀正しくしていて、そして近寄ろうとし
ていない」
「へえ」
フーゴの話をしながら、ジョルノは忙しく頭を回転させていて、理性を立直らせている。
切り替えの早い男だ、昔から。
離脱したとはいえ、フーゴは口座が凍結される前に軍資金を確保していってくれたし、
結果的にネアポリスを押さえて、つきあいのあった連中が刺客に差し向けられることも防
いでくれた。それはジョルノやトリッシュというより、ブチャラティへの忠義立てだった
ようだが、かれらはそれで助かっていた。全てが終わってネアポリスに凱旋したとき、い
つもの天使のような顔を緊張に強ばらせて現われたときのフーゴを凝視していたブチャラ
ティが、かれを再び迎え入れることをジョルノに進言して、かれは新パッショーネの幹部
になった。貴族的とも見える高圧的ないつもの態度だったが、指先は隠しようもなくぶる
ぶる震えていた、あの日のフーゴのことを、ジョルノは忘れられないでいる。かれには、
いちどその一生一度の失態とかれの信じる罪を償う任務に当たらせてスッキリさせる必要
があるとかれとブチャラティは思って、先年その機会を得た。晴れてかれは腹心の参謀と
して仕えてくれている……。
トリッシュも、だいたいのところは時々姿を見せてフォローをしてくれるミスタから聞
いている。アバッキオがぎっくり腰をやってブチャラティが看病のために一週間も急に休
暇を取ってジョルノが荒れたとか、ブチャラティの娘にスタンドが出て助かったとか、就
任早々のブチャラティにセクハラを働いた上院議員をミスタとナランチャが始末したとか、
だいたい。
「かれらの間には、もう入り込めないわよ。解るでしょ？」
「……ええ」
……解ってないわね。
なんだか、ブチャラティの得意技が自分にも身についたような気がしてきたトリッシュ
だった。
「アバッキオは……あなたにはどうだったか知らないけど、あれで堅いひとよ。配慮も出
来るし、弱いものに優しい。責任感もあるし……いいひとだと思うわよ」
「それでも」
「まああなたもそこらへんの男にはできないことをやってのけた男だけどね」
「そう思うならッ」
「だって、タイミングだもの。いかんともしがたいわよ」
「タイミング」
ジョルノはおうむ返し。
「時間の流れって言うか、ハッキリ言って年。ふつうの女性なら、５つも年下の男の子を
相手になんて、思わないわよ。たとえ、イタリア全土を支配してる組織のボスでもね」
「あのひとはふつうの女性じゃあ」
「何いってんの。普通に面喰いだわよ」
いや、普通以上に面喰いだ。ジョルノのことも、それで味方に迎え入れてくれた。そし
て、それだけ。
「……まだ若造ですが、金銭的に不自由はさせません」
傷付いた顔でジョルノは言った。
「そういうことじゃないのよ」
トリッシュは頭を振って斬り捨てる。
「外見的要因でも、ぼくにかれに劣っているという要素は見いだせません」
「そうね、身長も伸びたしね」
……本当に、逞しくなったこと。
トリッシュはジョルノを見下ろしながら感嘆する。出会ったときはたいして背丈も変わ
らなかったのに、あっという間にほぼ２メートルの長身に育って、それなりの筋肉も纏っ
た。細っこい美少年だったのに。今はどんなたたき上げのギャングをも圧倒できる美丈夫
だ。
「大学だってちゃんと出たし、フーゴに言われてクソつまらない教養も身につけました。
ハイドンとベートーヴェンの違いも判ります」
「あら、それは素晴らしいこと」
冷淡にトリッシュは背を向けようとした。
「オペラとミュージカルの違いも」
「今度行きますか？」
手を取って、ジョルノは付け加えた。
「さりげなくそんなこと入れてくるテクは誰に習ったのよ？」
背中越しに、トリッシュは呆れた声を出す。
「そこは、自習です」
ふてぶてしい笑みが、一瞬蘇った。つい、トリッシュは身を翻してその頭を抱いていた。
……ヤバッ！
トリッシュは我と我が身の行いを省みて総毛立つ。
「あなたのことは、尊敬してますよ。守られるだけの存在から、あの旅の中で進化した。
個性的な自分の能力でぼくたちを守って闘ってくれた。あなたの目覚めがなかったら、
ぼくらはサルディニアにたどり着くことなく全滅していた。
傷付いて、保護されるだけの存在に留まらない。それは、初めて逢ったときから見せて
いたあなたの美点。魂の力です。もちろん姿形も美しくて魅力的ですが、あなたの尊さは
そこだけではない」
ジョルノの声が、蜜のように耳を満たす。トリッシュは震えていた。
「トリッシュ、……ぼくを見捨てないでください」
囁くような声が、なんとうっとりさせることか。
「見捨てたりなんか、しないわ」
トリッシュは大きく深呼吸しながら、考え考え返答した。
「大人の女性は、５つも年下の男なんて相手にしないって、言いましたね」
「え、ええ……たぶんそうよ」
少し、引いている、揺らいでいる。ジョルノは例外に、なる、かも……。このジョルノ
の口説きを無視し通したのだからやっぱりブチャラティは凄い。
「同い年ならどうです……？」
「って？」
「あなたにとってのぼくはどうなんです？」
「ちょっとッ……」
……ついさっきまで、ブチャラティが忘れられないって泣いてた同じ口で何いうのこの
コッ！？
惑乱するトリッシュに、ジョルノはぐいぐい頭を胸元に押しつけてくる。
……ちょっとッ、そこ敏感なの、鼻先当てないでッ！
「ジョルノ……」
トリッシュは言葉を失った。
綺麗なジョルノ、遊び慣れていて、いつも年のわりにゴージャスで洗練されたところに
連れて行ってくれた。組織のボスだから知った世界もあるだろうが、もともとネアポリス
でも密かに遊び人だったらしい。
年相応に踊りに行ったり、ちょっと映画を観たりといった友達ぐらいなら何人もいた。
本気で交際を求められたことだってある。それをいつもなあなあで断ってきたのは、ふて
ぶてしくて綺麗であぶなっかしいこのギャングのボスがどうしても忘れられなかったから。
「慰めてもらって、いいですよね？」
琥珀の瞳が、潤んで見上げてくる、すっかりカールのほぐれた前髪。自分だけに見せる
弱い姿……。いや、絆されてはいけない、これは単純に、今淋しいのをおんなの身体で紛
らわそうとしている遊び人！
ドドドドドド！
……ちょっと、なによこの空気の重さ！？
トリッシュは息苦しくなった。
ジョルノも必死だ。ここまで恥と心底を晒してしまった女性を、もう、自由にさせては
おけない。ものにして、取り込んでおかないと破滅する……いや、そういう保身的なもの
でなくて、心の底から孤独と無力感に怯える自分を、今ここで輝いている女性に包み込ん
で貰わなくては死んでしまいそうだ！
トリッシュを獲得しなくてはならない。それは、今現在だけでなく、この先生きていく
ための根源的な課題だと本能が告げている。きれいで、強くて、率直なトリッシュ。対等
にものを言ってくれる貴重な存在。
「あなたが欲しいんです、トリッシュ」
今やジョルノは本気でトリッシュを口説きに掛かっていた。
……いやだ、ほんと遊び人なんだから。ブチャラティに純愛を捧げてるなんていって、
もう周りが困るほど昼日中から口説きたおしてるくせに、遊びの相手はフーゴが把握しき
れないぐらい数限りなくいて。でも誰にも心は許さなくて。そんなのと付き合うなんて、
信じられない。あたしは堅い男が好きなの。アバッキオやフーゴみたいに、１人に決めて
誠を尽くすような……。
……トリッシュ、あんたは、あたしみたいな恋をするんじゃないわよ。あんたのことを
守ってくれる……
母の声が蘇る、が、トリッシュは耳を塞いだ。
……ああッ、母さん、あたしダメッ！
守ってくれなくて良いッ！ 優しくしてくれなくて良いッ！ 末永く愛を誓ってくれな
くてもいいッ！ 今あたしがこのコに優しくしてあげたいのッ！ 後悔してもいいッ！
「トリッシュ？ ダメですか？」
頭を押さえて仁王立ちしたトリッシュに、ジョルノは不安げな目を向けた。
「シャワー使ってくるからッ！ あんたちょっと奥の部屋行っててッ！ そこ右のドア！
泊まったりしないでね！ 誤解するんじゃないわよッ！ 今夜だけよッ！」
恥ずかしさにキレ加減に怒鳴りながら、トリッシュは大至急シャワーを浴びに行った。
それから、真っ赤な顔をしてトリッシュが湯上がり姿で現われると、ジョルノは電話を
済ませて、表に待機させていた車を帰したあとだった。
「奥の部屋、行っててって言ったでしょッ」
高圧的なのは、普段通り。
「あなたはそのほうが、らしいです」
へらりと笑って、ジョルノはトリッシュを抱き上げた。
「だって、連れて行ってあげたいでしょ？ さあ、どちらです？」
トリッシュは自分の心臓の音が聞かれないように、身をちぢこませた。
「みぎ……」
「いいんですよね？」
ベッドに横たえると、低い声で、最後に言質を取りに来る。
「……できてても、できてなくても、責任取らせてやるから。あたし初めてなのよ？」
「それは困るな」
ククッと笑って、ジョルノはトリッシュに覆い被さった。
「あなたとは、ずっと、友達でいたい……大切な」
「バカ……」
「……ラティッ……あ」
凍り付いた寝室に、深い溜め息が響いた。
「ジョルノ、あなたって最低」
「すみません、トリッシュ、そうじゃなくて！」
「いいから。もう寝ましょ」
「すみません、あの、ごめんなさい……」
「……謝るならしなければいいのよ」
深い絶望と、温かいいたわりがあった。
「女の子の初めての夜に、ひどいわあ、ジョルノ」
それでもしたたかな彼女は、思ったことを言ってやらずにはおれない。真っ直ぐ叩きつ
けるのではなく、笑い含みに、揶揄るように……。
翌朝、酒が抜けると共に理性の呼び覚まされる時間が訪れて、ジョルノは泡を食って花
を買いに行って、事態の収拾にとりかかることになる。
「ジョルノ、トリッシュんち泊まったみてーだな」
ミスタが下っ端の動きをかぎ付けて、参謀に報告に言った。
「おや、そうですか。じゃあ、結局収まるべきところに収まったんですね」
「まだもう２、３転しそうだけどよ。大筋じゃあそーゆー感じ」
ミスタの笑顔は弟を見守る兄のものになりつつある。
「うちうちでになりますかね？ 立会人はフィレンツェとネアポリスと？」
「そーゆー細かいところはお前に任すよ、フーゴ」
ボスの孤独な魂がやっと落ち着き場を見つけたようなのを察して、新パッショーネの最
高幹部達はほっと顔を見合わせていた。
６）愚痴り出す ：ナランチャ
全てが終わったあとの、ネアポリス。アジトも引き継ぎが終わって、ささやかな別れの
宴が持たれた。
「あーあ。もうこんでお別れかァーッ」
ナランチャの声が響いた。
「ああ、そうだな」
アバッキオの声も湿り勝ちだ。ブチャラティはジョルノの後ろ盾となってローマに詰め
ることが決まっている。アバッキオは、リタイア用にブチャラティが用意しておいた海辺
の家に移って子育てだ。それは身の安全を図っているだけで別離じゃあないと、このとこ
ろのブチャラティはところ構わずアバッキオに言い聞かせている。
「ミスタはいいよなーッ、ブチャラティとジョルノと一緒にローマで。幹部の地位は約束
されてるんだろ？」
「あは、まーな」
陽気な男はグラスを掲げて見せた。フーゴの託宣をはねのけてジョルノに賭け、身体を
張って勝ち残ったのだ。それくらいは当然だ。
「フーゴもグリマルディーニさんちの子になるんだろ？ 髪も服も大人しくなっちまって
よォー」
「仕方ないじゃないですか」
黙って飲んでいたフーゴが応じた。帰参を認められたのは幸運だった。グリマルディー
ニ老からの取りなしがあってのことだ、跡取りのいない彼のもとで後継者教育を受けるの
も恩返しのうちだ。
「なんでネアポリスに残るはオレだけなの？ オレたち勝ったんだよね？」
ナランチャの声がグチっぽくなる。
「勝ったからだろ」
アバッキオの眉間に皺が寄る。分かり切ったことを言うなと哀しみや寂しさが怒りに変
容し始める。
「オレこの年でガッコ行くの？ えー？ クラスの連中にバカにされたりしねえ？ なー
フーゴ、フーゴの探してくれたガッコ、もしかしておまえが行ってたようなお坊ちゃん校
だったりしねえ？」
「まさか。公立校ですよ。学年は違いますけどニッコロもいます。頼んでありますから、
大丈夫」
ニッコロとナランチャは３つほど離れていなかったか、アバッキオがちょっと頭を巡ら
せる。
「なんでみんな行っちゃうんだよ、ひでえよ」
また逢えたと思ったフーゴが、もう遠い存在になってしまったことが、じつは一番堪え
たらしい。寂しがりだ、とフーゴも、ブチャラティも、かれを評していたとアバッキオは
思いだしていた。
「ずっと一緒なんて事、ありえねえよ」
アバッキオは自分に言い聞かせている。アバッキオこそが、ブチャラティとずっと一緒
の日々を強く願っていた筈なのに。
「なんでこんな事になったんだ、オレは、ポルポからの仕事をちゃんとこなして、ブチャ
ラティが偉くなって、そんでみんなとずっと一緒にいたいって思ってただけなのに、なん
で」
ナランチャは涙声になっていた。アバッキオは心中それに深く同意する。
ジョルノの夢に乗ってしまったから。トリッシュを、守らなくてはいけないと思ってし
まったから。
覚悟の旅の結果の勝利は、少年達を思っていた以上の大舞台に押し上げてしまった。
「いい加減にしやがれこのクサレ脳味噌がァーッ！」
フーゴがキレた。瞬時に詰め寄って、ナランチャの襟首を捕まえて締め上げると、強烈
な頭突きを喰らわせた！
「だったら死んでもブチャラティと一緒にいたいって言い張って、腰巾着みたいにローマ
についていけばよかったんだッ！ きみはしがらみがなんにもないッ！ 希望を聞いたと
きに真っ直ぐそう言えばよかったんだろッ！ 自分で決めといて勝手に寂しがるなッ、こ
の脳味噌の有効活用の足りない無脊椎動物がァーッ！
きみなんかまだマシなんだぞッ！ アバッキオはブチャラティと別居だッ！ 田舎町に
１人で行って、慣れない子育てをしなくちゃならないんだぞッ！ この街でならともかく、
知らない町で、シングル・ファーザーで！ どんないやな噂を立てられるか解らないって
のに！ それに、このひと山の出だから海鳴りに慣れてないんだッ！ ブチャラティと一
緒ならまだしもこの先海の荒れる季節に子供と２人っきりって！ どんな罰ゲームかと思
うだろッ！
ミスタだって、ブチャラティとジョルノと一緒だけど、これから本拠地に乗り込むんで
すよ？ 幹部会の年寄りどもが、ボスを倒してくれた若造が破滅するのを手ぐすね引いて
待ってる、次には自分が組織を手に入れるために。命の危険ならこれからの方が多いんで
すからねッ！
ぼくだってッ！ どうごまかしたって、グリマルディーニの孫が赤ん坊の頃に死んでる
のは事実だ。どこから馬の骨を引っ張ってきたか、ネアポリスの社交界は鵜の目鷹の目で
ぼくのあら探しを始めるでしょうよッ。これから神経をすり減らして後継者教育とやらを
受けて、それから、ローマのボスにも忠誠を見せて真の信頼を勝ち得なくちゃならない。
絶対失敗できないのはぼくなんですからねッ！ きみだって、マジメに学校ぐらい行き
なさいよッ」
「フーゴ」
アバッキオが立っていって２人を引き分けた。海辺の町の生活について、具体的にヴィ
ジョンを持っていなかっただけに、弱点を突かれて顔面蒼白になっている。嵐の日の海鳴
り！？ いったいどんな地獄を見ることになるのだろう……。
「オッタービオですッ」
そこのところは切り替えが早い。フーゴは乱れた髪を撫でつけて、ぐっとスーツの両襟
を持って前身頃をきりりと整えると席に着いた。
「……ごめん、ごめんよ」
ナランチャが小声で謝った。
「ぼくの方こそ、失礼しました。まだ忍耐力がたりないようです。努力します」
フーゴも、声のトーンを落として言った。
「……バラバラにはなるけどな、これで終わりじゃあねえから」
アバッキオが、考え考え口を開いた。
「そう、そーよ」
ミスタがホッとしたように乗った。
「一緒にあの旅を闘って、生き残ったんじゃねえか。それ以前に、ずっとおれたちは、同
じチームの仲間として、ここで一緒にやってきたろ？ そのことは、消えてなくなっちゃ
いねえよ」
「ええ」
フーゴが肯いた。
「おまえは、ブチャラティにも、ジョルノにも、おれにもミスタやフーゴにも、無くては
ならない仲間なんだからな？ これからも。
マキーシのうちにも、来てくれ。いつでも腹一杯食わしてやるから。学校は、行ってお
いた方が良いぞ。またそこで、いい仲間に出会えるかも知れない」
「算数以外でも、勉強はいつでも見てあげますから、どうぞ。
但し、私邸（うち）に来るときはともかく、オフィスに来るときは制服を着てきてくだ
さいよ？ お行儀よくして」
フーゴが言い添える。
「ハハハッ、坊ちゃん、表のオフィスでもフォークブッ刺すとまずいぜぇー？」
ミスタが笑いを取ろうとする。
「そこのところは、ええ、自重しますから」
フーゴは苦笑して見せて、場はようやっと雰囲気を取り戻した。
「諸君、遅れてすまなかった。や、あらかた片付いたな。……わたしの分は残ってないか？」
シマのいろいろで引っ張りだこになっていたブチャラティが帰ってきた。さあ、お別れ
会はここからまた盛り上がる。
７）ウワバミ ： ブチャラティ
そこはサムソンという名の、ネアポリスではちょっとは知られたバー。ネアポリス湾に
映る夜景を見下ろす絶好の立地を、苦み走ったちょっといい男のバーテンダーが取り仕切
り、客は地元の名士ばかりという高級店だった。今宵は少し雰囲気の違った客も混じって
いる……？
よく日に焼けた赤ら顔の、片腕のない男。恰幅のよい上司らしい男に引き連れられて身
を縮めるようにして入ってきた。従えているのは、まだ高校生にも見えるブルネットの少
女。一応スーツを着て、らしく装ってはいるが、咲き初めた花のような初々しさが抜けき
れない。そして、この地を表裏から広く深く取り仕切っている小柄な老人。
「いらっしゃいませッ」
店長が飛んできて、奥のＶＩＰルームに案内する。万が一にも粗相があってはいけない
相手だ。
「ポルポさん、こんな立派なところにお連れいただいても……ポルポさんの恥にならない
かおれは心配で」
ネアポリスの下町のチームリーダーは、まだ居心地悪そうにしている。側の小娘の方が
堂々と見えるくらいだ。
「大丈夫だ。個室だし。わたしにグリマルディーニさんがついていたら、このネアポリス
でまずいことになることはないさ」
ポルポと呼ばれた男は鷹揚に笑ってみせる。
「左様ですじゃ」
グリマルディーニも人好きのする顔を綻ばせて、メニューも見ず適当に一同の飲物を注
文していた。
「ブチャラティにはなにか軽い物でも飲ませてみますかな？」と、ポルポを窺う。
「グリマルディーニさん！」
片腕の男は縮み上がって抗議した。
「こいつはまだ１６になったばかりですッ」
「１６になったんならいいじゃないか」
ポルポが無造作に言った。
「はい、１６になってます」
目を向けられたブチャラティは、勢い込んで肯いて見せた。
「そんな、小娘に、もったいねえ。こんな店に連れてくるだけでも店の格が落ちるんじゃ
ないかとおれは心配で」
片腕の男はブチブチと心配を言い募る。
「ポルポさんのお連れなんだから、格がどうのということはないぞ。それに、ここは儂の
店じゃから、艦長、おまえさんの心配する筋じゃあない」
老人はにこやかに、しかし反論する隙を与えずに言い渡した。
「艦長、わたし、少しだけ試してみたいです。アジトでもいつもひとりだけ水で」
リーダーを窺うように、ブチャラティはそっと切りだした。
「おまえだけじゃあねえ。１６にならない間は誰でも水だッ、うちのチームは」
「ならなおさら、飲ませてやるべきだな」
ポルポが少し笑みを見せて、ほとんどジュースのような甘いカクテルを注文してやった。
ポルポの手が付いて数ヶ月。死ぬ気で身につけたスタンド能力もなかなか使いでがある
ことが徐々に判明し、幹部候補生としてネアポリスの地区会議での披露目もした、今夜は
その打ち上げなのだ。
「こんな小娘が、もったいない」
そのブチャラティを自分の娘と重ね合わせて見ている節のある艦長は、まだブツブツと
文句を言っていた。
暫く歓談するうちに、注文の品が運ばれてきた。酒席のマナーなどを、艦長は口うるさ
くブチャラティに仕込んでいく。若き幹部候補生は、いちいち肯いて、的確にそれを覚え
て実践してゆく。微笑ましく見守っているていで、グリマルディーニ老はそれを冷静に検
分して、確かにこれは力を入れて育てる価値があると確信する。
「じゃあ、ブチャラティのデビューに乾杯」
ポルポがグラスを掲げた。
「そんな恐れ多い……乾杯」
「乾杯」
「ありがとうございます」
皆がグラスを触れあわせて、酒を口元に持っていった。
「少しずつだぞ、音を立てるなよ？ ヤバイと思ったら行儀よく止めるんだぞ？ 礼儀と
してなら唇を濡らすだけでいいんだからな」
口やかましい艦長を、グリマルディーニ老ははっきり微笑ましく見守った。
「どうだ？ フロラ」
ポルポも目尻を下げて、名で少女を呼んだ。
「オレンジジュースの味しかしませんけど」
「生意気言うな」
艦長には、もうブチャラティが味オンチだと言うことが解っている。チームのバジリオ
が食費をピンハネしてトマトの缶をふつうの半分しか使わないでいかさまなスープを作っ
たとき、流石に皆が不平を言ったのに、ブチャラティだけは平気な顔をして平らげていた。
塩の振り方もあんまりアバウトなので、食事当番は必ずもう１人ついて見てやることに裏
で決まったぐらいだ。
「まあこれはそういう酒よの。そうやって、女の子に数飲ませて潰すための。気をつけるん
じゃな、ブチャラティ」
グリマルディーニ老が笑いかける。
「ヴィットーレ、おまえのところのあの背の高いの、あれは、一口で真っ赤になっておっ
たな。自分でも判っておったのか、そこから先はのらりくらりかわして一向に飲もうとは
しなかった。立ったときには足がよろけておって」
「フランチェスコですか？ それは、不調法を」
艦長は眉根を寄せた。
「昔の話だ」
当然自宅に連れ込んでさんざん弄んだ。ポルポも痩せていて一応見栄えがした全盛期の
話である。
「へえ」と、ブチャラティは聞いているのかまたグラスを取り上げる。大人達が止める間
あらばこそ。
「あ、おいッ」
「おやおや」
「ほう」
「おいしい」
ごくごくとそのスクリュー・ドライヴァーを飲み干して、ブチャラティは珍しくにっこ
りした。
いつも無表情な少女の面（おもて）に、一気に花が開く。伝説のような、珍しくも、ま
た見たいと思わせる魅力的な花……。
「……傾城の素質があるんじゃないか、この子は」
この笑顔を再び見るためなら、一城を傾けるほど金を費やすのも意味があると思わせる……。
ポルポはふと傍らのグリマルディーニ老に冗談を言った。まだ冗談のつもりで。
「まだ子供ですからッ！ ポルポさん、味がわかってないんですよ。こういう子にはジン
ジャーエールでもやってくだ……」
「顔は熱くなってこないか？ もっと飲んでみるか？ うちでは何か飲んでいたのか？」
艦長を無視して、ポルポはブチャラティを構った。
「別になんとも。父が地物のワインを食事時に飲んでるのを相伴してました」
ブチャラティは得意そうに顔を輝かせる。
「なんて親だ」
ポルポの顔が愉快そうに緩む。
「それは水で割ってかね？ いくつの頃からだ？」
「ええと、学校に上がる頃には割らないで飲むようになりました」
「はははははッ、これは英才教育だ。ポルポさん、水割りでもやってみますか？」
もうグリマルディーニ老はベルを鳴らしている。
「この際だから、色々試してみるか。スコッチのいいのがあったろ」
「ブランデーも入れたが最後誰も手を付けてないのがありますよ」
「ポルポさんッ！ グリマルディーニの！ お遊びが過ぎますよッ」
「いいじゃないか、ヴィットーレ。ネアポリスの幹部候補生が、このポルポが面倒をみて
やっている子が、ほんのちょっとの酒でこまされておもちゃにされるってのも面白くない。
この子には自分の限界を教えて置いた方が良い」
「あ、はい、教えてください」
けろりとブチャラティは場に乗っかった。
「ワインは料理当番の時に少し貰ってたんですが、とくにどうとも思いません。あ、白と
赤の区別ぐらいはつきますが、ええと、産地とか年ごとの作柄なんて難しいことは、ちょっ
と」
「年代物とヌーヴォーの違いぐらい判ってくれ、もったいないッ」
お余りを自分で頂戴する程度の役得もまるきり拒絶する一本気な艦長はうちひしがれて
テーブルに手を突いた。
「スコッチとバーボンの区別もつかんのか」
絶望的になりながらグリマルディーニ老が、提出させた在庫一覧を見ながらさすがに呻
いた。
「あ、ラムは解ります。匂いが甘いので」
「ラムな、ラムだけ」
ポルポはいっそう愉快そうに言った。
「……これは禁じ手で。未成年の小娘にこんなものを出したなんて、いやらしいことを期
待しているようなもので男のプライドにも関わろうっていうものですが」
グリマルディーニが小声で最終兵器をポルポに検討する。
「割ればなんとでもなるだろう。この際限度というものを知っておく必要もあることだし」
「アルトゥロ！ あの、ウオトカでなんか出してやってくれ。似たようなのがあればそれ
でもいい」
「グリマルディーニさんッ！」
艦長の悲鳴が上がった。
「ご命令ですからやりますけどね？ みっともないことにならないといいですが。うちは
女のスタッフいませんからね？ 正体をなくした若い娘の介抱なんて、そりゃうちの黒服
はしつけが良いですけど、何があっても知りませんからね？ 胸やらなにやらちょっと揉
むぐらいはしますよ普通？」
バーテンダーは抵抗を見せた。ひとの理性を失わせるものを調合して出すという職務上、
客の注文にも異を唱ええる権利があると心得ているプロである。
「いいからやれ」
重ねて言われ、表情を消して、アルトゥロは引き下がった。ややあって、氷に閉ざされ
た川の水を汲んできたような白く濁ったカクテルを、氷を砕いて入れたグラスに満たして
現われた。
「どうぞ。とりあえずバラライカにしてみました……火気厳禁です、注意して」
「わあ、ありがとうございます」
さすがに店の酒を一杯ずつとはいえ総ざらえしたあとだ、ブチャラティは頬を染めてグ
ラスを受けとった。
「やっと嬉しそうな顔をしたな」
ポルポも相好を崩してみせる。
……そんな、やばいですよポルポさんッ。
艦長はもう肝を冷やしまくっている。若い頃から綺麗な子には男女問わず目が無くて。
自分のチームからも２，３人、ポルポの毒牙に掛かったギャングを出している。それにし
ても、こんなに入れ込むことがあっただろうか。こんな、色気もないような小娘に。いや、
日頃色気という物を全く見せないブチャラティだからこそ、この無意識の媚態が珍しくて、
与えずにいられない……？
「おいしい！ これは気持ちがうきうきしますね！ ああ、なんだか楽しい！ あははは
はッ」
ああ、笑った！ こんなに顔を綻ばせて！ 楽しそうに、おいしそうに、まさか、これ
がどんな猛者も一口でノックアウトするような強い酒とも思いもしないで！
「こら、そんなに勢いを付けて飲むんじゃない。ああ、なんて飲み方をするんだこの子は。
酒がもったいない。アルトゥロ、こういう子向けになにか考えてやってくれ」
困らされるのも楽しみのうち。ポルポが苦笑してアルトゥロに言いつけた。そんな、オ
リジナルのカクテルを捧げられるなんて、どんな映画女優の扱いだ。グリマルディーニ老
は成り行きを面白がっていた。
「……ッ！ ここは儂が持ちますから」
「いや……わたしに恥をかかせないでくれよ、グリマルディーニの」
「申し訳ありやせんッ」
勘定書を見て年長者達は色を失い、そして、前途有望な女性幹部候補生の育成には制限
が掛かった。
「フロラには……飲ませるな。どうしてもというなら、普段飲みの安いやつに、アレを混
ぜてやるんだな」
「へえ……」
「ご馳走様でした！ とっても楽しかったですッ」
ブチャラティはひとり、また連れてきてもらえないものかとゴキゲンになっていた。
８）脱ぐ ： ミスタ
その夏、ブチャラティが自らスカウトしてきた男は陽気なガンマンだった。
「いやーこのチームはリーダーは美人のねーさんだし、賄いはうまいし先輩達は気の良い
バンビーノだし、サイコーだぜ」
酔って気さくにその先輩達とも絡む。
「あっはー！ イイ気持ちだぜー！ なんか暑くなってきたな」
独特のセンスのニットを、大胆に腹からめくり上げて脱いだ。
「どーよこの腹！ スッキリ引き締まって見事に割れてるっしょ？ もー彼女たちが触り
たがって大変！」
「触んのか？ 女ってそんなのが好きなの？」
ナランチャが興味深げに相手をしてやる。
「そういう男（ひと）にはそういう女（ひと）が寄ってくるんですッ」
フーゴがやや態度の温度を下げる。
「腹出すのはどうかな？ 冷えねえか？ ガキの頃からマンマにお腹出しちゃいけません
とか耳タコだったんじゃねえか？」
アバッキオが真面目なところを見せる。
「やっだーン！ だから敢えて出すんじゃねーの。いつまでもマンマの言うこと聞いてる
いい子ちゃんじゃあーねーよッて感覚、理解（わか）んねーかなー？」
ミスタは上半身裸で両腕を挙げ、腰をくねらせる。
「そっかー」と、ナランチャは素直に尊敬の念を露わにしたが。
「解るかッ」
良い子ちゃんだったアバッキオはコンプレックスを思い出して声を荒げた。今でも全裸
では絶対寝こけたりしない。
「ああ、おまえはそうだな、そういうことだったのか」
ブチャラティがひとりで納得しているからアバッキオはさらに逆上するが、言語能力が
追いつかない。やっぱり行為の後ごそごそしているのを艶消しだと思っているかと思い至っ
て、恥ずかしいやら悔しいやら。
「じゃあ大サーヴィスして、全ストーッ！」
止める間もあらばこそ、調子に乗ったミスタはパンツもその下も脱いで完全に裸になっ
てしまった。
「止せッ！ 女性もいるんだぞッ」
とりあえずアバッキオはそれだけ言ってみたが、体育会系の職場で実はそういう宴会に
は慣れている。かえってブチャラティにそれを知られたくないから言ったというのもある。
なにせ、彼女はネアポリス市警の星だったアバッキオ巡査に過大な夢を抱いている……。
宴会では脱ぎ芸が定番、ビールと偽って小便を勧めるなんてかわいい冗談のうちだった
なんて、絶対知られてはいけない……。
「別に珍しいとも思いませんね。ぼくら、ミケランジェロとか普通に見て育ってますし」
こういう手合いはキャーキャー言うのもつけあがらせるだけ、と達観したフーゴが言っ
てのけた。
「ばーっか、そこがお子ちゃまなのよー。ダヴィデ像なんか参考にしてちゃダメよーん、
あれはお子ちゃま。大人は違うの」
「ええ、ダヴィデ像にはすね毛はありませんよね」とフーゴが冷淡に斬り捨てる。
「ちょっとーォ！ 小僧ちゃん違うってーほらここ！」
ミスタは身もだえして股間を指さす。
「ミスタもけっこーでかいなァ」
素直に股間を覗き込んで、ナランチャが無邪気に相手してやっている。相棒の無邪気さ
にフーゴが舌打ちする。
「ここッ！ よく見ろって。小僧ちゃんたちほんとお子ちゃまねー！ 大人の男はこうなっ
てなきゃー！」
ミスタは誇らしげに大人ヴァージョンの局部を突き出した……！
「えッ？」
「おいッ」
さすがにアバッキオも目を剥いた。黙ってグラッパをラッパ飲みしていたブチャラティ
が、凄艶な笑顔を向けた。
「レオーネ、確保しろ」
「Ｓｉッ」
アバッキオは一言で従った。隆々と「臨戦態勢」にして見せて得意げなミスタの背後に
立って、一瞬で両腕を極める。
「へッ？」
背後を取られるなり極上の笑顔のリーダー様に歩み寄られて、ミスタが面食らった。と、
アバッキオの腕が首筋に絡みついて、意識を失わせた。
「あ」
締め落とされたときの通例、ミスタは失禁していた。
「済まねえッ」
アバッキオは青くなったが、ブチャラティは構わなかった。
「フーゴ、ペン。マジックインキが良いな」
「Ｓｉ」
フーゴはすぐに察して従った。ナランチャはついて行けずにキョロキョロしている。
「ミスタ、うちはそりゃあ下町のギャングだが、それにしたって最低限のマナーは心得て
貰わなくちゃ困る」
ゴキゲンなリーダーは、フーゴに持ってこさせたペンのキャップを取った。ゴゴゴゴゴ
と、恐るべき圧力がスタンド能力者たちの意識を圧している！
「これがご自慢のブツか？ これで何人彼女を啼かせてきたんだ？ ふふん」
「ちょ、フロラ……」
「手が汚れたな、洗ってこよう。わたしはもう寝る。諸君はあと流れ解散で。戸締まり頼ん
だぞ」
「フロラ、待てよ……」
アバッキオが泡を食ってブチャラティを追っていった。
「ちょ、アバッキオ、これ掃除すんの誰？」
ナランチャが金縛りから解けたように声を絞り出した。
「決まってるでしょ、新入りです」
フーゴが冷たく言い捨てた。
「帰りますよ、ナランチャ」
「えーもうちょっと遊ばねー？」
「へくしゅッ……なーそんな怒んなッて。ちゃんとこの通り床はモップ掛けたし」
ミスタは翌朝全裸で目覚めて、自分が放置されていたのに気付いても、悪びれずに先輩
達に挨拶した。
「女性、しかも上司の前で脱ぎ芸って、少しは遠慮したらどうなんですッ」
フーゴは短く斬り捨てる。
「怒んなッて。で、これって誰がやったワケ？」と、いつものニットからはみ出た裸のヘ
ソ下を指して言う。そこには、マジックインキで黒々と、
「ｐｉｃｃｏｌｏ ↓」と書いてあった。
「いやちょっと困るんだけど。ピッコロは無いでしょ常識的に。おれそんな小さくないし」
「ブチャラティはかれのを見慣れてますから」
フーゴにしてはぎりぎりの冗談だ。ナランチャが気付いて目を丸くした。
「どっちにしてもおシモの話題は禁止だッ！」
アバッキオが雷を落とした。
「ってことは書いたのはねーさんなワケね？ うわーなんか腹の上に書かれた感触思い出
したわーなんかクル感じよ。
そんでもって、ここんとこも塗りつぶされてるんだけど、彼女？ 真っ黒にしてくれて。
うわーリーダー様がおれの持ってじーっと見ながら塗ってくれたわけ？ なんか感じちゃ
う……」
とうとうアバッキオが新参者の腹に拳を叩き込んで黙らせた。
「塗ったのはオレだけどね」
「好きに妄想させてあげましょう」
「おまえらッ……！」
「解りました、下品なノリは今日限り。約束します」
「はーい」
少年達は宣誓して見せて、目覚めたミスタも先輩の堅物さを少しずつ理解して、ブチャ
ラティ・チームの雰囲気は次第に固まっていった……。
「いただきますって言ったからには飲んでもらおうか。それともヌルイから飲むのはいや
か？」
その後、恋人の心になにかが起きてしまったことに気付いて苛つくアバッキオが、自ら
その禁を破って大変な目に遭うのは、また、別の話。
２８−０２−１３
蛇足。
最初はほんの掌編のつもりだったのに、どんどん長くなって、８本はきつかった。それよ
り、ブチャチームはトリッシュを入れても７人なのに８枠って、足りないじゃん！ と（最
初に気付け！）、ブチャラティ再登場になりました。苦しかったぁ。うわばみは本編でもブ
チャだったからこれ幸いとオリジナル・カクテル開発秘話に持っていったけど、グチ枠が難
産でした。ナランチャってそんなコじゃないよね。ごめんなさい。ミスタさん脱ぎ芸は即決
でした。 もう本編に大きいネタを入れるのはムリとここで痛感しました。ほんと、生還パ
ラレルの本編との隙間（ネアポリスに帰ってからローマ生活が始まるまで）とか、探して探
して突っ込んだ感じ。今後は「その朝」シリーズはこういうふうに、お題から小さい話を書
けたら書くカンジです。なんとか「その朝」シリーズ（「リヴァース」モードは一本だけ）
中心で書けたので、それで勘弁してください。
お蔵入り覚悟だったジョルトリ初夜が書けたのでよかったです。ジョルトリは二十五年後
ヴァージョン（「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」おまけの続篇）を書いてますがその
うち上げます。