ドラキュラ裁判
その朝（３１）
「ブチャラティのあれはサ、特技なんで、別にスタンドは関係ないんだろ？」
またしてもミスタが物騒なことを言い出した。
「まあそうですね」と、フーゴが軽く流した。
「じゃーさ、おれたちも、練習したらできるようになる？」と、ナランチャが乗ってしまっ
た。
「ナランチャ、他人の顔舐めたいんですか？」
「舐めなくてもさー、汗の掻き方とか、目の動きとかで嘘吐いてるかどうか判ったら便利
じゃん！」
「おーそーよ。だから、おれちょっと手を回して手に入れて貰った訳よ」
「何をです？ まさか」
「ポリグラフか？」
元警官が眉間に皺を寄せて呟いた。
「ああ、そのまさかさ、ポリグラフ」
「えーポリグラフってナニ？」
「ギリシャ語のｐｏｌｙｇｒａｐｈｏｓ（多く書くこと）から派生していて、身体のいろん
な部位で計測した数値を記録・表示する機械です。この機械の出す波形や数値を読み取っ
て分析することによって、被験者の心理状態を推測することができます。つまり、嘘
を吐いている心理状態を見破ることもできると」
フーゴが記憶をたどりながら情報を整理して皆に提供する。
「さーすがフーゴ先生。というわけで、一番判りやすいひとに被験者になってもらって練
習しようぜ」
「一番判りやすいって？」
「まあ、ナランチャも練習したいでしょ？ じゃあ、アバッキオちょっとこちらへ」と、
すぐに察してフーゴがスタンドを呼び出した。いそいそとミスタがベルトを巻き付けたり
電極を貼り付けたりするのを邪魔させないように、後ろからがっしりとアバッキオを羽交
い締めにする。
「抵抗すると、恐い目を見ますよ。仲間を皆殺しになんてしませんよね？」
珍しくワルノリをする天才児だった。
「だが、もうこれはドコの警察でも証拠能力は認められてないはずだぜ？」と、目を瞬か
せながらもアバッキオはあれよあれよと被験者にされてしまった。
「よーっしゃ、ご協力グラッツェ！ じゃあ始めるぞ？」と、ミスタは記録紙の上に身を
乗り出して見得を切って見せた。
「全てＮｏ（いいえ）でお答えください」
「なんだよ？」
ナランチャが目を見張る。
「これが決まり文句なの！
あなたのお名前はレオーネ・アバッキオですね？」
「Ｎｏ」
少しの緊張から、呼吸に連れて細かい波が描かれていた記録紙の上に、針が動いて、大
きな山を描き出す。
「へえ、嘘吐くと振れるんだ？」
「そーよ。これがウソの形な」
ミスタが胸を張る。
「それが呼吸、この針が発汗量で、こちらが脈拍を表わしてます」と、フーゴ。
「下らん」
問題は数値や波形ではなく、どのような問題を設定して、その波形の動きをどう読み取
るか、かなり恣意的なものになるために、導入から５０年の時の試練に耐えられず証拠能
力に乏しいとされてしまったのだ。
「あなたのお年は２０才ですね？」
「Ｎｏ」
「へえ、たしかに同じような形になりますね」
半信半疑だったフーゴも、目の辺りにしてさすがに身を乗り出した。
「あなたはパッショーネのギャングですね？」
「Ｎｏ」
「おお、いいカンジー。じゃあ、
あなたは、今、ネアポリスのブチャラティのチームに入っていますね？」
「Ｎｏ」
もう飽きてきたアバッキオは、眼を閉じてうるさそうに答えた。
「あなたはフロラ・ブローノ・ブチャラティを愛している」
「Ｓ，Ｓｉッ……」
顔を瞬時に赤く染めて、アバッキオが答えると、針が忙しく記録紙の上を往復して細か
な波を描き出した。
「だめじゃーん、そこはＮｏって答えなきゃだめなんだろ？ でもやっぱウソは言えないん
だ？」ナランチャがケラケラ笑った。
「ねーさん女冥利に尽きるねえ」
ミスタも大きな背中を揺すって笑った。
「浮気はしたことはない」
質問は色事方面に集中した。
「Ｓ……Ｎｏ」
ふて腐れたアバッキオが面倒そうに答え、一気に針の動きは小さくなったかに見えた。
「へー」
「当然です」と、フーゴがすまして肯いてみせる。
「そりゃそうだよな。あるって言って見ろ、おれたちがひどいぜ？ アバッキオ」
ナランチャが凄んでみせるのを見て、こいつら仲いいなあとミスタは口元を緩めた。
「昨夜はブチャラティの家に泊りましたね」
「……Ｎｏ」
一時よりは緩やかになったとはいえ、針はまだ記録紙の上を大きな波を描いて動いてい
る。
「ちょっと、あんまりきわどい質問はダメですよ。礼儀を弁えてくださいよ」と、たしな
めたフーゴの胸の携帯が鳴った。
「はい……ああ、おやじさん、どうしたんです？ いいえ、ご遠慮なさらず。構いません。
どうぞ聞かせてください……」
グリマルディーニ老からだ。手で一瞬謝って、フーゴがドアを開けて廊下へ出た。パー
プル・ヘイズは残していく。
「もちろんゆうべはヤッた」
質問が短く端的になる。
「Ｎｏ」
「ひゅう！」
波形を見て、ナランチャが煽る。
「おい、もういいだろ？ こんなんで勉強になんのかよ」
アバッキオの目が忙しく宙をさまよう。掛け時計を虚しく見つめるが、ブチャラティは
会議であと１時間は帰ってこない。
「全ていいえでお答えください」
ミスタは取り合わない。何を聞かれるだろうという恐れで針はもうみごとな振幅で記録
紙の上を踊っている。
「質問を続けます。全ていいえでお答えください。
当然満足させてやった」
「……Ｎｏ」
「えーなんでー？」
「アバッキオ、そりゃないでしょー！？」
二人の絶叫を部屋の外から耳にとめて、フーゴがそわそわしはじめた。
「いえ、なんでもありません。聞こえちゃいましたか？ 済みません、行儀の悪い奴らで……」
驚愕の事実（？）に、二人は面白がって次々ヤバイ質問を繰り出した。
「実は自分は下手なんじゃないかと思う」
「Ｎｏ」
「ブチャラティに愛想を尽かされそうで怖い」
「Ｎｏ……」
「実はブチャラティが初めてだった」
「Ｎｏ……」
「時々ブチャラティの要求を重いと思う時がある」
「………Ｎｏ」
「ホントは男の方が好き」
「Ｎｏｏｏｏｏｏｏｏｏｏｏッ！」
どんどん危ない方向へ向かう質問は小声になってゆき、アバッキオの律儀な返答と、そ
れに対する反応だけが聞こえてくるようになる。
「…………？」
「……Ｎｏ」
「おおおおおおぉっ！」
「…………？」
「Ｎｏ！ Ｎｏ！ Ｎｏッ！！」
「やべーッてそれ！」
「アバッキオ最低！」
「…………？」
「………………Ｎｏ……？」
「うおーッ、ブチャラティってなにげに怖ええ！」
「いーのかよそれで！？」
騒ぎが聞こえないところまで移動していたフーゴは、急に両腕に痛みを感じて携帯を取
り落とした。なんとか取り繕って通話を切り、痛みを堪えながら部屋に戻ると、丁度パー
プル・ヘイズの拘束を死にものぐるいで振り切ったアバッキオが、涙と鼻水を垂れ流しな
がら飛び出してくるところだった。
「アバッキオ！？」
帰ってきて部屋の惨状、ひっくり返されたアームチェアとか、ひとの形にぶち破られた
ドアとか、粉砕されたポリグラフとかを見て話を聞いたブチャラティは、彼のフラットへ
行ってアバッキオを見つけ出したらしい。
「アバッキオは当分使い物にならないようだ。しょうがない、とりあえず今日の夜は缶詰
を食おう」
ごくごく普段通りのとぼけた顔で、事態を収拾する案を出した。
「缶詰？」
ナランチャが目を見張った。
「えーっ、いいよおれがペナルティで奢るからなんか喰いに行こーぜ？」とミスタは屈託
がない。
「わたしが世界の珍味を手に入れたんだ。せっかくだから、キャンプごっことでも思って
くれ」と、チーム・リーダーは実にさわやかに申し出た。
「キャンプごっこ？ 楽しそー！」
すぐにナランチャが食いついた。
「ミスタ、場所だけ提供してくれ」と、ごくごく自然にブチャラティは話を振った。
「あーいーよ。じゃ、ちょっと先行って片付けてくる」
「ブチャラティ、缶詰って、まさか……」
フーゴが気づいて顔を引きつらせる。
「フーゴ、可哀相に、痛いだろうな、その腕」
ブチャラティが艶然と笑いながら思いっきり腕を締め付けた。
「……ッ、なんでもありません」
小１時間もして、アバッキを除くチームの皆がミスタのフラットに顔を揃えた。これは、
ブチャラティやフーゴのフラットとも、アバッキオのとも、ナランチャのとも違う、街の
反対側にあるまだ新しい建物だ。ミスタはよくガール・フレンドを部屋に連れ込むから、
いつもある一定レヴェル以上にはきれいにキープしている。
「最初、なに？ これ……」
缶切りを手に取ったナランチャが怪訝そうな顔になった。
「ハギス。羊の内臓だよな？ 大丈夫、スコットランド人の普通に食うものだ」と、ブチャ
ラティはゴキゲンでナイフを振るって取り分ける。
「普通……ですかねえ」
フーゴははっきり顔をしかめている。
「別に普通に食えるよな」
ミスタは恐る恐るフォークを突き立てた。
「う……うん」
ナランチャもこわごわ口に運んでいる。
「ぼくの口には合わないようです」
両腕の筋をおかしくしたフーゴは、食べさせてくれているパープル・ヘイズに首を振っ
てやめさせた。
「つぎはこれだ」
ブチャラティの出してきた缶を見て、フーゴが喘いだ。
「ヴェジマイト！？」
フーゴはハッキリ逃げたそうにしている。
「ふーん、どこの？」
ナランチャは無邪気に尋ねる。缶切りを使うことが好きなようだ。何も考えずに左手で
缶を受け取った。
「オーストラリアだな」
実に淡々と、ブチャラティは付けて食べるためのパンをそれぞれの皿に載せている。
「へえ、材料は何よ？ また羊？」
ミスタが暢気に尋ねた。
「解らん」と、ブチャラティはあっさり答える。
「解らんって」
「……聞かない方がいいと思います」
顔を青ざめさせながら、フーゴはやっとやっとで飲み下していた。
「そーねー。あんま、おれ、これは好きじゃないかなー」
極上の笑顔で勧められ、缶を空にさせられたところでミスタが引きつり笑顔で呟いた。
「さあ、これがメインだ」と、ブチャラティが出してきたのは、やや膨らんだ缶だった。
「それ、ダメだよブチャラティ。知らねえの？ 膨れた缶詰は食べちゃいけないんだよ？
腹壊すよ」と、残飯あさりをやった過去を持つナランチャが無邪気に言った。
「ああ、これはいいんだ。発酵食品だから、こうなって当たり前なんだ」
「ってことは、ブチャラティ、やっぱり……」
フーゴがすうっと青ざめた。
「シュールストレミング、スウェーデンの。ニシンの缶詰だよ」
アバッキオにも見せたことのない、極上の女神の笑顔、青いネアポリスの海の瞳が、き
らきらと輝いている！ 但しこの場合、女神というのは必ずしも博愛を意味してはいない。
「ああ、じゃ、いただきまーす」と、魅入られたようにナランチャは缶切りを蓋に突き立
てた……。
「ナランチャ、これはそういうふうに開けちゃダメだッ！」
ふと我に返ったフーゴの制止は間に合わなかった。
ぶしゅぅう。
なにか、ガスが出たとナランチャは思った。
刺激臭に眼をやられ、涙が止まらない。
「ちょ、ねーさんこれやっぱイっちゃってるって！」
鼻を押さえてミスタが悲鳴を上げた。
「フーゴッ！ ブチャラティ！ ねえ、フーゴ気絶してるよ！」と、ナランチャは傍らに
倒れ伏した相棒を見てブチャラティに泣きついた。
「やつは鼻が利くからな、可哀相なことをした」
ブチャラティは余裕で微笑んでいた。
「さあ、食べよう。これは滅多にお目にかかれない珍味だぞ」
地獄の晩餐から解放された彼らは、今後絶対アバッキオでは遊びませんと誓いを立てさ
せられた。
「なにがすげえって、あれを全部へーぜんと食べたねーさんの味覚がすげえ」
ミスタがまったく脱帽して言ったことである。
蛇足。
たぶんブチャラティは琵琶湖名産のフナ鮨もへーぜんと食べる。納豆も、くさやも。苦
労して育ってきたから（ｃｆ.その２８ ＳＯＳ）。
ミスタの部屋はたぶんもう住めないと思う。シュールストレミングはお外で食べること
を推奨されてる。
ミスタはもう３回ほどブチャラティの頭の中では殺されている。「みどりのおやゆび」、
「ＳＯＳ」と今回。でも憎めないよねー、得な性分。
ドラキュラ裁判というのは、昔のヴァラエティで、ホントにゲストを嘘発見器にかけて
きわどい質問をしていたコーナーのこと。「××は正直ライヴァルとは思ってない」、
「この年で○○キャラはもうヤバイと思ってる」云々。実は毎回楽しみに見てた。
アバッキオが泣いて逃げ出した質問がなんだったかについては特に考えてない。あなた
の心の中に。でも、だんだんヤバイ内容が累積して、洗いざらいしゃべっちゃったことに
対して心が折れちゃったんだと思う。たぶんブチャラティがスティッキィ・フィンガーズ
で部屋に入ったらベッドで毛布被って怯えてたと。やっぱ、ひどいよねー（笑）。
合わせ技で、みんながきっと思ってる「ぶっちゃけムーディ・ブルースはガキの頃から
夜のお供」とか、「今も時々ムーディちゃんのお世話になってる」とか、「実はブチャラ
ティのことも再生して愉しんでる」とか、「最近ブチャラティ以外のおねーさんを再生し
て愉しんだこともある」方がヤバイかな？ 真剣に答えないで流せばいいのにそれができ
ないアバッキオが愛しいッという方向でおねがいします。
それで、当分使い物にならないアバッキオをブチャラティがどう治したかについては……
なんも考えてない。やっぱり、ホントに吐きそうになるくらいイヤなんだけど正○位で
ヤらせてやる……のかなあ？ うちのおねえさんも結構屈折してるしなあ。でも、なんで
もそっちに持ってくなっていってこの前ケンカしたんだし（ｃｆ．その３０「甘いお誘い」）。
あ！ 思いついた。
おまけ
その朝、フーゴがアジトに出勤すると、当分再起不能であったはずのチームメイトが不
機嫌に新聞を読んでいた。
「あれ？ もういいんですか？」
「あァ」
自分が眼を離した隙に、嘘発見器ごっこで自分と恋人の関係で隠しておきたいことをい
ちいち暴き立てられてしまった不器用男は、チーム・リーダーが再起不能と断言するまで
に傷付いてしまっていたはずだが。
ちょっとした興味から、フーゴは彼のプライドを刺激しないように尋ねてみた。
「ブチャラティが泊まり込んでたと思いますが」
「あァ」
「もしかして、煩かったですか？ あのひとも、あんたのことでは尋常な判断力なくしま
すから。あのお仕置きは正直すごかったですよ。極上の笑顔でぼくらにハギスとヴェジマ
イトとシュールストレミング食べさせましたからね。もうぼく今じゃあ缶切りを見ただけ
で吐き気がします」
「そりゃ、迷惑掛けたな」
「あの時の服は、みんな、捨てたと思いますよ。ミスタなんかフラットも変わって。大家
さんがブチャラティのこと訴えるって」
「できんのか？」悪いのはブチャラティだが、パッショーネのギャングを相手に。
「まあ、無理でしょうけど、黙らせるためには少し金を積む必要はあるようです」
「ホントに……」迷惑かけた、と重ねて言おうとするのをフーゴは手で止める。
「料理を作ってくれようとしたんだが……」と、そこまで言って、哀しそうな目になって
やめる。
「見ていられなかったんですね。ええそうなんです。ホント、あのひと、こっち方面はか
らっきしなんです。その代わり、なんでも美味しく食べられちゃうひとで」あの恐ろしい
３大珍味をいつも通りの涼しい顔で！ と、フーゴは身の毛もよだつ記憶を蘇らせる。
「それはそれで、何があっても生きて行けていいじゃないか」
アバッキオの方は、あっさりと言って心持ち唇を微笑む形に緩めた。
「あんたがそう思うならそれでいいです」
つられて、フーゴも微笑んでしまった。
「とりあえず、今日から台所には立つから」
「どうもすいません」
……ホントに、このひとは変に庇ったり優しくしたりするより、責任を持たした方がしゃっ
きりするな。
そこまで見越してブチャラティは振る舞っているのか、それは解らないけれど。
フーゴはとりあえずの疑問が解けていい気分になった。
（０５−０８−０９）