１
「じゃあ、行ってくる。何かあったら遠慮しないで鳴らせよ？」
珍しく盛装したブチャラティが、何度も鏡を振り返ってから出て行った。貸衣装のイヴ
ニングは、スレンダーな姿を引き立てている。
「いや〜、フーゴ、悪かった。リーダーは、ちゃんと出るところは出てるんだなぁ〜。いや〜
眼福、眼福」と、見送って、感心したようにミスタが唸った。
「だからきみは下品なんですって！ もう少し言い方を考えてくださいよ」
ブチャラティの艶姿が自分のことのように嬉しいフーゴは、少し頬を染めている。
「『アニキ』もまともなカッコしたらまー決まるんでやんの。いやだね、顔のいい男は。
……今日は化粧もしてねえしな」と、ミスタは次には、表でガチガチに緊張して、恋人を
エスコートするために待っていたアバッキオを顎で示す。
「当然。あのタキシード高かったんだから。ちゃんと仮縫いも行かせたし。
……あのひとは、素顔に自信がない女性みたいなもんで、化粧をしないと外を歩けない
と思ってるんです」と、声を落としてフーゴは言った。
「なんだぁ？ それ」
ミスタが頓狂な声を上げる。
「ちょっと前なら仮面を付けたところでしょう。それくらい、もとの素性を消したがって
る。厚化粧をして、『ブチャラティの所のイカレた化粧をした若いもん』にならないと、
過去の自分が消せないと思ってるんですよ。あれぐらいの箔を付けないと、歩かせられな
い。あれでもたぶん、ブチャラティが一晩中付きっきりで暗示を掛けたと思いますよ、
『絶対ばれない』って」
「なあ、服、作ってやったの？ ブチャラティは貸衣装なのに！？」
「ドレスは目垢がつくから１回きりしか着られないけど、タキシードは着回せる。この先
こういう行事も多いんだし、そういうときは、ぼくたちは付いていけないから、あのひと
がその役をするんだし、いいでしょう、この際」
「経費で落としたのか？」
「それはもちろん」に、と笑ってみせる。
「おまえってやり手だよなあ……」と、ミスタは呻いた。
「お行儀良くできるなら、ミスタ、きみにも来年ぐらいから当番を回すけど？」
ミスタは１２月が来ないと１８にならない。まだ酒の出る公式の場には顔を出しにくい
のだ。ギャングにしてはお行儀がよいが、真面目なブチャラティとかくれ堅物なアバッ
キオが年長組なので、このチームではルールは守られている。
「いや、結構。おれは堅苦しい席は嫌いだ……で、なんのパーティ？」
「ネアポリスにもうひとつ、オペラハウスができたんです。川向こうだからうちのシマじゃ
ないけど、工事ずっとやってたでしょ？ その、落成パーティ。サンタ・キアラ劇場だけ
じゃあ回しきれないからって。あそこももう随分古いし、もう少し若い人向けのミュージ
カルとか、コンテンポラリーのバレエ作品なんかをこっちでやるって。 明日のこけら落
としは『オペラ座の怪人』。チケット取るのに苦労したよ。
それで、ああいうのは終わるのが夜遅いし、治安維持の方でファミリーに話を通して、
こっちからもお客さんを守ってあげるように依頼が来たそうで」
「そんで、ファミリー代表で出んのか？ ……そういうの、いつもグリマルディーニのお
やっさんが行ってたんじゃないのか？」と、ミスタは眉間に皺を寄せて、川向こうの昔か
らの幹部の名前を出してくる。
「異常気象のせいさ。あと、ＩＴ」と、短く天才児は答える。
「ああ？」
「最近、天候不順だろ？ 夏は尋常じゃなく暑いし、かと言っちゃ、変な時期に大雨が降
るし。冬はネアポリスでも大雪だったり、別の年は信じられないぐらい温かかったり。グ
リマルディーニのじいさん、身体壊しちゃって、もうこの秋から引退したんだって。
でも、それは口実で、今、マフィアの世界でもインターネットとか、パソコンとかが急
に流行りだして、年寄りはもう付いていけないからって、若いのに押しつけることにしたん
だとも。向こうの若いのから情報貰った。理由は他にもあるけど、大きいのはそれ」
「え〜っ？」
「この秋から、ネアポリス全市がブチャラティの担当になったんだ。って、この前話した
と思うけど……聞いてなかったんだな？ そのうちうちのお披露目も兼ねてるんだろうと
思うよ」
「そりゃあ、おまえ、気合い入るな」
「当然。ブチャラティはぼくがゆくゆくはファミリーの大幹部に押し上げるつもりだから」
「ええーっ？」と、ミスタは身を乗り出す。
「だって、どうせ誰かが締めるんなら、ああいう、無茶をやらない優しいひとに治めて貰っ
た方がいいでしょ？」
「ああ、まあそうだな」
「当分は、いざこざを避けるためにあっちのシマはあっちで管理して貰うけど、あっちの
代替わりがうまくいったらこっちのやり方にどんどん合わせて貰うことになると思うよ」
「いいのかよ？」
「もともと、街の人たちの方で、ブチャラティの方がフォローが行き届いてるからって、
こっちのシマに入りたがるひとがいろいろ出て、それで前から多少の問題はあったらしかっ
たし」
「おまえ、詳しいのね」
「まあその辺は、いろいろ。ここも長いし」
そうそう、もう３年にもなるのだった。預けられていた家の若い衆を２人も半殺しにし
て（残る一人も病院送り。そいつらは彼に親切にしてくれていたメイドを３人がかりでま
わしていたので悪いことをしたとは思っていない）ペリーコロに身柄を預けられ、その部
下のうちでもいざこざを起こし（強盗だと思って退治したら奥様の間男で、そのせいでそ
この家庭が崩壊したのは自分のせいではないと思っている）、やせっぽちのブルネットの
少女に引き合わされて、２人でこの町をまとめていくようにという難問を出されてから。
「やっとここまでこぎ着けたんだなあ」
しみじみとした感慨を抱いて、カレンダーを見やる。おや、そういえば。
絶対そういうことを忘れているであろう不器用男のために、ちょっとした花束でも手
配しておこうか、とフーゴは近くの店のうち、気の利いた花束の得意な店の電話を脳裏に
呼び出した。
２
時計は９時半を指そうとしている。
件名：「見た！ あんたのおねえさん！」
発信者： ルチア
パソコンの画面に、着信有りの表示が出て、フーゴは題名と発信者を確かめて、喜色満面で開けてみた。
来てたよ！ あんたの「おねえさん」と彼！
美人だよね？ スタイルもいいし。目がいいな、輝いてた。優しそうだけど、意志が固
いって感じがする。仕事なにやってるんだっけ？ きっとやり手なんだろうな。
ドレスの趣味もいい！ シンプルなデザインで、色もシックだけど、似合ってた！ 見
立てたのフーゴなんだって？ センスいいね。こんどわたしの服も……ってウソ！ ウソ！
……へえ？ 今度付いていこうか？
話しかけるような生き生きした文体は、彼女のくせ。つい、読みながら相づちを打って
しまう。
「彼」の方もビックリ！ モデルさん？ 俳優の卵？ すっごい、雰囲気ある！ それ
で、おねえさんと息がぴったり合ってるの！ ブルネットのボブにプラチナ・ブロンドの
長髪！ あつらえたお人形みたいにお似合い！ あのジャケット！ 張り込んだでしょ？
結構見る人はあれ見て負けた！ って思ったんじゃないかな。
あんまりしゃべってなかったけど、大人〜な雰囲気出てたって！ もう、そこだけ世界
が映画みたいだった！ いちゃいちゃしてるんじゃないけど、ぴったり寄り添って、誰も
間に入れない感じよ。目と目で会話してたわ！
身の程知らずな女のひとが、ひとり、ちょっかい出しに行ってさ、ものの見事に撃退さ
れてたよ。
……なんで知ってるんだよ。
え？ あたし近くまで見に行ったもん。物見高いでしょ？ そーよ。
突っ込みを見越して説明が入る。まったく、いい友人だ。
「ご紹介してくださる方がいらっしゃらないんですが、失礼ですが、どちらの？」って言っ
たら、
「上司の付き添いで来ているんで」って。結構イケてるおねーちゃんだったんだけど、全
然、眉も動かさないで。手は後ろに組んだままで……ちょっと、セキュリティみたいだっ
たわ。
「あちらは上司でいらっしゃるの？」って、探りを入れてたけど、黙秘で。
「職務で側を離れられません。失礼」って。
おねえさんの方が気がついて、余裕の笑顔で、
「彼はこういう場に慣れていなくて緊張しているんです。失礼をお許しください」って。
さりげなくかばっちゃった。おねーちゃんも必死でさ、
「お仕事は？」って、食い下がって聞いてた。ちょっとしたコンサルタントですって？
あんたも、ナランチャとかいうお友達も、みんなイケてるのに。モデルクラブかなんかの
間違いじゃないの？
「ベアトリーチェ・ブガッティ」って、名乗ってた。芸名？ いつもあんたが言う名前と
違ってたわよ。
……それは偽名。
さすがに、公の場で名前を曝すのはまずい。いつものあれは、たしか本名だったから。
「誰？ それ」
背後に立ったナランチャが、画面をのぞき込んできた。
「ああ、今夜の情報提供者。市内の高校生なんだけど、親が建設関係のお偉いさんで、パー
ティにも出るっていうからちょっとお願いしたんだ」
「引っかけたんだなッ！？」
「こっちが引っかけられたんだよ。いつも行く図書館で。なんか結構前からタイミング図っ
てたみたいだよ」
「くぅーっ！ ミスタ！ ミスタここに裏切り者がいるゼッ！」とナランチャは叫びだし
た。
「ちょっと、やめろよ」
「どぉーすんのフーゴくん、かたぎの女の子に手ェ出して？」
後ろから、ミスタが左腕で首を引っかけるように締め付けた。
「学校とかなんて言ってごまかしてんだよ？」と、横からナランチャ。
「それは、田舎から出てきていい学校に入ったんだけど、神経症でいけなくなって、レポー
トだけうちで書いて提出ってことにしてもらって、日頃は親戚のおねえさんの手伝いをし
てるってことになってる」
「うまいな」
ミスタは圧倒された。
「けっこー事実だしな」
ナランチャは肯いた。
「こういうのは少し真実を混ぜるのがコツなんです」と、転落した天才児はすまして見せ
た。
「パーティまだやってるはずなのに、なんでこんなに長い文送ってこれるんだよ？」
「親が厳しくて、９時になったら帰らされるとか言ってたかな？」
「そりゃ厳しいな。まだやってるだろ延々……あ？」と、開け放した窓から会場のホテル
の方向を望んだミスタが目をすがめた。なにかが光った……？ この季節、この時間に花
火の予定はあったっけ……？
続いて、大音響。
「おい！」
「爆弾！？ まさか？」
「フーゴ！ 携帯鳴らせ！ ブチャラティ！」
「大丈夫！ アバッキオが付いてる！」
３
時間は少し遡って。
「コンサルタントのベアトリーチェ・ブガッティ」のもとには老若男女が詰めかけていた。
「コンサルタントとは、どのような……我が社も是非お付き合い願いたいですが」と、汗をかきつつ手を取る中年の恰幅のいい社長には、
「ええ、何かお困りのことがあれば、お近くの方に、ブチャラティのオフィスに繋いでくれと仰れば、こちらのエージェントが伺うと思います。町の方とは、皆親しくさせていただいておりますから。『情熱』をもって、皆さんのお役に立たせていただきます」と、艶然と微笑んでみせる。これで、解る人間には、パッショーネのファミリーのものだと解る。
「Ｂ．Ｂ．とうとうやったな。これからもよろしく頼むよ」と、正体を知るものには屈託のない笑顔を見せる。偽名を使っているから、相手も気を遣ってイニシアルで呼びかける。
「面倒を掛けてくれないに越したことはないんだが。こちらこそよろしく」
繁華街でいくつもの店を経営する若社長は、親しげに肩を叩いて去った。
「お似合いよぉ。明日のこけら落としも二人で観に行くんでしょ？ 目の保養をさせて貰うわぁ」と、日頃街をうろつく正体を知っているからなお昂奮するご婦人には、
「友人が手に入れてくれたのですけれど、仕事が忙しくて、からだが空くか……」と、苦笑を浮かべてみせる。
「一日くらい、何とかしなさいよ。記念すべき日じゃないの」
記念すべき日。ちょっと、思い当たるところがあるのか、唇をほころばせた。
その唇にも、珍しくルージュが引かれている。
……今夜はとくにきれいだ。
アバッキオは仏頂面を保つのに内心苦労していた。
出がけにミスタがあんぐりと口を開けて、上から下まで舐めるように見つめていた。単純な男だから、いつも化粧をバッチリして胸を強調するトップスを着てスカートを穿いているような女しか女と思えなかったのだろう。鼻をあかしてやったような思いがする。
この夏スカウトした拳銃使いはあまり深くものを考えない男で、すぐさまチームに溶け込んでしまった。自分はやっとこの１年で居場所を作ったつもりになっているが……。
そう言えば、あれから１年になる。
「ブ……Ｂ．Ｂ．……これが終わったら、時間あるか？」
低い声で、尋ねた。
「あ、ああ。せっかくだからどこかで酒でも飲もうか」と、「女社長」は瞳をめぐらせてにっこりした。
「頼む」と言う間に赤面してしまったのを、アバッキオは顔を背けてやっと隠した。
「なんだあの女は？」
会場の向こう側からそれを見ていた壮年の男が顎で示して傍らの男に尋ねた。
「ああ、パッショーネのファミリーの、ネアポリスの……事実上の支部長ですかね」と、控えた男が囁いた。
「事実上てのはなんだ？」
「ホントの支部長は、ムショに入ってるんで。スゲエデブで、物理的にもう出てこれねえんでさ。そんで、指示だけ出して、グリマルディーニのじじいとあの女とで手分けして面倒見てたんですが、じじいももう年だし、この秋から手を引いて、若いのに代替わりさせることにしたらしいんす。で、暫定的ってことになってますが、グリマルディーニの跡取りはぼんくらだから、たぶんこれからずっとあの女が締めることになりますね」
「ちょーっといい女じゃあねえか。口説いてみるかな？」
「社長、横をご覧を。強面のちょっといい男が立ってますでしょ？ ちゃんと男がいますから。余計なことはしない方が」
「チェ。紐付きか。アレもファミリーの男なのか？ まるでジゴロじゃねえか」
「それがあれで結構腕っ節の方は強いんで。不良警官上がりで。組んでた相棒が手前のせいで殉職したてんで再起不能になって、川向こうの酒場であたるを幸いな大暴れをしてたところをあの女が拾ったとか。元サツだけあって、執念深くて、ひとの隠し事をどっからかほじくり返しやがるんでさ。
あの女のチームは、小僧ばっかり拾って集めてるんですが、そういう、なんか変な特技のある小僧ばっかなんすよ。
この夏には、弾は自分を避けていくし、撃てば百発百中のガンマンを入れたって言うし。
ラジコン飛行機使いの小僧もいます。このラジコンが、機銃を積んでて、そこいら中穴だらけにするんで。不思議なのは、それがどうにも目に見えないらしいんですな。……まあ、見たやつパニクってたんでしょうけどね。
もう１人が、なんでも５年飛び級して大学に入れるぐらい頭が切れるガキらしいですが、とんでもねえかんしゃく持ちで、教授とケンカして頭ぶち割って大学を飛び出したらしいです。天使みたいな顔してるのに、少しぐらいの帳簿の細工はみんな見抜かれて、小面憎いイヤミで苛めてくるらしいですよ」
「関わり合いになりたくねえ小僧共だな……」
「さようで」
「いいスーツだな……」
メートル３万の生地なんて誰が着るのだろうと洋服屋で仮縫いの時に目にしてぼんやり考えていたのだが、それを着た人間を丁度目の当たりにしてアバッキオは呟いた。
「フェリーニ上院議員。このオペラハウスの計画の発起人だ」
すぐさま、横のブチャラティが小声で教える。
「ほう」
堂々とした体格で、これは服地もたっぷり必要なことだろうと余計なことを考えていた。
「娘がさっきまで側にいたと思うが、もう帰したかな？ どこへも連れ歩いて溺愛してるそうだ」
「へえ」
「ヴェローナ大学をたった２年で出た才媛だ。うちの参謀と気が合いそうだな」
「背の高いブルネットの美人とか？」と、アバッキオは唇をゆがめる。
「そういうんじゃない。可愛い感じだったと思う……髪は父親似で明るい栗色だ」と、あくまで「美人社長」は鈍かった。
「じゃあ、あの派手スーツが市長の次にＶ．Ｉ．Ｐ．か？」
「市長より、だ」
「じゃ、なんかあったらおれ、アレね」
「ちゃんとやれたら金一封と感謝状が出るぞ」
「そんなもん有り難いと思うおれだと思うか」と、アバッキオが苦笑すると、
「じゃあ、わたしが一晩中可愛がってやる」
彼の上司はすぐさま無邪気に笑った。瞬時に顔に血を上らせたアバッキオはすぐさま目を反らせて、偶然、新たに運び込まれた花束に目を止める。正確には、ひどく緊張しているその運び手のホテルマンに。
「新人か？ このホテルには不釣り合いな……」
名門ホテルだけに、どんなボーイも背筋が伸びて、表情を消して滑らかに立ち働いていた。
褐色の肌色も、目新しい。今時そういう採用はしづらいだろうに、それが格式とでも言いたげに、目につくところは自分と同じ肌や目のいろのイタリアーノばかりだったように記憶している。
ちょっとした、違和感。
警官だったときの皮膚感覚が蘇る。
理屈で説明できない、ぴりぴりした何かが、彼に異常を告げている。
「ちょっとあんた、それはなんだ？」
意識せずに、相手を威圧しないための笑みが口には浮かんでいる。
「し、市長しゃんに、お花をお届けに参りましたッ！」
「でっかい花束だなあ、おれが持ってやるよ」
「い、いいえッ！ ぼ、わたしの仕事でしゅ！」と、とたんに浮き足立つ。取り上げた花束は、不釣り合いに重い。プラスチック爆弾がアーモンド臭をさせていたのは昔の話。今は無臭。中毒性のある薬品を混ぜる組成が一般化したから、舐めてみる判別法はもう使えない。ままよ、疑わしきは排除、だ。時を刻む音は聞こえない。起爆装置は遠隔操作か。
「『来た』ばっかか？ なまってんなおまえ」
「しょ、しょんなことないでしゅ！」
「そこの姐さんが、おまえと写真撮りたいっていってるからちょっと行ってやりな。これはおれが預かるから。Ｂ．Ｂ．ちょっと」と、上司を振り返る。
「どうした？」
笑顔のままに、きびきびした動作で寄ってくる。
「こいつちょっと、裏の、黒い服のお兄さんたちに紹介してやって。なんかプレゼント持ってるかも」と、小声でセキュリティに引き渡すよう伝える。
「彼が？」
長い裾で、足がもつれた……
「プレスト（急いで）」と、言おうとした瞬間、褐色の肌をしたボーイは身を翻した。アバッキオの手を振りきって、上院議員を目指してダッシュする。
「おい！」
「おれは、おれはやるじぇえ！」
声を裏返らせて、懐に手を入れて、小さな箱のようなもののボタンを探る。上着の裾がまくれる。胴が太いのは、身体に爆薬を巻き付けているからか。
「あっちが本命だったか！」と、窓の位置を確認する。
「上院議員！ 市長！ こちらへ」
ブチャラティが、上院議員と市長を呼び寄せて、スタンドを発動させる。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
床をジッパーで開けて、床下に避難させる。
これで彼らは安全だ……。
数秒の間に、ボーイに追いついて、腕を伸ばし、襟を掴んで引きつける。足を払う。投げる先は窓。
「伏せろーっ！」
ガラスの割れる音。
続いて爆発音。悲鳴。
爆発音は二つ。背後ででも。やっぱり花束にも仕掛けられていたのだ。用意周到な敵。爆風をまともに食らったアバッキオは、背中のきしむ痛みに気絶もできない。
「上院議員と市長をあちらへ。怪我をしたひとはいないか！？」
セキュリティが場を仕切っている。
「アバッキオ、よくやってくれた」
側へ来たブチャラティの声を聞いて、やっと彼は意識を手放した。
４
「……あんたのために用意した花束じゃないんだけどなあ」
病院にアバッキオを見舞っても、ついついフーゴは愚痴が出た。
「あばら２本も逝った人間を前に、もう少し言うことがあるだろう」
アバッキオは面目なげに顔を背けながら言った。
「あのひとは無傷だったから、せめて花をこっちに持ってきたんでしょう。ま、あんたのスタンドはケンカには向いてないんだし」
「素人さんか？ あの爆発は」
「微妙なとこですね。犯行声明がまだ出てなくって。共産テロかな？ 金持ちのためのオペラハウスより先に作るもんがあるだろって論旨かな」
「顔茶色かったぜ」
「だからって、イスラム原理主義がネアポリスを狙う理由もありません。その筋からは、彼らによるテロ警戒警報が出てるらしいですけどね」
２０００年の話である。
「せっかく作ったものを壊しちゃあ金の無駄だろうが」
「ぼくに言われても困りますよ」
……そうだ、壊すならオペラハウスの方だろう。なぜホテルを狙った……？
「もう行けよ、ファミリーの方からもひとを出すんだろ？」
「当然。治安維持を任されてたのにこんなことになって、面目丸つぶれです。あんたが頑張ってくれたんで皮一枚繋がったって言うか。ブチャラティもポルポさんに呼びつけられてました……事前の見回りは川向こうの割り当てだったのに」
「あのカッコで行ったのかよ？」
そういえば、爆風やがれきであちこちすすや埃まみれになっていた。
「着替える間なんかありませんよ」
せっかくの艶姿を拝みたいという意味合いもあったかも知れないが。
「せっかく綺麗にしてたのに、畜生」と、本音で吐き捨てる。
「ナランチャが写真撮ってくれてましたから」と、フーゴは微笑みを浮かべた。
「タキシード、せっかく作ってくれたのに済まんな」
「今度から、裏地はケプラーにして貰いましょう」
済ました顔で、フーゴは言ってのけた。さすが、アバッキオは警察学校出だけある。こういう時の正義への志向と危機管理の皮膚感覚はまだこの男の根底から消え果てていない。ブチャラティも色恋で連れて行ったのではないのだ。この男に妙に土壇場で女神の守護が効いているのがこういうところで、こういう用事への適性をたった１回で立派に証明して見せた。当分、パーティーへの随行はアバッキオが専任になるだろう。
「防弾チョッキがわりかよ……あ、笑わせるな、痛て……」と、焼けこげたプラチナ・ブロンドが背中で細かく揺れた。
「お大事に。このまま１ヶ月ぐらい入院しててください。あ、そうそう、これ、お薬」と、右手の甲を出す。
「なんだ？」
「ブチャラティが、ここにちゅって」
聞くなりアバッキオは無言で強く手を引いて、頬に当てた。唇に持っていかないだけまだ自制心が働いている。ブチャラティの方も、そんないきなことをする質ではなくて、
「お見舞いに行ってあげますけど、あのひとがふてくされないようにちょっとおまじないしてください」と、フーゴの方から指で口を指して手を差し出したのだった。ちょっと笑って、お披露目も済んだネアポリスの守護女神は、
「うちの伝令神（メルクリウス）は本当に気が利く」とその甲に口づけてくれた。
「おまえには世話になってばっかだなあ。……もう１年か」
「覚えてたんですか？」
「そのための花なんだろう？ ……あのひとは、おれを心に掛けててくれたか」
「当然でしょ。あの時も、今もです。酒を一緒にできなくて済まないと言ってました」
その時、マナーモードにしておいた携帯が着信を知らせた。
「行ってきます。身体ちゃんと治してくださいよ」
「ああ」
足音を殺して走り、女神の忠実な参謀は病院を後にした。
ルチアは先に帰っていて良かった。あのあと、続けざまに安否を問うメイルが入っていた。
５
「ポルポさんからの指令だ。ボスの意向もある。徹底的にやれ。警察のメンツは気にするな。ファミリーの顔に泥を塗ったんだ、骨も残らないぐらいでいっていいそうだ。ミスタ、ナランチャ、市内での発砲を許す！ あとのことは上がどうにでも揉み消してくれる！」
もう深夜になっていた。青ざめた顔のブチャラティは、アジトに戻るなりそう宣言した。電話を取り出すと、やや手間取りながら、どこかへ繋いだ。
「ブチャラティだ。そっちの若頭を。情報は行ったか？ そういうことだ。そっちに頼みたいことがある。シマはそっちなんだ、ぐずぐずいうな。……そう、それでいい。
そっちの、イスラム系の移民街を見張れ。ひとは必要なだけ出していい。違う、入る人間を止めるんだ。いや、そうじゃない。
生き残りたかったら頭を使え！ 偽情報に踊らされたバカとして消されたいのか！
デマに踊らされて移民街を襲うようなマヌケを抑え込むんだ！ これは罠だ！
いいか！？ 新右翼なんかにたぶらかされるんじゃないぞ！
女に指図されるのが嫌ならとっとと動いて女よりマシだってことをさっさと上にアピールしろ！」
珍しく最後には声を荒げながらも、指令を伝えて電話を切った。
「川向こう、言うこと聞かないんですか？」
フーゴが尋ねると、
「よくもやってくれたよ。こういう時期を狙ってきたのかな？」
疲れたような表情で、幹部候補生は笑って見せた。
「フーゴ、おまえはいつも通りここにいて情報管制を……」
「いいえ、ぼくも出ます」
フーゴは胸を張った。
「パーティで、ずっと立ってて疲れたでしょう？ あんたはここで坐っててください、楽な服に着替えて」
ああ、着替えを用意しておくのを忘れた。さすがの彼も、今日は配慮が完璧とは言い難かった。
実行犯は、アバッキオに投げられてホテルの外で爆死した。今月になってからの採用だったらしい。背後関係は解らない。イスラム圏からの出稼ぎや移民は９０年代に入って増えている。排除し尽くすのも今となっては難しい。フランスやドイツではもうかなりの量になっていて、社会問題化しているらしい。
「移民はそっちばっかりじゃないからね」
ナランチャとパトロールしながら、概要をかいつまんで説明してやろうと思うが、根が深すぎてとてもかいつまむなんてことができない。
「うちは背後に旧ユーゴを背負ってるから」
船に鈴なりに難民を乗せてきた映像は、何年前の記憶だろう。子供の時の印象は強烈だ。ただでさえ食えない貧しい南部イタリアは、ユーゴ移民を抱えて沈んだ。ネアポリスがイタリア最大のギャング都市と呼ばれるようになったのも、失業問題のせいだ。泥まみれになりながらやっと息をついている街に、フェリーニ上院議員はオペラハウスを建設することで雇用と消費を呼び込んだ。それは焼け石に水程度の効果しかないかも知れないが、何もしなかったよりはマシだろう。
その手腕が邪魔だったというのだろうか。
フーゴは考え込んだ。
ポルポからの指示で、ブチャラティが恐れているのは、実行犯がイスラム系だったことが一人歩きして、水面下にあったイスラム系住民への反感が一気にふくれあがることだ。このままリンチや暴動に発展すれば、一気にネアポリス全市が無政府状態に陥る。とりあえずそれは、川向こうのグリマルディーニの人間を使って抑制しているらしい。と、着信音が鳴った。
「フーゴ、仕事用の携帯の番号、女に教えんなよ」と、ナランチャが渋い顔をする。
「これはプライヴェイト用。複数持つのなんて常識だよ」と、断っておいて通話に出る。ルチアだ。
「フーゴ、あんたんとこのおねえさんの彼！ すごいのね！ パパが九死に一生だったって！」
「耳が早いんだな。きみ、早帰りして良かったよ」
「ホントよね、今夜だけは過保護なパパに感謝！ よ。ねえ、ねえもう大丈夫と思う？ あたし明日のチケットあるのよ。行かない方がいい？」
「学校はどうするんだよ？」
「そんなの！ さぼるに決まってるでしょ！ 自分の街にオペラハウスができて、そのこけら落としを見られるなんてことが一生に何回もあるもんですか！」
自分の顔が笑っているのを通り過ぎざまにカーブミラーで見てしまって、フーゴは内心驚いていた。
「なんでぼくに聞くのさ？ ぼくが大丈夫だって言ったら、きみ、見に行くわけ？」
「だって、あんたなんかそういう裏事情に詳しそうなんだもん。ね、おねえさんのほうからなんか情報は入ってない？」
「……爆破のほうは全然。ただ、うちはどっちだっけ？ 移民街には近づくな」
「解ったわ。今日は何時でもオーケーだから、何か判り次第情報ちょうだい」
「早寝した方がいいよ。美容に良くない」
「まあ！ 見てらっしゃい、明日どっかで出くわしたら、見違えたよって言わせてみせるから」
「期待してるよ」
賑やかな電話を切ると、１メートル先を行っていた相棒が近寄ってきた。
「なーがーでーんーわー！ ブチャラティに言いつけるぞ」
「それは勘弁。情報も少しは貰ってるんだよ」と、フーゴは肩をすくめて見せた。自分が年相応な女の子と友だちになったと知ったら、きっとあの優しいひとは喜んでくれるだろうと思っている。いつまでも、恋とも言えぬ淡い思いに捕らわれているよりも、ずっといいはずだ……。
ナランチャの方も、そう思っているらしい。顔は笑っていて、肩を乱暴に組んできた。
「な、今度紹介しろよ。そんで、彼女の友だちも紹介して貰って？」
「そうだね」
不登校の少年らしい格好をして。伊達メガネなんか掛けてみて。
年相応の遊びをしてみてもいいかも知れない。
深夜のネアポリス市街は、静まりかえっている。いつもならまだまだ賑やかで、いざこざの一つや二つは起っているような週末の繁華街も、爆破事件の後ではごく勇気のある若いのが無茶に飲んでいるだけで、別の街を歩いているようだ。
平和にパーティーが終わったら、２人にはゆっくり飲みにに行かせるつもりだったのに。
まったくひとの都合を考えないテロリスト共だ。
と、また思考は事件の目的へと戻る。
事前に、市警の講習会に紛れ込ませてもらった。テロ事件のパターンを検証した講座は興味深かった。小さな事件は、続く事件へ耳目を向けさせるための、いわば予鈴。不協和音のように、住民の不安を煽っておく。そこへどかんと主題を提示する、それが奴らのやり口だ。フーゴは思索がまとまって、顔を上げた。
「今夜一晩は、続く動きはないはず。奴らが次に狙うのは……こけら落とし公演、オペラハウス本体だ！ ナランチャ！ 帰ろう！」
「あ、ああ……」
天才の頭の回転について来れずにナランチャはまごついていた。
６
「ブチャラティ！ 犯行声明出ましたか？」
アジトへ着いて、勢い込んで尋ねる。本日（もう日付が代わって昨日）お披露目したての女幹部候補生は、化粧も落とさずにドレス姿ののまま、ひっきりなしに入るファクスや電話、電子メイルと格闘していた。
「出ていない。どこのセクトからも、無関係の声明ばかりだ。極右、ネオナチ、バスクもクルドもアイルランドもチェチェンも。見事に足並み揃えて知らんぷりだ。ここまで揃うと笑えるぞ、目の当たりにしたわたしでさえ狂言じゃないかと……いや、予断はやめておこう」
「それ、一応聞いときます」
短く、フーゴは容認した。狂言の可能性か……となると、怪しいのは上院議員側？
「明日のこけら落とし、もったいないけどやめてください。たぶん、奴らはそこを狙ってきます」
「この状態では行けないよ、フーゴ。アバッキオは入院しているし。別にそんなに観たい訳じゃ」
ガッカリした様が見てとれたのだろう、ブチャラティは例に拠って妙な気の回し方をした。
「チケット、譲ろうか？ おまえ一人なら抜けても。会場の見張りを兼ねて」
「そういうんじゃないんです」
泣きそうな顔になって、フーゴは押しとどめた。
「おまえ、ガールフレンドがいるんだって？」
「ミスタがしゃべりましたね？ そういうんじゃないんです、ああ、もう！」
キレそうになるのを見越して、ブチャラティは追求の手を引いた。
「オペラハウスが危ないんだな？ 今、川向こうの方にもう一度洗わせる」
「設計図あるといいんですけどね。完成したものの見取り図じゃなくて、構造の判るやつ……」
「建設会社に問い合わせてる」
「あれって、ちょっとおしゃれな造りになってませんか？ ルネッサンスな感じだけど、どこか新しいって言うか、伝統を崩してるんです。気になるんだけど、ぼくは建築はそんなにまじめにやってなくて」
「おまえ以上にやってるやつはうちのチームにはいないよ、残念ながら」
「風致地区で、周りとの調和を考えてるならもっと完全にクラシカルにやっても良さそうなのに……どういう考えなんだろう……設計者といっぺん話してみたいな」
「趣味の話は後だ」
ブチャラティは笑ってたしなめた。
「お２人さん、お茶〜」
のんびりと、見ていないようでタイミングを図っていたのだろう、ミスタが紅茶を運んできた。
「あ……ちょっと、すいません」と、席を外して、ルチアの携帯に掛ける。もう、誰に掛けるにも失礼な時間になっているが、気にしない。
「フーゴ！ 何か解った？」
「大きな名の通ったテロ組織の仕業じゃないってことだね。かえって目的が解らないから、当分不必要な外出はしないこと。もちろん、こけら落としも行くな。
それで、きみのパパ、オペラハウス建設の責任者だって？ 設計図、手に入らないかな？ 構造上どこが弱いかとか、配管どこ通ってるかとかわかるやつ」
「あるわよ」
「ファクスで送ってくれない？ 近くなら、ぼくが取りに行ってもいいけど」
「持っていってあげる。うち、結構ややこしいところにあるから。たどり着くまでに迷うわよ」
「何いってんだ。出歩くなっていったとこじゃないか」
「大丈夫、すぐだから。いつもの図書館のとこね。セキュリティのひと連れてくから、変なことしないでよ？」
「バッ……何考えてるんだ、よせ！」
通話を切られて、フーゴは呆然とした。
「ブチャラティ！ 友だちが、設計図うちから持ち出すって言ってます！ 受け取りに行ってきます！」
叫ぶなり、フーゴはアジトを飛び出した。
とりあえず、今考えられることはなくなったので、棚上げにしていた怒りが解凍されて出てきた。
高かったんだぞ！ やっとの思いで取ったチケット、演目はブチャラティも寝ないような「オペラ座の怪人」で……アバッキオが拾われてから１年、丁度いいイヴェントだったのに！
移民が気に入らないとか、貧富の差がどうとか、なんでそんな下らない理由で台無しにするんだよ！
八つ当たりで、フーゴは階段を駆けに駆けた。最後に飛び降りる段の数が、どんどん増えていく。
結構ぼく体力付いたよなあ。毎日この街をはいずり回って、集金して、不満処理して、ナランチャと取っ組み合いして、アバッキオにこづかれて。地味な体力は付いたけど、人間として成長はしたんだろうか。
天才的な頭脳をもてあましては行き当たりばったりで暴力をふるって、周りの人を傷つけるばかりだったあの頃から。
まっすぐ図書館への道を駆け抜ける。
この街には随分詳しくなった。愛着もある。できるなら、ここで知り合った人たちがみんな泣いたり苦しんだりして欲しくない。だから、ベストを尽くす。
７
図書館の門の脇に、少女はたたずんでいた。
「ルチア？」
「フーゴ、……あたし」
明るい栗色の髪が、朝日に煌めいた。まずい、もう夜が明けている。
どこと言って特徴のない地味な顔だちだが、青い瞳だけが、キラキラと輝いている。初めて声を掛けてきたときからそうだった。
「ルチア！ なんだってこんなところまで……」
「だって、だってあんたに逢いたかったんだもの！ 解らないの？ フーゴ……あたし！」
泣きながら叫ぶルチアの心情が、フーゴには理解できない。
訴えが届かないのを理解して、ルチアは背負っていた筒から設計図を出して来て見せた。
「このオペラハウスはパパが建てたのよ！ パパの夢なの！ 壊されたくない！」
父親は建設会社の社長だと言っていただろうか。
「このオペラハウスは、ネオ・ルネッサンスの雰囲気だけ出そうとしてて、アーチが多用されてるの。……アーチはなんの為にあるのか知ってる？」
涙をぬぐうと、ルチアは大人びた顔で声をひそめた。
「重力を分散させるためだ」
「そう。でも、ここの設計はなぜか、アーチをここに集中させてるの。昔の戦略上必要な地点の要塞に、使われた技法かしら。まあ、きれいではあるんだけど、……地震の多い日本の建設会社なら絶対採用しないわ。この階段の下、舞台裏のここに重力が溜まるの。強度計算は、ギリギリで通る程度。ちょっとお金かなんかで目こぼししてもらった可能性もあるわ。ここが壊されたら、一気に崩壊する」
「それって……」
「このオペラハウスは、壊されるために建てられたの。信じて。パパは知らない。自分の建てたものが、そんな禍々しい目的のために使われるなんて知らなかったの」
「ぼくはきみのパパを知らない」
深呼吸をして、低い声でフーゴは言った。
「フーゴ！」
「ちょっと、暴れるから、帰って。きみはうちへ帰って、自分の部屋にいろよ。そこのひと、ホントに頼むよ」と、背後に控えたセキュリティに声を掛ける。
「フーゴ、あんたは？ テロリストはもう爆弾を仕掛けた？」
「知るかよ。ぼくは、自分の仕事をする」
黙って足を進める。ここからは、グリマルディーニのオフィスの方が近い。顔パスで乗り込んで、持ち込んだ設計図から人員配置の指示を出した。夕べブチャラティとアバッキオが頑張ってくれたおかげで、グリマルディーニの若い衆も、フーゴの指示に反発しなかった。
「ええと、それから、難しい話の通じるひとを」と、もっと上層で頭の切れる人間を出せ、と要求する。
「このオペラハウスの設計は臭いです。計画の内部に、事件を企んだ人間がいる可能性があります。脚を掬われないように注意して。くれぐれも頭の悪い動きはしないように……ファミリーに迷惑がかかります」
淡々と語る美少年に、反論もせずに若頭他参謀はただ頭を下げた。
「本当に、さっさと代替わりをしておいて良かった……これでネアポリスも安泰……」
冷や汗をぬぐいながら、引き留めて朝食と茶を振る舞うグリマルディーニ老を、フーゴは冷たい目で見据えてやった。
「そうお思いなら、うちのリーダーをもっと立てるように子分衆に言い聞かせてやってくださいね」
「これは手厳しい」
「うちの『アニキ』、一ヶ月入院しなくちゃならないみたいです。小人数でやっと回してるうちのチームじゃあえらい損害です。ぼくら子供ばっかりだから、あのひとがいないとなめてかかってくるヤツもいるってのに……ひとり二人、手伝い回してください」
「これは、気が利かなくて失礼した。ひとり二人と言わず、５人ほど差し向けるから、どうぞ躾けてやって下さいや」
「有り難く承っておきます。失礼して、リーダーにも報告しておきますよ」
口約束とごまかされないように、目の前で電話を入れておく。
「あ、ブチャラティ？ 設計図手に入りました。今、グリマルディーニさんのところで、手分けして見に行って貰えるようにお願いしたところです。朝食もご馳走して貰ってます。あんたもちゃんと食べてくださいよ？ それで……」
８
爆弾はまだ見つからない。ぎりぎりまで仕掛けないつもりかも知れない。犯行声明も爆破予告も出ていない。公演は中止にすればいいものを、興行側が事態の重さを理解していないらしく、ブチャラティがさんざん脅したりすかしたりしたのに、結局客を入れてしまった。盛装した客達に、目を血走らせたファミリーの若い連中が立ち混じって、せっかくのこけら落としが異様な雰囲気になってしまっている。
フーゴは、エントランスを見張るナランチャに差し入れを持っていって、口実を付けてそこから離れた。
「ああ、トイレ？ おれも後で代わって」と、レーダーから眼を離さずにナランチャは笑った。
美しいアーチが角度を作っていくつも一点に流れ落ちる。建設中から通行人が見とれていた独特の外観だ。その、アーチの先を目指す。手には、ルチアからもらった設計図のコピーの束を持っている。と、こけら落としの本番を３０分後に控えたホールの裏手に出た。大道具を運び込む大きな入り口が開いたままになっている。
「オペラ座の怪人」って、どこの劇団だったっけ。
いろんな業者やら、係やらがひっきりなしに出入りしていて、首から提げたＩＤも、チェックが追いついていない。
まだ開業したてだから。
そのうち慣れるのだろうけど、今日はまだ不慣れだ。
仕掛けるなら、今日。
ＩＤをかざして、フーゴは守衛室の脇を通った。
「ナランチャ、探索して。オペラハウスの最下層、舞台裏の階段下に人はいるかな？」
携帯電話を使って、エントランスの警戒に当たっている相棒を呼び出して、レーダーを使わせる。
「ああ？ どこ行ってたんだよ？ また女か？ いい加減怒るぞ？」
「いいから調べろよ」
心拍が上がっている。キレたときの一瞬の速さとパワーだけはみなに呆れられているが、持続した戦闘能力については評価されたことはない。荒事に向いていないことにかけてはアバッキオ以下だ。だれか人を呼んだ方がいいかも知れない。
「ああ、いるぜ、３人かな」
ナランチャの声が、階段に響いた。
「誰だ！？」
きれいな発音だ。北イタリア出身かな？ 顔も白い。イスラム系移民だなんてあり得ない。
「ごめんなさい、迷いました。ここは初めてなんで……。控え室はどっちですか？ お姉ちゃんが忘れものしたって」
純真な声を出してみる。
「あ、ああ坊や、お使いか。控え室は上手側だな。上の方、確か２階だよ」
「ありがとうございます。おじさんたちは大道具？ 何やってるんですか？」
無邪気に近寄って、興味深そうに覗き込む。ルチアに見せて貰った設計図の、丁度赤い丸を付けてあった辺り。柱に、可塑性の爆薬を貼り付けている。大当たり。
「坊主！」
一瞬、目から火花が飛んだ。頬が冷たくて、自分が床に転がっているのを知った。
殴られたのは何年ぶりだろう。ナランチャとはいつも取っ組み合っているつもりでいたが、彼は加減をしてくれていたと初めて知った。
「痛いよぉ……」
哀れっぽい声を出してみる。
「マリオ、何を……」
「しっ……見られたぞ」
「こんな子供、何を見たかも解っちゃいないさ」
「ダメだ。計画は絶対だ……見たヤツは殺せ」
「おじさん……ぼくを……殺すの？」
涙は自然に出た。
「どうして？ ぼく何か悪いことをした？」
目的を聞き出さなくては。まだ仲間がいて爆弾を持っていては困る。
「……このオペラハウスを、壊すんだよ」
「アレッサンドロ！」
はい、マリオにアレッサンドロね。名前は覚えた。そのヒゲのオジサンも名乗って欲しいな。
「どうして、こんなに、きれいなたてもの……もったいないよ？」
「冗談じゃねえ。こんな、金持ちだけのための建物！ サンタ・キアラだけで年間何億も使っておいて、まだ芸術とやらに金を使うつもりか！ その日暮らしでオペラなんか楽しむ余裕もない連中は、ここの座席数の何倍もいるんだよ！ なにを考えてるんだ、上の連中は！？」
「おれの子は病気で死んだ。オペラなんか、１回も見たことないまま。医者にかかれない子が１００人も２００人もいる街で、オペラなんかやる必要はねえ！」
だからってやっていいことと悪いことがあるだろう。
昨日の爆破事件で、パーティに集まっていた人間は死にはしなかったが、重傷者は１０人を超えてる。あんたらに騙されて、自爆テロのマネごとをさせられた男は確実に死んだよ。イスラム原理主義の濡れ衣を着せられてね。あやうく、肌が茶色いだけの善良な移民を迫害するところだった。
「おじさんって、凄いんだね……みんなのこと、ちゃんと考えてくれてるんだ……ぼく、恥ずかしいな、なんにも知らなくて」
「マリオ……な？ もういいだろ？ この子は助けてやろう。俺達は罪深いことをするが、必要なこと以外はすることはない」
「いいや」
言うなり、マリオと呼ばれた男は腰から銃を抜いて、撃った。消音器が付いていた。独特な音。硝煙の匂い。血の匂い。
「俺達は、ここで死ぬ。これ以上手が血に濡れてどうだというんだ？」
「マリオォ！」
ヒゲ男が腰を抜かした。
「うろたえるなよ、エンツォ」と、また撃った。口封じは、計画してあったようだ。
「坊主、心配するな。お姉ちゃんは、もうそれ要らないから」
目の前に、銃口が向けられた。
「ふざけるな」
口が勝手に動いていた。
「あァ？」
「ふざけるなと言ったんだ！」
フーゴは飛び起きた。メソポタミアのハンムラビ王の法典。自由民が目を潰されたとき、潰した人間は目を潰されなくてはならない。それが、目には目をのルール。しかしそれは、同じもの以上を求めてはいけないという、無限の恨みの連鎖を止めるための叡智でもあった。何千年も前から、人類はそれを知っているのに、どうして自分の身にそれを援用しようとしないのか。自分が失ったのなら他人も失うべきとなぜ短絡するのか。殺しておいて、自分が殺されないとなぜ無邪気に思えるのか。
「ハープル・ヘイズ！」
怒りのままに、自分の忌み嫌う分身を呼び出していた。少しの理性でもって、風上を探して移動する。
「その拳でやつを地獄に叩き込め！」
「うばっしゃああああ！」
知能の低いスタンドは、本体の怒りのままに暴れ倒した。まだ息のあった二人は、見る間に疫病を発症して溶けた。
９
嫌いだ。どいつもこいつも頭が悪い。バカばっかりだ。みんな腐ってしまえ。その汚い腹の中に釣り合いだ……。
そんなことをいつも考えているからこのようなスタンドなのだろうか。
泣きながら、フーゴは坐り込んで膝を抱いた。
携帯が鳴った。
「フーゴ！ どこにいる？ 勝手な行動をするな」
ブチャラティだった。
「舞台裏です。テロリストを見つけました。爆弾を設置したところですが、今、無力化しました……パープル・ヘイズで」
「何？ おまえは大丈夫なのか？」
「ああ……ここは薄暗いから、そろそろやばいかも。いいです、ぼくなんか……」
「待て、舞台裏だと？ もう開場している。客席はほぼ満員なんだぞ！？ パープル・ヘイズはどのくらいウイルスをばらまいたんだ？」
「かなり、濃いです……あ！」
「たすけてくれえ」
自分の身体が溶け出す恐怖から扉を狂ったように叩いていた最後の男、マリオが、舞台への扉を開けてしまった。
「こいつ、毒ガスを撒きやがった……なんてガキだ……たす、け、て」
満員の客が、こけら落としの開幕前の特別な見せ物と思って、そのさまを注視していた……。
瞬時に客席はパニックに陥った。
「助けて！」
「あたしも溶けちゃうの！？ ねえ！ なんの毒なの！？」
「ドアを開けろ！ 早く！」
「急げ！ 道を空けろ！ このデブ女、どかないか！」
呆然と、坐り込んだままフーゴはそれを見守ってしまった。
忌まわしい、知性のないスタンド、それは、自分自身を映す鏡だ。
彼とは違う。
自省的な静かなスタンド。戦いには不向きな生まれつきのスタンドを、彼は受け入れて、使いこなして、皆の役に立っている。
それが大人の度量なのだろうか、自分とは違って。
だから、あのひとは彼を愛した。
フーゴはなすすべ無く自分の心の闇をただ覗くことしかできなかった。
ぼくは子供だ、ぼくは子供だ、自分のしでかしたことの責任も取れない……。
じきに、パープル・ヘイズの暴走によってぶち撒かれた細菌は、この狭い舞台裏から漏れて、オペラハウス全体に広まるだろう。満員のオペラハウスで、細菌が広がったら。
地獄が始まる。
それを止める術は、自分にはない。
天才児は、ただ、嗚咽した。
１０
「スティッキィ・フィンガーズ！」
叫び声とともに、オペラハウスの天井が大きく開いた。
外は、晴天。秋の爽やかな日差しが、たちまちに差し込んで、パープル・ヘイズの凶悪な、しかし脆弱な細菌を滅ぼし尽くす。
「フーゴ！ フーゴ、無事か？」
彼の女神が、ドレスの裾をボロボロにしながら、天井から降臨した。
「おい！ あれ、ブチャラティ！」
客席からも、どよめきが上がった。
「毒ガスは紫外線で無力化されました！ どうか落ち着いて避難を！ 出口に近い方から順に！」
よく通る声に、パニックは瞬時におさまって、整然と観客達は誘導されていった。
「まずかったかな？ かたぎのひとのいるところでやってしまったが」
「それはあとでなんとでも言いつくろえます。……助かりました」
「まったく無茶をやってくれる……で、そのへんの残骸がテロリスト共か？」
「そうです……生かして捕まえられなくてすいません……」
「ま、しょうがないさ。関係ないひとを巻き沿いにするような奴らだしな。せっかく完成したオペラハウスをぶっ壊されなくて良かった。さ、帰るぞ」
「ブチャラティ……すいません」
べそをかくフーゴの頭を、すすで汚れた長手袋のままでブチャラティはごしごし撫でた。
「なんだってこんなまねをしたんだ……本当に……あとできっちりお仕置きするからな」
「はい……」
「しかし、……マチネー（昼の部）で良かったな。オペラ（夜の部）だったらどうしようかと」
「投光器なら、陸軍から借りられると思います。警察の機動部隊の方が近いかな？ ちょっとアバッキオに聞いておきます」と、天才児は切り替えが早かった。虚を突かれたかたちのブチャラティは口を開けたが、すぐにそれを笑う形にして、また、参謀の頭をなで回す。
「そうだ。それでこそわが参謀。
使いどころが判ってきたな、おまえのスタンド。短時間で一気に始末できて、後も簡単だ」
「いいえ、まだまだです」
「おまえはまだ若いんだし、ゆっくり育てていけばいいさ」
「そうも言ってはいられないでしょうけど。……ありがとうございます。努力します」
１１
ルチアはオペラハウスの外で彼を待っていた。
「ありがとう、きみのくれた情報で勝てたよ」
「お役に立てて良かったわ。……最小の被害ですんで良かった。あんたのおねえさんってすごいのね。川向こうのマフィアの手綱を取って、うまく暴動を未発に抑え込んだ……」
「え？」
「異教徒の、習慣の違う移民って、なんだかなじめないじゃない。皮膚感覚で、違和感が募ってる、そういうときに、そういうヒトの起こした凶悪事件があると、一気に反感が燃え上がっちゃうのよね。危なかったわ」
ルチアは軽い調子で、スターのゴシップでも話すように言った。
「あ、……ああ」
「そういうの、煽ってるやな奴らがいるのよ。そして、それを利用しようとするヤツも。マフィアって、あんまり深く考えない、暴れやすいひとが多い感じだから、メンツとかそういうことで煽れば、うまく全面抗争になると思ったらしいのよね。
中国の格言に、漁夫の利って言葉があるんだって？ 貝と海鳥が争って、両者が消耗した頃を見計らって、漁師が両方捕まえちゃうんだって。
ネアポリス中を火の海にして、軍と警察は手が白いままに温存しておいて、頃合いを見計らって両方を潰すってもくろみだったのよ」
「きみが……？」
「あたしじゃないわ。パパのブレイン。ちょっと、手段を選ばないひとみたい、困るわ。パパにダーティなイメージ付いちゃう」と、小首をかしげて見せた。
「なんで、知って……」
「建築、趣味なの。専攻は政治学なんだけど、自由選択は結構建築を熱心にやって。
あんた、女が好きな『綺麗』は、宝石と花だけだと思ってるんじゃないでしょうね？ 分子構造に神の意志を感じる女もいれば、ゴシック建築見てるだけで感じられる子だっているんだから！
気に入った建物は、設計図まで手に入れて深く分析したい趣味なのよっ！ そうしたら、あんまり不自然じゃない？ それで、いろいろ探ってみたのよ。思いっきり派手に壊して、悲惨さを演出するつもりだったみたいね」
「ルチア、きみ、何物……？」
間の抜けた顔をして、真の主役から事件の全貌を解説して貰う役どころに、まさかこの自分がなるとは。フーゴは自己が崩壊しそうな屈辱に震えて、立っているのがやっとだった。
「あんた、あたしのパパを知らないって言ったわね。教えてあげる。パパの名前、言ってなかったでしょ。サルヴァドーレ・フェリーニ。ネアポリス選出の上院議員よ」
ルチアは顎を上げて、高慢に言い放った。フーゴは息を呑んだ。名実ともに、首相に一番近い男だ。
「あたしの名前、ルチアよ。ネアポリスの守護聖人、聖ルチアと同じ。ネアポリスはあたしの街よ。あたしが守るの、そのためには、マフィアだって使うわ」
「ぼくのこと、知ってて……？」
栗色の髪の少女は、笑って見せた。
「女の涙なんか真に受けてるんじゃないわよ。笑っちゃうわ。
パッショーネには子供ばかりのチームがあるって聞いてたけど、どんな恐ろしい人たちかと思ったら、あんたみたいなきれいで可愛い子だなんて。フーゴ、オペラハウスを守ってくれてありがとう。
でも、あんたがあの時教授の頭をかち割ってくれたおかげであたしの論文、３ヶ月遅れたのよ。最年少記録が更新できなかったじゃないの。それを考えたら、これでチャラよね」
フーゴは目を瞬かせた。
「ホラ！ 自分だけが頭がいいと思ってる。あんたとあたし、大学は１ヶ月だけ一緒だったんだから。あたしはちゃんと単位揃えて出たけどね。覚えてない？ そうでしょうね。あんたはもう少し女の美形センサーについてちゃんと認識しないとダメよ。忘れっこないって、あんたみたいな可愛い子」と言って、ルチアは彼にキスをくれた。
「あはは、これでおねえさんに秘密ができた。
あんたのおねえさん、好きよ、ただ優しいんじゃなくて、強くて、頭がいい。頭の悪い凶暴な人は嫌いだけど、あのひとなら、任せてあげてもいいわ。
あたしのこと、内緒よ。あんたとあたしの利害が一致するときには、また味方してあげるわよ。
そんな顔しないで。またたまにはお茶ぐらいしましょうよ、チャオ！」
ネアポリスの小さな裏の守護女神は、輝く笑顔を残して、身を翻した。
「……チャオ」
顔色を無くして、フーゴは立ちつくした。
１２
「オペラハウスの天井を割って現れ、テロリストの撒いた毒ガスでパニック状態の観客を鎮めた」という伝説でネアポリス市の生ける守護女神として皆に認知されたブチャラティは、部下の引き起こした分の騒ぎは本人にしっかり後始末をさせた。ボロボロになった貸衣装は、衣装屋が弁償を辞退してくれたが、きっちり当人のへそくりから払わせた。
「まったくこんな大ごとにしてくれて。おまえは当分休日なしのただ働きだからな！」
言葉は厳しいが、輝く笑顔で彼の女神はきっちりと締めた。一瞬でも、盛装して二人だけの時間を持てたのはやはり嬉しかったのだろう。色男の方も、病院のベッドの上から手を伸ばして、でこぴんを一発喰らわしただけに済ませてくれた。
無駄になったこけら落としのチケットを、フーゴは手の中でいつまでも見つめている。それを、ナランチャが取り上げて、放り投げた。
「おまえも、ひとの女になに入れ込んでるんだよ？ いくら綺麗でお似合いだからって、人形じゃねーんだから、どこまでもおまえの思い通りなんかに動くかよ。
……解ってるよ。ブチャラティは、母親って思うには、若くって綺麗すぎるよな」
「ぼくの母様だって若くって綺麗だったさ」
「おれのオフクロだって……」
「母様は、夜会に行くときにはあんな風に綺麗に着飾って、ミケーレ、いい子にしてお留守番するのよって、いつも……」
「お坊ちゃん！」
パンナコッタってのは偽名だったのか、まーそーだよな、とナランチャは内心肯いた。炎の剣を手にした戦う大天使の名は気性の激しい天才児にはふさわしいと思われたが、かつてはそれを重いと思って捨てたのだろう。
「おまえ、もういいだろ？ あのひとにも男が出来たんだし。おまえにはおれがいるよ。抱くのはちょっと、だけど、おれたちまだガキなんだし、一緒に遊ぶんならいくらでもしてやるよ。おれはおまえのこと好きだよ」
「ナランチャ、……ぼくも」
「な？ 今度ナンパにいこーぜ。おまえ顔いーから絶対もてるって！ それとも、ルチアだっけ？ おまえのメル友に友だち紹介して貰おうぜ」
「あんまり期待しないでくださいよ」
今度誘ったら、本当にルチアは何もなかったようにお茶に付き合ってくれるだろうか。年相応のガール・フレンドとして。フーゴは混乱したままに呟いた。
「……それで、テロリスト共をヤったのって、あの女の所の若いのだってな？」と、れいの社長が側近に尋ねた。
「ええ、アイドルみたいな可愛い顔して、本当に文字通り、骨しか残らなかったそうでさ」
「あの女のお披露目も兼ねてたからなあ。キレたってよ。グリマルディーニのところに乗り込んで、大人のくせにだらしねえつってイヤミたらたら言って締めたらしいな」
「それがれいの、大学を飛び出したって小僧なんですからねえ」
「パーティーの時、横にいた男も、あのあとテロリストと大立ち回りやって獅子奮迅だったし」
「あとで調べたらあばら２本折れてたって話でさ」
「そんなの押さえてんのか、きれいな顔して……」
「まったくたいした女ですな……」
＜おまけ＞
「ああ、うちの『アニキ』ですけど、なんとか今日中に退院させて貰えませんか？ ちょっと、彼じゃなくちゃできない仕事が来たんですよね。無茶はさせません……あ、無理を言って済みません。そうそう、これ、うちの『社長』から。いつも世話になってるし。どうも、怪我の多い職場ですいません」
にっこりとアイドル並みの笑顔を振りまいて、フーゴはアバッキオをごり押しに退院させた。
「荷物まとめてください。今ミスタが車回してきます」
「あァ？ 退院はもう１週間先じゃなかったか？ まだ背中んとこ痛むんだが」
暇をもてあましていたアバッキオは、嬉しそうにしながらも口は素直ではない。枕元には、上院議員と市長からの花が絶えない。もちろん、ブチャラティは毎日顔を見に来て面会時間ギリギリまでいそいそと世話を焼いている。
「何言ってるんですか、あんたに恥をかかせないように気を遣ったのに。いいんですよ、ぼくは別に。あんたが病院に泊まってる方があのひとと長く一緒にいられますから。
でもね、天気予報見ました？ 今夜から雨なんです。未だに雨の日は抱っこしてもらわないと寝られないくせになに意地張ってるんですか。ああ、気圧が下がりますから痛むと思いますよ。余計な運動はしないでくださいね」
トラウマ持ちの色男は飛び上がってベッドの上を片付けはじめた。
＜１１−０２−０９＞
蛇足。
第１回フーゴ主演記念作品（２回めか？）。アクション巨編。かなりオリジナル展開。暴走するパープルヘイズをブチャラティが無力化するには、と考えてオペラハウスの天井からの登場となった。おかげでこけら落とし公演が昼間だなんてマヌケなことに。
終盤のナランチャの台詞で締めて、「お人形遊び」というタイトル落ちから、裏ヒロイン登場により二人の女神の競演という内容に変わって書いてる最中にタイトル変更。こういうことは珍しい。
裏ヒロインルチア登場。ネアポリス（ナポリ）の女の子だからルチアってベタだと思って最初に除外したが、最後にフーゴをいっぱい食わせるというふうに話を変えたので、守護女神としてルチアで決まり。登場人物の名付けは面白い。
ブチャラティの偽名のベアトリーチェ・ブガッティはイニシアルがＢ．Ｂ．でイタリアっぽい名前を探した。ベアトリーチェはもしかしてトリッシュの名前の元ネタだったかも知れず、あとで冷や汗（トリッシュ・ゴスは実在のネタもとらしい）。
５部は美男揃いなのでオリジナルキャラは少し控えめに。ルチアは見苦しくない程度。ファッションや身のこなし、しゃべりで「快い」と思わせるタイプ。アバッキオと真逆。 二人を着飾らせて夜会に出したかっただけなのに、後付でとんでもない大仕事になってしまった。なにも考えないで書き始めるのも面白い。
今回ミスタさんの出番が少ししかない（ナランチャも）。５人フルに動かすのは結構難しいものだ。
イタリア警察と爆発物を軽くさらった。調べ物が無料ですぐにできるのはインターネット様々。イタリア警察のパトカーはブルーのカラーリングも美しいランボルギーニ・ガヤルド。アバッキオが乗ったらさぞ麗しかろう。
本当はオペラハウス爆破を未然に防いだのはフーゴの方だが、パープル・ヘイズ暴発のもみ消しの必要性もあるので敢えてアバッキオばかりを持ち上げている。
ネアポリスというのはナポリのことなのだが（じっさいケーブルカーが引いてあったりする）、なにも考えないで書いたら、ナポリには市を二分するような川は流れてなかった。川の流れてない街なんて！？ その辺はブログでネタにした。別に乱歩賞取りにいくような話じゃないからいいよね？
イタリアの議員については調べが足りない。上院議員は市単位で選出するものかな？ ふつうなら州単位で出すところだろう。ナポリならカンパニア州だが、そこまで突っ込んで書いてもしょうがないかと、「ネアポリス選出」とおおざっぱにやってしまった。
お代わり！
お腹いっぱい。もう帰る