カクテル・タイム
その朝（５０）
それは若きブチャラティがチーム・リーダーとして独り立ちしてしばらく経った頃。ネ
アポリス支部のチームが集まる定例の会議のあと、ふと昔ポルポやグリマルディーニに連
れて行って貰った店に彼女は立ち寄った。
「ええと、すみません、ちょっと一杯だけ貰えますか？」
川向こうの高級店。ポルポやグリマルディーニが一緒でなくてはとても足を踏み入れる
ことなどできない、市外からの旅行者にも名の通ったバーであった。
「おや、久し振り。胸張って大人らしく飲むなら、大負けに負けて入れてやるぜ、仔猫ちゃ
ん」
まだ混むには早い時刻だ。神経を張った会議の後と言うことを察して、バーテンダーの
アルトゥロが渋い笑みを見せた。
「あれ、だろ？ すぐ出してやるから待ってろ」と、摘み代わりにコインほどの大きさの
チョコレートを一枚出した。
……やっぱり子供扱いだ。
少し愉快な気持ちになって、ブチャラティは頬を緩める。と、すぐさまその目の前に、
大きめのグラスが置かれた。美しい青い液体が満たされている。
「はいよ、特製『フロラ・ディーヴァ』」
「ありがとう」
目を輝かせて受け取ったブチャラティは、ジュースに飛びつく夏休みの少年のように一
気に５分の１ほどもストローで飲んだ。
「忌々しいほどのいい飲みっぷりだな、フロラ。ホントにおまえは酒の有り難みが解って
ねえ」
アルトゥロが渋い顔を作る。
「あ、すみません」
ハッと気がついたブチャラティは、慌ててストローから唇を離した。
「いいさ。オレが悪かったよ。坊やを抱えてゆっくり飲むこともできなかったんだろ？
今まで。ま、好きにやりな。時間をおいたら氷が溶けちまうからな。
まあ、パッショーネのチーム・リーダーがスクリュー・ドライヴァーの２、３杯でこま
されるなんてのもみっともねえ話だからな、おまえはかえってそれでいいんだろうよ。
ただ、気をつけろよ？ サーヴィスでベースの方増量でいっといたからな」
「ありがとう……」
ネアポリスの海の、明るい青のリキュールが香る。これは基本、バラライカのアレンジ
だ。ホワイト・キュラソーを使うところをブルー・キュラソーにして青い色で目を楽しま
せるようにしている。
……おまえの目の色だな……。
ポルポは愉快そうに笑っていた……。
ひととき、ブチャラティは追憶に身を浸した。あの頃は艦長もいて、こんな小娘をこの
ような上品な店に連れて来ちまっていいんですかいなどと自分と一緒に恐縮していた。お
めえはまだジュースだッ、そう言って、自分のグラスを取り上げようとしてはグリマルディー
ニ老にたしなめられていたっけ。それでも、保護者が付いているからと、権力と経済力の
ある大人達は面白がっていろんな酒を勧めてくれた……。
……ああ、なんて飲み方をするんだこの子は。酒がもったいない。アルトゥロ、こうい
う子向けになにか考えてやってくれ。
まったく横にいるものも飲む気が失せるような色消しな飲み方に、たまりかねてポルポ
がこの店のバーテンに注文をした……。
「なんでえ、シニョーラ・ブチャラティじゃねえか。
ここも品が下がったな？ こんな小娘を入れちゃあ雰囲気が台無しじゃねえか」
急にだみ声に回想を破られて。ブチャラティははっとした。同じ会議に出席していた、
近郊のリュリ。同様にストレス解消に来たらしい、側近を従えていた。
「今日は会議ご苦労さんでした。リュリさんも楽しみにいらしたんですか？」
ブチャラティは止まり木を滑り降りると、すぐさま姿勢を正して一礼した。
「ああ？ ご苦労さんなんて上から言う台詞だぜ？ おまえみたいな小娘に言われる筋合
いはねえよ。もうちっと口の利き方から勉強し直すんだな？
第一おまえさんはまだ１７だろうがよ？ 未成年に酒を飲ましたってばれると遡ってグ
リマルディーニさんにまで傷が付くじゃねえかよ」と、リュリはあからさまに不快げにす
る。
「もう１８になりました」
つい、ブチャラティは抗弁する。
「オレの半分ほどってことに変わりがあるかッ！ ええッ？
頭下げろって言ってんだよッ」
リュリがほぼ同じ高さのブチャラティの頭を鷲掴みにして押し下げた。何を言っても
怒られる。要するに、インネンである。
「失礼しました」
ごくごく冷静な声で、ブチャラティは言った。
「なに出してんだよ？ ジュースだろ？」
リュリはカウンターの中のバーテンダーに声を掛けた。止まり木にちょこんと坐り直し
た少女ギャングは、まったくしらふに見えた。
「ポルポさんのご指示で、オリジナルを。
シニョーレ・リュリ、なににしますか？」
アルトゥロが渋い無表情で注文を聞いてきた。
「マティーニ。
オリジナル・カクテルだと？ 若い愛人にカッコつけて？ ポルポさんも焼きが回った
な……
いや、おれも同じものを貰おうか。いいだろ？」
「ええ、かまやしませんが。お口に合うかどうか」
アルトゥロが慇懃に尋ね返す。
「どんなだ？ ブチャラティ」
リュリはブチャラティに意見を求めた。
「ええと、甘いです」
おいおい、とアルトゥロが少し口を横に引いた。
「ハハッ。いいぜ。その甘いのを貰おうか。ブチャラティ、おまえにも１杯奢ってやる」
リュリは気づかずに格好を付けて見せた。
「じゃあ、注文入れますぜ？」
一瞬背を向けたバーテンダーは、目で店の黒服に合図した。
「いいんですか？ ありがとうございます！」
露骨にブチャラティは目を輝かせた。
「こいつはね、『フロラ・ディーヴァ』っていうオレのオリジナル・カクテルでね」
柑橘系の匂いを漂わせる爽やかな海のようなカクテルを２杯、カウンターに並べながら、
アルトゥロは気取って講釈した。
「このフロラ、ブチャラティがあんまりもったいない酒の飲み方をするもんで、ポルポさん
のご指示でオレが作ったんでさ」
「なんだ？ 一口飲んではひっくり返るってやつか？ ブチャラティ、おまえは酒が弱かっ
たのか？ そういえば宴会で飲んでる姿はあんまり見かけねえが……だらしねえな。ネア
ポリスの下町一帯を預かるリーダーのくせに、そんなんでどうする」
「そんなんじゃないんですけど」
ブチャラティはとぼけた顔で否定している。自分の頼んだグラスはもう空けてしまって
いて、お代わりをお預け状態にされていて気もそぞろな様子だ。
「それで、この子も落ち着いて飲めるようにって、思いっきり甘くしたんですがね。
そういや、おまえ、甘い方もいけるんだよな？」
アルトゥロは自慢のオリジナル・カクテルの苦労を語れる日がとうとう来て、いい気持
ちで話を引っ張る。
「あ、ええ、ウィーン風のうんと甘いドルチェは好きですね」
「ああ、甘いんだろ？ おれはそういうのも大丈ブーーーーーーッ！？」
軽い気持ちでグラスを取り上げて口を付けたリュリが一口含むなり吹き出した。
「はいはい」
予見していたアルトゥロがすぐさまナプキンを渡してやり、口直しの水を差し出す。
「どうぞ、チェイサーです」
ちゃんと断って。
「な、な、なんだこりゃ？」
その水を一気飲みして、リュリが、体裁も忘れて真っ直ぐ疑問を口に出す。
ブチャラティはその飲みさしを一口ふくんで、うっとりと飲み下した。
「別にいつものと同じ味ですよ？」
そう言って、ごくごくと、グラスに直接口を付けて飲み干す。
「シニョーレ、こいつはアルコールに強いんです。まるっきり水と同じにカパカパ空ける
もんだから、ポルポさんが弱られて、それで、スピリタス・ベースに変えたんで。これぐ
らいだと、なんとか酒を飲んでるような体裁は繕えるってんで」
「口に含んでると甘くなってくるんです。アルトゥロさんはさすがだ」
ブチャラティはご機嫌でまた一口、自分の前に出された方を飲み下した。その白いとぼ
けた顔はなんの変化も見せていない。
「な、なんて小娘だ……おい、灰皿」
必死に体裁を整えようと、懐から紙巻きを出して咥え、火を付けようとして、リュリは
遮られる。
「シニョーレ、待ってください、こいつは半分はスピリタスなんですぜッ！？」
しかし、一瞬早くその指はフリントにかかっていた。ギリギリと歯車が回って火花が散
る。おまけにさっき盛大に吹き出して衣服にかかっていたものだから。
ボウゥッ。
純度９６パーセント、磨きに磨いたポーランドの蒸留酒は発火した。
「あぢぃーーーーーッ！！ 」
立ち回りを警戒して手配しておいた黒服が迅速に消火活動を行って、混乱は一時で収まっ
たが。
「ブチャラティ、おまえ、当分この店は出入り禁止で頼むな。店長におれが怒られる」
苦い顔のアルトゥロにブチャラティは言い渡された。
「レシピは書いてやるから。うちで飲め。火気厳禁だぞ！」
紙ナプキンに、スピリタス：ブルー・キュラソー：レモン・ジュース＝２：１：１と書
いて貰って、ブチャラティはとぼとぼと家路についた。フーゴは実家では幼い頃からワイ
ンは飲んでいたらしいが、やはり酒の相手をさせるのは抵抗がある。
……同い年ぐらいで、酒の相手をしてくれる部下か同僚がいたらいいのに。
うわばみな少女ギャングはちょっと悲しい気持ちになっていた。
（２０−０１−１０）
蛇足。
うわーどうしよう、ほんとにもうネタないわーと思ってたら、「ブチャアバさんに６９
の質問」というのを拾ってやったことを思い出して。その中に、２人はどんな酒をどう飲
むのが好き？ というような質問があって、ブチャラティザル説が自分の中でむくむくと
盛り上がりました。そして、「解るひとが見ると驚くような強い酒をカクテルにして飲ん
でいる」と。あの最凶のスピリタスを、ストレートではなくカクテルで（きっとチャラい
酒を飲んでるようにごまかす必要があって）。とにやにやしてたら、絡まれるブチャラティ
（やや若め）が思いつきました。
ウオトカ・ベースで、ホワイト・キュラソーで香りを付けたバラライカというカクテル
はホントにあります。「おまえの目の色のカクテル」とかいってバブリーで甘甘な雰囲気、
しかし凶悪な９６％という実に幹部らしいカクテルを目指しました。わたしアルコール分
解酵素がないのでお酒は全然だめですが、カクテルは蘊蓄が面白いので憧れがあります。
レオーネ君も時々幹部のおうちカクテルに付き合ってあげてたらいいな。
これで、「ＳＯＳ」おまけの「パッショーネの友」（ｗで書いたネアポリスのお勧めの
店ネタを消化。オリジナル・カクテル「フロラ・ディーヴァ」とはブチャラティのこと、
というのは深く考えてないネタだったんだけど……。当然このお店は「理由」でイエロー・
テンペランスがアバッキオのふりをしてナンパしてぎったんぎったんにされる店です。あ
あ、ホントに伏線をどこにでも埋めておく女だ。アバッキオのお巡り時代じゃないけど後
で助かるぅ。今のところ最後の未回収ネタが残ってますけど、鬱ネタなのできっと春になっ
てから回収すると思います。うん、ジョルダーノの店に預けてあるアレ。