クリスマスの賢者達
１
秋も深まってくると、もういけない。この地方特有の天気が立ちふさがる。
「寒いだろ？ 教室戻れよ」
「別にいい」
「冷えるだろ？」
「スラックスだから大丈夫」
屋上も雨が降っては出られなくて、その手前の階段のてっぺんに二人して並んで坐って、
階段は響くから声も抑えて黙りがちのお弁当タイム。
「文化祭が終わったらあとは期末か。つまんねえ季節だな」
「ああ……練習は？」
「室内練習場があるからな。今日は行かない日だけど」
さすがはプロチーム、トレーニング・ルームの施設も立派なものだ。ただ、こちらはユー
スの、しかもコネで練習させて貰っている立場だからそんなに堂々とは使えないけれど。
「じゃあ、帰りにうちでお茶でも飲んでけ」
「そうさせてもらうよ」
なんてことを囁き交わしていると、
「貴様らッ！ こっちが寒くなるから美術準備室へ来いッ！ ボクがコーヒーを飲ませて
やるッ！」
頭から湯気を出した岸部露伴が踊り場からこちらを見上げて怒鳴ってきた。
２
「これからどうするつもりなんだッ！？ 雪が降り始めたら３月いっぱいまで屋上は閉鎖
だぞッ」
私物のサイフォンにその日の気分に合わせられるように３，４種類の豆の入ったキャニ
スターまで持ち込んでいた岸辺露伴は電熱器のスイッチを入れてけんか腰に尋ねてきた。
「ああ、そうか」
「別に適当に」
ふたりはとくに心を動かさずに顔を見合わせた。
「なんでキミたちはそんなに計画性がないんだッ！？ 自分たちのことだろうがッ」
「だって」
アバッキオはいままで普通に教室で食べて、あと適当に友達と過ごしていたから、昼休
みに行く場所がないことなんかこの５月まで思いもよらなかったし。
「図書館でも、廊下でも」
天気が悪いならわるいで自分の席で本を読んでいたブチャラティは別にどこでもいいと
思っている。
「キミたちは目立つんだッ！ 人目に付くところでいちゃいちゃするなッ」
「いちゃいちゃって」
アバッキオはとりあえず今日の行動を自分の記憶をサーチして検分しに入った。結論、
いや、してないから。
「目障りなんだよッ！ っていうより眼を惹きつけずにおれないんだッ！ 自覚しろよッ！」
「先輩だけじゃないんですか」
ブチャラティの方は斬り込む。
「露伴と呼べって言ったろッ！ とにかくッ！ あしたから２人ともここへ来いッ。そし
てスケッチさせろッ」
露伴はいきり立ってさらに注文を付けた。
「なんだそういうことですか」
アバッキオはすぐに露伴の目的という答えが出たので安心した。
「露伴先輩は話に割り込まないんですよね？」
ブチャラティは迷惑そうにする。
「服は着てていいんですよね？」
アバッキオが重ねて確認した。
「当たり前だッ！！」
岸辺露伴は知能犯に見えて自縄自縛するタイプだった。
２人はほとんど食べ終わっていたが、露伴はこれからのようだった。
「先輩の分、なにか作ってきましょうか？」
アバッキオは気遣いを忘れないタイプ。
「遠慮は無用。ボクの母も料理は得意だ」
「その弁当箱はシックでいいですね」
ブチャラティが目を留める。最新技術による黒い樹脂漆の和風の弁当箱だ。和風の煮物
や肉団子、焼き魚などが彩りもきれいに詰められている。蓋には金漆で幾何学模様。いや、
そう見えてどこかの家紋なのかも知れない。
「向山塗りの新作だ。樹脂の中蓋が付いて汁気が漏れないようになっている。こういうの
が出たら需要はあるぞ」
露伴はお坊ちゃんで趣味人だから持ち物のほとんどに美意識が行き届いている。新調し
たての弁当箱を褒められてとたんに機嫌が良くなった。
「高いんでしょう？」
「そうでもない……」
うきうきと会話をする２人をよそに、アバッキオはブチャラティ専用の弁当箱を買いに
行くべきか、それより明日から露伴にお茶菓子を持ってくるべきかを悩んでいた。
３
翌日、とりあえず母親に焼き菓子を焼いてもらって、放課後美術準備室を訪れると、岸
辺露伴は頬を緩ませた。
「丁度いいところに。そろそろ意見をしてやらなくちゃと思っていたところだ」
「それはどうも……」
「空気が読めないのは生れつきか？ マケンゲンでも目立ってるそうじゃないか？」
「え？ たいしたことはしてないですよ」
「試合には出なくていいっていったろ？ 入れよ、でかい図体で入り口を塞ぐな」
「……すいません」
アバッキオを招き入れると露伴はコーヒーを淹れに行った。
「目立たないようにしてればいいのに、いいこちゃんぶって雑用までこなして。試合に出
してくれとアピールしまくってるって話だぞ」
「いや！ そうじゃなくて、先輩に無理言って混ぜて貰ってるからせめてできることはし
ようって思って……」
そう取られるとは思わなかったのでアバッキオはへこんだ。古き良き地方都市も町中は
随分殺伐としているようだ。それを見ると、露伴はいらいらと口を開く。
「役に立ってるってさ！ 正式なクラブ生より使えるって。田舎だから、外国人、コーカ
ソイドなんか当たったことないのが多いからな、大会でビックリしないように慣らせられ
る。でかいのに食い下がられる練習になっていいって！ 親に感謝するんだな！」
「……はい」
しおらしく返事すると、露伴は怒りの矛先を失って頭を掻きながら話題を変えた。ブチャ
ラティのように口答えも小気味いいタイプとは違ってやりにくいらしい。
「……彼女とはどんな話をするんだ？」
「え？ 宿題とか、授業の話とか。ＴＶ番組のこれが面白かったとか、ふつうに友達と話
すようなことですよ」
やっぱり音楽の話は出ないけれど。
「どこかへ遊びに行ったりするのか？」
「買い物とか多いですよ。ああ、先輩の弁当箱みたいなのって大那に売ってます？ それ
とも専門店行かないとないですか？」と、地元の老舗百貨店の名を出して聞いてみた。
「あ？ そうか。ならボクはそれをクリスマス・プレゼントに贈ることにしよう。貴様は
譲れ」
「……クリスマスはいいですけど、とりあえず繋ぎになんか買ってもいいですか？ あれ
あねきのお下がりなんで可哀相かなって」
「今頃気づくか！ ボクのが引き立つように安物にしておけ。間違ってもキャラクターの
付いた幼稚なやつにするんじゃないぞ！
……それで、どうするんだクリスマスは？」
「あ、はい、うち家族でやるんですよ。親父毎年クリスマスだけはちゃんと帰ってきて。
サンタ服着て近所も回るんで楽しみにされてて。オフクロのシュトーレンは子供が生まれ
てから本読んで作りはじめたとか言ってますけど、毎年味が変わって当たり外れが微妙に
あるって言うか」
このシーズンは漬け物の漬け込みがあるから忙しいのに、なんだかんだ言いながら毎年
ちゃんと手作りしてくれている。
「彼女と過ごすんじゃないのかッこのタゴサクッ！？ 貴様それでも若人かッ」
「…………あ、だって」
ブチャラティには弟たちがいるのだ。養父が入院中だから、なおさら家は空けられない
だろう。
「そうか、ナランチャ達も呼んでやらないとな」
ひとりで肯いているとさらに露伴は激高した。スケッチブックをテーブルに２，３度叩
きつけて怒りをなんとか抑え込むと、身を乗り出して低い声で言った。
「………………新都グランドホテルを押さえてあると言ったら？」
「あそこのレストラン、ル・ミニョン、高くないですか？ 高校生が喰いにいくようなと
こじゃないでしょ」
クラスの男子がそういう話をしているし、タウン誌やポストに投げ込まれる無料情報誌
でもその手の記事が増えている時期だからアバッキオにもついて行けた……？
「取ってあるのは客室だッ！！ 最高級スィート！」
声を抑えながらも、暗い情念はたっぷり込めて、露伴は言い放った。
意味を理解してアバッキオは耳まで赤くなった。
「先輩ッ、高校生はそういうのいけないと思いますッ！
そ、それでもしかしてブチャラティのこと誘ったんですかッ！？ 彼女はおれとッ」
「この正義君がッ！ この岸辺露伴がそんなことするかッ！」
した。
昨日、放課後ブチャラティを呼びつけて、同様に部屋を取ってあるともったいぶって言っ
てやった。
「先輩は誘う相手を間違えてると思いますけど」
あっさり言うので、また逆上した。まったく自分には興味がないという顔をして、ちゃん
と人間関係を押さえていたのに驚いていた。
「当たり前だッ！ ボクには親公認の大切な女性がいるッ！ そうじゃなくて、キミたち
が使ったらいいって言ってるんだッ！ 今年は向こうの別荘で過ごすことになったからッ」
「見返りは？」
ブチャラティは冷静に尋ねた。
「今度は後ろ姿を描きたい。ラリックの香水瓶のイメージで」
「さんざんスケッチしたじゃないですか、夏までに」
「体型が変わったろッ！ ぷりっぷりの女の尻になったッ！ なにやってんだ一体ふたり
してッ」
「もう１６なんですから。わたしにだって第二次性徴が来ますって」
嬉しいような怖いような。脂が載ったら喰われるヘンゼルの心境がちょっと分かる。喰
われたい相手は手を出してこないし。もう露伴にも人前に出すようなものを描いて貰いた
くない。目立ちたくない。
何があったか尋ねてもぶるぶる震えながらただ身を竦ませていたナランチャ。唇を噛み
しめて、家からたったひとつ抱いて連れてきたというシュタイフの熊をカッターナイフで
切り刻んでしまったフーゴ。ひとつタイミングが狂えばそれは自分の身にも起きていた。
いや、早晩自分の身にも訪れることだろうとブチャラティは読んでいる。
「服着てていいからッ！ ええと、あの、水着みたいなダンスの時のアレ」
露伴はあろう事か惑乱の余りど忘れまでして。
「レオタード？ 持ってないんですけど」
ほんとに冷静で小憎らしい。
「２人でクリスマスだぞッ！ グランドホテルだぞッ！」
「隣の部屋から先輩が覗いてたりするんでしょ？」
「するかッ！ もし絡みが描きたいなら正々堂々申し込むッ！」
「アレにそんな度胸があるわけないです」
「まあそうだ」
「……結構ですから、ほんとに」
突っぱねながらも、なんだか寂しそうな雰囲気を察して、露伴はアバッキオの方を攻め
ることにしたのだ。
４
「ブチャラティが子供の頃の話をしたのを聞いたことがあるか？」
「え？」
露伴は背を向けたまま声を落として尋ねてきた。
「彼女の昔話をなにか聞いたことがあるか？ どこで育ったとか、母親はどういうひとだっ
たかとか」
「え、あ、いや、ないかも」
アバッキオは会話を放棄して記憶をサーチし始める。振り返った露伴はその襟首を捕ま
えておいて、顔をくっつけそうになりながら囁くような声で言った。
「彼女は１０才より前の記憶がない」
「は？」
「６年前になるか？ 新都駅で大きな通り魔騒ぎがあったろ？ 麻薬をやって頭がおかし
くなった男が５，６人手当たり次第に殺して回った」
「あ、ああそういえば」
そのあと丁度再開発が行われて、駅前の様子は一変した。もう、事件は風化した。
「新都に来たばかりの観光客も一人いた。外国人の」
「え？」
そうだったっけ、とアバッキオはまた記憶を巻き戻す。しかし、自分だって小学高学年
だ、新聞の大見出しぐらいの内容しか思い出せない。
白昼の通り魔！
流血の現場！
倒れ伏す人々！ そのとき通行人はなにを
また麻薬中毒！ 風紀の乱れを憂う……云々。
そういえば、外国人がいたかも知れない。幼い娘を連れていたと書いてあったかも知れ
ない。
「ブチャラティは、目の前で父親を殺されたんだ」
「せん、ぱい」
アバッキオの声は擦れた。
「田舎だから、イタリア語を話せる人間が手配できなくて、他の被害者にもかまけてしば
らく放置してるうちに、言葉を失ったらしい、それ以前の記憶も。しばらくは全くしゃべ
れなかったと。パスポートは持ってたから、大阪の領事館に問い合わせて対応していたが、
本国にももう身寄りがいなかったとかで」
「養父って」
「ああ、仕事上の友人ってのが新都にいて、身元引受人になったって。それでうちの学校
には４年生で編入したんだが、しばらくはクラスも一人きりで独自カリキュラムだったな。
彼女、１０才から日本語初めてああなんだぜ？」
道理で大人びた男ことばだ。
息苦しくなってアバッキオが首を振ると、ようやく露伴は手を緩めてくれた。
「クリスマスは、絶対、最高のにしてやれッ。協力なら惜しまん」
「先輩、よくそこまで調べ上げましたね……」
つい感心すると、露伴は昂然と胸を張った。
「愛するものを理解したいと思うのは当然のことだよ」
「それって、マッド・サイエンティストの台詞ですよね？ クローム・バランシェ」
愛しているのかという方を突っ込むべきだった、とは後で気づいた。
「『ファイブスター』を読んでるのか？」
露伴のゴキゲンは格段に良くなったが。
「中学の先輩がはまってて読まされました……あれ続き出ないのかな」
「あれは物語でウィンチェスター館をやってるんだ。完成しない限りは評価されない、そっ
ちへ逃げて。
コミックというのはたいした総合芸術だよ。ちょっと物知りのデザイナー風情が手を出
していいもんじゃなかったってことだ」
「世界観は面白かったですけど」
「自然、世界はすぐに変幻する。それを描ききるには凡才では時間が足りない、そういう
ことさ。彼の場合は、受け手、読者の方が横に繋がることで急速に進化して彼の描く世界
を超えたんだ。ネット社会の犠牲者とも言える。
このボクを以てしても、世界の美は捉えきれないんだ、たった一人のモデルさえ描きき
れない。古来心を病む画家、作家が現れるのも理解できなくはない。
……芸術論をやってる場合じゃない」
岸辺露伴は夢から覚めた顔で声音を変えた。
「ああ、はい」
「いいな、最高のクリスマスを」
「ご指導ありがとうございます」
最敬礼して美術準備室を出て、アバッキオは露伴が解らなくなった。
５
「この季節っていつもたまんねえ。降るなら降れよーッて。なんでこんな。足元は悪いし。
雪は好きだけど、こんなに厄介なもんとは思ってなかった」
ブチャラティのうちに顔を出すと、これ幸いと弟たちの相手を引き受けさせられた。特
進は期末の前に１１月中にもう一度実力テストがあるらしい。ご苦労様です、とアバッキ
オには他人事。
うちからもう使い込んだ据え置き型のゲーム機を持ってきてやると、ナランチャは露骨
に機嫌が良くなった。フーゴも加わって音を消して、対戦。
意外なのが、最後まである種冷静なのがナランチャの方で、フーゴは個々の局面では頭
がいいが、すぐにムキになって全体を見失って自滅する。その辺がまだ１歳分の年の差だ
ろうか。持って生まれた性分かも知れない。
「そうだなあ……おまえら生まれはどこよ？」
慎重に、アバッキオは話を切り出した。引き取られたと言っていたし、名前のこともあ
るし、見るからに人種が違うし、だいたい雪が待ち遠しいなんてこの辺の感覚じゃあない。
「ああ、わかんね」
ナランチャはあっさり言った。
「生まれは温かいところだったと思うけど、何語しゃべってたかねー、英語じゃないみてー
よ、今苦労してるし。
食い詰めて神戸辺りに潜り込んだんだけど、親父ったら下手打っておれを放り出して逃
げちゃった。そんで」
「ぼくはお家騒動で出されました。母が後妻で。小学校までは神戸のアメリカン・スクー
ル出てます」
はあ、それで。あの辺は日本でも国際的な方だしね。
「今の養父が、本業は不動産ですがちょっとしたモデルクラブもやっていて、そこでモデ
ルをしながら養って貰って」
「ちょ、フーゴ」
ナランチャが慌てた。
「面倒な事情ならいいぞ？」
アバッキオも及び腰になる。
「聞きたいから話を振ったんでしょう？ 重い話題ですから二度は聞かないで。あのひと
にも」
フーゴは画面を見つめながら言った。
「あんたなんか知らないような高級ブランドの専属子供モデルです。ぼくら容姿に恵まれ
てるんで」
あっさり言ったな。
「ブチャラティはもう、ため息が出るほどきれいだったけど、背が伸びるのが早くて、
『卒業』も思いの外早かった。この業界長くトップでいるのは難しいんですよ。その辺気
にしてますから絶対追求しないでください」
フーゴの口調は、いつもに増して冷たく、妥協を許さない感じだった。
「あ、ああ」
女のコだからと秋になってからいろいろお菓子の食べ歩きに誘っているのに、乗ってこ
ない。弁当も、哀しそうな顔をして途中でやめてしまうことが増えた。口に合わないんじゃ
ないと謝ってくれるけど、アバッキオは気が揉めた。節制しているのはそういうことか、
とアバッキオは申し訳ない気持ちになる。なんとなく身体の線が丸っこくなってきたのは
自分でも解るから、露伴には厳しく追及されていてストレスなのかも知れなかった。絵の
モデルに抵抗がなかったのもそういことか、と腑に落ちた気にもなる。
「そのうち養父が病気になって、仕事は開店休業。まあ食うには困ってませんけどね。ヘン
なお節介やいたりしないでくださいよ」
ぴしゃりと言われて、アバッキオは言葉もない。
「解った……」
「……冬って乾燥するものだと思ってました」
フーゴは話題を静かに転じた。
「おれたちは逆だ、『サザエさん』ちはなんで毎年冬が来ねえんだろって思ってた。いつ
までも地面乾いてて。……こっちはホントの日本じゃねえんだなあ」
「放送禁止用語出すつもりですか？」
「いやほんと、裏なんだよなあ、向こうさんから見たら」
「でもそれなりに趣はありますよ。夏はその分派手だし」
「ここ最近はほんと暑いよな。梅雨開けたら毎日真夏日が普通だもんな」
ナランチャがホッとして様に話に入ってきた。
夏にはエアコンの効いたこのうちに入り浸って随分楽をさせて貰った。宿題も教えて貰
えたしね。そういえば、この前まで気づかなかったと言うことは、アバッキオが来ている
間は弟たちは部屋で息を殺していたのだろうか。悪いことをした。アバッキオはなおさら
胸が詰まる。
いい匂いがし始めたなと思っていたら家政婦さんが夕食の支度を調え終わった。
「やべえ、長居した」
アバッキオは真っ暗になった外を見て慌てて腰を上げる。
「済まない、ちょっと厄介な問題で区切りが付かなかった」
ブチャラティが疲れた顔でダイニングに顔を出した。
「いいよ、また明日学校でな」
ちょっとその頭に手を置いて、アバッキオはマンションを出た。
６
「ねーちゃん、無理しない方がいいぜ？」
「人には向き不向きというものがあるんですし」
食事をしながら、今日の成果を見せられて２人は気の毒そうな顔になった。
「いや、あの男は絶対こういうのを大切にしてくれる男だ。一生に一度のクリスマスだ、
わたしだって一度はこういうことをやってみたい！」
胸を張るブチャラティの顔は、なんだかやつれて目だけが光ってきている。
「でも、せっかくうちに来てくれたのに相手しないってなんだよ？ だーりん可哀相じゃん」
「そうですよ。彼も自分の勉強とかがあるんですから、相手ができないなら帰って貰った
方が……」
「だって、そしたら別の子に引っかけられるかも知れないじゃないか。そんなリスクは冒
せない。あいつの容姿は目立つんだから、隔離しておかないと」
流されやすいタイプみたいだし。
そりゃあ声を掛けたのは自分の方からで、最初の頃はいつも話を振るのは自分からだっ
たが。好きともなんとも言わないうちに、いそいそ弁当持ってきたのには驚かされた。露
伴に指示されたからって素直にクラブチームに参加してるし。サッカーはもうやらないん
じゃなかったのか。そこで「サッカーをやってるカレ」が欲しい女子に声を掛けられたら
ホイホイついてくんじゃないのか。ああ、気が揉める、とブチャラティはこのところ情緒
不安定だ。
「女って腹黒いんだなー。ねーちゃんでもそうなのか」
「ほんと、勉強になりますよ」
しみじみ言われて、実はけっこう手が出るタイプのブチャラティは黙ったまま弟たちを
テーブルの下で蹴っ飛ばした。
７
アバッキオが母親に相談すると、二つ返事ってこうなのかって感じ。
「ああ、いいよ」
光が入ると緑になる、いわゆるヘイゼルの眼を、ちょっと見開いて肯いた。
「弟とか、いるんだけど」
「連れて来まっし」ぽんぽんぽんっと、額の所を平手で叩かれた。
これは相当手伝いをさせられるな、とアバッキオは頭の隅っこで覚悟した。
ブチャラティのうちに行ったときに弟たちに切り出すと、最初微妙な顔をされた。
「うちのクリスマスは、みんなで飯喰うだけだけど……オフクロが大きな鶏を丸焼きにし
たり、ドイツのクリスマス・ケーキ焼いたり、いろいろご馳走で……多少一芸は披露して
貰うかもだけど。クリスマスツリーはうちの前の木に気合い入れて電飾つけて、……新都
城からも見えるって」
「ああ！ あの向山の！」
「個人のお宅だって噂は聞いてましたが」
「イタリア人でよければサンタがプレゼントくれるから。一応これが希望調査票。予算に
よって多少グレードダウンは覚悟してって」
「そんなご迷惑はッ」
「いーのっ！ だからおまえたちのねえちゃん誘わせてくれよ、頼むよ」
お猫様のお姉様は今日も試験勉強中。なんのためにうちに来てるのか解らない、とは意
地でも言わないようにしている。外堀から埋めないと、ね。
「……あんたたち２人だけ別行動とかは許しませんよ？」
「フーゴッ、また蹴飛ばされるぜ？」
ナランチャががははと笑って言った。
「蹴ったのかよ……」
お猫様ったら意外とおてんば？ そういえばアバッキオも蹴飛ばされた、１，２度でな
く。
「あ、いえ、本気じゃなかったですから、たぶん」
汗をかいて否定して、フーゴも殊勝に首を垂れた。
「じゃ、言ってみますね？ たぶん大丈夫だと思います」
「楽しみーッ」
「ぼくらから一応あんたにプレゼント用意します？」
「気持ちでいいよ」
笑ってやって、アバッキオは声をひそめた。
「そんで、ブチャラティの今欲しいものってなんだよ？」
８
クリスマス・イヴの新都市は冷え込んでいた。一応午前中に終業式があって、その後の
集合。アバッキオはブチャラティが面倒見てくれたので期末も成績が良くてほくほく。弟
たちも、それなりの成績は取れたらしい。明日は病院に養父の見舞いと報告に行くという。
「もしかして、もしかしたりする？」
ナランチャは空をしきりに仰いでワクワクしながら集合場所の市中心部のバス・ターミ
ナルに現れた。新都は駅が市の外れにあって、狭い城下町の曲がりくねった道ではもっぱ
らバスが市民の足。あとは「一度は訪れてみたい」といわれる昔からの観光地だから、小
型のタクシーがひっきりなしに往来していて、みんな気軽に拾って乗る。
「そんなこと言って毎年降らねえんだよ。雪降ったらバス大変だから降らない方がいいよ」
昼過ぎまで時雨れていて、地面は濡れている。
「向山ってバスで何分ぐらいです？」
「たいしたことねえ。２０分も乗ってりゃ終点の巽峯寺さんで下ろされる」
「それであんたの家は？」
「そのひとつ前」
「うわーホントに向山のツリー見に行くんだ、楽しみ」
ナランチャは武者震いしている。
「最近うちの前見物の人で渋滞するようになってな。気をつけろよ、スノータイヤで足踏
まれたら痛いぞ」
「まるで踏まれたことがあるみたいに」
フーゴが皮肉に笑ってみせると、
「あるから言ってるんだってば」
アバッキオは髪を振って唸った。
「ちょ、大丈夫だったんですか？」と、フーゴは途端に慌てた。
「頑丈にできててな」
「オフクロさんに感謝ねー」
ナランチャが笑ってくれて皆助かった。
「ホントにいいのか？」
お猫様は困ったような顔をしている。なんだよ、そんな顔。とアバッキオは面白くない。
「露伴先輩とグランドホテルの方が良かったか？」
拗ねた振りで言ってみる。否定してくれると信じてる。
「なんでそれをッ！？ あのひとはホントに訳が解らない。嫌がらせだと思ったのに」
ブチャラティはさっそくネタを割ってくれた。やっぱり誘ったんじゃないか。
「根はいい人なんじゃないかと……思うようにしてるけど」
そんなことはしないと言っておいてしっかり誘ってるんだから、やっぱりアバッキオは
心が揺れてしまう。
「ああ、おまえはそうしてろ。こっちで警戒は続ける」
ブチャラティは困った顔を少し緩めて短く言った。ロングのコートからは、黒タイツの
足首が覗いている。短い丈のブーツを履いた、細い、細い足首。って、膝下のパンツとか、
とってもおしゃれなキュロットとかの可能性もあるから過剰な期待はしない方がいいと思
うけど……やっぱり期待する。
「バス停降りてから歩くのか？」
「いやそんなでもない。って、田舎の人間の『そんなでもない』じゃなくて、うちの裏手
だから。ほんとにバスが来た音聞いて出て乗れるから！」
「田舎のバスって待っててくれたりするんじゃないんですか？ 常連だと」
フーゴはつめたい。
「別に今日は足元が悪い訳じゃないだろ。大丈夫」と、ブチャラティは自然体。
ああ、ほんと頼みます。
暮れかけたターミナルから向山を望むと、いつもより２時間も前から気合いを入れて点
灯した今年も派手派手なクリスマス・ツリーがもう光っていた。
「おう！ あそこにサンタ！ 登ってるよ、ハシゴ登ってるよ」
「ナランチャッ」
バスの中から歓声が上がっている。ナランチャがおおっぴらにガラスに貼り付いて指を
指して騒ぐから、乗客もつられて抑え気味に声を上げたりもしている。
「向こうからソリが滑ってきて、ほら、スリー、ツー、ワン、着いた、サンタが下りた！
すごいな今時のは」
ブチャラティが顔を輝かせてフーゴに指を指して見せたので、もう、アバッキオはそれ
だけで今日は甲斐があったと思っている。
「毎年期待されてるからいろいろ新しいの取り入れて。もう予算重荷になってるんだぜ」
「それは大変」
うっとり見つめながら、ブチャラティが短めに相槌。
「おれが受験だったからって去年はやめたら、ご町内から麓まで、今年はアバさんのお宅
はご不幸でもあったんですかってもうひっきりなしに問い合わせが来て、うるさくってか
えって勉強にならなかったよ」
「それは大変」
まったく同じ文句になっていても頓着しない。
実際にはその頃にはもうスポーツ特待生の推薦が決まっていて、余計な気遣いとなって
姉たちにはぶうぶう言われたんだった。
「その分今年は気合いはいってるみたいだ」
どちらかというと、アバッキオが律儀に聞いたとおり話したブチャラティ姉弟の身の上
に両親が心を動かされて、楽しいクリスマスを経験させてやらなくてはと気負い立ってし
まったのだった。
「ほら、次だ。えーと、古いから驚かねえでくれよな？」
アバッキオは念を押す。バス停の背後は大きな暗がりだった。少し行ってカーヴを曲が
ると、確かにもう見物の車が１台２台停まっている。ここで気分を盛り上げて、レストラン
へでも向かうのだろう……。
樹齢は１００年に届くだろうか。
梢を見ようとすると首が痛くなるような巨木。
それに、色とりどりの小さなランプのついた電線が、幾つも架け渡してある。それは、
リズムを作って明滅する。
車窓からナランチャが歓声を上げたように、中程から４分の３ぐらいの高さまでの間に
電飾のハシゴ段が掛けてあって、サンタがそれを今にも登ろうとしている。
大がかりなソリの電飾は下から３分の１辺り。ブチャラティが描写したとおりに、ソリ
が滑り入ってくるようなパターンで明滅する。
その他、色とりどりのモール飾り、きらきら光る大きなオーナメント、近所の子供達が
作って持ち寄ってくれた雪だるまやサンタの人形、靴下の形の紙細工の飾りなどがびっし
りと下がっている。
「近くで見るとすげえ」
ナランチャはもう首が痛くなるほど上ばかり見ている。
「足元気をつけろよ？ 電線は端っこにまとめてあるはずだけどな」
アバッキオは、これを初めて見た人間のとる態度として見慣れてはいても、やはり誇ら
しいような気持ちになる。
「ッ！ 失礼、なんでもありませんッ」
フーゴが上ばかり見ていてブチャラティにぶつかった。
ブチャラティは、そのツリーの陰から現れた築１００年と思える古民家を前に立ち止まっ
て絶句していた。
「合掌造りだー」
「違いますよッ」
「立派だなあ」
「古いって言ったろ？ 中入って引くなよ？」
アバッキオは肩をすくめて玄関扉を引き開けた。
「ただいま！ お客さん連れてきたぜ！」
９
「まあまあ、いらっしゃい、ようこそ。さあ、上がるまっし」
見た目は先祖返りのせいで骨太のドイツ美人が、しゃべるときはベタベタな新都方言で、
おまけに性格は芯が強くて働き者の北陸女性。ギャップ萌えでころりといかれたイタリアー
ノは婿入りのようにこの地に居を定めてしまった。そういう事情がもう３０秒で見て取れ
る。
大きな等身大の銘木のスライスを磨きあげた衝立が、玄関、上がったところでどんと冷
気や視線を遮っている。それをよけてすぐ右へ入ると教室ほどの広さのフローリング、いや、
黒光りする板の間の茶の間で、時代錯誤のおおきな囲炉裏にはあかあかと火が燃え、天井
から下がった自在鉤にはチャウダーの煮えた大鍋が掛けてあった。漆喰部分は真っ白だし、
柱は黒光りしている。たぶん、そこら辺に掛っている更紗とか藍の刺し子のタペストリは
傷んだり汚れたりしてどうしようもない部分を隠してるんだろうけど、その辺はイタリア
人のセンスで、もうインテリア雑誌のグラビアのよう。なんというか、いいカンジに折衷。
横の、土間になっている台所からは、チキンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきている。
近代的なマンション暮らしの長かった「美少年（女）モデル」たちは絶句して立ちつく
していた。
「いらっしゃーい」
蜂蜜色のブロンドの大柄な美人が２人も現れて、ハンガーを手にコートを受け取る。
「こっちがサクラあねき、で、こっちがローザあねき」
「うわーすげー美人の団体！ だーりん面喰いだろ？ 解るぜ」
目を輝かせたナランチャが、ついつい最近言い慣れたアバッキオのあだ名を呼んでしまっ
た。
「『だーりん』？ あんたこの子のダーリンなわけ？」
関西の大学に行っている上のサクラが目を輝かせた。髪を巻いてみたらゴージャスにな
りすぎてもう男が恐れて寄りつかなくなってしまったと日頃こぼしてるのに、弟が彼女を
連れてくるときいて今日は気合いを入れてみたらしい。もう、一昔前のハリウッド女優か
という煌びやかさになっている。
「ちげーよ、サクラねーちゃん。おれのねーちゃんのだーりん」
「ば、バカッ、ナランチャッ」
さすがにブチャラティが焦って遮った。
「だって言ったじゃん」
「いや、あの、それは……」
「ブチャラティも取り乱したりするんですね……それだけ緊張してるんです。大目に見て
ください。ぼくはパンナコッタ・フーゴ。今日はお招きありがとうございます。
これは義父から、皆さんでお召し上がりくださいと」と、フーゴがすかさずペースを乱
さず挨拶した。熨斗の掛った箱を差し出す。
「要冷蔵で」と、小声で言い添えて。なんて行き届いた。
「解ってるって、ハハッ。ごちそうさま」
コートを鴨居に掛けて、新都大学に行っている下の姉のローザが片目をつぶって見せた。
こちらは体育会系で髪をショートにして整え、化粧気はない。
「まあまあ気を遣っていただいて。
さ、こっちへきてお茶をお上がり。そしたら元気な男の子にはお手伝いしてもろうよ」
箱を渡されてアバッキオ夫人が声を掛けた。
「はーい、おれ元気ー」
いつもよりちょっと気合いの入ったセーターにちゃんとプレスの利いたスラックス姿の
ナランチャが囲炉裏の脇に飛んでいった。
「お手伝いになるでしょうか、心配です」
ちゃんとツィードのジャケットにタイまで締めたフーゴが、不安げに従った。
「！」
コートを脱いだらやっぱり本日主賓のお猫様は裾がフレアのワンピース姿で、アバッキ
オはもうそれだけで今日この日が来て良かったと真剣に思っている。色合いはモノトーン
でまとめていて、いつもながらそれは少し物足りないけど、贅沢は言わない。
「冷えるから温かい格好って、言ったろ」
口だけは格好をつけてみた。
「だって、日本間ならスカートの方が……」
やっぱりオトナにはワンピースの方が心証がいいし。
「膝掛けとってくるからッ！ 脚崩していいからなッ」
モデルは脚が命だから正座しないってホントだろうか、正座椅子ってお客さん用に用意
してなかったっけ、アバッキオはもう脳味噌フル回転。
柱を背にした一番いい席に低めのスツールを置いて貰って、ブチャラティはちょこんと
腰掛けた。
１０
「だーりんあんた足腰つよいの解るぜー」
囲炉裏にくべる薪の準備をさせられて、ナランチャが声を絞り出した。
「この山道の上り下りにあのあねきどもにこき使われたからな」
アバッキオの方は軽々と一抱えもある薪を持ち上げて、ナランチャの押す一輪車にのせ
てやった。
「スイッチひとつで湯が沸いたり暖まったりって生活、憧れてたぜ」
「どーよ？ これ、あんたの親父さん建てたの？」
「結婚してこっちに住むんで空き家になってたの買ったらしい。この辺過疎してるぜ。一
応新都市内だけど」
「ああ、この時間でも全然電気つかねえもんな」と、首を伸ばして言う。
やっぱりそういう勘はいい。アバッキオは劣等生だというこの「上の弟」を見直した。
フーゴの方のお手伝いはというと。
「アバッキオさんツリーを見せてください」
「はいよ。お座敷の方に用意がしてあるよ」
ちゃんと挨拶をして見に来る人にはささやかながら振る舞いがある。最初はご近所の大
人相手だったのが、もう近頃は町内会から補助を貰って、子供会の忘年会場にされてしまっ
ている。
雪見障子から廊下のサッシ越しにツリーが真正面に見られるようになっている奥の座敷
には炬燵の横に石油ストーヴが入っている。お座敷ワゴンのポットには熱い湯がたっぷり
入っていて、インスタントのココアや小分けのスティックになったコーヒーの支度がある。
おひねりにしたボンボンが盆に盛ってありそれをつまみながら子ども達は少しおしゃべり
をしたりしてツリーを眺め、親が呼びに来るまでの時間を過ごすのだ。
アバッキオの姉たちはその小学生たちのお茶くみ係だった。フーゴは注文を聞いて、ウェ
イター係。
今年は「きれいなお兄さん」がいるので女子小学生達がかしましい。男子はそれを見て
みないふりしながら頭を寄せ合って携帯型ゲームかカードバトル。どちらの集団にも、異
性がひとりふたり混じっているのが当世風。
次の間には、８畳を広々使ってアバッキオが子供の頃にはまったとおぼしき線路を組み
立てて電車を走らせるおもちゃを黙々と展開している少年が２人。これはあの例の青いプ
ラスチックの線路の日本製ではなく、スウェーデン製の木のおもちゃであるところがさす
が、外国人家庭。
「ぼくんちにもありましたよ、あれ」
「へえ。……気が合うね」
ローザが笑った。お坊ちゃん、と言いたかったようだが、そうすると自分のうちも、と
いうことになってしまうので口の中で止めた。
その向こうには、また黙々とレゴ・ブロックで飛行機やら秘密基地やらを作っている２、
３人の集団。もちろん、使い込んだリカちゃん人形の奪い合いをしている低学年の女子も
いる。
「アバッキオさんちの子になるって、言う子が出ませんか？」
「あはは、最近はねー。高学年の子はゲームに行っちゃうから」
「こら、ウェイトレス、ウェイター、お客様にお茶！」
サクラが声を掛けてきて、ふたりは座敷に戻った。
１１
「えー、じゃあ『学園』なんだ？ 何年？」
かしましい最高学年は、フーゴの身上調査をはじめる。
「１年だよ」
フーゴも愛想良く相手をしてやる。
「あたし来年『学園』受けるんですけど、やっぱり難しいですか？」
よく光る目をした子が、すかさず聞いてくる。
「ぼくは編入試験だったから。でも、まんべんなく小学校履修範囲は聞かれるね。ひねっ
た問題はなかったみたいだけど」
次々と質問を浴びせかけながら、小学生達はおひねりを開いてボンボンを口に入れる。
カラフルな包み紙にアルファベットが並んでいるのがまた希少価値がある、アバッキオの
父が海外で買い求めてくる直輸入のボンボンだ。直輸入だけにアルコールは容赦なく入っ
ている。
……小学生がそんなに食べて大丈夫なのかな？
じつは子供達の目当てはそれもあったりして、アバッキオの姉たちはたくさん食べ過ぎ
ないようにとのお目付役も兼ねている。
「こら、そんなに食べるとサンタさんが待てなくなっちゃうぞ！」
仁王立ちで上から、開きかけの５個目のボンボンをローザがつまみ上げる。
「うん、その辺にしといた方がいいよ」
フーゴもよそ行きの笑顔で言い添えた。
と、がらりと玄関の扉が開いて、中年女性が呼ばわった。
「みーくー！ サンタさん来たよッ。
アバさんどうもー。到来物のレンコンがあったから明日にでもお裾分けに持ってくるよ」
「やだー今年は早いじゃん！ じゃーみんなお先ーッ」
大きな熊が背中に付いたトレーナーを着た女の子が飛び上がって廊下を駆けていった。
「じゃあ良いクリスマスをー」
「はーい、ありがとう、吉倉さんもねー」
台所から返す声がした。
「今晩は……翔馬、来てます？」
「しょーまくんおにーちゃん来たよー！」
家族の迎えが来て、子供達は三々五々座敷を飛び出していった。サクラがシュトーレン
だと言ってきれいなクリスマス柄の紙で包んだお土産を手渡してやる。
と、戻ってきて、座布団を片付け、炬燵の布団を整える子がいる。
「綾子ちゃんやるじゃん、ありがとう」
「お姉さんだねえ。ポイント高いよ」
サクラとローザが口々に褒めそやす。
「あの」と、それには答えずまっすぐフーゴの方を向いて、頬を染める。
「来年も、来られますか……？」
「え、あの」
フーゴは口ごもった。
「来るって！ もうこのコうちの子だし！」
ローザががっしとフーゴの肩を抱いて大きな声で言った。
「え、ちょっと」
「解りました！ じゃあ、また来年！ 良いクリスマスを！」
そう言うと、綾子は顔を輝かせて小走りに去った。
「いいんでしょうか？」
「いーの、いーの」と、狼狽えるフーゴの背後からがばっと両腕を前に回して抱き寄せて、
サクラが頬を寄せた。
「うーん、可愛い可愛い可愛いッ！ どうして我が弟はこんな感じにならなかったんだろ
うッ。言ってもしょうがないんだけどさー」
「お姉、それはしょうがないよ。ほんと、あの子はイタリアーノの血をどっかに置き忘れ
てきたんだから」と、ローザが手を腰に言う。
「田中のおじちゃんに激似だもんね」
……母方似ということですか。
……それはフーゴも感じないではなかったけれど。
「いえ、アバッキオはその、…………女性に優しいからじゅうぶんイタリアーノなんじゃ
ないですか？」
「優しいの？ あのぐずが？」
「キミのお姉ちゃんにはそうなの？」
二人ともが目を光らせて一歩足を進めて覗き込んできた。
「ええと……」
フーゴは失言したらしかった。
１２
町内を一周してプレゼントを配り終わったバッポ・ナターレ（イタリアのサンタさん）
がアバッキオ家にようやく帰ってきた。それまで、ナランチャは線路のおもちゃを見るな
り童心に返ってしまって、フーゴを助手に一大路線を展開して遊び倒した。
「そう、この白いのは新幹線なんですよ。スウェーデンのメーカーのおもちゃでも、これ
はローマ字でシンカンセンって書いてあって。ヨーロッパでもその筋の人には新幹線は有
名なんですよ。
うちは、日本で育つ子なんだから車両は新幹線じゃなくてはいけないって父が言い張っ
てわざわざこれを注文したって」
手のひらに収まる木製の鉄道模型を撫でながら、ふと、フーゴが漏らした。
「いいなー」
ナランチャが何気なく受けた。
「いい親父さんじゃん」
「ぼくのじゃないですから。兄の……」
湿っぽくなりそうになったところを、アバッキオが、
「えーでもおれ新幹線乗ったことねえよまだ」と言って方向転換した。
「新都は新幹線通ってないですもんね」
フーゴはこちらに「売り飛ばされる」時に琵琶湖までは乗った。大阪方面には特急が直
通であり、琵琶湖畔でも新幹線に接続している。
「いつ来んのかなあ」
「今世紀中には、きっと」
フーゴが皮肉に笑んだ。全くいつもの顔に戻って。
「さ！ 晩餐だよ！」
ローザが話を切り上げた。
最後にお客の３人を含むアバッキオ家に集まっていた人々にそれぞれプレゼントを配っ
て、陽気なサンタは仕事を終えた。サンタにはお礼のキスを、と頬を指で示されて、例年
のことで娘達は普通にヨーロッパ人家庭らしい挨拶をしたが、ブチャラティは一瞬硬直して、
「セクハラだろ！」とアバッキオに怒鳴られていた。
サンタメイクを落としてきて、おしゃれな中年イタリアーノに戻ったアバッキオ氏が、
ワゴンの上のローストチキンを切り分けている。お客達は皆、囲炉裏の回りに陣取って、
取り分けられたサラダやら、パスタ、湯気の立ったチャウダーの小鉢をわくわく見ている。
「こっちに長かったら御飯がいいかいね？ ピラフがあるけど、一応、下のパン屋さんで
買ってきたバゲットここやからね」と、アバッキオ夫人がバスケットをワゴンの上に置く。
「あ、ふつうに今時の青少年でなんでも食べます」
ブチャラティが恐縮しながら言った。実は主婦が日本生まれのアバッキオ家の方が日頃
は和食だ。ローストチキンなんて年に一度しか拝めない。お客同様わくわくしている。
家長が音頭をとってクリスマスの晩餐らしいお祈りがあって、一同、箸を取った……。
「あらーなんてこと！ ケチャップがないがいね！」
突然アバッキオ夫人がわざとらしいような声を上げた。
「えーおかあさん困るー！」
ローザがすかさずブー垂れた。
「なんでちゃんと用意しとかないんだよ」
ブチャラティが来るって言ってるのに。アバッキオは不機嫌に言った。
「あ、別に構いませんけど」
ブチャラティは気を遣って言ったが、
「フライドポテトにはケチャップ欲しいですよね」と、意外や、フーゴがワガママを言っ
た。
「いいだろそんなもん」と言いかけたナランチャにも目でなにかを訴える。
「ぼくもケチャップあった方がいいかなあ、やっぱり、クリスマス・カラーだよね」と、
アバッキオ氏が茶色の眼を細めた。
「悪いけどか、ブチャラティちゃんちょっとお使い頼まれてくれんかね？」と夫人が言う
に至って、アバッキオは逆上した。
「お客さんにお使いさせんなよ！ おれが行くッ」
「でも、わたしはお手伝いなんにもしてないから。道を教えてくれれば行きます」と、ブ
チャラティはもう腰を浮かしている。
「頼むわー。そこバス通りを一丁下がったとこの高田さん。まだ開いとると思うし」と、
オバチャンは大きながま口を出してニコニコしている。このために、ブチャラティはお客
さん扱いしてずっとなにもさせていなかったのだ。
「おれもついてくから！ コート取ってくるッ」
アバッキオが勢いを付けて立ち上がった。
「気をつけてねー」
「ケチャップ頼んだよ！」
一同にこにこと２人を送り出した。
「高田さんには今日早じまいしてもろうがになっとるし。はい、パンナコッタくんケチャッ
プ」と、夫人はすぐさま冷蔵庫の奥から新品のケチャップを出してきた。ご丁寧に、首の
所に金のリボンを巻いて、クリスマス・ヴァージョン。
「あ、どうも」と、うすうす気づいていたフーゴが受け取ってほんの少し皿の端に絞り出した。
「おかあさん腹黒」
「亀の甲っていうんだよ」
アバッキオ氏がウィンクをして見せて、一同はまた食事に戻った。
「あんまり食べ過ぎちゃいけないよ、ケーキもあるからね」
家長が目配りすると、
「ちゃんとふつうのクリスマス・ケーキがね」と、ローザが笑った。
「普通のって……彼はドイツ式のクリスマス・ケーキを焼くって言ってましたが」
フーゴは疑問に思って尋ねてみた。
「ああ」
サクラが顔を歪めた。
「なーんー。頑張って本読んでお勉強して作っても、シュトーレンってあんまりケーキケー
キしとらんがで、みんなガッカリするんよ」
困ったようにアバッキオ夫人が言った。
「パウンド・ケーキみたいなもんで、ほら、お節ってお正月じゅう保たせる保存食だった
りするでしょ？ おんなじ。クリスマス中保たせるためのお菓子だから、いわゆるデコレー
ション・ケーキじゃないのよ」と、ローザが説明する。
「なるほど」
さっき近所の子供たちに配っていたのも、ふつうの焼き菓子に見えた。クリスマス・ケー
キを紙に包んで？ と疑問に思っていたのが氷解してフーゴは肯いた。
「だから、家族が夜食べるケーキは別に麓のケーキ屋さんで買ってくるんだ。今年は新都
グランドホテルの１０人分相当のを奮発したからね、いっぱい食べて帰るんだよ？」
「わーい、おじさんありがとう！」
ナランチャが素直に歓声を上げた。
１３
食後には促されて少年達はプレゼントを開けてみた。リクエスト通りナランチャには携
帯ゲーム機とソフト、フーゴは電子辞書だ。
「ありがとうございます」
「ホント、いいの？」
２人とも顔を輝かせた後で、一瞬困ったようになる。
「子供が遠慮するもんじゃないよ」
「最近はうちの子たちも大きくなったもんだから可愛げがなくなってね。賑やかにしてく
れたからお礼さ」と、代わる代わる言われてくすぐったそうな顔になった。
「ホント、高い入学金が無駄になったかと思ったがに、問題起こしてからもひねくれて学
校行かんがになることも無（の）うて。お弁当まで作っていそいそ行くと思ったらあんな
きれいなお嬢さんと仲良しになっとって」
「ほんと、キミたちのお姉さんにはなんてお礼を言ったらいいか」と、多忙なアバッキオ
氏は全部事後報告だったのでなおさら恩に着ている。
「そういうお礼もあるがよ」
「これからもよろしく頼むね」
口々に両親は礼を言う。
「お弁当？」
「なによそれ？」
姉たちがすかさず聞いてきた。
「今、レオーネ、お弁当２つ作って行っとるがよ」
「それって、ブチャラティの分ですか？」
フーゴが初めて聞く顔で尋ね返した。
「なんも言わんけどね。だって、部活もしとらんがにお弁当２つもいらんやろ？ どこいっ
とるんか知らんけど、毎日帰ってくるがも遅いし。かわいいがのお弁当箱もこないだ買う
て来とったわいね」
「うわー」
「マメ男だ」
２人とも、首を振って酢を飲んだ顔になる。
「……パンは朝買わなくなったと思ってましたが」とフーゴ。
「えーしらねーオレ。そーなの？ 昼は一緒に食ってるみたいなこと言ってたけど」
ナランチャは目を瞬かせた。それを、うわーカワイイ、とサクラが見とれている。
「あ、もっと凄い話。こないだあたしとんでもないもの教えてくれって言われた」と、ロー
ザが手を挙げて発言。
「なになに？」
「………………」と、ローザは小声になる。
「ちょっとーッ！」
「いやーだ、あははは」
「あはは、傑作だ！ レオーネはそっちの才能あったのか！？」
「もしかしてまずくない？」
「あら、被った？」
「いえ、厳密には被ってはないと思いますが……」
１４
その頃見事に２人揃って追い出された恋人同士は。
「ちょっと！ 高田さん！ ケチャップ！ 開けてよ頼むから！」
１丁下の八百屋兼生活雑貨の高田商店のシャッターをがんがん叩いていたアバッキオは、
ブチャラティに手を抑えられてようやく止めた。
「これは、引っかけられたんだろう」
「はあ！？」
改築してきれいな３階建てになっている高田商店の２階、居住部分にはクリスマスらし
い灯りが漏れている。普通の家庭なら水入らずのクリスマスの晩餐をやっている時刻だ。
「気を遣ってもらったと言うことだ」
「オフクロ〜〜〜〜〜〜ッ！」
頭から湯気を出してアバッキオは地団駄を踏んだ。
「で、どうする？ 別の店まで脚を伸ばすか？」
「ねえよッ！ あとはバスに乗って麓に下りてスーパー行かねえとッ！」
「下りるか？ わたしが思うにケチャップはちゃんと用意がしてある筈だ。でも、探すと
いう口実で麓に下りて街歩きを楽しむという選択肢もある」
「……戻るか。脚寒いだろ？」
「…………実は少し」
まず聞いてくれたことに感謝して、ブチャラティは見栄を張らないことにした。
来るときは気が急いていて、ただ２人早足にほぼ駆け下っていたので、帰りはゆっくり
と坂を登っていくことにする。アバッキオが手をさしのべた。ブチャラティがそれを取っ
て、引き寄せられるままに身を寄せる。
「ごめんな、寒い思いさせて」
「いいや」
街灯の冷たい白い光りの下をふたりして歩いてゆく。緩やかにカーヴを描く人気のない
山道で、通る車はなく、しんと静まりかえっている。と、木立が途切れて、アバッキオの
家の前のツリーがひときわ大きく見えた。
「あれ、実は松。昼に見るとマヌケだぜ」
「ああ、そうだな」
「どうだった？ うち。ヘンだろ？」
「いや、あんまり自然で。ホッとする。いいご家族だな」
そう言われて、アバッキオは勇気を貰ったようになる。
「オフクロの伯父貴かな、戦争末期にこっちに家族連れで技術指導に来てて、帰れなくなっ
て。終戦の年の５月って、向こうは女性はもう大変だったらしいから、帰らない方がいいっ
て、そのまま、疎開したカンジになって。戦争終わったら田舎は東側になっちまってその
まま帰れなくなって、居心地よくって住み着いて。普通に嫁を貰ったり嫁に行ったりして。
下、下がったとこにじいちゃんちがあるけど。……今度行こう。
ここは、聞いたらそういう山らしいぜ。下、見えるだろ、大きなお屋敷。あれが通盛の
ご本家。向こうのはご分家」と、真っ黒な塊を指で示す。そういえば、似たような古民家、
さらに規模が大きい。
「横溝ワールドか？」
昔からの旧家があって、２つの家が仲が悪くて、陰惨な殺人事件が……という世界を想
像したらしい、一瞬。アバッキオはそんなことまで思いが至らず、自分が思いついたちょっ
といいことを立て続けに吐き出すのに精一杯。
「平家の落ち武者だってさ。ずっと、そういう、中央でなんかあって、居づらくなった人
間を受け入れてきた山なんだって。それで、京の漆とかの技術持った人間が居着いて、技
術を伝えて生き延びてきたの。
だから、みんなこの山の子なんだ。親父も、ゲイジュツ的な漆器に憧れたんじゃなくて、
普段使いのお椀とかお盆の技術を見に来てここに吸い寄せられて、ここの人間になったの。
商売が下手だからちっとも帰ってこられねえけど。
……だから、おまえもここの子になるんだ。うちの子になるんだよ。ずっと、ずっと一
緒にいよう」
強く手を握りしめられたのに気づいて、ブチャラティは声が詰まる。
「うん……ありがとう」
「おまえの弟も、おれの弟だから。いい子たちだ、好きだよおれは。
みんなでここのお山の子になろう。だから、大丈夫なんだよ。年が明けたら、親父さん
に挨拶に行こう。みんなうちで引き受けるからって、安心して養生して貰おう」
「……うん」
向かい合わせに抱き寄せられて、ブチャラティはそのまま胸に顔を埋めた。
１５
「あーあ、こんなに冷えちまって。ごめんな、もう温かいところへ帰ろう」
冷たい頬に頬で触れて、アバッキオが溜め息を吐いた。それが、すぐ頬にかかる近さだ。
「あ、じゃあ、これを」
ブチャラティは、すかさず持ち出してきた紙袋を開けて、長いものを取り出して背伸び
してアバッキオの首に掛けた。
「え？ マフラー？ これ、手編み？」
手触りに驚いたアバッキオが光に透かそうとする。
「手織りだ。初等部の時、５年かな？ 総合学習の時間に簡易機織り機でみんな織物を織
らされたんだ。それを出してきて……手編みはプレゼントできるようなものが作れる自信
がなかった」
「ありがとう！ って、もしかして」と、アバッキオはふと腑に落ちる。
「鶴の恩返しをしていた。こっちはせっかくうちに来て貰って一緒にいられないのが申し
訳なかったのに、まるっきりナランチャやフーゴと楽しんでたな。楽しそうにキャッキャ
キャッキャ……ホントに試験勉強だったらどうするんだ」
お猫様は自分が決めたことなのに八つ当たり。
「……すまん」
アバッキオはうつむいて、そして懐から自分の方からのプレゼントを出してきた。
「じゃあ、お返しになるかどうかだけど」と、それをまたブチャラティの首に掛ける……。
「えッ！？ …………レオーネ、もしかして」
ブチャラティも、ぎょっとして一歩下がった。
「あねきに教わって編んだ。だって、あんた、首長くって。見てて寒そうで……あんたこん
なみっともないものしたくなかったら袋に詰めてクッションの中綿代わりにでもすればい
いかと思って……捨ててもいいけど」
「捨てない！ これは希少価値だ……」と、太さにメリハリが効いていて、要するにただ
真っ直ぐ編むだけでデザインになり、編み目のつたなさもごまかせる糸を使った作戦勝ち
のマフラーをつくづく見ている。
「あんたのもな。一生大事にする」と、アバッキオは凛々しく笑った。残念ながら、山道
なので街灯が無く恋しい相手にはよく見えていない。
「とんだ賢者の贈り物だな」と、お猫様はそれでも編み目に手を添えてしみじみしている。
「流行りの台詞でいうと、『波長がぴったり』？」
「なんだそれは」
「おれたちは相思相愛ってこと」
改めてぴったり抱き合いながら、アバッキオは心の底から笑った。
「ネクタイを恋人に贈る時って、『あなたに首ったけ』って意味らしいな」
「バカな。
『あなたとニクタイ関係を結びたい』って意味じゃないのか」
短く切り捨てておいてブチャラティは平然とそんなことを言って、またアバッキオは背
筋を伸ばして飛びのいた。
「そんなこと女が言うなーッ！」
全身から叫んで、身を折って呼吸を整えながら、アバッキオは謝った。
「ごめんな、大きい声出しちまって。
いいよ、もう、おまえにきりきり舞いさせられるの慣れた。かき混ぜちゃって、おれの
こと。頭に血が上って、冷や冷やさせられて、おまえといると感情の振り幅がでかくなる。
楽しいよ」
「楽しいのか？」
「楽しいんだ」
「それはＭって言わないか？」
「だからぁ！」
脱力してアバッキオはへたり込む。
「わたしも楽しい」
頭を抱えていたアバッキオが、ちろりと背の高い少女を見上げた。ブチャラティの白い
指の細い手が下りてきて、その頭をヨシヨシと撫でた。
それでどちらからともなく手をさしのべ合って、２人は手を繋いでアバッキオの家に戻っ
た。
「おかえりー！」
「ケチャップあったって、奥の方に」
若い人たちは無邪気に出迎えた。
「早かったじゃん。ご休憩してきても良かったのに」
ローザは屈託なく笑いかける。
「あねきーッ！」
また髪を逆立ててアバッキオが叫んだ。
「ごめん、幾らも食べないうちに追い出してしもて。まだご馳走残っとるよ、お上がり」
作戦立案者は実に優しく声を掛けたが……。
「いや、ええと、……もういい」
「わたしも。胸がいっぱいで」と、二人して目を見交わして頬を染めている。
二人して真新しいマフラーをして現れたのを見て、留守番組はみなにんまりと笑顔を交
わし合った。
１６
「今夜は冷えるわね。雪になるかしら」
窓から外を透かしてみながら、ゆるく巻いた髪を肩までの長さにした女性が言った。新
都グランドホテルのスィート・ルーム、暖房が効いてびっしりと窓は結露している。
「ならない。今気候は温暖化しているんだ。この時期に雪になるわけがない」
興を削ぐ声が応えた。
「んもう、露伴ちゃんたらロマンがないわねえ」
少女のような笑顔で、アームチェアでシャンパンを楽しんでいる露伴のもとへ彼女は歩
み寄る。
「さて、彼らはうまく行っているかな？」
「ああ、あのモデルの彼女ね。随分気に入ったみたいね」
「つつくと面白いんだ。あの石頭と絡むとまた面白い」
「そんなこと言って、卒業制作も彼女を描きたいんでしょ？ なんだか嫉妬しちゃうわ」
ふわふわの裾のワンピースを気にせず露伴の横へ来て、カーペットの上に座って露伴の
膝に頭を預ける。
「鈴美さんがそんなことを考える必要はないよ」
露伴の白い指が彼女の髪を梳（くしけず）る。
「この露伴がこういう夜に共に過ごしたい女性はあなたしかいない」
「そう？」
「大学のお友達に対して肩身の狭い恥ずかしい想いをさせたりはしないよ」
「嬉しい……」
鈴美は背筋を伸ばして、降ってくる露伴の唇を迎えに行った。
１７
お腹いっぱいになって、きれいなおねえさん達に可愛がられて楽しく過ごして、ご機嫌
なナランチャとフーゴはサンタさんの車で送って貰うことになった。もともと赤いフィアッ
トに、白いファーを貼り付け、金や銀のスプレイでデコレーションしたクリスマス仕様サン
タ車。ドアミラーにはトナカイの角が付いている。山の子供達へのプレゼント配りはこの
車が活躍した。奥さんはここのお山で育ったけれど、アバさんは生粋のヨーロッパ人だか
らクリスマスは何かやってくれるだろうというご近所の期待に応えるために、アバッキオ
氏は毎年身体を張っている。さすがに子供達は、高校生にもなる頃には恥ずかしいという
感覚を覚え始めている。
「それで町ナカを走るなってッ！」
アバッキオは髪を振りみだして叫んでいた。
「クリスマスだもの。いいよネ？」
気のいいイタリアーノにウィンクされて、ナランチャはノリ良くバンザイしてやった。
「どうもありがとうございました。弟たちにまで、お気遣いいただいて済みません」
オトナの挨拶をして、ブチャラティは乗り込む。ケーキを含め、食べられなかった分は、
両手にお土産にして貰っている。
「２８日にはお餅もつくからね、食べにおいで」
「えーッ、いいの？」と、ナランチャはすぐ乗り気。そんなご迷惑じゃ、と腰が引けるフー
ゴの担当はもう決まっていて、
「フーゴくん納豆食べられる？ うちの納豆もち食べるとみんな納豆大丈夫になるんだよ
ねー」と、ローザが挑発する。
「食文化としての納豆は素晴らしいものとは認識していますが……」
「やっぱダメなんだ？ 関西育ちで外国人だもんねー、普通そうよねえ」
わざとらしい目つきにフーゴは理性を飛ばした。
「食べてみましょうッ」
「はーい３名様ご案内」
ブチャラティは既に数のうちに入れられている。
……そんで、ブチャラティの今欲しいものってなんだよ？
声をひそめて、アバッキオが聞いてきたのを新都の街に降りてきて車窓からイルミネー
ションを見ながらフーゴは思い出している。
……あんたには無理です。
……そんな高い、ダイヤとか！？
……違いますよ、バカ。
……だろうな。
短く否定すると、あっさり引き下がった。解ってるじゃないか、と、フーゴは少しいい
気分だった。それがまた意外でフーゴは狼狽える。
……ぼくらもですが、彼女には家族がいない。この先、義父が死んだらどうなるか、未
来に不安を持ってる。だから欲しいのは安定です。なにかとあんたと行為を持ちたがって
るのもそれでしょう。つけ込まないでくださいね。あんたはあやうく退学になり掛ったた
だの高校１年生なんですから。
……解った。
彼、解っててやったのかは判りませんけど。
温かい、家族とのクリスマスをくれた。あとで我に返って切なくなるような形でなく、い
つでも本気で迎え入れてくれる真心が伝わってきた。
……この子はもううちの子だから。
ローザが言ってくれて、フーゴも心が綻んだ。
暮れも、お正月も、うちへおいで、このお山に帰っておいで。
そう言って貰えたのが、何よりのプレゼントだった。
振り返ってみると、リアウィンドウ越しに微かに松の木のツリーが光っているのが見えた。
２０−１１−１０
蛇足。
日本育ちのドイツ人ヴァージョンのレオーネ君一世一代の男前発言を試みる……？
わたしにとってのアバッキオは「シャンペン・シャワー」のマルロみたいな感じが入っ
てます。「イタリア人なのに血液型Ａ型で。民族に合ってないだろ」とか作中言われちゃ
うヘタレなサッカー選手です（国籍は架空の南米の国、エスペランサ。体格や才能に恵ま
れないけど努力とセコイ頭脳プレイ？ で必死にレギュラーを守ろうとしてます）。
マジメで純情なのに空回りして奇行をやってしまったりドジを踏んだりと可哀相という
か微笑ましいキャラでした。美形なオジサン（２０代後半）でしたよ、美形ですともさッ。
まあそういう感じで、地方都市のベタベタな家族のクリスマスで少年少女には泣きそう
な暖かさを味わって貰いたいと思いました。
きっとお人好しのアバッキオ氏はイタリア人のよしみで可哀相なブチャラティちゃんの
行方を気に掛けていて、ポルポが死んだら大車輪で嫁取り作戦を開始すると思う。あ、ネ
タバレ？
ちょっと調べたら外国人を養子にしたりとか結構大変だったので、その辺フィクション
だと思って温かくスルーしといてください、お願い。
凡ミス発覚。
＞ うちのセーラー絶対あれ襟元にもう一枚あて布要るって！
みぎゃーッ！
新都学園の制服はブレザーだったよ！
うわーうわーどうしよう、１２月８日段階で修復不能。ええと、……スルーしといてく
ださい、そのうちナントカします。
結局該当部分削って対応しました。以後気をつけます（１２月１６日）
お代わり！
冗談じゃねえッ 帰る