チェネレントラ
スクエア特別篇
「チェネレントラ」ってのは、「シンデレラ」のオペラ版です。そこはイタリアなので、
コメディっぽいノリらしいです。そんでもって魔法使いは出てこなくって、周りの偉い人(？)
がいろいろ手を回してくれるんだってさ……
そこはブチャラティ＆フーゴ女体化のスクエア・ヴァージョンでいってみました。
ブチャは男前でアバはヘタレでフーゴはキレまくります。そこはもうお約束。ね？
１
昔々あるところに。
「ブローノ、よくお聞き。
おまえのお父様は偉いお方だったけれど、やばいことに首を突っ込んでお亡くなりになっ
た。領地の経営だとか社交だとかは後妻のあたしが引き受けることにするけれど、ざっと
見たところこの暮らしを維持するのに精一杯。使用人には暇をとらせることにするから、
うちのことをするものはいなくなる。
あたしの言いたいことが解るかい？」
でっぷり太った年増がよく光る目をした利口そうな娘を前に切りだした。
「はい、ポルポさん。あたしが皆さんのお世話をします」
娘は即答した。
「お義母様とお呼び」
「はい、お義母様」
「あたしの信頼を裏切るんじゃないよ」
かくて、ブローノはお嬢様から召使い扱いになった。そこは、たよれるお隣とか、危機
に現われた守護霊とかをうまく利用することができて、巧く立ち回ることも次第に覚えて
いって、逞しく日々を送って。
８年後。
「ブローノ！ ちょっとおいで」
もうすっかり召使いが板についたブローノは呼び出されて前掛けで手を拭きながら義母
の前に顔を出した。
「一ヶ月後、王子様のお妃を選ぶ舞踏会があるんだ。うちにも招待状が来た。姉さん達の
仕度を手伝ってお上げ。もし姉さんのどちらかが見初められたら、お前も楽な暮らしがで
きるようになるんだから」
「はい、お義母様」
だったらあたしにもチャンスがあるんじゃないかとか、姉さん達の容姿や年齢ではかな
り難易度高いミッションだとか、だいたいうちは一応貴族だけど姉さん達は連れ子だから
血筋的にも無理があるとか、そういうことは一切飲み込んで、賢いブローノはとりあえず
従うことにした。
諦めがもう意識を支配していたかもしれない。
「あともうちょっと、お前に役だって貰いたいことがある」
去りかけた手を掴まれて、振り向こうとしたときに頭に衝撃が伝わってきた……！
２
忙しいなりに充実した日々が続いて、とうとう当日がやって来た。
「王子様はイケメンだっていうじゃないか。楽しみだよ」
「お詳しいですねサーレー姉さん」
「だけど、この前側近が目の前で死んだとかで鬱にはまっちまって。もう半年も公式の場
に出てこないとか」
「そうなんですかズッケェロ姉さん」
「それで嫁選びなんだね？ 結婚させて気分を変えようっていう」
「さすが、サーレー姉さん解ってらっしゃる」
「正式に結婚しないまでも、一晩ぱっと盛り上がれば少しは持ち直すかも知れないしね。
こっちも割り切りで楽しむと」
「ズッケェロ姉さん、そこは野心を忘れないようにしなきゃ」
「まあ、王子でなくても、お城の連中を捕まえられればあたしたち的には玉の輿だし」
姉たちは楽しげに仕度をしながら情報交換をしている。ブローノは機械的に相づちをう
ちながら、手早く２人を着飾らせる。
「ズッケェロ姉さんの後ろ髪のチャーミングなまとめ方、ちょっと工夫してみましたから
ね、張り合える姫君はいませんよ」
「あらそう？ いいんじゃない？」
鏡をつくづく見て、下の姉は目尻を下げた。
「サーレー姉さんの御髪のセットには力を入れてます。今夜は思いいっきり踊っていただ
いても一筋も乱れませんよ」
「やるじゃないのあんた」
上の姉も満足そうだ。
すっかりヘア・スタイリストにされているが、ブローノ本人は割り切って楽しんでやっ
ている。逞しい性格なのだ。２人の義姉はそういう性分を使いやすいとも単純に好ましい
とも思っていて、普段は友好的にやっている。この日も深くは考えずにドレス姿を披露し
てみせた。
「いいでしょ？ ブローノ。母さんが張り込んでくれたんだよ」
「あたしの方がイケてるわよね？ もうパツイチで王子を落とせるでしょ？」
「ええ、お２人ともお似合いです。どうぞ楽しんでいらしてください。玉の輿期待してま
すよ」
表情に乏しい顔にほんの少しの達成感を見せて、ブローノは追従して見せた。
……もうちょっととんがった感じのデザインの方が好みだなあ。フリル以外の飾りって
ないもんかな？ だいたい布の無駄だろう。
笑顔で調子を合わせながら、ブローノは心中自分の趣味が明確になっていくのを感じて
いる。
「行ってくるよ。怠けたりしないで留守番するんだよ」
ポルポは後ろめたさを繕って、厳しい態度を崩さない。
「はい。行ってらっしゃいお義母様、お姉様方」
作り笑顔で見送って、ブローノは自分の仕事に戻った。
３
「ああ、暇だ」
いちいち割り込みで用事を言いつけて自分の仕事を中断する義母や姉たちがいないので、
ブローノの仕事はすぐに片付いてしまった。つい、城の方角を見やって、溜め息を吐いて
しまう。
「あれ？ ブローノ留守番かよ。今夜は娘のいるうちは国中総ざらえだって聞いたのに」
隣の小僧が窓から顔を覗かせた。
「ナランチャ、留守だと思ったならなんで来たんだ？」
ブローノは笑顔を作って扉を開けてやった。
「そこはなんか残りもんあったら頂こうかと」という手には一緒に食べようと思って持っ
てきたらしいスープの残りの入った小鍋がある。実のところは、置いてけぼりにされてい
るのではないかと案じてきたのかも知れない。２、３歩進むうちにも鍋の蓋を開けたりし
て、ちゃんとブローノが食べたのか確かめている。
「ひとんちの残り物を勝手にあさるな」
拳骨をくれてやって、固くなったパンの端っこを出してやる。
「ブローノは今日は食えたのか？ オバサンたち自分が出かけるからってブローノの分も
作らせなかったこと無いよな？」
パンをスープに浸して遠慮無くかじりながら、同様にぎりぎりの生活をしているナラン
チャが尋ねてきた。なかなか鋭いところを突いてくる
「まあまあな」
あり合わせのものでさっと済ませたとは言わない。そこは融通しあっている仲間とはい
え、年上だから。心配を掛けたくない気持ちはある。
「王子様の嫁探しだって？ ブローノ行ってガッと引っかけて来いよ。一気に貧乏生活か
ら脱出だぜ？ 親方に聞いたけど、ブローノもちっちぇえころはすげえお嬢様だったらし
いじゃん？ 大丈夫、イケるイケる。今だってじゅーぶん美人だし」
市場のゴミ捨て場を漁りながら、ようよう命を繋いでいたのを拾ってやった小僧には、
その頃からブローノの後ろに後光が見えているらしい。素で大天使か何かだと思っている。
そういう過剰な思い入れも、賢い娘は解っていて聞き流す。
「ははは、もうダメだよ」
頭を覆った頭巾をちょっと押さえて、ブローノは笑った。部屋も持たせてもらえず、台
所のかまどの前が定位置で、灰まみれのブローノなんてあだ名を付けられて。誰が自分の
ことを爵位もあるご令嬢と思うだろう。
「ダメかダメじゃないかじゃなくて、行きたいか行きたくないかだろ？
ブローノいつもおれにそう言ってるじゃん？ それでおれを拾って親方のところに奉公
頼んでくれたんじゃん。おれここに引き受けてもらえなかったらのたれ死んでたんだぜ……」
落ちぶれお嬢様の小さな信奉者は輝く目をしてまっすぐブローノを見上げてきた。それ
に敬意を表して、ブローノは心の蓋を外してみた。
「行きたかった……かな」
華やかな舞踏会。自分だって一応はお嬢様のはしくれだ。このままでは一生足を踏み入
れることの無いだろう城の内部を見てみたい。イケメンの王子って、どんなんだろう？
父が亡くなるまでは、それなりの教育を受けていた。まだ踊れるだろうか、踊ってみたい。
踊れないまでも、王家の楽団の生演奏、聞いてみたい。どんなご馳走が出るんだろう……。
遠い目になったブローノの背中越しに動く影を見て、ナランチャが目を丸くした。
「え？ あんた誰」
「行きたいと申したか？ そうだろうそうだろう」
背後から声がして、ブローノは飛び上がった。
陰から歩み寄ってきたのは、杖を突いた老人だった。
「ペリーコロさん」
お久し振りです、と定位置のかまどの前で灰まみれになっていたブローノは、慌ててば
たばたと立ち上がって身なりを正して一礼した。ナランチャにもそうするよう手で合図す
る。
４
「久しいな、ブローノ。親父さんは残念だった」
「いえ、昔のことです」
旧知の人物の突然の来訪に、ブローノはとりあえず席を作った。遠縁で、一応の後見人
でもある。国政にも顔の利く大物だ。その分、最近は仕事が立て込んでいるようで、顔を
見せてくれることもなくなっていた。
「今夜の舞踏会に、ポルポはおまえを伴わぬ心づもりという噂を耳にしてな」
「噂になっていたとは、お恥ずかしい次第です」
ブローノは顔を俯ける。ブチャラティ家が後妻に乗っ取られたという話は、この近辺で
は有名になってしまっているようだった。
「有り得ぬ話だ。おまえこそがこの家の正当の跡継ぎだろうに」
「お義母様はこの家をとりあえず破産させないよう切り盛りしてくださっていますし」
用心深くブローノは答えた。
「そこのところは、わたしたちにも考えがあってのことだったのだが。それにしても、８
年は長すぎる。なし崩しに乗っ取ってしまうつもりとは見えなんだのだ。由緒ある家でも
あることだし、適当なところでおまえに婿を取らせてと思っておったに、ポルポめいろい
ろ工作しおって。
どうだ、王子の妃を選ぶ舞踏会だぞ、若い娘なら我こそはと思ってもおかしくない」
ペリーコロはブローノの気を引き立てるように尋ねてきた。
「ええ……でも、気鬱の王子をお慰めする会でしょう？
側近が死んで気鬱になられたような心優しい真面目な方が、そのようなことで心慰めら
れるものでしょうか？」
思慮深い娘はふと思ったことを口に出した。それを聞いて、老人は得たりと肯いた。
「やはり、おまえこそ王子にふさわしいと見える。王子には、しっかりした、思慮深い娘
こそ似合いだと周りのものは見ておる」
「そのような方、いろいろおられることでしょう。今宵は国中の娘が招待されていますと
か」
ブローノは遠慮して見せた。
「しかし、おまえも歴とした公爵家の娘。王子の妃としてなんら恥じるところはない。お
まえこそが選ばれるだろうとわたしは予想しているのだよ」
「いえ、もうそんな華やいだ席には似つかわしくありません。……なんの手入れもしてい
ない身で」
はたちを過ぎたというのに化粧気のない、手も荒れて、灰まみれになった身なりに眼を
やって、ブローノは俯く。良家の娘なら、もう嫁ぎ先が決まっていておかしくない年頃だ。
その顔に、頭巾がずれて垂れかかる。直してやろうとして、ペリーコロが手を伸ばすと、
ブローノが身をよじった。と、頭巾が外れる。その下は、顎の線で切られた無惨な黒髪だっ
た。
「髪を……！？ どうした、あのみごとに艶やかなブルネットは」
「切られました。お姉様たちのドレスにお金がかかるというので。……かつら屋に売った
と」
こみ上げる激情を堪えかねて、ブローノは卓に突っ伏した。その細い背がふるふるとの
たうつ。
「可哀相に、可哀相にブローノ、若い娘に、なんということを。
わたしの力で、行かせてやるぞ、舞踏会に。まだ間に合う。おまえのために特別に誂え
たドレスも用意してある。行って、王子の心を救ってくれ。そして、世に正義というもの
があることを、正直者が、毎日きちんきちんと自分の仕事をこなしているものが報われる
ということをみせてやってくれ！」
「ペリーコロさん？」
「おまえの母親から、おまえに残した財産のありかを聞いておる。……来なさい」
老人は、落ちぶれた公爵家の屋敷の裏手、古びた噴水へと娘を連れて行った。
「割ってみなさい。……おまえの守護霊をここへ」
「はい……スティッキィ・フィンガーズ！」
従っていった少年は、トゲのついた甲を被ったような青い人影が現われ、拳をふるうと
同時に、その噴水のどうということもない水の吹き出し口が断ち割られ、黄金の輝きが現
われたのを目の辺りにした。
５
「すっげえ」
抑えた歓声が漏れる。金貨や延べ棒といった財産に、公爵夫人として公式の場に出ると
きに必要な宝冠や勲章類など伝来の宝飾品の数々が噴水の水に現われて夜目にも輝いてい
た。……年来ポルポが相続人であるブローノにしつこく問いただし、隈無く屋敷中大掃除
という名目でひっくり返させて行方を調べさせていた宝物がここにあった。
……これがあったらブローノもっと楽な暮らしができてただろうに、お貴族って変なと
ころでもったいぶるよな。
ナランチャは溜め息を吐いた。単純な子供には思いもよらない。出したが最後、横領さ
れ、ブローノは謀殺、もしくは他家に嫁に出されていただろう。ペリーコロはタイミング
を窺っていたのである。
「今夜はこれとこれでいいだろう。当面の仕度はこれを遣うといい。
ポルポには秘密にするんじゃぞ」
無造作に勲章とイヤリングをつまみ上げて、ペリーコロはあとは隠しておくように指示
した。
「解りました。……ありがとうございます」
「すっげえなじいさん。お伽噺のいい魔法使いみてえだ！」
ナランチャが昂奮をそのまま言葉にする。
「はは、ただのちょっと悪いじいさんじゃよ。そこは人間じゃから、たまにはいいことも
したくなるのさ」と片眼をつぶって見せる。と、
「皆のもの。このお嬢さんを見違えるようなお姫様にして差し上げよ。わしに魔法使いの
真似事をさせてくれ」
老人は控えていたものに声を掛けた。
「御意！」
暗がりから飛び出てきたものたちは、ブローノを短時間で磨き上げた……。
６
「すっげえや。ブローノ、どこからみてもお姫様だぜ！」
ナランチャが、自分のことのようにうれしがってブローノの周りを２周３周してつくづ
くと見た。成熟した姿にはじめて化粧を凝らし、ペリーコロからの心づくしの最先端のド
レスを纏って母譲りの宝飾品で身を飾った艶姿だ。亡き父や母に見せたかった、とブロー
ノは胸がじんわりする。
「仕立て師が溜め息を吐いておったぞ、ほんとうにこの寸法で誂えていいものかと。なん
と細い胴回り、妖精のようだと。それが、どうだ、余るくらいではないか、嘆かわしい」
ペリーコロは、気鋭のデザイナーに依頼した新感覚のドレスが余りにも細い身体の線を
際だたせているのに息を呑んだ。いや、これはこれで人目を惹いていいかも知れない。何
より本人も気に入っているようだし。
「だって、じいさん、ポルポはほんとけちんぼで、ブローノが買い物先で腹減って目を回
して倒れるなんて珍しくもねえんだぜ？
うちの庭のベリーはいっつも烏に食われちまうことになってるけど、ほんとは完熟寸前
の夜明け前におれが全部摘んで二人して食べてて。うちばっかじゃねえや、この先の靴屋
のじいさんのうちのりんごも、パン屋のスモモも。角のうちのヤギはうちとここんちの庭
の草を食わせる約束で、乳はおれとブローノがこっそり飲ませて貰ってるんだ。それだけ
やって食いつないでるんだぜ。じいさん、もっと早くブローノのこと助けに来てやらなきゃ
ダメじゃん！」
ナランチャが食ってかかった。
「解った、悪かった、悪かった」
国の影の大物であるペリーコロもたじたじとなってしまう。
「そうか、こんなちいさな騎士がいてくれたからブローノはここまでやってこられたのじゃ
な。礼を言うぞ、ナランチャ」
「へへ」
向き直って、憧れのお嬢様のために小さな気遣いをしてくれつづけていた少年を労った
あとは、咳払いをして、保護を頼まれていたのにいろいろあって放置してきてしまった娘
に罪滅ぼしの好機と語りかけた。
「さあ、行っておいで、ブローノ。お前にはその資格がある。胸を張って行きなさい。う
ちのものに案内は申しつけてある。ブチャラティ家を名乗るのに気後れがするなら、この
ペリーコロの縁（ゆかり）のご令嬢、そう言いなさい。嘘じゃあないだろう？
しかし、楽しい時間は短いものだ。約束しなさい。十二時の鐘が鳴る前に帰っておいで。
後片付けにもそれなりの時間が掛かるのだ」
「はい、お心遣いありがとうございます。お約束いたします。真夜中まで一心に王子様の
お心をお慰めしてきます」
「お前自身が楽しんでおいで」
老人は眼を細めて馬車の扉を閉めた。鞭のしなる音が響き、馬車は滑るように進み出し
た。
「いってらっしゃーい！」
ナランチャが手を振って見送った。
たった一晩で、灰被りのブローノは王子の心を射止めることができるだろうか。老人は
根拠のない確信を抱いている自分にふと笑い、そして、それでも笑い捨てることまではで
きなかった。両親を立て続けに亡くし、家を乗っ取られ、召使いに身をやつしながらも、
腐ることなく自分のできることを続け、まっすぐな目をしたまま強かに生き延びてきた、
あの娘。心に真っ直ぐ芯の通ったあの娘ならば、夢のようなこともやり遂げると彼は信じ
た。
７
溜め息を押し殺すことがならいになってしまっていた。
玄関広間からは、次々有力貴族の娘の到着を告げる案内の声が響いてきている。期待に
胸を轟かせた娘達は、控室で化粧を直した後、正餐室へ案内され、贅を尽くした晩餐が振
る舞われる。大広間に案内されるのはひと心地付いたのちだ。今宵のために気合いを入れ
て磨き上げられた一番広い部屋。楽団も何日も前から練習をして意気込みを見せていた。
城中がこの日のために、自分のために準備に心を砕いていた。……自分のために。
昔は心に理想を抱いてもいた。優秀な王子、心の真っ直ぐな古式ゆかしい騎士と讃えら
れ、その気になっていた。それがどうだ。
心を許した男は邪心を持っていた。王子は賢く廉直だがそのままではだめだ、下々の習
わしを教えて差し上げる、そう言って自分を謀り、袖の下を受けとって悪事に手を染めて
いた。自分もそれに荷担させられていたと知ったときの屈辱、怒り！ 頭が真っ白になり
ながらも、成敗するとまでは思いもよらず立ちつくす自分に、その男は笑って話しかけて
きた！ ついうっかり、耳を傾けそうになって。その手の動きから気が逸れた。
……王子、いけない、その男は銃を持ってる！
身を挺して自分を庇った側近の、名も覚えていなかった。
深く恥じ入り、悔やんでも、失われた人命は帰ってこない。損なわれた名誉も挽回の機
会は得られぬまま、ただ今度は女々しさで面目を失ってゆく日々が虚しく過ぎていった。
なんという情けない自分。それが、世継ぎの王子であるというだけで周囲のものの配慮
を受けている。今宵の催しもそのためだ。自分が鬱々していてはいけない。だが、とても
浮ついた催しに心を動かされはしない……。そんな資格はない。
いっそ罵って欲しい。そうだ、激しい言葉で。誰でもいいから、この身を打擲して、心
の痛みに相応の痛みを刻んで欲しい。高位の僧侶に懺悔を聞いて貰っても、通り一遍の説
教を下すだけで、なんの心の安らぎも与えては貰えない。
「王子、そろそろお出ましを」
暗い面持ちで窓の外を見ているうちに侍従がやって来て声を掛けたが、かれは胃を押さ
えて呻いた。
「済まない、とても入りそうにない……」
「畏まりました。軽い物をこちらにお持ちします。あとの行事の方が大切です、どうぞお
気に病まれませんよう」
優しく言いおいて、侍従は下がった。情けなさに髪を掻きむしろうとして、舞踏会のた
めに女官がわざわざカールさせてくれていたことを思い出して思いとどまる。
「無様だな……」
独り言を吐くことだけが自由にできることだった。
８
……王子、いけない、王子、いけない、王子、いけない……。
死にゆく側近の断末魔の表情が、繰り返し浮かび上がる。その場にあるような臨場感で。
レオーネ王子はそれを虚ろな目で見つめ続ける。しばらくして、頭を振った。念入りに
梳ってカールされた銀髪がしなって揺れた。
「もういい、やめてくれ、ムーディ・ブルース」
声が届くと、死にゆく側近の額に無機質な数字の列が表れ、男の顔は頭巾を被ったよう
な青い無表情な姿に変わった。そして、揺らいで消えた。
レオーネ王子はまた溜め息を堪え、ゆっくりと吐き出した。
「無駄なことはおよしになったら？
せっかくの守護霊を、なんてもったいない使い方をなさるの」
辛辣な声が響いてきた。
「皆さんお揃いですわよ、お兄様。解っていらっしゃるなら今宵一晩ぐらい切り替えて憂
さを晴らしたらいかがですの？」
主役ではないものの、主催側として着飾った妹の姿がそこにあった。亜麻色の髪をふん
わりと盛り上げ、まだ１６という年齢から露出は少ないものの、所々大胆に切り欠いて下
の布地を見せた個性的なデザインのドレスを身に纏っている。
「ああ」
「もしかして、生涯の伴侶に出会えるかも知れないのですし」
「そんなこと」
あるわけないだろうという言葉は口の中に消える。
一目で相手の人格の全てを理解し、認め合って恋に落ちる。相手の全てが解り、尊敬し
合えて、一生を共に過ごすにふさわしいと心から信じ合える、そんな出会いがこの世にあ
るものか。結婚というのは一生を左右する大事で、とくに王族のそれは慎重に慎重を期し
て行われるべきもので、たった一夜の舞踏会などで軽々しく決めるべき事ではない……そ
ういう理屈は、長々開陳する機会を得られなかった。
「そんなことをぐちぐち考えているから気鬱になるのです！ なにごともやってみなくて
は解りませんでしょう！？
生涯の伴侶と行かなくても、それなりの家の娘でしたら身の程を弁えて参っております
から、そこは割り切りで一夜を楽しまれても構いません事よ！
とにかく一刻も早く立直ってくださいまし。お食事も参られて。眉間の皺はまだ悩める
貴公子として許されるとして、その頬を横切る悲壮なゴルゴ皺！ どんな幸運の女神も愛
想を尽かして逃げるへの字口！ あんまりですわ！ それ以上ひどいお顔にならないで下
さい。お兄様の美貌は我が国の財産ですのよ！
お兄様が一々良心の呵責と王子としての義務とのせめぎ合いで痩せたり太ったりされる
お蔭で、その度に作り直すお兄様には被服費が倍掛かってますのよ!」
そこまで畳みかけるように言われて、王子はやっと反論した。
「パンナコッタ、おまえ、なんという罪深いことを。
割り切りでとは、もしや、将来の約束もせずに一夜の関係を結ぶということを言ってい
るのか？
そのようなこと、あってよいはずがない。身分あるものが若い娘の純情を弄ぶなど、信
義にもとる。王族というのは正義の体現者にして民の理想を演じる大いなる……」
「ああ！ もう！ 我が愛しき守護霊パープル・ヘイズッ！ このでかい図体をしておい
て自分の理屈に押しつぶされて王冠を頂くだけの力もない見かけ倒しの意気地なしを娘さん
達の真ん中に放り込んでおしまい！ 我が兄ながら情けないッ」
慣れている妹姫はすぐに堪忍袋の緒を切った。ふよんと道化のような菱形のモチーフを
繋げた模様の人型の精霊が現われ、大柄な王子を掴み上げると頭上に掲げたまま廊下を飛ん
で舞踏の間へと運んでいった。
「おいッ、おまえの守護霊が暴れると死人が出るッ！ パンナコッタ！ よさないか！」
運ばれながらレオーネ王子が声を抑えつつ抵抗した。
「お兄様も守護霊をお出しになればよいのですわッ」
やや遅れてスカートを捌きながら自らも廊下をのしのし進みつつパンナコッタ王女が叱
咤する。
「無理だッ」
「無理だじゃございませんッ！ 守護霊に対抗できるのは守護霊のみッ！ 守護霊を出せ
るというだけで近隣の王族には珍しいというのに、さらにあんな珍しい守護霊を不毛な使
い方しかしていないのはもったいのうございますッ」
……舞踏会の舞台裏で密かに展開されたきょうだい喧嘩を見て、パンナコッタ王女様に
女王様になっていただけば国は治まるのではと廷臣達はこっそり考えた……らしい。ただ、
このかんしゃく持ちの王女が守護霊を出して暴れさせると百人単位で疫病の死者がでるた
め、皆すぐにその考えを捨てた。
美人で頭が切れて価値観もまともなのに、かんしゃく持ちでなにかというと最凶の守護
霊を呼び出して暴走させる。
……できればすぐに婚約者のもとへお輿入れするか、長年のご希望通り他国の大学に留
学なさって国を離れていただきたい。
実は切実な願いだったりする。
９
その頃、運命が出会わせるべき相手は、晩餐会の隅の、「ペリーコロ様のご紹介のお嬢
様方」席で山海の珍味に舌鼓を打っていた。
「ブローノは向こうのお貴族席じゃねーのかよ？ おまえのママハハすんげー着飾って来
てたの見たぜ。アネキ達も」
魚屋の看板娘にまで声を掛けているところを見ると、ペリーコロももうなり振り構って
いないようだ。スクアーロ。幼い頃から買い出しに行かされているので、ブローノとはも
う幼なじみといってもいい付き合いだ。
「ああ、うん、今日は別口のご招待で紛れ込ませてもらった。旨いな、これ」
「だろ？ うちの店から納めさせて貰ったんだ。ありがたく食えよな。
食ったらテキトーに雰囲気だけ見て、ペリーコロのおやっさんの顔立てたら帰るわ。ま
さかアタシってこともないだろ、ブローノはアリとしても。……今日は気合いはいってん
な？」
「そこのとこはもう、【バリバリ玉の輿ねらいだ。見てろ、一発でものにしてみせる】
……え？」
じぶんの舌が自分の意のままにならぬさまにブローノがナイフとフォークの手を止めた。
「ハハッ、ブローノも記念参加組かよ。もったいないねえ。
ティッツ、よせよ、お嬢様食べづらそうだぜ」
魚屋の看板娘はブローノの口の中に親友の守護霊がいるのに目を止めて笑った。ブロー
ノはようやく噂を思い出して舌をぎこちなく動かした。動く。
……モデルのティッツァーノの守護霊にかかると心にもないことを言わされる！
「お嬢様、失礼しました。お食事中にこの守護霊は無粋でしたね。
どうぞお続けを。残すにはもったいなさ過ぎます、この鱒」
スクアーロの親友の画工見習いが金の髪を揺らして微笑んだ。モデル兼任でアトリエに入っ
たが、その美しさは街で噂になっている。
「わたしはあなたも十分王子のお目に留まる麗しさと思っていますよ、スクアーロ」
「ハハッ、ティッツの前でそんな大それたこと、考えてやしねえッて」
……どうだかな。
キラキラと笑顔を振りまく美人２人の女の友情のホントのところを推し量りつつ……ブ
ローノはがっつり栄養補給をしていた。
１０
式次第も吹っ飛ばして２階の回廊から広間の真ん中に投げ込まれたレオーネ王子は空中
で一回転してみごとに着地を決めると、とりあえず招待者としての口上を申し述べた。突
然降り立った美丈夫が目当ての王子と判ると悲鳴のような歓声が上がったが、たちどころ
に静まって王子の声を聞こうと皆々固唾を呑んだ。
「こんばんは。ご挨拶が遅れてすまない。王子のレオーネ・アバッキオだ。
この度はおれの私的な理由で皆さんに集まって貰って申し訳ない。美しく魅力あふれる
皆さんにお目にかかれてとても喜んでいる。この国のお嬢さん達は残らずご招待したゆえ、
ひとりひとりと近しくゆっくり話をすることができないとは思うが、そこは許して貰いた
い。できるだけ多くの人と知り合って楽しく過ごしたいので、皆さんも楽しんで貰いたい。
それでは、どなたかまず一曲お相手願おうか」
王子が手をさしのべる。嬌声を上げてはせ参じていた娘達が、その男ぶりに見とれてあ
り得なくも凍り付いてしまう。
……なんて凛々しい！
……お悩みと噂だったけれど、それもまた魅力を引き立てていらっしゃる！
生真面目、繊細で、悩みがちの性分ではあるけれど、かよわい体質ではない。むしろ、
その心を恥じ、克服しようとして鍛え抜いた逞しい体つきは、どの兵士にも負けない。い
にしえの神話の英雄の彫像にも比せられる美しさを備えていた。もちろん見せかけだけの
でくの坊ではなく、古風な嗜好は武芸にも及んでいて、古式ゆかしい馬上槍試合などでも
手加減なしに毎年優勝を決めている。学芸も優秀、政治にも健全な関心を持っていて、多
少の献策は父王に取上げられて奏功し、末頼もしい明君と期待されている。
これは国家機密（トップ・シークレット）だが、とても変わった守護霊を持っているそ
うでもあるし。
どこに出しても恥ずかしくない理想の王子様……！
ただちょっと、理想家過ぎて、現実とのずれに傷付いてへこみやすいだけだ。
……おいたわしい。
……お慰めして差し上げたい。
吐息が広間を通り抜けた。
王子は面食らって、一同に目を巡らせた。
……どれも同じに見えてしまうのは失礼なんだろうな。
無個性に着飾った若い娘の群れは、かれにとってはごてごてとした布と宝石の融合物に
見えた。半ば群体と化していて、個別に見ようとしてもできない。目が滑るのを意識しつ
つそれでも頭を巡らせていくと、隅にいたある姫君に目が止まった。
ありえない。
髪は女の命だろうに。
顎の線で切りそろえた闇色の髪がまず目を惹いた。最低限の編み込みでヴォリュームを
抑えている。
その髪が縁取る顔は健康的に陽に焼けていて、知性的な青い瞳が印象的だった。
ドレスもミニマムだ。
露出は少ない。襟は立って首を慎ましく隠している。その首周りには金属らしい輝きが
あるが、甘さを廃したなにか金具のようなモチーフで武具か機械部品のようなものを感じ
させる。胸元はその分大胆に開けてあるが、レースが覆っていて淫らな感じはさせない。
ただ、大きな開きに目が吸い寄せられる。そしてその下の腰の細いこと！ 布地が少なく
ぴったりしているだけに、妖精かと思わせる。ロイヤルブルーの勲章帯が斜めに胴を横切っ
て、身分を示しつつもくびれを引き立てる。細い胴部分はそのまま下腹部や尻に繋がってい
て、細いなりに人魚のような艶めかしさを醸し出しつつ、裾は僅かに広がって足捌きを確
保しつつ僅かに引いて格式を示している。
新しい。革新的でいて、エレガント。着る人を引き立てるドレスであった。
純白に斑点を散らした柄も、なにかある種の犬のようで目新しかった。目もあやな極彩
色の群体のなかでは、確実に目立っていた。
つまりは、そのドレスを着た姫君に目を奪われていた。
「踊っていただけますか？」
レオーネ王子は歩み寄って、跪いて一礼すると、手をさしのべた。
「喜んで」
感激に胸を轟かせながら、ブローノが短く答えた。
曲がはじまった。
１１
有力貴族の娘を中心に、振られた娘を壁の花にしないために用意された若手の貴族達が
次々進み出てダンスを申し込み、広間の中ほどに出ていって踊り始めた。
……でもあの御裾じゃあ細すぎてダンスには向きませんでしょ？
……あんな身体の線の出るドレス、身動きできるのかしら？
大胆なデザインが目を引いたと知れて、やっかみ半分の声が上がる。たしかに、大柄な
王子が大胆なステップを試みると、裾幅の狭いドレスの姫君はついて行きかねて腰が遅れ
はじめた。久々に体を動かしてご機嫌な王子様はパートナーの都合に頓着しないで大技を
繰り出し続けている。
……そこが王子の残念なところで。
……まあ人間だから。しょうがないさ。
……やっぱり舞踏会にはひらひらでないと！
衆目の意見が一致し始めたとき、ぴッと布の裂ける音が響いた。
王子のパートナーの細身のドレスの脇が下から腿辺りまで裂けて、足捌きを可能にした。
ドレス下の嗜み溢れた薄ものが歩みに連れて揺れ動いて、華々しくも豪快一方だった２人
の舞いになんともいえない艶っぽさを増した。
「な、なんたる不祥事……革新的なデザインのお召し物が革新的すぎて恐れ多くも王子と
ダンスを踊っているときに破れて姫君のお下のお召し物が露出するなど！ 醜聞にござい
ます！ 曲を止めて！ すぐさまあの姫君にはお召し替えの御用意をして差し上げなくては！
どこのメゾンでございましょう？ もうはやそのけしからぬデザイナーには注文が来る
ことはあるまいと」
側に控えていた侍従長が顔色を赤くしたり青くしたりして狼狽えた。
「見えなかったの？ 守護霊よ。わざと裾を裂いたんだわ。べつに素肌が見えたわけでも
なし、大昔でもあるまいに、醜聞になどなりはしません。かえって演出に見えたぐらいよ……
なんて大胆素敵な姫君。お姉様とお呼びしたいわ。
守護霊持ちなんて、今時千金を投じてもお迎えしたい良縁よ。
決めました。続けさせて」
王女は碧い眼をきらめかせて宣言した。
「ええその、……何と申しましょうか、えへん、たしかに魅力が上積みされましたな」
侍従長は空咳をして頬を赤らめた。
王子たち２人は息のあった踊りでフロアを支配していた。支配というか。
ずどん。
「失礼」
「い、いえこちらこそ。王子、どうぞお楽しみ下さい」
どしん。
「きゃッ……失礼しました。なんでもございません」
ご機嫌な王子は好き放題にフロアを使って、他のペアにぶつかりまくっていた。王子た
ちだけ見ておればそれは華麗な舞いだったのだが……。
「済みません、見えていませんでした」
「い、いいえッお気になさらず」
「失敬、お怪我はありませんでしたか？」
「あいたッ」
「ごめんなさい」
「ぐえッ……」
「済まなかった」
抑えた悲鳴が広間のそこここで上がっていた。自分を吹っ飛ばしたのが王子と知って、
あまつさえ目を合わせて詫びられて、腰がぬけて立ち上がれぬ姫君も続出して、言うなれ
ば死屍累々。
ようやく一曲が終わったので、壁の花だった娘を押し出そうとしてその母親が鼻息を荒
くしたが、当の娘は既に敗北宣言をしていた。
「ほらッ、次こそは踊っておもらいなさい。我が家は建国以来の名門、王子様だってあな
たをむげにはなさらないはずよッ」
「だめよ、お母様。もうぴったり息があっていらっしゃる。お２人して足に羽が生えたよ
う……割りこめっこ無いわ」
王子の方もブローノの手を握って離さず、異例な事ながら、パートナーのチェンジなし
に次の曲がはじまった。２人はいっそう傍若無人に×暴れ○踊り回った。
１２
「お兄様、……ヘタね」
パンナコッタ王女がそれを見ながら吐き捨てた。
「さりながら、パートナーの姫君の足を踏むことは絶えてございません。ステップの間違
いもこれなく、広間の全てを使い大技含めまんべんなくステップを使った堂々としたリー
ドっぷりで。パートナーの姫君も、最初は御裾に足が取られてか遅れ気味でしたが、脇を
開かれて、さらに慣れると阿吽の呼吸で、もはや似合いのお二人かと」
侍従長が口添えする。
「周りに人がいなくてひとりで練習してる分には完璧なのよね、いつも。あたしも気分良
く練習させて貰ったわ」
「左様で」
「でも不器用なのよね。周りに人がいてそれぞれ自由に動いてたら対応できない」
「御意」
「先だって雇い入れた狙撃手がいたでしょう。かれを呼んで頂戴」
王女は冷静に命令した。
「どーすんの、姫様。おれなんか召しちゃって」
召し出された男が尋ねた。王女の御前だ、控えぬか、と後ろで侍従が小声に叱っている。
「狙撃して頂戴。２人で踊るばっかりで、目的を理解してないわ、あのお馬鹿」
「踊って発散できりゃいいんじゃないの？ おれも行きたいんだけど。せっかく服新調し
て貰ったし」
一応近衛の制服を両手を広げて見せながら、グイドが尋ねた。カービン銃は、油断無く
肩に掛けたまま手離さない。
「あんなに相性いいんなら、もっと進展させなちゃ」
「それでどこ狙うの？」
ストラップを肩から抜きながら、グイドが目を光らせた。
「あの姫君のヒールを。足を止めて頂戴」
「あいよ。姫様は注文きついね」
「やれないの？ グイド」
王女は顎を上げて狙撃手を見やった。
「やりますよ。ピストルズ、いくぜえ〜」
グイドと呼ばれた男は広間を見下ろす回廊から銃を構えた。
「イィーハァー！」
「オ姫様、チョット失礼ィ〜」
「怪我ハサセネエヨォ〜」
ミスタの守護霊たちが銃弾に取り付いて、思うままに軌道を操る。カービン銃は馬上な
どの取り回しの便を優先して命中精度が低いが、守護霊たちがそれを援護して、この男を
市街での狙撃に卓越させている。
弾丸は狙ったとおりにブローノの繊細な靴の高いヒールを撃ち抜いていた。
「きゃッ」
バランスを崩したブローノを、王子が抱きとめた。
「大丈夫ですか？」
「靴が、ちょっと……夢中になって踊りすぎたようです」
「これはいけない。修理させます。どうぞ」
「まあ、いけないわ！ 姫君、どうぞ別室を御用意させますわ。お坐りになって。立て続
けに踊ってお疲れでしょ？ 冷たいお飲物をどうぞ。
お兄様もいらして。ご歓談タイムですわ」
駆け寄ったパンナコッタ王女は、作ったと窺わせない完璧な笑顔で王子のお気に入りの
ダンスの相手を部屋に誘い込んだ。
「どこで誂えた靴か調べさせなさい。あの姫君の身元を探るのよッ。あの紋章はたしか見
覚えがあったけれど、どこだったかしら……？」
むしり取るように脱がせた靴を侍従に渡して、即刻調査に入らせた。
「なんとしてもお引き留めしてッ。なんだったらお泊まりしていただいてッ。お父様お母
様には全ての権限をお許し頂いてます。この際お兄様のお妃をあちらの方に決めちゃって
結構よッ」
王女はもう大車輪。
「姫様、スナイプの報酬は〜？」
狙撃手がのそりと顔を出した。
「上出来でした。一曲踊って差し上げてよ。あたくし婚約者がおりますから一曲だけね」
すましてパンナコッタ王女は言ってのける。
「ええ〜ッそんなのつまんねえ。一発ぐらいもらわねえと割があわねえ」
ミスタは試すように言ってニヤリと笑った。
「下品な方ね。いいわ、差し上げましょう。その代わり、一度きり。それ以上は許しません
よ」
王女の目の色が深くなる。
「話が分るじゃん？」と、意外そうな顔になった瞬間、
ぱあん、とグイドは頬を張られた。
「はい、一発。ごきげんよう。また役に立って貰うときが来たら連絡します」
「ちょ、違う、一発ってのはッ」
頬を押さえてグイドがいきり立つ。
「お出口に案内して」
「は」
グイドはよってたかって退場させられた。
１３
「お疲れになりましたか？」
久し振りに体を動かして頬を上気させて、レオーネ王子が尋ねた。いや、昂奮している
のは踊ったからばかりではない。裾が邪魔で付いてこれないと見るなりドレスの裾を裂い
た機転といい、その時に現われた守護霊の指捌きの巧みさといい、リードに合わせる気の
回し方といい、理知的な瞳も妖精のような細さも、立て続けに数曲踊りまくっても疲れを
見せない体力も、好ましいとしかいいようがない。
つまり、レオーネ王子はこのパートナーにすっかり参っていた。
「いいえ、楽しゅうございました」
ほんの少し恥じらいながらも見上げてくる青い瞳のなんと美しいこと。黒髪の陰に見え
隠れする耳飾りも、同じくらい大きく色の濃いサファイアだ。そこそこの家の娘に相違な
い。
「どちらの姫君でしょう？ 名はなんと？」
つい、先のことを考えてしまって、王子は矢継ぎ早に問うた。
「お許しくださいませ。名はブローノ、ただ今宵は王子様をお慰めしたくて参ったのでご
ざいます」
落ち着いた受け答えながら、素性を隠している。これは訳ありだ、パンナコッタ王女は
慎重にお妃候補を値踏みする。
「お兄様、こちらはあたしが『昨日お稽古に使ったお部屋』にございます。それではしば
らくお邪魔いたしませんからごゆっくり」
「ああ、うん」
強い視線の意味を感じ取って、王子は上の空に返事した。妹たちが引き下がってすぐ、
守護霊を呼び出す。額の数字がどんどんカウントダウンされていって、３８ほど減らした
ところで数字は止まり、青い頭巾を被ったような姿は消えて、ハープを手にしたパンナコッ
タ王女が現われた。２人が目に入らぬが如くにスツールに腰掛け、練習曲を奏で始めた。
「どうぞ、喉が渇いたでしょう」
言葉もなくそのさまを見つめていたブローノに、王子は飲物を勧めた。
「ありがとうございます」
「おれも守護霊持ちです。このように、その場に起こった過去のしわざを目に見えるよう
に演じてくれる。誰もおれに嘘はつけません」
そう信じていたから、うかうかと騙された。苦いものがこみ上げて、レオーネ王子は黙っ
た。
「それは便利。ですが、お辛くもあるでしょう」
ブローノはグラスを卓に戻して、静かな声で言った。
「優しい嘘は世の中をうまく巡らせる潤滑油のようなもの」
「うまいことを仰る」
目を開かされたように気持ちになって、王子は前のめりになった。
１４
「あなたも守護霊をお持ちとお見受けしたが。
あ、どうぞ膝掛けをお使い下さい。お帰りの際には羽織ものも差し上げましょう」
ふと、裾の脇が開いて下の薄ものが覗いている姿に今更気がついて、王子はかああっと
赤面した。とりあえず紳士的な振る舞い……と思いつくままに口に出す。
「いいえ、ご配慮には及びません。ご親切ありがとうございます。
ただ、あの靴はお返しいただけますか？ 借り物ですので」
ブローノはもう帰り支度のことばかり考えている。
「修理させておりますが、間に合いますかどうか。替えのお履きものも御用意いたします
よ」
いや、それどころかもう帰したくない……！ 王子はそこまで思い詰めてしまっている。
「いえ、それはご辞退いたします……あの、こちらで待たせていただければ、冷たいもの
を頂きながら、ひとりで結構ですから、王子様はどうぞ広間へお戻りを。皆さん待ってい
らっしゃいます」
「いえ。おれの今夜の目的はこちらなので」
「え？」
ブローノはほんの少し頭を傾げて見せた。
警戒される！ レオーネ王子は慌てて言葉を繰り出した。
「や、あの、おれも久し振りに激しい運動をしてちょっと腰が。しばらく休憩を取ろうと。
……場は妹たちが繋いでおいてくれると申していたことですし」
「それは大変。どうぞお休みになって下さいまし」
「あ、いや、だから少し話し相手を……お願いしたく」
「あ、はい」
にこりと笑った顔にまた心臓を鷲掴みにされたようになって、王子は惑乱する。こんな
こと、初めてで。
「その、守護霊のこと、お尋ねして良いか……？
いや、いいドレスだ。なんというか新しい、斬新で、そして布地の少ないのがいい、経
済的で」
付け足しのように、女性と会話するときのハウツーを思い出してドレスを褒めてくる。
それも、言うにことかいて経済的だって！ 微笑ましくてブローノはつい笑ってしまう。
「ええ、経済的で」
クスリと笑ってしまって、不敬だったかなと思うと、王子はまた顔を真っ赤にして身を
ちぢこませている。
「裾捌きのことを考えていませんでした。まさか王子様に踊っていただけるとは思いもよ
らなかったので。それで、進退窮まったら、出てきてくれました。
王子様の足手まといにならずに済んでようございました」
「足手まといだなんて！ とても踊りやすかった……またお願いしたいです。ああ！ で
は靴を用意させましょう！」
「いいえ、それでは他の方がお可哀相。それに、王子様はお疲れでいらっしゃるのでござ
いしょう？」
名案を思いついて躍り上がった王子は、すぐにたしなめられてしょぼんとなった。
「機会があれば、是非また」
つい、その姿をカワイイと思ってしまってまたブローノは笑って言い添えてしまう。上
目遣いになっていた王子がそれにまた胸を張る。
「切ることが得意なんです。初めて出てきたのは、薪を割っていたとき。古い斧だったの
ですが、とうとう柄がもげてしまって、往生して。そしたら出たんですわ。もう、ウーノ、
ドゥーエで全部細かくしてくれました。それからも、助かってます。鶏を捌いたり、壊れ
た庭の石像をバラバラにしたり」
肩をすくめて見せた様に、聡い王子は育ちの違いを感じてしまう。王子は暖炉に薪を自
分でくべたこともないのだ！ そんな、良家の娘が手づから斧を取って薪を割るなんて。
これはよっぽど困窮していると見える。支度金をはずまないといけないかなとふと考えを
めぐらせていて、注意が疎かになった。
「……オー、ノー！」
うっかり呟いてしまった言葉を、ブローノが聞きとがめた。
「まあ！」
「いやそんな、だじゃれを言うつもりはなくて！」
王子は慌てて頭に血が上る。うまいごまかし方が思いつかない。何をやっているんだ、
あせればあせるほど言葉が出ない。
「斧が壊れてオーノーって、オーノーって……！ 王子はユーモアのセンスがおありです
わ！」
ブローノはころころと笑った。
「姫君」
王子はもう感動が礼儀で押さえられる域を脱してしまって、とうとう席を立ってブロー
ノを抱きすくめてしまっていた。
「ブローノです、王子」
２人は見つめ合い、あとは唇が近づいた……。
１５
ぴぃん。
と、今まで２人の雰囲気を取り持っていたハープの練習曲が音を外した。
……冗談じゃなくてよッ！ あたしの手じゃあここは届かないんだってば！ あたしが
下手なんじゃないわ、この曲がいけないんだから！
昨日のパンナコッタ王女はどうしても弾けない場所があってかんしゃくを起こしたらし
い。
どんがらがっしゃん！
ハープをぶん投げて、かんしゃく持ちの王女は靴音高く部屋を去ろうとした。
「ムーディ・ブルース！ もういい！」
王子は慌てて守護霊を消した。
「……頭のいい子なんだが、かんしゃく持ちで」
「はあ、さようで」
手を握りあったまま、２人は間の抜けた会話をした。
「あの、ブローノ……？」
「はい、王子様」
「この舞踏会は、その、おれの妃を選ぶための催しで、その、いらしてくれたと言うこと
は……そのつもりがあると、思って、いいのだよな？」
いいところを外されてしまった王子は上目遣いに尋ねる。
「いいえ、わたしは妃など望むべくもない身の上ですが、お国の民として、王子が気鬱に
お悩みと聞いて、ただご立派な王子のお姿を拝見してこの先物語のたねにし、もし機会に
恵まれましたらほんの一瞬でも王子のお心を安らげるなにかの足しになればと思って参っ
ただけにございます。
王子様と一番に踊る名誉をお与え下さっただけで末代までの誉れ。これより先はお互い
のためになりません。どうぞ捨て置き下さいませ」
背筋を正して凛々しくも言い放つ姿に、心弱い王子は二度惚れしてしまう。
「そのようなことを仰せになるな。おれはこの国では望めばある程度のことは叶う身、あ
なたをこのまま召すこともできる！」
王子はブローノの手を握る手に力を込めた。
「できませんよ」
ブローノは手をふりほどいて立ち上がった。時計台の鐘が１１時４５分を告げていた。
「失礼いたします。今宵は楽しゅうございました。それでは」
美しく礼を取って、片足が裸足のままにブローノはドアに真っ直ぐ向かった。ノブに手
を架けるが、それは施錠されていた。
「スティッキィ・フィンガーズ！」
守護霊を呼び出して、ドアを切り裂く。廊下側に立っていた衛兵たちが驚いて振りかえ
る。
「お待ちなさい、おみ足が！ 靴をどうか」
振られると思わなかった王子は床に倒れ伏してブローノに手を伸ばしている。
「ご免下さいませ。このままで結構。では、失礼いたします」
言いおいて、ブローノは走り出すと、待ちかまえていた馬車に乗って王宮から去った。
「ブローノ！」
あとは王子の悲痛な声が響くのみ。
１６
舞踏会の夜から３日が経っても、王子は虚脱したままだった。
……王子はユーモアのセンスがおありですわ！
ブローノの笑顔の零れる瞬間だけを永遠に再生し続けている。ものも喰わず、睡眠もと
らず。舞踏会を前になんとか回復させた美貌がまた無惨なさまになりつつある。
「いい加減になさいませ！ そんなことをやっていても埒はあきませんのよ！」
自然ないい笑顔だ、兄のまぬけな失言は置いておくにしても、これは脈があるかも知れ
ない、とふと自分も見とれてしまっていて、我に返ったパンナコッタ王女は大声を出した。
「あのお方の身元が割れましたわ！ ペリーコロ様のご縁の方のようよ。うちうちに照会
しましたが、向こう様もそのおつもりでお越しになったらしゅうございましてよ。
あの紋章、思い出しました。なにしろあたしはお兄様とは違ってやくたいもない騎士物
語なんぞにうつつを抜かしたりなんかしていなくて、自分で選んで書物を読めるようになっ
てからは、国の年代記やら貴族一覧を読み込んで育ってきておりますからね！
あれはブチャラティ公爵家。先年公爵が不慮の死を遂げられたあと、後妻が乗っ取ったと
かねて噂のあったお家ですわ。とくに不祥事があったわけでもございませんので、障りには
なりませんことよ。
ただちょっと、今暮らし向きが苦しいように聞き及んでおりますから、そこのところは、
支度金を賜るなりメイドを遣わすなり手を打つ必要がございます……聞いてませんのね。
靴が直って参りました。これを口実になさいませ。あと、これを。お母様からお借りし
てきました。代々の王妃に受け継がれる品です」
指輪を入れた小箱を差し出されて、やっと、眩しそうにレオーネ王子は妹に向き直った。
「おお、『人間讃歌』」
「ええ、我が国の宝です。血のように赤いルビーをハートの形にカットして磨き上げ、波
濤のごとき意匠の黄金の台座に据えたもの。大切な人を命を賭けて守ること、そして、そ
の尊い黄金の血をとこしえに繋いでいくことを表わしているのです。まさしく求婚の品に
ふさわしい宝。これをあのお方に捧げるんですわ！ これで伝わらない想いがあるという
なら、あたしはこの世のロマンス小説なんてものをいっさいがっさい燃やしてしまうこと
にします！」
昂然と面を上げ、他人事にすっかり夢中になってしまっている王女は宣言してのけた。
「解った。行ってくる」
勝機を見いだしてやっと王子は腰を上げた。
１７
「ブローノ！ おまえ……やっておくれだね！」
王子の求婚の使者を出迎えてポルポは言葉を失っていた。王子を独占した黒髪の姫君に
ついては、遠目でよく解らなかったものの、ブローノなのではないかという予感のような
ものがしていたのだ。ブローノの後見であるペリーコロにさりげなく聞いてみると、ど
うやらお節介をしてやったらしく、あの子の幸せの邪魔をするようなら出るところへ出て
今までの悪行を暴くなんて逆に脅しつけられてしまって。なんとか老人の目をごまかす策
を考えていた所だった。
「靴をお返しに上がりました」
恋やつれした王子が、晴れ晴れと片方だけの靴を掲げてブローノとの面会を希望してき
たのである。もう一方の手には、この国の娘達が望んでやまない秘宝を抱いて。
「おっかさんも解ってるんでしょ？ こないだの舞踏会でおたくのお嬢さんが当たり籤引
いたって。ここは野暮言わないで娘の幸せ祈ってやってちょうだいね〜？」
グイドがくだくだしい口上を省略してポルポを黙らせた。
「王子様……」
さすがにブローノは胸がいっぱいになって立ちつくしている。王子も、恋しい人に再会
できた喜びに胸がいっぱいになって、せっかく持ってきた国宝も出すのを忘れて、口から
出た言葉といえば。
「逢いたかった……あの、……あの、まずは、お友だちからお願いします」
跪いてぺこりと頭を下げる姿に、ブローノはやはり笑ってしまう。
「はい、喜んで」
屈み込んで、手を取って立たせた。
「ちょっとー王子様、指輪持って来といてお友だちからはないでしょー！？」
グイドが身もだえした。
「え、あ、そうか。では、ゆくゆくはこれをその手に。どうか受けて貰いたい」
慌ててレオーネ王子は箱の蓋を開けて婚約指輪を見せる。
「はい、できましたらそのうちに」
ブローノの顔がいっそう輝く。王子の顔も……。
「王女様からは、姫君をぜーったい連れて帰ってこいって言われてるのね。仕度してちょー
だい。王宮からメイドとか派遣して貰えるはずだからあとは気にしなくていいって」
グイドは世話の焼ける王子様の替わりにてきぱきと指図する。
「お義母様」
ブローノは心配げにポルポを振り返ってみる。
「ふん。チャンスは活かすもんだよ。行っといで。姉さん達の縁談も王様にお願いするん
だよ。ほんと、美人は得だねえ。なんにもしなくても結局いい縁談を掴んだよ」
ポルポは忌々しそうにそっぽを向きながら言った。
「はい。今までありがとうございました。
解っていました。８年前のあの時点では、しっかりした大人がいてくれなくてはこのう
ちはよってたかって食い荒らされてしまっていたってこと。お義母様の手腕があってこそ
ここまで細々とみんな食べ繋いでこられたんだって。
お義母さまのこと、お恨みしてません」
「お利口だねえ。姉さん達のこと、ほんと頼んだよ」
いっそう忌々しそうに小悪党は言った。
「行こうか」
王子が手をさしのべた。
「はい」
ブローノは晴れ晴れとそれに手を絡める。
「幸せになりなよ、ブローノ」
塀越しにナランチャが涙ぐみながら声を掛けた。
賢くも美しい、自分を理解して評価してくれる伴侶を見つけて、王子は心を強く持つよ
うになり、妃に支えられた王子はやがて名君として国を栄えさせ……るといいね。
０８−１０−１３
おまけ。
「その鍵を寄越せッ！」
「なにを！ これは皇帝陛下から我が国へご下命の、トリッシュ皇女さまをお迎えするた
めの鍵！ あなたなんかに渡せませんわ！」
有名無実化していた皇帝がいきなり現われて、若い頃の隠し子の存在を公表しその救出
をネアポリス王国に命じたせいでパンナコッタ王女は婚約者ともめている。だいたい、引
きこもりのイルーゾォ王子と気の強いパンナコッタ王女は相性最悪で、寄ると触ると大げん
か、これは成婚まで行かずそのうち手切れになると両国のものは見ていた。
「許嫁だろッ！ 未来の夫の言うことを聞けよッ！
マン・イン・ザ・ミラー、鏡の世界への道を開けッ！ ぼくを鍵ごと保護しろ。
但しパンナコッタ王女は入室を認めないッ！」
虚弱な王子はパンナコッタ王女を突き飛ばして鍵を奪うと、守護霊を呼び出して安全地
帯に逃げ込もうとする。
「させませんわッ！ 女に手を挙げるなんて最低ッ！
パープル・ヘイズッ、この野蛮人を躾けてお上げなさいッ」
売り言葉に買い言葉、パンナコッタ王女も守護霊を呼び出して応戦する。
「なんて馬鹿力なんだ……こいつ」
虚弱なイルーゾォ王子は守護霊も非力で、一瞬の瞬発力では大の大人をも上回るパンナ
コッタ王女の守護霊に圧倒された。
「こ……のォ」
渾身の力で押し戻した腕が、パープル・ヘイズの拳に付いた小玉を、割った。
「え、ちょっと、それはまずいわッ」
瞬時に立ちこめる紫色の靄。嵐のように現われる疫病が、イルーゾォ王子に取り付いた。
直ちに発症した王子は、体中をふくれあがらせる。
「あ、あたしが悪いんじゃないわよ……」
ぽとりと落ちた鍵を震える手で回収して、振り向いてみた見慣れた疫病の症状に、吐き
気を催しつつもパンナコッタ王女は事態を深く考慮する。婚約者同士の間柄で、過失とは
いえ、一国の王子を死に至らしめるのはまずいのではないか。イルーゾォ王子はアッサッ
シーノ王国では下から数えた方が早いみそっかすだが、血の気の多いシチリアの王族は、
身内の死を重く受け止めることだろう。
国際問題だ。
パンナコッタ王女が戦慄すると、側に控えていた近衛の兵が、声を掛けた。
「どいてください、下がって」
彼女を疫病の魔の手から遠ざけると、守護霊を呼び出した。
「この場の煉瓦を殴って、蛇を産み出しました。疫病の蔓延している場所から生まれてく
る蛇、この蛇はこの病には抗体を持っています」
「抗体……ですって？」
「ご存知ですか？ 一度死の病に罹って、それに打ち勝ったものは、二度とその病には罹
らないのです」
「聞いたことはあってよ」
青ざめたままに、パンナコッタ王女は見慣れぬ若い近衛兵の言った内容を理解しようと
した。
「ゴールド・エクスペリエンス！ この蛇の血から血清を作って、イルーゾォ王子に注射
しろッ」
金髪を三つ編みにした揺るがぬ目をした若者は、自らの生き霊に高度な医療行為を命じ
た……。
「無理よッ！ ぶっつけでそんなこと、成功するはずがないッ」
「やるだけやってみる、その価値はあるはずですよ」
これまでの経験からはもうはや命はないと見えたイルーゾォ王子に血清は注射され、息
を呑んで見守るうちに、イルーゾォ王子は体中の爛れも収まって、息を吹き返した。
「こ、こいつ……なんて凶暴な……破談だ！ 手切れだ！
我がアッサッシーノ王国は我身に与えられた苦痛と侮辱には全力で報いるからな！
そうだ、皇女を奪って目にものみせてやる！ 覚えてろよ！」
小悪党そのものの捨て台詞を残してイルーゾォ王子は去っていった。
「バッカじゃないかしら」
パンナコッタはぎりぎり最悪の結果だけは免れたと思って胸をなで下ろしていた。最悪
でないだけで、悪い結果ではあるけれど。何年かに一度の大きなしごとを受けている最中
に、やっかいな連中の恨みを買ってしまったことだ。
「そなた、礼を申します。助かりました。
面白い守護霊を持っていますね」
「ええ、姫様、この血清を、いまぼく自身にも注射しました。
ということは、ぼくはもうあなたの守護霊によって殺されることはありません」
そう言って、金髪の近衛兵は、パンナコッタに一瞬で近づくと唇を奪った。
「無礼者ッ」
振り上げた拳も、難なく掴んでそれにまた口づけてみせる。揺るぎない金の瞳を輝かせ
たままに。
「このジョルノ・ジョバァーナには野心がある。
この国の近衛に紛れ込んだのはそのほんの足がかり。ぼくの野心のために、役に立って
貰いますよ、姫様」
「な、なんなのあなた……」
パンナコッタ王女は、ゴゴゴゴゴと押しつぶされそうな音を感じていた。それは、今ま
で感じたことの無かった我と我が鼓動の音であった。
……びっくりしただけよ。ええ。ときめいてたりなんか、するもんですか……。
パンナコッタ王女は頬を染めて立ちつくして、まっすぐ歩き去るジョバァーナを見送っ
ていた。
……って続かない、続かない(笑)。
蛇足。
よそへいって、他ジャンルのシンデレラパロを見たらなんとなく漲って。あの発砲事件
のせいで気鬱になっちまったレオーネ王子の気分転換の嫁取り舞踏会に連れてってもらえ
ない継子ブローノ、あるわーと思って。でも全然悔しそうじゃない。そこんとこだけちょっ
と無茶したかな。
妖精のような新感覚のブローノのドレスは、原作のあの白スーツプラス「マイ・フェア・
レディ」のヘプバーンのドレスのイメージです。でもあの有名なおリボンのドレスは競馬
の会用で、舞踏会の時はなんかふんわりしたの着てました。ユーチューブで調べました。
今はなんでもネットで調べられるからいいわねえ。
そんでもって無事お城へ引き取られたブローノと婚前同居のレオーネ王子はもう花嫁か
らみんな据え膳どうぞ状態だけど片意地張って「結婚式までは清い関係で！」とか言い張っ
てて、でも誘惑に負けて食っちゃってまた「なんてだめなんだおれは〜！」とか余計なこ
とで悩んで大騒ぎするといい。大物なブローノは「わーこのひとバかわいいー」と思って
るといい(ヒドイ？)。
そんでもって密かに尻に敷いているブローノ王子妃は、皇帝陛下の勅命が下ってもへー
ぜんと王子その他を率いて任務をこなし、
「覚悟はいいか？ わたしはできてる」とアッサッシーノ王国のプロシュート王子を×ロー
マ行特急○空飛ぶ龍の背中から蹴り落とすわけやね。う〜んめるへん。