キャット・ファイト
その朝（生還パラレルｖｅｒ．）＆ロハンクロスオーヴァー
１
康一のイタリア土産を気に入った岸辺露伴は、丁度仕事の切れ目ということで、夏休み
にネアポリスを訪れた。
もちろん、彼女の愛娘と「子守」を伴って。
恩人のネアポリス再訪ということで、地獄の旅を経てパッショーネの２代目ボスの座に
着いていたジョルノもブチャラティと共に時間を作って彼らを迎えた。
日伊の実力派の美人スタンド能力者２人はすぐさま意気投合した……？
「まったくコーイチ君の、そう、『覚悟』には舌を巻きましたが、なるほど、高校生のこ
ろにそんな経験を。やはり矢に選ばれた能力者だったのですね」
彼らの出逢ったきっかけ、平和な新興住宅地に潜んだ殺人鬼との死闘についての話を聞
いて、目を輝かせてブチャラティが感心した様子を見せる。
……これはたしかにネアポリスの海の色だな。
露伴は芸術家としての本能がうずくのを抑えきれない。なにせここはミケランジェロを
生んだ国だ、街をゆく市民をただスケッチして帰るだけでもこのあと１０年のインスピレー
ションには不自由しないかも知れない。この春、死の旅を乗り越えてこの国を牛耳るマフィ
アの組織を乗っ取ったというジョルノとその同盟者というこの女性もいいが、なんといっ
ても露伴の感性を刺激するのはさっきからそこでそのブチャラティの娘の面倒を見ている
プラチナブロンドの男。
……いい身体をしているな……。
つい、目が行ってしまう。
自分の乙女心を支配してやまないあの穏やかな目をした美丈夫には負けるが、また民族
の違いがあるのかも知れない、色の淡い彫りの深いハンサム……北欧か、ゲルマンか。ジョー
スター家とはまた違った骨格をしているかもしれない。
……裸になってポーズを取ってもらえないだろうか。
幾ら出せばいいかな？ それとも、彼女に頼めば言うことを聞くだろうか？ 一番手っ
取り早いのは「書き込む」ことだが、こうスタンド使いがウロウロしていては簡単にヘブン
ズ・ドアーも使えない。
つい、自分の考えに沈んでしまっていて、会話から乗り遅れてしまっていた。
「……そこのところ、どうなんですか？」
「おいッ、やめねぇか」
「あはは、ジョルノ、面白いことを言い出すな」
話題はやや私的な方面に立ち入っていたらしい。
２
ネアポリス方言が巧く聞き取れなかったフリで露伴は間を取った。彼女のスタンドで、
同行者達は皆ネアポリスの地元のもの同様に話せることになっているのだが。
「ああ、すみません」
ジョルノが一応謝ったのは非礼に対してではなかったようだ。
「あなたは、コーイチくんを、何より信頼の置ける友と、仰いましたが、それは、恋愛対
象とは、ちがうんですか？」
ゆっくりと単語一つ一つを区切って、明瞭に発音して。ジョルノは引くつもりはないよ
うだった。
地獄の旅の同盟者、命がけで彼の夢を叶えてくれたブチャラティは、５才年下の彼を信
じ、心から頼ってくれたが、愛は別にあった。晴れて生還して、修羅場の中で強い気持ち
に育ってきた想いを告げようとすると、彼女は自分とアバッキオは男女の仲で、もう子供
さえ成しているとからりと言ってのけた。今まで通りの助力を約束しながら、輝く笑顔で、
アバッキオのリタイアを許すよう願い出る。まったく、こちらの狂おしい想いなど無視し
て。
……道理で縄張りを侵された犬っころのようにキャンキャン吼えかかってくると思いま
したよ。
アバッキオの態度にも今更得心がいく若きボスであった。
ブチャラティの格や能力を思えば些細な仕事に過ぎるルカの件も、産休明けのリハビリ
と思えば納得もゆく。まったく、そんな状態で「黄金のような夢に賭けよう」だなんて、
ブチャラティは挑戦者すぎる。
……だから、ぼく自身に強い感情を持ってくれたと誤解してしまったんですよ。
じつのところ、この３ヶ月というもの、つれない顔で組織の掌握・再編を見事にやって
のけながらボス・ジョルノの内面は大荒れだった。
この美しい日本の芸術家も、年下の男には興味がないのだろうか。自分の腕一本で生き
ている自信が、彼女たちを輝かせているのだろうか。か弱い女の身で世間と渡り合ってき
た経験から、年令や社会上の身分にとらわれずに信頼すべき人間を見極めるならいになっ
たということだろうか。しかし、恋愛は別、そのしなやかな心とからだを委ねるのはやは
り心身共におおきな立派な男性、と、そういうことだろうか。
……アバッキオはちっさい男だと思いますけどねえ。図体はともかく。
ついつい恋敵には厳しくなるジョルノだった。そして、哀れな（？）旅行者にも八つ当
たりは向かう。
「あなたのその可愛い赤ちゃんの父親は、いったいどういう男性なんですか？」
ひやっとした空気が日本からの客の間に流れた。
……本人はせっぱ詰まってついつい追求してしまったんでしょうけど、不作法な嫌がら
せにしか見えないのは日頃の行いのせいでしょうかねえ。自業自得、とまで言っちゃあ悪
いかな。
同様の物想いはもう卒業したフーゴが、そっと彼の心中を忖度していた。
３
「い、いやだなあ」
引きつった康一の声が沈黙を破った。
「ぼくはそんなんじゃありませんよ。だいたい、釣り合わないでしょう。身体もちっちゃ
いし、年もずいぶん下だし。露伴先生は成功している漫画家なんですから」
全身に汗をかきながら、必死に説明する。そのさまに嘘はない。
「そうだぞ、ジョルノ」
にこやかに、ネアポリスの、今や若きパッショーネのボスの守護女神たる女性が言い添
えた。
「たしかに信頼できる人間かどうか、魂の尊い輝きには年令は関係ないが、それと恋愛は
別物だ。魂で結ばれるならまだしも、学校に行っているような年頃のコドモとオトナが性
的関係を結んじゃいかん。そうでしょう？」
「あ、ああそうだッ」
エスプレッソをゆっくりと飲み下して、芳紀２１才、美しきシングルマザーの漫画家は
負い目を隠して胸を張った。
「この子の父親は、事情があって一緒にはなれないが、ギリシャ彫刻のような肢体と英雄
的な心を持ったハンサムなスタンド能力者だッ。もちろんこのわたしが心を捧げるにふさ
わしいオトナの男性だッ。コーコーセーなんかと恋愛ごっこをしているヒマはない。少年
ジャンプの連載作家だ、これでも多忙なんだ。
康一君は、たしかに立派な男だが彼には似合いの美しい少女がいる。高校生らしい初々
しい恋愛をしているよ」
……ほほう。
その顔をじっくり見つめていたブチャラティは、露伴の側でかいがいしく彼女の娘の世
話を焼いているリーゼントの少年の感情の動きも微笑ましく見、そしてその関係をほぼ正
しく推量した。
……嘘は言っていないな。ほんの一部だが。
海外旅行ということで年令なりの私服を纏っている少年は、標準的な日本人……イタリ
ア人にだって負けない立派な体格をしていた。
……世間と本人を憚る必要があるという訳か。
「あ、あの、おれの親戚なんス。ほんとカッコイイひとで。一緒にならない方がお互いの
ためだとかいって籍入れてなくて。でもちゃんと必要なフォローはちゃんとしてくれてる
し、情歌のこともちゃんとかわいがってくれてるんス」
慌てて仗助がフォローを入れた。
「余計なことを言うな。おまえには関係ない」と、露伴はつれない。と、仗助はまためま
ぐるしく顔の表情を変えて、露伴の一言一言に可愛らしく反応して見せている。この気の
強い芸術家とプライヴェイトでつきあい、やっていけているのだから露伴が言うとおり、
きっと器の大きなやさしい男なのだろうとブチャラティは考えた。
……それにしても、こんないいコの目の前で。
ブチャラティは、らしくなく言葉を重ねた。
「じゃあ、そちらのジョースケくんはパートナーではないと？ よく解らないな。日本は
その辺どうなんですか？ 宗教の縛りがないからかなり日本女性は奔放って話は良く聞く
けど。子供の父親でもない男性と一緒に暮しているの？ そういうの、こっちではピー♪
っ
ていうと思うが」
「ブ、ブチャラティッ！」
「あんた、なにを言い出すんだッ」
まともな人間なら絶対口には出さないいわゆる「放送禁止用語」が飛び出して、イタリ
ア人達は泡を食った。いや、このブチャラティは幼い頃からネアポリスの下町でギャング
の使い走りをやっていて、そんな「お行儀の悪い言葉」に抵抗はない。昔はあどけない顔
からさらりと出して大人達を凍り付かせていたものだ。……最近は、固い育ちのアバッキ
オを憚って、控えめになっただけで。
……なんて言ったんだ？ おい、康一。
……ええと、たぶんこれは女性に絶対言っちゃいけない言葉だったと思うんだけど、ネ
イティヴだと今は軽く言っちゃうのかな？ ふつうにオタンコナスぐらいの意味で。
……それでも悪口じゃねえのかよ？
……ギャングだって言ってるからね。言葉が荒いのかも。きっと彼らにとっては可愛い
意味なんだよ。たぶん……
仗助と康一はひそひそと母国語で確認しあっている。黙り込んでいる露伴からは、ゴゴ
ゴという剣呑な気が発せられている。
「アハハハハハハハハ」
ふいに、露伴がのけぞって笑った。一同は、息を呑んで見守った。
「このわたしがピー♪ だって？ ピー♪ か、そうか、面白い」
そう言って、またかろやかに笑った。
と、顔を真っ正面に戻すと、急に真面目な顔にたちかえって右手でテーブルの端にあっ
たミネラルウォーターのボトルを取り上げるなり、ブチャラティの頭にぶちまけた。
「初対面の女性にそんなことを言うのがネアポリス流か、よく解ったよ」
「な、なにしやがる！」
あっけにとられてつい見守っていてしまったナランチャが、我に返って声を上げた。
「ピー♪ をピー♪ と言ってどこが悪い。芸術家だから緩くてもいい
とでも言うつもりか、冗談じゃない。ネアポリスに何をしに来たか知らないが、爛れた関
係にうちの若いのを巻き込んでくれるな」
水に濡れた前髪をかき上げながら、しれしれとブチャラティは言い放った。いつもの彼
女にしては、妙に絡む。そこに露伴は怒りを露わにした。
「返す返すも暴言許し難い。ネアポリスを仕切っているからって偉そうにひとに説教でき
る身の上と勘違いしてるのか？ あいにくだがこの岸辺露伴、ギャングだろうがスタンド
能力者だろうが、偉そうに指図されるのは大嫌いだ！ その口、閉じさせて貰うぞ。
ヘブンズ・ドアー！」
露伴の右手がしなやかに動いた！
「能力者に自由に利き腕を使わせるなんてマヌケをするかッ！
スティッキィ・フィンガーズ！」
ブチャラティの背後から、トゲを戴いた青い人影が現れる！
いきなりスタンド戦が始まった。
「チッ、ジョースケくんッ赤ん坊を避難させろッ！」
アバッキオも、声をかけるなり娘を抱いて飛び退っている。
先手を取って相手に書き込んでやろうとした露伴が顔色を変えて右手を見た。その手は、
ジッパーで切り離して射程を延ばした相手のスタンドの右手によって、手首と肘との真ん
中当たりで切り落とされていた。
「残念だったな、あばずれさん」
余裕の笑みでブチャラティはテーブルの上に身を乗り出している。
「くっ……ジャンプの連載作家の体力をなめるなよ！」
露伴は左手でそのテーブルをひっくり返した！
「左手一本でもあんたぐらいぶちのめしてくれるッ」
「そっちこそ、下町育ちをなめるなッ」
すかさず横へ転がって受け身を取ったブチャラティが、その顎を蹴上げた。
「くッ……自分だってわたしと同じくらいの年で同じくらいの娘がいるくせにッ」
「一緒にするなッ、わたしはフリーになってからはレオーネ一筋だッ」
「こっちにだっていろいろ事情があるンだッ」
「だったらネアポリスに来てまでひとの男にまで色目を使うなッ！ さっきからジロジロ
といやらしいッ！ 気がつかないとでも思っているのかッ」
「見苦しいッ、焼き餅か」
「放っとけッ」
今やアジトではキャット・ファイトが繰り広げられていた。
４
「……ああ、見苦しい」
顔を朱に染めながら、アバッキオが呟いた。
今や、麗しい白い小さな顔は双方あざだらけ、あちこち大胆に露出したスタイリッシュ
な旅行着も、いつもの個性的な柄と飾りのスーツも引き破られて目のやり場に困る状態。
若い母親２人は赤ん坊の目の前で聞き苦しい罵倒の言葉を応酬しながら取っ組み合っている。
「はい、どいてどいて」
しばらくにやにやと見守っていたミスタが、バケツに水を汲んできて取っ組み合ってい
る２人にぶっかけた。
「猫の喧嘩にはコレよね。
どーすか？ 頭冷えた？ ねーさんたち」
「女性になにするんだよ。おい、ナランチャ」
アバッキオが毛布を出してきて、ナランチャや仗助に指示してそれぞれに着せかけた。
丁度その時、眠っていた露伴の娘がむずかり始めた。仗助はすぐさまてきぱきとおむつ
を確かめ、声を上げる。
「あのーお湯貰えるッスか？」
「ああ、７０度ぐらいのか？ 今用意する」
アバッキオがすぐに察して動き始めた。
「助かるッス」
慣れた手つきでミルクの準備をする仗助を、皆は感嘆の面持ちで見守った。
「ふん、出ないのか。役に立たない胸だ」
ブチャラティが貧乳同士の仁義を無視して言い捨てた。
「ブチャラティッ」
アバッキオがたしなめる。ひごろ胸が小さいと気に病みすぎている迷惑だの実害を一番
被っているのが彼だ。
「なにをッ。そっちだってたいして大きくないくせにッ」
露伴がいきり立つ。
「あいにく乳腺炎になるほど出たな。
ほら、アンジェラ、おいで。やっぱり母乳の方がいいよな？」と、わざとらしくブチャラ
ティは胸元を開けた。
「向こうへ行ってやれッ」
アバッキオが渋い顔をして見せたので、ブチャラティは屋根裏へ移動した。康一は露伴
の着替えを取りにホテルへ戻った。
「そろそろ離乳を始める頃なんスけどね。夏はちょっと食べもん心配だし、涼しくなって
からって」
「やっぱりそうか？ うちは仕事に復帰したんでじつは混合だ。これからはフォローアッ
プ・ミルクにしていって」
「あ、それっていいスか？」
月齢の近い子供を抱えた育児パパさんたちはすぐに情報交換をはじめてうちとけてしまっ
た。
「ジャポネの赤ちゃんってやっぱ生まれた時から髪の毛あるんだなー。そんで、真っ黒、
すげー」
ナランチャが目を輝かせて仗助の腕の中の情歌を覗き込んだ。
「って、イタリアの赤ちゃんはないんスか？」
「髪の色の薄いやつらはけっこー生えてない時期なげーよ」
「ブルネットの子だって、最初は色も薄いですし」
「アンジェラなんか、最初は金髪に見えたよな」
フーゴやミスタも加わって、おっかなびっくりだった子育てを思い出す。
「父の血だ。母はブルネットだったが父は家族もみんな髪の色が明るい方だったそうだか
ら、わたしを見てびっくりして、『うわー茶色だ』ってそれでセカンド・ネームはブロー
ノ（茶色）なんだ、わたしは」
「初めて聞いたぞ」
戻ってきたブチャラティからアンジェラを取り戻して、背中を叩いてげっぷをさせてや
りながらアバッキオが唸った。
女の子に男名前を付けてしまって反省した父親が、その分親ばか丸出しで花の女神の名
を被せてしまって、いよいよ名乗るのが恥ずかしくなったのはまた別の話。
「和んだところで皆さん、事態を整理しますよ」
トラウマを刺激されていっそう機嫌の悪くなってきたジョルノが冷ややかな声を発した……。
５
アバッキオをちらちら見ていたのは純粋に芸術家として美しい肢体をスケッチさせて貰
いたいだけという露伴の陳述が認められ、ブチャラティは不承不承アバッキオを貸し出す
ということで手打ちとなった。パッショーネで押さえている高級ホテルのスィートにアバッ
キオを迎えて、露伴は眼を細めた。
まるっきり容赦なく顔も手もぶちのめされて、久々に痛みを味わった。仗助は怪我を治
してくれたが、哀しそうな顔をしていた。忌々しいが、このあと機嫌を取ってやらなくて
はならない。それは置いておくことにして。
アバッキオも、済まなそうな顔をして身を縮めるように立っていた。
「昼は、……うちのがトチ狂って済まなかった」
「いや。こちらも売り言葉に乗ってしまったことだし。目的が果たせればいい。
……モデルをして貰うが、構わないな？」
「ああ。かたぎさんに手を出すなんて、マフィアとしては恥だからな。それで流してくれ
ればこちらも助かる。本当に、他言無用で頼む。あんたもこの世界の人間との約束を違え
ると、良くないことになるぜ」と、くどくどと念押ししようとするのを、露伴は遮った。
「解った。じゃあ、そこに立って脱いでくれ」
「えッ？」
美丈夫はあからさまに狼狽える。
「モデルだと言ったろう？ 脱いでくれ」
「いや、ちょっとそれは……服を着たままじゃいけないのか？」
「アバッキオさん、ここはミケランジェロを生んだ国だろ？ バチカンのあの絵を見たこ
とないとは言わさないぞ？ 人間の肉体美は衣服で隠すべきものじゃあない。そうだろ？」
露伴は畳みかける。ミケランジェロの筆によるシスティナ礼拝堂の壁画は、見るものを
圧倒する裸体群だ。
「だが、あれは慎みがなさ過ぎる、だから教皇様がきょ、局部は布で覆うべきだと」と、
アバッキオは口ごもりながら抵抗する。さすがに股間などにはあとで布が加筆されたのだ。
しかし、
「芸術に対する冒涜だな」と露伴は斬って捨てる。
「あ、いや、……芸術という面からはそうかもしれんが、敬虔な場で公衆の目に触れるも
のとしてあれはちょっと……」
アバッキオはしどろもどろ。権威に弱い身では、芸術のお題目を掲げられると首尾一貫
できない。
「では、わたしの芸術のための習作として、公衆の目に触れない分には大丈夫だな？」
露伴はもう、この頭の固い美丈夫をいたぶる気満々だ。
「い、いや、おれは大切な女がもういる身だからそういうプライヴェイトな部分は彼女に
だけしか見せたくない……」
乙女のように恥じらって身をよじるアバッキオに近づいて、真っ直ぐ見上げながら露伴
が凜とした声を発した。
「レオーネ・アバッキオくん、この事態を収拾したのは誰だ？」
「ボス・ジョルノだ」
観念してアバッキオが答える。姿勢はしぜんと「気をつけ」になっている。
「なんという裁定が下った？」
「うちのブチャラティが、……あんたに失礼なことを言って喧嘩をふっかけたと」
「そうだ、それで、きみがここへ来たわけだ。解るな？」
「……Ｓｉ（そうだ）」
「じゃあ、わたしが満足するようにしたまえ。
服を脱ぐんだ。下着まで全部。
知っているか？ ミケランジェロのダヴィデ像のおかげで、世界中の女の子はイタリアー
ノはみんなああいうカワイイんだと思っているぞ。違うよな？ ここでその立派なものを
出して見せてイタリアーノの代表として恥を雪いではみないか？」
「ちょッ、あんたッ、あれは時代考証としては正しいとッ」
アバッキオは顔を朱に染めて抗弁する。忙しく顔を振るのにつれてプラチナの髪が揺ら
めくのを、露伴の目は鋭く観察している。
「現代イタリア男性は違うよな？ もちろん。違うというなら証拠を出して見せろ。きみ
がイヤだというなら、わたしは日本女性代表として、イタリアーノはみんな人差し指一本
で隠れるダヴィデ・レヴェルと判断する」
「……………………Ｓｉ」
現代イタリア人男性全体の名誉のため、ぎこちなく、アバッキオは手を動かしていった。
露伴の目は嗜虐に輝いている。
「さて、どんなポージングをしてもらおうかな。やはり有名なところで『死にゆく奴隷』
かな？ 『ダヴィデ』はつまらないからな。この際、『弓を引くヘラクレス』をいってみ
ようか？ 大股開きで」と羞恥に身を染めるモデルをいたぶる。
「……いかようにも」
覚悟を決めたアバッキオの目の前に、なにか帽子を被った少年のヴィジョンが現れた……。
「突然岸辺露伴に対する恋情を覚え、情熱的な一夜を過ごす……と。ククク、これであの
女の鼻を明かしてやれる。悪いが、アバッキオさん、わたしは実証的なタイプでね。なん
でも自分の身で経験しておくんだ。さあ、現代イタリア人男性の愛の技法とやらを教えて
おくれ……」
アバッキオの身体に書き込んで、そのページを何気なく読み込んでいた露伴はそのジェッ
トコースターのようなここ１，２年の経験に血が沸き立ってくるのを止められなかった。
「なんと……これは。是非作品に活かさなくては！ これじゃあ、相手の方も読みたくなっ
てしまうじゃないか。明日またアジトに顔を出してまたあの女を読んでやらないと。
今度はうまくやらないとな、近距離パワー型のくせになんて芸を持ってるんだ、あのスティッ
キィ・フィンガーズというスタンドは」
ブツブツと作戦を考え始めた露伴の背で、チャイムが鳴った。
嫌な予感がして開けてみると、彼女の心の友が覚悟を決めた顔で立っていた。
「露伴さん、ちゃんと絵を描いてます？」
「あ、ああ、康一くん、なんだ？ きみもわたしが仕事をする様子を見たいかい？」
「もしかして、アバッキオさんに、モデル以上のことを要求しようとしてませんよね？」
さすが、濃いつきあいだけあって露伴の思考を知り尽くしている。
「とりあえず彼の過去は読ませて貰った。なかなか興味深かったよ」
露伴は目を逸らした。
「露伴さん！」
康一は抑えた声で、しかし、明瞭に言った。
「アバッキオさんに、男性として興味を持ったんじゃないでしょうね？」
「持ったがどうした？」
露伴は、偽悪的な表情をして見せた。
「わたしは結婚していない。まるきりフリーだ。べつに誰と関係を持とうと法に触れもし
ないし、迷惑も掛けない、ああ、１８才未満でなければね。そこのところは、残念だった
な、康一くん」
ほんの数時間前のドタバタの発端を思い出しながらいやみたらしく言ってやる。
「まるきりフリーってこと、ないでしょ？
それに、アバッキオさんはフリーって訳じゃない。たしかにブチャラティさんは失礼だっ
たと思うけど、それで二人の仲に波風を立てていいってことじゃないでしょ？」
「……あの女はわたしのことを誰にでも身体を任せる浮かれ女と言ったんだぞ？」
「だからってまるきりそれになってやることはないでしょ？」
「わたしはジャンプの編集長にだってこの生き方をどうこう言わせたことはないんだッ、
なんで事情も知らないマフィアの女にそんなことを言われなくちゃならんッ。
然るべき報いを喰らわしてやらねば」
「だからって。……そういう露伴さんのこと、承太郎さんは軽蔑するかもしれませんよ？
ぼくだって。
それに、仗助くんが傷付きます」
康一は、静かに言って露伴を真っ直ぐ見上げた。
無言の対峙があって、露伴が、押し負けた。
「ああ、きみは本当に心からの正義の実現者だ。真の友情を持つに値する勇者だよ。
ありがとう。きみの直言に値する人間であることをやめるところだった。
解った。彼には帰って貰う。それでいいな？」
頭を一振りすると、憑き物が落ちたように言って、笑った。
「解って貰えたみたいですね」
康一が、にこりと笑った。その顔は、人好きのする少年の顔に戻っていた。
「ホテルに戻りましょう。とっても雰囲気のあるお部屋ですよ。仗助くんがＵＮＯのカー
ドを配り終わって待ってます」
「旅行と言ったらカードゲームしかやることがないのか。まったくあいつはコドモだな」
天蓋付の大きなベッドも、今宵はみんなで寝そべってのカードテーブル代わりにしかな
らないだろう。
「いいじゃないですか。今夜は久し振りに盛り上がりましょうよ。まあ、時間を見計らっ
てぼくは失礼させて貰いますから、ごゆっくり」と、康一は無邪気に笑う。
「康一くん、誤解をしないように言っておくが、わたしは仗助とはそう言う関係じゃ」
「はいはい……そういう欺瞞があのひと気に入らなかったんじゃないかな？」
……好きだとまっすぐ示して、相手にも、周りにも受け入れられる、それが嬉しくてしょ
うがないのだと、ぼくらと同い年の参謀くんが言っていた……フーゴさん、だったかな。
康一は思いを巡らせる。そんなあたりまえのことが嬉しくてしょうがないなんて。きっ
と、ぼくらと同じ年頃には、そんなことも許されない、精神（こころ）と身体（からだ）
を支配される生活を送ってきたのだろう。ギャングって、そういう集団（ところ）みたい
だし。……だから、自分はコドモには手は出さない。
アバッキオさんが仕事でしくじって思い詰めていたときには、まったく躊躇せずに拾い
に行ったんだって。その時を逃したらもう逢えなくなる、後悔すると判っていたから。
……杜王町みたいなのどかなところでぬるい生活を送ってて、大切なひとも大切にして
あげられてないことが、我慢ならなかったのかも知れませんね。
そんなにのどかでもなかったんだけれど。
彼らを密接に結びつけたあの夏の日の冒険のことを、康一は思い出していた。
部屋は静かになった。
しばらくして、起き上がったアバッキオは、誰もいなくなっているのをいぶかしんで、
すぐさま対策を講じた。
「ムーディ・ブルース……」
６
翌朝、ホテルには来客があった。
「シニョーラ・岸辺、おはよう。あなたがネアポリスの輝かしい朝を楽しめたことをおれ
は祈ってるが、今日の気分はどうだ？ この花を。あなたの顔にさらに華やぎを添えられ
るといいが。好きな花があるなら教えて欲しい。明日にはその花を捧げよう。
予定がないなら、おれに案内をさせてくれ。そして、ネアポリスの休暇をたっぷり楽しん
でくれると嬉しい」
プラチナの髪の美丈夫が、きりりと勝負服でキメて花束を抱いて来ていた。
「ああ、おはよう、アバッキオさん。昨日はどうも迷惑をかけた……いいのか？」
さすがの露伴も面食らって及び腰になる。
「ああ、おれのミューズ（芸術の女神）、あなたとおれの間に遠慮はいらない。あなたは
おれに芸術というネクタル（神酒）のひとしずくを与えてくれた。おれの灰色の日常が、
今日からは極彩色に輝いている！
どうかおれに命じてくれ。あなたの麗しい休日のために働くことを。
美しい残酷な女神、あなたに支配されることが幸せとおれは知ってしまったのだ！」
……こんな男性（ひと）だったっけ？
露伴と康一は黙って視線を交わした。
「アバッキオさん、あんた、アンジェラはいいのかよ？」
昨日相当育児談義で盛り上がった同士、仗助がごくまっとうな質問を浴びせてみた。
「ああ、ブチャラティに任せてきた。母親が見るべきだろう、赤ん坊なんて」
あっさりと言ってのけるアバッキオは、眼が据わってしまっている。
……これは、「書き込んだ」な。
仗助と康一は、非難がましい目で露伴を見上げた。
「してないッ！ ちゃんと消したって……なんだその目はッ」
露伴は惑乱して叫んでいた。
「露伴、あんたって、ほんとひでえ女だよな……」
仗助の心からの声が露伴の胸をえぐった。
「ちょっと、アバッキオ、どうしたんだよぉーッ！？ おれたちのめしは？ アンジェラ
は？ どーすんだよッ！？」
「あらあらー？ ねーさんどうする？ まさかアバッキオ寝取られちまったの？」
「ミスタッ、なんてことをッ！ ブチャラティ、あんたなんかしたんですかッ！？」
「知るか！ それよりアンジェラが泣きやまないんだ、どうにかしてくれ、午後１で会議
があるってのに」
ブチャ・チームは大混乱。その隙にジョルノが乗じようとするが、
「結局はそれだけの男ということです。ブチャラティ、彼のことはもう忘れて、ぼくとの
ことを考えてください。後見ではなく、公私ともにパートナーに……」
「ああ、ジョルノ、今はきみの冗談につきあっていられる心境じゃない」と、あっさり切
り捨てられてしまう。
「ボス……？」
フーゴが顔を伺うと、まるきり平静な顔のままに、若きマフィアのボスは呟いていた。
「あの日本からのお客さんには早々に帰って貰いましょうか」
しょうがない人だなというフーゴの溜め息は口の中だけで消えた。
７
露伴に「イタリアーノから情熱的に愛を捧げられる」休日をプレゼントして、アバッキ
オは３日後、アジトに戻ってきた。どっと疲労の出たその顔に、チームの皆は掛ける言葉
が見つからない。
……手打ちってこういうこと？
……ねーさんのムチャのフォローに身体張ったってことかな？
……あのひとらしからぬ失態でしたけど……？
「レオーネ」
ブチャラティが、オフィスに彼を呼んだ。彼に負けるとも劣らぬ憔悴しきった顔で。
「なんであんな猿芝居をやっていたんだ。
……………………判るんだからな？ 判ってたから放って置いてやったんだぞ？ ジョ
ルノにはイヤミを言われたじゃないか。これも手打ちのうちだとかなんとか……笑えない
冗談はエスカレートするし。地味に消耗したじゃないか。なんだ、理由ぐらい言っていけ」
と、矢継ぎ早に言い立てる。
「判ってたのか」
アバッキオは、それだけ言うと、ふらつく足取りでアームチェアにどさりと坐った。ご
くごく素朴な気性の彼にとって、人を傷つけることを目的に大きな嘘を吐き続けるのは心
身に過大な負担となるのだ。しかも、フーゴの支援なしだ。
「だから何でッ」
「………………おしおきだ」
耳まで赤くなって、猿芝居を恥じながらも、それでも一生懸命「露伴に恋をしてしまっ
たイタリアーノ」を演じきった男は短く言った。
ひとりスィート・ルームに放置された彼は、露伴が自分にやったことの再現映像と、ブ
チャラティの失態の理由とを考え合わせて、彼なりに必死に考えて、双方にダメージを与
えるお仕置きを身体を張ってやってのけたのだ。
康一が現れて彼女を止めてくれなかったら大変なことになっていた。露伴は「書き込み」
を消していってくれたが、その内容はムーディー・ブルースが克明に再生してくれた。
まったくあのときのブチャラティはらしくなかった。
会ったばかりの、外国人の、かたぎの女性に対して、放送禁止用語の罵倒語を叩きつけ
て、挙げ句の果てに、チームの皆の前でスタンドまで使って取っ組み合いの喧嘩をして。
まるっきり、マフィアの大物であるという立場を忘れてしまっている。
……アバッキオに色目をつかわれたぐらいで。
「済まない」
地べたに坐り込んで、ブチャラティは頭を垂れた。
（０４−０７−１０）
蛇足。
日伊美人ママ対決。露伴とブチャは相性悪そうと思って。あのブチャとガチバトルがで
きる女性スタンド能力者としてはいいかもって。兄貴とは共闘だったので、今回キャット・
ファイト（おねえさん同士のとっくみあい。ややエロな見せ物の意味多し）で。
コドモは恋愛対象外のブチャは、遊びで仗助と子供を作っちゃう露伴に対して厳しいん
じゃないかなと。それは、たぶん、自分がわけわからないうちにポルポのの愛人になっちゃっ
てたことの反省があると思う。選択の余地がなかったということで、自分の過去を悲惨だ
とまでは思っていないけど、性についてよく知らないコドモにオトナはつけ込んではいけ
ないと厳しく考えている感じ。いや、エロ少年におねえさんの方がつけ込まれたんだけど
ねー、ホント、事情知らないとねー。
そこへ持ってきてアバッキオに色目を使われたらキレるかなーって、キレないと思うけ
ど。まあ、そこはお祭り作品だから。そこへ、ぼくは恋愛対象外ですかとジョルノがネチ
ネチ自虐すると爆発するかなーって。……気づいてるのはフーゴだけか、苦労するなあ、
参謀。ミスタさんは面白がってる？
露伴は４部のあと冬休み中に仗助とやっちゃってる（「岸辺露伴は黙秘する」）ので、
翌年９月には産んでる。ブチャは産休（あるんか！？）明けでジョルノをスカウトに行っ
てるので２０００年中には産んでる計算（「パラレル」では１１月）、ということで、なん
と情歌とアンジェラは同い年という事実！（事実ちゃう）に気づいて、仗助とアバッキオ
がほのぼの育児情報交換してるシーンが追加になりました。ほんと、ママ同士キャット・
ファイトしてるのに。
じつは、アバッキオをねちねちいたぶる露伴が楽しかった（おかあさんのドＳ！）。で
もヤってないし！ １５禁でいいよね！？
康一くんは世界の良心だ。
三日三晩アバッキオに濃い愛を捧げられた露伴センセイご一行はうんざりして帰ったと
思う。これで少しはロハンちゃんも仗助を大事にすればいいと思うよ。
それで、ブチャがロハンちゃんにたたきつけた「女性に絶対言ってはいけない放送禁止
用語」は、とくに実際の言葉を想定してません。ロハンちゃんが言ったとおりの、そうい
うあんまり道徳的じゃない女性だと決めつけて下に見る言葉。きっとどこにでもありそう
よ。ま、かたぎの方は使わないに越したことはない。サッカーワールドカップの決勝戦で、
マテラッツィがジダンに言って大変なことになったのももう４年前のことになっちゃいま
したね。