事件
その朝（６１）
１
「あんたってひとはッ！！！ 何やってるんですかぁーーーーーーッ！！？」
電話口で絶叫されて、予期していたことだったのでレオーネ・アバッキオは眉をひそめ
た。実は、携帯を取り上げて耳の横に持っていくのも大儀だった。つい１時間ほど前に両
腕に２人ほど、渾身の力でセキュリティたちにすがりつかれて力を使い果たしたところだっ
たのだ。作ったばかりのタキシードはしわくちゃになった。いや、袖付けの所の縫い目も
ミリミリ言っていたような気がする。
「なにって、早いな、もう連絡が行ったか、フーゴ……って、この名で呼んでもいいんだ
よな？」
もう、道を分かって１０年。天使の顔の参謀は、あの頃の名は捨てて表社会に戻ってし
まっている。今は、とりあえず、ネアポリス１の総合商社の後継者。
「あんたたちならいいです。
すぐに回ってきました。あのパーティにはルチアが出てたんで。あのオッサンは代々続
いた上院議員の家柄が自慢なんで、市議でも州議でも、リベラルな若手の政治家が出てく
ると１回はイヤミを言いにいくらしいんですけどね。やっぱり洗礼をくらいましたか……
その辺はあのひとにも注意をしといた筈なんですが。まさか、ああいうことをやらかすと
は。
……どうです？ あのひとのほうは？」
途端に、参謀の声は気遣わしげになった。
「ああ、しれっとしたもんだ、かえってこっちが気を遣われちまったよ。情けねえ。就任
早々足を引っぱっちまって」と、アバッキオの視線はどんどん下がってゆく。
「ああ、やっぱり田舎へ引っ込むって件でしたら却下ですから。
だからあんたに側に立って、少しでも虫除けをしようって話だったんじゃないですか」
「虫除けも何も。止める間もなくががーっとやられたよ。堂々と、だ」
「あの、不愉快ですが、確認させてください。ルチアもそういうところは冷静なんですが、
女性ですから、義憤もあっておおげさに言っているのかも知れませんし。
その、ゴンザーガ上院議員は、新市長の就任披露パーティの席上で、ブガッティ市長に
近づいて、侮蔑的な言葉を吐きながら……その、
胸 を 揉 ん だ と？」
怒りからか、フーゴは最後の確認にしばらく間を取って尋ねた。
「ああそうだッ」
思い出し怒りを腹に力を入れて抑え込みながら、アバッキオが肯定した。うっかり手が
かすったとか、出来心でつい撫でてみたとかではなく、堂々と、悪意をもって。
「『ネアポリスの市長職は、引退したギャングの愛人なんかのお遊びでできるようなもん
じゃないんだがなあ。
まだ若いんだから、からだを使って稼いでいた方が楽なんじゃないのか？ あァ？ ベ
アトリーチェちゃん』と……」アバッキオは忘れられそうにもない侮辱の台詞を口から吐
き出した。
「それは、その言葉だけでも十分社交界から締め出される資格ありですね」
フーゴは低く唸った。
「知らねえよ、そんなルール！」
アバッキオはとうとう叫んだ。
「それで、たっぷり１分ほども揉み倒したと？」
「計ってねえッ！」
「ルチアの主観です。
もしかして、あってはならないことですが、その、……服の中に手を入れて直にですか？」
「まさかッ！ いくらなんでもそんなことされたら、おれはやつをこの手で絞め殺してるぜッ！
服の上からだッ！ あいつに似合う濃いブルーのイヴニング！ おろしたての！ ……
不幸中の幸いで、なんかすげえ輸入物のいいレースで胸元は透ける感じで覆ってて。谷間
が見えるかなーって感じにして襟元まで来てるデザイン。ああ、昔いつも着てたスーツに
ニュアンス近いかな。
何てったって今夜は市長の就任披露パーティ、主催者だぞ！ 最高だったのに、けちが
ついちまって……」
アバッキオはプラチナの髪を広げ散らして叫んだ。
「それは彼のために良かった。
……それでそのときあんたは何をしてたんです？」
「あんまりべったりくっついてるのもなんだから、挨拶してたんだよ、事務方のお偉いさん
とか、市の方のこっちとつきあいのある部署とかのひとに！ おれだって、公邸の調理場
を預かることになってるんだから」
あまりの暴言に静まりかえり、一同の目が新市長に集まったところで、その辱めは行わ
れたのだった。たっぷり１分間、参集した客達は、生ける彫像と化してその様をただ眺め
ていた。
「ご満足されましたか？
でも、こういうことは、奥様か、親しい女性の方と二人っきりでなさった方が楽しいか
と存じますよ。お為にもなりません。わたしも楽しくありませんし。
ええ、楽しくないんです。当時の上司には適性がないと言われました。それでわたしは
頭の方を使って生きてきたんです。ほんとに貧弱な身体で、お恥ずかしい。
頭と、度胸でなら優秀で経験豊富な男性にもなんとか渡り合って、市民の皆さんのお役
に立てるかと思って立候補し、ご支持を頂いてこの場にいるわけですが、さて？
わたしが力不足と判りましたら、その時は、どうぞ、リコールの発議をなさってくださ
い。
それより先には、まず、わたしに市政について手腕を振るう機会をお与えください」
まったくとぼけた表情のまま、自分の胸を掴みしめる上院議員のバッヂをつけた豚の手
をそのうえからそっと押さえて、ギャングの下部組織にいた過去を噂される新市長は言っ
てのけた。
そのパートナーは、両手に２人ずつ必死の警備陣に押さえつけられながら、
「おい！ こら、暴言を取り消せ！ 謝れッ！ なんてことを言うんだッ！ このッ！」
と叫んでいた。
「シニョーレ、落ち着いて。市長がせっかく収めようとしているのに台無しにするつもり
ですかッ」
耳元で抑えた声で叱咤され、ようやくアバッキオは怒りを鎮めたのだった。
……おれがシニョーレかよ、市長の夫なんか、やれるのかね、ホント。
アバッキオは荒い息の下で、拍手を浴びて再びパーティの華やぎを会場に取り戻した愛
する女の姿を遠く望んで独りごちた。
……あいつはもうしっかり市長閣下をやれてるけどな。
「マスコミは抑えきれないみたいです。明日の朝刊には出ます。扱いはそれぞれにしても、
まだ３０かそこらの美人市長ですから、ゴシップ紙から一流紙まで狙ってたみたいですし。
ぼくは、どういうふうにあのひとの耳に入れたらいいか頭が痛いです」
「あのひとって……」
「ボス・ジョルノ。ひごろ公言してる憧れのひとのデビューですから、絶対今夜のパーティ
の様子は聞きたがると思うんですよね……
……警備主任の首が飛ぶかも」
最愛のひと、という当人の口癖を、その夫をはばかって憧れのひととフーゴは言い換え
た。たいしてグレード・ダウンにはなっていないが。
そして、その身の安全のために、彼は一番信頼できるガンマンを差し向けていた……そ
う、スタンド能力者の。
「警備主任……ッて、おい」
「ミスタはなにやってたんですか？ あ、聞かなくても判るかも」
「……ウェイトレス口説いてた、かな？」
アバッキオはかたちだけ曖昧にした。
「あ、ヘイズ久し振り。あは、きみ、まだ出るんだね……」
「おいッ！ フーゴ……」
電話口の向こうの物騒な気配にアバッキオが震え上がった。
「だいじょうぶ、ぼく、遠隔操作はできないんで。……何年ぶりに見ましたよ、ぼく、自
分のスタンド」
じつに素っ気なくスタンド能力者は言ってのけた。
「頼むから、処理はこっちに任せてくれッ！」
「何言ってるんですか、上院議員ですよ？ あんたなんかに手が出せるもんですか。
表向きは無関係って通してるのに、やっぱりオッサン連中になるとあのひとの素性って
バレバレなんですね、ま、それが判っただけ今回は良しとしましょう。
あのひとも、慣れてるから引きずらないと思うし。
……あんたも、余計なこと言ってあのひとに心配掛けるんじゃありませんよッ」
「……だって、おれでさえ年に１度か２度、よっぽど機嫌のいい時じゃないと触らしても
らえねえのに、あのヒヒ爺……」
ふっと、本音が漏れた。
「まだあんたらそんなことやってるんですか？ もう子供も大きいのに！？」
フーゴが呆れ声を上げた。
「だって、ふだん一緒にいねえんだぜ？ マキーシのうちに泊まるのは月に１度か２度だっ
たんだぞ」
嵐のように訪れては、ただただ浮気の有無を確かめよそ見をする気力を搾り取るような
烈しさで。思えば暮らし始めてすぐ子供を授かって、産まれればすぐに別居だ。お互いの
からだをゆったり愛しむような時間は持てていないのだった。
「知りません！ だったら今からあんた行ってお願いしてくればいいじゃないですかッ。
もう公邸に入ってるんでしょう？」
「長電話してるのはおまえだろうがッ！ おれだってあいつのフォローしないとと思って
るのに」
解って気を遣っているのか、続きのバスルームからは、ドライヤーを使っている音がさっ
きからしている。
「解りましたッ！ ボスにはぼくから言っておきますッ！ どうぞごゆっくりッ！」
嵐のような電話は嵐のように切れて、アバッキオはすっかり汗ばんだ液晶画面をズボン
の脇でゴシゴシ拭いた。
２
「フーゴからか？」
シャワーを使ってきたこの屋敷の主である女性が、部屋に入ってきた。若くしてネアポ
リスの下町のチームを率い、支部長のポルポの腹心としてパッショーネのギャングをやっ
ていた美しきブローノ・ブチャラティ。金髪の少年、ジョルノ・ジョバァーナと知り合っ
てからは、組織のボスに反旗を翻し、見事ボスを倒してしまった。ボスとなったジョルノ
の後ろ盾となって組織の再編に寄与し、この春、ネアポリスの市政の大掃除を思い立った
ジョルノの指示で送り込まれた。とぼけたちいさな白い顔は年齢を感じさせず、出逢った
ときのままだとアバッキオは思う。
……市長閣下になんか、なっちまって。
汚職に手を染め、さらに、そのために先輩を死に追いやってしまった、最低の自分を拾
い、生きる意味と場所を与えてくれたひと。もったいないほどの愛情を注いで、立ち直ら
せてくれた恩人。可愛い娘さえ与えてくれて。自分はフーゴやナランチャたち子分と、ネ
アポリスのひとたちを見捨てられないからと、足を洗って家族でまっとうに暮すことを願っ
た自分に笑って謝った。まさか、その数ヶ月後に、ボスを倒して自分が大幹部になって、
アバッキオや娘と別れて暮すことを選択するとは思いもよらなかった。
……どんどん遠くなるな。
過去を消し、それでも暴露して辱めようとする相手には、堂々と、実力で対して。
そして、自分は、男として自分の大切な女性への侮辱に対抗する機会も与えられず。
黙って見つめる眼差しに不穏なものを感じ取ったのか、ブチャラティは笑って近寄って
きた。
「疲れたろ？ 今夜はちょっとしたハプニングがあって大変だったな。
……あの豚親爺に触らせたから怒ってるのか？」
「あんなに長く触らせる必要はなかったろ」
嫉妬じみている、と、声に出してからアバッキオは気づいて恥じた。
「あれは驚いたな？ あそこにいた皆がそうだろ？ まさか公衆の面前で。
ま、前から、『美人コンサルタントのベアトリーチェ・ブガッティ女史』にはあれこれ
言い寄ってくるやつは多かったがな。ちょっと人目に付かないところで尻を撫でながら愛
人契約の交渉なんてのはざらにあったが、上院議員ともあろうものが大胆すぎたな。こっ
ちも、市長殿がセクシュアル・ハラスメントで上院議員をぶん殴っても構わないだろうか
とか一瞬考えてしまって」
「ちょ、初耳」
「ああ、昔の話だ。断ったぞ、当然」
晴れやかに笑うから、アバッキオは黙ってしまう。
昔から、苦労しているのだ。この街で、ひとりで、きれいな女の子が生きていくために。
「やめてくれよ。今度から、見苦しいって言われても、おれ、あんたの側にぴったりくっ
ついてるから」
「ああ。そうしてくれ。おまえみたいなきれいで強い男がパートナーと判れば、誰も手を
出してきたりはしないだろう。……だから呼び戻したんだ。
いや、ずっと、逢いたかった。寂しかった。なんで、いつか好きなひとができたら住も
うと思ってた家に、おまえひとり住まわしておくんだろうってずっと思ってた。
あの町じゃあないが、こんなきれいなところでおまえと暮らせて嬉しいよ。絶対、パー
ティには２人で行こう。おまえを見せびらかすんだ。なんだったらここでもう２，３人作
らないか？ 税金で子守を雇ってみんな私立の名門校に行かせるんだ」と、滅多と見せな
い全開の笑顔で両手を取ってくる。
「子守はともかく、私立校はまずいだろう」と、石頭は突っ込んだ。
「まあそれは産まれてからだ。とにかく今は作る方を」
直截に言って、麗しの市長閣下はパートナーをベッドに引きずっていって放り込んだ。
「痛くなかったか？ あんなに荒っぽくガシガシやられて」
いつものポジションで見上げながら、アバッキオはつい尋ねてしまう。
「別に。知ってるだろ？ わたしは痛覚が鈍いんだ。
ああ、別に感じたりもしなかった。へったくそで」
「下手なのか」
たしかに、あれは官能より苦痛を与えるのが目的のような動きだった。毛むくじゃらな
指の動きが、まだ、眼の中に残っている。
「どうしたら気持ちいいか、教えてやろうか？」
かれの残酷な女神様が、身をかがめてその眼を覗き込んできた。
「いいのか……？」
微かにベッドがきしんで、市長公邸の主寝室は濃密な時間が支配した。
３
「上院議員ともあろう方が、公衆の面前でなさることとも思われませんな。おれは教養が
ないんで判らないんですが、今はこういう時にはどうやって怒りを表現したらいいんです
かね？ 愛する女性が、謂われのないことで侮辱されたら、男はなんて言ったらいいんで
す？
ここはもとポルノ女優だって、市民のために活動をしたいと志をもって活動して、賛同
者を得られれば下院議員になれる国でしょ？ 彼女だって、同じように、ネアポリスを良
くしようと思いたって出馬して、当選した。市民の請託を受けた市長に対して、前歴がど
うとかいうあやふやな噂で、失礼じゃないですか。それでもいいって彼女を選んだ市民の
皆さんの判断をも侮辱したことになるって言っちゃ、言い過ぎですかね？」
翌朝、詰めかけた報道陣に、問われるまま市長の夫は非公式なメッセージを発表した。
「頭のいいひとたちに相談して、政治的に正しい怒り方ってのを今、調べてもらってます
が、おれは頭が良くないんで」
しゃべっているうちにまた頭に血が上ってきたもとギャングのハンサムは、ついうっか
り良識を踏み越えた。
「古き良き時代の作法なんか出して来ちまいそうですよ」と、親指を下に立てて握りこん
だ拳を、首のところで水平に動かして、見得を切って見せた。顎を上げて、怒りと侮蔑に
満ちた眼差しで。
新・ネアポリスで一番絵になる男のシャッターチャンスに、フラッシュが次々に焚かれ
た。
「市長の夫、処刑宣言！！？」と、大きな見出しの被った大見得を切ったアバッキオの写
真が一面を半分占領する夕刊紙をデスクに放り出して見せて、「首の危ない警備主任」は
からりと笑った。
「なにやってんの、バカ」
「言わねえでくれ」
デスクに突っ伏して頭を両手で押さえ込む形のアバッキオは絞り出すように言った。
と、卓上の電話が鳴って、ミスタが取り上げる。
「はい、料理長オフィス……えーっ、今は誰も取り次ぐなよな……はぁ？
……シニョーレ。クリスタ・アバッキオと仰るご婦人が是非にと」と、受話器を寄越し
た。フルネーム、生年月日つきでアップの顔写真がネアポリスじゅうの新聞に載ったのだ。
身内にばれないわけがない。
「えッ！？
はいっお電話替わりましたッ。母さんもお元気そうでなにより……はいッ大変ご心配を
かけて申し訳ありませんッ……いやそれは」
直立不動になって大汗をかいて声を張り上げるアバッキオに、ミスタは肩をすくめてオ
フィスを出て、公邸料理長殿のプライヴァシーを守ることにした。
４
「……教会には行ったって！ 彼女の方の仕事の都合で、結婚してない方がいいってこと
で……責任を取らないなんて、そんな！ まさか！ 別居してたのは仕事の都合だって！
仕事はちゃんとやってたって。マ、マキーシーって漁師町でちいさなリストランテを。ちゃん
とやれてたんだって！ 町のひとに料理を教わって！ 免許も取った！ 本当だって！
……ああ、あれは、おれも驚いてる。
だからあれは！ １２の女の子がネアポリスに出てきて、親父さんは事故で意識不明で。
そこの街の世話役が、……まあ、ギャングだったんだけど、人情に厚いひとで、身元引
受人になってくれたってのがヘンなふうに伝わってるんで。身持ちの堅い、頭のいい心の
優しいいい子だよ。本当だ。
だが、母さん、ひとりぼっちの女の子が、入院中の親父さんを抱えてネアポリスで生き
て行かなくちゃならないときに、罪深いことを言いかけてくるオトナがいたってことは、
ないことじゃないだろ？ それは、オトナがいけないんだ。そういうことだと思ってくだ
さいよ……。ほんとに、浮ついたところのないいいひとだから。
ちょっと頭に血が上って。一発くらわしてやりたいのは確かだけど。ちょ、母さんまで？
やっぱりそう思いますか？ イヤまずいんだって。はい、はいはい確かに。それはもう。
この件が片付いたら是非。
アンジェラって言うんだ、もう、母親に似て心が優しくて頭のいい子で。顔立ちはおれ
に似てるかな？ 髪は明るい栗色だ。金髪？ 母さん、イタリアじゅうで母さんよりきれ
いな金髪の女はいないって。本当。ローザのあねきもいつもうらやましがってたじゃない
か。そこんとこは絶対。ああ、絶対逢わせるから。楽しみにしてます。
本当に、こんな日が来るなんて。解ってます。父さんにはまずお詫びを。ええ。是非一
度。こちらに出てくることがあればどうぞ声をかけて。夕食を振る舞わせてください。は
はは、そりゃ、母さんには負けますけど。ええ。ええ、じゃあ、また。チャオ、母さん、
愛してる」
直立不動の姿勢から受話器を電話に戻して、デスクに両手を突く姿勢のまま、アバッキ
オは思わず肺腑の中の空気を総入れ替えしていた。
５
ミスタの方も重い電話を受けていた。
「イヤー、ハッハッハ、ボス、落ち着いて」
空々しい笑い声で雰囲気を崩そうと努力する。
……全然事態は好転しないようですね。ゴンザーガは発言を取り消す気はないようですし。
冷ややかな声はローマからの電話だ。新聞を畳んだ音を感じて、ミスタは声を張り上げる。
「ローマの新聞にも載ってます？」
……もちろん。美人市長の就任は全国ニュースです。ネアポリスは今やイタリア第２の
都会ですし。
その重要拠点を押さえてかつさらに発展させるためにぼくは、大切なひとを送り込んだ
つもりだったんですけどねえ。
「ボス、ちょーっとご意見さしてもらうと、それがいけねえわ。
どんだけ否定したって、ツネヒゴロあんたねーさんのことを『最愛のひと』呼ばわりし
てんだもん。いっくら行き止まりも１０年目の片想いだって、世間がそうは思わねえって」
ミスタは年上の気安さから腕を腰にボスにお説教をする。
……この国では片想いの美学というのは通用しないんですかねえ。
溜め息が電波に乗った。
……とにかく、このパッショーネのジョルノ・ジョバァーナが後ろ盾になっている女性
が辱めを受けたんです。これを晴らさないわけにはいかないでしょ？
「ちょ、ボス、逆効果じゃ？」
……やったもん勝ちと思われたんじゃ、この先あのひとがどんどん身の危険にさらされ
てしまうじゃないですか。絶対、失礼なことは一切できないといったふうにしないと。
「……Ｓｉ」
……ミスタ、あなたもちゃんと働かないと。ラヴラヴ・ファミリー・レポートなんて書
いてないで、特殊技能を活かしたあなたの仕事をしてくださいよ。
あのひとが彼と久し振りにデートしたなんて報告読んでぼくが愉快な気持ちになると思っ
てます？
「相手の幸せを祈るのが愛じゃねーかなー……ッと、失礼しましたッ」
……泥はあの幸せな彼に被ってもらって。ぼくは気の長い方だと思いますが、街の皆さん
にあのひとについて悪い印象が付くのは望むところじゃあありません。
「了解しましたッ」
６
ミスタも仕事は早い方だが、可哀相なアバッキオに疑いがかかるのは避けるために、多
少の準備期間を取った。
「そんで１０年ぶりに恩人に会いに行くわけ？ アバッキオも義理堅いねえ」
「あいつ程じゃあないが、エマヌエル司祭様には世話になったからな」
「出世してもう司教だって。ここらへんじゃ地味に大物よ？」
「詳しいな」
アバッキオは深く考えずに微笑んで、出かけていった。
「夕食もご一緒することになってる。アンジェラは連れて行くし、セキュリティのひとも
付いてきて貰うから」
「ああ、ごゆっくり」
地味に大物なエマヌエル司教は、アリバイの証人としては最適だろう。
「司教様、くれぐれもやつを９時より前に帰したりなさらないでちょーだいね。ああ、そ
れと、もうあと２，３日したらまた子羊ちゃんが行くと思うから慰めてやってね、オネガ
イ。献金もはずむと思うし」と、ミスタは協力者に確認を入れた。
……教会の扉は、いつでも、どなたにも開かれておりますよ。と、電話口のエマヌエル
司教も役割を心得ていて、なかなかに腹黒い。
「それじゃー司教様は、この場合どーしたらいいと思うわけ？ 右のおっぱいを揉まれた
ら、左のおっぱいも揉ませてやるべきィ？」
ワルノリしてミスタは聞いてみる。
……赦すことです。この世の全ての争いは、赦しを以てその種を消すことが可能です。
「あー、そりゃ、ダメだァ」
ミスタは背を揺らして笑った。
「おれ達、それは赦しちゃなんねーだろってとこからこの道にはいっちまったんだもん。
正しーかもだけど、今更それはダメなのよ」
……放蕩息子の教えのように、いつでも、主は子羊たちが正しい道に立ち戻ることを望ん
でおられます。
「へー、あ、そー。じゃー、おれはもうちっとあとでにするわ。じゃ、ヨロシク！」
話はいつも平行線になる。それでも、この会話を交わしたことで、少しはミスタという
男が主について考えるきっかけとなればよい。強かなエマヌエル司教はほんの少し皺を動
かした。
と、そこへ話題の男が声を掛けてきた。
「司教様、アバッキオです。お久しゅうございます」
敬虔な男が訪れた。どん底と自らが規定する生活を経ても、信仰を捨てなかった心の清
い信者が。今はこの男が濡れ衣を着ることのないよう、仲間の配慮を無にせず、「旧交を
温める」ことに専念しようとエマヌエル司教は両手を広げて新市長の夫を迎え入れた。
７
「ミスタ、連れてけよ」
車庫への出口の階段に、着慣れないスーツ姿のナランチャがうずくまっていた。
「あらーどこへ？ ミスタさん今からデートなんだけど？」
ミスタはおどけて見せた。
「バッヂつけた豚とデートだろ？ いいじゃん３Ｐも」
「オトナのジョーク言えるようになりやがって、まあ。相手はオッサンだぜえ？ 吐くな
よ、小僧」
「今更ー？」
笑みを交わし合って、２人、車を持ち出した。
「事故に見せかけねーとやべーんだけど？」
「１０年の間にミスタどんどんテクが上がって。こえー」
「アバッキオにはアリバイ作っといたし」
「やっぱプロだねー」
「そーよぉ？ 高給もらってるからねー」
「情報どっからもらってんの？ やっぱジョルノ？」
「あー。タルティーニがもう話振るより先にやつの一ヶ月の予定表調べて出して来やがッ
た。もー、眼ェギランギランさせてたね。警察はこっちで押さえときますだってさ」
「タルティーニもＢ.Ｂ.のファン長いからねー。そんで？」
「今晩はネアポリスで飯喰ってカプリの別荘に泊まる予定。今から飛ばせば国道走ってる
ところに丁度追いつくって計算。
あそこの国道、なんてったっけ、ソッレンティナ線？ けっこー最近若いのが峠を攻め
るとかいってあぶねーのよ。毎週末には事故ってスポーツカーがどっかの崖に１台２台引っ
かかってるってさ」
「じゃー、ゴンザーガ上院議員もうっかり引っかけられたりオカマ掘られたりしそうだねー」
「そゆことよ」
「車の車種とナンバー」
無邪気に笑いながら、次の瞬間には声を鋭くしてすぐさま必要な情報を要求する。ナラン
チャもこの１０年で鍛えられている。
「当然。紺のＢＭＷ、ええと……これ見ろ」と、ハンドルを握りながら懐からピストルズ
にレポートを出して渡させる。
「ナランチャ、チャオ〜！」
「オレタチのこと、忘れてねーカァ？」
親指くらいの大きさの精神力の塊の集団が、妖精のように宙を舞ってＡ４のレポートを
ナランチャに届ける。
「バーカ、忘れっこねーよぉ」
眼を細めて、青年は普通のものには見えぬはずの存在をそれぞれ撫でたり、指で弾いた
りと構いながら、レポートに眼を通す。と、行く手にその車を見つけ出した。
「あれじゃん」
「いたな」
「エアロスミスッ！」
ナランチャが両手を肩の高さで水平に広げた。
「すぐしとめるなよ？ お楽しみを残せ」
「えーめんどーい」と口ではいいながら、確実にタイヤを狙って車の走行を妨げ、路肩に
停まらせた。車にぶつかられてガードレールはゆがみ、伸びきって、あと少しの震動で車
は崖下へ落ちてゆきそうだ。
「運転手どーする？」
「あらーひとりじゃねーのか、運がねーな」
あっさりと言うが、上院議員の身分にあるものが、自分で車を運転することはあまりな
い。無関係なものを考慮に入れていない乱暴さはギャングならではだ。
「事故だからなーふつーはもろ共だよなー？」
「えー、知らねーな？ けっこー運転手は自分で解ってるから避ける方向へ最後までハン
ドル切って、生き残るもんよ？ 助手席がやべーんだって」
「嘘、マジ？ おれ今度から助手席やめたっ」
暢気な口調ながら、２人は剣呑な気配を発しながら車中の人々に近づいていった。両手
を挙げて、こわごわ乗員達は下りてきた。
「お、おまえたち、わたしを知らないのか？ 上院議員のゴンザーガだ！ なんだってこん
なことをしでかしたッ！？ 警察を呼ぶぞッ！」
出そうとした携帯はすぐさまピストルズが跳ね飛ばして奪った。
「オッサン利き腕はどっちー？」
油断なく銃を構えながらも、ミスタは暢気に尋ねている。その眼はもう、普段とは違う
光り方をしている。
「な、なんのことだッ？」
「女にいたずらするときはいつもどっちの手かッて聞ーてんのよ」
「ミスタ見てなかったもんなー。右手だったぜ」
ナランチャがすぐさま答えてやった。
「あっそ」
銃声に、悲鳴が続いた。
「おまけに左もいっとけば？」
無邪気にナランチャが提案する。もう少年の頃は過ぎたというのに、こういう場面での
容赦なさは卒業できなかったようだ。
銃声が応えた。
「運転手さんはじっとしててねー」と、エアロスミスが足元を威嚇射撃している。
「やっぱ、舌がいかんよな？」
ミスタはまるきり顔色を変えていない。
「諸悪の根げ〜ン」と、ナランチャは歌うように相槌を打つ。
舌を撃ち抜かれた上院議員はのたうち回って命乞いをしている……ように見える。
「運転手さん、こいつのこと車に乗せてよ」
「えーめんどー。このまま蜂の巣でいいじゃん？」
ナランチャは周回軌道でエアロスミスを待機させている。敬愛するリーダーだった女性
を辱めた豚を蜂の巣にしてやりたくて仕方がないらしい。
「でもやっぱ、土壇場でサツが裏切ること考えたら、一応は車の事故の形取っときたいじゃん」
「ミスタって用心ぶけー」
「ボスに鍛えられちゃって」
「ナルホドねー」
さりげない会話のうちに、重傷を負った上院議員は車の後部座席に移された。
「とどめはおれね。ホント、３日も長生きできて良かったねー、あの場で殺してやりたかっ
たんだけどねー。ガマンしたおれってオトナー？」
「うんうん、オトナ、オトナ」
肯いておいて、ミスタが言った。
「まーこいつにぶち切れたおかげでアバッキオでかでか顔写真が新聞に載って、オフクロさん
に会いに行けるようになったんだから善し悪しだけどさ」
「へー、よかったじゃん。なんで黙ってんだろ」
「遠慮してんじゃね？」
ナランチャは、もう母親には逢えないから。
「ふーん」
世間話のうちに、彼らはターゲットの絶命を確認した。
「じゃ、運転手さんも乗っちゃって」
銃口は、変わらずに哀れな運転手を狙っている。
「ちょ、勘弁してくださいよー」
泣きそうになりながら、中年男性が懇願した。
「だって、顔見たじゃん」
「なー？」
真顔で若いギャング達は顔を見合わせていた。
「絶対口外しません。誓いますッ」
「ま、あとは自分の運に賭けてね。ベルトしなくていいから」
「じゃーね」
素早く運転手を席に着け、ドアを閉めると二人して車を蹴落とした。
８
翌日、ゴンザーガ上院議員事故死の記事が新聞を飾った。運転手は重体とのこと。市長
の就任披露パーティで暴言があったとのことで市長がわから名誉毀損と公然強制わいせつ
の訴えがあり、係争中であることが追記されたが、現地は若者の間でスピードを上げたド
ライヴが流行している区間であり、交通事故が相次いでいることから、そういう車に煽ら
れた上での運転ミスによる事故であろうと警察発表がなされた。
「アバッキオ、エマヌエル司教様の所行ってて良かったな」
「アリバイばっちしだもんな」
新聞の記事を見るなり警備課に飛び込んだアバッキオは、しれしれと旧知の仲間に言わ
れて歯を食いしばった。
「邪魔したなッ！」
何も言えずに、背を向けて去る。時間のかかるトリッパの煮込みを今日にでもミスタに
出してやるために。
美しすぎるブガッティ市長は、その後すぐさまゴミ問題を解決したのもあり、その過去
と美貌についてはあまり触れられないように配慮がなされていって、以後はその卓越した
手腕で評価がなされるようになった。
「申し訳ないが、妊娠したみたいで。諸君には厄介をかけるが、なんとか協力を頼む」
実にとぼけた顔をして、夫を愛しすぎる美人市長がスタッフを阿鼻叫喚の境地に陥らせ
たのはこの２ヶ月ほど後の話。
「あんたってひとはーーーーーーーッ！？」
フーゴはまた携帯を相手に絶叫した。
２７−０９−１０
蛇足。
なんかふと思いついたんで、シリアス巨編の片手間に書いちゃった。あんまりブチャ誕
生日にはふさわしくない話です。
アレッサンドロ誕生秘話（ｗ
池上アキラがこないだ世界には結構女性政治家がいるよーってやってたので。なら、ネ
アポリス市長のブガッティさんも活躍してもらってもいいのかなって。
もとポルノ女優の下院議員って、たしかチッチョリーナって言ったと思います。実在し
ました！
セックスで世界平和を！ とか言って、戦争なんてバカなことしてないで、良かったら
あたしがセックスしてあげるから××さん、戦争やめましょうよ、なんて当時の戦争やっ
てた国家元首にラヴコールしたとか（当然黙殺されました）。ある意味正しい平和活動家
かも？
もうほとんどジョジョ本編とは関係なくなっちゃってるけどね。ミスタさんとナランチャ
にギャングらしいとこ見せてもらいました。