憂鬱な日
その朝（７７）
３週間分の、配合の計算されたホルモン剤の入った錠剤、そして、１週間分のダミー。
４週間分一揃いのその「常備薬」を、ブチャラティは欠かさず飲んでいる。自分の身を
守るためのその薬を飲み始めたのは、１６になったばかりの頃だった。
……上の方の指示で、フロラはそういうことにならないようにってことだから。大丈夫、
怖くないし、お商売をする子はみんな飲んでるのよ。
医者に連れて行ってくれたマルガリータは優しく微笑んでくれた。
……スケジュールも立てやすくなるし、ちゃんと大人になって、欲しくなったら、お薬
をやめればちゃんと赤ちゃんも出来るから。
白地のスーツなんて、まだ若い女の子に誂えて。急に始まっちゃったらどうするつもり
なのかしら、スカルラッティさんも解ってないわね。
途中からぶつぶつとマルガリータは余計なお世話で一人怒っていた。
……あんたはポルポさんのお手が付いたとはいっても、この下町でこれから大きくなる
のに、男にいやらしいことされないわけないんだから。かえって、これでみんなあんたの
こと女の子って意識しだしたんだから、気をつけるのよ？ 自分の身体は自分で守るの……。
艦長の庇護を離れて一人でシマを受け持つようになって。たしかにいろいろ危機に瀕す
ることは多々あったけれど、なんとか切り抜けてきた。固い育ちをして、自分を上司とし
て尊敬してくれる凶悪なスタンド能力者の参謀と、自分を絶対的に崇拝するきかん坊の部
下を持ったから。中性的な、ひとを食ったところのある白いスーツのギャングとして生き
延びてきた。誰にも肌を心を許さず、女としての弱点など何もないように取り繕って。周
囲の皆も、まさか自分たちと同じものが付いているとは思っていないだろうけれど、この
自分にそんなものがあるとは思っていないようだった。
今は違う。
心の中にいつの間にか入り込んでいた白いライオン。ありえないほどきれいで、強くて、
もろかった。今までローマの定宿のベルボーイや、時々行くバーのキャッシャー係のよう
な、目の保養として心の中に書き留めておいた美しい男たちと同じようなものだと思って
いたのに、彼が姿を消したと知ったときの喪失感は今までないほど大きかった。
その彼を、今、手の内に入れている。チームに引き入れただけではなく、部屋にも入れ、
ベッドにも連れ込んだ。今朝も抱き合って。
今日から、錠剤はダミーに入る。
いままで投与されていたホルモンが血中に出回らなくなると、女の身体は女の臓器のリ
セットをはじめるのだ。あるじを迎え損ねた宮殿が大掃除状態になる。腹は痛むし、精神
は不安定になるし、あちこち、いろいろいつもと違うカンジが出て、それを取り繕うのに
神経をとぎすませなくてはならなくなる。ひどい負担だ。
……取っちゃってもいいんじゃないか、どうせこの先ここを使うことはないだろうし。
親友にぼやいてみせて、なんてことを、と叱られたことも何度かある。
そりゃ、今となっては取らなくて良かったと思っているけれど。
「ここ」を使って、愛しい男を惹きつけているのだけれど。
どうも、この時期は距離の取り方に困る。
情人は真面目な男だ。ブチャラティがただ純粋に悦んで貰おうと行うさまざまな技巧も、
それを拒絶はできず、愉しめば愉しむほどに罪悪感で押しつぶされそうになるようだ。こ
ちらは単純に悦んで貰えたという事実に加え、そういう理性が肉の快楽に負けていくのを
恥じつつも流されて蕩けるさまを目で愉しみ、また、そういうことができるということに
少しの達成感を得たり、女性としての自尊心やらを満足させて貰っているので、あとでふ
て腐れたり泣いて懺悔されても、これをやめて大人しく彼の望むようにさせてやる気はな
い。
だって、自分が惚れた男なんだから、自分が気持よくさせて貰うなんて申し訳ない、逆
じゃないか、勿体ない。
そう力説すると、親友は口をぽかんと開けて、ああ、一理はあるねとゆっくり一度肯い
て見せた。
だから、行為のもてない時期は、どうして良いか途方に暮れてしまう。
サンドラたち、商売をやる女は、その日が公休日だから、かえって楽しみにしてその日
を遊びに出る日にしてしまうけれど。
「ブチャラティ、あのな」
そういえばある日、ナランチャが輝く目をして報告に来た。
「あいつ、ブチャラティのところに泊まれない夜、すっげえ挙動不審になるけど、だいじょー
ぶだからな」
そんな事情までこの少年達に知れて。さすがにちょっと恥ずかしい。
「すっとんで自分の部屋に帰るけど、なんでもないからな、おれ見たもん」
顔中口にして笑いながら、フライング・ディスクを持ち帰る子犬のような目をする。
「見たって？」
「ああ、エアロスミスで窓ぶち抜いて入って、確かめてやったよ。だって鍵掛けて居留守
使うんだもんな、やっぱアヤシイじゃん？
すっげええろいＶＴＲみてんのかなーとか、お商売の女、部屋に呼んでるのかなとか、
気になるだろ？」
「……ナランチャ」
めっとすると、なんでもない顔で言う。
「だいじょぶ、ベンショーしたから」
根負けして先を促すと、
「凄かったぜ、顔にべったりなんか塗って。パックってのしてんだってさ。あと、イロイ
ロ」
さすがに虚を突かれて反応が遅れた。そんなことをするタイプではないと思っていたの
に。
「もう、おれの顔見てすっげえ慌ててた。そんでもう恥ずかしがって、暴れて。銃あった
ら頭撃ち抜こうかってぐらい。あ、それは止めたけどさ。
……マリア・アマリアさんに言われて、月に一度のお手入れなんだってさ！
あいつ、ブチャラティのためにネアポリスで一番カッコイイ男になるんだって、ならな
きゃいけないって言ってた。でも、そんなんコマゴマやってるのブチャラティに知られる
のやっぱ恥ずかしいじゃん？ だから、ブチャラティの前ではゼッタイできないから、こ
ういう日に集中してやるんだって。だから、ブチャラティ全然心配要らないんだぜ！」
「解った。ご苦労、ナランチャ」
少し頬を動かして笑んでやって、頭を撫でてやると少年はくすぐったそうに笑った。
「おれもヒゲの剃り方教わったよ。やっぱ口の周りがもやぁんってなってるのってイヤじゃん？」
「ナランチャがか？」と、ブチャラティは目を見張った。
「ほぉらぁ〜！ ブチャラティいつまでもおれが小僧だと思ってる！
おれだって近頃は人並みにお手入れしてからアジトに顔出してるんだぜ！」
ちょっと傷付いた顔をして見せて、それでも誇らしげにナランチャは言う。
「それは、失礼した」
大まじめに、いつものとぼけた顔でブチャラティは言う。
「だからおれ達のことも、あんまり子供だと思ってハイリョしなくていいんだぜ？
ブチャラティのこと、大人の女だと思っておれ達サポートできるぜ？」
「ありがとう」
……本当に、こんな日が来るなんて。
しみじみとした感慨を、その時は感じたものだけれど。
その時、階段を、ゆっくり登ってくる気配を彼女の超感覚は察知した。体重、歩幅、衣
擦れ、それは彼女の恋人のものだけれど。
やがて、ドアが叩かれた。
「フロラ……おれだ」
送ってきたのは数十分前。カレンダーの事情は彼にも話してあって、そういうわけだか
ら、とナランチャの情報もあってあっさり帰してやって、彼も別段寂しがりもせず自分の
部屋へ帰ったと思っていたのに。
いっそう心を乱して、ブチャラティはドアを開けた。
「どうした？ 何かあったのか？」
どうにも一人ではいられないなにか鬱や自虐の波が、彼を捉えたのではないかとブチャ
ラティは案じた。
「何もねえよ」
のそり、と、ふてぶてしい野良猫が、ただの顔見知りの家に上がり込むように、白いラ
イオンが彼女の肩を押して部屋に押し入った。
「あ、あの、今夜はだめなんだ、言ったろ？ そりゃ、そこまで行かないサーヴィスなら
なんぼでもしてやるが。
ああ、じゃあ今夜はそういうカンジで行ってみるか？ まだ今夜のうちならそんなに始
まらなくて、……できるとも思うし」
ブチャラティはしどろもどろになってしまう。だって、やっぱりきれいだ、光を弾くプ
ラチナの髪、ここいらの人間とは違う白い肌、高い鼻筋の完璧なライン、一般的でない色
のルージュを差したって唇は官能的で。
……間近で見ていたい。惚れ惚れする。ああ、その目をこちらへ向けて。真っ直ぐわた
しだけを見て。
「ばかやろう、そんなんじゃねえよ」
静かな声が、耳のすぐ際でする。長い腕が、頭に回されている。
「今夜だから来たんだ、おれは」
「だって」
「いっつもいっつも、男が考えることがそればっかりみたいに思いやがって、あんたは」
洗い髪をガシガシとかき混ぜて、そしてはっと止めて梳き下ろして調える。いつもだ、
この男は、衝動のままに頭を撫でて、あとで調える、ここまでが定番のシークェンス。
……いいのに。乱したままでいいのに。
ちょっと頭を傾けて、名残を惜しんで、ブチャラティは問いただす。
「それは、失礼した。
で？」
「おれが、あんたの側にいたいんだ」
彼女のライオンは、せっかくの顔をくしゃくしゃにして言った。
「だから何があった？」
「なにかなくっちゃ来ちゃいけねえのか？」
言葉に詰まって、声を荒げてごまかしに掛かる。いつものこと。
「いや、だって」
「毎晩来てるだろ」
「だから今夜は」
「あんたを抱けない夜にいちゃいけねえのか？ え？ おれはあんたのことをそういうふ
うにしか思っちゃいけねえのかよ？ フロラ」
ブチャラティは立ちつくした。
だって、いつもはすっ飛んで帰るじゃないか。わたしの目の届かないところで、女に見
せられない秘密のお手入れをするんじゃないのか。足を伸ばして寝かしてやりたい、おれ
がいつもいたんじゃ狭いだろうなんてお為ごかしを言って。
「おれがあんたの側にいてやりてえんだ」と、手に提げていた小さなブーケ、色町で、女
に渡すためにちょっとした屋台で遅くまで商っているのを、出してきた。
「なん、で……」
「具合の悪いときに、側にいてやらねえのはやっぱり悪かったかなって、思ったんだよ」
「だって、秘密のお手入れがあるんだろ？」と聞くと、美貌の男は一層顔をしかめた。
「ナランチャがしゃべったか……大至急で済ませてきたよ」
「ああ、そうか、今夜はなんだか男前だと思った」
「ハッ」
かぶりを振って見せて、やっぱりおれのことは顔だけしか見てないのかよと呟いてみせ
る。
「違うぞ、レオーネ、おまえは姿形がきれいだが、気の持ちようが、生き方がきれいだ、
そここそがわたしの惚れ込んだところなんだ」
「賄賂を取って相棒を死に追いやった男の生き方のどこがきれいなんだ？」
ほんの少し、荒んだふうを見せる。ちょっと前なら、こんな話題を振った時点でもう心
を乱していたはずが、今は目の色が少し深くなるだけだ、改善したものだ。
「きれいだよ、それを真っ向から受け止めようとする心が」
ブチャラティはごまかしを言わず、真っ直ぐ思いの丈を述べる。
「いいから！ そういう話はいいから！ さ、横になれよ。抱いて寝てやるから」
アバッキオはたてがみを振り乱して会話を切った。手をさしのべて。
「枕か」
「それを言うなら、おれだって、あんたには惚れてるよ。おれのことを悦ばそうなんて
そんなことに必死にならなくていいんだ。あんたは太陽みたいに輝いて、おれを照らして
くれればいい。おれは遠くでそれを仰ぐだけで、温かい幸せな気持ちになれるんだ。
ほんの一晩も、離れているのが辛い。心細いとか、余計な気を回すとかじゃなく。
あんたが具合が悪くて心細いなら、ただ枕にでも、湯たんぽにでもなれればいいと思っ
て来たんだよ」
抱き上げようとするのを断って、しかたなくブチャラティはベッドに追いやられた。
「……ありがとう」
横になって、大好きな端整な顔を見上げて、手をさしだしてみる。それを取って、アバッ
キオが隣に横たわる。
「ゆっくりおやすみ」
唇が、額におとされる。回してきた手は背中より下がることがなく、これはこれでよい
か、と苦笑してブチャラティは眠りに落ちた。
油断した。
ブチャラティは真剣に慌てている。なんでこんなこと。いつもならないのに。安心して
内臓が頑張って活動してしまったのだろうか。まだ大丈夫な筈なのに、シーツに血の池が
出来ていてしまって、尻の不快感にブチャラティは飛び起きたのだった。ありえない。と
りあえずシャワーを浴びて洗い流して、下着は履き替えたけれど。
「レオーネ、レオーネ済まないが、ちょっとシーツを換えるからどいてくれ」
「……あ？ ああ」
「こっちを見ないでくれ。ほんと済まない、こんな筈じゃ……変な時間に起こして済まな
い、すぐ済むから、済んだらまた寝てくれ、時間になったら起こすから」
「解ったよ、そっちは見ないから。作業が済んだらあんたもこっちへ来て横になれよ」
「済まない、ホント……」
「おれ、来ない方が良かったかな？ ごめんな、気を遣ってくれてたのに」
済まなそうに微笑む顔も凛々しくて、ブチャラティは泣きそうになる。
「そんな顔、しないでくれ」
くしゃくしゃと小さい子供のように撫でられて、ブチャラティはほんとに泣けてきた。
と、そのままベッドに引き込まれる。
「あ、まだちょっと、洗濯機回してしまうから、まだ……」
「あとでいいだろ？」
ぴったり抱き寄せられて、そのまま二人して２度寝した。
結局寝坊して二人して遅刻して。いつもならギャンギャン噛みついてくるはずのフーゴ
も何も言わなかったのが、やはり女性の不調な日だと遠慮されているかと思うとまた憂わ
しくて。
ブチャラティは結局思い悩んでしまうのだった。
「ブチャラティ、やっぱりおれ、今夜は自分の部屋で寝るな、いや、引いたとかそういうん
じゃねえけど」
恋しい人は泊まってくれなくなってしまったし。
２７−０１−１２
蛇足。
ピルは飲んだことがあります。結婚式に女性の体調の悪い時期が重なりそうだったんで。
そっちの方の臓器を悪くしていて医者に掛かっていたときだったので、わりとあっさり
処方してくれました。
ピルのパターンには２種類あるそうです。３週間飲んで、１週間やめると、やめてから１，
２日して「リセット」が起きるパターンと、飲み忘れないように、とりあえず薬は毎日飲
むけど、そのうち１週間分は薬がダミーになっていてホルモンが入っていないパターンと。
ダミーの週に「リセット」が起きます。イタリア人はうっかりさん多めで飲み忘れ防止に
なってる方が便利かなーと思ってブチャは後者のパターンを想定しました。ブチャはマジ
メにちゃんと飲んでると思う。しかし、そこまでやっといてパラレルでは子供ができるん
かい。ええと、やっぱり作る気があったんでしょうか？
とりあえずアバッキオは教皇猊下の仰るとおり（避妊なしで）ヤってそうなイメージで。
ブチャはそれを尊重してると。自分ではこっそりあれやこれやしてるけれども。その辺やっ
ぱり失敗がありうる手段を取っていた方が、ドタバタの入り込む隙間があっていいかな？
自分一人で女を隠して生きてきたつもりだけど、後から思えば周囲の人にいろいろ配慮
されていた、自分が庇ってやっていたつもりの幼い子たちからさえ、と思い至るのは、苦
いことかも知れませんが大切なことだと思います。ブチャも、アバに出会って行き届かな
いけれど大切にされて、そしてまた自分が周囲の人達のために働こうと思ってくれればい
いな。そして、どんどん、女を出していって大切にされていいのだとも、思って欲しいで
す。そこら辺は、「お煙草はこちらで」にも繋がるかな。
若い頃は、一人で生きていけると思いがちだけど、やっぱり、人間って繋がらないと生
きていけない生き物だと思いますよ。
おまけ。
こんなナランチャはイヤだ
「あれ？ ブチャラティどーしたの？」
絶対的に崇拝しているリーダー様の不調にナランチャは敏感だ。
「いや、……ちょっと」
無意識に左脇腹を庇った仕草に、ナランチャは得たりと肯いて見せた。
「ああ！ そうかブチャラティ、ゲッケイなんだな！？」
思わぬテクニカル・タームにブチャラティはらしくなく耳を疑って硬直した。
「そうか、そろそろだもんな。だいじょーぶだぜ、おれおんなのひとの身体のこともちゃん
と習ったから！ ブチャラティのこともちゃんと配慮してやれるぜ！
あんま無理すんなよな！ 冷やすのはいけねーんだろ？ パトロール切り上げるか？
あとはおれ一人でやるよ。
ゲッケイは病気じゃねーって言うけど、やっぱいろいろ大変なんだろ？ 気にすんなよ、
オトナの女性なら当然あるもんだもんな。恥ずかしいコトじゃあねーよ、隠さなくたって
いいんだぜ！
あ、サニタリー・ナプキンっての、おれ買いに行ってやろうか？」
1ブロック先からすっ飛んできた少年×紳士○ギャングがナランチャの後頭部をでかい
ファイルで殴り飛ばして黙らせた。
「恥ずかしいのはキミですッ！」
「あ、……ああ、フーゴ、ありがとう助かったよ」
さすがのブチャラティも素で感謝した。
「あんたはとっととアジトに帰ってココアでも淹れてもらって休憩してくださいッ！」
トマトのように赤くなった顔を背けて、ナランチャを引きずるフーゴは彼女の代わりに
パトロールを続けてくれるつもりのようだった。
そういうの、習ったばかりの頃にうちのおにいちゃんがやってくれました。青葉通りに
埋めようかと思った……。
さらにこんなアバッキオはイヤだ（かなり１８禁です注意！）
「……ッ」
寝室にくぐもった声が上がった。淫靡な音はずっと続いている。白い腰に回された手に
は筋が浮かんで、限界が近いことを物語っている。
「随分頑張るな、いいんだぞ？ もうイッても」
笑い含みの囁きが続く。
「や……」
「もう十分だ、さあ、おいで」
残酷な支配者は、嗜虐的な笑みを浮かべて彼を見下ろしている。
「や、まずい、今日は幾日だ、あれからたしか２週間……」
もう眼を開けていられない男は、額に皺を浮かばせて必死にカレンダー計算をしている
らしい。
「おやおや、そんなことを」
構わず、彼女は内股の筋肉を締め上げる。
「ちょ、待て、やばいだろう！」
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃないッ！」
「だったらどうする？ このまま中止したってルール違反だろ？」
「いや、それは……」
旧約聖書にそれは記されている。妊娠を希望しないオナンはもと兄嫁と交わっても彼女
に子種を与えずに流した。それは彼らの神の考えに沿ったものでなかったので、彼は罰を
受けた。……端的に言うと、殺された。
「どうなんだ？ 優等生」
「……そうだ」
答を待っている間も、彼女は練達のテクニックで彼を責め続けていた。
「じゃあ、決まりだ。こら、顔を隠すんじゃない」
艶やかに笑んで、彼の両手を拘束し、やや前のめりに彼女はフィニッシュをキメた。
「…………ッ」
「カワイイよ、レオーネ」
勝ち誇って、彼女はくちづけを与えた。
後始末を終えて横になっても、彼はまだぐだぐだ落ち込んでいるらしい。
「ヴァティカン・ルーレットか、まったくおまえらしいよ」
ククッと笑って、彼女は彼の髪を引いていたぶる。
神の栄光を讃えるため、教皇庁は信者を殖すことを奨励している。つまり、産まれる子
供の数を抑制することは教義に反する。しかしながら、それは貧困にも繋がるため、苦肉
の策で教皇庁は極力人工的でない避妊法を検討し、公認した。それが、ジャポネの荻野久
作博士の発見した受胎法の応用による「周期式」だ。当の荻野博士が「迷惑」と公言した
通り、もとが受胎するための学説であるために避妊には完全ではなく、たまに「当たり」
を引くことがある。「ヴァティカン・ルーレット」と呼ばれる由縁である。
「だって、……今はまずいんだろう？」
２人はまだ若い。組織の中で、彼女は一応はひとつの街を任されているチーム・リーダー
だ、かたぎのカップルのように簡単に所帯を持てる身の上ではない。
「まあな」
こちらの立場を思いやってくれることに彼女はしみじみとした嬉しさを感じる。
「……大丈夫だよ」
こちらで、配慮してるから。こちらはべつにそんな敬虔じゃないから、教義に反しても
安全確実な手段を取ってる。
皆は言葉にしてしまわないで、彼女は堅物の恋人の額を撫でてやっている。
「大丈夫ってッ」
ほら。勝手に解釈した。今まで何ともなかったから大丈夫って、頭のわるいやつらのノ
リだと。
「言ったろ？ ポルポさんに面倒見て貰ってたって。そういう女の子ってのはだいたい……」
あんまり黙秘を続けると、勝手に深読みしてしまうかと、しょうがなく多少は情報開示
してやると、
「おい、もしかしてッ……」
色をなして身を起こす。ああ、読める。幼い頃に無茶をされて、子供の出来ない身体に
されているんじゃないかとまで先走った！
「ああ、違うから。……メンドクサイ奴だなあ」
しかし彼女はそれを面白がっている。
「……殺してやるッ」
押し殺した声はさまざまな事情を思い起こして怒りを燃え立たせた響きだった。
「ああ、そのうちな」
ぽん、ぽんと頭を叩いてやって、苦笑して彼女は眼を閉じた。
「……男同士ならこんな心配はなかったのにな」
ふと、思いつきで言ってみる。返事は判っている。
「ばかやろう。そんな、罪深い」
「……ああ、うん、そうだな」
……きっとそう言うと思った。
「だから、わたしたちはこれでいいんだ」
もしかしたら、もっと簡単に親しくなれたかもしれないけど、おまえを深く自分の身体
に受け容れて識ることはなかっただろうから。
わたしたちはこれでいい。
必要な配慮は、わたしがしてやる、だから、おまえはメンドクサイけどきれいなおまえ
のままでいて。
「……なんて、まあ、それでも口説き落としておまえをわたしのものにしてしまう自信は
あるけどな」
きっと、ぐずぐずに悩んで嘆いて、大変なことになるだろうけど。それはそれで楽しい
かも知れない。どこか遠く、別の宇宙というヤツに、そういう自分たちも存在しているの
かも知れない。それとも、手を出すに出せなくて、自分が女だったらと切なく歯がみしい
ているだろうか。
「……済まなかったな、気づいてやれなくて」
アバッキオは溜め息を吐いて手を絡めてくる。あの頃は、本当に目の前の細いほそい道
しか見えていなくて。
「ははッ」
ブチャラティは笑ってやる。そういう彼だから惹かれたのだけれど。
艶やかなプラチナの髪を梳いてやって、それにくちづけて、彼女は眠りに落ちた。
……なんかおまけの方が長かった。反省。
＞どこか遠く、別の宇宙というヤツに、そういう自分たちも存在しているのかも知れな
い。
ごめん、あなた達の方が、別次元のほうの存在です。べつに男同士は罪深いとまでは思っ
てないけど、かたっぽおっぱいある方がいろいろ書きやすいんだもん。ゴメンネ。よりに
よってアバ誕更新にこういう話を持ってくるか、さらに反省。