小さな告発者
その朝（６５）
１
それは、きまじめな大男が街の衆に受け入れられた春のこと、鳥籠を提げた黒髪の男が
下町のアジトを訪ねた。
「よう……ブチャラティは、いねえのか？」
川の向こう側のシマの若頭、カルロ・タルティーニである。
「ああ、こんにちは。ちょっと出てます、昔からの友達のほうのつてで、ちょっと相談事
とかで」
「おいおい、そんなになんでも丁寧にしゃべらなくていい。野暮用で、ぐらいにしておき
な、アバッキオ」
唇を歪めて、ご親切にギャングの作法を教えてくれる、意外に面倒見のいい男であった。
「恐れ入ります。コーヒーでもお淹れしましょう、どうぞ」と、アバッキオは恭しく迎え
入れる。
「ああ、やっと温かくなって来やがったな。川向こうから歩いてくるだけで汗になったぜ」
「あちらは皆さん丹精してるから窓辺なんかも綺麗でしょう、鉢植えとか」
「ああ、まあな」と、眼は足下に置いた鳥籠に配っている。
「うまいコーヒーだ」
半分ほど飲んだところで、タルティーニは用件を切り出した。
「ちょっと頼まれて欲しいんだが」と、声をひそめる。
「なんでしょう？」
「こいつを預かって欲しい」
鳥籠の中は、黒い、鳩ほどの大きさの鳥だ。嘴の横から眼の下に掛けて黄色い肉髭があ
る。
「ええと……」
「九官鳥だ。名前はパパゲーノ。知り合いから預かったんだが、……おれのうちは、その、
猫がいてな、悪戯するから無理なんだ」
「はあ」
このひとでも猫を飼ったりするのかとふとアバッキオは考えていた。
「九官鳥って言うと」
物まねをする鳥ですよねと言いかけたのに、タルティーニは被せてきた。
「こいつは鳴かねえ。猫がおどかしちまったのか、うちでは一言も。
ここは若い連中が多いから構ってやれるだろう、頼む」
言い終わったときにはもう腰を上げていた。
「でも、あの」
「レオーネ・アバッキオ、この業界で、頼むっつったら受けるもんだよォ、メンツに賭け
てなァ」
肩をそびやかして、若きギャングの中間管理職はかさに掛って言い切った。
「承知しましたッ」
反射的にアバッキオは背筋を伸ばしていた。
タイミングが良かった。フーゴが留守番していたら、筋が違う、うちのリーダーはブチャ
ラティだと食い下がったことだろう。
「食いもんはなんか調合した餌が出てる。そこの袋に使いさしを入れてきた。あとはあの
利口なぼくちゃんにでも聞けや。
期限を切って預かってるもんじゃねえから、もしものコトがあっても気に病むことはね
えが、可哀相なことはするんじゃねえぞ、みんな見てんだからな」と捨て台詞して、去っ
ていった。
コーヒーは、立ったまま飲み干して。
礼儀にうるさいタルティーニにしては、少し不自然だと気づくべきだったかもしれない。
残念ながらアバッキオにはまだそれだけの蓄積がなかった。
「ええと、……ようこそパパゲーノ」
大きな身体をかがめて、黒衣のギャングは挨拶した。鳥籠の中の黒い鳥は羽ばたきをし
てそれに対した。
２
「ああ、あとで電話を貰った。いいじゃないか九官……鳥？ の一羽ぐらい。
面倒見られるだろ？ ナランチャ、フーゴ」
ブチャラティは鷹揚に新入りを受け入れた。
「まあ昼間はアジトに置いておけばいいでしょうけど。
夜は持っていってくれます？ ブチャラティ」
フーゴはちらりと眼をくれて、飼育のルールを詰めていく。
「チャオ！ チャオつってんだろ！ ほら！ チャーオ！
よっぽど恐い目にあったのかなァ？ タルティーニって猫飼ッてんだ、意外」
ナランチャはもう籠の前に坐り込んで、ゴキゲンで構っている。
「ナランチャ、籠を叩いちゃだめでしょ、また怖がらせてしまいます」
「ああいうひとが飼ってる『猫』って、二本足で立って歩いてしゃべってベッドを楽しく
してくれる『猫』だと思うがな。うちはライオンだが」
ブチャラティが例によって真面目な顔できわどいことを言うと、
「ブチャラティーッ！」
堅物が泡を食って止めにかかる。肝の太い女幹部候補生は眼を細めて、もう、その長い
髪が振り乱されるさまを愉しむために言っているのかもしれない。
「九官鳥は頭がよくて物まねをよくする鳥ですから、静かな環境において愛情をもって飼
育すれば、そのうち何かしゃべり出すかも知れません……ただ、何を覚えるかはこちらで
指定できませんから、気をつけないと、組織の秘密をしゃべられたら洒落になりませんか
らね、タルティーニもそれを恐れてこっちに押しつけてきたのかも知れません、気をつけ
ないと」
フーゴが真面目に締めた。
「パパゲーノ、めしだぞ」
アバッキオは真面目に飼育に取り組んでいる。タルティーニが持ってきたペレットに加
え、フーゴの助言を得て皆のデザートの中から果物を少し与えている。
「水浴びをさせる必要があるそうです。外に出してジョウロで少し掛けてやればいいかと……
ナランチャ、ホースはムチャですッ」
「ハハッ、だいじょーぶ、こいつも喜んでるって！」
自分も水浸しになりながらナランチャが笑った。
年若いギャング達はペットの世話を楽しんだ……。
「チャオ！ チャオ、パパゲーノ！ チャオ！
だーめだ。フーゴ、トラウマっていつ治んの？」
ナランチャはすぐに結果を求めてフーゴに当たる。
「鳥の場合トラウマっていうんでしょうかね？ 頑固だな……パパゲーノなら無言の行は
すぐに脱落する筈なんだけど」
モーツァルトのオペラ「魔笛」から取った名前であることをすぐ理解したフーゴらしい
洒落だった。
「別になんにもしゃべらなくたって良いだろ。
パパゲーノ、気にするな。おまえはそのままでいいんだ、そうやってそこにいてくれる
だけで、おれたちは優しい、楽しい気持ちになる、それでいいんだ。
さあ、お食べ。イチゴは嫌いかな？」
アバッキオは優しい声を作って語りかけている。
「……いつもあのひとになんて言われてるか判っちゃいますね」
フーゴが頭を一振りした。
「甘ーッ」
ナランチャも肩をすくめながら笑った。
３
「日光浴もさせなきゃならないらしい」と、アジトの表に出したパパゲーノは街の連中の
いいおもちゃになった。
「チャオ！ チャーオ！」
「だめじゃねーの。ナランチャ、フーゴにちゃんと世話の仕方聞いた？」
「なんかもっと楽しい言葉覚えさせようじゃないか、
ブチャラティ、ブチャラティ、ネアポリスの守護女神のブチャラティ」
「アルトゥロさん、それは恥ずかしいからやめてくれないか」と、出先から帰ってきたブ
チャラティ本人が止める。
「いいだろ？ 聞いたぜ、この秋には川向こうは隠居だってな？」
「なになに？」と、アジト前は黒山の人だかり。九官鳥には刺激が強くて挙動不審になる。
「いい加減しゃべれよなーッ。レオーネが胃ィわるくするじゃねーか」と、この春の胃潰
瘍未遂まで聞きつけたガキ大将が九官鳥に説教する。
「ニッコロ、いいから」
アバッキオは情けない顔でそれを止める。
「もう入るか？ ああ、怖かったか？ ビックリさして悪かったな、だが人間は怖くねえ
ぞ、パパゲーノ」
いちいち声を掛けて大きな籠をアジトへ持って入った。
それを見ていたアンナがブチャラティに囁きかける。
「ほんと、弱いものにはちゃんと目配りして。いい男だよ。ありゃあきっといい父親にな
る。ブチャラティ、これから幹部になって切った張ったが少なくなるなら子供も産めそう
じゃないか、早いうちにどう？」
「え、ちょっとそれは」
自分にそんなことは思いもよらなかったブチャラティである。さすがに戸惑った。
「なんとかなるもんだよ。あたしたちも協力はするし。あんたたちみたいな美男美女の子
供はきっと天使みたいだろうね、楽しみだよ」
「はあ、いやちょっと、それは向こうにも聞いてみないと、はは……」
珍しく押し負けてしまっているブチャラティだった。
４
夜はアバッキオが責任を持ってブチャラティの所に持ち込んでいて。
「おまえがあんまり熱心にあの鳥の面倒を見るから、すっかりおばちゃん達のお眼鏡にか
なってしまったぞ」
ブチャラティは２人きりになって安心してしなだれかかって、そんな話を持ち出す。
「熱心って、そうか？ タルティーニさん直々の頼みだから、つい」
ギャングとしてお願いされたら受けろと頭ごなしに言われてしまったのもある。あの若
頭は幼い頃からブチャラティを知っているだけあって、アバッキオが本当にギャングになっ
てブチャラティのパートナーになりきれるか用心深く見極めているようなところがある。
ヘタなことはできないという認識があった。
「いいパパになれそうだとさ」
ブチャラティは耳元で囁いてやる。
「パパァ！？ パパって、そんなッ」
「おや、その気はないのか、残念だ」と、反応を予期していたブチャラティは眼を細めて
なぶる。
「いやそんなおれはあんたに拾ってもらった身だしッ、そんな大それたコトは、いや、正
しきキリスト者としては遊びでああいうことをするんじゃなくそれはもう新しい命をこの
世に迎えて神の栄光をッ」
「うんうん。残念だが今は無理だ、我慢してくれ」
まだまだ心に純粋なところを残している恋人を貴重に思ってブチャラティは余裕で肯い
てやる。
「あ、ああ我慢する」と、カッコつけてみても男のスケベ心は少し残念に思っていて、ブ
チャラティはそれを正しく把握して揺さぶりを掛ける。
「でも、いとしいおまえの身体に負担を掛けるのはわたしの本意ではない。男は基本、溜
まってくるものなんだろ？」
「へ？」
「だから、これは医療行為みたいなもんだ、な？」と、もう手はその部分を押さえている。
「ちょ」
「今日もお疲れ様。さあ、気持ちよくスッキリしてくれ」
眼を潤ませて、のし掛かって、ブチャラティはすっかりその気だった。
「フ、フロラーッ」
嬉しい悲鳴がフラットに響いた……。
ガタッ。バサバサッ。
自分の飼育係の身に「危険」が迫っていることに気づいたパパゲーノが、籠の中で羽ば
たきをした。
「おや、お友達が心配しているぞ、レオーネ」
「パ、パパゲーノ、大丈夫だ、これはなんでもないぞ」
アバッキオも身を起こしながら籠に向かって声を掛けた。
ギャーッ、ギャーッ！
パパゲーノは人語には聞こえない鳴き声を上げて威嚇した。
「鳴けるじゃないか」
「ああ……パパゲーノ、良かったな。だが、もう夜だし、おれは大丈夫だから静かにな、
大丈夫、大丈夫」
アバッキオはもうベッドから下りて、パパゲーノの籠に近寄って、しゃがみ込んで籠に
手を当てて声を掛けてやっていた。
「ああ、大丈夫。いい子だ……もう少しいい声で鳴いてくれるか？ 明日な」
その背後から近寄ったブチャラティは、黙って鳥籠にショールを被せた。途端に鳥は静
かになる。
「フロラ？」
「お静かに。夜は静かにするものだよ、パパゲーノ」
背後には、なにやらゴゴゴという地鳴りを背負っている。
ややご機嫌斜めなのを感じて、アバッキオは逆らわずにベッドに連れ戻された。
「いとしいレオーネ、おまえにはなんでもしてやりたい。解ってくれ。さあ、どこがイイ？」
「いや、ちょっと、パパゲーノもいるし」
「大丈夫、見てないから。いつもの通りに……」
「いや、ちょっと………………アッー……」
５
翌日から片言はしゃべるようになって、パパゲーノはなおさら人気者になった。
「レオーネ！ イトシイレオーネ！」
「これしか言わねえのかよ」
「ま、夜はブチャラティが預かってるんならなあ、当然だなあ」
「もっと色っぽい言葉はねえのかよ？」と、親爺が籠を小突いて何か言わせようとする。
「チャオ！ チャオ パパゲーノ！」
フーゴが泡を食って横から別の言葉を言わせようとするが、
「イトシイレオーネ！ キモチイイ！」
「おお？」
どうもやばい言葉しか覚えていないようであった。
「いいじゃないか、タルティーニさんの所でしゃべれなくなったって言うなら、もとの状
態に戻ったってことで、それはアバッキオや皆がパパゲーノによくしてやったからだろ？
いいことだ」
ブチャラティは澄ましていたが。
「イトシイレオーネ！」
翌日になって事態は更に悪くなった。
「イヤ！ コノスキモノッ！ ウシロハダメダッテ！ レオーネッ！ バカバカバカ」
ぎょっとして一同は九官鳥の周りに集まってきた。
「イトシイレオーネ！ スキモノッスキモノッ！ キャハハハハハッ！」
「……おいおいおい」
「ウシロハダメッ！ スキモノスキモノッ！ レオーネ、レオーネ！ バカバカバカッ！」
「パパゲーノッ！ これは違うッ違うッて！」
顔を真っ赤にしたアバッキオが、キッチンから走り出て籠を取り上げた。
「アバッキオ……」
近所の親爺どもが訳知りに肯いてみせる。
「ナルホドなあ、仲がいいのに子供ができないってなァそういう訳か」
「純潔を大切にしすぎて結婚までは裏口専門って地方もあるそうだしなあ」
「おれも若い頃は月に一度ぐらい、後ろを試してみたくなった頃もあったけどな」
「いや、おまえももうギャングだし、みんなに認められてるんだから正面玄関からちゃん
と入んねえと」
「いやーアルプスの向こうのポルノはけっこうえぐいって聞いてたけど、おまえにそっち
の趣味があろうとはなあ。こんどいいのがあったら貸してくれや」
どんどん怪しい趣味をもっていると確定のうえで話が盛り上がっていく。
「違うッ！ その言葉はうちで覚えたんじゃねえーーーーーーーーーッ！」
アバッキオの絶叫が春のネアポリスにこだました。
「タルティーニさんが押しつけに来たわけだな」
表の騒ぎを聞きつけてブチャラティがとぼけた顔で言った。
「…………次はエマヌエレ司祭様にでもお願いしましょうか」
フーゴが頭を抱えていた。
おまけ。
「エマヌエレ司祭様ッ！ どうかおれの名誉のために証言してくださいッ！ おれはいつ
も健全なやり方しかしてな……くはないけど、そんなヘンなところを使ったりしてない正
しきキリスト者だってッ！」
「そうは言ってもだな、聖職者は懺悔の内容を漏らしてはいかんのだよ」
とりあえず、罪深い舌をした鳥は聖モニカ教会に引き取られることになった。人格者の
司祭の世話を受けて元気にしているが……。
「この狭き門から入れというのは……」
「ウシロハダメッ！ スキモノスキモノッ！ キャハハハハハッ！」
時々図ったように鳴いて、真面目なお説教の時間を拷問にしてくれている。
２３−１２−１０
蛇足。
文章書きの皆さんはお題に従ってＳＳを書いたりしておられるみたいで。わたしは日常
からネタを拾うというか勝手に湧いてくる方なのでやったことなかったなと。
ありがちなところで花鳥風月でいこうかなーって、花はミモザやらちゅうりっぷやらやっ
てるので鳥かぁ、と、またありがちなところで九官鳥にトライしてみました。そういえば、
中世ヨーロッパふうの世界観でお色気オリジナルをやってるサイトさん（もう、降参！
ってくらい巧いの。尊敬してます）でも似たような話はみたかな、ごめんなさい。やっぱ
りしゃべる鳥となるとえっち系に行きますよね♪
タルティーニ氏のイメージがここへ来て一変してしまった。とりあえず、このタルティー
ニの「猫」は「対決」でワーグナーをかけると怒る「嫁」。たくましいギャングの女房に
なりました。彼のところで覚えた言葉は「すきもの」ぐらいです、たぶん。ええ。
そのヘンリエッタさんはかたぎの美人女子高生だったんだけどタルティーニの兄貴分に
拉致監禁暴行……の末愛人にされていたのが、本人結構たくましい性格でなかなか言うこ
とを聞かなくてＤＶされていたのを弟分としてカルロ青年は常々同情しておって、２人は
次第に心を通わせ、ある日とうとう兄貴分のところから連れ出してしまう。グリマルディー
ニ（まだ老人じゃない）は最初から把握していて、黙認。兄貴分は荒れた気分のまま出入
りで命を落として、晴れて一緒になった（今ここ）という歴史。今考えた。
「タルティーニさんは兄貴分の女を寝取って死なせた」とか地味に武勇伝になっていたり。
そりゃ「ヤマアラシのスコール」でロリブチャを紹介されても断るな。その頃は絶賛片
想い中でしたとさ（よそに目を向けさせようって意図もあったと思う）。待て、女子高生
で攫われてからいいとこ１，２年のヘンリエッタじゃあブチャと同じ年くらいだったんじゃ？
……あんまりきっちり考えるの止そう。